マイトレーヤの前触れの徴
編集長殿
(1)2012年5月19日の日比谷公会堂での、石川道子氏講演会の質疑応答の時の出来事です。
質問に答えて、石川さんが地球の進化や火星、UFOやジョージ・アダムスキーについて話をしていました。私は講演会場の外のロビーの右側でソファに座り、スピーカーから流れる講演を聴きながら、ぼんやりと窓の外を眺めていました。丸い太陽がうっすらとした雲の中にあるのが見えました。しばらくすると、太陽の縁の色が変わり始めて赤や紫、白くなり、太陽の真ん中がくるくると回っていたのです。それから太陽そのものの形が変わり始め、三日月のようになり、色もまた変わっていって、これがずっと続きました。私は最初、自分の目の錯覚に違いないと思いました。一人の中年の女性がやって来て私の隣に座ったので、彼女に太陽が普通に見えるかどうか尋ねました。彼女は興奮して、「いいえ、普通じゃありません、たくさん太陽が見えて、色まで赤色に変わっていますよ!」と言いました。彼女はそう言いながら、太陽の方をじっと見入っていました。男性のスタッフがやって来たので、彼に太陽が普通に見えるかどうか尋ねました。彼も普通ではないと言いました。彼もまた太陽がいくつにも見えるけれども、残像かもしれないと言っていました。私もそれが本当かどうかわかりませんでした。けれども、それを眺めていると、癒されて、疲れが軽くなったように感じたのです。
後になって、よく晴れた日で空に雲一つないはずだったのに、霞のような雲があったのはとても不思議なことだと思いました。この現象を説明していただけますでしょうか。それは太陽のように見えた『星』でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、それがマイトレーヤの『星』であったことを確認した】
次の手紙も同じ人からのものです。
並外れた僧侶
(2)石川道子氏講演が始まってから、私は受付の様子がどうなっているか見るために外へ出ました。入口の階段の下に受付のテントを設けていました。そこでとても陽気な男性が、受付の机で何人かのスタッフとまだ話をしているのが見えました。彼の話している声があまりにも大きかったので、私は階段を降りて彼を見に行きました。その男性は70代で、明るく黄色っぽい色の作務衣を着て、大きな四角い袋を肩から提げて、背中にひょうたんや何かが書かれた木の板、その他たくさんのものをぶら下げていました。しばらく話をした後、その男性は階段を昇り始めました。彼の楽しげな威勢の良い話し声とはまったく対照的に、彼の足取りはヨタヨタとしていました。それで私は彼を見守りながら、後ろからついて行ったのです。
階段の上まで行くと、また元気よくスタッフたちと話をして、しばらく話をしてから中央のロビーへ入っていき、そこでまたスタッフと挨拶をしたり、話をしたりしました。それから彼はとても危なっかしい足取りで階段を昇っていきました。
講演が終わり頃になる直前に、彼は降りてきて、また大きな声でスタッフと話をしました。この時には、背中には何もぶらさげていませんでした。
この男性は特別な方でしたか。
H.A.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
ちょうどぴったりのアドバイス
編集長殿
2012年5月19日の石川道子氏東京講演会の日に、私たちは受付の準備していました。講演が始まる2時間ほど前に、年配で愛想が良く、刈り込んだ白髪頭で丸い目をした男性がやって来ました。
Sさんが彼に開場まではあと1時間ほどあることを伝え、それまで待ってもらえるようお願いしました。彼は「時間がどうのこうのはいいんだよ。準備の進み具合を見に来たんだから」と言いました。さらに続けて「人間の美徳といったって、それは実行して見せなきゃね。持っている物は何でも、抱え込まないであげてしまうのが良いんだよ」と言っていました。そして彼のポロシャツを指差して、「これは借り物なんだ」と言いました。とっさに私も自分の服を差して、「これはいただき物なんです」と言いました。
彼が手を差し出してきたので、意気投合して、彼と握手しました。彼の手が、がっしりとして力強かったのがとても印象的でした。彼と話し続けていて、この男性はただの普通の人ではないかもしれないと思い始めていました。
そして彼は続けて、「お互いに持っている物を何でも分かち合うんだ。もしそうすれば、争いなんてないよ。『私のもの』と主張できるものは何もないんだ。自分自身が空っぽになるまで全部与え尽くすんだよ。そうすると何もなくなる、自分自身もね」
彼の言っていることには、心の中で大いに賛同するばかりでした。
この出来事の後、私たちはそれぞれの思いを伝え合い、話し合う中で、彼が私たちの心を知っていて、答えをくれたかもしれないと考え始めました。私たちは二人とも、彼から同じことを聞いたにもかかわらず、心の中の反応や理解がとても異なっていたことがわかりました。一人は、どこまで与えたらよいのか自分の感覚や行動に自信が持てないことに対して、「それでいいんだよ」というアドバイスや励ましとして受け取っていました。もう一人は、自分の心の中の考えを行動に移すのを妨げている障害を乗り越えて、「こういうふうに実行するんだ」とでも言われているような、お手本を見せてくれたと思ったのです。
けれども二人ともが彼から学んだのは、結局同じことで、「私」というものはないという視点から物事を見るべきであるということです。この男性は特別な方でしたか。
K.S.、S.K.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】