現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 8月 ベンジャミン・クレーム講演録「運命の時刻」

ベンジャミン・クレーム講演録「運命の時刻」

2007年5月12日/東京日比谷公会堂にて

本題に入る前に一言述べさせていただきます。この種の講演会に初めて来られた方で、私についてあるいは私の提供する話に全く馴染みがない方々に、特に申し上げたいのです。
まず、私が提供することは情報であります。私は教師でも、福音伝道者でも、宣教師でもありません。実際、私の目がこのように悪くなるまでは、画家であったし、今でも自分は画家だと思っています。しかしこれから皆様に提示する出来事のために、私はますます一般大衆との関わりを持つようになりました。この情報は皆様にとって予想されていたことかもしれないし、全然予想していなかった、これまで聞いたことのない全く新しい話であるかもしれません。私は自分がすべてを知っているというような主張はいたしません。ただ私に与えられた情報を皆様に提示するのみです。その中に皆様が啓示とは言わなくても何らかの光を見いだせるかもしれない、皆様の意識や考えをいくらかでも広げて、今日世界に起こっているこの出来事についてより大きな認識を与えることができることを願って話をしています。
私は、皆様に申し上げることが本当であり、現在実際に起こっているということを完全に確信しています。しかし私は皆様に考慮していただくために話すのであり、これは決して独断的な教義ではありません。皆様に真理の響きが聞こえるならば、合理的で論理的であり、日常世界で起こっている外的な出来事と内的つながりを持つように思えるならば、どうぞ受け入れてください。しかしそうでなければ、受け入れる必要はありません。私が皆様にお願いすることは、心(マインド)を開いて聞いていただきたいということだけです。せっかくここに来られても、すでに異なった方向に自分の心(マインド)を決めて聞くならば、私の言葉が入りこむ余地はないでしょう。
もし私の言うことが正しければ、われわれは今、人間の歴史の分岐点に、前例のない時に、われわれ人類がこの地球という惑星上でどのように生きたいのかについて心を決めなければならない時に生きているのだということが明らかになるでしょう。それを可能にするために、われわれは生活様式を変えるのかどうかの結論を出さなければならない時に生きているのです。世界に起こっている大きな動乱や変化の理由はたくさんあります。それらについてできるだけ説明しようと思います。皆様が今日帰途につかれるとき、将来について、皆様の家族や子供たち、そのまた子供たちの将来について、新たな希望を持ってお帰りになることができれば、私はとても満足です。

困難な状況

人類は非常に困難な状況に直面しており、多くの人々の心(マインド)に希望を保持させておくのが困難です。特に近年、未来への希望を失わせるような非常に否定的な出来事がたくさん起こりました。あまりにも多くの出来事がむしろ正反対の方向へ、厳しい荒涼とした未来--もしそのような未来が前方にあるとするならば--を指しています。次々に起こる出来事が人類に激しいショックを与え、将来に対する強い希望を奪っています。
戦争は一つではなく、小さな戦争がたくさん起こっており、多くの人々がそのような戦争で毎年、生命を失っています。テロや、生態系の途方もない変化など、今日の世界をそして将来を、穏やかな目で見るためには、ぐらつくことのない強靱な神経が必要です。
しかし忘れてはならないのは、前の世紀(20世紀)には、われわれは歴史上最も大きくて最も長い、最も破壊的な戦争を二つ起こし、何千万の人々が国を守りながら、あるいは他国を襲撃して死んでいったということです。ですからわれわれは、そのような種類の破壊にはむしろ慣れっこになっており、確かに破壊することが非常にうまくなっています。
このようなあらゆる破壊の直中にあって、人類にはより静かな、より健全な安定した未来を願う余地があるのだろうか。私はあると信じます。いま人類には、もし望むならばその機会があると信じます。もちろん人類は自由意志を持ちますから、この決断にそれを発揮することができます。人類がそれを望むならば、この地球にかつて見られなかったような最も素晴らしい建設的な文明を創造することができるのです。
これらの破壊、大変動、戦争、至るところに不気味に出没するテロなどの直中にあって、どうしてそれが可能なのか、どうしてそのような希望を持つことが可能なのか。私がなぜそうだと信じるのかを、今が大変動の時であり、しかもまた人類にとってあらゆる方向に大きな進歩を遂げることのできる途方もない機会の時でもあることを、説明したいと思います。

宇宙のフォース(エネルギー)

これらの出来事、動乱は、われわれの世界に途方もなく強力な宇宙のフォース(エネルギー)が流入してきていることの結果であると信じます。そしてこれは偶然ではなく、ある一定の期間ごとに起こる出来事です。新しい強力な宇宙のフォース(エネルギー)が、既存のものというか、われわれが馴れ親しみ、よく適応してきたものと作用し合うとき、途方もない騒動を引き起こします。
皆様の中には、われわれが新しい時代に、新しい宇宙の周期に入ってきているというアイディアを聞いたことのない方はほとんどいないかと思います。これは偶然ではありません。われわれの太陽系が天空を巡る運動の中で、黄道帯上にある星団との関係において起こる結果です。これは空想などではなく、天文観測所へ行けば証明することのできる科学的事実です。
太陽が天空を運行し黄道帯を一周するのに約25,000年から26,000年かかります。そしておよそ2,150年ごとに太陽は黄道帯にある各星団と次々に整列状態に、つまり特別なエネルギー的関係に入ります。過去2,150年の間、太陽はパイシス(双魚宮)星団、魚のシンボルで表現される星座とそのような関係を持っていました。その星団がこの太陽系にそのエネルギーを注ぎ込み、その一部であるわれわれの惑星の生命も新しいパイシス(双魚宮)のエネルギーに目覚めさせられて、それが2,150年間続きました。太陽がこのエネルギーの影響圈から遠のくにつれて、そして新しいシステム、次のシステムであるアクエリアス(宝瓶宮)の星団の中に入っていくにつれて、われわれはアクエリアス(宝瓶宮)の時代に入りました。
1625年に、太陽がその影響圈から移動しはじめるにつれて、パイシス(双魚宮)のエネルギーは退きはじめました。そして1675年以来、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーが太陽系に影響しはじめて、今日ではパイシス(双魚宮)のエネルギーとアクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーの力はほぼ同じくらいです。これが今日の世界にあるあらゆる変動を起こしている宇宙的な源であり、それに対してわれわれは何のコントロールも持ちません。もしどちらかのエネルギーがより強大であれば、物事は異なっていたでしょうが、それらはほぼ同等の影響を与えているので、世界は引き裂かれ二つに分裂しています。
世界は、パイシス(双魚宮)のエネルギーの特質、したがってその影響の結果に固執している人々のグループと、流入しているアクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーによりいっそう反応している人々、通常若い世代の人々のグループに分かれており、これらの二つのグループの間で闘いが起こっています。これは基本的な自明の理です。私は秘教の見地から話をしていますが、秘教における公理は、顕現している宇宙全体にはエネルギー以外の何ものでもなく、エネルギーが振動するそのバイブレーションによって、その顕現されているものの特質が決まるということです。
これらのエネルギー、パイシス(双魚宮)のエネルギー、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーやその他の星団のエネルギーは、一定の偉大なるアイディア(理念)を包含しています。それが惑星の住民に働きかけるにつれて、これらのアイディア(理念)がわれわれの理想になります。もしわれわれがその理想に形を与える、すなわちそれを顕現させるならば、その理想に反応した文明がつくられます。つまりこの場合、過去2,150年間のパイシス(双魚宮)のものか、あるいは、まだその形態は存在しないが、アクエリアス(宝瓶宮)のアイディア(理念)に反応しようとするかです。
ですから、人々は長い間存在してきた既存のアイディア(理念)を擁護するか、やっと顕現しはじめているもう一つのアイディア(理念)を推進しようとしているかであります。この惑星は非常に高度に進化したものではありませんから、これらのグループの間に起こるのは通常戦いです。これらのグループは前向きか、後ろ向きか、すなわち進歩的か保守反動的かです。この二つのグループの間の葛藤が、今日人類の直面しているすべての不幸に、すべての困難に顕れています。
各々の宇宙の周期は人類にエネルギーのみならず、そのエネルギーの特質に由来する機会をも提供します。例えば、いま終わりつつあるパイシス(双魚宮)の時代は、人類にわれわれが個人性と呼ぶ特質を与えました。人類は群の存在から、より強いはっきりとした個人性を彼ら自身のうちに目覚めさせ、人類の進化に大きな前進をさせました。また理想と献身の特質をも与えました。著しい個人性の確立ゆえに、献身はいつも自分たち自身の理想に向けられました。自分たちの理想であるならば、何であろうとそれは正しく、他はすべて間違っているという、その姿勢自体が狂信性につながり、それが今日世界にあるグループ間の闘争の基礎にあります。
他方、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーの特質は統合であり、共に相寄るという、一体性の特質をもたらし、世界に結合をもたらす特質を有します。パイシス(双魚宮)のものと全く正反対です。ですから、より年配の人々は古い親しみ馴染んできた考えや感情や関係の仕方、すなわちパイシス(双魚宮)の時代の特質を表すものに固執する傾向があり、若い人々は統合の世界を、競争よりもむしろ協力を、分離的な狂信的な単位ではなく、全体の部分として自分たちを見ることができるような思考や感情の創造をより容易に期待する傾向があります。
純粋に宇宙的見方からすれば、われわれは非常に流動的な状況にあり、変化が起こらなければならず、実際に絶えず起こっています。どちらが勝つのか、どうすればこの混乱の状況から抜け出すことができるのか、という疑問がもちろん起こります。
われわれはいつも勝つか負けるかという意味で考えますが、そうではなくお互いの共通の必要から新しい状況にいかにして適応し、共に創造していくかという考え方をすべきです。世界をつくるためにはあらゆるものが必要であり、世界にはあらゆるものが存在します。われわれは平和と安全と安寧のうちに共に生きることを学ばなければなりません。この惑星でかつて発見されたことのなかったような、最も危険で最も破壊的な武器が多くの国々の手中にあるのです。したがって人類の未来はさらに脅かされています。

援助の手

では、われわれには何をすることができるか。われわれを助けてくれる方はいるのか。実際、助けがあることを信じる確固とした基盤があります。人類は、このすべてのことを自分たちだけでやっており、この世界はわれわれの手の中にあり、外部からの助けはないという印象を持っています。もちろん宗教的な人々は通常、彼らが神と呼ぶ方--全宇宙の創造者を描写するための漠然とした言葉--からの助けを信じ、助けを求めて祈ると、助けがあるというように信じています。ということは、宗教的な人々が正しくて、その他の人々はすべて間違っているのでしょうか。世界中の数え切れない多くの人々が、彼らが受け取ったことのある唯一の助けは高いところから、神から、彼らのコントロール外のどこかからやって来たと信じています。
私は助けがあると信じています。しかしその助けは非常に近くに、祈りに応えてくれる神を漠然と信じるよりもずっと身近にあると信じます、しかしそのような信仰と無関係ではありません。
私が意味することを説明しましょう。私はより高位の働きかけ、神の働きかけの存在を信じます。しかし神と呼ばれる方がいて、人類に頼まれると、彼らの祈りに応えて何かをしてくれるのだということは信じません。そのようなことではないと思います。われわれが神、神性と呼ぶところのものは連続体であると思います。人類自身から分離した何かではありません。世界のあるいは宇宙のどこかを指して、「ここと、ここには神(神性)があり、あそこにはない」といえるところはないと思います。われわれが神と呼ぶところのものは、顕現した宇宙全体を通じて連続していると思います。
また、この惑星にはいくつかの王国があることも私は知っています。第一の王国、まず最初に置かれたのが鉱物王国です。鉱物王国から植物王国が生まれ、植物王国から動物王国、動物王国から人間王国が生まれました。われわれの肉体は動物王国に属しますが、われわれは動物ではありません。
ではわれわれは何か。人類とは何か。人類の本当の特質はわれわれが魂と呼ぶところのものであり、この物質体の顕現、肉体、感情体、メンタル体を備えたパーソナリティー(肉体人間)はその魂の反映であると信じます。そして魂自体が神のより高位の顕現、神の閃光の反映です。
われわれは人間王国を進化の梯子の最上段だと思っていますが、そうではありません。人間王国からさらに次の王国が、霊的王国、魂の王国が出てきます。魂の王国は世界に存在します。しかしその住人はどこにいるのか。どこでその仕事をしているのか。大部分は、われわれの日常世界の背後にあって行い、それ以下のすべての王国について彼らは意識しています--われわれが肉体を意識するのと同じように。彼らは人間より高位の、人間よりも進化した存在です。人間から出て、人間を越えて進化していった方々の王国であり、人間の意識の成長を見守っているグループです。
地球上における人類の最も始めから日常世界の背後にそのようなグループ、高度に進化した方々のグループが存在していたと信じます。彼らは進化の大計画の管理者であり、智恵の大師方とか覚者方、偉大なる魂、知者、教師方、人類の長兄たちとして通常知られています。彼らは自分自身の神性を完全に認識している人々であり(なぜなら彼らはその神性を表現するゆえに)、数え切れない何千万年もの間、辺鄙な高山脈や砂漠にて人間の日常生活の背後で暮らしてこられた人々です。
われわれの長兄である覚者方は500年ほど前から、遅かれ早かれ、高山脈や砂漠における彼らの秘密の隠遁地から集団で出てきて、高度に進化した人間として公に世界に彼らの位置を占めることが要求されていることを知っていました。覚者方は最近まで、彼らが世界に出てくることができるようになるには、おそらくまだ1,200~1,300年くらい後のことだろうと考えていました。
覚者方についてのアイディア(観念)は、西洋においては本当に全く未知のことです。しかし東洋においては、日常舞台の背後には高度に進化した偉大なる方々が住んでおられて、折に触れて教師として世に出てくるという長い伝統があります。そのような教師方のリストにはヘラクレス、ヘルメス、ミトラ、ラマ、シャンカラチャリヤ、仏陀、キリスト、モハメッドなどがあります。世界中のすべての部分が、もし人々が世界の様々な宗教に属するならば、そしてキリストだろうが仏陀だろうが、クリシュナだろうがモハメッドだろうが、誰であろうと崇めるならば、この内界の覚者方のハイアラキーとの関係を持つのです。
惑星の霊的ハイアラキーには二つのロッジがあります。一つはインドにあるロッジで「南インドロッジ」と呼ばれ、もう一つは「トランスヒマラヤロッジ」と呼ばれます。そして覚者方の数はいつも63名に限られており、3人の偉大なる大主方とそれ以下の段階の60名の智恵の大師方です。
人間の進化は、魂が何度も繰り返し肉体に転生して物質界での体験を積み重ね、神、すなわち聖なる閃光と物質界の顕現であるパーソナリティー(肉体人間)の間の仲介として働くことで進んでいきます。
ハイアラキーには「世界教師(ワールドティーチャー)」と呼ぶ役職があり、現在の世界教師は主マイトレーヤであり、この方は過去2,000年余も世界教師の役職を担ってこられました。仏教徒は次にこられる仏陀をマイトレーヤ仏陀として認知しています。2,600年前に、仏陀は彼の弟子であり媒体であったゴータマ皇子を通して、この時代にもう一人の偉大なる教師が、わたし同様の仏陀が現われるだろう、そして彼の名はマイトレーヤといい、途方もない霊力によって人類を鼓舞し、活気づけて、正義(公正さ)と真理に基づいた輝かしい黄金の文明の創造に導くだろう、と予言されました。至るところにいる仏教徒がマイトレーヤ仏陀を待望していますが、それがいつ起こるかということについては、非常に異なった、私から見れば妙な考えを持っています。
みなさんご存じかと思いますが、今この特別な時期に、北インドでマイトレーヤ仏陀と呼ばれる巨大な仏陀の像が建築されつつあります。それは来るべき仏陀、マイトレーヤ仏陀に捧げられています。あまりにも巨大な仏像であり、巨大な建築物のようにいくつもの層に分けてつくられ、何千何百人もの人々が働いております。なぜなのでしょう。もしマイトレーヤ仏陀はまだ何千年も先に、ある仏教学者たちによれば、まだ何万何億年も先だと予想されているのに、なぜ今このような仏像を建てるのでしょうか。
私が申し上げたいことは、マイトレーヤ仏陀は待望されているのみならず、今日世界に肉体で存在しておられるということです。先程述べたように、ハイアラキーの覚者方は1,200から1,300年後にこの世に戻ることを予想していましたが、1945年6月、第二次世界大戦の(欧州戦線の)終了後、マイトレーヤは全く新しいシリナオを世界に提供されました。マイトレーヤ御自身が、お一人ではなく彼のグループの覚者方のかなりの数を引き連れて、世界に戻るということを明確に発表されたのです。
マイトレーヤは覚者方すべての師(マスター)であり、リーダーであります。人類が自分たちの自由意志で一定の変化を、変化の過程を始めるならば、マイトレーヤと彼のグループの覚者たちはヒマラヤやアンデス山脈などの彼らの隠遁地から出て、日常世界に出てきて、人類がパイシス(双魚宮)の時代とアクエリアス(宝瓶宮)の時代の困難な移行期を無事にくぐり抜けていくことができるように導くことを約束されたのです。
マイトレーヤはこう言われました--ある程度の平和が世界に再び確立され、分かち合いの原理が経済過程を支配しはじめたら、われわれの心(マインド)が少なくともその方向に動き出したら、そして政治集団と宗教集団がそれぞれのお家を浄化したら、覚者方が愛のエネルギーの最低の様相として見ておられる善意のエネルギーが顕現して正しい人間関係の確立につながるならば、やって来る、と。これらのことが起こりはじめれば、われわれの心(マインド)がこれらの方向に動きはじめたら、最も早い可能な時期に間違いなくやって来るだろう、と言われました。それは1945年6月のことでした。
当時はそれが5年後くらい、すなわち1950年頃であることが希望されました。1939年から45年にかけた世界戦争の体験が人類を懲らしめて、方向の転換に導くことが期待されました。しかし、すべての国家が災難を被ったわけではなく、また同じように苦しんだわけではなかったために、大国はすみやかに過去の古いパイシス(双魚宮)の時代の、貪欲で利己的な、国家主義的な競争のやり方に戻ってしまいました。そのためにマイトレーヤの到来が次々に延期され、ついに1977年7月、彼は、「人類の用意ができようができまいが、わたしはやって来る」と言われました。
何千年もの間、マイトレーヤはヒマラヤに住んでおられました。1977年7月8日に、ヒマラヤの高所6,000メートルのところにある彼の山のセンターから降りてこられ、地上の物質界における逗留のために御自分でおつくりになった身体(マヤヴィルーパ)を慣らすために数日、パキスタンの平野で過ごされました。その身体は、われわれ人間のレベルで暮らしていけるだけの強靱さを持ち、同時にマイトレーヤ仏陀としての、キリストとしての完全な意識を導入するのに十分な繊細さを持つものです。彼は仏教徒によってマイトレーヤ仏陀として待望されていますが、またクリスチャンにはキリストとして、イスラム教徒にはイマム・マーディとして、ユダヤ教徒にはメシヤとして待望されているのです。すべての宗教集団がこの教師をそれぞれ異なった名前で呼んでいますが、世界教師、主マイトレーヤのことを指しているのです。
1977年7月19日にマイトレーヤはパキスタンのカラチからイギリスのロンドンに到着され、そこに現代世界における彼の拠点地を持たれました。そこから彼のエネルギーが世界中に流れており、彼は準備を整え、世界の前に出現して、公に使命を始めることができる瞬間を待っておられます。

平和の確立

彼の関心事は何だと思いますか。もしあなたがマイトレーヤであったならば、世界教師であったならば、あなたの関心事は何だと思いますか。あなたならどのように進めていくと思いますか。マイトレーヤは、世界が平和に暮らすことに関心を持っています、なぜなら、もし平和がなければ、やがて世界はなくなるでしょうから。核兵器の到来によって、われわれは人間および人間以下のすべてのいのちを破壊することができる武器を持つからです。小さな戦争が大きな戦争に発展し得るし、大きな戦争になれば核戦争であり、それはこの地球上の文明の終わりとなるでしょう。地球上におけるすべてのいのちの最後となるでしょう。
人類は自由意志を持ちます。この自由意志はハイアラキーにとって侵すべからざる神聖なものです。ですからマイトレーヤや覚者方は人類を助けることができますが、われわれが望まなければできません。かなり前にマイトレーヤは言われました。「新しい時代の機構の一つ一つの石が、すべての煉瓦が人類自身によって敷かれなければならない」。覚者方は智者であります。問題をご存じであり、問題の解決法もご存じです。しかし彼らはただ世界に出て来て、われわれのために働くことはできません。われわれが行わなければなりません。われわれが生活を変えることを欲しなければなりません。マイトレーヤによれば、基本的にわれわれがしなければならないことは、平和を確立された事実としなければなりません。なぜなら、平和がなければ何もないからです。
どうすれば平和を確立できるか。何をしなければならないか。平和は人類が自分たちをひとつとして見るときにのみ確立することができます。皮膚の色が何であろうと、信条や宗教が何であろうと、人類はひとつです。そして人類は自由と正義が必要です。
では、どうすれば自由と正義を得ることができるのか。平和と正義は人類が自分たち自身をひとつと見なし、世界の資源を分かち合うときにのみ可能です。毎年、何百万の人間が何もないために、食べるものがないために死んでいます。毎年、何百万の人々が不必要に死んでいるのです、なぜなら世界にはすべての人間に十二分な食糧があるのですから。
あなた方がマイトレーヤを見、彼が話すのを聞くとき、彼は二つの主要な必要事項を指摘されるでしょう。一つは平和の状態をつくることです。もう一つは惑星の救済です。

惑星の救済

地球の温暖化を世界的にコントロールするための提案である京都議定書をみなさんはご存じでしょう。しかしこの合意書は、残念ながら世界中で最大の汚染排出国であるアメリカ合衆国を含みません。アメリカは世界の人口の約5%なのに、世界の汚染の25%をつくっているのです。しかも地球温暖化は人間の行動の結果であることを確信していません。覚者方によれば、地球温暖化の80%は人類の責任であり、この問題に対処することが最も急を要すると言われます。それはハイアラキーの問題ではなく、人間の問題です。人間がそれをつくったのであり、人間がそれを改善する必要があります。改善するための時間は非常にわずかしかありません。
合意書や提案書について、50年間のうちに世界の気温を2~3度下げて、地球温暖化の影響を最もひどく受けている面をいくらか救おうというような考えを耳にします。これはばかげています。地球温暖化の改善の過程を始めるのに50年もの余裕はありません。この惑星は非常に病んでおり、温暖化はその一つの側面にすぎません。われわれはあまりにも多くの樹木を伐採し惑星を裸地化したために、酸素の量はますます減少し、それに反して二酸化炭素の量がますます増大しています。地球温暖化をコントロールする唯一の方法はわれわれの制度を変え、生活の仕方を変えることです。
覚者方はその方法をご存じです。しかし人類がそうすることを望まなければなりません。その必要を知るとき、われわれはそれをし始めるでしょう。しかしそれを完全に、徹底的に行わなければ、来るべき時代にわれわれは途方もない人命を失うでしょう。
現在、ベルギー一国の面積と同じくらいの領域が森林伐採のゆえに裸にされています。お菓子やキャンディーを包んだり、全く不要な、装飾的な目的のために伐採された材木が使われます。そのような森林伐採がこの惑星を住むことができないようにしていきます。そのような資源の無駄遣いに関しては、日本の人々も他の国よりも良いとは言えません。地球資源の巨大な浪費があります。地球が耐えることができるのはどれだけなのかを理解し、われわれの必要を、われわれが必要と見なすものを、地球が維持でき生産することができるものに関連させることであり、その逆ではありません。
地球温暖化を増大させる化石燃料の使用を克服するための必要ゆえに、科学者や政府は同量のエネルギーを獲得するための異なった方法を探しています。風力はますます使われていますが、潮流のエネルギーは巨大であり、もし正しく活用されるならば人間の必要とするエネルギーのすべてを供給することができるでしょう。しかしそれはいつも試みられるのですが、高価すぎるということで無視されます。風力や潮流のように安全できれいなエネルギー源の代わりに、核エネルギーに力を注ぎます。多くの国が巨大な費用をかけてさらにたくさんの原子力発電所の建設を計画しています。戦争とか原子力発電所のためにはいつもお金があって、飢えている人々に食べさせるためとか、病気の人々を治すためとか、海洋や風力からきれいで安全なエネルギーを創造するためのお金はなぜないのでしょうか。世界もまた汚染のために死につつあります。空気は汚染され、海洋は汚染され、土壌は汚染されています。われわれが食べる食物はすべて汚染されています。
汚染の最も危険な源は原子力です。無知な科学者たちは原子力エネルギーを征服したと思い、彼らの手中にあって安全だと信じています。彼らはそのエネルギーを測定するのに原始的な粗末な機器を使っており、測定できるのはエネルギーの最低の面のみです。原子力エネルギーをつくることはできますが、安全な原子力エネルギーをつくることはできません。科学者は物質界の三つの様相--濃密な物体、液体、ガス状態--しか理解できません。実際、物質界には三つではなく七つの界があります。ガス状のさらに上位に四つのより精妙なエネルギーの界があり、科学者は核エネルギーやその他のエネルギーのより高位の側面を測る機器を持ちません。そしてこれらの原子炉が出す汚染の影響は世界中の最も危険なものの一つです。より若い年齢層のアルツハイマーや痴呆の増大は、このような放射能による汚染の影響です。
ですから、人々はますます増大する原子炉の使用に反対しなければならないのは明らかです。覚者方によれば、汚染が世界中で最大の病気の原因だということです。それはわれわれの免疫組織を破壊し、あらゆる種類の病気に対する抵抗力を弱め、ずっと昔に征服された病気が今また復活しはじめています。

人類はこれらのことに取り組む用意があるのか--惑星の安定を回復させること、世界に平和をつくること。平和を確立する唯一の方法は一つの世界の創造であり、それは人類が世界の資源を分かち合うまでは可能でないでしょう。この分かち合いの計画はあります。非常に単純です。想像するよりもずっと単純です。ただそれを行う意志を必要とするだけです。惑星の汚染の最悪の面は克服され得ますが、それには世界中のすべての人間の犠牲が必要です。
われわれは生活様式を簡素化しなければなりません。あらゆるお菓子やビスケットを一つ一つ紙で包む必要はありません。無用な木材製品や装飾品をつくるのに世界の樹木を浪費し世界から酸素を奪う必要はありません。何百種類ものコンピュターは必要ありません。2~3種類の基本的な企画で世界中でつくることができます。企業の個々の考え方に世界の産物を誤用する権利が与えられています。これは止めなければなりません。規律が必要です。
ここは東京です。東京では長い大通りを歩いていくと、一つ一つの店にあらゆる種類の電気製品や小道具が溢れています。あらゆる種類のちょっとした小道具が貴重な材料でつくられています。一本の樹を育てるのに何年かかるかを考えてください。何百年もの樹齢の、置き換えることのできない樹木をそのために伐採するのです。なぜならわれわれは貪欲で利己的で金のことのみを考え、もっともっとお金を儲けようとするからです。一体何のために? 世界の産物をもっと浪費するための力を大きくするためになのか。これが一体いつまで続けられると思いますか。惑星はうめき苦しんでおり、もちろんそれゆえにわれわれが苦しみます。われわれは環境と分離していません。なぜわれわれは、自分たち自身にこのような苦しみを与えるのか。マイトレーヤが語るとき、このようなことを話されるでしょう。われわれは生活を簡素化し、そのために必要な犠牲を払わなければなりません。われわれはもしそうしなければどうなるのか、惑星のいのちの質は、われわれの子供たち、そのまた子供たちにわれわれが残す遺産は何かを考えてください。
どうすれば核戦争を阻むことができるか。イランや北朝鮮に爆弾を投下することによってでしょうか。もし彼らが核爆弾を持っているとしてもおそらくこの瓶くらいのサイズでしょう。世界の28の国が大量破壊兵器を所持しています。核兵器を所有している国は9カ国であると公に知られていますが、実際には24カ国が核兵器をひそかに保有しています。もちろん最大の国々、アメリカや中国やヨーロッパ諸国は誰よりもたくさん爆弾を所持しています。アメリカは他のすべての国々の保有量を全部合わせた量より多くの爆弾を保有しています。それなのになぜ彼らは、イランが10年後くらいに核爆弾をつくることができるかどうかにそんなに関心を持つのでしょうか。私がやることをやってはいけない、私が言うことをやりなさい、というものです。
世界の民衆は目覚めなければなりません。そして自分たちの政府に対して彼らの力を主張しなければなりません。日本は世界で唯一、核爆弾の恐ろしさを知っている国です。ですから、世界に対して同じことが再び起こらないように訴えていく責任があります。日本の国民は、他の国々の国民と同様に、彼らの力(パワー)を主張しなければなりません。民衆は力(パワー)を持っています、数の力があるのです。そして政府よりもずっと啓発されており、より認識があります。
世界中の政府は過去のやり方で、過去の技術で、過去の中で機能していますから、何もうまくいきません。物事の特性を実際に変えることはできません。彼らができることは他国と、競争相手と競争することだけです。競争が好きです、なぜなら、それに刺激されてよりいっそう競争するからです。それはゲームです。無用の品物を、誰も必要としないが買わなければならないものをよりいっそう多く製造するために世界の資源をよりいっそう使います。その結果は狂ったような競争であり、その状況を維持するために生活の質はますます低下していきます。国民の生活の質を低下させ、同じ量の製品をより少ない人数でつくろうとし、多くの人々が失業させられています。いわゆる先進国は彼らの製品を国内よりも安くつくることのできる国を探して、製造工場を輸出し、あらゆるものがより貧困な国々において豊かな国々のためにつくられており、彼らはただ利益をあげるだけです。不可能な状況であり、いかなる国家もそのような生活を維持し続けることはできません。
政府は過去のパイシス(双魚宮)の時代のなかで迷っているので他に何をすればよいのか知らないのです。今日や将来の問題を過去の方法で解決しようとしています。それはうまくいきません。それゆえに、われわれはすべての機構と生活方法を再検討し、簡素化し、必要とするもののみをつくり、資源の使用を最小限に止めなければなりません。
これをなす用意が、生活様式を簡素化し、活力ある生き生きとした惑星を子孫に引き渡すことができるように犠牲を行う用意がありますか。生き方の問題です。

マイトレーヤ

マイトレーヤは宗教の教祖として来られるのではありません。マイトレーヤは霊的(スピリチュアル)教師として来られます。われわれは霊的とは何かについての見解を広げなければなりません。生活のすべての側面を霊的なものにしなければなりません。現代の問題は生活のすべての側面の商業化です。市場のフォース(エネルギー)です。世界の市場のフォース(エネルギー)がわれわれのなすことすべてに対する言い訳です。商業至上主義は世界にとって原子爆弾よりも危険であると、マイトレーヤは言われます。
われわれが世界の資源を公平に分かち合うとき、瞬く間に戦争やテロを過去のものとします。信頼の状況をつくります。信頼があるとき、われわれは共に座して、あらゆる問題に対する答えを徹底的に検討することができます。
マイトレーヤはそのように語るでしょう。このようなことを、今私が話したよりもずっと雄弁に、より単純に語る方を探しなさい。そしてもし彼が真実を語っていると思うならば、彼に従い、先頭に立って自分を変え、犠牲を行う者になりなさい。十分に大勢の人々が従うとき、マイトレーヤにではなくマイトレーヤの考え方に、アイディアに、助言に従うとき、彼は全世界に向けて話をするでしょう--その日を大宣言の日と呼ぶでしょう。その日に、マイトレーヤは世界中すべてのテレビの画面に同時に(地域によって時間は異なりますが)姿を現し、世界に向けて話をします。しかし彼は実際に話をしないでしょう。
マイトレーヤは全知遍在の方であり、そのインタビューのあいだ世界中のすべての大人たちと思念伝達(テレパシー)の関係をつくるでしょう。すべての人間がマイトレーヤの思考を、アイディアを、希望を、計画を自分たち自身の母国語で心のうちに内的に聞くでしょう。あなた方は日本語で、フランス人はフランス語で、ドイツ人はドツイ語で、中国人は中国語でというように。人類がいかに年を経た存在であるか、この時点まで進化するのにいかに長い間かかっているかを、そして前方に横たわるものを、未来の科学を示されるでしょう。われわれが非常に高位のレベルからこの物質主義にどっぷりと浸かった凡庸さに落ちてしまったことを示し、分かち合いの原則を受け入れて、一つの兄弟同胞感を表すことで、再び、競争ではなく一体性につながる霊的な道を歩むことができることを示してくださるでしょう。
新しい時代、統合の時代とはそのことなのです。統合ということは分離分裂した部分を共に引き寄せ、一体性を、和合をつくることを意味します。それが進化の過程の目標であることが分かるでしょう--多様性の中の和合、満腔の和合の中に最大の多様性です。
マイトレーヤが話をしている間、彼のエネルギーが途方もない力ですべての人間の心(ハート)に流れ込むでしょう。これがメッセージに対して直観的な心(ハート)からの反応を呼び起こし、肉体のレベルでは世界中で何千もの自然な奇跡的な治癒が起こるでしょう。この三つの方法で、この方が、この方こそがマイトレーヤ仏陀である、キリストである、イマム・マーディ、カルキアバター、クリシュナ、メシア、どのような名前で待望されていようとも、この方がそうだと知るでしょう。その日が人類の未来のすべてを規定するでしょう。