2019年4月号目次

 

覚者より
前例のない時
■ベンジャミン・クレーム筆記

メッセージ
マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信 1979年10月17日

視点
世界のリーダーたちに向けた若者の気候変動対策運動
あなた方が好むと好まざるとに関わらず、私たちは「人類の運命を変えるでしょう」
ジェイク・ジョンソン

世界人権宣言から70年——一縷の望みを抱く
ヨルダン・ハシミテ王国 エル・ハッサン・ビン・タラール王子殿下

若者たちが世界を変える責任を先導する
グラハム・ピーブルズ

世界情勢
世界の指導者たちがメンタルヘルスの汚名に取り組む
世界的なエイズ蔓延における一里塚/単一細胞解析が画期的な技術革新をもたらす/ホワイトハウスの元シェフがホームレスを支援する/「刺激を与える」:ヴァーチャルリアリティのPTSD/1本数ペニー(数円)で木を植える

S.O.P.(Save Our Planet) -われわれの惑星を救え!)
地球は一つしかない

手遅れになる前にエコロジカルな文明が必要である
ジェレミー・レント

時代の徴
空の徴
空に現れたキリストに似た姿

奴隷制度は過去のものではなく、
現在でも何百万もの人々に影響を及ぼしている
シャノン・スクリブナー

ジミー・カーター著
『信仰――すべての人の旅』
ベッツィー・ウィットフィルによる書評

民衆の声
アラブの春の再燃か?

編集長への手紙
植物のパワー 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

前例のない時

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。以下の記事は、最初2003年12月号に掲載されたものである。

前例のない時
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

そのようには見えないかもしれないが、人類はその運命(さだめ)に向かって着実に歩んでいる。現在の状況の緊張や不安にもかかわらず、あなた方の兄たちであるわたしたちは、人間がその危険に目覚め、それらに対処するために時宜(じぎ)を得た行動を取るだろうということに完全な信を持つ。その信の大半は、人間が孤立しているのではなく、まさにわたしたちからの救援と保護の受領者であるという事実についての知識に由来する。わたしたちは人間を別個の存在ではなく、進化の旅路にある弟たちとして見ており、その旅路が愚者にも賢者にも同様に提示する多くの困難や危険に対して、人間はわたしたちの助けを借りて、直面し、解決していくのである。

今この時が尋常な、あるいは通常の時ではないということを、人は理解すべきである。それはまさに規模と性質において絶頂の時であり、前例のない時である。この理由のためだけでも、その問題と危険は拡大されており、人類とわたしたちの両方による最も慎重な扱いを必要とする。わたしたちが、いまだ比較的限られた数ではあるが、人類の中に物理的に存在するために、わたしたちの助けをこれまでになくより大きく人類に提供できることが保証される。それはその任務に相応するものだろう。

わたしたちの自信は、わたしたちの偉大なるリーダーであるマイトレーヤご自身が人類の中におられるという事実によって強められる。彼の供給源は膨大である。いまだ舞台の背後におられるのだが、彼は絶え間なく働き、人事に平和と進歩をもたらし、法の規制の枠の内でたくさんの相容れない利害の糸を解きほぐし、本当の平和が確立される条件をつくりだそうとしておられる。正義(公正)のみが人間が欲する平和をもたらすだろう、そして正義が支配するときにのみ、戦争は褪(あ)せた過去の記憶となるだろう。ほとんどすべての国において、マイトレーヤはあらゆる分野にヘルパー(助け人)たちのネットワークを作っておられる。そのようにして彼は新しい時代の骨組みをつなぎ合わせておられる。これらの選ばれた働き人(ワーカー)は彼らの任務を良く知っている。彼らは間もなく表面に出てきて、新しい思考を世界にもたらし、正義を人間の第一の目標にすることがいかに緊急なことかを示すだろう。このことのみが戦争の災いに、恐怖という疫病に、永久に終止符を打つことを示すだろう。そしてわれわれの経済制度の合理的な再構築のみが正義を可能にし、信頼という基盤に基づいて人類を共に歩み寄らせるだろう。そのようになるだろう。かくしてマイトレーヤの智恵と教訓は人間の思考に浸透し、影響するだろう。

多くの人々が今すでにこの教えに反応しつつある。すべての国において、様々なグループが形成されており、人間のためにより良い生活のためにデモ行進をし、戦争の終結を呼びかけ、すべての者に対する正義と自由を、人類種族の将来を保証するための自然な唯一の方法として分かち合いを、呼びかけている。恐れることはない。人間は召集に目覚めつつあり、そして確実に勝利するだろう。

 

メッセージ

マイトレーヤは、あなたがたと共に居る
第86信
1979年10月17日

親愛なる友よ、再びあなたがたの中に居ることを非常にうれしく思う。

我が友よ、我が愛しき者たちよ、昔のわたしの同志たちよ、
わたしの道を整えるために働くことを、以前に何度も、わたしはあなたがたに勧めた。
もう一度、重ねて言う、この仕事がいかに大切なものであるかを。

わたしが戻ったことを知る者が増えれば増えるほど、それだけ早くわたしの顔は知られよう。
わたしのメッセージが、すべての人に届くように、
わたしの言(ことば)が伝えられていくように、
遠くに近くに住むあなたの兄弟たちに、これを送り、
わたしの臨在に目覚めさせてあげなさい。

わたしの表向きの仕事は進んでいる。
わたしは、一日毎に予定を立て、人間の反応を注意深く見守っている。
このようにして、わたしの出現のリズムは決められる。
だから我が友よ、あなたがたの働きがわたしの計画にいかに影響するか分かるだろう。

あなたがたが試みさえすれば、効果をあげないものはないのである。
このことをわたしの覚者たちが示すであろう。
人間にとって、すべてが可能である。
人間が必要とするものはすべて、本源なる神によって与えられている。
偉大なる供給者は、その子供たちを覚えておられる。
未来の時を怪しんで見るのではなく、同胞愛と信頼が当たり前となることを知り、
両手を広げて喜んで迎え入れなさい。

我が友よ、兄弟姉妹たちよ、あなたが、現在立っている位置を検討しなさい。
あなたは、わたしと共に祝福された愛の島に行く用意がありますか。
あなたが現在持っているすべてのもの、を分かち合う用意がありますか。
人生を勇敢に直視して、我が友よ、
なし遂げるべきチャレンジとして受けとめる用意がありますか。
もしあなたが、わたしと共に行くならば、どどめるものは何もない。
我が友よ、古い惰性は消え、光と愛に包まれて、
父の近くに在る喜びを知ることができる。
その喜びをあなたがたに授けることが、わたしの特典である。
それなら、我が友よ、勇気を携えて、
あなたの本源へ戻るためにわたしに従いてきなさい。
決して誤ることはない、我が友よ、
マイトレーヤがあなたと共に居るのである。

永遠なる神の光と愛と力とが、
あなたがたの心の裡に、今顕されるように。
それによって、あなた自身の魂の目的を果たすことができるように。

 

ジミー・カーター著『信仰──すべての人の旅』

ベッツィー・ホィットフィルによる書評

この最新刊の題名が示唆するように、福音派キリスト教徒であると自称する元米国大統領(任期1977年~1981年)のジミー・カーター氏は、『信仰──すべての人の旅』の中で、一般の人々と聖職者の両方にとっての信仰の意味を探求している。

本書の序文で、カーター氏は政治と宗教の共通部分についてこう語っている。「キリスト教徒は俗世間に飛び込み、信仰の道徳的、倫理的な価値観を政治のプロセスに投入するように呼びかけられている、と私は考えます。同時に、政府が私たちの宗教的自由を支配することは絶対に禁止しなければなりません」
米国憲法修正第1項の中に正式に記されたこの立場は、カーター氏のような大統領がキリスト教の信仰の理想を、個人的なレベルはもちろん国民生活にも応用できる道徳的、倫理的な行動基準として自由に思い描くことを可能にする、と彼は書いている。
1978年に行ったバプテスト派の同胞への講演の中で、カーター氏は大統領として、世界における道徳的な権威と影響力を国家に与えると彼が考える価値観について次のように描写した。
「人間や、宗派や、国家の目標とは何でしょうか。それらはすべて驚くほど似通っています。つまり、平和の希求、謙虚さの必要、自分の欠点を調べてそれに背を向けること、欠乏や憎悪、飢え、肉体的苦痛による苦しみを和らげることに関心を持つ道徳的な社会を基盤とした、広い意味における人権への取り組み、自分の理想、自分の信仰を他者と分かち合い、人間の愛を正義へと転換しようという意欲、もしくは熱意です」
カーター氏にとって、信仰には世俗的な基盤と宗教的な基盤の両方がある。事実、信仰は、確かさや保護、希望に対する必要に基づいた人間的傾向のように思える。彼は信仰を他者への信頼として体験する乳児期について描写している──赤ちゃんが母親の胸で感じる安心のことである。そうした初期の確かさから、信頼し依存する能力が培われる──紆余曲折を経るにしても、人生における究極的な結果は良いものであるという信を持つ能力である。そのような信は、行動の心理的な基盤でもあるし、また、私たちの危険な失敗にもかかわらず神は将来の人類の生存を確実にしてくださるという宗教的な希望もしくは保証でもある。
カーター氏は本書の中でこう述べている。「ルカによる福音書18:8について最初にじっくり考えたときにびっくりしました。実際に次のように問いかけているからです。『人の子が来るとき、はたして地上に信仰を見いだすだろうか』と。この問いかけが、神への私たちの将来の信仰のことなのか、あるいは、お互いへの信や、生活のほとんどあらゆる様相を形作り導く原則への信のことなのかは分かりません。民主主義や自由、正義、平等、慈悲心といった道徳的な価値観は、宗教的な信仰なくして、はたして次の世代へと伝えることができるのでしょうか。そうであってほしいと思いますが、宗教的な信仰はそのように伝えられる可能性を高めるものと確信しています」

強固な基盤

人は、信じることのできる安定した強固な基盤を必要としている、とカーター氏は強調する。私たちを相互の信頼と理解のうちに結びつける共通の大義をつくり上げるのは、すべての人が共有するそうした必要性である。キリスト教徒にとって、そうした基盤は何世代にもわたってそのまま継承されてきた「十戒」である、と彼は考えている。しかし、俗世間では、そうした共有された基準の土台はより脆弱であり、それを維持するために必要な犠牲を行おうとする当初の熱意が時間と環境によって損なわれるにつれて崩れていく傾向がある。
例えば、永続的な平和へのインセンティブ(刺激)を創造するために第二次世界大戦の終わりに発表された世界人権宣言は、「世界の偉大な宗教の最高の道徳的、倫理的な理想」を含んでおり、「すべての国家の立法者と一般市民が理解することのできる世俗の言葉でその理想を表現しました」。そうした宗教的な理想とは、恐怖と欠乏からの人間の自由の基礎を形成し永続的な平和を保証する、社会的、経済的、政治的、文化的、市民的な諸権利である、と彼は書いている。
大統領在任中とそれ以降、カーター氏は自分の行動を導くためにこうした原則を活用しようと努めた。人権の領域での業績を称えて授けられた国連人権賞や、地球規模の大義に貢献した立役者を表彰するフーバー・メダルを含めて多数の賞を受賞したカーター氏は、「国際紛争の平和的解決策を見いだし、民主主義と人権を推進し、経済的、社会的な開発を促進するために、何十年にもわたってたゆまず努力した」という理由で2002年度のノーベル平和賞を受賞した。
しかし、カーター氏が大統領職を離れて以来、アメリカは世界のあちこちで絶えず戦争に関与してきた。一方、アメリカ国民は、戦争の経費についてはほとんど知らされず、世界平和の維持という大義には無関心になってしまった。さらに悪いことに、多くのアメリカ人は、選出された指導者と、真理や平等、善意といった絶対不変のものだと教えられてきた原則に対する信頼を失った、と彼は書いている。
もし私たちが信を失えば、信は回復されなければならないものになる。つまり、自分自身への信、他者への信、最高の理想を顕現させる私たちの能力への信である。カーター氏は、自省と想像力という人間の能力によって証明されている意識の進化を信じると記している。そうした認識を踏まえてこう書いている。核戦争と地球温暖化の可能性によって生存が脅かされており、私たち自身がこうした脅威の媒体であることが今や知られている、と。したがって、自己破壊から自分たちを救うことはできるのだという、自分自身への、お互いへの、そして神への信へと、回帰しなければならない。そうした善への信を飛躍的に高めなければならない。なぜなら未来は、お互いと、そして自然界と協力して働くようになる能力にかかっているからである。カーター氏は、世界人権宣言、十戒、コーランつまりイエスの教えにある原則を見返すことを
勧めている。それは正しい人間関係を回復させ、「……お互いへの信に基づいた、平和な共存関係の未来を進化させる」方法を明らかにするからである。

信への挑戦

「信への挑戦」という章で、カーター氏は戦争や人種差別、貧困と人権の動態、攻撃用武器、気候変動、政治や選挙に対する裕福な寄付者の過度の影響力などに関する自分自身の見解を記している。こうした課題はアメリカの民主主義の安定を脅かしている、と彼は書いている。彼はアメリカの強い軍事力を維持することを支持しているが、かつて大将であったドワイト・D・アイゼンハワー元大統領がアメリカの「軍産複合体」がアメリカの政治と外交政策において支配的な力になることについて発した警告にも触れている。カーター氏は世界の警察官としてのアメリカの役割について嘆いている。その主な理由は、次第に危機的になっている国内のニーズから資源を逸らすことになるからである。
キリスト教徒であるからといって平和主義者になることが要求されるわけではないとカーター氏は考えているが、シリアやアフガニスタン、イラク、イエメンでのアメリカの継続的な空爆は罪のない一般市民の死傷を引き起こし、人権のために尽くす平和国家であるというアメリカの主張と矛盾すると書いている。こうした攻撃的な行動はアメリカへの憎悪を助長し、テロに油を注ぐ、と彼は述べている。アメリカ政府は「自国民の間でも国際社会においても自由と人権の揺るぎない擁護者」として見られ得るし、見られるべきだという信念をカーター氏は抱いている。
カーター氏は、基本的な人間の必要は社会的、経済的、政治的な必須事項であり、イエス・キリストは、お互いとの関わり合い方やそうした必要を満たす方法を示すために神が遣わされた模範的な人物である、と個人的に信じている。イエスの熱心で敬虔な信者としての個人的生活についてのカーター氏の記述は、簡単で控え目であり、わずかに個人的である。この本の中に説教は全くない。むしろ、それはアメリカ南部の安定したキリスト教徒の家庭に生まれた人物との体験の共有である。彼は生涯にわたる探求と時おり抱いた疑念を通して神への信を持つようになり、助言者、友、案内人である人物の教えを本当に生きようと意識的に努めている。
イエス・キリストはいつも彼と共にあり、人間の形をとった神として自分の模範になっている、と彼は述べている。カーター氏にとって、信仰は名詞ではなく、動詞である──神への宗教的な信仰であるにせよ、あるいは共通の体験と必要を通した、お互いに対する世俗的な信であるにせよ、人生において前進していくにあたっての基本前提である。彼は聖書のヘブライ人への手紙11-1を引用している。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。……信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。私たちがやろうとすることは何であれ達成可能であるという信を持たなければならない──そうでないと、それを達成しようとさえしないだろう。
宗教ニュースサービスの記者、アデル・バンクス氏との2018年4月のインタビューで、カーター氏は未来に関する予測を次のように要約している。これはアメリカにも世界にも当てはまる。
「私たちにとっての次の本当の課題は、調和と相互信頼のうちに、そして意見を異にする人々への愛さえも抱きながら、お互いにいかに生きるかを学ぶ際に、キリスト教や他の宗教の原則をいかに応用するかについて学ぶことです。それは達成することが非常に難しい大きな課題ですが、私たちが今日直視する必要のある最も重要な課題です」
カーター氏は悪化しつつある自分の健康状態と前方にある旅路について書くときは楽天的である。彼は自分の現在の反応と、戦時中に死の可能性に直面した若い潜水艦将校としての反応を比較している。両方の場合に、生活上の多くの心配からの解放、結果を統御できないという事実の受容、日常生活の日課への集中がある、と彼は書いている。個人的には、イエスに対する強い信仰が彼に慰めと強さを与えている。カーター氏は基本的に楽観主義者であり、神が地上において最終的に優位な立場になると信じている。「私の信仰が、私の楽観主義への鍵なのです」と彼は述べている。

ジミー・カーター『信仰──すべての人の旅路(Faith: a journey for all)』サイモン&シュスター社、2018年、180ページ

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

植物のパワー

編集長殿
私は家の居間に二つの植物を置いていて、二つとも大変に元気です(手紙は2003年7月に記述)。その植物の一つはベゴニアだと思っていますが、定かではありません。一本支柱が必要で付けているのですが、世話をしなくても天井まで育っています。それがあまりにも丈夫で、わずかに斜めになっても、いまだに育っていることは驚きです。切っていないのですが、どうしたら良いのかと思っていますので、説明をお願いします。
モウリーン・サドラー夫人
ニュージーランド、ワイララパ
【ベンジャミン・クレームの師は、その植物の成長はイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

鏡のイメージ

編集長殿
2003年にロンドンのシスル・ホテル・タワーブリッジでの、3日間の『ヒーリング・フェア』の終了の間際、私が荷物を載せる車を取りに、ちょうど部屋を出ていこうとした時、60代くらいのインド人かパキスタン人の風貌の女性が一人入ってきて、杖にもたれ気味に歩いていました。彼女が印象に残ったのは、とりわけ彼女が白いアジア風スタイルのズボンとぴったりのターバンに、黒い厚地のキャンバスのような生地でできた、おかしな場所に縫い目のある作業着を着ていたからでした。それが彼女を貧しい人のように見せていました。
私は引き返して、彼女が色々と眺めながらドアの近くのブースを動き回っているのを、しばらくついて歩きました。彼女の顔が見えた時、彼女が少し出っ歯で、鼻に大きな『ダイヤモンド』を付けているのがわかりました。彼女はそれからホテルの方へと歩いていき、私は彼女が去るのを見ていました。私はフェアの間、大体黒と白の服を着ていたので、不思議な気持ちになったのですが、彼女はもしかしてマイトレーヤでしたか。
ヘザー・スミス
英国、オックスフォード
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

サイレント・メッセージ

編集長殿
2003年8月22日の午前9時30分頃、ドーバーの中心街がにぎわい始めていました。その区域を歩いていた時、道路の真ん中に非常に背が高くやせ型の男性がいて、薄いグレーのシャツとパンツにブルー系のバッグを肩から提げていました。彼は巻き毛のグレーの髪を耳の下まで伸ばし、大きな麦わら帽子で、しっかりとしたつばの上にぐるりと色あせたバラの花が飾ってあるのを被っていました。
嘲笑が沸き起こったりはせず、誰もが興味を持って彼が通り過ぎるのを見つめていました。彼の周りには大いなる平安と喜びの雰囲気がありました。彼は何も語らず、ただ市役所の方向へ歩いていってしまいました。
この『幸いなる者』はマイトレーヤでしたか。
M.N.フレッチャー
英国、ケント州ドーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

心に触れるメッセージ

編集長殿
2003年8月26日火曜日、ニュージーランドのウェリントンでのことでした。私が職場であるドミニオン・ポストビルに戻っていた時に、一人の年配の男性が出てくるところでした。彼は長いグレーの髪にふさふさの白いあごひげと口ひげを生やしていました。彼は私を呼び止めて、「お目にかかったことがありますか?」と言いました。私は「いいえ、でもおそらく新聞で私の写真をご覧になったのでしょう。コラムをやっていますから」と答えました。彼は続けて「ああ、そうですね、たぶんその通りですね。今ちょうど中で、今年サンタクロースが必要か尋ねてみたのですが、必要じゃないそうです。ご存じでしょうが、私は地震が起こると思うのです。私の猫と犬が神経質になっていて、二匹がそんな風になると必ず地震があるのです。それにご承知の通り、金融市場の上がったり下がったりが、あらゆる所で起きていますから」と言いました。
この時点で彼はマイトレーヤだと思いました。彼はさらに「ともかく、ストレスでまいらないように。そしてあなたは私のハートの中にいるのを知っておいて」と言いました。私は彼を見て、「メッセージをありがとうございます。あなたも私のハートにいます」と言いました。私が彼の腕に触れると、あまりにも大きな愛を感じて泣きたくなりました。彼はお別れを言って去っていきました。私はエレベーターに乗り込むと、すっかり頭が混乱して、別世界にいるような感じでした。エレベーターの中で「迷子」になり、やっとのことで職場のフロアに到着したのです。この男性との出会いの後の感覚は、有頂天といえるものでした。
この男性はマイトレーヤでしたか。
マーリーン・ストロード
ニュージーランド、ウェリントン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ひげの男性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q どうすれば兄弟たちの窮乏を自分自身のこととしてとらえることができますか。(2009年8月、サンフランシスコでの講演会)
A 分かち合うことを学び、分かち合いを提唱しなさい。あなたに可能な限り、あるいはそれより少し多く、世界の最も貧しい国々の兄弟たちを援助するための機関にお金を与えなさい。彼らは私たちが大量に食べて肥満している一方で飢え死にしているのです。
実際に行動しなさい。霊的な使命においては実用的でなければなりません。霊性とは実践するものです。マイトレーヤは宗教教師として来られるのではありません。彼は宗教には反対しませんが、宗教とは梯子のようなものであると言われます。それは屋根に上る助けにはなるが、いったん屋根に上れば、梯子は必要なくなります。あなたはそれを捨てて誰かに与えることができます。

Q マイトレーヤが新しい宗教をつくらないのだとすれば、彼は何をするのですか。
A マイトレーヤは新しい宗教をつくるために来られるのではありません。彼は私たちを神に近づくための別の方法へと導くために来られます。神の存在を知り、私たちが神であることを知り、神を崇拝するよりも神を呼び起こすための方法です。崇拝は過去のものです。
神はすべてのものの内に存在し、あなたが考える至るところに存在します。さらに、私たちの内にも存在します。宇宙のいかなる原子も他の原子と分離しては存在しません。私たちは完全に統合された宇宙、統合された原子の中に生きており、それはエネルギーです。顕現する宇宙全体の中にはエネルギー以外のものは存在しません。そのエネルギーは神的なものです。それは、愛、力、目的、知性などのあらゆる神的な特質を持っています。これらの神的なエネルギーが人類の上に作用するにつれて私たちは変化します。それが今起こっていることです。

Q アクエリアスのエネルギーとその影響についてもっと説明していただけますか。
A アクエリアスの時代には、アクエリアスのエネルギーが私たちを結びつけて統合するでしょう。それは統合のエネルギーです。それらは個人を通しては働かず、グループを通してのみ働きます。ですから、そのように試みている人もいますが、あなたは完全に個人的なやり方でアクエリアスの方法で働くことはできません。それは不可能です。アクエリアスのエネルギーは個人を通しては働きません。グループを通して働き、統合を生み出します。

Q 個人を犠牲にしての統合とはどういう意味ですか。
A 次の2500年、アクエリアスの時代の間に、私たちはあの和合、多様性の中の和合を生み出すでしょう。それは統合です。統合とはすべて同じであることではありません。異なるものすべてが一つになることです。私たちは皆個人です。すべての国家は個別に異なった特性、特質、光線構造、エネルギーの流れを持っています。それらは世界の中で異なった役割を持っています。
同時に、アクエリアスのエネルギーを通して、すべての違いが統合され、競争なしに共に働くようになるでしょう。競争は生命に反するものです。それは商業主義、市場のフォースに関係しています。それは競争のフォースです。しかし、人生とは協力であり、それが和合をもたらします。その和合は多様性の中から和合をつくり出すことの結果であり、多様性の中から統合を生み出すことの結果です。そうして世界の豊かな織物がつくられます。

Q これらのエネルギーは国際政治にも影響を与えますか。
A 他の国々が自分と同じようであることを求める国があります。彼らの態度は、自国と同じでなければ悪であるというものです。他の国々は同じようでなければならず、そうでなければ罰が下され、戦争が起きます。これは真理のこじつけです。人類は同じではありません。私たちは同じものを必要としますが、私たちは異なっています。異なった特質、果たすべき異なった役割があります。異なる集団、異なる国家、異なる人種は人類に与えるべき異なったものを持っています。そのすべてが必要です。それは巨大な大計画であり、有機的に、協力と正義と正しい関係と共に起こります。それが私たちがつくり出さなければならないものです。それ以外のことを唱える人々は幻想とグラマーに満ちています。

Q ソクラテスがギリシャで最も賢明な人物だったのは、彼が自分が賢明であると知らなかったからです。しかし、智恵の覚者方と呼ばれる存在は智恵の権威であると主張しています。ここに矛盾はありませんか。(2008年、サンフランシスコでの講演会)
A いいえ。矛盾はありません。なぜなら賢明であると主張した覚者は決しておらず、マイトレーヤも賢明であるとは主張されないからです。私は彼が賢明であると言えます。彼らは智恵の大師方です。それは彼らがブッディ界(聖なる直観の界)のレベルで働くことができる能力のための言葉です。それはすべての覚者方が働くレベルであり、それが神性の愛と智恵をもたらします。本当の意味はそういうことです。
彼らは賢明であり、彼らを見れば信じられないほど賢明であることが分かるでしょう。彼らは自らを智恵の権威であるとは呼ばないので、彼らになぜそうするのかと尋ねることはできません。彼らは決してそうしませんし、これからもしないでしょう。マイトレーヤもそうです。マイトレーヤは単純な男であり、信じられないかもしれませんが、自己の感覚を持ちません。覚者方もそうです。マイトレーヤはすべての覚者方の師であり、異常なまでに単純で謙虚な方です。これほど謙虚でありながら、その知識と智恵と愛が広大な人物はいませんでした。それでいて素朴で謙虚なのです。
彼は言われます。「私を追いかけてはならない。私を追いかけるならば、あなたは私を見失うだろう。」彼が「私を追いかけるならば」と言われるのは、彼の後を追いかけ、彼をキリストでありイマム・マーディでありマイトレーヤ仏であるなどと主張して自分のポケットに入れようとすることです。彼は全人類のための存在です。あなたがそうするならば彼を見失うでしょう。それが実際に起こっているのを私は知っています。