Belief, Faith and Intuition ──a compilation
「信念、信、直観」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
信なしには、永続するものは何も達成されない。ただこの特質を欠いたために、これまでに多くの有望な弟子たちが失敗した。時代を通じて、様々な教えが信の必要性を強調してきたのは、いわれがないわけではない。信は奉仕のまさにハート(中心)として考えられてきた。信とは、盲目的な受け入れや単に信じることを意味するのではない。それとは逆に、本当の信とは、直観が、魂の声が内的な認識を促すときにのみ生まれるのであり、あらゆる反論を乗り越えて、心(ハート)があなたに告げるのである──これは真実だ、と。その瞬間が訪れるとき、この新しく見いだした真実をしっかりと握りしめて、そして『そこに留まっていなさい』。
(『覚者は語る 1』─奉仕への召集─より)
あなたがた、すべてを必要とする。人間に信と喜びを回復させ、地球上の貧しい人々に、必要な資源を解き放ち、均衡を取り戻すために、この世界を再建する仕事を、わたしと分かち合ってくれるすべての人々を必要とする。わたしの役割は、あなたがたに方法を示すことである。あなたがたの役割は、行動し、わたしの計画を実施することである。わたしはあなたがたを信頼することができることを、頼むことができることを知っている。わたしの愛がすべての者を包む。
(『いのちの水を運ぶ者』第76信より)
信念(belief)はマインドの機能です。メンタル(知性)のレベルにおいて、真実で、磁力的で、魅力的で、価値があるように見えるもの──信じることができるイデオロギーをあなたに用意してくれる一連のアイディア──です。それは人生の問題に答えを与え、人生の意味や目的などに関するいろいろな疑問に回答を与えるように思われます。……
希望とは、すべてのものと内的につながり合っているという自覚です。あなたの生命が、日々の活動が、宇宙の計画と内的に結合していることについての自覚です。自分が誰かについての認識、自分は真我であるという感覚──それがあなたに信(faith)とか希望を与えます。信や希望は、自分が誰なのか、どうしてここに居るのか、自分の目的は何かについての内的、直観的認識から出てくるものであり、地上の何ものもそれを揺るがすことはできません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
直観の開花を通して、認識の膨大な広がりが人間の前方に横たわる。存在の状態についての認識であり、それはまだ全く人間に知られていないが、覚醒した心(マインド)によって知覚されるのを待っている。
すべての意識の拡大の前には緊張がある。人間が今通過している争いと困難のこの時期の後に、平安と落ち着きの時が続き、直観が徐々に開花するための舞台が整えられるだろう。それが起こるとき、人間は、すべての論争を通り越して、神のイメージに似せて創られた魂としての自己の特性を直接知るだろう。
(『覚者は語る 1』─理性と直観─より)
我が友よ、あなたがたも生活の中で分かち合いを具現することができる。この聖なる原則が是非とも支配すべきである。あなたがたの子供たちに、幼き者たちに、分かち合うことを教え、善を啓発しなさい。わたしの任務は、すべての人を啓発し、無知を真の知識に変え、目で見えるすべてのものの背後に唯一なる実在があることを教えることである。そのようにして人間を神のもとに連れていく。
(『いのちの水を運ぶ者』第127信より)
誰もが信念を気にしています。しかしながら、神を信じるのと、神は存在しないと信じるのは、どちらも本質的には同じです。どちらもグラマー(自己幻惑)です。信念というものはグラマーです。大切なことは、われわれが聖なる存在として、その神性をわれわれの一息一息の中に、われわれの取るあらゆる行動の中に顕示することです。そしてもしわれわれがそうするならば、世界には何の問題もなくなるでしょう。そして信念もなくなるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
多くの者にとって、キリストの臨在そのものが問題を提起するだろう。彼らが長い間持っていた信念がその根底から揺さぶられるだろう。彼らにとって、新しい啓示の意味を理解しようとするとき、己の心を探る期間が必然となるだろう。古くからの信念はなかなか死なず、その過程においてひどく傷つくだろう。にもかかわらず、何百万の人々はうれしい心(ハート)で反応し、彼らの直中にいる大教師を喜んで受け入れるだろう。時を経るにつれて、マイトレーヤという方に表されるキリストが再び地上を歩いておられるという一般の認識に対立する者は、ほとんどいなくなるだろう。
(『覚者は語る1』─新たなる奉仕─より)
われわれが新しい時代に入るにつれて、外的世界と主観的(内的)世界を探求し、(神の)創造におけるこの二つの様相の間の関係を理解することに新しい緊急性が感じられている。世界中の多くの科学者が、すべてが相互に関連し合っていることについての彼らの直観を実際に証明する必要に促されて、彼らの探求をそちらの方向に曲げつつある。超人格なるエゴ、または魂(の存在)を受け入れるという姿勢が徐々に地盤を広げつつあり、それは人間の現実観の新しい統合につながりつつある。
(『覚者は語る1』─意識の成長─より)
親愛なる友よ、世界に起こっている出来事を見回して自分に問いなさい──「これは不思議なことではないか、この新しい光は何としたことだ」と。もしあなたが裡なる光に忠実であるならば、わたしの臨在がこの変化を呼び起こしたことに気がつくであろう。そのようにして、あなたはわたしがここに居ることを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第87信より)
霊的生活は信条や礼拝とは関係ありません。それは神性との一瞬一瞬のつながりの感覚、神や他者と分離していないことの感覚です。あなたの子供に、模範によってこのことを示しなさい。そうすれば、彼らはあなたの目の前で神性の模範として成長するでしょう。
(『光の勢力は集合する』)
世界は人間存在の真理に目覚めつつある──人間は神聖なる存在であり、魂としての本当のリアリティ(実相)の外的な表現である。あらゆる栄枯盛衰を通して、人間の魂はその人を守りそして道を示してきた。神経がすり減っているときも、高邁な仕事をしているときも、いやいやながら努力をしているときも、魂がそこにいなかったときは決してない。人間(肉体人間)と魂はひとつである。
それが、人間に発見されることを待っている真理である。魂はこの啓示の目覚めを待っている。人間は人生における見習い修行の終わりにきている。これからは、その魂がより高位のそしてより明確な道を示す。
(『覚者は語る 1』─ミッシング・リンク─より)
宗教や哲学への信仰や信頼は、進化の梯子の横木(段)のようなものである。人が成長するにつれて、その信条も変わる。真我と神の間の関係は決して変わらない。『至高の存在』が宿るのはそこである。真我は、心(ハート)の中に、永遠なる至高の存在を経験する。
(『いのちの法則』)
人々は狂信的になることを恐れています。実際に危険なのは狂信性ではなく、惰性です、不活動です。マイトレーヤを直接に経験したことのないグループが、何年間も出現に関連して集中度の高い活動を維持することは非常に難しいです。あまりにも多くが求められていると思います。伝導瞑想や個人の瞑想がその高度のレベルの決意を維持する助けとなることは本当です。しかし信が要求されます。もし信がなければ、それは単に、マイトレーヤはこの世にいるという単なる信念や希望だけならば、それに対立するあらゆるものに抵抗しながら働かねばなりませんので、維持していくことができません。この事実を認識しなければなりません。……
……もしこれがあなたにとって納得のいくメッセージなら、真理の響きがあるなら、(あなたは完全な確信をもってこれを知るわけではないけれども)、そしてあくまでも仮説として、その仮説に基づいて働いているけれど、世界に展開している出来事そのものが、経験そのものが、あなたにこれが本当であることを証明してくれます。マイトレーヤのエネルギーがあなたを通して流れることが分かります。それを否定することはできません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
わたしは、もうすぐ、もっと広く、わたし自身を現す意図であるから、あなたの兄弟たちにわたしの存在を知らせる時間は残り少ない。我が友よ、志を持って行き、わたしの降臨についてあなたの信ずることを伝えなさい。そしてすべての者の心に真理の光を灯しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第63信より)
信とは、何かを信じることであると考えるために、信という観念を好まない人々が多いのです。信(faith)とは信じること(believing)とか信念(belief)とは全く関係ありません。信とは存在の状態です。信はあなたが本来のあなたであるときに生じます。あなたがこの物質界のレベルで魂として生活し、魂と絶えず接触を保つならば、あなたは信を持つでしょう。信を持たざるを得ないのです。なぜなら信は魂の特性ですから。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
あなたがたは、行動するのに、なぜわたしを見るまで待つのか、あなたがた自身が、信において多くを成すことができるのに。少しは信に基づいて行動しなさい、我が友よ、そして確認を得るまで待つのではなく、先導隊の中にあることを喜びながら、昔の武者のように、今、行動しなさい。すべての者に、わたしの臨在の事実を知らせ、喜んでわたしの側に来なさい。分かち合いと正義の必要を説き、自由のための鐘を鳴らしなさい。我が友よ兄弟よ、あなたが兄弟たちの味方であることを知らせなさい。あなたの兄弟の手を取って、わたしのところへ連れてきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第109信より)
疑いもなく、キリストの再臨の過程は新しい段階に入りつつあり、それはキリストが兄弟姉妹たちの中を再び公に歩くことができる時は遠い先ではないことを、多くの人々に確信させるだろう。
一方、直観によってキリストの到来を信じてきた者たちは、自分たちの信が強められ、固められるのを知るだろう。彼らの希望は高められ、志向は活気づけられた。
(『覚者は語る1』─民衆の声─より)
わたしの語調の簡潔さゆえに、わたしと知りなさい。わたしの心の愛ゆえに、救助の行為ゆえに、わたしと知りなさい。すべての人間に、分かち合いと平和な生活を呼びかけるゆえに、わたしと知りなさい。そのようにしてわたしを知りなさい、我が友よ、そしてあなたがたの力を貸してください。わたしが必要とするのは、あなたがたの信のみではなく、神の計画の遂行のために喜んで働くあなたがた自身である。あの聖なる計画をあなたがたに説明しよう。そして愛のなかに共にそれを成就していこう。
(『いのちの水を運ぶ者』第59信より)
混乱と緊張の直中にあっても、恐れることはない。現在の状況の中に恐怖のための場はない。むしろそれを、あなたの信に対する挑戦と見なしなさい。
(『覚者は語る 1』─勝利は保証されている─より)
奉仕するにつれて、あなたは奉仕の中で成長します。ますます成長することができるようになります。あなたが成長するにつれて、大計画のより多くが、直観的にそして実際の事実として、あなたに明らかにされます。あなたがやがて覚者とより密接な、意識的な関係で働くことができるようになるまでは、ただ信じて、信(faith)を持って、ついていかなければなりません。覚者はあなたを特定の線に沿って導いていくことができますが、あなたが想像するように教えを授けることによってではなく、あなたに対してより一層広がる奉仕の分野を提供することによって、導いていきます。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)
マイトレーヤが世界の前に姿を現すとき、新しい時代の始まりを布告するであろう。来るべき時代に人間は、いま転生している者には夢見ることもできないような高みに上昇するだろう。新しい教えは新しい知識を生み、新しいインスピレーションは新しい啓発を生む。そしてすべてが秩序正しく、順を追って起こるだろう。希望は確かなものとなり、恐怖は信に、無知は智恵に道を譲るだろう。
(『覚者は語る1』─来るべき時─より)
そうなると、人間にとって生きることは、愛することなのである。恐怖というあの横領者は退けられ、克服されねばならない。信頼が愛を育み、恐怖を滅ぼし、永遠に裡に宿る神を明かす。信頼と信はひとつであり、裡なる神性の反映である。その神性を信頼し、それを愛として輝き出させ、恐怖の終わりを知りなさい。
(『覚者は語る 1』─愛することの必要─より)
あなたがたがわたしを見るまでの時間は残り少ない。この残り少ない時間を最も有効に使い、あなたの兄弟たちにわたしの臨在の事実を告げなさい。あなたがたが出来ることで、これよりも貴重な役割はないのである。希望は高まる、我が友よ。希望はあなたがたの直中にある。世界に新しい光が明ける、そして人類は喜びを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第112信より)
最高位からの贈り物
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記(2015年5月)
人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をより一層はっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。
この新しい知識は多くの者たちをこらしめ、驚かすだろう、しかし彼らの理解について完全な調整をもたらすように、彼らを刺激し、啓発するだろう。これが人生の意味と目的と彼らが呼ぶところのことについて、新しい価値を与えるだろう。より一層の真剣さとより大きな歓びが人間の信念と行動に浸透するだろう。そして徐々に彼らを全く新しい啓示に熱中させるだろう。その時は遠い先ではない。偉大なる主は、公に、認知される存在として世界に現れて、恩寵をもたらすことをしきりに願っておられる。
恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。