非暴力を真剣に受け止める
?
?
?
?
?
そうした考え方は、エジプトとチュニジアで起こった偉大な革命において非常に力強く存在していました。そして、変化はたくさんの場所で起ころうとしています。民衆は今、高等教育を受けているため、爆弾の陰に隠れたり、ダイナマイトのベルトを巻いて自爆したりする必要はありません。それはうまくいきません。
?
?
?
?
イスラエル人に対する暴力があるとき(それが起こる理由はたくさんあります)、その暴力は米国がさらに、イスラエル人の頑さを容認する行動を起こすきっかけになるのは明らかです。しかし、もし暴力がなければ、変化はわずかしか起こらないでしょう。イスラエル・パレスチナ紛争においては長年の間、テロ行動が一つもなく、イスラエル側には全く変化がありませんでした。そうなると、暴力があったとしても、変化は起こらないでしょう。そのため、私はその状況が変わることをあまり期待しておりません。
しかし、南アフリカを見てみると、変化が起こるとは誰も思わなかったのに変化は起こりました。ソ連を見てみると、戦闘や銃撃戦や戦争がない限り崩壊するとは誰も思わなかったのにソ連は崩壊しました。同じことが北アイルランドでも起こりました。同じことが、公民権運動があった米国でも起こりました。南アフリカでは、正義の側についた白人が変化を起こしました。イギリス人は北アイルランドで変化を起こしました。米国の白人は公民権運動の間に変化を起こしました。ですから、変化が起こるときはいつでも、変化は弱い側からではなく強い側から起こります。パレスチナ・イスラエル紛争においては、強い側はイスラエルです。彼らは他の場所を見て、変化が起こらなければならないことを理解しなければなりません。
?
?
?
?
非暴力という理念を実践するとき、私たちは他者の側の懸念や不安、なぜ彼らはそのようなことをしているのかを理解しようとします。私たちが彼らに害を与えようとはしていないこと、しかし、彼らが行っていることは他の人々に害を与えているということを彼らに理解させます。そのようにして、多くの非暴力の活動が実践されることになります。
次のように言う独裁者がいます。「皆が私を愛している。私は国民のために神によって呼ばれた者だ」と。それから彼は、街頭に繰り出した何千何万もの人々が自分を拒絶し、「出ていけ。われわれはお前を愛していない」と自分に言っているのに気づきます。そのため、彼は決断をしなければなりません。「何ということだ。私は皆に愛されていると思っていた。なぜ大勢の人が道路に出ているのだ。なぜ彼らは私を愛していないのだ。そういうことであれば、私はやめることにしよう」。それが非暴力の力です──個人としてではなく、そうした変化を起こすことに身を捧げた何千何万もの人々の集団としての力です。
非暴力は真剣に受け止められなければなりません。非暴力が週末の活動でしかない米国でのように、軽く受け止めることはできません。イラクで戦争が始まったとき、週末にワシントンにやって来る何千何万もの人々がいましたが、彼らはそれから去っていきました。しかし、もしそうした何千何万もの人々がワシントンに昼も夜もとどまり、政府を封じ込め、道路を封鎖し、ワシントンのすべてのものを封鎖するならば、そうした人々がイラクでの戦争を望んでいないということを政治家たちは本当に理解するでしょう。しかし、日曜日の後、すべての人が家に帰ります。彼らは「イラク戦争が起きないように抗議しましたよ」と言います。それは、どのくらいの期間になろうとも、6カ月になろうと3カ月になろうとも街頭にとどまろうという献身というより、週末だけの献身でした。私たちは変化が起こるまで街頭で暮らさなければなりません。
例えば、ワシントンには上院議員がおりませんが、人々は税金を払います。ワシントンに住む人々はこれを敗北として受け入れ、毎日その敗北の中で生きています。しかし、何千何万もの住民が、税金の支払いを拒否しているわけではありません。もしワシントンのすべての人が、上院議員の枠ができるまで税金の支払いを拒否するならば、政府は変化するでしょう。1人、2人、10人や20人、あるいは100人の人々では、うまくいかないでしょう。そうした変化を起こすためには大勢の人々でなければなりません。
?
?
?
?
?
?
?
?
?
?
何をする必要があるのかに関して質問をしたければ、誰でも電話などで質問できるようにしました。そして、私たちはよくこう言ったものです。「そうですね、何をしたらよいかを教えることはできませんが、これはガンジーがやったこと、これはフィリピン人がやったこと、オランダの人々がやったこと、ラテンアメリカの人々がやったことです」と。自分の考えに合う非暴力の手段を取り上げ、選ぶことができます。私たちはたくさんのワークショップも行います。たくさんの対話もします。何が対話の手段となるだろうか。どのように戦略を練り、その戦略を自分たちのために機能させることができるだろうか。行動を起こす最良の時期はいつだろうか。自分たちが非暴力的な民衆であるということを反映するやり方で、いかに暴力を防止したらよいか。このようなことが、教えられ学ばれなければなりません。そのようにすれば、民衆は同じ間違いを何度も犯すことはなくなるでしょう。
私たちはそれをシリアで実行しました。シリアには情報を積極的に拡散させる人々が大勢おります。私たちは、現実に進行している出来事の中で小さな役割を担うことができて幸せです。
?
?
?
?
ならないと感じました。若い頃、私は飢えたまま寝ることが何度もあり、これは悲しいことだと感じました。
留学するために米国にやってきたとき、多くの人が飢えているのを目にしました。12歳、13歳、14歳の多くの子供たちが刑務所にいるのを目にしました。米国では、こうした子供たちへの対処の仕方が知られておらず、これほど豊かな社会でも、何かが間違っていると感じました。そのため、私は刑務所や施設から子供たちを引き取り、その子供の家庭で一緒に活動したり、施設や刑務所や里親よりも、一緒に暮らしてくれる親族を見つけたりしようとしました。
多くの人が私に賛成してくれたので、私はとても祝福されたように感じました。私たちはある団体を創設しましたが、その団体の一部では、若い人たちに関してスピリチュアリティの要素を取り入れ、彼らが社会のお荷物になってはいないと教えました。彼らが社会の一部となるよう手助けをしなければなりません。彼らを学校に戻し、仕事に復帰させますが、彼らの一部が人生で成功を収めているのを見るといつも喜びがわきます。私はオハイオ州で始めましたが、インディアナ州とウェストバージニア州からも、子供たちを私たちのところに送りたいという申し出がありました。私たちはこう言いました。「いいえ、私たちがインディアナ州とウェストバージニア州に行き、そこで問題を解決します」と。私たちは今や九つの州で活動を展開しており、5,000万ドル以上の予算を持っています。非常に多くの子供と家族を助けており、自分たちが行っている仕事を誇りに思っています。
?
?
?
?
?
?
さらに詳しい情報:
www.nonviolenceinternational.net