2018年2月号目次

 

-覚者より
勝利は保証されている
ベンジャミン・クレーム筆記

特集
神と来世
マクネア・エザードによるジェフリー・ロング博士へのインタビュー

特集
再生誕の法則-選集
The Law of Rebirths - a compilation
再生誕の法則
-覚者より ベンジャミン・クレーム筆記

特集
フランスの医学界が死後の世界という革新的な新しい概念を認める
ローズマリー・カロネゴ

時代の徴
保証

特集
再生誕の再検討
エリッサ・グラーフ
数字で見る再生誕
再生誕に関する先駆的な研究

意識の危機-そして私たちを見届けてくれる法則
ゲラード・アートセン

時間は存在しないかもしれない
科学の新しい光(続)
ウィリアム・アレン

編集長への手紙
グループの和合 他

読者質問欄
回答ベンジャミン・クレーム

 

 

勝利は保証されている

-覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

「善」と「悪」の間の葛藤は、「光の勢力」による勝利であることが、ますます明らかになっている。人間のハートとマインドを勝ち得るために大昔から続けられてきた苦闘の中で、「善」の側が徐々に優勢を占めている。世界に存在する緊張と分裂を見るとき、これは驚くべき主張に思えるかもしれない。しかし実際にそうなのである。あなた方が世界とその出来事を、わたしたち人類の兄たちの視点から見ることができれば、途方もない変容を遂げつつある世界が見えるだろう。すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。

この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。われわれはいま両極化を目撃しており、それが人類に選択を強いる。現在の生活の様式の中にある危険があまりにも恐るべきものであるゆえに、人間の霊性はこれに反抗し、新しいものを探求する。このようにして、人は神の意志を認識するようになる。すべての背後に「大計画」があり、神の「意志」を包合している。人間は、知ろうが知るまいが、今やその大計画を実施する用意ができている。新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分達が聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。彼らは時の危急を知覚し、奉仕のために己を捧げる。彼らはすべての地において「善」を代表する。神に到達する道はたくさんある。しかし、もっとも速く確実なのは奉仕の道である。これほど神の特性を十分に宿す道は他にない。この道の上にあなたの位置を占め、あなたの魂の指図を遂行しなさい。あなたの心(ハート)の命令に従い、世界の必要に目覚めなさい。奉仕の道に入り、大計画の中におけるあなたの位置を受け入れなさい。そして神への道にしっかりと足を踏みしめなさい。 すると、あなた方の兄であるわたしたちからの反応も速い。道の途上にあるあなた方を助けるこの機会をわたしたちは速やかにつかみ、刺激と奉仕の分野を進呈する。このようにして、あなた方はわたしたちに加わり、わたしたちの仕事を助ける。これをあなたの目的とし、世界の奉仕者の列に加わりなさい。わたしたちの側にあなたの位置を取り、光の勢力(フォース)と共に働きなさい。勝利は保証されている。しかしそれは戦い取らなければならない。混乱と緊張の直中にあっても、恐れることはない。現在の状況の中に恐怖のための場はない。むしろそれを、あなたの信に対する挑戦と見なしなさい。

(『覚者は語る 第一巻』p.84-5、1984年1月号)

 

神と来世

 

ジェフリー・ロング博士へのインタビュー
マクネア・エザード

ジェフリー・ロング博士はアメリカの熟練した内科医であり放射線腫瘍学者である。彼は「臨死体験研究所」の創立者であり、これは無料の公共サービス機関として、15年以上にわたり世界中の4,000人以上の人々から臨死体験を収集し調査してきた。人々は彼らの体験に関する詳細なオンライン調査を完成させることにより研究所の調査に参加する。ロング博士は2011年に出版されニューヨーク・タイムズのベストセラーとなった『臨死体験 9つの証拠』(ブックマン社、2014年)の中で彼の最初の調査結果を発表した。ロング博士の直近の調査結果は彼の著書『神と来世──神と臨死体験についての画期的な新証拠(God and the Afterlife: The Groundbreaking New Evidence for God and Near-Death Experience)』に収められている。マクネア・エザードがシェア・インターナショナル誌を代表して彼にインタビューを行った。
シェア・インターナショナル(以降SI):なぜ臨死体験に関心を持つようになったのですか。

ジェフリー・ロング:何十年も前、私は放射線腫瘍学者としての専門医学の研修訓練を受けていました。最も権威ある医学雑誌『アメリカ医学協会報告書』を読んでいたとき、「臨死体験(NDE)」という言葉をタイトルに含む癌に関係する記事を見つけました。それまでの医療訓練の中では、死んでいるか死んでいないかのどちらかだったので、臨死体験とは何のことだろうと思いました。私はその記事を読んで魅了されました。世界中に、死ぬときの環境がどのようなものであろうと、同じような体験をしている人々がいました。私は「ああ、なぜ人々はこの体験を調査しないのだろう?」と思ったのを覚えています。私は夢中になってもっと多くの本を読み始めました。調査のためのウェブサイト(nderf.org)を立ち上げ、それが出版につながりました。

SI:内科医として、最初はこれらの体験の真実性に懐疑的だったのではないですか。

ロング:まさにそうです。医師として、私は死にそうな人々を蘇生させることを目指してきました。無意識の昏睡状態にある人々が、このような生き生きとした認識を持ち、首尾一貫した体験をしているということが信じられませんでした。私がウェブサイトを立ち上げたのは、むしろ私自身のために、実際に臨死体験をした人々の情報を集めるためでした。

SI:調査を始める前に、あなたは来世を信じていましたか。

ロング:おぼろげには。それはむしろ願望でした。証拠に基づいて来世を信じていたのではありません。今は証拠があるのですべて変わりました。長年の検証と多くの議論を経ています。今では臨死体験により、来世が存在するという強力な証拠があります。それは私たちすべてにとって現実です。

臨死体験の共通要素

SI:あなたは臨死体験の12の共通要素について書いています。それは何ですか。

ロング:同じ臨死体験は二つとありませんが、私は4,000例以上研究してきました。しかし、多くの事例を研究すれば、常に観察され臨死体験中に起こりがちな同じパターンを見いだすことができます。命の危険を感じる出来事があり、無意識と臨床的な死があり、脈拍は停止します。そのとき意識が肉体から離れます。人の意識が肉体の上に行きます。
その優位な立場からすべての地上の出来事を見ることができます。他の人々が懸命に延命作業する様子さえ見えます。それからトンネルを潜り抜けます。トンネルの出口で、とても明るい神秘的な光にしばしば出会います。美しい風景の、地上ではない領域を見ます。
地上で愛していた人々に出会い、多くの交流があります。それまでの人生のすべてか一部を見ます。それは人生の見直しと呼ばれます。非常に肯定的な感情を持ちます。臨死体験について述べるのに最もよく使われる二つの言葉は「愛」と「平和」です。彼らは強烈にそれを感じます。しばしば、体験の終わりに、いわゆる境界、小川や地割れがあり、それを超えることができません。そのときに、しばしば他の人々と共に、この美しい地上ではない場所に留まるか、戻って地上の人生を続けるかを選択します。

SI:臨死体験に関する二番目の著書『神と来世』を出版したのはなぜですか。

ロング:調査の間、私は人々がしばしば神を体験し、神に気づくことに感心しました。彼ら自身が「神」という言葉を使います。その説明は注目すべきものでした。調査の質問にそれについて加えることは適切なことだと感じました。ウェブサイトの直近の調査の中で、「体験の最中に、神または至高の存在が存在するかどうかについて特別の情報または気づきがありましたか」という質問をしています。45.5%の人々が「はい」と答えました。分からないと答えたのは14.8%だけです。40%が「いいえ」と答えています。続いてコメント記入欄があります。「はい」と答えた人が本当にイエスと言っていることは明らかです。
臨死体験の前後での神への信仰について質問しています。高い割合の人々が「はい! 私は信仰を得ました。私は神が存在することを確かに信じます」と述べています。それは信念ではなく個人的体験に基づくものであることは疑いありません。それは人々の考えにおける最も顕著な変化の一つです。

「神はありのままの私たちを
完全に愛している」

SI:調査を始めたとき、特定の宗教の信仰を検証しようとされましたか。

ロング:いいえ。実際、私は調査する医師として事実を求めていただけです。研究の結果が何であろうと受け入れるつもりでした。4,000以上の臨死体験事例が集まりました。私が誤った結論を出したとすれば、同じ資料を読んで私の誤りを指摘する人はたくさんいるでしょう。しかし誰もそうした人はいません。大切なのは、宗教に関して、臨死体験の中で神に出会うとき、それは決して地上の特定の宗教を確証するものではないということです。神は私たちが神についてどう考えるかに関わりなく私たちを包みます。
神に出会った人々が臨死体験から持ち帰った第一のメッセージは、神はありのままの私たちを完全に愛しているということであり、宗教を信じるかどうかには関わりなく、性別や社会的地位やその他のことには関係がないということです。おそらくそれが神が臨死体験の中で私たちに与えていると思われる最大のメッセージです。

SI:人々は神をどのように描写しますか。

ロング:忘れてはならない第一のことは、神は物質的なものではないということです。臨死体験は、独立した地上の物質的な世界で起こるものではありません。それは非物質的な世界です。地上の人生で私たちが知っている多くの法則は当てはまりません。例えば、ほとんどすべての人が、地上で知っているような時間は存在しない、または根本的に違うと言います。神の外見は様々です。臨死体験の中では、神は望むどんな姿も選ぶことができます。最も一般的には、神は光として描写され、深く愛に満ちた光とされます。何らかのやり方で人間の姿を取ることもありますが、単に存在が感じられるだけのこともあります。体験者はそれが神であることを確実に知ります。視覚的または聴覚的に神であることを知る手掛かりがあります。

和合の体験

SI:慈悲や愛という点で神にはどんな特質がありますか。

ロング:彼らが神について述べる第一のやり方は、すべてを愛し全能であるということです。全能とは無限の力を意味します。人々は神について気づくようになり、しばしば神を巨大な創造力と述べます。神は力を持ちますが、恐れるべきものでなく、尊敬すべきものです。
神の別の側面は全知であり、無限の知識という言い方もできます。臨死体験者は、神は圧倒的に知っているということに気づきます。実際、神に会った人も会っていない人も、臨死体験中に「普遍的知識」と呼ばれるものに気づきます。それはすべてを知っているということであり、宇宙のすべての適材適所を知っているということです。しかし彼らは肉体に戻ったときにその知識を何も蓄えておくことはできません。ある人は言いました。「それは知識の大海を地上の頭脳であるティーカップに注ぐようなものだ」。もう一つの側面は遍在です。神は至るところに存在します。それは共通の認識に思われます。全員、この世の私たち皆、すべてと神の間に、神秘的で、非常に現実的なつながりがあります。「和合」という言葉が使われますが、それは驚くべきことです。確かに、私たちはそれについて地上での人生の間に気づいていませんが、人々は非常に共通してその認識について述べます。それは西洋の宗教的教えの中では古典的なものではありませんが、和合の認識は、臨死体験の間に人々が強く感じる二番目に共通のものです。

SI:それは人々に、戻って来たときに、他の人々との和合の感覚を与えるのですか。

ロング:そのとおりです。それは認識であり、実際には認識でさえなく、リアリティの一部を知ることです。地上での人生では、すべてとのつながりの無さや不和を感じることが多くあります。臨死体験者が強い和合の感覚を体験の後にすぐに失ってしまうのは理解できます。

SI:人生の見直しに関して、人々はしばしば彼らの人生で起こったことを見直すときに後悔や恥ずかしさを表現します。そこには神からの裁きの感覚はありますか、そしてその体験に赦しはどのように関わりますか。

ロング:赦しは臨死体験の中ではほとんど言葉になりません。その理由は簡単です。彼らが人生を見直すときに外的な裁きの感覚は事実上存在しないからです。私たちは全員誇りにできないことをしています。前の人生を見るとき、誰もが、愛がなく、他の人々を意図的にせよ無意識にせよ傷つけた時期を見ます。前の人生での行為に対する裁きや見解があるとすれば、それは彼ら自身の人生を見た臨死体験者からのみ来ます。神や他の存在が彼らの周りにいても、外から裁かれている感覚は決してありません。裁きがないので、赦しという概念もありません。

SI:本の中であなたは、多くの臨死体験者は人生の目的についての情報を受け取ると述べています。それについてお話いただけますか。

ロング:直近の調査において私はもう一つの質問をしています。「臨死体験の間に、地上での意味や目的についての何らかの情報を得ましたか」。魅力的な結果は、高い割合の人々が「はい」と答えていることです。彼らは実際にそのような情報に出会っています。私たちは質問の後にコメント欄を設けています。私たちの人生で重要なことについての最も共通した答えは愛です。自分自身への愛、他者への愛、地上への愛です。愛についての教訓や、愛について学ぶこと、愛の中で成長することは最も大きな目的の一つです。教師や医師になるなどの特定の天職についての情報を得る人はほとんどいません。人生の意味と目的は学ぶことだと言う人もいます。私たちは成長する必要があります。理解する必要があります。人々がこのような情報に出会ったときの重要なメッセージは、ニヒリズムや落胆、心配、不満、困難の多いこの地上において、地上の人生は極めて意義深く重要なものだと知ることは慰めになるということです。たとえ困難であろうと、地上の人生にはあらゆる意味で真の意義があるのです。

SI:そのメッセージは自殺を考えている人々にとってとても重要だと思います。

ロング:そうです。臨死体験者の中には、自殺を企てた人々がたくさんいます。興味深いことに彼らは決して自殺を企てません。臨死体験の間に、自殺は大きな誤りであることを理解することが普通です。自殺を企て、臨死体験をしなかった人々は、再び自殺を企てる強い傾向がありますが、臨死体験者はそうではありません。彼らは地上の人生について大切な教訓を学びます。それが彼らを自殺の企てから食い止める最も重要な要素です。

SI:再生誕(生まれ変わり)についての証拠はありましたか。

ロング:興味深いことに、私はそれについての調査を開始したところです。人生の見直しに加えて、臨死体験者の多くは、彼らの地上人生の以前の人生について述べています。それは時には多くの人生です。それは生き生きと述べられています。10人が「私は前世ではクレオパトラでした」と言っても信用できないでしょう。しかしそうではありません。彼らは地に足の着いた前世体験を、何十年か何百年か前について語ります。

SI:宗教的背景によって彼らの臨死体験は異なりますか、同じですか。

ロング:神の描写については驚くほど同じです。神の描写、神の体験の仕方については、宗教による違いは見いだせません。
宗教的信念は臨死体験では重要ではありません。それは驚くべきことです。インドのヒンドゥー教徒と、エジプトのイスラム教徒と、アメリカのキリスト教徒は、臨死体験においては同じです。違いがあるのは無神論者です。少数の人々は臨死体験中に彼らが無神論者であったと述べています。無神論の観点からは、神は存在しません。しかし、それらの無神論者も神に出会っています。ある無神論者は、臨死体験の後で無神論でなくなりました。

SI:あなたは研究することで死に対する態度が変わりましたか。

ロング:それは私をとても変えました。私はより慈悲深い医師になりました。私は命にかかわる病気を扱っています。癌はすべての人にとって恐ろしい言葉です。その病気に屈する人は多いです。私はこの病気に直面している患者やその家族に、より勇気を持って肯定的に関わることができるようになりました。地上の死を迎えた後は素晴らしい来世に行くことを知っているからです。

SI:あなたの著書の読者に何を期待しますか。

ロング:ここには深い希望のメッセージ、すべての人々に対する神の愛の重要性についての深遠なメッセージがあります。それは人類の関係についての考え方を本当に変化させます。私たちはそれを和合と呼びます。文字どおり何百人もの臨死体験者が、私たちは共にこの世にいて、とても重要なやり方でつながっているとこの本の中で語っています。その認識が育つにつれて、それが世界の変化へとつながり、より平和で愛に満ちた協力的な世界ができることを望んでいます。私たちはかつてないほど善を必要としています。人々は、神の深い愛が彼らの自己認識に影響を与えたと述べています。地上で何を行ったとしても、行わなかったとしても、彼らはまだ神の愛し子なのです。死んだ後も来世は続きます。この地上での人生は誰にとっても困難ですが、素晴らしい来世が待っています。死別した愛する人々と再会することができます。それが私たちの真の運命です。これはとても強力な希望と安心のメッセージです。

さらなる情報は:nderf.org

再生誕の法則──選集

The Law of Rebirth ── a compilation

「再生誕の法則」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間は彼らの人生を支配する精妙な法を学 び、理解するだろう──すべての者の運命 をコントロールする「カルマまたは原因結果の法 則」、それに関連して、魂が物質の中に転生する旅 を可能にする「再生誕の法則」、正しい関係を支配 する「無害であることの法則」、そしてすべての進 化がそれによって進行するところの「偉大なる犠牲 の法則」である。 これらの法の理解を通して、人間は彼らのメン トール(良き指導者)に、兄たちに、似るようにな り、すべての者が分かち持つ神性を顕示するよう になるだろう。賢者たちの教えに耳を傾け、一歩 一歩、彼らの生得の権利を受け継ぐだろう。人間 は神になるために生まれており、何ものもその 運命 さだめ を変えることはできない。その時期(タイミン グ)のみが、人間の手中にある。 (『覚者は語る』─いのちの法と規定─p.510)
[覚者方が世界におられるので]再生誕が人生の 事実であることが明らかになるでしょう。これは人 間が地球上に存在している理由についての人類の 考え方を変えるでしょう。私たちは、なぜここにいるのかについて知るようになるでしょう。それは、「なぜ、われわれはここにいるのか?」「われわれは誰か?」「われわれはここで何をしているのか?」「その目的は何か?」「われわれはどこに行くのか?」という昔からの問いです。私たちは特定の目的のためにここにいるのだということが明らかになるでしょう。つまり進化のプロセスを遂行している転生した魂の進化です。(『光の勢力は集合する』p.324)

転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして「再生誕の法則」を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が 意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、 その目的に適うようになり、また自分自身をそれ に合わせるようにしていく手段である。この過程 を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式 だろうが、すべて教育である。…… 新しい教育はこの目標に応えるべきである。神 の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばな らず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが 一般的に使われるようにならなければならない。 光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏 付けされるとき、より科学的なアプローチが子供 と大人の両方の教育に採り入れられるようになり、 その過程に新しい意味が与えられる。それによっ て、人は神になることを学ぶ。 (『覚者は語る』─新しい教育─p.201~202)

心と生気と肉体の中において真我を実現する術 を学ぶ者は、内と外のすべてが、神と呼ぶところ の唯一の源から来ることを経験するだろう。実際、 ありとあらゆるすべてのものが全能者に属するので ある。その感覚がメンタル体の中に芽生えると、 霊(スピリット)体はその同じパターンをたどるだろう。そして真我は平衡と無執着を表現することができるだろう。“私のもの”とか“あなたのもの”というような欲望の“主義”はそれなりの正しい釣り合いの中におさまるだろう。
真我は心でも生気でも肉体でもない。真我は永遠不滅である。心と生気と肉体は誕生の時に全能者によって与えられた衣であり、死の時に捨てるのである。経験であり、そしてエネルギーの源になるもの、それは生命である。真我が心と生気と肉体の中を動き回り、統御力を確立することができるようになるために、経験は非常に大切である。これがなされるとき、創造は征服される。
(『いのちの法則』p.97〜98)

魂は究極的に自らを本当に示現できる一連の肉体を魔法のようにつくります。その時点で私たちは進化の過程の終盤にさしかかっているのです。その時点まで、何十何万という転生が必要です。しかし、いったんそこに到達すると、魂はその反映(である男女)を見て、それがその(魂の)特質に反応し始め、より神聖に、つまりより非利己的で、愛他的で、他者を思いやり、自分の欲望の満足だけを望んでいないことを知ると、その乗り舟を刺激し、進化の旅を終わる過程を始めます。つまり、イニシエーションの過程です。……イニシエーションは進化の過程を早めるために取り入れられました。それは不可欠なものではありません。それがなくても私たちは進化しますが、現在の私たちのレベルに到達するのには何千万年とかかるでしょう。完成への惑星レベルのイニシエーションには5段階あります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.388)

人間が己の存在の事実、すなわち三重の特性、物質界への誕生の繰り返し、偉大で公正なカルマ(因果)の法則とその働きによって人間の生と死が進行するということ、これらの事実を把握するとき、人間は「存在(Being)」の状態の中に入るだろう、その中ではすべてが可能となる。その時、すべての人間の裡に潜む力(パワー)が発揮されるだろう。それが明らかにされるとき、人間の聖なる起源が実際に顕されるだろう。人間は神である。ただそれを知りさえすればよいのである。無知のみが人間を盲目の中に迷わせており、それゆえに自分たちの栄光を知り得ない。
未来の時は人間にとってすばらしい約束を宿す。前方を見さえすれば、人間が驚嘆し、戸惑う凝視の前に、その新しさゆえに、まったく当惑するような光景が展開するだろう。今日の言語の中には、そのような創造を描写し得るものはない。その時、人間が知ることのできる歓喜を描写し得るものはない。内なる平安と躍動する活動の感覚を明らかにし得るものはない。意味によって聖別され、目的の中に捧げられる人生は、人間にとって終わることのない創造的可能性をはらむだろう。
(『覚者は語る』─来るべき時─p184〜185)

……転生は個人の特定の運命によって異なる……個人が十分に進化していなければ、まだ運命というものはない。その個人は転生の中にただ引っ張り込まれてくる。人がある程度さらに前進すると、その個人の運命はグループの運命となる。しかしながら、弟子やイニシエートの場合には、転生の周期は個人の運命によって、それから何にもまして、奉仕への願望によって支配される。(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.262〜263)

……より高度の魂は……特定の光線エネルギーの影響の下で、そして大計画のある側面との関連で、特定の目的のためにグループの法則の下に転生する。各世代は、その時代の問題に多かれ少なかれ対処することのできる能力と知識を備えたグループを転生に引き入れる。このようにして、何度も何度も次々と転生してくる魂群の働きを通して、大計画は徐々に発展し、展開していく。そしてこれらのグループはその時代の終わりには永劫の時を転生の外で過ごすかもしれない。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.261)

わたしがあなたがたと共に居る間に、あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。新しい方法で、神の特性を示そう。あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。そのような無知を過去のものとなし、新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
これらの仕事のために、わたしはあなたがたの助力を求める、我が兄弟よ、なぜなら人間自身の努力を通してのみ、人間は価値あるものを得ることができるのであるから。これはいつもそうであった。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、神としてのあなたがたの真の特性が栄えることのできる、あの新しい国へお連れしよう。そこで、すべての人間が共に兄弟として、いのちの夢を成就するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第123信、p361〜362)

マイトレーヤの教授はすでに始められており、それはあらゆるいのちを支配する法の働き方に照明をあて、人間が地上にいる目的を明らかにする。 行動(Action)がいかに反応(Reaction)を生み出 すかを示されるだろう。かくして人間は、自分自 身で自分たちの人生の環境をつくる。そして、人 間はあらゆる状況において、あらゆる関係におい て、無害であることの必要性を理解するようにな るだろう。
マイトレーヤの教えは、人間から死の恐怖を取 り除くだろう。彼の臨在そのものが永遠なるいの ちの証であろう。彼の言葉はまた、ほとんどの人 間の生活の中につきまとい自然さと歓びを損なわ せている恐怖心をも征服するだろう。
マイトレーヤの積んでこられた経験が進化の旅 路の迷路を案内するだろう。そして彼の足跡をた どることのできる者たちに、安全で確実な行路が 保証される。友として、案内人として、教師とし て、賢明な顧問として、この人類の長兄はご自身 の任務を成就されるだろう。 (『覚者は語る』─マイトレーヤの教え─p.293)

それ[男か女かどちらに生まれるか]を決めるのは魂です。特定の人生の目的に従って魂が物質界における表現の乗り舟をすべての意味で創造します。私たちは本当に私たちの魂の表現なのです。魂の界においては男も女もなく、そのレベルでの性の分割は父─母なる神の極性の反映にしかすぎず、それの合体が魂として私たちを存在せしめるのです。男女両方の体験を繰り返して、私たちはやがてこれらの両方の側面を平衡に発達させます。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.264〜265)

長い間同じ人種のままであるかもしれないし、5〜6種の異なった人種に連続して生まれ変わるかもしれません。または一つの人種のみに限定されるかもしれません。西洋人は東洋人に生まれることはないかもしれないし、東洋人は西洋人に生まれ変わることはないかもしれません。それは個人の運命によります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.393)

あなた方がわたしを見るとき、長い過去からの友を、以前にも度々あなたがたに教えたことのある者を認知するであろう。多くの者がこれに気づき、わたしを認知し、彼らの生活の中にわたしを受け入れるであろう。この宣誓を持ちかえりなさい──わたしは神の法を復活させる。わたしは神の愛を携えてくる。わたしは世界にいのちの水を放つ。この貴重な流れの中で、あなた方の生得の権利に向かって成長していきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第138信、p.407〜408)

すべての魂は「再生誕の法則」の下で転生し、そして再び転生する。魂は過去につくったカルマを片付けるために、グループ(集団)として一緒にやって来る。故にこの法則が、大昔の負債を支払い、昔の友人たちを認知し共に働き、昔の責任と義務を受け入れ、そしてずっと昔に身に付けた才能や特質を再び利用するために表面に持ち出すための機会を提供するのである。であるから、物質界におけるわれわれの顕現を支配するこの法則の中には、素晴らしい美と秩序がある。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.262)

時の初めから、人は自問してきた──自分はなぜここにいるのか、人生の意味は何か、と。様々な宗教や過去の聖者たちの教えにもかかわらず、ほとんどの人々は、われわれが“人生”と呼ぶところのものに目的や意味があるのかどうかについて悩み、確信なく、また同様に“死後”にわれわれを待つ体験が、もしあるとすれば、何なのかを知りたがっている。
来るべき時代には、これらの積年の心配や不安に対する答えがすべての者の一般的な知識になるだろう。これは、大体において、マイトレーヤと覚者たちの一団の公の臨在の結果であろう。あなた方の兄たちが人間の意識を刺激し、彼らが与える教えの模範を示すので、比較的短期間に途方もない目覚めが起こるだろう。数多の人間にとって、過去の疑いや不安は消え去るだろう。人々は、自分たち一人ひとりが大いなる発見の冒険に従事しており、それがやがて、これまで夢見ることもなかった完成の域に自分たちを導いてくれることを確信するようになるだろう。そのような意味と目的の感覚が現在の貧弱で不安な疑いに取って代わるので、言い知れない創造性と変化の時代が開花し、栄えるだろう。そのようになるだろう。かくして人間は、神(神性)の模範としての彼らの運命に目覚めるだろう。すべての人間は神聖な存在なのだが、すべての者が、これが真であることを知るわけではない。人々はますますこの真理に気づくだろう、そして彼らの周りの世界を変えるだろう。
(『覚者は語る〔Ⅱ〕─人々は呼びかけに応えるだろう─p.175〜176)

正しい見方をすると、進化の道を歩む人生とは、我々の低位の側面を高位の側面のために徐々に放棄していく過程です。転生した魂として、高位の神性が低位レベルの神性である肉体人間に生まれてきたのです。進化の目標である完成への旅路は低位レベルのものを徐々に放棄して、その低位レベルにおいて(つまり肉体人間において)高位の特質を体現することによって、ますます魂としての本来の存在になっていきます。魂は数えきれない転生の旅を繰り返し、生まれ変わってくる必要の全くなくなるまでこれを続けます。魂にとって帰還の旅路とは物質界、情緒界、メンタル(識心)界の制限から己自身を解放していくことです。それは、魂がその器である肉体、情緒体、メンタル体を、魂のエネルギーと特質で満たしていくことによってなされます。この過程の中で、二つのことが同時に起こっています。。一つは魂がその器を徐々に霊 化すること。もう一つは大昔のカルマを片付ける ために、魂が意図的にその器である肉体人間に重 荷を課すことです。魂が転生の体験を重ねながら 進んでいくにつれて、その反映である肉体人間は よりいっそう重いカルマを背負わされます。その人 が第4段階のイニシエートになる転生を除いて、 最後の転生において重荷は最も重くなります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.273)

すべての個人が、すべての国家が、それぞれの第 二の特性によって支配されている。この特性に支 配される進化の法則が真我を取り囲んでいる。真 我は認識をもって、それらを支配することを学ん でいかなければならない。認識は人生の中に動き をつくり、それが進化的な意味で発展を生じさせ る。しかし認識は、自由と混同されてはならない。 なぜなら自由こそが人生を通してたどる旅路の究 極的な運命 さだめ であるから。 各人が自分の進化の旅路の中に固くはまり込ん で第二の特性に依存している間に、自己訓練の術 を教えられるべきである。それを通して、人は徐々 に進化の法則をいかに利用するかに気づくように なる。
われわれは生と死を経験しながら、時間の周期 の中で進化していく。救済は至高の存在(Being) の中にあり、そこにも何の動きもなく、ただ連続 した認識があるのみである。これが万民の霊的旅 路である。つまり真我認識の術を学ぶことである。 創造(被造物)は自動的な過程である。すべての 主義が自動化されている。あたかも石を水の中に 投げるようなものであり、自動的に波紋がつくら れる。だからすべての行動が自動的に結果をつく り、真我に己が自由ではないことを思い出させる。 いったん真我がその自由を求め始めると、そのと き、救済への旅が始まるのである。
(『いのちの法則』p.85~86)

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再生誕の法則
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再生誕を支配する法則に関して、人間の理解に大きな混乱がはびこる。この混乱は既存の様々な教えや解釈に反映されており、人間の無知と恐怖をさらに深める役を果たす。
東洋では、数え切れないほど長い間、因果(カルマ)の不変の法則によって支配される生まれ変わりの理念について疑問が持たれることはめったになかった。その結果は、現在の環境がどのように屈辱的で非人間的なものであろうとも、それを即刻受け入れることであった。他方、西洋では、繰り返し転生するという概念は休眠状態にあり、6世紀にユスティニアヌス皇帝の煽動で教会の教えから除外されて以来、少数の人々の注目を引くだけである。もしオリゲネスの教えがキリスト教徒の信仰の本体の中に残されていたならば、生と死の事実についてまったく異なった態度が西洋に広まっていたであろう。
あの偉大なるイニシエート、オリゲネスは周期的転生の真理を知っており、これを教えた。生まれ変わりの繰り返し、それは「世界の主」によって始められたものであり、「犠牲の法則」の刺激のもとに進行し、「原因と結果の法則」によって支配される。教会の教えからこの真理を削除したことが、今日の明らかな無知と恐れを招いた。転生についての関心が残っている場合でも、その大部分がいわゆる前世の個人的なことについての興味に限られている。
来るべき宝瓶宮(アクエリアス)の周期には、再生誕の法則に関してまったく新しいアプローチが取られるだろう。東洋では、起こることはすべて容赦なきカルマ(因果)の結果として甘受するという宿命観、何百万の人間を過酷な労働と苦しみの生活に運命づけてきた古い宿命観が支配するが、それはもはやなくなるだろう。西洋では、人間の存在の基本的原則と、これらの法則の働きが授ける個人的責任をもはや無視しなくなるだろう。人間自身が思考と行動を通して自分の生活環境をつくることを知るようになるだろう。そしてまたこの同じ法則の働きによって、人間の性質や状態をより良い方向に変えることができることを知るだろう。
これが人生の意味と目的を再評価することにつながり、死の事実についてより健全なアプローチが生まれるだろう。すべての生命──生まれていようがいまいが──の連続性に関する理解が、今日の恐怖に取って代わるだろう。死がすべての終わりという古い恐怖症は、人間の心(マインド)を照らす新しい光の中に消え去るだろう。迷信や無知の暗黒の隅々にこの新しい光が輝き、永遠なる魂としての人間の神性を目覚めさせるだろう。自分で蒔いた種は自分で刈り取るというあのキリストの格言の真の理解が、人間の存在をすべての面において変容させるだろう。人間がこの法則の公正さと論理を認めるにつれて、これまで知られなかった寛容と無害の姿勢が現在の分離に取って代わるだろう。
新しい時代は新しい見識をもたらし、人間は人生を冒険として、発見の旅路として対処するだろう──神と人間は一体であるという事実の発見、探求者の限られた視界以外に分離するものは何もないという発見、そしてすべての人間が同じゴールに向かって異なったコースを歩むということ、われわれが努力しているすべてのゴールは、認識されるのを待つわれわれの神性を実現することであるという事実発見の旅路である。大いなる再生誕の法則のもとに、われわれはその旅路を何度も何度も繰り返したどり、そしてついには自己を完成した「神の子」として、われわれ自身の理解の光の中に入るのである。
(シェア・インターナショナル誌1985年1月号および『覚者は語る』p.113〜115)

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

グループの和合

 編集長殿2017年11月28日に、私はグループのメンバーと一緒に喫茶店にいました。私たちは自分たちのグループに起こっていたことについて、それは決裂と言えるものでしたが、話し合っていました。それは何カ月も漂っていたにもかかわらず、例年のメインの講演会を通して顕在化しました。突然、私には窓にベンジャミン・クレーム氏の姿がチラッと見えて、それはあるエネルギーを伴っていました。午後4時30分くらいのことで、私は内省的な状態でした。私の右側にはっきりとしたエネルギーがありましたが、曖昧な形をしていました。エネルギーが私たちの内や周囲に注がれていたので、同席したメンバーはそれを感じていて、もうベンジャミンさんのシルエットは窓に見えていませんでした。けれども1時間ほど経って、何かに強く促されて目を閉じると、まるでビデオを見ているかのように、ベージュのジャケットを着たベンジャミンさんが動いているのが見えました。その時、曖昧な形のエネルギーが私の右側から左側へ移っていきました。
 喫茶店が午後7時に閉まるので、私たちは6時45分に帰ることにしました。私たちは長い道のりを共に歩きましたが、エネルギーはまだ私たち二人に向けられていました。その後、私たちは別れましたが、エネルギーはまだ来ていました。それは思いがけないことだったので、私は夜の予定を変更しなければなりませんでした。翌日にかけてもずっと、エネルギーはまだ注がれていて、強烈さは随分なくなっていても、私ははっきりとベンジャミンさんのエネルギーを感じ、いつもより一層彼が近くにいるかのようでした。この体験を言葉にするのは難しいことです。

匿名希望

次の手紙は喫茶店に同席していた、もう一人のメンバーからのものです。

編集長殿
 2017年11月28日に、グループのメンバーと私はルーベンスの絵画展に出かけました。そのような展示会の間にもたらされる、いつもの恵み深いエネルギーを私たちは体験しました。1時間ほどしてから、展示会のエネルギーをアースするために、お茶とケーキを求めて外に出ました。
 私たちはお茶を飲みながら、私たちが非常に重大だと考える、最近のグループ活動の問題について、グループの和合にとって何らかの影響をもたらすこととして話していました。私たちはこの問題を非常に懸念していて、難局に追い込まれたように感じていました。
 私たちの懸念や心配を話していた時、あまりにもあり得ないことが起こりました。午後5時30分のことでしたが、私たち二人共が自分たちに注がれる、活気あるエネルギーの流れを感じ始めたのです。私たちはそれぞれ違ったようにそれを体験していましたが、体験は同時に起こり、私たちはそのことについてお互いに話ができて、それは大変まれなことでした。もちろん私たちはそれ以上何についてもおしゃべりできなくなり、感じていることや解釈について、一言二言口にするだけでした。私たちはそれが自分たち二人に向けられたもので、おそらくはグループの和合についての、私たちの話し合いや懸念に関連しているのではないかと分かり始めていました。私にとってそれは頭頂のチャクラを通して流れる強力なエネルギーで、時折強度が数秒間減退し、その後再び強さが戻るのです。そのため、私たちは1時間喫茶店にいて、お茶を飲むふりをしながら、エネルギーを満喫して、時々目を閉じたりしていました。店を出ることを話し始めた時、エネルギーが減退しました。その時私が声に出して「どうぞ続けて」と言うと、エネルギーの流れはすぐに戻ってきました。
 その後、私たちは地下鉄に乗り、私にはエネルギーがかなり軽くなり、頭の周りにチクチクする感じがするだけでした。家に帰って、すぐにソファに座ると、エネルギーの流れが強力に戻ってきて、そのまま午後9時30分に就寝するまで続きました。
 私はそれがベンジャミン・クレーム氏の師からの贈り物だと信じます。私にとってエネルギーの流れは、わずかに減退しながら木曜日の夕方まで続きました。私は水曜日のほとんどと木曜日の午前中、エネルギーと統一するためにベッドで過ごしたので、日常生活をおくることはできなくなっていました。
 実際に助けられていると感じ、私のエーテル体が強められ、感情体が浄化されたようだったのは、グループの不和の後で、私はできる限り対処しようとしましたが、深い不調和を感じていたからです。腹立たしさが消えて、私のエーテル体は滋養を与えられ、再び心地良いものとなった感じがしました。1カ月ほど経つと、グループの和合の必要性が、形式的な概念から深い理解へと移行しました。

匿名希望

 

読者質問欄

Q ソビエトのモデルは正義を目指しました。共産主義の何が悪かったのですか。それは正義のためだったのではないですか。

A ソビエト連邦は正義を確立しようとしました。それはソビエトの考える共産主義を創り出しました──トップダウン式の──しかし、人々に自由を与えることを忘れていました。正義へのソビエトの実験は自由の欠乏により自然死しました。

Q 資本主義体制には正義は存在しないのですか。

A アメリカには真の正義は存在しません。アメリカ人には社会正義という考えはほとんどありません。自由については多くを語りますが、アメリカやその他の場所での正義については語りません。アメリカは世界で最も豊かな国だと言われていますが、もはやそうではありません。世界で最も豊かな人々と最も豊かな会社とビジネスが人口の中に存在します。しかし同時に、アメリカでは4,400万人が保健医療を受けていません。保健医療を受けるための保険料を支払えません。

Q 資本主義と自由について何か言っていただけますか。

A アメリカは彼らが最も偉大なシステムと呼ぶものを世界に提供しました。それが資本主義です。彼らは資本主義が共産主義を倒したと信じています。しかし共産主義を倒したのは資本主義ではありません。共産主義が倒れたのは、それが自由を置き去りにしたからです。アメリカ合衆国は自由を約束しますが、正義感を全く持ちません。そしてそれは自由でさえありません──それは放縦です! 彼らは資本主義に何でも好きなことをする自由、無制限に、世界を完全に破壊する放縦さを与えました。それが今起こっていることです。

Q アメリカに何が起こっているのですか。

A アメリカは自らに何が起こっているかを知りません。何百万もの人々が家を失い、さらに何百万もの人々が職を失い、これからさらに何百万もの人々がそうなるでしょう。人々は車の中やテントで寝泊まりし、それが世界で最も豊かな国と呼ばれているのです。アメリカの国債の半分は中国と日本が所有しています。アメリカの債務の55%はこの二つの国が所有しています。世界最大の債務国であり、最も豊かな国ではなく、最大の借金を抱えています。債務の中で生きており、国を運営するためにアメリカの国債を日本と中国に売っています。アメリカは崩壊しつつあります。
同時にアメリカは世界中に2,000以上の海外軍事基地を持っています。何のために2,000以上の軍事基地が必要なのでしょうか。平和を欲し、地球上のどの国よりも多くの国々を侵略した国が! 私たちは、アメリカに見られるような資本主義を「悪魔が最後の部分を取る」という観点で世界を運営するのに最高の可能な方法として提示されています。外に出て市場のフォースを追いかけて破壊するのです。覚者方は、商業至上主義という市場のフォースの発明物が、人類の喉を締め、人類の持つあらゆる寛大な行為を搾り取ると述べています。それが私たちの直面しているものです。
アメリカは自らの魂を見いださなければなりません。世界はアメリカの魂の側面が示されるのを待っています。今日私たちは皆、パーソナリティーの側面を見ています。私たちはロシアのパーソナリティーの側面とアメリカのパーソナリティーの側面を見てきました。一方は正義を提供し、他方は自由を提供しました。しかし正義と自由は互いに他方なしでは存在できません。それらは同じ聖なるアイディアの一部です。正義と自由は共に働きます。それらを分離することはできません。一方が他方なしで存在できると考えるのは完全な感受性の欠如です。