2017年3月号目次

 

ー覚者より
“野蛮な”時代の終わり
ベンジャミン・クレーム筆記  1999年4月

視点
人間中心の見解が極めて重大な関連を無視している
デビッド・スズキ

賢者の言葉
ミハイル・ゴルバチョフ:「世界は戦争の準備をしている」ように見える
アンドレア・ゲルマノス
ポピュリストの潮流と闘う強力な道徳的リーダーシップへの呼びかけ/エルダーズがアメリカの難民入国
禁止措置を非難

世界情勢
分かち合いを通しての豊かさ
国連冬期ユース集会

人権、真理、法の支配-選集
Human rights, truth and the rule of law-acompilation

なぜ学校はビジネスのように運営してはいけないのか
『共通の夢』誌へのスティーブ・シンガー氏の記事の要約

S.O.P.(Save Our Planet)-われわれの惑星を救え!
低炭素未来に関して楽観的になる10の理由
ペイトン・フレミング
中国は103カ所の石炭火力発電所の建設をキャンセルする

時代の徴
「奇跡」の時代に終わりはない

ゲラード・アートセン著
『ディスクロージャーの前に-憶測の霧をはらす』
エリサ・グラフによる書評

法の支配
世界人権宣言-かつてないほど重要
戦争ではなく法を:「あなたは自分の家族をそんな風に扱わないだろう」

民衆の声
世界に広がり続けるトランプ氏への抗議
ルーマニアで持ち上がる声

重要な機会
ー覚者より ベンジャミン・クレーム筆記/1984年3月

嘘を暴き出す
民主主義の基盤

人類はひとつ
カナダの実業家が200人の難民をスポンサーする

編集長への手紙
歩み続ける他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

“野蛮な”時代の終わり

この特異な時代において、世界は明らかに相容れない対立する両極に極化している。同時に、分割に橋を架け、癒しの過程を始める唯一の可能な方法は、人類が自らをひとつとして見ることである。ベンジャミン・クレームの師による次の記事は、諸問題と解決策の両方を明らかにし、描き出しており、そのようにして前方への道を指し示している。

“野蛮な”時代の終わり

 ──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 

人類が今のこの時期を振り返って、“野蛮な”時代と見るようになる時が来るだろう。現在のこの死にかけている文明は可能な理想からあまりにもかけ離れているので、未来の人類は、われわれが一体いかにして、しかもこれほど長い間、それを持続することができたのか不思議がるだろう。

この悲しい状況には多くの原因と要素が含まれている——人間の人間に対する関係の、長い、ゆっくりとした頽廃が、ますます精巧になる武器の開発と並行しており、またそれを反映している。大陸を飛び越して殺戮することのできる現在の武力を、人間は大得意とするが、それは自己破壊への盲進を確実なものにする。戦争は冷徹な非個人的なものになった。もはや戦士は犠牲者(敵)の顔に恐怖の脅えを目撃する必要はない。

この状況の中で、政治経済の制度が、人間の生活の泉からの疎外感の増大を反映するのは不思議ではない。商業至上主義、すなわちあの急速に発展した、しかし陰険な、しばしば隠れた脅威が今や数え切れない何千何百万の人間の生活と運命を支配する。そして人間の天与の個人性を取るに足らないものにしている。今や人間は統計にすぎず、そこには人間の目的も必要も考慮に入らず、人間は市場エネルギーと企業の利潤というチェスゲームのポーン(歩)の駒である。

われわれが現代世界と呼ぶところの荒涼たる砂漠は、人間を人間らしくするもの、すなわち幸せや、創造的な充足感、お互いの必要に速やかに反応する特質、自由というものを人間から奪う。破壊的な競争は人間の精神を腐食させ、そして今や、人生の“戦い”の審判の座にある。人生、すなわち「偉大なる冒険」は腐敗し、単なる生存のための苦しい不公平な苦闘に置き換えられた。

これらの悲惨な状態がすべてに同じように存在するわけではないのは確かだが、しかし膨大な数の人間にとって、それは彼らの生活の現実を表している。そして人間が方向を変えない限り、それはますます悪化するだけである。

マイトレーヤが世界の舞台に公に入って来られるとき、そのような苦痛と苦闘の人生は必然ではないことを、それが人間の唯一の選択ではないことを示すだろう。人間がそれを意志するならば、彼らの生得の権利として他の道があることを示すだろう。

混乱とますます増大する貪欲の直中にあって、人間はすでに、人生の聖なる絆をそのように弱めるものに抵抗しはじめていることを、マイトレーヤは示すだろう。そして大きな新しい力(エネルギー)が新しい始まりを生じさせており、現在の混迷の中から、時代の挑戦に対処し、困難に打ち勝つために、生まれ備わった人間の能力がより高位に、より本当のすがたで徐々に現されつつあることを示すだろう。

マイトレーヤは人間に、彼ら自身の高位の出所と運命を思い出させるだろう。そして新しい生活方法の創造を、融和のうちに、正しい人間関係の中で、戦争や競争の手段に訴えることなく、完全な協力と相互尊重の中で生きる道を鼓舞するだろう。そのようになるだろう。

19994月号)

 

人権、真理、法の支配——選集

Human rights, truth and the rule of law──a compilation

 

「人権、真理、法の支配」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 

今日、変化の必要を認めてはいても、まだそれに抵抗する者が多い。古き使いふるされた過去の世界がくずれていくのに気づいていながら、なお古い形態にしがみついている者が多い。しかし国々に新しい声が聞こえる──希望と約束をはらんだ真理の声が、新しい時代の声が。この声は人々の心に刻みつけられていく、次第に強さを増しながら。なぜならこの声は、人間を通して語る神の声であるから。

(『いのちの水を運ぶ者』第12信、p.53)

 

かつてほとんど奴隷でしかなかった何百万もの人間は、もはや彼らの(割り当てられた)運命を我慢するつもりはない。彼らを虐げる圧制に対抗して立ち上がり、より良い生活を要求する。

一方、正義と法の規則についての新しい関心が最近の腐敗と自由放任主義に疑問を持たせ、それらを厳しく非難する。他の人々に対する新しい責任感が、世界中の兄弟姉妹に奉仕しようとする多くの人々の良心をしっかりつかむ。……

……他方、古い秩序は、それ自体の極端な行動によって崖っ淵に追いやられて崩壊する。人々は「貪欲の帝国」、すなわち市場エネルギー(フォース)の暴政、海賊の全盛期の崩壊を目撃している。これからはすべての物事の傾向は「共通の福利」に向かうだろう。共通の福利のために、そしてそれを保持するために働くものは栄えるだろう──それに対抗するところのものは衰えるだろう。このようにして新しい形態と制度が、すべての人間の必要を満たすだろう。

(『覚者は語る』─共通の福利─p.487〜488)

 

私たちは真なる人間になり、分かち合い、そして例外なくすべての人間が可能性を、言葉の最も深遠な意味での霊的可能性を引き出す権利を持てる条件をつくり、物質界、アストラル界、メンタル界、霊的界層において彼らの人生をより良くする準備ができているか。人間が転生してきたまず最初の目的を顕現し、実際に生きることです。私たちがこれを行うのを妨げているのは、主に堕落した政治、経済、社会の構造のせいです。それには心(ハート)の変化が必要です──そしてそれは今起こっていると思います。さもなければ、マイトレーヤはここにおられないでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.307)

 

国家の福祉のためにお金を使う時がやって来た。すべての国家が、すべての民衆が、人々に属する。「イデオロギーの名の下に、神の健康と富を分割する者は、彼ら自身が腐敗している」(1990 年 9 月)

(『いのちの法則』p.220〜221)

 

新しい時代の政治──世界中で政治が急速に変化している。新しい時代の政治は国民による国民のためのものであろう。国際連合は強力な道具となり、より弱い国家のために防衛を提供するだろう。

(『いのちの法則』p.319)

 

世界はすべての者に、金持ちと貧乏人、力ある者と奪われた者、白人と有色人種、すべてに属することを、マイトレーヤは示されるだろう。今日人類が直面する問題を解決するために一致協力した行動が必要なことを明確にし、その解決への道を指し示されるだろう。すべての人間に変化の必要を受け入れることを呼びかけ、至るところにいる人間の正義への願いを活気づけ、彼らの意志を集中させるだろう。このようにして、マイトレーヤは、より良い形態の確立を求めるすべての者を団結させ、それを通して人間の神性が表されるだろう。そしてその民衆の中から、これまで地上で聞かれたことのないような叫びが湧き上がるだろう──正義と真理、自由と平和を求める叫びである。

(『覚者は語る』─未来は招く─p.56〜57)

 

我が友よ、わたしの両手は、あなたがたに差し伸べられている、あなたがたの信頼を求めて、世界の建て直しのためにあなたがたの協力を願って。多くの仕事が行く手に横たわっている。自由と真理のために多くの強打が打たれなければならない。この真理の輝きを裡に宿している者たちすべてに従いてきてもらいたい。そしてわたしの仕事を援けてほしい。わたしの呼びかけが聞こえるまでに、あなたがたの用意が整っているように。その呼びかけは、世界中至るところに居る人間の耳に響くであろう。それは神への呼びかけである。

(『いのちの水を運ぶ者』第26信、p.92)

 

国際連合は世界平和を維持する機関としての本領をゆっくりと発揮しつつあります。現在、国連は世界の警察としての役割を引き受けることを嫌っており、至るところの政府は必要とされる犠牲を払うのを躊躇しています。しかし、世界平和が分かち合いと正義の実施を通して保障されるようになるまでは、国連はそのような責任を引き受けなければなりません。国連の将来の役割は、世界政府になることではなく、世界議会になることです。そこで問題は議論され、平和のうちに解決されるでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.100)

 

多くの者が、もうすぐわたしを見、わたしの言に耳を傾け、わたしの先導に従う。あなたがたは、まっさきにこれをなす者たちの中にいるように、そうすることでわたしの共働者となれるのだ。そのような者たちをわたしは非常に必要とする。この世界の復興を願うわたしの望みを分かち合う者は大勢いる。その人々を探して、一緒に働きなさい。共に光の要塞を築き、兄弟たちのために道を照らしなさい。じっと座していることなく行動しなさい、そして真理の時を復興しなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第33信、p.110)

「善」と「悪」の間の葛藤は、「光の勢力」による勝利であることが、ますます明らかになっている。人間のハートとマインドを勝ち得るために大昔から続けられてきた苦闘の中で、「善」の側が徐々に優勢を占めている。世界に存在する緊張と分裂を見るとき、これは驚くべき主張に思えるかもしれない。しかし実際にそうなのである。あなた方が、世界とその出来事を、わたしたち人類の兄たちの視点から見ることができれば、途方もない変容を遂げつつある世界が見えるだろう。すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。……

……新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分たちが聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。

(『覚者は語る』─勝利は保証されている─p.83〜84)

 

現在の政治制度は力と信用を失いつつあり、究極的にもっと民意を代表するような新しい政府のあり方が誕生するだろう。新しい時代には国民は前面に出て来て、自分たちの社会、政治、宗教、教育の面における必要をすべて表明することができるだろう。そして彼らは自らを、そしてまた自らの慈悲の心を他者への援助という形で表明するようになるだろう。一般市民、知識人、教育者その他あらゆる階層の人々が政治の中に彼らの声を本当に反映する代表がいることを発見するだろう。

過去の歴史を繰り返すことのできる政治家は今やいないだろう。分割して統治するという政治は終わった。分割的政治の術は終わりにきた。そして調和を重んじる新しい政治のやり方が間もなく後を継ぐだろう。新しい政治はもはや資本主義とか社会主義とか「何々主義」によって形作られるのではなく、個人や国家の自己尊重からつくられていくだろう。

新しい政治家は知識人であり、進化の法則を知り、彼らの同胞を賢明に導く経験豊かな人々であろう。宗教と政治の両方の分野において、人々の心(マインド)にイデオロギーを押しつけることによる強制や強要のプロセスは世界中で解消している。合意がそれに取って代わるだろう。国民の声はすでに耳を傾けられ始め、この代表政治の形態がイデオロギーを通して大衆をコントロールするやり方に取って代わるだろう。すべてが非常に急速に動いているので事態は政治家の手に負えない。新しい政治の時代が始まった。認識が人々を自らの基本的人権に目覚めさせ、自由とそして自らに対する、またお互いに対する責任に目覚めさせている。

すべての国の憲法は究極的には自由と解放と救済という三つの原則に基づくものになるだろう。自由は個人的レベルで作用し、解放は国家的レベルで作用し、救済は霊的レベルで作用する。

(「マイトレーヤの教えと予報」『マイトレーヤの使命 第㈼巻』p.120〜121)

 

世界中に起こっている強力な出来事──今は毎日のように起こっている──は、死滅しつつある文化の死にぎわを目撃しているのであり、そしてそれは暗に新しい文化の創造を意味するという認識を人々の裡に目覚めさせている。

新しい文化がどのような形を取るかは、大体においてまだ漠然として実体のないままであるが、一つの要素はすでに大衆およびメディアの心に刻みついている。つまり民衆の声の増強とその声を聞こえさせようとする決意の増大である。これがわれわれの時代の最も重要な政治的出来事である。世界を通じて、各国の国民が自分たちの運命をコントロールしつつあり、自分たちの権利を要求しつつある。人間の神性に本来備わった特性である自由を求める裡からの呼びかけがあらゆる人種、信条の人々を団結させており、その声はますます高まりながら反響を起こし、また反響を呼んでいくだろう。圧政の最後の砦が崩壊し、人間が生得の権利を受け継ぐまで、それはこだまするだろう。これがすべての人間の待望する未来である。

(『覚者は語る』─民衆の声─p.329)

 

善意の人々が集団をなして、正義と平和への希望と夢を高く掲げて振り回すだろう。この叫びが世界の諸国に真理の松明に火をつけるだろう、そしてその中心にわたしが居る。わたしの真理のために、あなたがたの心を開きなさい。わたしの愛のために、あなたがたの心を開きなさい。その愛をあなたがたの周りに顕現し、いのちの意味を悟りなさい。そしてあなたがたを神として顕すことのできるような形態を創造しなさい。我が友よ、喜んでこれをなし、あなたの遺産を受け継ぎなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第135信、p.407〜408)

 

世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。

国家政権は長期にわたって存在するだろうが、責任はだんだん国際連合によって遂行されるようになるだろう。兵器や武器が監視の網の目をくぐり抜けて紛争を激化させることがないように保証する役割を、国際連合は効果的に果たすだろう。それはオブザーバーや監視者として機能するだろう。国際連合は強力な中心となりつつあり、もはや「名ばかりの存在」ではない。

(「マイトレーヤの教えと予報」『マイトレーヤの使命 第㈼巻』p.121)

 

国家が大人になり成熟すると、他の諸国に対して、それまでとはまったく異なったかかわり方をする。その国は、相互の責任と必要についてすべての国家を結び付ける「法の規定」を尊重しはじめる。成熟していることの徴はまさに法に対する尊重の姿勢である。法は人間が共に生きるために必要と考えられたものである。

時々、一つの国家が非常に強力になり、その権勢への野望をいらだたせる法を無視して、友好国からの抑制を求める警告にもかかわらず、戦争を始めることができると感じるかもしれない。

唯一の‘超大国’としてのアメリカ合衆国が今日、そのようであり、「法の規定」の外での一方的な行動の愚かさを知ることができるまでに成長した、より成熟した国々の国民を怒らせ、心配させている。

若い、自信過剰な‘超大国’はその筋肉をひけらかしながら、度を越してしまうだろう。そしてそれが早く起これば、それだけ世界にとってはより安全だろう。……

……諸国家の間で、「法の規定」が無視されるとき、世界全体が苦しむ。かくして、今日、この無益な軍事力の誇示が、テロ行為や暴力に何の関係もない何百万の人びとに影響を及ぼしている。ストレスのもとで人間の免疫組織が破壊されるにつれて、世界は今、あらゆる種類の伝染病と苦闘している。戦争挑発者は、彼らの愚劣な行為のカルマの結果を考えたならば、行状を改めて、他の進路に狙いをつけるがよかろう。

マイトレーヤは、その間、この不調和の状況を注意深く監視しており、必要ならば、介入する用意があり、可能なときに出現する用意がある。マイトレーヤは彼の後ろに立つ者、平和と正義、自由と愛を貴重に思う者の究極の勝利を疑わないことを念頭においておきなさい。マイトレーヤは、これらが人間存在の主動因であることをご存じであり、すべてにおいてこれらに最高の価値が付与されるのを見届けるために来られる。

(『シェア・インターナショナル』2004年4月号、「覚者より」─究極の勝利)

 

わたしの計画は遂行されつつある。わたしの愛は、人の心に新しい様相の火をともし、新しい光の曙が訪れる。わたしの約束はこれである──もうすぐあなたがた自身で、変化する世界を、あなたがたの目の前で変わる世界を見るであろう。古きものは新しいものに道を開ける、そして人は真理の門口に立つ。

(『いのちの水を運ぶ者』第117信、p.351)

 

 

 

囲み記事:

人権

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記、シェア・インターナショナル誌 1984 年 7月号

 

人権の問題が現代の人間の問題の中心にある。過去には、社会構造が個人の生活を支配し、階級制による人間関係が確立しており、すべての者が自分の位置を自覚していた──妻は夫に従い、男は領主に仕え、領主は王の意志に従い、それを実行した。一方、聖職者は神と人との間の仲介として働いた。これらの関係は人工的であり、押し付けられたものであるが、世の中における彼らのアイデンティティー(独自性)と位置を見つけようと苦闘する社会の必要を満たした。

これらは今日すべて変わった。少数の地域ではまだ支配階級が、しばしば市民紛争や戦争という代価を払って古い形態にしがみついているが、その他の地域では人々は自分たちの自決権を主張した。正しい統治のための責任を引き受け、種々の代表制制度によって自分たちの意志を表明することができる。人々は自分たちの生活に影響を及ぼす決議に対して、これまでにないほど、より一層の参加を要求する。

この新しい自由は一連の緊張を引き起こし、その解決が待たれる。至るところでより多くの自由を求める叫びが響きわたる──そしてまた、現在の構造を維持しようとするグループから秩序と法の支配を求める叫びが同等にきしめき返される。これらの対立したグループの目標を調和させるためには、全く新しいアプローチ(取り組み方)が必要である。そのような調和を達成することは、遅々とした困難な仕事であることを受け入れなければならない。多くの矛盾し合う見解が調停されねばならないことは自明である。しかしながらこれらの問題の解決を待つかたわら、幾つかの基本的原則、ガイドラインを敷くことは賢明であろう──それなしでは、問題は手に負えないように見えるかもしれない。

最初に考慮すべきは社会を支配する法則が公正であり、すべての者に適用すべきであるということである。そのような基本的な正義と公正なしには、人々に法律を守ることを期待できない。今日しばしば「金持ちのための法律と貧乏人のための法律」が存在する──これは社会紛争の処方箋である。さらに必要なことは、法律が、すべての者が知り得て理解できる言葉で表現されることである。全く時代遅れで専門家しか知らない法律を犯したという罪によって、人が投獄され、裁かれることがしばしばある。

最大の必要は、個人の利益と社会の利益とをより密接に同一視していくことである──それによってのみ、個人の自由と社会の安定を保持することができる。いかにすればこれを最大限に達成することができるか。

国際連合の機関が人権の規約を公式化した。もしそれが実施されれば、現在の社会緊張を解消し、公正な安定した社会の基礎をつくるのに大いに役に立つ。世界のすべての国に住む、搾取され、公民権を剥奪された何百万の人間にとって、これまでのところ世界人権宣言は夢にすぎない。目標はできる限りのスピードでこれらの基本的権利をすべての国家に確立することである。

分かち合いの原則を受け入れることによってこれは可能となる。人間はもはや、働くための権利、家族を養うための権利、自分の運命に対してある程度のコントロールを持つ権利、これらを得るために戦う必要はなくなる。分かち合いの受け入れは、一挙に分割を癒し、対立を終わらせ、現在の状態の病を癒し、人間を落ち込んだ泥沼から救い出すだろう。だから、分かち合いをあなたの努力の目標としなさい。世界は今、歴史上かつてないほどに、この公正な基本的な原則の確立を必要としていることを、人々に示しなさい。これを受け入れることを通してのみ、人間は己の神性を見つけ、それを実証することができるだろう。

 

ゲラード・アートセン著 『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす』

今日、「UFO」という言葉をグーグルで検索すると、地球外の現象についてインターネット上で見つかることに終わりはないように思える。その大部分は恐ろしいものか空想的なものである。地球外の存在が私たちの惑星を訪れる真の意味と目的を解明し識別するには、どこから始めたらよいのか。ゲラード・アートセンは、『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす( UFO研究とエクソポリティクスを学ぶ人々のための入門書)』という新しい簡潔な本を書いた。この本は、人の目を欺くような、いまだに広まっている偽情報の霧を見通し、地球外の存在の根底にある真理を読者自身が識別するのを助けてくれる。アートセンが説明しているように、そうした真理は、人類が共有する知恵の伝統と最新の科学の洞察に裏付けられている。

地球外からの訪問者を十分に理解するためには、実質的に現代のUFO研究の時代の端緒となった 1950年代初期の一連のコンタクトから始めることが必須であると、『ディスクロージャーの前に』は助言している。ジョージ・アダムスキーやウィルバート・スミスのような初期コンタクティーは、肯定的なコンタクト体験しか伝えていない。スペースピープル(宇宙人)によって伝達するよう依頼された明快なメッセージは、アートセンによると、「第二次世界大戦の惨禍のわずか数年後であり、人類が核戦争の新たな脅威に直面していた時期であったので……人類を勇気づけるものでした」。「人類の一体性の表現として」、すべての人の基本的な必要を確実に満たしながら、人類が国際協力を通して平和な未来を創造するように彼らは助言した。アートセンが言うには、こうした証言は「信頼できる出発点となっています。とりわけ、彼らの説明はすべて、多くの顕著な一致点を示しており……当時の世界各地のコンタクティーだけでなく、その後の数十年間に似たような体験を報告した多くの人々による裏付けもあります」。

アートセンが言うには、証拠があるという主張を信頼すべきかどうかを見極めるためには、その主張は「厳密に主観的な体験を越えて一定レベルの真理やリアリティ(現実)を反映していなければなりません。……時代、活動分野、さらには社会階層の違う人々による幾つかの、あるいは少なくとも一つの観点から裏付けられているかどうかも確認する必要があります」。これが特に UFO研究との関連で必要とされるのは、公のコンタクトがなされた後でなければ、有形の証拠は明らかにならないからだと彼は書いている。数十年にわたった偽情報キャンペーンにより、各国政府やその機関によるいわゆるディスクロージャー(情報開示)についても疑問視した方がよい、彼らは地政学的意図のために国民の支持を当てにしているからだと、アートセンは警告している。ひいては、「秘密実験室で働いたことがあったかもしれないし、なかったかもしれない『政府の内部関係者』や『内部告発者』を通して私たちに届く……情報を受け入れることについても十分注意すべきです」と彼は述べている。「これは、その情報が国民の恐怖や混乱をあおったり助長したりするために意図的に植え付けられたかどうかを、決して確信することはできないという単純な事実のためです」

アートセンの以前の著書と同様に、『ディスクロージャーの前に』は、私たちが点と点とを結んで全体像をつかむのに役立つと同時に、「……『真理』とは知覚の問題だ」ということを私たちに思い起こさせてくれる。知覚は、その人の意識の進化段階に依存する。彼はこう書いている。「もし体験に普遍的な価値があれば、その人が人間の努力のどの分野で活動的であろうとも、それは認知され、様々な角度から確認されるでしょう」。彼はそれを「分野横断的な裏付け」と呼んでいる。「この場合は科学と宗教であり、それぞれのリアリティは天文学者カール・セーガンの有名な発言、「私たちは星と同じ物質でできています。私たちは、宇宙が自らを知る一つの方法なのです」を引用している。また、深い洞察に基づいて、「わたしと父とは一つである」という、すべてのいのちの源との同一化を表現したイエスの発言とも関連付けている。アートセンはさらに、ジョージ・アダムスキーがこれと同じ真理を1958年に表明していたことにも言及している。「〔人間は〕自分が万物と一体であることを理解しなければなりません。また現在の肉体中で振動している原子が、物質の創造に際して幾度も利用されており、そのためにその原子が最低の段階の物から大昔に空間へ吸収し返された巨大な惑星の地殻に至るまで、あらゆる物質界の形成に参加したことがあるということを知る必要があります」

アートセンが指摘しているように、人類の霊的進歩と意識の進化は、初期コンタクティーの間で繰り返し取り上げられたテーマである。コンタクティーたちはよく、人類の科学知識は社会的、人間的な発達を上回っているという訪問者たちの懸念を伝えていた。アートセンはこう説明している。「宇宙からの訪問者たちは、意識の進化──ひいては、私たちの道徳的発達──は、技術的進歩に遅れずについていくべきだということをしきりに私たちに伝えたがっています。この方向における最初の一歩は、現在の危機の原因を根絶するために、人類が同胞の人間を包み込むほどに意識を拡大させることです。私たちの分離主義の究極の表現としての競争と貪欲に基づく現在の社会構造は、そうした危機を重大な局面に至らせようとしています」

地球外からの訪問者によるコンタクトの背後にある主要な目的は、人間は宇宙の至るところにいることを実証し、人類の認識を拡大させることであったのは明白である一方、一部のコンタクティーは、地球外の存在が人類史のこの特定の時期に訪れていることの別の、もっと顕著な理由についてほのめかしてきた。アートセンはチリのコンタクティー、エンリケ・バリオスの次の言葉を引用している。彼は1985年にこう言われた。「君たちは地球の進化の決定的な瞬間に近づいているんだよ。団結して『水がめ座の時代』と呼ばれるものをもたらすか、あるいは、自分自身を破壊してしまう、そのどちらかの時点にね」。このメッセージと同じ考えは、イタリアのコンタクティー、ジョルジョ・ディビトント、ジョージ・アダムスキー、ベンジャミン・クレームの言葉にも見られる。クレームは次のように確認した。「われわれが UFOと呼ぶもの(高位の惑星からの宇宙人の乗り物)は、キリスト・マイトレーヤのために霊的な場をつくり、この時のために人類に準備をさせるために、非常に確実な役割を持っているのです。事実、大戦以来、この惑星を保存するのに主要な役割を果たしてきました」

アートセンは、コンタクティーであったウィルバート・スミスの次の言葉を引用している。これはおそらく、訪問者たちが自ら、彼らがここにいる理由を私たちに教えてくれる日を約束したものである。「やがて特定の出来事が起こり、別のところから来た人々を受け入れる用意ができたとき、彼らは相互理解と信頼という共通の基盤に立って私たちと自由に会うでしょう。私たちは彼らから学び、至るところにいるすべての人が心の奥深くで望んでいる黄金時代をもたらすことができるでしょう」

 Before Disclosure(ディスクロージャーの前に)』のPDF版(英語)がゲラード・アートセンのウェブサイト、www.bgapublications.nl. から無料でダウンロードできる。

印刷版も入手可能である(ISBN 978-90-815495-6-17)。

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

 歩み続ける

 編集長殿

2014年の初め頃、私はロンドン市内を通って家に帰っていました。夜遅い時間で、長い1日の仕事を終えて、疲労感があり、多少気落ちしていました。列車は何かの理由で迂回していたので、帰路を長引かせることになる乗り換えをしなくてはなりませんでした。2番目の駅でプラットフォームへの階段を下りていると、年配で、おそらく80代の男性が非常にゆっくりと歩いているのを見かけました。彼は黒人で、普通の服装にキャップを被っていました。彼より背が高く、もっと若い、60 代くらいの男性が介助して腕を支えていました。人々がいち早くプラットフォームに着こうと足早に通り過ぎていきましたが、どこか無礼な気がしたので、私を含む数人は二人の男性の背後を非常にゆっくりと歩きました。足取りがゆっくりなために、長い時間がかかっていました。

プラットフォームで列車を待っていた間、私がいつもするように列車の先頭へ歩いていくよりも、その二人の男性の近くにいたいという気持ちでした。列車のドアが開くと、私は年配の男性の手助けをしようと、彼のもう一方の腕を支えて車両に乗り込みました。彼は「神の祝福を」と言ってくれました。私は腰を下ろすと、自分が信じられないほど感動していることに気づきました。そのような骨折りをして、彼らが平日の夜遅い外出で、何をしているのか不思議に思いました。その当時歩くのが非常にゆっくりなペースになり、介助も必要な私自身の父親のことが思い出されました。そのことで自分の疲労感というものを、明らかに客観的に見ることができました。彼らは私と同じ駅の、ロンドンの反対側で列車を降りて、再び非常にゆっくりとした足取りで駅を出ていきました。

タラ・クレーム

英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その年配の男性がイエス覚者であったことを確認した】

 ローカル・サービス

編集長殿

911日の 10日後に、私は地元の電子通信会社の請負業務の仕事を解雇されました。11月が来る頃まで、私はスランプに陥らないように忙しく過ごしていました。地元の教会のスープキッチンでボランティアをして、教区民の小さなグループに提供していました。30代の男性がいて、「ジョン」と呼ぶことにしますが、食料の準備とテーブルセットのボランティアをしていました。

私たちは35人に食事を出していました。全員が席に着いていた時、ジョンが少しの間席を離れ、また戻ってきました。全員がまだ食事中の時に、ジョンは歩いて回り、皆に10ドル札を渡していました。私は彼の親切にとても驚いたので、この慈善活動から特別の祝福を受けるのは間違いないと彼に伝えました。

私たちが片付けを始めた時に、あと二人の男性がやって来ました。一人は背が高くカジュアルな服装で、もう一人は小柄で様々なスタイルを取り入れた格好で、変わった歩き方の人でした。私が二人に食事と飲み物を出すのを手伝うと、二人は椅子に座りました。私が片付けに戻った時、小柄な男性が私に近づいてきて、「ここの誰かがお金を手渡していると聞きました」と言ってきたのです。私は、ジョンがお金を全部渡してしまい、もう残っていないことをお詫びしました。

この最後の二人の紳士については、どこか場違いなところがあると、私には思えました。このことをその後数日間は考えていたのです。彼らはマイトレーヤとイエス覚者だったのではないかと思っているのです。

アイリーン・ダ・シルバ

米国、フロリダ州

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らが実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 庭の訪問者

 編集長殿

もう4年以上も、私は小さな村に住んでいます。2002 5月のある特別な日に、庭仕事を終えて、通りにある庭の門に行きたい気持ちになりました。私が正面の庭の、チューリップが咲いているのを眺めていた時、女性の声で土壌の乾燥か何かについて尋ねているのが聞こえました。庭の門に近づいてみると、年配の婦人と背の高い中年の男性がいました。私は花咲く植物がいかに美しく見えるかを伝え、光の力がより一層効果的になったら良いと思うと言いました。私に気づくと同時に、その婦人が「あなたは信仰の厚い方?」と尋ねてきたのです。

私は少し戸惑っていました。すると再び「あなたは信仰の厚い方?」と聞かれました。それでも私は返事をせずに、ただ微笑んでいました。するとさらに「あなたは信仰が厚い?」と低い声でしつこく質問が繰り返されたのです。

私は心の内に喜びを感じ、ホッと一息ついてから、「はい、そうです」と答えました。その女性は聖書や宗教、私の信仰について話をしました。男性は少し脇に立ったままで、何も言わず、私に向かって心に深く触れるように微笑んでいました。彼は明らかに顔に皮膚病を患っていました。その婦人の外見のあらゆるところが、とりわけて一点の曇りもないように見えました。何か特別なことが起こっているのは明らかでしたが、私にはそれについて考える時間がありませんでした。

彼らが帰ろうとした時、何気ない様子で「あなたはキリストの再臨を信じますか?」と尋ねられたのです。私は返事をしたかったのですが、どうやって素早く返事をしたらよいかわからなくなっていました。それで私は、「すでにこの世に出られていて、私たちの中に常におられるということは確かではありませんか?」と尋ねました。彼らがついに帰ってしまう前に、とても楽しいお話だったと言ってくれました。この会話の後、長い間私は幸せを感じ、楽しい気持ちでした。

二人の訪問者はマイトレーヤとイエスだったのでしょうか。

カルメン・エベル・ヌファ

ドイツ、クラインクラウスニク

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

 

 

 

読者質問

サンフランシスコ、アメリカ、199511

 Q.過去からの否定的な傾向や抑圧された感情をどうすれば取り除くことができますか。

A.自分が同一認するものを再整列させることによってです。すなわち、私たちが、真我の器である肉体、アストラル体、メンタル体ではなく、真我と自分を同一認すればするほど、否定的な傾向はよりいっそう取り除かれます。否定的な傾向は間違った同一認の結果です。私たちは自分の感じるものと自分を同一認し、その大半は否定的な感情です。痛みや、嫌悪、残酷さや怒りを感じて、それがすべて現実だと思っています。それを当然のものと見なし、現実と考えます。それは現実ではありません。それらはただの感情であり私たちを通り過ぎるものです。あなたは昨日それを感じませんでした。明日はそれを感じないかもしれません。ですから、それのどこが現実(リアル)なのでしょう? 持続しないものであるならば、それは現実(リアル)ではありません。一時的なものです。

あなたがその感情と自分を同一認するなら、それを持続させます。それをあなたの体制の中に取り込みます──例えば、自己憐憫という否定的傾向は世界中に広まっています。自己憐憫は非常に否定的な体験です。それは常に続き、すべてはその個人と関連付けられます。それが否定的な条件をつくり上げます。あなたがそれと同一認すれば、それを強めるだけです。その代わりに、あなたはそれを感じて「それは私ではない」と言うのです。それを体験しているのは誰か? 誰がそれを体験しているのかを見いだしなさい。それが重要なことです。あなたが体験しているのが何かではなく、その体験をしているのは誰かということです。その誰か、つまり真のあなたが重要なのです。

体験の背後にいる真我としてのあなたが重要であり、それと接触すべきです。「なぜ私はいつも落ち込むのだろう」、「なぜわたし自身をこんなに残念に思うのだろう」、「なぜこんなに否定的な感情を持つのだろう」、「なぜ誰も私を好まないのだろう」、「なぜ私は成功しないのだろう」、「なぜ私は英国の王子やアメリカ大統領ではないのだろう」などと思うのではありません。誰もが何らかの形で自分に憐憫の思いを持っています。それはすべて非現実的な感情です。あなたは神であり、すべての知恵と力と神の愛を潜在的に持つ神聖な存在なのです。それはあなたに内在する可能性です。しかし、それは表現されなければなりません。

その表現を阻む唯一のものは、これらの不十分さ、自己憐憫、貪欲、利己主義という否定的な感情です。大きな罪、第一の異端は、分離の感覚です。それが大きな異端です。分離の感覚を取り除けば、すべての否定的な傾向を取り除くことになるでしょう。それは分離されているという感覚と、他の誰もがあなたを貶めようとしているという感覚の結果です。もちろんそれは苦痛なので私たちはそれらの感情を抑圧します。だから私たちはそれらを抑圧するのです。それらが表面に浮かぶのを許しなさい。それらを見つめ、「それは私なのか? もちろん私ではない」と言いなさい。あなたはそれから自分自身を離して、それらは養分が欠如して死に絶えます。

否定的な感情に集中すればするほど、あなたはそれに栄養を与えています。それらにエネルギーを注いでいるのです。あなたがエネルギーを注ぐものは何でも栄養を与えられます。それらから自分を引き離せば、もう栄養を与えません。「それは私ではない。それは私ではない」と言うのです。そうすれば感情とあなたの間に距離が生まれ、次第にそれは弱まって死ぬでしょう。あなたがもうそれらに栄養を与えないからです。それが、抑えつけることなしに感情を扱うやり方です。抑圧は何の益もなく、それに没頭することも同じです。

大半の人々は感情を抑圧するか、それに耽ります。心理学者は、「それを表に出しなさい! 怒りなさい! ドアを蹴りなさい!」と言いますが、それは愚かなことです。大事なのは感情を否定するのではなく、ただそれを見つめ、取り除こうとせず、抑えつけないことです。「私はこれを感じるべきではない。これは間違っている。これは醜い」などと考えないことです。単にそれを見つめなさい。あなたがそれを批難せずにただ見つめるならば、そしてそれに耽ることもなければ、それにエネルギーを与えません。ただそれを見つめ、否定せず、抑圧せず、正しくそれを見れば、それは死にます。あなたを支配することはなくなります。これをすればするほど、ますます否定性との関連は弱まります。そうすればあなたは自由になります。それがもっている唯一の自由です。

 東京、 2008

Q.マイトレーヤは世界を変えてより良い場所にするために来られるのですか。

A.いいえ。それは私たちの仕事です。マイトレーヤは世界をより良い場所にするために来るのではありません。私たちがそれをしなければなりません。マイトレーヤと覚者方は、私たちが正しいことをすればそれを助けてくれます。私たちが「法」を実行すればです。古いパイシス的な過去にしがみつくのをやめ、投資や商業主義や先進開発国としての私たちの相対的な権力やわずかな優越性にしがみつくのをやめればです。私たちは世界中で起こっている人間の苦しみを犠牲にして、それらすべてにしがみついているのです。過去34年の間いつでも、私たちはマイトレーヤを日常世界に呼び寄せて、御自身の正体を公表してもらうことができたはずなのです。

私たちがしなければならないことは、私たちの真の神性への第一歩を踏み出すことだけなのです。神性への第一歩というと、途方もないことに思われます。どうやってそれをするのか。途方もないことに思えますが、全くそうではありません。単純なことです。真実への第一歩、正しい関係の第一歩を踏み出せばよいだけです。なすべきことは、人類を一つと見なし、一つのグループと見なすことです。人類と呼ばれる一つの大きなグループの兄弟姉妹です。肌の色や宗教や伝統などが異なっても、それは単なる表面的なことにすぎません。根本的な真実は、人類の一体性です。マイトレーヤは、分かち合いへの第一歩は神性への第一歩であると言われました。彼は、「分かち合うとき、あなたは兄弟の裡に宿る神を認知する」と言われます。分かち合いは聖なることです。正義は聖なることです。世界に分かち合いと正義を創造すれば、あなたは神性の中にいます。

 東京、 2004

 Q.マイトレーヤはそれぞれの人間の霊(スピリット)ですか。

A.それが真の彼の姿です。マイトレーヤは、キリストであり、世界教師であり、愛のエネルギーを体現しておられるので、すべての人間のハートの愛の核心となることができます。彼が「わたしはあなた方と共におり、あなた方の裡にある」と言われるとき、これは文字通り真実です。「わたしはわたしであるところのものをあなた方を通して現したい」。これが、私たちがマイトレーヤを必要とする理由です。私たちはマイトレーヤの存在を必要とします;私たちには彼であるところのキリスト原理の存在が必要であり、ロゴスのマインドの中の進化の大計画が正しく働くための生き方を示すことが必要です。