2024年4月号目次

覚者より  ベンジャミン・クレーム筆記
戦争の冒涜/裂開の剣を創造する

編集部より
今でなければ、いつか? 私たちでなければ、誰か?

視点
国境なき医師団による国連安保理への報告

S.O.P. (Save Our Planet)―われわれの惑星を救え!
英国がエネルギー憲章条約から脱退

マルク・アンドレ・セロス著
『世界の起源:土壌を脅かす人のための土壌の自然史』
ドミニク・アブデルヌールによる書評 第一部

ネタニヤフ首相はバイデン大統領を引きずり下ろすのか
ジェフリー・D・サックス

法の支配
法の支配の尊重を求める一致結束した声

時代の徴
星のパフォーマンス

大計画 — 選集
The Plan-a compilation

「もし私が死ななければならないとしたら」

民衆の声
勇者の強さを見せつける

霊的成長における瞑想と奉仕
ベンジャミン・クレーム

科学 (続き)
アート ユリアーンス

ウエサク祭

前へ、 突破口へ
デニス・クシニッチ

編集長への手紙
笑顔の実践 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

戦争の冒涜

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 前世紀に、世界は二度、全面戦争に、すなわち一つの戦争の二つの恐ろしい局面〔訳注=第一次と第二次世界大戦〕によって震撼させられ、何千何百万人もの犠牲者を出した。それぞれが「戦争を終わらせるための戦争」となるはずであった。しかし、いまだに、さらに強力な破壊力を持つ兵器で、もう一度、力比べをすることを企み、計画する者たちがいる。戦争は何事も解決せず、何も証明せず、地球の住民に苦痛と喪失を加えるだけにすぎないということに人間が気づくまで、一体どのくらいかかるのか問わねばならない。

 覚者たちが日常世界に戻る大きな理由は、まさに人々にこのことを思い出させ、戦争に永久に背を向けるように人間の思考に影響を与えるためである。今日、非常に多くの国が、人間がかつて考え造り出した最も破壊的な武器である核兵器を保持しており、将来の大きな戦争は最大の惨事となるだろう──すなわち地球という惑星上のいのちの完全な破壊である。何百万年もの間、地球は死んだ惑星、有毒廃棄物となるだろう。人間自身はどこかの暗い、遠くの世界に転生しなければならず、再び光の中に入るための、長い長い旅路を歩まねばならないだろう。……

(シェア・インターナショナル誌2009年9月号)

裂開の剣を創造する

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人間が示すことのできる最高の特質、あるいは最悪の特質を体現する人物が、時々、人類の中に現れる。そのような人物は最も人々に愛されるか、最も憎まれるようになる。いずれにしろ、彼らは通常、大勢の信奉者や帰依者を自分たちに引き付ける。そのような人物は大多数の人間にとって、途方もない磁力的なアピールを持つか、時によっては、大規模の破壊的な力(パワー)を奨励する手本である。歴史の本は両方のタイプの例で満ちている。

 今日、両方のタイプについてのたくさんの例が世界中に非常に多く顕現している。この顕現の影響は人類の前に二つの対立する行動路線を置いており、人類の将来を決定する選択について緊張をつくり出している。聖書の言葉を使えば、これは「裂開の剣」である。長年の間、マイトレーヤから放出され、そして方向づけられてきたエネルギーは、そのような対立するものの対決を促そうとしてきた。それは多くの人々にとって確かに不思議に思えるかもしれないが、人類がその将来のために正しい選択をすることは非常に重要である。そうでなければ、将来はまさに荒涼たるものであろう。

 「裂開の剣」はわれわれが「愛」と呼ぶエネルギーである。マイトレーヤによって振るわれて、それは「兄弟を兄弟に対立させ」、至るところに住む人間のまことの神聖な意識を試す。すべての進化の究極的な目標は地上に「神の王国」を確立することであり、「裂開の剣」は人間にその道を示す。

 マイトレーヤの教えは単純である。彼の優先事項はすべての人間にとって明らかであるように思えるだろう。残念ながら、そうではない。分かち合いとすべての人間のための正義(公正)の当然の結果として、平静で平和的な活動の将来をマイトレーヤは示されるのである。「誰も欠乏することのない世界を、二日と同じ日が繰り返されない世界を、すべての人間を通して同胞愛の歓〔ルビ:よろこ〕びが顕現する」世界、いかにして、そのような希望のメッセージに反駁することが可能なのかと思うかもしれない。それがすべての人間によって切望されている将来ではないのか。それは大多数の人間によって望まれている将来である、しかしすべてによってではない。人類は進化の梯子のそれぞれ異なった段におり、ある一定の段より上にいる人間にとっては、すべてが良い前兆である。しかし、自分たちの神聖な真我についてその程度までいまだ顕現していない者たちが、分かち合いは神聖なことであり、正義と正しい関係は神聖なことであることを認めないのであり、神(神性)を競争と葛藤として見て、人間の価値を自分の金の重さによって測るのである。

 多くの人間が恐れ、苦しんでいる──仕事も将来への希望もなく、彼らは一日一日を苦闘する。しかし、その他の多くの者たちは自分たち自身のための将来をつくっており、そしてまた多くの者たちがその過程の中で死んでいる。世界中で、人々は、自由と正義をその中核においたより良い生活の可能性に目覚めつつある。恐れるでない、民衆の声は高まっており、接触伝染のようにますます多くの人々に影響を及ぼしている。自由、正義、そして人間の和合という真理のために生きる──あるいは死ぬ──人々の背後にマイトレーヤは立っておられる。若者が道を先導する、そしてその将来は彼らのためにある。

(シェア・インターナショナル誌2011年10月号)

時代の徴

ベンジャミン・クレームの師によって確認されていない「希望の徴」と「時代の徴」をここに掲載する。それらの「奇跡的な」特性を検証することはできないため、判断は読者に委ねたい。

星のパフォーマンス

この「星のようなUFO」は、いつも夕空の低い位置にあり静止しているが、地球の自転に伴って星空と共に南から西へとゆっくりと移動している。もちろん、実際にレンズを通して見ると、真夜中頃に次々と撮影されたこれらの画像は、静的なものを写したものではなく、地球の大気圏外にある非常に強力な光源によるとてもダイナミック(動的)な光のショーを写したものである

空が晴れている必要があり、撮影の際には、三脚につけた超高倍率コンパクトカメラが必要である。空を見上げて、より進化し、文明化し、テクノロジーの面で進歩した者たち、宇宙の兄弟姉妹たちに私たちは助けられているのだということに気づくとき、私はいつもハートチャクラに、確証を、つながりを、愛のエネルギーの流れを感じる。

これは、私が長年にわたって撮影し、ベンジャミン・クレームの師である覚者が「マイトレーヤの星」だと確認した「星」と同じものである。それは実際には、巨大な宇宙船であり、宇宙の兄弟たちによって派遣され、有人で運用されている4機のうちの1機である。それは、同じく宇宙船であった「ベツレヘムの星」が、イエス覚者が幕開けした双魚宮(パイシス)の時代の教師の存在を示していたのと同じように、途方もない何か、あるいは誰かの存在を人々に知らせることが期待されている徴である。


コルネ・クワテル
オランダ、アムステルダム、2024年2月12日

ウクライナ──ウクライナ軍の部隊が2024年2月に撮影した偵察用ドローンの映像には、遠くの空に浮遊している物体が映っている。その物体は大きく、円盤状で、白く光るオーラに囲まれているのがはっきりと分かる。一人の兵士がUFOであると結論づける前、兵士たちがその物体を特定しようと試み、なぜ動かないのか不思議に思っている様子が音声からうかがえる。
(UFOsightingsdaily.com; coasttocoastam.com; Instagram :@frontier_conflict)

大計画-選集

The Plan──a compilation

大計画というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻、第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 大計画は単に偉大な宇宙的存在者のマインドの中にある何か曖昧な宇宙的概念ではなく、私たちの生活に厳密に関連性を持つものです。それは正しい人間関係に関わりがあり、したがって政治、経済、宗教、科学、教育、それから貧しい人たちに食べ物が十分あるかとか、貧困者が多過ぎはしないか、富裕者が多過ぎはしないか、貧富の格差が大き過ぎはしないかに関係するものです。
これらのすべてが神の大計画の一部です。神の計画は従わなければならない一定の規則ではなく、私たちの生活の霊的基盤の中心にあるものなので、それ自体に内的美、つまり内的関連性を持つアイディアなのです。私たちが正しい関係を実施するとき、私たちは自動的に機構──政治、経済、社会──を創造します。それが計画を実施することを可能にするのです。

(『大いなる接近』)

 この計画はどこから来たのですか。どこかに権威のある存在がいて、「これが人類の計画だ、そして最終的にはこうなるのだ」と言うのですか。
クレーム:本質的に、大計画はこの惑星のロゴス、つまりこの惑星に魂を吹き込んだ天帝から発します。彼は、ゴビ砂漠にあるシャンバラと呼ばれる高位エーテル界のセンターで世界の主として御自身を現されます。神の大計画は、シャンバラから発します。そして、仏陀によってシャンバラから私たちの霊ハイアラキーの覚者方にもたらされます。覚者方は人類を通して大計画を実行に移そうとします。覚者方は大計画の一部を彼らのさまざまなイニシエートや弟子、世界の男女に与え、それを彼らが実行していくなかで世界に変容が起こり、大計画が実現します。覚者方はまたこの惑星に流入する霊エネルギーの管理者であり、それを大計画を推進するようなやり方で放出していきます。人類は、それが存在することを知らなくともこれらのエネルギーに反応します。これらのエネルギーは私たちの理想となる特定の偉大なアイディアを形成します。私たちがこれらのアイディアを実現していくにつれて、時代から時代、周期から周期を通じて進化の計画は進行していきます。

(『死海文書と義の教師』「不朽の智恵の教え」より)

真理はあなたがたの中に存在する。真理はあなたがたの心の中にある。真理は、我が友よ、兄弟姉妹よ、愛と分かち合いと正義と自由である。これらをあなたがたの生活や社会の中に具現し、神の大計画を再確立しなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第93信より)

大計画


       ──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
        1989年4月号

 ……わたしが語る大計画とは、われわれが神と呼ぶ御方の大目的を具体化するものであり、創造のすべての王国のための神の意図に焦点を合わせる。この「進化の青写真」の多岐にわたる様相の全体像を知ることのできるものは、誰もいない。しかし、少なくともその大まかな輪郭は、キリストのリーダーシップのもとにある霊的ハイアラキーの長い間の関心事であり、名誉ある奉仕であった。覚者たちはこの大計画の多くの面とともに日々働き、それが人類を通して徐々に成し遂げられるように鼓舞することを求める。

 人類が大計画についての知識をより深め、そして完全に意識的に、神の意志にそって進化していく時がやってきた。人間の意志と神の意志が一致するところでは、すべてが正常に順調に進行する。この一致が欠けるところでは、あらゆる種類の病に冒される。その一つ一つを自分自身で引き起こしているのである。このようにして、人は自分自身の運命をつくるということが、本当に言える。人のためらいや心配は自分自身のものであり、苦難は自分でつくるものである。

 ……こうして大計画は変質と変化を通して進行し、あらゆるものを、構想された目標に徐々に導いていく。今日、人が目を向ける所どこにでも、この出来事を目撃することができる。発作のような変化の激発が世界を飲み込む。
 見守る同胞団の任務は、これらの変化を監督し、それを合法的に大計画の領域の中に収めることである。こうして覚者たちは働く──大計画を人間によって提供される可能性に関連させる。
 法のもとで、人間が統合に向けて踏み出す一歩一歩がさらに次の段階へ進行する機会を提供するのである。こうして人間自身が大計画の進展を統御する。……
(『覚者は語る 第Ⅰ巻』─大計画─より)

 それぞれの世紀ごとに、そして一世紀のうちの25年目ごとに、智恵の大師であるわたしたちは、それ以前に始動させた多くのプロジェクトと計画についての成功やその他を評価するために共に集うのである。このようにして、わたしたちは特定の計画がうまくいっているか、もしそうでなければ、害が及ぶ前にいかにして必要な調節と変更を行うことができるか知るのである。

(『覚者は語る 第Ⅱ巻』─人間の業績─より)

 わたしの覚者たちも、各々の拠点地で仕事をしている。彼らを通して大計画は進められる。わたしの仕事は、その大計画を統合し、分裂を最小限にすることである。多くの愛されてきたものが捨て去られねばならない。古い形にしがみついていてはならない。役に立たなくなった機構を放棄し、新しい、より単純(シンプル)な世界を創造していく人間の能力に、多くのことがかかっている。これをよく記憶しておきなさい。忘れてはならない──わたしは、すべてのものを変えるためにやってくるのだということを。

(『いのちの水を運ぶ者』第74信より)

 最初の本当の人類であったレムリア種族の前に二つの種族が存在しましたが、彼らはエーテル体で存在し、真に人間ではなかったのです。今、帰途の旅が始められています。ただし、その間に得てきたすべての経験と魂の融合を携えて帰るのです──これが大計画です。
 ですから、われわれは、物質を霊化しているのです。超自然的に高めているのです。物質界に転生してくることによって、ロゴスの大計画に仕えているのです。魂は肉体の中に埋められることによって制限されますが、肉体の中に在ったときのすべての体験を持って、その物体を霊に還すのです。

(『世界教師(マイトレーヤ)と覚者方の降臨』)

 だから、我が友よ、わたしはただ愛と信頼について語る。多くの者は、今日、これらが価値あることなのを知るが、その中心的な位置を真に認識していない。我が友よ、すべてのいのちは神の愛の上に存在可能である。この単純な真理をわたしは教える。これをあなたのものとなしなさい。これをあなたの人生の中心となし、わたしと共に前進しなさい。わたしの兄弟である覚者たちが、未来への単純な道をあなたがたに示すであろう、我々が神と呼んでいる方によって計画された未来への道を。その道はすべての人間が歩むことができる。そしてわたしという代理人を通して、神に至るのである。

(『いのちの水を運ぶ者』第77信より)

 民主主義だろうがなんだろうが、ただ一つの統治形態が普及すべきだということは、進化の大計画ではない。人間の必要は、イデオロギーよりもずっとリアル(現実)であり、より重要である。相違に対する寛容さは統合させ、イデオロギーは分割させる。
 したがって、マイトレーヤが公に話をされるとき、多様性の中の和合が将来の調和への鍵であることを示されるだろう。すべての国家がそれぞれにユニークで神聖なる運命(さだめ)を持つことを示すであろう。マイトレーヤは、この幸いなる状態を達成するための道を示され、人間が大計画についてより賢明に理解するために彼らのハートを開くように鼓舞されるだろう。

(『覚者は語る 第Ⅱ巻』─多様性の中の和合─より)

世界のあらゆる聖典は、この進化の計画をどのように描写していますか。
クレーム:聖典はこれと関係していますが、たいていの場合(いつもそうだというわけではありませんが)人類の無学で最も単純な人々にも直接的に理解できるような方法でより顕教的に伝えられています。それらは主に大衆のための感情的なアピールです。感情的なアピールを超えた所に、覚者方によって与えられた特定のイニシエートや弟子たちのための非常に知的で霊的な教えの体系が存在し、それは彼らに大計画と、その中における彼らに可能な役割を教え、その実行への参加を呼びかけています。

(『死海文書と義の教師』「不朽の智恵の教え」より)


人々は聖典の解釈について尽きることのない議論を続けていることから考えると、明らかにもっと深いレベルには何かがあるようですが。
クレーム:聖典は、文字通りに受けとるならば、非常にしばしば一種のナンセンスを生み出します。しかし、比喩や象徴として、そのより秘教的で象徴的な意味が理解されれば、あらゆる宗教の聖典はもちろん人類にとって信頼できるものであり、私たちが神と呼ぶもの、この惑星のロゴスと彼が表現したものとの関係、人類とより低位の王国との関係を保持するものです。聖典は、それらの関係が存在し、進化の計画が存在し、それには終わりがなく、私たちがこの惑星において完全さ──ロゴスの大計画を、そのあらゆる形態と共に完全に実現すること──を創造するまで続くのだということを知らせてくれます。……

(『死海文書と義の教師』「不朽の智恵の教え」より)

 あなた方は自分が出てきた本源の高みを見るとき、自分自身を吟味して、無秩序と闘争の中に頭から突っ込んだその理由を疑問視するに違いない。それは増大する物質主義に本来備わっているものであることを発見するだろう。それが、長い間、あなた方をあまりにも深く関与させてきたものであり、大計画をあなた方に忘れさせた原因であった。今再び、あなた方はこのことを認識しなければならない、そして光にのみつながる行路を取りなさい。多くのことが今、人間の正しい決断にかかっている。人間はこれほどまでに大きな危険にさらされたことはか
つてないのである。わたしたちは監視し、そして友情と救助の手を差し延べる機会を待っている──その手が温かく握られるという確信をもって。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』─機会と挑戦─より)

 人間がすぐ上の王国、霊の王国、または魂の王国との関係を、ますます意識するようになるにつれ、すべての王国と、非常に積極的なダイナミックな関係に入るでしょう。霊の王国は、ハイアラキーにいる覚者方やイニシエートによって構成されているのです。覚者方の教えを通して、そしてシャンバラから流される大計画が人間の意識にしっかりと植え付けられることによって、人類は己の真の運命を悟るようになる。それは、人間を通して下層王国へと流れるエネルギーの大きな分類室のような働きをすることです。人間には、この惑星上の自然界の他の王国に対する大きな責任があることを悟るようになると、動物王国に対する関係に変化が起こるでしょう。

(『世界教師(マイトレーヤ)と覚者方の降臨』)

 わたしの労働者(ワーカー)になりなさい、わたしの仲間になりなさい、わたしの英雄になり、大計画に奉仕しなさい。この準備の仕事のための時は短い。栄光への最初の一歩を今、踏み出しなさい。あなたの転生の目的と神の大計画とに仕えなさい。これらは同じものである。わたしの覚者たちは、苦境から抜け出す最初の歩みをあなたがたに示すだろう。愛と兄弟たちへの奉仕とを通して神性が顕されて、満ち足りた幸せのうちに、より簡素な生活を送ることができることを、あなたがたに示すだろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第16信より)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
 その他の掲載された手紙は新しいものである。覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

笑顔の実践

 2003年1月頃、コロラド州ボールダーのスタジオでヨガのレッスンを受けていました。そのレッスンはアシュタンガ・マイソールスタイルで、部屋にいる人がそれぞれ自分のヨガを行っている間、インストラクターは見て回り、各生徒を一対一で指導します。その日のインストラクターの一人が私たちの『基本理念』になる人(スタジオのオーナー)だったので、部屋はとても混み合っていて、スティッキーマット(粘着マット)には実際に隙間がないくらいでした。私の隣で練習していた男性は、スタジオでそれまで見たことはありませんでした(その日以来見かけていません)。彼はかなりしつこくクスクス笑いを続けることで、何度も私の注意を引きました。ある時には目が合って、彼から「いつもこんなふうに混んでいる?」と尋ねられました。私は彼に、日曜日にはしばしばそうなるけれども、他の日はそれほど混んでいないと説明しました。彼は「ちょうど一人で練習するのに慣れてきたところだ」と返事をしました。その出来事が心に残ったのは、主にあの笑い方のせいでした。しかし、他の誰もその笑い方に気づいていないようでした。

エリザベス・レニンガー
米国、コロラド州ボールダー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『笑っていた男性』がマイトレーヤの代弁者であったことを確認した】

ジングルベルの応援

 5カ月もの間、あらゆる収入源を脅かし、私をストレスにさらしてきた終わりなき行政問題に悩まされてきました。いくつもの行政機関が複数回にわたって、私の公文書を紛失していました。2023年12月8日、まさに物事が自然に解決していくだろうと思った時に、行政機関のある職員から手紙が届きました。それは、私の想像し得る何よりもひどいものだったのです。完全な無能力の結果でした。その上、私のマンションを所有する会社が暖房を切ってしまいました。
 システム全体が自動化されていて、チャットボット(自動会話プログラム)があるだけで、人はいませんでした。すべての行政機関は一般向けには閉まっていたので、どうしたらよいものかと思案しました。家でふさぎ込む代わりに、ノートを買いに出かけるだけの気力はありました。シャンゼリゼ通りに着くと、パリの土産物店の前に、伝統的な衣装を着たインド人かパキスタン人の男性を見かけました。彼は2016年7月号のシェア・インターナショナル誌に掲載された写真の[ベンジャミン・クレームの師からマイトレーヤであると確認された]人物に似ていました。彼は携帯電話を眺めていました。
 彼はターバンを巻き、チュニックを着ていました。私は彼を知っていると思いました。チュニックはターコイズ色で金をあしらっていましたが、私が驚いたのはその音でした。鐘の音に少し似ていました。ちょうどカーニバルの鐘のようでしたが、インド風の音でした。胸には40個ほどの戦争勲章があったはずで、それぞれが音を立てていたのです。予想外で、奇妙で、つかの間の出来事でした。全部で3秒くらいのことだったのです。彼に出会った後、私の中で何かが変わりました。彼はとても陽気で、それはまさに私が必要としていたものでした。マイトレーヤ、笑顔にしてくれる人!

匿名 フランス

慰めと保護

 2024年2月15日、とても風変わりな方法で気持ちを高揚させるメッセージに出会いました。その二日前にさかのぼって、説明を始めたいと思います。サイババとマイトレーヤ(1988年、ナイロビ)の写真を見つめながら、私は聖なる指導者たちに霊的な強さを求めていました。喉の感染症から少しずつ回復しているところでしたが、同時に内なるつながりが途絶えた感じもしていました。私には物質的なレベルを超えた『元気づけ』が必要だったと言えるでしょう。
 私は何年にもわたって、心の内で何度も、物質的な徴〔ルビ:しるし〕は本当に必要ではないとマイトレーヤに伝え続けてきましたが、そのような出来事に対して常に心を開いてはいます。そうした徴は、覚者方の公の出現という私たちの希望の情報を強化する助けとなり得るからです。その瞬間には、明白な性質のものを切実に期待することなく、微妙な形での徴を求めていたのだと思います。
 ちょうど仕事が終わったところでした。駐車場を通って自分の車に歩いて近づいていきながら、特製のナンバープレートホルダーを見つめました。そこには二つの文字列がありました。一つはプレートの上に、一つは下にあって、「平和には分かち合いが必要」「S.O.P.──われわれの惑星を救え!」と書かれていました。この文字はかなり小さくて目立たないものでしたが、ときどき職場では人目が気になり、どれだけの人が気づいただろうか、「分かち合い」という言葉についてどう思うだろうか、過激な社会主義と誤って解釈する人がいるだろうか、と思うことがあります。
 車のドアハンドルのところに来た時、運転席の窓に明るい色の付箋が付いているのに気づきました。即座にそれが聖書の一節だと分かって、伝統固執主義のキリスト教徒が他の車にも同じような付箋を貼ったのではないかと推測しました。けれども、駐車場を見回してみても、他の付箋は見当たりませんでした。それで、注意してメッセージ全部を読みました。普段なら、旧約聖書は私がインスピレーションを求めて最後に頼る所ですが、誰であったとしてもこれを置いた人は、どの言葉を書くのがふさわしいか、どのように提示したらよいかをまさしく知っていたのです。
 「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」(申命記31章6節)
 知恵の覚者あるいは側近の一人が、この出来事の背後におられると証明することはできませんが、そのようにタイムリーで完璧に作り上げられた付箋をこのような形で『普通の』人が置いたと想像することは、ほとんど不可能なのです。これは実際に私たち皆へのメッセージです。愛の主が「あなたと共に歩まれる」のですから。

アンディ・モーガン
米国、テキサス州アーリントン

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい。

罪悪感、恐怖心、無邪気

「世界の衆目の前での公正な開かれた裁判を通してのみ、人々の有罪・無罪は知られる。人々をこのような残虐な行為に追いやる条件に対する何らかの責任を受け入れることによってのみ、それは克服される。失うべきものを何も持たない人間は、他人や自分の生命に対して何の価値も置かないのである」

(ベンジャミン・クレームの師、「憎しみの潮流の向きを変えなさい」
シェア・インターナショナル誌2001年11月号)

Q:世界は今こそ前進して、第二次大戦の恐怖を忘れることなく、それを全面的に認めながらも、国際社会に対する罪悪感から自由になるべきではないでしょうか。世界は感情的な脅しに弱く、そのためにイスラエルの不正な要求に盲目になっているというのは正しいでしょうか。このことが、イスラエルとアラブ世界に対して世界が取っている明らかなダブル・スタンダード(二枚舌)の基礎になっているのではないでしょうか。アラブ世界はこの二枚舌に怒り、不満を持っています。これがテロリズムの基盤になっているのではないでしょうか。
A:はい、それがおおむね真実であることに同意します。

(シェア・インターナショナル誌2003年6月号)

Q:マイトレーヤの優先順位の中に「罪悪感と恐怖心の除去」というのがあります。あなたは過去に「恐怖心」についてはお話しくださいました。罪悪感の除去と克服について少しお話しいただけませんか。
A:罪悪感と恐怖心とは非常に関連を持っています。罪悪感は恐怖心の結果です。恐怖心を起こす根本的な状況もまた罪悪感を生みます。恐怖心は、罪を犯したということの恐怖です。それはキリスト教グループによる過去2,000年間の間違った教えの結果です。それが恐怖心と罪悪感を10億のキリスト教徒(の心)に植え付けたのです。転生してくるたびに、彼らは同じこと、──つまり、罪悪感を植え付ける恐怖心と、恐怖心を植え付ける罪悪感──そしてそのような教えが自己尊敬の念にもたらすひどい結果に出合うのです。それが、他の宗教的伝統の人々の心を満たしている無数の古来からの迷信とあいまって、恐怖心と罪悪感が意識の覚醒に向かう道の強力な妨害となるのです。

 マイトレーヤの時間の大半は、恐怖心と罪悪感を人類から取り除くことに用いられるでしょう。彼はそれをただ単に操作して取り除くのではなく、彼の教えがその恐怖心と罪悪感を取り除くように目論まれるでしょう。彼は道を示されました。皆さんはそれをすでに知っているのです。恐怖心と罪悪感を取り除く方法は、三つのテクニックを実践することだ、とマイトレーヤは示唆されます。あなた自身に、心の正直さ、生気の誠実さ、そして無執着を染み込ませ、獲得し、構築しなさい。もし熱心に正しく行えば、これらは必然的に無執着を構築し、その中では恐怖心や罪悪感は消えてなくなるのです。

 もしあなたが執着していないなら、あなたは罪悪感や恐怖心から自由なのです。他にありようがないのです。罪悪感と恐怖心は執着の中から存在するのです。
 もしあなたが自分の信仰──キリスト教、イスラム教、仏教──に執着していて、その信仰に反することをするなら、罪悪感と恐怖心で生きているのです。例えば、ローマカトリック教徒は、婚外セックスをしてはならないと教えられ、さらに結婚相手とも避妊具を使ってはならないと教えられています。しかし、何百万というカトリック教徒はそうしています。だから、彼らは自分たちの行為によって植え付けられた罪悪感の中で生きています。
 ローマカトリック教徒にとって、これはとてつもない内的葛藤なのです。婚外セックスをしてはならない、教会内で二度結婚してはならない、避妊は罪であると法王によって定められたローマカトリック教会の規則に従わなければならないのか。 もしカトリック教徒が、法王の言うことを信じれば、彼らは常識ではこれは悪いことでも罪深いことでもないと分かるので、問題を抱えることになります。彼らは植え付けられた罪悪感と天罰の恐怖におののくのです。

 マイトレーヤは良識を語ることで、この罪悪感を人類から取り除くでしょう。あなた方は無執着を実践することで自分でそれを自身から取り除くことができるのです。それはすべて無執着に関係しています。天罰を恐れるゆえに天罰に執着していれば、罪悪感を感じるのです。執着していなければ、恐怖心はありません。罪悪感もありません。

 間違った行為というものはあります。けれどもそれは正すことができるのです。カルマの法則がすべての行為を正します。それは非常に慈悲深い法です。あなたが破壊的な間違いを行ったとき、カルマの法則を通してあなたが自分自身にもたらしたその結果によって変えられるのです。それは結果であって、天罰ではありません。
 カルマの法則とは、あなたに罪悪感を感じさせるものではありません。それは単にあなたに法則を与えるだけです。「蒔いた種を刈り取る」のです。あなたには思考があり、行動があります。あなたが始動させたこれらの原因から生じる結果が、人生を良くも悪くもするのです。あるものは良く、あるものは苦しいでしょう。しかしそれは自分でやったことなのです。天罰というものはありません。カルマがあるのです。その法は均衡を取ろうとしている、つまり蒔いた種を刈ろうとしているのです。人々がカルマの法則を本当に理解することができるように、マイトレーヤはそれを現実に見せてくださるでしょう。最善の行為は無害な行為であることを人々は知るでしょう。なぜなら、そうするとあなた方は無害の結果、創造的な結果、良い結果を摘み取ることになるからです。良いカルマを皆さんは持っているのです。

(シェア・インターナショナル誌2007年2月号)

(以下のものは、マイトレーヤの側近によってパトリシア・ピッチョン氏に伝えられたマイトレーヤの教えからの短い抜粋である)

無邪気

無邪気は、心(マインド)と生気(スピリット)と肉体が無執着であるための肥えた土壌である。

教育

人生で最も大切なことは、本当の霊性を学ぶことである。心にイデオロギーを詰め込めば、その状態は20年くらい続くだろう。それから、麻薬を探すようになる。子供たちから無邪気さを奪ってはいけない。無邪気な心は世界のイデオロギーに抵抗する強い土台となる。無邪気さと無執着とは一緒に働く。

(シェア・インターナショナル誌1989年4月号)

無邪気さは惹きつける

もしあなたが赤ん坊のような心(マインド)と生気(スピリット)と肉体を持つならば、どこへ行こうと、あなたは人を惹きつけるだろう。赤ん坊の真我は無執着である。赤ん坊の無邪気さが惹きつける。赤ん坊は、あなたを以前に見たことがなくとも、あなたに微笑みかける。なぜか?  赤ん坊は自分の自然な幸福感を表すのである。大人は、なぜ異なった行動を取るのか。なぜなら、心と生気と肉体の中で、絶えず聖戦[*]が戦われているからである。真我は、心と生気と肉体の中に条件づけられたことのみを経験している。マイトレーヤは言われる。「これは哲学ではない。わたしはあなたに生きた物事を教えているのである“過去、現在、未来”ではない。もしもあなたが生きている間に、心に正直で、生気において誠実で、そして無執着であることを実践するならば、たった一つの転生で、あなたはわたしの全体像を受容することができる」

(シェア・インターナショナル誌1989年9月号)
[*]自分の主義主張を貫こうとする戦い。