The Path to God──a compilation
「神への道」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
わたしの計画は、あなたがたの真なる姿をあなたがたの裡に気づかせ、あなたがたが神御自身そのものから出でた者であり、その聖なる本源へ戻らねばらないことを示すことである。わたしの任務は、その行程を、正当なる嗣業に辿りつくためのあの長い道程を、楽にしてあげることである。わたしたちがお互いに兄弟として出会うときに、我が友よ、あなたがたはわたしの中に、その道をよく知っている案内人を、教師を、見るであろう。なぜならわたし自身ずっと昔にその同じ道程を辿り、その道の道標をよく知っている者である。
(『いのちの水を運ぶ者』第66信、p.196)
一歩一歩、人間は将来の必要条件を始動させるだろう。それらはすべての人間の運命と自由意志を尊重しなければならない。人生の基本的必要に対する権利、すなわち食物、住居、医療、教育がすべての施政活動の方向を条件づけなければならない。環境──そしてそれに必然的に伴うところのものすべて──の保護が、神聖なる義務とならなければならない。そしてそれは、人間が やがてこの惑星を健康に戻すために手当てをすることを可能にするだろう。もし人間が彼らの生得の遺産を受け継いで、再び神への道を見つけようとするならば、そうでなければならない。
(『覚者は語る』—将来の必要条件—p.519〜520)
マイトレーヤは、われわれが非常に高位のレベルから、物質主義の中にどっぷりと浸かったこのレベルにまで落ちてしまったことを示し、分かち合いの原則を受け入れて、ひとつの兄弟同胞感を表すことで、再び、競争ではなく一体性につながる霊的な道を歩むことができることを示してくださるだろう。新しい時代、統合の時代とはそのことである。統合とは分離分裂した様々な部分を共に引き寄せ、一体性を、和合をつくることを意味する。
(『人類の目覚め』p.15)
神への道はただ一つ。我が友よ、あなたがたはすでにそれを知っている。神への道は、同胞愛と正義と愛の道である。他の道はない。すべてがこれに含まれている。この道はつらくきびしい道であると思う者は多い。しかしそれよりもはるかに多くの者たちが、喜び勇んでこの道を歩むだろう。古くすたれた役に立たない過去の小事を捨て去って、その荷の軽さに喜びながら。互いに同胞愛を実践し、すべての者と親しみながら、己自身の真性を受け嗣ぐ者の数は多い。そしてますます増えるだろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第15信、p.63〜64)
人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。
(『覚者は語る』—飢餓の終わり—p.346)
覚者方の見解では、宗教的な行路は私たちの生来の神性を実演するためのたくさんの行路の一つにすぎません。宗教は神性の認識を助けるかもしれませんが、神は宗教にあるのではありません。人生のすべての側面、つまり政治、経済、宗教、全体としての社会、芸術、文化、科学、教育、および人間活動のすべての分野で、私たちは神と呼ぶところのものを表現するような生き方をすることが可能です。
(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.267〜268)
新しい時代は新しい見識をもたらし、人間は人生を冒険として、発見の旅路として対処するだろう──神と人間は一体であるという事実の発見、探求者の限られた視界以外に分離するものは何もないという発見、そしてすべての人間が同じゴールに向かって異なったコースを歩むということ、われわれが努力しているすべてのゴールは、認識されるのを待つわれわれの神性を実現することであるという事実発見の旅路である。
大いなる再生誕の法則のもとに、われわれはその旅路を何度も何度も繰り返したどり、そしてついには自己を完成した「神の子」として、われわれ自身の理解の光の中に入るのである。
(『覚者は語る』—再生誕の法則—p.114〜115)
完全に到達する道はたくさんある。しかし単純な道が最良である。わたしの道が、愛の道が、人間を最も速やかに本源なる神に至らしめる。もしあなたがこれを見ることができれば、間違うことのない、真なる道を進むだろう。これはすべての人間にとってそうである。
(『いのちの水を運ぶ者』第58信、p.172)
帰還の道は今あるがままのこと(WHAT IS)についての意識、そしてそうあるもしれないところのこと(WHAT MIGHT BE)についての意識が進化しつつある個人としての探究者に知られるようになっていく道であります。言い換えれば、あなたが探究するにつれて、志向するにつれて、自分の前に、ジュワル・クール覚者の言葉によれば『蜘蛛が自分自身の存在の裡から絹のような糸を創る』ように、それと全く同じように帰還の道を、まだ敷かれていない道を創っていくのです。それは全体に対する己の関係を構成するところのものについての認識の増大です。それによって私たちが自分たちと全体との、大宇宙との連結性についての認識と経験をますます深めていく手段であります。
(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.474)
前方の道が思ったよりも簡単であることを、あなたがたはまもなく知るだろう。前方の道は、我が友よ、太初からあなたがたを招いていたのである。わたしの計画の中では、未来への道と神への道は、結びついたものである。あなたがたが正義と愛の径に足をのせるとき、神に向かう上昇を始めるのである。神において本質的に変わるものはない。
(『いのちの水を運ぶ者』第108信、p.324)
彼[マイトレーヤ]は人間に、彼らの長い歴史と、彼らが克服してきた多くの危難について思い出させるだろう。マイトレーヤはわれわれ自身の光り輝く未来についての信の種を蒔き、人間の永遠の神聖を保証するだろう。人生の道、進化の旅路は絶対確実に前進へ、そして上へと導くことを示すだろう。そしてその旅路を、兄弟姉妹として共に歩むことが最も確実な方法であり、最も歓びに灯された道であることを示すだろう。
(『シェア・インターナショナル』2007年3月号、
「覚者より」—光の勢力は集合する—)
我が友よ、わたしはその他にもあなたがたを必要とする──あなたがたの歓びを感じることのできる能力を必要とする。この聖なる様相を、すべての人の心に喚び起こし、人類の先方には、輝ける真理の道、本源に直接つながる道が広がることを示す。愛と歓びを顕すことによって、最も速やかに、あなたがたはそこへ導かれる。
(『いのちの水を運ぶ者』第92信、p.272)
奉仕は進化の梃子のようなものです。奉仕を通して、われわれが奉仕する相手と自分を同一認するようになるのです。そして、われわれの意識の焦点が自己から他へ移行する。個人的な利己的なところから、非個人的な非利己的なところに移るのです。……
われわれは奉仕をし始めると、ますます視野が拡がり、より多くの人々と一体化し、やがてすべてのものと一体化できるようになります。自己をすべてのものと同じと見ることができるようになるとき、われわれはそのすべてのものになるのです。われわれは神であります。われわれの神性を解放するのです。
(『世界教師と覚者方の降臨』p.191)
神に到達する道はたくさんある。しかし、もっとも速く確実なのは奉仕の道である。これほど神の特性を十分に宿す道は他にない。この道の上にあなたの位置を占め、あなたの魂の指図を遂行しなさい。あなたの心(ハート)の命令に従い、世界の必要に目覚めなさい。奉仕の道に入り、大計画の中におけるあなたの位置を受け入れなさい。そして神への道にしっかりと足を踏みしめなさい。
(『覚者は語る』—勝利は保証されている—p.84)
人類がひとつの巨大な集団(グループ)として、進化の旅路における様々に異なった段階において共に旅していることを人々は理解し始めるでしょう。私たちはみな、本当に途方もないところへ向かう進化の道に沿って一緒に歩んでいるのですが、私たちのマインド(頭脳)は現在の段階ではそれを本当に理解することが困難です。
『人は神の特質のすべてを表示する神のような存在となる』と言うことは、覚者にとっては容易です。私たちは神の特質のすべてが何かさえ知りません。神の知(インテリジェンス)については知っていると考えます。巨大な知力がどのようなものか、あるいは完全に無条件に愛する能力がどんなものかについて、何となく分かるような気がします。神の愛はそのようなものに違いないと想像します。……『神の意志』という神秘的なものが多くの人々の心(マインド)を引き付けはじめるでしょう。あの途方もない神秘──神の意志とか目的がどのようにして知られるのか、それは何か、どのようにして表されるのか──を理解したがるでしょう。これらの(私たちはすでに知っていると思っている)ことを十分に理解するためには、他にさらなる神の様相を知らねばならないのか。
やがて、これらのことすべてがますます、より多くの人々の関心事になるでしょう。理解するためには、人々は教育されていなければなりません。覚者がいのちの教育、新しい時代の教育について話すとき意味するのは、そのような教育です。そして人々は、自分たち自身を潜在的な神々として認知するのです。私たちが自分たちを潜在的な神々として認知すると、それにつれて志向が増大します。
(『光の勢力は集合する』p.181〜182)
わたしの使命は、あなたがたに神への道を示し、本源への単純なる道を示すことである。多くの者にとっては、その道は終わることのない困難に満ちたものに思えることを、わたしは知っている。まことに、我が友よ、そうではないのである。その道に入り進むにつれて、わたしたち自身がそれを規定するのである。わたしたちが道であるとき、道はわたしたちの前に、法に基づいて開かれていく。非常に単純なのが神への道である。非常に単純なのがその上のステップである。そしてその聖なる道には多くの手伝い人や案内人が居る。
(『いのちの水を運ぶ者』第126信、p.378〜379)
必要に迫られて、人々は再分配の可能性とそれから必然的に生じる正義に新鮮な目を向けるのに気づくだろう。そしてそれが良いことを知るだろう。このようにして、一歩一歩、人間は、貪欲と搾取で築かれた彼らの壊れた殿堂を、すべての人々の必要に応える素晴らしいものに変容させていくだろう。かくして、マイトレーヤは人間をこれまで見たことのなかった霊的な旅路のために整えさせるだろう。その旅は、やがて人間を本来の彼ら自身の姿である神にしていくだろう。
(『覚者は語る』—未来の声—p.518)
正しい人間関係は私たちが一つであることを認識するときに起こります。人間種族を一つのグループと認識すること──肌の色が違っていても、経歴が違っていても、歴史が違っていても、同じ源から来た一つのグループ、つまりすべてが転生している魂であると認識することが根本的に必要なのです。魂としての私たちは神聖であり、完全です。そしてその完全さの具現へ向けた進化の旅路の途上にあるのです。
(『大いなる接近』p.225)
わたしの到来が間近であることを心の裡に悟っていない者は、世界中にほとんどいない。意識のすべての次元においてこの真理は響き渡る。あなたがたが兄弟たちに近づくとき、このことが確かであることに気づくであろう。あなたがた一人ひとりが心の裡に、遠くから招く新しい光を見たのである。その光は未来の約束を携えている。人類が神に還える径を歩むとき、その光は、それまで地上で見たこともないような炎になるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第23信、p.83〜84)
その逆を示すあらゆる証拠にもかかわらず、人間は、変化を、同胞愛と正義のリアリティ(実相)の再主張を、調和と平和の必要性を、受け入れる準備ができている──事実、切に願っているのである。かくして人々は、今や実践に翻訳されたこれらの往古のシンボルを呼びかけるマイトレーヤに応えるだろう。
であるから、未来への前進を、そしてあらゆる国々の民の間の正しい関係の確立を阻むことのできるものは何もない。そうして、人間を彼らの予め運命づけられた完成への道へ復帰させるための一つの計画が展開するだろう──大胆でしかも単純、複雑でしかも明確、古来のものでしかも輝かしく現代的である。
(『覚者は語る』—「世紀の終わり」—p.443)
神への道
——『覚者は語る』p.369
今や非常に間もなく、世界は、長い待ち時間が終わったことを、「人の子」はその約束を守られたことを、そして新しい時代が始まったことを知るだろう。人々がこの方を見るとき、その出現の理由を、そして彼らの協力が必要なことを理解するだろう。なぜなら、この方はこの時代の主な必要を示し、地球の再建のために、彼らの助けを招くだろうから。成すべきことはたくさんある、なぜなら世界全体がその変容を待っているのだから。たくさんの手が必要とされる、なぜなら変化はすべての人間に関わるから。マイトレーヤが現代の人間の舞台に公に入られるとき、彼は喜んで手を貸す助力者の軍勢を傍らに招くだろう。
マイトレーヤの御顔が見られ、彼の臨在が知られ、彼の勧告に注意深く耳が傾けられるようになるまでの時間は今や本当に短い。マイトレーヤの助言は現在の病の全領域を網羅し、それらの緩和と治癒の方法を指し示すだろう。
彼は、もっとも苦難を被っている者たち──虐げられ、見捨てられた者、つまはじきされる者、貧しい者──のために語るだろう。黙って不必要に苦しみに耐えている者たちのために語るだろう。彼は、兄弟姉妹を助けたいと願う者たちを活気づけ、新しい奉仕の改革運動を始動させるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤは、地球的規模の先駆者のグループの形成を鼓舞するだろう。彼らの任務は、長い間苦難の中に生きてきた世界中の窮乏する者たちに救いをもたらすことだろう。これまでのどのような企画をもはるかに凌ぐ継続的な援助のプログラムが、もっとも窮乏する者の生活を速やかに回復させるだろう。
すべての分野において、進歩への障害物は一つ一つ対処されるだろう。今日蔓延する貪欲と利己主義は、社会共同体についてのより広い見解に取って代わるだろう。すべての者の基本的な必要が優先されるだろう。自然と環境に対する新しい関心が律法の中に組み入れられて、普遍的に受け入れられるだろう、そして自然の贈り物への賢明な管理につながるだろう。大幅に増える国際的な旅行が、今日何百万の人間の視野を狭め彼らを無知の中においている孤立と偏見を減少させるだろう。人々の心(マインド)をつかんでいる古いイデオロギーの力は徐々に弱まり、新しい寛容と信頼に道を譲るだろう。
そのようにして新しい環境が生まれ、その環境の中で、最も野心的な変化は善意の精神の中に起こり得る。人間の行動の尺度として、「普遍的な善」が己の利害に置き換わり、そして増大する融和の中で地球の人間は新しい時代へ前進するだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤと彼のグループの指導の下で、人々は再び正しい道を、神への道を歩むようになるだろう。
(シェア・インターナショナル誌1994年1月号)