現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 8月 マイトレーヤの体験

マイトレーヤの体験

【シェア・インターナショナル誌は、マイトレーヤと覚者方の存在について、世界中で人々がいかに慰められ、援けられ、救われたかといった大変に様々な幅広い体験を毎月掲載している。マイトレーヤと覚者方は、しばしば『ファミリア』を使った様々に異なった外見で現われて、それによって注意を引き、出会った人に対して、特別な意味を持つ何かしらの暗示がたびたび与えられる。以下の抜粋は、マイトレーヤがアドバイスをし、勇気付け、癒し、教え、慰めを与えられた数え切れない方法の一部を紹介している。
「一週間のうち、ほぼ毎日こうしたとてつもない出会いの手紙が届きます。おもしろく、悲しく、荘厳で、笑いを誘い、思いやりに満ちた、深く心を打つものであり、劇中の一連の登場人物たちのように、人類の状況の全領域を映し出しているのです。こうした様々な方法で、マイトレーヤ(あるいは覚者)は御自身の存在のリアリティーを確かなものとし、単なる“ファミリア”としてさえも、必要に応じて慰め、教え、そして鼓舞されるのです。これらはこの仕事に関わるすべての人々にとって、喜びの源となるべきものです」】
(ベンジャミン・クレーム 2000年1・2月号)


慰 め

編集長殿
16カ月前、私の娘は自動車事故に巻き込まれ、生命を失うことになりました。5日間彼女は生命維持装置を付けていました。彼女のそばに座っていた時、時間をとっては短い散歩をし、崖の上に立っては海を眺めました。それは穏やかで、気を取り直すための時間であり、また現在起きている悲劇から助けていただくよう導きを祈る時間でもありました。
それは何回ものそうした散歩の時のことでした。立って海を見ていた時に、私の横に男性が立っているのに気がつきました。
私は彼が来たのも、どこから現れたのかも気が付きませんでした。彼の周りは何か温かくて心地良い感じがしました。彼は何も言わず、ただ私を見て微笑みました。再びこの人を見ようと振り返った時には、もう彼はいませんでした。私は彼が去って行くのに気がつかず、ただ消えてしまったように思えました。その時は、私は彼が現れたことと消えたことを自分のショック状態の頭のせいにしていました。10カ月後、友人が、読むようにとシェア・インターナショナル誌を私にくれ、「編集長への手紙」という欄の中の他の人々の経験談に気付き、10カ月前の崖の上で私の横に立っていた男性のことを思い出したのです。この方はイエス覚者だったのでしょうか。
イーバン・アグニュー
ニュージーランド、サウスカンターベリー
【ベンジャミン・クレームの師は、崖の上の男性はマイトレーヤ御自身であったことを確認した】

完全なサービス

編集長殿
1977年の7月頃に、ボーイフレンドと私が南フランスでドライブ中に車が故障してしまいました。土曜日で午後遅い時であり、町から遠く離れていました。一台の車が私たちの前にやって来て止まりました。運転していた人が手助けを申し出てくれました。彼は故障の箇所を見て、どこが悪いのか見てとりました。彼は私たちに、自分は解体場のある自動車修理工場で働いているので、私たちの車を修理するために必要な部品を見つけられると言ってくれました。
少し経って彼は部品や道具などのすべて必要なものを揃えて戻ってきました。数分で車は修理されました。私はとても感謝をして、このような人に出会えたことをとても幸運だと考えました。
彼の顔を正確には覚えていませんが、北アフリカ人のようでした。彼はとても礼儀正しく、彼の手助けに対していくばくかのお金を渡そうとした時、彼は神様が支払ってくださるでしょうと言いました。私は心のうちで、彼に祝福がありますようにとお願いしました。このイスラム教徒は本当に自分の信仰を生きているなと私は思いました。そして真実の同胞愛を感じました。この出来事を忘れることは決してありません。私はこの親切な人は覚者ではなかったかと自問しました。どうか私の疑問に答えていただけないでしょうか。
ローズ・マリー・カロネゴ
フランス、ヴェラフォンテーヌ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『機械工(メカニック)』がマイトレーヤであったことを確認した】

勇気づけ

編集長殿
1997年にパリの地下鉄で、私は列車のドアの近くに座って、ひどい心痛の中で自分の人生が一体どうなるのかも分からず、全く困惑した状態でむせび泣いていました。涙を止めることができず、まるで独りぼっちのように周りの人々のことなど気にかけていませんでした。列車が駅に着くと、背が高くスリムな男性がこれから降りようとするかのように私の目の前にやって来ました。出来事全体はほんの2、3秒のことでしたが、信じられないほど強烈でした。それというのも、その男性は私を見据えて、たった一言「勇気!」と言ったのです。ただそれだけで、命令のようでしたが、愛と思いやりに溢れていました。この世の中に、そのような適切な愛情のこもった命令を与えることのできる人がいたことに驚いたのです。あの男性が誰だったのか教えていただけますか。
ドラ・ジャグラ
フランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】


心の友

編集長殿
結婚したての若いころ、私は夫と一緒にアメリカを旅行しました。ある日の早朝、私たちはグランドキャニオンをコロラド川へ下って行きました。途中で私はとても美しい鳥を見て大声で「あれは何という鳥なのかしら」と尋ねていました。夫か他の人が近くにいたかどうかというような詳細は覚えていません。けれども若い男性が「青い鳥ですよ」と答えてくれました。私たちは石の上に一緒に腰掛け、鳥を見て景色を楽しみ、そして自然の美しさについて語りました。このように完全に平和な感覚が何か奇妙だと後で気付いたことを覚えています。まるで一心同体のように全く同じことを感じているに違いない友人が傍らに座っていて、それでいてその経験は現実に起きているようではなく、しかし周りのすべてのことは現実というような感じでした。
平和の思い、大いなる喜び、そして沸き上がってくるすべての思いを完全に知っている友人がいるという感覚、それは「そして、共にわたしの庭園を歩き、わたしの花のかおりをかぎ、神の近くにあることの喜びを知ろう」というマイトレーヤのメッセージ第42信を読んだ時に起こったのと同じものだったのです。
彼は単なる若い男性だったのか、お聞きしたいのですが。
U. レードル
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『単なる若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】


忘れられない、愛のこもった顔

編集長殿
1993年11月に私の念頭から離すことのできない何かが起こりました。それはスイスのミグロスの中で起きました。寒い日で、誰も周りにいませんでした。私の夫は、足元が不確かで、歩行が難しいのですが、ショッピング街のレストランへ向かう長い急なエスカレーターに乗っていました。半分まで昇ったところでつまずいたようで、バランスを失い、手すりにしがみついたのですが、足は、いわば身体より先に行ってしまったようでした(エスカレーターによって運ばれたのです)。心配そうに見上げる二人の年配の女性が下におり、私は助けたかったのですが、私の足もよたよたしているので、間に合わないだろうというのが分かりました。ひどい事故になるのは避けられないように思えました。私は静かに助けを求めましたが、おそらく誰にも聞こえないだろうと思いました。突然、大きな屈強な男性が私の夫の後ろに立っており、難なくまっすぐに彼を起こし、そして彼と共にエスカレーターを昇りました。上まで来た時、私は彼にお礼を言いましたが、その人の顔はそのような屈強な体からは想像もできないような、忘れられない愛のこもった表情の方だと分かりました。愛にあふれた声で、私たちの地域での方言で、彼は「よかったですね」と答えました。
その男性が立ち去ったのになぜ私は気がつかなかったのか分かりません--彼はただ消えてしまったのです。私の夫は『救助』され喜んでいます。
この忘れられない男性はどなたであるか教えていただけますか。最上の感謝をこめて。
ガブリエル・ビースト
スイス、ウトリンゲン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『忘れられない男性』がマイトレーヤであったことを確認した】


個人に見えたもの

編集長殿
2007年5月12日に、私はクレーム氏の講演会に初めて参加しました。私はクレーム氏やマイトレーヤについて、ほんの2カ月ほど前に知りました。講演前に2冊クレーム氏の本を読んではいましたが、私の理解は幾分限られたものでした。一緒に講演に来た友人は、事前に何も知らず、あまり理解していなかったようで、私に幾つかの聞き慣れない用語の意味を尋ねてきたりしていました。ところが講演が終わると、彼女は興奮して私には見えなかった光を見たと言ってきたのです。
以下は、私の友人、和子さんの話です。「私はそれをベンジャミン・クレームさんのお話の終わりの祝福の間、見ていました。クレームさんの胸の真ん中に輝く金色の光の丸い円があって、美しい金色のベルトの形の光が、円の直径と同じ幅で、クレームさんの肩から広がっていたのです。円の方がベルトよりも光り輝いていました。しばらくすると、胸にあった円が消えて、光のベルトが胸全体に広がっていました。クレームさんが最後にお辞儀をした時、頭全体がきれいな金色がかった黄色でした。両手も同じ金色でした。胸の円はきらきらと輝いていましたが、他の所はもっとくすんだ黄色でした」
S.E
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、手紙の著者の友人はマイトレーヤの祝福のエネルギーを見せられていたことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。


無 言

編集長殿
(1)2000年6月25日日曜日に、ロンドンのコンウェイホールで、初めての公開伝導瞑想会に参加しました。その後、私はホールの中の玄関脇で友人を待っていました。
私はカラフルなサリーを着たインド人の女性がいるのに気づきました。彼女の顔を見ると、とてもにこやかな人だったので、私は彼女に微笑みかけました。彼女もにっこりとして手を振ってくれました。私は後ろを見て、誰か他の人に手を振っているのではないか確かめましたが、誰もいませんでした。彼女はずっと私に向かってにこにことしていました。私は一瞬、彼女の所へ行って話しかけることを思いつきました。私は大変な『おしゃべり』にもなれるのですが、ただそこに立って彼女を見つめるだけでした。彼女はまるで私を良く知っているかのように私を見つめていたので、私は以前にどこで彼女に会ったのか思い出そうとしていました。私の友人がやって来ると、そのインド人の女性はもう一度私に手を振りました。私はにっこりと笑って手を振り返し、『さようなら』と口を動かしました。この女性は誰だったのだろうかと思っています。
【ベンジャミン・クレームの師は、『インド人の女性』はマイトレーヤであったことを確認した】


間一髪の脱出

(2)2、3カ月前、私は母と友人を乗せて、スティーヴィネッジからハーペンデンまでの帰りで、高速道をかなり飛ばして運転をしていました。私がハットフィールドのジャンクションへ向かうために内側の車線に移動した、その時、突然、前方の車全部が急ブレーキをかけているのに気づきました。私もブレーキをかけて、「車をうまく停められるか分からない」と思っていたのですが、まるで私の祈りが通じたかのようにエンジンが止まりました。車はまだ進んでいて、タイヤのゴムから煙が出ているのが見えました。車はわずか2、3cmの所で止まりました。もしそうでなかったら、ひどい衝突事故になったことでしょう。その時に私は、聖なる介入によってこそ、私たちは救われたと思いました。私の母とタクシー運転手の友人は、私たちのあまりの幸運を信じられずにいました。誰も彼もが急ブレーキをかけていた理由は、一羽のあひるが高速道を歩いて横切っていたためでした。その日、私を助けてくださったのが誰か教えていただけますか。
ドーン・ケアンズ
英国、ハートフォードシャー州ハーペンデン
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女がマイトレーヤによって助けられたことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。


ローカル・ヘルプ・エージェンシー、1

編集長殿
(1)1997年、私は、穏やかでスムーズに首尾よく運んだインタビューの仕事を終えて、友人たちと会って昼食をとるため、車で向かっていました。私はスピードを出したり、ふらふらとした運転をしたりしてはいませんでしたが、不意にぼんやりとしてしまい、気がつくと、赤信号を進んで交差点の真ん中にいたのです。一台どころか何台もの車が衝突したにちがいありません。ところが、それと同時に、『クッション』が私と車の回りを囲んで、周囲のドライバーと車がなぜかその場所に留められているという感じがしました。『クッション』は私たち全員が落ち着きを取り戻すまで皆を安全に運んでくれて、私は交差点を抜けてそこから脱出することができたのです。
この体験を説明していただけますか。
【ベンジャミン・クレームの師は、救助がアメリカの覚者によるもので、手紙の著者を助けたことを確認した】


ローカル・ヘルプ・エージェンシー、2

(2)私は自分自身がマイトレーヤの体験をすることについてずっと考えていましたが、マイトレーヤが来て下さる理由を全く思いつきませんでした。私は完全に出現について確信しているので、必要ないのだと思い、そのことを忘れていました。私は、特にお金に関してさらに手放せるようになりたいとも考えていました。お金を与えたりしていますが、さらにもっと与えられるようになりたいのです。このことに関しては、自由に流せるようになりたいのです。
最近のある日の午後、アルバートソン食料品店の駐車場で、私は車のトランクに買い物を積み込んでいて、たまたまポケットに現金が入っていました。背の高い金髪の若者が私の脇か背後からやって来て、お金に困っている時のばつの悪いような、困惑したような様子で、アマリロの家まで帰ることのできるお金を求めてきたのです。彼が特徴のない車の方を指差し、見ると、黒っぽい髪の奥さんかガールフレンドが中に座っていました。彼は家に帰るだけのガソリンをスタンドで頼んでも、断られた失望感を私に打ち明けました。彼は「ほんのいくらかあれば、それで困らない」といい、いくらかを頼んだのです。私は20ドル札を取り出し、それを手に彼の所へ歩いて行きました。彼はそれを受け取るときびすを返しましたが、その時私が、それで困らないかと声をかけると、彼は振り返って、「アイ・ラブ・ユー!」と言ったのです。私も「アイ・ラブ・ユー・トゥー」と返事をしました。彼は素早く車に戻り、急いで去って行きました。
母が店から出てきて、二人で車のシートベルトを付けていた時、この体験全体で私が唯一がっかりしたのは、ポケットの中のものをすべて渡さなかったことで、そうできたら良かったのにと思い、買い物の中から何かスナックもあげれば良かったと思ったのです。もしそれがマイトレーヤだったとしたら、私の目指したい方向へ、ぐいっと引っ張ってくださったのです。
その人の瞳は、初めは引き込まれるようなものではありませんでしたが、彼が「アイ・ラブ・ユー」と言った時の真っ直ぐな瞳を覚えています。彼の訴えかけの感情的なエネルギーは、人間的な感情的な感覚というよりむしろ、エネルギー的なものが、操り人形のような感じがしました。
ブリン・シゾム
米国、テキサス
【ベンジャミン・クレームの師は、『その男性』が前出の手紙と同じアメリカの覚者であったことを確認した】


一番の治療

編集長殿
1999年に、私は医師から出された薬で過剰反応を起こしてしまいました。朝起きると、舌の外側が腫れていたのです。私はシャワーを浴びて着替えをし、舌がさらに大きく腫れてき始めても、慌てていませんでした。車に乗り、一番近い救急治療室へ向かいましたが、ものすごい勢いで口の中が舌で一杯になってきても、まだとても落ち着いた気持ちでした。車を停め、娘と私の名前、年齢、電話番号を書き込みました。救急治療室に入ると、特に専門の看護師と、十分に能力を持ったゴンザレス医師によって、すべてがちゃんと取り計らわれていると感じました。気管切開を行うに際しての話し合いがされていました。私は気が遠くなるような感じがして、ゴンザレス医師を見ました。私は彼にうなずき、彼は、必要とされることをしてもらいたいと私が望んでいるのを理解してくれました。彼は後になって娘に、チューブをのどに下ろすのに6回試みたけれど、腫れ上がってほとんど閉じかかっていたため、困難だったと話していました。
ゴンザレス医師が娘に語ったところによると、彼が最後に試みた時、どこからか『助け』が来て、チューブが通ったのだそうです。ですから、今一度、私から、そして私の大いなる敬意と親愛なる感謝の気持ちを捧げる、すばらしい医師からのお礼を申し上げます。
どなたが、このすべてのことで私たちを助けてくださったのか教えていただきたいのです。
マーガレット・ホルブルック
米国、フロリダ州ペンサコラ
【ベンジャミン・クレームの師は、助けがイエス覚者からのものであったことを確認した】