現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 8月 自己実現の実践

自己実現の実践

わたしを知るための最も容易な方法の一つは、心(マインド)に正直でありなさい、生気(スピリット)に誠実でありなさい、肉体に正しい食物を与えなさい、というものである。これが調和を創り出すだろう。もしあなたが裡なる真我を体験して、自分が心(マインド)や生気(スピリット)や肉体とは全く分離した不滅の存在であることを知るようになるとき、あなたはこれらの主の宮殿を創造的に認識をもって利用することを学ぶ。治癒の過程は自動的にそれに従う。
「あなたが思考、言語、行為においてわたしの至高の存在と生成を実現するために、あなたの心(マインド)と生気(スピリット)と肉体を与えたのである」とマイトレーヤは言われる。不正直な心、不誠実な生気、そして執着した心で行われるものは、いかなる行動であろうとも破壊的である。例えばあなたがあることを考えていながら、他のことを言い、そしてさらに別のことを行うとき、あなたは失われる。心の正直さは正直な言葉と正直な行動につながる。この調和が平安と幸せにつながる。「これは泥棒であろうとも、聖者であろうとも、誰でも今、直ちに実行し始めることができる」とマイトレーヤは言われる。
「自分自身に対する尊敬の念、尊厳を、他人に譲り渡してはならない。自分自身を他に屈従させるや否や、あなたは腑抜けになる。他人の影でさえあなたを占有させてはいけない」。マイトレーヤはこれを次のように描写される。「もし悟りを開いた人の人格(パーソナリティー)がいまだ準備のできていない子供に降りかかるならばどうなるか。その子供の人格は消されてしまう。子供は炭のようになる。これを多くの政治家と彼らの子供たちに当てはめてみなさい。子供たちは進歩することができない。彼らは全く自由の感覚を持たず自分自身を表現することができない」。だから、「何人といえどもあなたの上に影を投げかけることを許してはいけない。大師は体験を与えられるが、ご自身の影を投げかけない」
心(マインド)を開いておきなさい。人生を楽しみなさい。人生を楽しむとき、あなたは広大な海を眺めながら海辺に座っているようなものである。その瞬間、あなたは静けさと平穏と無執着を裡に経験する。その瞬間、あなたは自分の銀行口座のバランスのことは念頭にない。その瞬間、誰もあなたに説教しない。いのちの贈り物があなたの裡に開花する。これを体験しなさい。そうすると、あなたは自分がユニークな人間であることを知るだろう。あなたはこの創造の中においてユニーク(独特)である。
正直であり、誠実であり、無執着であることは、神との一体性を経験することである。しかし非常にしばしば、人はこの一体性を孤独と解釈して、心配すべきものと考える。しかるに、孤独という感覚は至高の祝福の変装したものである。なぜなら、それは人が神との一体性に近づいていることを示すものであるから。
無執着は最も強力な「薬」である。非常に効能があり、心と生気と肉体の過程や所業に対して真我に免疫を与える。無執着なしに救済はない。
(『マイトレーヤの使命・第2巻』“マイトレーヤの霊的教訓”より)


新しい時代の祈り

わたしは宇宙の創造主である。
わたしは宇宙の父にして母である。
すべてがわたしより来る。
すべてがわたしに戻る。
心と生気と肉体はわたしの宮殿である。
真我はその中にわたしの至高の存在と生成を実現する。


世界教師マイトレーヤによって授けられた「新しい時代の祈り」は偉大なマントラ(言霊)であり、喚起の効果を伴う是認の言葉である。人と神とは一体であり、分離したものではないことを、われわれが是認するようになるための強力な道具(ツール)である。
「わたし」はすべての創造の背後にある神聖な原理である。真我はそこからいづるものであり、神の原理と同等である。
このマントラを使う最も効果的な方法は、注目を眉間のアジュナチャクラに保って、集中した意図で唱えるか、思うことである。マインド(識心)からの概念の意味を把握し、同時に意志が加わる時、これらの概念は活性化され、マントラは働く。もし毎日、真剣にこの祈りを使うならば、われわれの裡に、われわれ自身が本当に真我であり、不滅の存在であるという認識が生じていくだろう。