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金融システムはどこで持続可能性と衝突するのか

マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールによるクラース・ファン・エグモンド氏へのインタビュー

クラース・ファン・エグモンド氏は、オランダ、ユトレヒト大学の持続可能性と環境学の教授である。彼はまた、国立衛生環境研究所およびオランダ環境アセスメント局の理事でもある。エグモンド氏は、今でも名誉教授として環境問題(エネルギー、気候変動、汚染など)のゲスト講師を務めており、価値指向(世界観)や文化的側面、金融経済システムなどを含む、より広い持続可能性の問題へと焦点を移すようになった。ごく最近では、エグモンド氏は財政経済的、社会的、文化的な側面の持続可能性に関する著書や記事を発表しており、中でも注目すべきは、2014年の『持続可能な文明(Sustainable Civilization)』である。マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールが、本誌のためにエグモンド氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): 1972年にはローマクラブの報告書『成長の限界』があり、1980年にはブラント報告書がありました。地球上のすべての生命と共に、私たちの地球は大きな危険の中にあることを、私たちが約50年後の今になって初めて理解し始めたのはなぜなのでしょうか。このような情報を積極的に妨害する既得権益や勢力があったのでしょうか。
クラース・ファン・エグモンド:まさにそのとおりです。私たちの社会には、現在でもそのような意識を妨害する巨大な勢力があります。過去40年間、圧力団体は彼らの利益を守るために「科学者」を雇ってきました。何千万人もの人々が、これに巻き込まれてきました。歴史を通じて、必ず反対に働く勢力がありました。これを保守主義と呼ぶことができ、既存の構造や現行の経済にしがみ付く傾向を示します。なぜなら、ここが彼らの利益が埋め込まれているところだからです。私は学生への講義で、ジャレド・ダイヤモンド氏の著書『文明崩壊』(草思社、2005年)をよく引用します。ダイヤモンド氏は、環境変化の結果として、なぜ様々な文化が消滅しているかという疑問に踏み込んでいます。彼の(1,000ページ後の)結論は、このようなすべての文明では、問題の発生に直面することになり、物事は悪化していきますが、結局は若い世代が間に合ううちに対処することを上の世代が妨げます。現状にしがみつくことは悲劇的な現象であり、発展への障害を形成する様々な既得権益の結果です。経済学では、すべてのものが自らを刷新し、変化は正常であることを学びます。動いているシステムでは、静的であることは不可能です。オランダでは鉱夫はすでに鉱山にはおらず、イギリスでは列車はすでに蒸気では走っていません。機関士は、今では別の職に就いています。つまり、テクノロジーや経済構造そのものに継続的な技術革新があるのです。しかしながら、例えば石炭や鉱山に既得権益を持つ人々には、問題があります。一方で、少数の下にある経済的な力の集中は継続し、手に負えなくなります。私が興味をそそられ、驚いたことは、過去数百年の間、西側の覇権が続いてきたことです。テクノロジーは西側を優位な立場に置き、私たちは土地や企業など、すべてを実際に購入することができました。今では中国やインドの力が本当に大きく、彼らは西側で何でも買うようになりつつあり、私たちは政府にそのことから私たちを守るように求めています!  私たちが現在経験しているのは、転換点です。それでも、ローマクラブの報告書が発表された1972年から、少なくとも私から見て、人類は進歩していません。

SI: 私たちは、クリーンで持続可能な環境と健全な地球を達成しながら、同時に「市場の力の神話」のルールである競争と貪欲を維持できると、あなたはお考えですか。
エグモンド:そうは思いません。私はそれに関して本を書いており、2番目の本でもこの疑問を検証しています。持続可能性の問題は価値観の問題であり、テクノロジーの問題ではありません。ある程度のテクノロジーは必要ですが、持続可能な開発の議論をする場合、開発したいものは何なのかを知る必要があり、それは「価値が込められた」選択肢です。それは主観的で、相対的です。私たちは、所有ともっと多くの物質が自分を幸福にすると考えており、その場合、地球の資源を使い果たそうとする地点にまで達します。経済の構造全体が、素早く「買って捨てる」ことに基づいています。物を買い、それをすぐ後で投げ捨てるのです。このようなことを続けることはできません。価値観と優先順位を調整することに成功した時に初めて、私たちはより良い人類になるでしょう。私たちは物への執着を減らす必要があります。ヨーロッパの文化、宗教、哲学、神話、大河小説、伝説、お伽話など、すべての歴史には二つの極、つまり物質と精神の間での均衡の維持に関するメッセージが含まれています。それは動的な均衡です。あなたは物質的な姿勢を選ぶことができますが、「精神的な」姿勢を持ち、芸術や音楽を愛することもできます。基本的な疑問の一つは、自分のことに夢中になり自分のエゴに没頭するか、他人や隣人や自然ともっと関わるかということです。私たちは自由意志を持っていますが、意思が一つの方向に極端に偏った場合、その傾向は、他のすべての人の価値を犠牲にするような強迫観念となる可能性があります。そのような一方向への偏りは、しばしば他のすべてを犠牲にして追求されるものであり、通常は暴力や衝突に向かう傾向があります。そして「持続可能性」の概念は不可能になります。

SI: リンカーンは1865年に、通貨を創り出し流通させることは政府の義務であると語ったとあなたは書かれましたが、現在では世界中の銀行に委ねられています。政府による通貨の創造は、社会や一般大衆に対してどのような影響があるのでしょうか。
エグモンド:通貨を創造し流通させることは原則として社会の問題であり、したがって政府の問題ではないことに確信を持つ人々は、私を始め、私の同僚で増加しています。これは新しい問題ではありません。アリストテレス以来、多くの歴史上の人物、哲学者、経済学者、政治家などが同じような考えを持っていました。金融システムは現在のシステムの中心に深く組み込まれているため、システムを真に持続可能な方向に動かすことは、あなたがその変え方を知っているときだけに可能です。そうすると、非常に異なった価値のアイディアが意味を持ってきます。1865年にリンカーンは、政府は通貨を創り出し流通させるべきだと言いました。「通貨を創造し発行する特権は、政府の最高の権限であるだけでなく、最大の創造的な機会である。……通貨は人類の主人であることをやめ、召使いとなるであろう。民主主義は、通貨の力から脱するだろう」もし銀行ではなく政府(つまり私たち)が、通貨を創造することを許されるとしたら、現在起こっているように、住宅価格や株価を押し上げるだけの悪いタイミングではなく、良いタイミングで通貨の創造を行うことができます。2008年の前回の危機は大惨事でした。そこからポピュリズムが生まれました。一般に言われているように、難民危機から生まれたのではありません。それは後の付加的な要因であり、2008年の財政危機の背後にある主要な問題ではありませんでした。私たちは今、次の危機に向かっています。銀行は悪いタイミングで通貨を創造しており、それは経済において高値と安値をつくり出します。リンカーンによると(アリストテレスの例に従うと)、私たちは(政府として)通貨を適切なタイミングで自ら創造する権利を持っています。もし経済が崩壊し始めれば、国民に雇用を再び提供するために、私たちはインフラなどに投資します。これは、浮き沈みを抑えることにつながり、より平衡したシステムをつくり出します。そして別の利点として、私たちは、コミュニティーとして何十億ユーロもの資金を利用できるでしょう。現在は私的領域に漏れている資金を、教育、医療、ベーシック・インカムなどに使用できるのです。そして、選択は議会制民主主義にかかっており、銀行が現在しているように、国民が一定水準のインフレを許容すれば、もっと多くの資金が利用可能になるでしょう。リンカーンの論点は、管理は政府の下にあるべきだというものでした。その場合、労働コストはもっと安くなり、原材料はもっと高くなり、全く違った社会になるでしょう。システム全体は別の方向にゆっくりと動き、それは革命ではなく、緩やかな過程です。あるものは、例えば航空運賃などは、より高度なテクノロジーが利用可能にならない限り、より高価になるでしょう。銀行で働く金融専門家に対して私たちがしばしば説明する必要があることは、銀行が通貨を創造するということです!
危機が再び発生すれば、状況全体が不安定になると私たちは考えています。人々はもはやこれを許容することはないでしょうし、それは変化を意味します。政府は、国民の雰囲気を常に気にかけます。グローバリゼーションのため、政府は株式市場を怖がります。これはあり得ない状況です。過去には政府はローマ法王の恐怖に震えていましたが、今では株式市場を恐れています。政府にとっては、グローバリゼーションに従うこと、つまり国中で起こることを決定する強力な多国籍企業が揮う市場の力に従うことは、政治的に持続可能ではありません。そのような国では、国外の投資家が市内の全区画を購入し、若い人々が家を購入できないようなことが起こります。フランスの「黄色いベスト運動」のような政治的抗議やヨーロッパのポピュリズムを見てみてください。金融秩序の根本的な改善は、公的な機能と民間の機能のバランスを改善することによってのみ、実行可能です。

SI:人類は一つであり、魂として文字通り結び付けられていて、家族のように互いに支え合う義務を伴うことを大人や子供が教えられるとしたら、どのような影響がありますか。
エグモンド:はい、このことを子供たちに伝えるべきです。多くの人は、自然に触れ合っている時などに、いわゆる「一体性の体験」をしたことがあるかもしれません。そのとき、私と他者、天国と地球、霊と物質など、すべてのものがつながっていることを認識します。イレーネ王女は、その意識を少しでも伝えるために、オランダで「自然大学(NatureCollege)」を設立しました。彼らの特別に訓練を受けた森林監督官は、都会の子供たちに、人生で一度だけであっても、自然界の体験を提供しています。あなたが実際に言われているのは、私たちの真の性質は何かを、自分と他者とのつながりと共に、子供たちに教えるべきだということではないでしょうか。そこにすべての人の責任があります。過去500年から600年の間のすべての文化的な物語、例えばパルジファルのオペラやシェイクスピアの作品などは、すべて同じ考え方に関するものです。あなたは部分であり、同時に全体でもあります。学校ではこのことを取り上げるべきであり、あなたはこれを子供に教えるべきであり、そして宗教的な構成要素もその一部となるでしょう。しかしながら、宗教的な人々は、自分たちが唯一の真実を持っていると主張することはできません。この考え方は、ヨーロッパに間違いなく深い傷跡を残しました。科学もまた、唯一の真理を持っているわけではありません。しかし、現在世界中で起こっていることですが、科学者の発見を否定し、気候変動は作り話だという主張は、受け入れることはできません。客観的事実を疑うことができるのであれば、地球は失われてしまいます。それは、私たちが環境の状態に関して同意できないことを意味することになります。医学の分野では、診断が不可能になります。基本的な科学的事実に同意できないのなら、手術前の血液検査をどうして信用しなければならないのでしょうか。根本的な哲学的疑問は、もちろん次のようなものです。つまり、私たちは自分たちが誰であると思っているのか、そして、それをどのように知るのか、ということです。文明が何千年も続いているのにもかかわらず、依然として欠けているものは、多かれ少なかれ、人間の本質的な性質のビジョンと、その結果としての社会の目的です。個人と社会の両方にとって何が本当に重要であるかについての意見は、依然として大きく分かれています。私たちは、何を開発すべきなのかについて明確でないままに「持続可能な開発」について議論します。ビジョンが欠けているため、一方的な力が優位に立ち、漂流している社会が自分自身の戯画になります。そして、安定への模索は、しばしば原理主義的な宗教や全体主義の形を取り、別の場合には、物質主義、快楽主義、同様に原理主義的な資本主義の形を取ります。社会や文明を維持するためには、人間や社会にとって不可欠な価値観に基づく新しい倫理と「持続可能性」という新しい視点が必要です。アルベルト・シュヴァイツァーは、著書『文明の哲学(The Philosophy of Civilization)』の中で、文明を次のようなものとして描写しています。「進歩が各個人の霊的完成のために役立つ限りにおいて、あらゆる視点から、あらゆる行動を行う人間と個人によって成されたすべての進歩の総和」として。

高次元意識への接近

ダンジャ・ミュラーによるフィリス・クリスタル氏へのインタビュー

フィリス・クリスタル氏は1914年にロンドンで生まれた。彼女は大学の教育学部を卒業後、アメリカに移る前に3年間高等学校で教えた。91歳の2004年に、彼女はドイツのミュンヘンに移り、95歳の時にスイスのチューリッヒに移り住み、2016年の12月に102 歳でイギリスで亡くなった。1950年代の終わりころ、クリスタル氏と一人の親友は、彼らが高次元意識(HiC:Higher Consciousness)と名付ける内面の英知の源に、実験的かつ定期的に接触することを始めた。それ以来、高次元意識に接触するのにシンボルを使用し、これを発展させて視覚化の方法を採用した。この技術は、外的な安心と支配への執着から人の意識を解き放ち、個人を、外部の何かではなく自己内部の高次元からの助力と指導を求めるものである。フィス・クリスタル氏は、この方法を分かち合うために多くの国でセミナーを開いてきた。彼女の最初の本『束縛の鎖から解き離たれて(Cutting the Ties that Bind)』は1982年に発行され、続いて『束縛の鎖からさらに解き離たれて(Cutting More Ties that Bind)』が発行された。また、この2冊に付けるワークブックも発行された。彼女は他にも、『サイババ:究極の体験』を発行している。彼女は生前、インドのマスターであるサイババをとても崇敬しており、この本でサイババとの体験を回顧している。フィリス・クリスタル氏は、この方法が即製のものではないことを強調している。彼女によると、人は変化を求めて外のものを無暗に求める代わりに、自ら進んで自己変革と自己向上の必要性に集注するならば、必ず支援が与えられると強調している。ダンジャ・ミュラーは、クリスタル氏の2013年の集中講義コースに出席し、シェア・インターナショナル誌のためにクリスタル氏にインタビューした。

シェア・インターナショナル誌(以下SI):過去50年間、あなたは、人々がしがらみに満ちた習慣や過去の苦痛に満ちた経験から解き放たれることのできる方法を発展させて来られました。この方法がいかに有効かについて話してくださいませんか。
クリスタル氏:私たちは、何かまたは誰かの支配から私たちを解放する方法を伝えてまいりました。もし私たちが、自分たちの生活を素直に(虚心坦懐に)見つめれば、私たちは、他人や記憶や習慣が私たちを支配しているばかりではなく、私たちもまた、他人を支配していることに気がつくことでしょう。そこで私たちに最初に与えられるものは、「数字の8」です。これは個々の人は自分自身のサークル(円)を持っており、二人が数字の8を共有していることを示す象徴です。私たちは、この数字を使うことで、一時的に誰か一方が他方を支配することをやめるのです。そうすれば(人間関係が)うまく機能するようになります。子供は特にこれに反応します。今日、とても多くの子供、幼稚園児でさえもが問題を抱えています。一方で他の子供は大変に攻撃的です。彼らが数字の8を使う作業を行うと、自分たちが一つのサークルにいて、他の子供がもう一つのサークルにいることを知るようになり、攻撃が収まります。要するに事態が動くのです。

SI:どのようにしてあなたはこの方法を見つけたのですか。
クリスタル氏:ある友達と私がある日、昼食を摂っていて、主婦であったり母親であったりの立場から、自分たちの命についておしゃべりをしていました。当時私たちには仕事が与えられておらず、私たち二人は大学を卒業していたのですが、それは正常ではありませんでした。私たちは、これはただ二人だけの問題ではないと考えました。そして私たちは、時々、問題に直面し、意識的にそれを解決しようとベストを尽くすのですが、解決に至らないことに気づきました。私たちは時に腹を立てて投げやりになったりします。そしてもうだめだと言います。でも夜に夢を見て、答えが見つかったりします。または、次の朝目覚めてみるととても明瞭な答えが得られたりします。そこで私たちは、心のどこかに答えをもたらす部分があるに違いない、そこに触れてみようと的を定めました。私たちは漫然と「潜在意識」や「現在意識」そして「超意識」という言葉を知っていました。私たちはただ漠然と(その存在を)気づいていた超意識にコンタクトしようとしました。その結果うまくいったのです。このようにして、(超意識と接する)方法を行い始め、それを広めることになったのです。

SI:あなたの本で紹介されている視覚化のエクササイズはとても簡単なように見えます。あなたが行うセミナーでは、参加者は、この方法がいかに自分の人生を変えたかの体験を分かち合います。自分たちの子供時代に受けた奥深くに潜んでいるトラウマでさえ解決できています。このような単純な視覚化と、明らかに進行している深層での癒しとの間に働くメカニズムは何でしょうか。
クリスタル氏:とても単純なステップを踏んで行われます。まさにそれは私たちに与えられているものであって、時にはわずかなステップにすぎないように見えます。最初私たちは数字の8についての見方が教えられます。それから、私たちの親が何らかのステージで私たちをいつも支配しようとしていたことが示されます。過去の思春期の儀式を振り返ってみましよう。古代の人々は若い人が思春期に達したときに賢い方法でその時期を通過させました。彼らは少女を「ロングハウス」と呼ばれるところに呼び出します。少年は別なロングハウスに呼ばれます。それから賢い婦人が少女に、賢い男性が少年に、どのようにして両親から独立し、どのようにしてグループの立派な一員になれるかを教えます。世界のあるところでは今もなおこの方法がとられています。多くの本に、動物が自分たちの縄張りを守ろうとする行動について書いてあります。この方法では、私たち人間よりも動物の方が熟達しています。もしあなたが犬や猫を飼っているなら、特に1匹以上の動物を飼っているならば、このことをよく知っておられるでしょう。それぞれのペットは家の中に自分自身の居場所を持っています。そしてもし他の動物がこの場所に入り込もうとすると、争いが始まります。しかし人間はそのことの意味を認識してはいません。これが、私たちがこの方法を使って始めるために数字の8を採用した理由です。このことは、私の最初の本である『束縛の鎖から解き放たれて』の中に記されており、ワークブックの中に非常にはっきりと描かれています。『束縛の鎖から解き放たれて』の儀式はかなり長くかかります。約1時間かかります。それは徹底的であり、両親との束縛を断ち切り、次に私たちの生活を「支配」している誰かの束縛を断ち切ることから始めます。次の本『束縛の鎖からさらに解き放たれて』は、習慣とか常習的な癖、そしてあらゆる種類の非人間的な要素といった、他の種類の支配から自由になるように導きます。

SI:あなたはワークショップで、参加者にいつも視覚化の初めに「高次元意識」に接触することを勧めておられます。「高次元意識(Higher C)」は何を意味しているのでしょうか。
クリスタル氏:高次元意識とは精神(spirit)の魂(soul)です。街に住んでいる男女にとっては、高次元意識について考えることすらとても難しいことです。私たちは七つまたは八つのシンボルのある小冊子を用意しています。この冊子の中では私たちが日常使っている意識と、記憶として蓄えられている潜在意識の概要が示されており、次にこの高次元意識が示されています。この冊子は、いかにすればこの接近が私たちの助けになるかを、シンボルを使って説明しています。この種の事柄について何のバックグランドもない読者のために2冊目の冊子もあります。この中で私は残りのシンボルについて紹介しています。これらすべてによって、高次元意識にどうしたら接触できるかが説明されています。高次元意識とは、私たちの本来の自己であり、身体が死んでもわれわれと共にあり続ける存在なのです。

SI:あなたは訓練のセッションの中で、この方法が「新時代の心理学」になると語っておられます。このことについてもっと話してくださいませんか。
クリスタル氏:あなたはおそらくサイババについてお聞きになったことがあるでしょう。この事柄について本を書くことを促したのはまぎれもなく彼(サイババ)でした。そうでなければ私は決して本を書こうとは思っていませんでした。本を書くことは私の心にはありませんでした。私がサイババの前に座っていた時に、彼は「あなたは本を書くべきです」と言ったのです。彼の言葉によって私は本の執筆を始めました。彼は私にまた、原稿を持ってきなさい、そうすればそれを祝福してあげましょうとおっしゃいました。彼が原稿に祝福を与えた時、彼は私に、できる限り多くの世界の人にこの方法を知らせるために本が出版されるべきであると語りました。サイババは後日、別なインタビューにおいて、これは人々が自己変革するのを助けることができ、同時にもっと愛のある、もっと哀れみと助け合いのある世界をつくることができる方法が示されていると説明しました。彼はいつもその時代のことを「黄金時代(The Golden Age)」と呼んでいました。そして四つのユガがあると説明したものです。(彼によると)私たちはまさに第4番目の、もっとも破壊的な時代を終えつつあり、最も建設的なユガの時代に入りつつあるというのです。この方法は、否定的な習慣や状況、そして「新時代(New World)」にふさわしくないものを取り除く機会を私たちに与えてくれます。

SI:この世界は、環境危機や世界規模の飢餓や核廃棄物などの数々の大問題に直面しています。あなたの方法は世界にもっとバランスの取れた状況を招く助けとなり得ますか。
クリスタル氏:この方法は人々が自己変革するのを助けます。そして世界は人々が集まってできていますから、もしたくさんの人々が個人として変われば、必然的に世界が変わるはずです。なぜならば、最終的に「積極的な力」は否定的な力を凌駕するからであり、その力によって加速度的に人々は自由になるからです。

SI:あなたはこの積極的な方法を行っているモデルとして、今もなおこの方法を世界中に広げるために働いておられます。あなたが99歳というのに、このような挑戦的な試みを続けておられるそのエネルギーはどこから来るのでしょうか。
クリスタル氏:それはただ高次元意識に接触し続けることによってです。サイババは私に、可能な限りこの方法を世界中の人に届けなさいとおっしゃったのです。この言葉が支えとなって、なおもこれを喜んで続けているのです。

SI:あなたの「ライフワーク」をお続けになる個人的な望みを何かお持ちでしょうか。
クリスタル氏:もっと多くの人が心を開いて、一人ひとりを高次元意識と呼ぶ存在に結び付けるこの方法を受け入れるにつれて、やがてもっと一般的に受け入れられるようになるでしょう。

詳細は:Phyllis Krystal foundation:www.phylliskrystal.com 参照

分かち合いの経済

ダルハ・ブティックによるロック・クラリ氏へのインタビュー

経済学者、教育者、作家、ブロガーのスロベニア人ロック・クラリ氏は、シリウス・カムニック中等学校特殊学級で働いている。彼は協力の原則と物の公正な分かち合いの原則に基づいた代替的な経済モデルを開発し促進している。彼はスロベニアで何冊かの著作があり、協力と物の相互分かち合いに基づく新しい経済的手法について世論を喚起している。ロック・クラリ氏はダルハ・ブティックによるシェア・インターナショナル誌のインタビューを受けた。

シェア・インターナショナル(以下、SI):「経済」という言葉はどういう意味ですか。経済とは本当に生産、資本の増大、資源の搾取にのみ関わるものですか。
ロック・クラリ:「経済」という言葉はしばしば恐ろしい言葉に感じられます。経済とは経済の専門家にとっての問題のように思われます。彼らの言葉はしばしば理解不可能で私たちには専門的すぎるので、私たちが自分でする代わりに経済的なことは彼らに考えて実行してもらえばいいと考えてしまいます。しかし、そうであるべきではありません。経済は本質的に単純なものであり、私たち全員に関わるものです。実際には、私たちは皆、経済学者なのです。経済という言葉は古代ギリシャ語のオイコス(家、家族、家族の所有物、品物)とノモス(管理する、支配する、法)の複合語です。経済の元々の意味は、「家庭環境(家庭、家計)の賢明な管理」と「家族全体への日用品のための関連する品物(建物、土地、生活用品)」という意味です。後に、その定義はより広い共同体──家族全体、全市民の家としての国家──に拡張されました。今日では、私たちは最も広い意味で経済を理解しなければなりません。例えば、地球環境の賢明な管理、私たちの共通の家としての地球、そしてその家族全体の──人類の──日用品の賢明な管理という意味です。個人と家族の一員として、また地域社会のメンバーとして、あるいは国家や地球の一員として、私たちは経済学者であり、共通の環境と物をいかに管理するかを学び、皆が豊かに生きると同時に未来の世代のために地球を保全することができるようにならなければなりません。これは経済の本質です。

SI:今日の経済はどのようなものですか。
クラリ:今日の経済の特徴は貪欲、利己主義、争いであり、経済学者は競争という心地よい呼び方をしています。競争と利己主義はスポーツにおいて受け入れ可能であるとしても、経済の分野ではそれらは完全に破壊的です。なぜなら、それらはある人々に極端な富をもたらしますが、大半の人々に貧困と苦痛と不必要な死をもたらすからです。人類すべてに属する物を求めて競争し、多数の犠牲の下にそれを所有することは、現代社会の最大の諸問題──飢饉と貧困、軍事や社会紛争、気候変動と環境汚染、経済危機、移民など──の根本原因です。

SI:どうやってすべての人々に役立つための将来の経済を形成すべきでしょうか。
クラリ:経済がすべての人々に役立つために、それは協力と分かち合いの原則に基づいているべきです。実際には、そのような経済制度は分かち合いの経済と呼ばれます。この制度の本質は、すべての人が基本的必要を満たすことのできる物にアクセスすることができるように物を分かち合うことです。基本的必要とは、世界人権宣言において基本的人権として明記されているものです。それらは、食料、水、衣服、住居、医療、教育です。分かち合いの経済は地方で、国家で、グローバルなレベルで組織し実行可能なものであり、家族や家計の中で常に存在してきたものです。

SI:グローバルなレベルで分かち合いの経済のための計画は存在するのですか。
クラリ:最も期待の持てるアイディアの一つは、グローバルな規模で国家間の物資の分かち合いを調整する新しい機関を設立することです。最良の選択肢は国連機関の活動の中に設けることです。国々はその主要資産の余剰と不足をその機関に報告し、特に基本的必要を満たすために必要なものについて報告します。その機関は、これらの物資の総評を行い、輸送を調整し、欠乏している地域に輸送します(今日の市場はこの機能が非常に不十分です)。私が強調したいのは、今日はすでにこれを可能にする情報コミュニケーション技術、輸送、ロジスティクスが存在するということです。物資のグローバルな分配のための機関はハブの役割を果たし、言い換えれば、食料、水、医薬品、医療品、衣服、エネルギー資源などのような主要なグローバル物資の流通と分かち合いの核心です。したがって、この機関はこれらの物資を所有せず、調整者、仲介者の役割を果たすだけです。国々自身が物資の直接輸送を提供し、インフラや学校(医師やエンジニアのため)の建設の援助をします。

SI:国家と地域のレベルでの分かち合いの経済についてはどうですか。あなた自身は分かち合いの原則を実行する具体的なプロジェクトに参加されたことはあるのですか。
クラリ:いわゆる福祉国家はある程度物資の分かち合いに基づいています(その良い例がいわゆるスカンジナビア諸国です)。共通の資金は税金や他の寄付などから充填され、多かれ少なかれ公正にすべての市民の間で分配されます。例えば公共教育、保健、社会保障、共通のインフラの形態を取ります。不幸なことに、さらに大きな程度で、商業主義の影響の下でこの原則に従う国はますます少なくなっています。ローカルなレベルでは、私たちはすでに多くの形態の分かち合いの経済を持っています。例えば、自転車、車、衣服、道具や他のアクセサリー、サービスの分かち合いなど。不幸なことに、ここにおいてもますます利潤が重要になり、相互協力、理解、共感、尊重、そしてもちろん互いの愛に基づく分かち合いの経済を破壊しています。この側面は、家族を除いては、今まで経済において知られていませんでした。しかしながら、地域社会においては、世界のほとんどすべての場所で、物資の分かち合いの様々な形態が出てきて栄えています。例えば、私が教えている学校では、長年私たちはいわゆる見本市を組織していて、そこではおもちゃ、衣服、家の調度品、スポーツ用品、書籍を交換したり寄付したりしています。すべての品物が同じ価値があり、見本市の前に一つのクーポンと交換します。余剰のクーポンを持っている人々は通常それを社会的経済的に不利な状態にある人々に、愛情、報酬、友情のしるしとして寄付します。見本市の場では、クーポンはすべての見本市の品物のための「支払いの手段」です。社会的に不利な立場にある人々は、自分たちが劣っているとか、今日のチャリティーに共通の結果である「感謝することを強いられている」とは感じません。より広いレベルにおいても、分かち合いは同じ効果を持ちます。

SI:あなたが提唱する分かち合いの経済という概念は、一般に受け入れられているものとはかなり異なっていませんか。これらのアイディアは世界の経済の流れと一致するのですか。
クラリ:最近、政治家や経済学者は循環経済について語っています。それは少なくとも分かち合いの経済の最小限の特徴を含み、それは特に物質が長い時間をかけて人々の間を循環し、「購買──使用──廃棄」という原則とは異なるという意味においてです。しかしながら、分かち合いの経済の概念とより共通するのは、普遍的ベーシック・インカム(UBI)というアイディアです。UBIでは、少なくとも最も緊急で本質的な物資とサービスの支払いに十分な月収を同じだけ全員が受け取ります。しかしながら、この場合の大きな危険は、通貨制度が市場の法則と反復する危機に従属することです。したがって、より良い「通貨」とは、誰もが基本的必要を満たすことができる主要な物資とサービスへの普遍的なアクセスであり、それは分かち合いの経済の核心でもあります。

SI:肯定的に総括するために、人々が相互の物資の分かち合いの原則を実行することに成功している実例を示していただけますか。
クラリ:歴史上、マーシャル・プランが際立っており、それはアメリカ人が、財政的物質的援助の拡大によって、第二次大戦後のヨーロッパの急速な復興を可能にしました。多くの人々が今日グローバルなマーシャル・プランを支持しています。現在、豊かな国々が余剰資源を森林伐採地域に提供しています。財政と「慈善」の援助だけでなく、基本的インフラ、学校、病院、発電所、井戸、衛生設備などの建設もあります。豊かな国々はこの種のプロジェクトにとって十分な財政的物的資源を持っています。これはグローバルな分かち合い経済にとって大きな導入です。この比較的短い期間(おそらく数年間)の経験に基づき、人類はグローバルな日用品の分かち合い(例えば、私が前に述べたようにグローバル物資の分配の枠内において)を定式化することができ、それが永続的に飢餓と貧困を除去し、結果的に、今日の人類を束縛している相互の国際的な不信感、恐怖、不安を除去するでしょう。ですから、私たちは真に繁栄と相互尊重と平和の新しい時代に入っていくでしょう。そして遂に、これと共に、力強い愛のエネルギーそのものが、地上で初めて顕現し始めるでしょう。ロック・クラリ氏の著書『Ekonomija delitve: uresni itev 25. lena v 21. Stoletju(分かち合いの経済──21世紀における25条項の実現)』『Kako deliti dobrine(いかに物を分かち合うか)』『Pravi na delitev dobrin(物の公正な分かち合い)』『Svet za vse(皆のための世界)』

ベンジャミン・クレーム「分配と再分配にのみ携わる新しい国連の機関が設置され、それに関連する問題を取り扱うでしょう。その長官には覚者か、あるいは少なくとも第3段階のイニシエートがなるでしょう。必要とする人々に正しく食糧が分配されるようにすることが彼らの責任でしょう」(SI誌1989年12月号)マイトレーヤは、世界資源の再分配を通して分かち合いの原則を受け入れることを呼びかけるだろう。食糧、原料資源、エネルギー、テクノロジーの知識の大部分は今日先進国によって占有され、(浪費され)ている。われわれが分かち合いの原則を受け入れる時(各国の政府は世界世論によってそれを強いられるだろう)、各国は必要分以外の余剰を世界への信託として移管することを要請されるだろう。各国はその資源と必要の明細目録を作ることを要請される。これらの統計はコンピューターに入れられ、この目的のために設置される国際連合の機関が、この情報に基づいて世界資源の合理的な再分配の計画を作る。このようにして先進国と後進国との間により良いバランスが達成される。再分配のプログラムは、実施に2~3年かかると見積もられている。この企画のための計画と青写真は高度のイニシエートたち──相当な実績を持つ経済学者、金融財界人、産業人──によって、すでにかなり以前に作られており、その実施を求める人類の要請を待つのみである。高度に複雑な物々交換の形態が今日の経済システムに取って代わるだろう。(SI誌1986年1/2月号)

変化の促進者となるように女性に力を与える

エリッサ・グラーフによるオーラ・フリーダム・インターナショナルのマリッサ・コッコロス氏へのインタビュー

オーラ・フリーダム・インターナショナルはカナダの慈善団体であり、女性に対する暴力や人身売買を終わらせるために、カナダや世界中で活動している。2018年11月に、エリッサ・グラーフがマリッサ・コッコロス事務局長に、トロントでインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):オーラ・フリーダムについてお話しいただけますか。何をきっかけとして設立されたのですか。
マリッサ・コッコロス:私は常に燃えるような正義感を持っていました。それは、何らかの形で不当な扱いを受け、抑圧され、置き去りにされながら、どうにかして復帰し、尊厳のある生活を送り、正義を見届けることができた人々の意識です。私はイタリアに住んでいたことがあり、そこを拠点として何度も旅をしました。私は様々な国に行き、世界中の女性の社会的地位について研究した結果、本当に多くの国で私たちは同じであると分かりました。私たちはどの国に住んでいても、村の責任を背負い、水を背負い、財政を背負っていたりします。私は、アフリカの幾つかの国、ネパールとインド、ヨーロッパの国々に滞在し、同じパターンを見て、「何かをしなければならない」と思いました。私は、イタリアの自宅の前で物乞いをするナイジェリア人の女性と出会い、友人になりました。あるとき彼女が携帯電話で英語を話しているのを聞き、彼女が英語を話すことを知っていました。私は彼女に「コーヒーでも飲みに行きませんか」と誘いました。私たちは朝食をとり、彼女は私に体験を話しました。彼女は、衣料品店での仕事を約束するナイジェリア人によってナイジェリアからミラノに人身売買されました。彼女は、本当に貧しい村の出身でした。私は同じような話を、数多くの国で聞きました。そしてまさに地元のトロントでも、別の角度から聞いたのです。

SI:彼女に出会ったのは、人身売買されている途中でしたか。それとも逃亡した後でしたか。
コッコロス:彼女は以前にトリノで売春をしていて、私が彼女に会ったときには、すでに辞めていました。彼女は私の目を人身売買に対して開いてくれ、それから私は、世界中で人身売買の調査を開始しました。最終的に私は、メンターの一人とネパールに行くことになりました。彼女の名前は、アヌラダ・コイララです(本誌日本語版、2012年8月号のインタビューを参照)。彼女はネパール人の女性で、本当に驚くべき仕事をしました。私はただ彼女から学びたくて、文字通りネパールに行き、彼女の家をノックしました。彼女は私を招き入れてくれました。今では、彼女は3回もカナダに来たことがあり、私の家の空いている部屋に泊まり、私が今知っている沢山のことを教えてくれました。私は人身売買の世界的な視点を持ちましたが、トロントの家に戻りオーラ・フリーダムを始めたとき、人身売買がまさに地元のトロントで行われていることを知りました。

SI:では、あなたの地元のトロントで人身売買がどのようなものかに関して、一番驚いたことは何ですか。
コッコロス:それが映画で見るものとは違うことはご存じでしょう。映画では、女の子は薬漬けにされ、車で国境を越えて運ばれるか、あるいは、何らかの形で操られ仕事を約束されます。トロントでは「ロメオ・ポン引き」です。彼らは愛の約束をします。そして共通しているのは、付け込まれるような弱さがあることです。弱さが貧困であれ、女の子の自尊心の感覚であれ、自分自身でいてもいいと思うだけでは十分ではありません。女の子は、男性が言うことを何でも信じるでしょう。私が気づいた世界中での共通点は、少女たちの価値が認められていないことです。そして少女が先住民や有色人種の他のコミュニティーの出身の場合には、なおさらです。女性や少女の価値が十分に認められていれば、付け込むのは難しいと思うでしょう。それは、私にとっての根本的な動機です。それは貧困だ、警察活動の欠如だ、などと言う人々と議論をしたことがあります。しかし、男女不平等、家父長制度、植民地主義、組織的な人種差別主義には、本当に対処しなければならないと私は確信しています。取り残された女性や少女のコミュニティーが力を持つ必要があります。結局のところ、力を持った人物に付け込むことは、非常に難しいのです。そのため、私は「トロント反人身売買ネットワーク」と共に市内で多くの活動を行い、現在は1年限りの資金を提供するトロント市と共に活動しています。私は6人の若い女性を受け入れました。彼女たちの多くは人身売買の経験者です。そして私たちは、研修や指導により、彼女たちが外に出て、自分たちのコミュニティーで同僚と一緒にアウトリーチを行えるように援助しています。

SI:あなたは、トロントで援助できた人たちと、どのようにして出会ったのですか。
コッコロス:彼らはあらゆるコミュニティーにいます。それはどこででも起きるのです。人身売買の供給源の国であれ、実際に搾取される国であれ、世界で人身売買のない国はありません。私たちが着る服から、飲むコーヒーや性風俗まで、どこにでもあります。私は、トロント市でコミュニティーの会合に出席することから始めました。お話ししましたように、反人身売買ネットワークのお陰で、市内で誰が何をしているのかに詳しくなり、問題は巨大であることが分かりました。そして私は、学校でのアウトリーチ活動を開始しました。私たちはプレゼンテーションをつくり上げました。反応率は83%です。つまり、私たちが外部でプレゼンテーションを行った後で、83%の確率で若者が私か私の同僚に話しかけます。私たちは必ず、性的暴力を熟知している訓練を受けたトラウマ・カウンセラーと共に行動します。彼女は、カウンセリングを行うために、人身売買に関して教育を受けているのです。次に私たちは、カウンセリングや被害者に対する治療を提供している市内の団体との提携を開始しました。私たちのプロジェクトが、教育と知識に基づき、子供たちに情報を与えているために、彼らは信頼してくれています。私たちは9年生か10年生から始めます。なぜなら、その位の年齢が付け込まれる年代だからです。オーラ・フリーダムは、今でも非常に小さな草の根団体であり、市から資金援助を受けています。フルタイムのスタッフは私だけです。可能な場合に援助してくれる理事会があり、現在ではこの6人の若い人がアウトリーチ活動をしていますが、市内で私が知っている人たちのスキルを活用する必要がありました。一度私がエネルギーを注ぐと、それは起こったのです。扉が開き始め、人々が来て「あなたは助けが必要ですか」と言い始めました。私は本当にこのプロジェクトに確信を持っています。プロジェクトでは、少女たちに研修を行っています。プロジェクトは研修やカウンセリングや指導の費用を負担し、彼らが地元のコミュニティーで変革ができるように援助しています。6人の研修生が受けている教育や指導は波及効果を生み出し、彼ら自身の人生だけではなく、彼らのコミュニティーにも永続する違いを生み出すでしょう。すでにそのようになっています。私たちと共に活動するある若い女性は、実際に学校で私の元にやって来て「助けが必要です」と言った人たちの一人です。そして、それは繰り返されます。現在では彼女は、私たちと共に他の人を援助するために活動しています。暴力に対処する場合に本当に良い仕事をする唯一の方法は、被害者とつながることだと思います。私は人身売買の被害者ではありません。暴力の実際の体験はありますが、人身売買の経験は一度もありませんので、彼らと一緒に活動します。私の同僚の一人は先住民の人身売買の被害者であり、カナダ人です。私は彼女に助けを求め、大いに頼りにしました。彼女の名前はブリゲット・ペリエです。彼女は、このような少女たちのメンターの一人です。

SI:プロジェクトの目的は、少女たちが規則正しい日程に従い、学校で話をすることですか。
コッコロス:はい。学校や避難所で話をすることです。私たちは、青少年の避難所にも行って話をします。なぜなら人身売買は、ホームレスの青少年の間でも蔓延しているからです。売春の多くは必ずしも強制されたわけではないことを私たちは認識していますが、多くの場合に強制が関係しており、生活状況などから多くの影響を受けます。子供時代に性的虐待を受け、貧弱な社会福祉制度の裂け目に落ちてしまった若い女性たちを、私は見てきました。

SI:提携している団体について、少しお話しいただけますか。
コッコロス:「トロント性暴力危機センター」は、私たちの非常に大きなパートナーです。なぜなら、私たちが企画するプレゼンテーションに、彼らのカウンセラーの一人が必ず同席しているからです。そして、反応があった場合には、現地でトラウマ・コンサルティングが直ちに行われ、次に継続的なケース・マネジメントがあります。その提携関係により、私たちの若い世話役の一人がプログラムに入ります。彼女は、トロント性暴力危機センターから2年間のカウンセリングとケース・マネジメントを受けていたのです。オーラ・フリーダム以前にも、反人身売買の活動を行っていた団体があります。私たちは、まだ若い団体です。私たちは、カナダで2014年から慈善活動をしているにすぎず、4年の慈善活動状態を維持していますが、私たちだけではできません。私たちには、被害者のためのベッドを持つコヴナント・ハウスのような団体が必要です。私は一緒に活動することに確信を持っていますので、提携先のコミュニティーに問い合わせます。私たちはまた、数多くの政策の立案も行いました。トロント市の政府は、人身売買の被害者を巡る新たな戦略のための立案を私たちに求めました。被害者が住宅やより一層のサービスを得られるようにするためです。連邦の新しい反人身売買のプランが発表される予定であり、私たちはプランについて被害者に伝えることを依頼されました。

SI:あなた方は、「マイティ・ネパール」とも提携されていますね。
コッコロス:はい、私たちはマイティ・ネパールと共に、資金集めと活動を行いました。マイティ・ネパールはアヌラダ・コイララ氏の団体であり、そちらとの提携により、私たちはネパールで、何人かの被害者に援助や治療を提供しました。2015年の地震では、私たちは多くの出資を(カナダの様々な団体から)受け、イタリアとネパールの「アペイロン」という団体と共に女性に優しい空間をつくり上げました。それは、難民キャンプに設営する移動式シェルターでした。何千人ものネパール人に家がなく、難民キャンプが各地につくられ、それらは女性や少女にとって安全な場所ではありません。私たちはこうした仮設避難所をつくり、カナダのグローバル連携省の援助を受けていました。私は提案書を書き、2年間連続して出資を受け、私たちはネパールで10カ所の避難所を開きました。それは素晴らしいプロジェクトでした。それらはすべて、地元の方言を話す地元の女性たちによって実行されたものです。私たちは、そのプロジェクトを地元の女性たちと共に設計しました。私たちは環境を整備し、援助が必要な所で援助を行いましたが、基本的には、地元のコミュニティーから生まれるものでなければなりません。それは、文化的に適切である必要があります。私たちは教育を提供しており、このような若い女性や少女に、権利に関して情報を提供しています。私たちは、40以上の出生証明書や、離婚証明書を登録しました。それは、人々が全く経験したことがないことです。60歳の女性が、識字教室で初めてアルファベットを学んでいました。大災害後や、戦争やコミュニティーの移転の後で、少女や女性への救援は、本当に違って見えます。それは、力を与えることです。教育です。そうです。毛布や米は必要ですが、キャンプでレイプされたときに、あるいは夫や父親に虐待されているときに、あなたには権利があることを知る必要があります。あなたは助けが得られるのです。安全な移住と安全でない移住があります。少女たちがキャンプの外に連れ出され、孤児になることがあるのです。本当は、親が生きていて孤児ですらないのです。少女たちは連れて行かれ、ある種の教育が与えられ、食べ物が与えられると(それは本当です)、親たちは伝えられています。少女たちは孤児の状態に置かれます。これは、ネパールで多く起こっているのです。そして同時に、マイティ・ネパールの提携先で聞いたことですが、再建が必要な学校があります。特に地震の救援のために得られた他の資金があったため、私たちは、ネパールのカブレ郡で直ちに学校の再建を行いました。そこは小学校であり、多くの建物が安全ではなく、幾つかは完全に破壊されていました。私は現場を見に行きましたが、ブリキの建物のような場所で 250人の子供たちが授業を受けていて、彼らはそこをTLC(仮設学習センター)と呼んでいました。政府がそれらを設置したのです。しかし、そこはとても寒い場所でした。私が行った日には雨が降っており、どのような種類の勉強の助けにもなりませんでした。私は、校長や教頭と会いました。そこは、ネパールの民族の一つであるタマン族のコミュニティーであり、そこでは、女の子の子供の結婚が現実のものです。彼女たちは結婚のために学校から引き離されます。アルコール依存症とジェンダーに基づく暴力が大きく広がっています。そのため、学校教育が本当に大切です。なぜなら、このような若い人が長く学校にいればいるほど、子供の結婚だけでなく暴力も減り、彼女たちに仕事の機会を与える上で良い状況になります。もし教育があれば、人身売買は問題にはなりません。カナダの採掘企業、ハッチ社が6万カナダドルを寄付し、私たちが残りの資金を集めました。最終的には、プロジェクトを開始するために、10万ドル以上が必要でした。そして現在では開始しています!私たちは2月に工事に着手しました。

SI:では、あなたが人々に本当に知って欲しいことは何でしょうか。それはどのように役に立つのでしょうか。
コッコロス:知ることは大切です。人々は泣くことを再び学ぶ必要があると、私は思います。私が現在活動しているこの反人身売買の空間では、ストーリーを聞いたり、苦痛を見たりすることで、心を閉ざすことは容易です。地元の女性の避難所や、女性を援助する基金に寄付してみてください。そして、フェミニズムは、平等だけに関するものであり、少女たちや女性たちが、安全で尊厳のある生活を送れるようにするものであることを、ただ知ってください。それが、そのことが意味するすべてです。しかし、すべての人がすることができると、私が言えることは、自分自身の中に持っている人間性を認識し、再発見することだけです。共感と思いやりを再発見してください。路上で誰かを見たとき、その人は何を経験してきたのでしょうか。その人は、なぜ物乞いをしているのでしょうか。その人は、なぜ乞食をしているのでしょうか。その人は、なぜそこにいるのでしょうか。判断するのではなく、ただ見てみてください。

詳しくは、次のサイトを参照: http://aurafreedom.org

子供たちを解放する:子供の投獄を廃止する取り組み

 

 

「私たちの刑務所は人道的危機であり、私たちの子供たちは、非人道的で品位を傷つけるような方法で扱われている」── デイビッド・スコット博士
デイビッド・スコット博士は、イギリスのオープン大学に勤務しており、カナダ、トロント大学の客員教授でもある。彼は100以上の本の章や記事を発表し、5冊の著書を出版し、運動組織『エンド・チャイルド・インプリズンメント(子供の投獄をやめよ)』の創設メンバーである。彼は、『Justice, Power and Resistance(正義と権力と抵抗)』誌の共同創刊者であり、独立系出版社、EG プレスの創設者でもある。スコット博士は、以前は「逸脱と社会支配の研究のためのヨーロッパグループ(European Group for the Study of Deviance and Social Control)」の調整官であり、INQUESTの学術的顧問団の 一員である。彼は、数多くの短編ドキュメンタリーを製作し、2018年には、英国のドキュメンタリー映画フェスティバルで、映画(Hamlett Filmsと共同で)『グレンフェル塔と社会的殺人(Grenfell Tower and Social Murder)』で、ライフチェンジング賞を受賞した。シェリーン・アブデルーハディ・テイルズが、本紙のために、スコット博士にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): あなたは、刑務所制度を廃止するための運動をいつ始めたのですか。そして伝えたいメッセージは何でしょうか。
デイビッド・スコット:私は過去13年間、この問題に関する運動に専念してきました。2006年ごろに、イギリスの「刑務所は要らない(No More Prisons)」と呼ばれる小さな圧力団体に関わった時、私はこの運動に関わり始めました。私は現在、子供の投獄を終わらせる運動に関わっており、それは2018年11月に国会議事堂で始まりました。子供は傷つきやすく、非常に大きな必要を持っており、子供たちが成長し発達できるようなシナリオを作る必要があることを、私たちは伝えようとしています。子供は間違いを犯します。それは、すべての人が間違いを犯すのと同じです。人生で最悪の出来事が起こってしまった子供は、すでに悪いスタートを切っており、すべての困難を経験しており、すでに暴力や乱用や危害や負傷に直面していて、彼らは司法制度に巻き込まれてしまったように思われます。本質的に、私たちがしようとしているのは、心理戦に勝つことです。罪と罰はすでに深く確立されたアイディアであり、私たちは、このようなアイディアを変えようとしているのです。イギリスでは、数え切れない数の傷つきやすい人々を投獄しているようであり、その中にはもちろん子供もいます。そして、このような子供たちは、しばしば人生の早い時期に大きな困難に次々と遭遇します。小さな時から施設に入れられていた子供たちの多くは、家族の愛やケアや愛着を一度も経験したことがありません。彼らは、コミュニティーの一員であるときにどのように感じるかを、全く知りません。彼らには、機会が与えられたことがありません。子供たちは子供たちであり、彼らを刑務所に送るのではなく、彼らにチャンスを提供すべきだと、運動では訴えています。また、このような子供たちの背景は、黒人やアジア系の少数民族系に偏っています。彼らは、すでに危害を受けており、人生で機会がほとんどなく、非常に困難な状況で成長してきました。そのため、彼らは、より深く傷つきやすく、人生のスキルを持たないため、人生に対処するメカニズムがないだけなのです。そして、このような恐ろしい子供の拘留中の死や、または子供の自傷行為や、薬物や他の活動に手を染めたりする状況があります。なぜなら、彼らは、普通の生活をこれから送ることはできないと思っているからです。刑務所は非常に有害であり、彼らは非常に有害な考えや行動を生み出します。

SI:あなたが子供のことを話されたとき、イギリスのどの世代のことを指しているのですか。
スコット: 現在、イングランド、ウェールズ、北アイルランドにおける刑事責任年齢は10歳です。スコットランドにおける公的な刑事責任年齢は、世界でも最低水準の8歳ですが、実際は12歳以上を対象としています。スコットランドでは、公的な刑事責任年齢の引き上げを計画しています。もちろん、刑事責任年齢を巡るこうした問題について考え始めると、少しおかしなことになります。子供は10歳の時に、同意の下でも性的関係を持つことが許されない、お酒を買うことが許されない、ペットを買うことすら許されないという事実があります。つまり法律のどこかに、子供は実際には責任のある個人ではない、まだ発達途中である、まだ学んでいる最中であり、間違いを犯すという考え方があるのです。理想的には、刑事責任年齢は18歳であるべきです。ですから、刑事責任年齢を14歳に、そして16歳に引き上げた場合、実際には特定の年齢グループの刑事責任を廃止することになり、その結果、刑務所の子供を減らすことになります。

SI:子供の実刑判決は、イギリスで特に問題となっていますか。
スコット:はい。イングランドとウェールズでは、途轍もない数の子供の終身刑があります。2006年から2016年の間に、197件の子供の終身刑がありました。イギリス普通法では、共同事業法としても知られているものもあります。この法律では、ある子供のグループが犯罪のことを知りながら止めるために何もしなかった場合に、起訴されます。つまり、非常に多くの子供たちが、文字通り何百人もの子供たちが、近年に終身刑の判決を受けましたが、実際には何も違法なことはしていないのです。彼らは、重大な犯罪を犯した人物を知っていただけなのです。欧州連合の他の国々では、子供の終身刑で収監されている子供は、合計で5人ほどです。つまりイギリスでは、おかしな状況になっているのです。

SI: あなたとあなたの団体は、政府に対して運動を行いましたか。何か反応はありましたか。
スコット:私たちは、2018年11月に国会議事堂で運動を開始し、刑法分野から多くの人が参加しました。そして私たちは、継続的に参加を行い、ロビー活動をしようとしており、それはイギリスの廃絶論者が長年してきたことです。廃絶論者に刺激を受けたもう一つのINQUESTという団体は、継続的に情報を提供し、国会や教会に対してロビー活動しようとしています。私たちは継続的に、人々が刑務所や刑罰に対して持っている情熱を挫こうとしており、それは人々や政治家に事実を知らせることなのです。刑務所の廃絶に関して、私たちはかなり過激なアイディアを提唱しています。このように子供たちに生じている損害をなくすためには、刑務所制度を完全に廃止する必要がありますが、とりあえず何かを始めなければなりません。ですから、私たちは、これらすべての問題について政府と関わりを持っています。それは労働党の政治家や影の閣僚と話をし、聞く準備のできているあらゆる人と関わりを持つことを意味します。

SI:政府と関わる上で、労働党の政府と保守党の政府で何か違いはありますか。いつも同じような反応でしたか。
スコット:若年層の司法を巡っては、二つの支配的な物語があり、これらは懲罰的、および非懲罰的なアプローチに関係しています。あるいは福祉、および正義です。それらは実際には完全に相反するものであり、関わる政治家によって異なり、政党の方針に必ずしも沿うものではありません。例えば、最近の保守党政権の下では、子供の収監者数の大幅な減少がありました。しかし、子供の収監者数が減少したとしても、黒人、アジア系、少数民族系の子供の数は実際には増加しており、彼らは、刑務所の子供の約46%を占めています。訓練請負センター(Secure Training Centres)や少年犯罪者施設のような、様々な施設があります。私たちは、それらを子供の刑務所とは呼びませんが、もちろんそれらは子供の刑務所です。そして、1990年代の労働党政権の下では、実際には、刑務所に送られる子供の数の増加がありました。現在の(保守党の)大法官デイビット・ガウキ氏が、刑務所が上手く機能するとは思わないと断固として語ったことは皮肉ですが、彼は代替案を持っておらず、彼らは今では刑務所の拡大運動をしていて、何年もそうしています。彼らは巨大刑務所を新たに建設しようとしています。現在の刑務所担当相は、6カ月以内の実刑判決を廃止するなどして、刑務所の削減を望んでいると発言していますが、そうした結果をもたらすような法律上、政策上の変更は、現在まで何も行なっていません。

SI:少年刑務所に対する代替案のアイディアは、何かありますか。
スコット:私たちは、戦略的に考える必要があります。第一に、子供の刑務所人口の削減の要求を試み、小さな成果を勝ち取ります。部分的、選択的な廃絶に集中するのです。次に、薬物使用の犯罪化に関連する特定の法律の廃絶を行ったり、子供の終身刑の廃絶などをしてみると良いかもしれません。しかし、代替案に関しては、教育的なアプローチや霊的なアプローチなど、別のアプローチがとても役に立つかもしれません。子供の熱意を育てたり、子供を魂を持つ存在として、可能な限り最高の人間になりたいと思う存在として理解するような、教育的なアプローチが、この場合、本当に価値があります。一つには、収監された子供の多くは、比較的軽微な窃盗犯が理由であることがあります。彼らが刑務所に入ったのは、本当に困難な人生を送っていたことが原因であり、もし私たちがそれに対処するとしたら、非懲罰的なアプローチを、したがって刑務所のないアプローチを取る必要があります。私たちは、このような子供たちの生活援助をどのようにつくり上げるかを考えていく必要があります。彼らは人生で援助をあまり得られなかったので、彼らに与え、肯定的な人生体験を与えることで彼らの人生をつくり上げたいと思います。たとえ、ある時点である種の国家のケアを必要とする子供たちがいたとしても、こうした子供たちをどのように扱うかに関して、基本的な基準があるべきです。子供たちが援助、愛情、ケアに関して満たされるような『子供が第一』というアプローチが必要です。子供たちをどのように扱うかについて基本的な基準があるべきであり、それはケア、愛情、援助などによるものであり、子供たちが対応に失敗するような障害をつくることによるものではありません。

SI:つまり、あなたの言葉では、すでに不足している子供たちが、間違った決定を行ったか、もしくは犯罪のことを知っていた状況があり、その結果、刑務所に入れられてしまい、そこで彼らはより良い未来への希望を失い、そして進み続ける意欲を全く持っていません。そのようなことでしょうか。
スコット:あなたは、私が正に同意するような「希望の終わり」という言葉を使いました。そして実際には、それが刑務所で供給不足になっているものなのです。そして刑務所は、実際には、この希望のない感覚を生み出す場所のようです。より良い道などない、物事は変わらない、永遠に今のままだろうという感覚です。もちろんそれは、大人と子供の両方にとって、自殺観念作用をつくり出す最大の要因の一つです。子供たちが愛されていると感じ、必要が満たされていると感じることは、極めて大切です。一方でまた、彼らはお返しに愛することができ、お返しに何かを与えることができると感じられるべきです。それは、子供たちに投資することを意味し、彼らを援助することを意味します。収監された子供たちのほぼ半数が、子供たちに無料の学校給食の資格のある家庭から来ているので、それは貧困化した子供たちの問題なのです。ですから、彼らに何かを与えてください。彼らの才能は何か、彼らは何を与えられるのか、彼らは何ができるのかを見つけてください。ただ単に彼らを切り捨てることはしないでください。

SI: 少年や大人の刑務所制度を廃絶しようとした国は、どこかにありますか。
スコット:私たちは、改革された刑務所が実際にどのように進化したかを理解する必要があります。もちろん、常に刑務所があったわけではありません。刑務所は19世紀の初期に発明されたもので、イギリスの最初の刑務所は1816年頃のもので、アメリカやカナダでも同時期でした。それは産業資本主義の隆盛と歩調を合わせて登場したものでした。刑務所と不平等さのレベルとの、その共生的関係を見る必要があります。特に経済的な不平等であり、また、認識された民族的アイデンティティー、性別、性的関心、年齢などです。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどの国々を見ると、依然として刑務所制度がありますが、より福祉志向のアプローチがあることが分かるでしょう。そして重要なことは、彼らはより社会民主主義的な社会形態を持っており、経済的な不公平への対処に関して、非常に異なったアプローチをしていることです。ですから、刑務所に対する異なったアプローチを取る国を探したら、社会をどのように組織するかに関して異なったアプローチを取る国が多いことが分かるでしょう。刑務所制度の先にあることを探求したいのなら、人々に異なった方法で対処する必要があります。間違いを犯す人々は、しばしば社会の底辺にいる人々であり、必要とされない人々、恵まれない人々、のけ者として見られる人々であり、誰も所有しない人々、社会の周辺にいる人々、そして高度な資本主義の目的の達成に失敗した人々です。彼らは、最終的に刑務所に行ってしまった種類の人々なのです。私たちが刑務所に対して異なったアプローチを取ろうとしたら、人々をどのように扱うかに関して異なったアプローチを取る必要があります。ごく簡単に言えば、私たちは不平等を問題にする必要があるのです。もし、協力を基盤とする社会を持つことができれば、そして、資本家的、家父長的、新植民地主義の人種差別的な国家を越えて移行することができれば、その時にだけ、現在の懲罰的、非人間的な制度から抜け出す道を見つけることができるでしょう。

ジミー・カーター著『信仰──すべての人の旅』

ベッツィー・ホィットフィルによる書評

この最新刊の題名が示唆するように、福音派キリスト教徒であると自称する元米国大統領(任期1977年~1981年)のジミー・カーター氏は、『信仰──すべての人の旅』の中で、一般の人々と聖職者の両方にとっての信仰の意味を探求している。

本書の序文で、カーター氏は政治と宗教の共通部分についてこう語っている。「キリスト教徒は俗世間に飛び込み、信仰の道徳的、倫理的な価値観を政治のプロセスに投入するように呼びかけられている、と私は考えます。同時に、政府が私たちの宗教的自由を支配することは絶対に禁止しなければなりません」
米国憲法修正第1項の中に正式に記されたこの立場は、カーター氏のような大統領がキリスト教の信仰の理想を、個人的なレベルはもちろん国民生活にも応用できる道徳的、倫理的な行動基準として自由に思い描くことを可能にする、と彼は書いている。
1978年に行ったバプテスト派の同胞への講演の中で、カーター氏は大統領として、世界における道徳的な権威と影響力を国家に与えると彼が考える価値観について次のように描写した。
「人間や、宗派や、国家の目標とは何でしょうか。それらはすべて驚くほど似通っています。つまり、平和の希求、謙虚さの必要、自分の欠点を調べてそれに背を向けること、欠乏や憎悪、飢え、肉体的苦痛による苦しみを和らげることに関心を持つ道徳的な社会を基盤とした、広い意味における人権への取り組み、自分の理想、自分の信仰を他者と分かち合い、人間の愛を正義へと転換しようという意欲、もしくは熱意です」
カーター氏にとって、信仰には世俗的な基盤と宗教的な基盤の両方がある。事実、信仰は、確かさや保護、希望に対する必要に基づいた人間的傾向のように思える。彼は信仰を他者への信頼として体験する乳児期について描写している──赤ちゃんが母親の胸で感じる安心のことである。そうした初期の確かさから、信頼し依存する能力が培われる──紆余曲折を経るにしても、人生における究極的な結果は良いものであるという信を持つ能力である。そのような信は、行動の心理的な基盤でもあるし、また、私たちの危険な失敗にもかかわらず神は将来の人類の生存を確実にしてくださるという宗教的な希望もしくは保証でもある。
カーター氏は本書の中でこう述べている。「ルカによる福音書18:8について最初にじっくり考えたときにびっくりしました。実際に次のように問いかけているからです。『人の子が来るとき、はたして地上に信仰を見いだすだろうか』と。この問いかけが、神への私たちの将来の信仰のことなのか、あるいは、お互いへの信や、生活のほとんどあらゆる様相を形作り導く原則への信のことなのかは分かりません。民主主義や自由、正義、平等、慈悲心といった道徳的な価値観は、宗教的な信仰なくして、はたして次の世代へと伝えることができるのでしょうか。そうであってほしいと思いますが、宗教的な信仰はそのように伝えられる可能性を高めるものと確信しています」

強固な基盤

人は、信じることのできる安定した強固な基盤を必要としている、とカーター氏は強調する。私たちを相互の信頼と理解のうちに結びつける共通の大義をつくり上げるのは、すべての人が共有するそうした必要性である。キリスト教徒にとって、そうした基盤は何世代にもわたってそのまま継承されてきた「十戒」である、と彼は考えている。しかし、俗世間では、そうした共有された基準の土台はより脆弱であり、それを維持するために必要な犠牲を行おうとする当初の熱意が時間と環境によって損なわれるにつれて崩れていく傾向がある。
例えば、永続的な平和へのインセンティブ(刺激)を創造するために第二次世界大戦の終わりに発表された世界人権宣言は、「世界の偉大な宗教の最高の道徳的、倫理的な理想」を含んでおり、「すべての国家の立法者と一般市民が理解することのできる世俗の言葉でその理想を表現しました」。そうした宗教的な理想とは、恐怖と欠乏からの人間の自由の基礎を形成し永続的な平和を保証する、社会的、経済的、政治的、文化的、市民的な諸権利である、と彼は書いている。
大統領在任中とそれ以降、カーター氏は自分の行動を導くためにこうした原則を活用しようと努めた。人権の領域での業績を称えて授けられた国連人権賞や、地球規模の大義に貢献した立役者を表彰するフーバー・メダルを含めて多数の賞を受賞したカーター氏は、「国際紛争の平和的解決策を見いだし、民主主義と人権を推進し、経済的、社会的な開発を促進するために、何十年にもわたってたゆまず努力した」という理由で2002年度のノーベル平和賞を受賞した。
しかし、カーター氏が大統領職を離れて以来、アメリカは世界のあちこちで絶えず戦争に関与してきた。一方、アメリカ国民は、戦争の経費についてはほとんど知らされず、世界平和の維持という大義には無関心になってしまった。さらに悪いことに、多くのアメリカ人は、選出された指導者と、真理や平等、善意といった絶対不変のものだと教えられてきた原則に対する信頼を失った、と彼は書いている。
もし私たちが信を失えば、信は回復されなければならないものになる。つまり、自分自身への信、他者への信、最高の理想を顕現させる私たちの能力への信である。カーター氏は、自省と想像力という人間の能力によって証明されている意識の進化を信じると記している。そうした認識を踏まえてこう書いている。核戦争と地球温暖化の可能性によって生存が脅かされており、私たち自身がこうした脅威の媒体であることが今や知られている、と。したがって、自己破壊から自分たちを救うことはできるのだという、自分自身への、お互いへの、そして神への信へと、回帰しなければならない。そうした善への信を飛躍的に高めなければならない。なぜなら未来は、お互いと、そして自然界と協力して働くようになる能力にかかっているからである。カーター氏は、世界人権宣言、十戒、コーランつまりイエスの教えにある原則を見返すことを
勧めている。それは正しい人間関係を回復させ、「……お互いへの信に基づいた、平和な共存関係の未来を進化させる」方法を明らかにするからである。

信への挑戦

「信への挑戦」という章で、カーター氏は戦争や人種差別、貧困と人権の動態、攻撃用武器、気候変動、政治や選挙に対する裕福な寄付者の過度の影響力などに関する自分自身の見解を記している。こうした課題はアメリカの民主主義の安定を脅かしている、と彼は書いている。彼はアメリカの強い軍事力を維持することを支持しているが、かつて大将であったドワイト・D・アイゼンハワー元大統領がアメリカの「軍産複合体」がアメリカの政治と外交政策において支配的な力になることについて発した警告にも触れている。カーター氏は世界の警察官としてのアメリカの役割について嘆いている。その主な理由は、次第に危機的になっている国内のニーズから資源を逸らすことになるからである。
キリスト教徒であるからといって平和主義者になることが要求されるわけではないとカーター氏は考えているが、シリアやアフガニスタン、イラク、イエメンでのアメリカの継続的な空爆は罪のない一般市民の死傷を引き起こし、人権のために尽くす平和国家であるというアメリカの主張と矛盾すると書いている。こうした攻撃的な行動はアメリカへの憎悪を助長し、テロに油を注ぐ、と彼は述べている。アメリカ政府は「自国民の間でも国際社会においても自由と人権の揺るぎない擁護者」として見られ得るし、見られるべきだという信念をカーター氏は抱いている。
カーター氏は、基本的な人間の必要は社会的、経済的、政治的な必須事項であり、イエス・キリストは、お互いとの関わり合い方やそうした必要を満たす方法を示すために神が遣わされた模範的な人物である、と個人的に信じている。イエスの熱心で敬虔な信者としての個人的生活についてのカーター氏の記述は、簡単で控え目であり、わずかに個人的である。この本の中に説教は全くない。むしろ、それはアメリカ南部の安定したキリスト教徒の家庭に生まれた人物との体験の共有である。彼は生涯にわたる探求と時おり抱いた疑念を通して神への信を持つようになり、助言者、友、案内人である人物の教えを本当に生きようと意識的に努めている。
イエス・キリストはいつも彼と共にあり、人間の形をとった神として自分の模範になっている、と彼は述べている。カーター氏にとって、信仰は名詞ではなく、動詞である──神への宗教的な信仰であるにせよ、あるいは共通の体験と必要を通した、お互いに対する世俗的な信であるにせよ、人生において前進していくにあたっての基本前提である。彼は聖書のヘブライ人への手紙11-1を引用している。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。……信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、したがって見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。私たちがやろうとすることは何であれ達成可能であるという信を持たなければならない──そうでないと、それを達成しようとさえしないだろう。
宗教ニュースサービスの記者、アデル・バンクス氏との2018年4月のインタビューで、カーター氏は未来に関する予測を次のように要約している。これはアメリカにも世界にも当てはまる。
「私たちにとっての次の本当の課題は、調和と相互信頼のうちに、そして意見を異にする人々への愛さえも抱きながら、お互いにいかに生きるかを学ぶ際に、キリスト教や他の宗教の原則をいかに応用するかについて学ぶことです。それは達成することが非常に難しい大きな課題ですが、私たちが今日直視する必要のある最も重要な課題です」
カーター氏は悪化しつつある自分の健康状態と前方にある旅路について書くときは楽天的である。彼は自分の現在の反応と、戦時中に死の可能性に直面した若い潜水艦将校としての反応を比較している。両方の場合に、生活上の多くの心配からの解放、結果を統御できないという事実の受容、日常生活の日課への集中がある、と彼は書いている。個人的には、イエスに対する強い信仰が彼に慰めと強さを与えている。カーター氏は基本的に楽観主義者であり、神が地上において最終的に優位な立場になると信じている。「私の信仰が、私の楽観主義への鍵なのです」と彼は述べている。

ジミー・カーター『信仰──すべての人の旅路(Faith: a journey for all)』サイモン&シュスター社、2018年、180ページ

 

若いメディア作成者に力を与える

ジェイソン・フランシスによる

マリエル・ライズマさんへのインタビュー

 

ヨーロッパ・ユース・プレス(EYP)は、ベルリンを本拠とするヨーロッパの若者のメディア団体の非営利の協会であり、若者に対してメディア教育や実地研修を提供している。EYPは、若者が「公正で独立した責任のあるメディアをつくり上げ、民主主義、国際開発、持続可能な未来を育むような」社会を目指して活動している、と団体のウェブサイトには書かれている。現在では、EYPには27の加盟団体があり、6万人を超える若いジャーナリストに影響を与えている。マリエル・ライズマ氏はEYPの理事であり、外部コミュニケーションを統括しており、EYPの機関誌「Orange Magazine」の編集長でもある。ジェイソン・フランシスが、本誌のために彼女にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):メディアにおいて若い人々の参加は、どのくらい大切でしょうか。

マリエル・ライズマ:まず第一に、これはバランスの問題です。すべての社会団体は、メディア・コンテンツの創造に関わるべきです。メディアの出力の試みがどの程度公平であっても、各団体は所属するジャーナリストの特定の見解を依然として持っています。このような見解は、どの話題を特集記事にするか、また記事の中で何に焦点を当てるかの選択に影響を与えます。社会団体の代表者は、その団体の関心事や、彼らが直面している課題や問題に対して、よリ敏感です。

若い人々の見解は、物事の成り立ちの歴史的理由に関して、社会観がより広く、メディア論理の理解がより発達している年長で経験豊富なジャーナリストの見解よりも優れています。若い人々は、思いも寄らない刺激的なアイディアや見解で、新鮮なエネルギーを持ち込みます。

人は関係を持つ誰かの目を通して世界を見ようとすることが多いため、バランスもまた大切です。したがって、メディアの設立に参加する若い人々は、自分たちが扱う主題や、自分たちが議論する疑問、問題、アイディアに、他の若い人々が興味を持てるように援助します。

若い人々が、読んだり見たりすることができ、良いメディア習慣を育めるような高品質なメディア・コンテンツを持つことは重要です。そのような習慣には、複数のソースから情報を確認すること、コンテンツに対する高い標準を持つこと、著者と共に考え、議論されている問題を分析することなどがあります。それはまた、コンテンツが高い標準に合致する限り、著者に同意しなくても、同意しないコンテンツを依然として読む勇気を持つことなどです。これは、若い人々が広い視野を持ち社会や世界で起こることを気にかけるような市民に成長できるようにするためです。若い人々が参加した良いメディア・コンテンツは、社会に貢献したいという気持ちを育て、その改善を助けられるようにします。それは、若い人々が他者に刺激を与える方法を見つける助けになります。

すべての人が、生涯のプロのジャーナリストになる必要はありませんが、若い時期にメディアに参加することは、若いジャーナリストが最終的にジャーナリストとなる機会を与えます。その長い経験は、熱望を持つ次世代のジャーナリストや、一般的にメディアに関心を持つ若い人に援助とアドバイスを提供するのです。

公正で責任のあるメディア

SI:EYPでは、どのような種類の教育や実地研修を提供していますか。

ライズマ: EYPは、独立した公正で責任あるメディアを発展させる能力を持てるようなトレーニング・プログラムやワークショップを、若いジャーナリストが利用できるようなプラットホームを目指しています。また、私たちのネットワークには多くの若い人たちが参加していて、彼らもメディア・トレーニングを提供することができ、そのようなトレーニングに興味を持つ団体に彼らを推薦しています。私もまた、活発にメディア・トレーニングを行っています。

さらにEYPは、加盟団体と共に多くのトレーニング・プログラムを企画しています。例えば、最近では、データ・ジャーナリズムとメディア・リテラシーに焦点を当てたプログラムを提供しました。このようなプログラムは、他国の同業者に会い、協力のための人脈や機会をつくり出し、仕事に適用できる新しい技術を学ぶ機会を提供します。

私は、特にEYPの機関紙「Orange Magazine」をご紹介したいと思います。ここでは、ヨーロッパのトップ・メディアの会議を特集しており、国際的な指導者とメディア界で出会い、人生が変わるような人脈をつくれる機会を若いジャーナリストに提供しています。

例えば、私たちの長年のパートナーであるドイチェ・ヴェレ(ドイツの国際放送局)が毎年主催している世界メディア・フォーラム(Global Media Forum)は、国際的なフィールドで最高のものから学ぶまたとない機会を提供します。

異文化間の理解を促進する

SI:あなた方の中東および北アフリカ委員会(Middle East and North Africa Committee=MENAC)の活動についてお話しいただけますか。

ライズマ:MENACはEYPのブログ・プラットホームであり、寄稿者はそれぞれの地域に関連した話題について、定期的に投稿しています。またMENACは、2015年から、ヨーロッパや中東、北アフリカ地域の若いジャーナリストやメディア設立者のためのプロジェクトやイベントの企画にも携わっています。

MENACは、メディア関連のプロジェクトやイベントを通して、異文化間の理解を促進し、ヨーロッパや中東、北アフリカの若いメディア設立者の持続可能なネットワークの強化を目指しています。MENACは、中東および北アフリカ地域の若い人の声がヨーロッパで聞かれるようにすること、両方の地域に関連した問題がメディアでより深い理解を得られるようにすることが使命だと考えています。MENACは、型にはまった思考を避け、多様性をより深く理解するだけではなく、異文化間の対話を奨励するなど、良いメディア慣行の意識を推進することを目指しています。

SI:人権支援や様々な背景を持つ人々の間で一体感をつくり上げる上で、メディアはどのような役割を持っているのでしょうか。そして、このような目的を、メディアはどのようにして最もうまく達成できるのでしょうか。

ライズマ:メディアは、社会で価値を創造し守ることに貢献するという基本的な役割を持っています。うまく機能する民主主義社会では、これは人権を保護し共通の基盤を提供することを意味します。メディアが社会の進歩を助けるという価値の姿を失うべきではないことは重要です。メディアは『4番目の権力』(政府の立法、行政、司法の各部門の次)であり、強調されたものに影響を与える能力を持っています。メディアは、気づかれなくなった主題に光を当て、それを最も必要としている人々に声を与えることができます。

すべての人が大切で受け入れられていると感じられるようにする上で、メディアは重要な役割を持っています。他の人があなたを気にかけていると、あなたが感じれば感じるほど、より気分が良くより安全に感じます。もしメディアが特定の価値に取り組み、このような価値に基づいてストーリーを創造すれば、メディアはこれらすべてをより良く行うことができると、私は思います。そして、このようにして、何としても注目する必要のある社会の特定の側面に光を当てることができます。

メディアの道具は注目です。注目は誰もが望むものです。もし別の背景を持つ人々がメディアで取り上げられ、彼らにとって重要な主題が注目を受けるなら、彼らは社会の重要な部分であると感じられることでしょう。

私は、個人的なストーリーが最も効果的だと思っています。なぜなら、私たちは多くの場合、記事に登場する人と共感しようとするからです。そのような個人的なストーリーは、その数によって強調され、一般的にならなければなりません。その良い例は、タイム誌の、シリア人の難民家族、タイマアとモハンマドのストーリー、「Finding Home」です。彼らには、亡命中にヘルムという娘が生まれました。このストーリーは多くの注目を集め、その中心にいる人々を無視したり軽視したりしていた問題について人道的な観点を提供しています。また、タイム誌は、ストーリーを語るために様々な媒体を使用しており、特にWhatsappというアプリケーションでのメッセージを視覚化しています。これにより、読者は直ちにストーリーに共感できます。

メディアには相当な権力があり、共感、平和、連帯感を重んじる社会に貢献するような方法でストーリーを報道する責任を持っています。将来は、価値を基盤としたジャーナリズムがさらに重要になると、私は信じています。

 

メディア・リテラシー

――鍵となる21世紀のスキル

SI:メディア・リテラシーとは何でしょうか。もしそれが大衆に欠けている場合、その結果はどのようなもので、EYPは、それをどのようにして高める活動をしていますか。

ライズマ:メディア・リテラシーとは、(マス)メディアに関して、それを利用し、発言し、批判的に評価し、創造し、参加する能力のことです。これらの能力は、21世紀の鍵となるスキルです。メディア・リテラシーは、正直で独立した責任感のあるメディアを支持する人々の世代をつくり出す助けとなります。なぜなら、その世代はそのようなメディアの価値を理解するからです。

もし、若い人々が、たとえ短期間であってもメディアに参加すれば、彼らは情報の検証手段に関して、ずっと詳しくなるでしょう。このことは、特にインターネットで受信した情報が健全な懐疑主義で見られる状況をつくる助けとなり、虚偽の情報の拡散を止めます。読者が教育され、メディア意識を持てば持つほど、彼らが真実だと確信できる情報だけを発信する機会が増えます。なぜなら、彼らは信頼できる情報源を見つける能力を持っているからです。

反対に、人々にメディア・リテラシーが欠けている場合には、社会で不信や疑念の雰囲気がつくられます。これは、誰を信頼するのかを決める機会が少なくなり、疑念を解消するために使える手段が少なくなることが理由です

EYPは、プロジェクトの企画や参加によって、メディア・リテラシーを高める活動をしています。例えば、メディアや政治に関心を持つ約8千人の若者がフランス、ストラスブールの欧州議会に集まった昨年のヨーロッパ・ユース・イベントに、EYPは参加しました。そこで、EYPは三つのセッションと一つのパネル・ディスカッションを企画しました。それに加えて、EYPは欧州議会と共に、11回目の、ヨーロッパで最大の若いジャーナリストのためのイベントの一つ、ユース・メディア・デイを企画しました。会議では、今度の欧州議会選挙や、メディア・リテラシー、虚偽情報と闘うことの重要性に焦点を当てました。さらに、問い合わせを受けた団体に対するトレーニング・プログラムを運営しました。

SI:アメリカの大統領は、ストーリーが彼や彼の政権に好意的ではないような場合に、メディアが「フェイク・ニュース」を製造しているとしばしば非難しています。この攻撃は、もし影響があるとしたら、ヨーロッパや世界中のフリーもしくは独立系のメディアに対して、どのような影響を与えているのでしょうか。

ライズマ: そうした攻撃は、主にメディアの評判に対して影響があります。ジャーナリズムの信頼が過去数十年間でかなり低下したので、現在では、メディアの評判は特に重要です。人々がジャーナリズムの信頼性を疑えば疑う程、社会で疑念が高まります。これは不信感をつくり出し、安心感を低下させます。メディアは、重要な主題を議論するフォーラムであり、もし人々がこのフォーラムの真面目さを信じなければ、彼らは議論に本格的に参加しようとはしないでしょう。これは、人々を社会から遠ざける方向にあります。健全な懐疑主義は大切ですが、信頼できる情報源に関しては、それでもその情報に信頼を置くべきなのです。

 

詳しくは次を参照:

youthpress.org および orangemagazine.eu

 

チャールズ・アイゼンシュタインが語る(第1部)

新しい物語と相互のつながり──政治的な行為
フェリシティ・エリオットによるインタビュー

チャールズ・アイゼンシュタイン氏の活動は、シェア・インターナショナル誌の読者にとってなじみ深いかもしれない。私たちは彼の記事をたくさん掲載してきたからである(*)。アイゼンシュタイン氏の最新刊『気候──新しい物語(Climate: A New Story)』は2018年9月に発行された。この書名でさえ、最近の思潮に挑戦を突きつけるものであり、解決策を見つけようとする際には視野を広げ、より大きな全体像を見る必要があるということを示唆している。フェリシティ・エリオットがスカイプを通して本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):チャールズ、あなたは最近、新しい本を出版されました。その書名は『気候──新しい物語』です。それについて何かおっしゃっていただけますか。
チャールズ・アイゼンシュタイン:その本が何についてのものなのかを描写するときはいつも、一瞬ためらってしまいます。その問題はすでに徹底的に研究されており、人々がその書名を聞くと、私が言おうとしていることを知っていると考えがちだからです。しかし、私が述べていることは多くの読者にとってなじみのないものでしょう。私は気候問題への取り組み方に関して大きなパラダイムシフト(枠組みの移行)を呼びかけているからです。このように問いかけてさえいます。気候は、世界で広がっている生態系の危機を脱する適切な枠組みになっているだろうか、と。
私の本は、生きている惑星という見方を進展させています。これは気候についての地質工学的な見方とは対照的なものです。生きた有機体として地球を見なければなりません。そうするとき、その回復力と活力を維持するために最も重要なことは、その諸器官の統合性を保つことです。この生きた存在の諸器官とは何でしょうか。そうですね、それは森林、湿地、土壌、生物多様性、様々な種、あらゆる生態系、食物連鎖の頂点捕食者、魚、クジラ、サンゴ、海草藻場、マングローブ、こうしたあらゆるものです。私が研究で知ったことは──それは直感として始まったのですが、私にとってますます明らかになりました──炭素排出量を一夜にしてゼロまで削減したとしても、生きた存在のこうした生きている部分を劣化させ続けるならば、生物圏は手に負えない状況に陥ったままだろうということです。生き生きとした統合性を保っているシステムを劣化させ続けるならば、気候の乱れを経験することになるでしょう。ひょっとしたら地球温暖化ではなく、地球寒冷化かもしれません。あるいは、平均気温が比較的安定していても、温度と降水量の恐ろしい変動が覆い隠されている場合もあります。それは気候のカオス(混沌)へとつながる可能性があります。

SI: それはすでに起こっているのではないでしょうか。
アイゼンシュタイン:確かにそのように見えます。この夏は、各地で記録的な高温となる一方、記録的な低温にもなりました。南半球では、記録的な低温になりました。気候変動の懐疑論者や否定論者はこうした低温地帯を特定します。例えば、アフリカ沖の異常な低温やグリーンランドの氷雪の増加に着目します。彼らはこう言います。「ご覧なさい、真実を隠そうとする陰謀があるのです。地球は温暖化しているのではなく、実際に寒冷化しています」と。そうすると、反対派は気温の上昇を強調し、気温の低下を無視します。
ところが、私はこう考えます。「皆さんは間違った議論をしていますよ。この議論が人間による熱帯雨林の破壊の継続を覆い隠している限り、どちらが正しいかは問題ではありません。私が出しゃばっているとすればすみませんが、この議論が続いている間も、熱帯雨林の広大な領域が破壊されているのです。この議論が続いている間も、ボルネオの熱帯雨林がほとんど完全に破壊されています。現在の気候モデルは、気候に対する生活の影響を過小評価するか、無視するか、あるいは説明することができません」
この本の主眼は、生きている惑星という見方にあります。この見方によれば、一定の実践や政策が本当に重要になります。第一の優先事項は、まだ残っているあらゆる原生林と、損傷を受けていない他のあらゆる生態系を保護することです。これらは地球の活力を貯蔵している貴重なものだからです。これは、地球に対するとても精妙で神秘的な機能を果たしている水循環の維持と生物多様性の保持に関して科学が説明できることを超越しています。例えば、道路によって寸断されたり割り込まれたりしなければ大陸全体に及ぶこともある広大な菌糸ネットワーク(**)については、私たちはやっと理解し始めているにすぎません。神経系と内分泌系が人体をまとまりのあるものにしているのと同様に、この広大な通信ネットワークは地球を一つに結びつけているのです。ですから、まだ残っているあらゆる手つかずの生態系を保護し保存する必要があります。第二に、損傷した生態系、特に農地を修復し再生させる必要があります。再生農業の範疇に分類される一連の実践があります。
「有機的」や「有機農業」という語の本来の意味を思い起こしたいと思います。なぜ有機と呼ばれるのでしょうか。化学では有機というのは炭素──炭素含有化合物──を意味します。それでは、炭素とは何でしょうか。炭素は土壌を生きた存在にするものです。土壌中のすべての生きた有機分子は炭素を基礎としています。化学肥料を用いた単一栽培で荒廃した農地を生き返らせたければ、土壌に焦点を当てる必要があります。あらゆる種類の持続型農業の実践、再生放牧の手法、アグロフォレストリー(樹間での家畜飼育)の実践があり、世界各地の先駆者によって開発されつつあります。それらはしばしば、伝統的な農法に由来します。こうした手法は常に土壌を気遣います。これが、原生林の保存に密接に関連している第二の優先事項です。

SI:あなたのお話を聞いているとき、他の支配的な構造についてずっと考えていました──政治、経済システムや、物の見方、価値体系といったものです。それらは地球や気候、生態系に非常に否定的な影響を及ぼします。利益という動機が多くの環境破壊を押し進めます。地球を回復させ救うために必要とされる緊急のシフトを達成するために、まるですべての構造が、あらゆるものが、すべて同時に変わらなければならないように見えます。
アイゼンシュタイン:全くそのとおりです。まさしく、すべてが同時に変わる必要があります。
あなたは経済と政治に言及されました。システムのすべてが資源の剥奪、自然界の採取や搾取を中心にして築かれています。非物質的なレベルでもそうであり、自分の外にある物質を単なる一般的な陽子や中性子、電子の集まりと見なします。
私は環境危機を一種のイニシエーション(参入儀式)と見なしたいと思います──人類とその他の生命との完全に異なった関係への参入です。私たちがいま話題にしているのは現代の文明化した人類の場合だと述べることにより、それを限定したいと思います。これは歴史的に見て人類にとって新しいことではありません。地球との非常に古い関係があるからです。

SI:現在の支配的な文明の土台にある疎外と分離についてあなたはよく認識しておられるということを、私はあなたの活動から知っておりますし、それは私たちの見方でもあります。
アイゼンシュタイン:そうした疎外の一つの様相は、物質と他のすべての生命を完全な存在ではないと見なすことです。自己の特質がなく、意識、知性がなく、完成へ向かって動こうとする欲求や目的や運命がないものと見なします。そうするともちろん、私たち自身のデザインや知性、目的をそれに押しつけたくなります。ですから、それは私たちのためにだけ存在することになります。そのような世界の物語がシステムの大半の、とりわけ経済システムの根底にあります。意識を変化させ、他の生命を劣化させるような生き方をしたくないと思っても、そうすることを経済システムがほとんど強いているのです。
それについて本書では一章を設けています。このことを扱っている『聖なる経済学(Sacred Economics)』という本も書きました。この本はおおむね、「もし貨幣システムや経済システムがすべてのいのちへの共創的な奉仕に沿ったものであるならば、それはどのようなものになるだろうか」と問いかけています。
ここで本当に、一つの種としても個人としても、私たちの目的が問われることになります。気候危機によって、私たちはなぜここにいるのか、という質問をすることを余儀なくされます。分離の物語、私たちがその中で生きてきた神話によると、あるレベルでは、ただ生き延びるためにここにいるのだということになります。つまり、遺伝子によって、生殖の自己利益を最大化するようにプログラムされている、などというのです。それは時代遅れの生物学ですが、その考えはいまだに出回っています。私たちがここにいるのは創造の主や達人になるため、自然界を超越するため、自然の力を利用するためだ、とも言われました。たぶんそれは、特定の発達段階にあっては、手引きとなる目的であったかもしれませんが、ほとんどの人の心にはもはや響きません。ですから、こう自問しなければなりません。「私たちの目的とは何か。そして、私たちはどのような世界に属したいのか」と。

SI:人々がよく「エアクォーツ」で「スピリチュアル(霊的)」という言葉を使うことに気づいておりましたか。まるで恥ずかしがっているかのように、あるいは、まるでスピリチュアリティー──物質的でないもの──を主張するのを皮肉な考え方が許そうとしないかのように。
アイゼンシュタイン:私も時々そうします。その理由は、二つの領域へのリアリティ(実在)の分離がそれ自体、問題の一部であると考えるからです。

SI:これを、連続したつながり──一つの状態から別の状態へと移行するもの──と見なすことはできないでしょうか。
アイゼンシュタイン:私たちは「スピリチュアル」という言葉を再生させることができると思います。問題は、その使い方によっては物質を低く評価することがあるということです。この言葉の有益な使い方は、定性的な領域──つまり、測定することができないもの──という観点からそれを見ることです。それによって、それは科学と区別されます。なぜなら科学は根本的に、測定することができるものに関する研究だからです。すべてのものが測定され得る──数値と一致する──という考えは、科学の根本的なイデオロギー(信念体系)の一つです。それは推論に基づいた証明不可能なイデオロギーです。その上、私たちは測定する能力を大幅に拡大させました。脳の電気化学的な状態を微細に測定することができるなら、愛を定義することさえできるはずだと考えてしまうでしょう。
私たちはまた、環境衛生をデータセットに置き換えようとしています。そうするための最も単純な方法は、今日の環境論考を支配するようになったものです──つまり、二酸化炭素レベルと気温のことです。私の考えでは、これは乱暴な単純化であり、地球の健康状態を示すあまりに多くのものが除外されてしまうため、この測定基準を低下させることを追求するという危険を冒してしまいます。言い換えれば、この測定基準によって健康を定義する一方で、測定の仕方を知らない、測定する手間をかけない、あるいは測定することのできない他のあらゆる健康の側面を無視しています。したがって、測定することのできないあらゆるものが除外されます。しかし、こうしたものこそ、戻ってきては私たちに付きまとうものなのです。例えば、「ああ、実際にクジラは大洋の健康にとって重要だ」と認識します。重要でないように見えるこうしたあらゆるものです。……しかし、私たちは今や、このようにして生命は機能しているのだということを理解し始めています──あらゆるものが他のあらゆるものと結びついており、それをデータセットへと単純化することは困難です。
したがって、データに基づいていることを誇りにする政策機構があれば、結局は非常に多くのものを除外してしまうでしょう。とりわけ、科学と測定を超越した、知るための他の方法に由来する知恵を除外してしまうでしょう。この中には、知るためのいわゆるスピリチュアルな方法だけでなく、あらゆる身近な知恵も含まれます。何世代にもわたって土地に慣れ親しんで働いてきた人々は、科学的な理解と一致することもあれば一致しないこともある理解を携えています。こうした知るための他の方法を集合的な意思決定に持ち込む必要があると思います。

SI:あなたが『民衆の新しい物語(A new story of the people)』で言われた次のことについて説明してくださるようお願いします。「相互のつながりや相互の存在についての理解から来るあらゆる行為は、霊的な行為でもあり政治的な行為でもある。異なった物語に基づいて行動することにより、私たちの神話の心理的な下部構造を分断させ、代替手段を提供することになる。これは極めて実際的なことであり、古い物語に当てはまらない経験を誰かに提供するとき、その古い物語を弱体化させることになる」
アイゼンシュタイン:世界を破壊するマシン(機械)の土台がいかに深く根差しているかを認識するとき、政治的な行為と見なされるものの領域を広げることになります。ただ単に賢い人たちが集まってより良いシステムを発明するという問題であれば、こうした深いレベルの変化を起こす必要はないでしょう。しかし、基本的な人生経験と世界観が、世界を破壊するマシンを支える物語の一部であることを理解するとき、世界での経験や人生経験、すべてのものの基礎となる基本的な物語や意味、知覚のレベルで行動するように求められます。
物事を変えようとするシステムのレベルの活動に従事すべきではないと言っているのではありません。……しかし、ホリスティック(全体的)な見方をするとき、私たちは次のことを理解します。つまり、社会の最も脆弱な人々への対処の仕方は、地上で最も脆弱な存在への対処の仕方の本質的部分だということです。誰かを退け、「除け者」にし、食い物にする基本的な精神構造は人間や他の存在に当てはまる、ということを私たちは理解しています。そうすれば、社会運動や環境運動を統合させることができます。そして、それらが同じ移行の一部だということを悟ります。この態度を個人的なレベルに、人間関係に広げることができます。例えば、もし私が、世界を救おうとする運動において家族を無視するなら、何らかの大きな抽象的理想のために心(ハート)が呼びかけることを無視する領域を強化する世界を創造していることになります。さらに、ある場所で起こるどんな変化でも、同じ変化がどこかでもっと起こり易いようにする変化の場を創造するという形態共鳴の原因を受け入れるなら……。

SI:あなたはルパート・シェルドレイクの仕事のことをおっしゃっているのですね。
アイゼンシュタイン:はい。したがって、どんな親切な行為でも、親切さの場を生み出すことになります。つまり、古い物語、分離の物語について話すとき、その一部は次のような人生経験と精神構造になります。「誰もが自分のことしか考えていないので、私は自分自身の安全、自分自身の力、世の中に対する自分自身の支配力を最大化すべきだろう。ここは友好的な世界ではないから。ここは敵意に満ちた世界、よくても、無関心な世界である。すべての人が分離していて、それぞれの人が自分のためにそこにいる」。その精神構造を、例えば、移民や地政学、あるいは戦争に当てはめるとき、何が起こるかを考えてみてください。すぐさま人々をドローンで撮影し、彼らの国から資源を奪い、彼らがそこにそれ以上住むことができなくなって移住したいと思うようになると、壁を建設し、彼らを阻止しようとします。すべてのことが、この分離という基本的な知覚から生じています。ですから、私たちはその古い物語から逸脱した歩みを進めていくことができます。あらゆる交流において、その物語に逆行する経験を人々に提供することができます──そうした経験によると、ここは敵意に満ちた宇宙ではないということになります。すべての人が自分のためにこの宇宙にいるというのは真実ではないのです。そうした経験によると、「私たちはここに一緒にいて」、宇宙は愛と寛容に基づいて動いています。私はここで自分自身のことを語りたいと思います。寛容さや無条件の愛を目撃したり体験したりするときはいつも、私は寛いだ気持ちになり、同じことをしたくなります。そして、もし十分に多くの人がそのようにするなら、分離のあらゆるシステムの土台が崩れ始めます。

(*) シェア・インターナショナル誌2015年8月号、2014年3月号、2016年12月号参照。

(**) 菌類のネットワーク──樹木を含むあらゆる大きさと種類の植物が意思を疎通させ、栄養素を獲得し分配するための連結した構造だと考えられる。より詳しい情報については、charleseisenstein.orgをご覧ください。

 

ジェレミー・レント氏との会話

ジェレミー・レント氏との会話
意味とつながりの探求(第2部)
フェリシティ・エリオットによるインタビュー

第1部において、作家であり非営利の「リオロジー研究所」の創設者であるジェレミー・レント氏は、分離の瞬間がいかに文明の形に影響を与えてきたか、そして人類はいかに反応し、人類そのものや人類と自然との関係を規定してきたかを見てきた(シェア・インターナショナル誌2018年11月号参照)。このフェリシティ・エリオットとの会話の第2部において、レント氏は新しい持続可能な未来のビジョンの概略を描いている。

シェア・インターナショナル(以下SI):多くの人が意味を探しています。世界は決定的に重要な時点にあるようです。私たちは何を受け入れる必要があり、何を拒む必要があると思いますか。明らかに、何らかの大きな集団的決断を下す必要があるようですが。
ジェレミー・レント:確かにそうです。意味についての、時間の経過を伴う考察方法の一つとして、世代を超えたつながりがあります。私たちの価値観は前の世代の思考過程と文化遺産から生じています。私たちは未来の世代に残す世界について非常に気を配る必要があるし、また、過去からの遺産についても認識する必要があります。私は人々に「文化のマインドフルネス」の感覚を培うよう勧めています。マインドフルネスの概念はよく知られています。それは心の中にあるアイディアを見つめますが、それについて判断しないことです──それにとらわれる必要がないことをただ認識し、そうすることによって、自分自身のアイデンティティーについてのもっと包括的な感覚を培い、知恵へと向かう道筋をつけることができます。「文化のマインドフルネス」とは、私たちが世界を理解する際に手助けとなる、文化の中にある同じものを再認識することです。

ジェレミー氏は大量消費主義を認識することについて話した。何を買い所有すべきかについてのほのめかしは、警戒を怠り文化のマインドフルネスを培っていなければ私たちの見方を形づくることがあるという。私たちの考え方を形づくるあらゆるメディアのほのめかしに気づいていれば、こうした基本前提らしきものを疑問視することができるようになるだろう。

レント:別の世界観を培うことや、文明の方向性と人類の成長にもっと有益な形で関わる者となるようにその世界観をある程度変えていくことは可能です。私たちすべてを破壊へと導いているグローバルな経済システムの中で暮らしていることを認識する必要があります。それは株主の利益を最大にすること以外は何もしないという意図をもって形成された多国籍企業の力の増大に伴って発展してきました。そのシステムがこうしたことをする際には、地球を消費し、私たちの心を虚ろにすることによって人間自身をゾンビのような消費者に変えます。子供の時からのありとあらゆるメッセージを通して私たちをプログラム化された消費用オートマトン(自動装置)へと変えるのです。

SI:あらゆる看板、広告、掲示板によって攻めたてられないのはほとんど不可能です。私たちはそれに浸かっており、それは現代の消費者中心の大衆文化の基調になっています。
レント:そのとおりです。インターネットは言うまでもなく、コンピューターの画面をのぞくたびに広告が現れます。何らかの方法で投票したり何らかのサイトを選んだりすれば、どのような好みを持っているかを小さなスクリーンが教えてくれます。そして、こうしたすべてのことが、これらの巨大企業をもっと儲けさせ、少数の億万長者をもっと裕福にするためにエネルギー ──生命エネルギー ──を費やしている生き物へと私たちを変えています。こうしたものがシステムにほかならないという事実に目覚めなければなりません。こうした構造を支配している悪徳の天才がいるというわけではありません。そうした構造は人々によってつくられたものであり、それが私たちや地球を消費し尽くしているのです。

SI:もう一つの大きな問題は、これが起きているスピードです。地球をご覧になってください。
レント:そうですね、それは文明の崩壊へとつながるような速度です。私たち一人ひとりがこのことを認識するとき、それはいのちへと向かう力強い原動力、崩壊に立ち向かう方法を見つける原動力となります。

SI:虚ろな顔の人々が暇な時間を買い物に、ゾンビのように店から店へとぶらぶら歩くのに費やしていることに衝撃を受けます。私たちは自分たちがそうなることを許してしまいました。もちろん、私たちはかなりの程度、加担しています。商業至上主義の最も陰湿な影響の一つは、次から次へと現れる広告で送り出される考え方です。それは、「私たちはそれに値するから」あれこれの製品を買うべきだと告げます。まるでその製品が私たちの価値、私たちの値打ちであるかのように。そのようにして私たちは規定されます。同時に、現在は実際に、古くて「より粗野な」尺度である量から、質という、もっと洗練された基準へと移行している瞬間であるように思えます。質には、「どのくらい多いか」「どのくらい大きいか」「どれだけ多く入手できるか」といった粗野な形よりも、もっと精妙でもっと持続可能なアプローチが関係してくるはずです。
レント:そのようなわけで、私は大量消費の成長志向型社会に代わるものについて話すことを好むのです。人々は脱成長について語ります。そうした運動は良い方向に進んでいる一方で、それがどれだけ成功するか私は確信が持てません。私がより好むのは、量よりも生活の質という観点から成長について論じることです。豊かな世界では、私たちの多くは、生活の量という観点からは必要以上に多く所有していますが、質という観点からは必要とするものより所有するものははるかに少ないのが現状です。いったんこのことを認識すれば、そして生活の中で物の量を減らしていけば、生活の質をさらに高めていく能力を得ることになります。このことを理解するとき、それは全く新しい物事の理解の仕方へと発展し、誰と、どのように、何と関係するかに関して非常に異なった選択をすることにつながります。

SI:あなたはこうした認識を関わり方や関係に結びつけておられますね。相互につながり合っているという経験の増加について私たちは話し合いました。私たちは新しい関係の仕方へと──共有のものへと、グループへと──現在感知されているよりもおそらくはるかに速く移行しているように思えます。しかも、それは私たちの優先順位の新しい基盤となっています。

ジェレミー氏は、いかに私たちが世界での在り方を変える必要があるかについて詳しく述べた。彼は三つのレベルでのつながりについて話した。最初は、中心的価値観を認めることによる、自分自身の中でのつながりである。二つ目は地域社会の中でのつながりであり、三つは全世界的なつながりに関係する。言い換えれば、ただ単に在ることができるように時間をとることである──スマートフォンやソーシャルメディアなどによって気が散るということがないようにしながら。さらに、家族であれ、友人であれ、近所の人たちであれ、あるいは社会の福祉と回復に役立つ地域社会の活動であれ、グループに完全に参加し貢献することである。地球的規模でも、私たちは活動的になり関与していく必要がある。

レント:新聞の見出しやテレビで大きな世界的勢力、破壊へと向かう運動について読んだり見たりします。それが起こるのをただ傍観することはできません。人類の未来を決定するのは、私たちが個人として、組織や地域社会の一員として下す決断であることを認めることが大切です。これは深い世界的、政治的なつながりの感覚です。そうした三つの次元の一つに注目を向けることができれば、人類の未来を変える可能性を手にします。

SI:私たちは転換を行う必要について、世界を変容させることができるように選択肢を認識する必要について話しています。私たちは崩壊を望まないが、急激な変化を望んでいるとあなたはおっしゃいました。価値観の転換の必要を理解する十分な数の人がいるかどうか、私を含めて多くの人が疑問に思っています。変化を起こすための十分な時間があり、十分な人々がいるのでしょうか。
レント:あなたは最も重要な問題の幾つかを提起されていますね。「十分」ということについて考えてみましょう。どのくらい多くの人が「十分」なのでしょうか。私の著書『パターン化する本能』の終わりの方で、エリカ・チェノウェス※(リンク参照)という人が行った非常に興味深い研究に言及しています。社会の変化と、少数の者の手からより大きな社会への権力の移行につながった、前世紀の社会運動を彼女は分析しました。鍵となる二つの要因が浮かび上がりました。第一に、最も成功した運動は非暴力運動であったということです。このことについては多くの理由があるようです。彼女たちが見いだした第二の点は、これは非常に重要なことですが、人口の3.5%以上が運動に本気で取り組むようになったとき、その運動は別の段階へと発展し、それを引き止めようとしたどんな権力をもひっくり返してしまったということです。

SI:それほど少数の人々によって臨界点に達したのですか。
レント:はい。考えてみれば、3.5%というのは比較的小さい数値のように聞こえます。本気で取り組むということについて考えてみても、そこに至るまでにはまだ遠い道のりを行かなければならないように感じます。およそ3億5,000万の人口がいるアメリカを例にとれば、3.5%は1,000万人を少し超えるくらいです。ほんの数年前、COP21というパリでの環境サミットの前、国連がその会議を開催している間、ニューヨークで約40万人が参加する大規模なデモ行進がありました。その行進はとてつもない影響を及ぼしました。国連と(気候に関する協定を結ぼうとする努力を主導していた)クリスティアナ・フィゲレス氏はこう言いました。「こうしたすべての人が行進しているのを見たとき、私たちは追い風を受けていることを知りました。私たちは変化を起こそうとしていることを知りました」と。ですから、40万人が1,000万人になることを想像してみてください。そのような取り組みの度合いが20倍になるのです。そして、1,000万人が本気になって行進し、この国[アメリカ]の真の変化を平和的に求めているのを想像し、それを世界の他の地域に当てはめてみてください。そうすれば、私たちが今いる次元よりもはるかに大きな次元で状況を見ることになりますが、それこそが、目標としている変化のために必要とされるものだと思います。

SI:あなたがたった今話してくださったエリカ・チェノウェス氏のこの研究は、とてつもなく鼓舞してくれるものです。それは社会のあらゆる領域で、あらゆるレベルで動員される民衆の力ですね。人々は大衆運動の持続的な効果について非常に容易に懐疑的になるか、あるいは個々の人間としての自分の力不足に条件づけられているように感じるため、集団による協調的な努力がいかに大きな効果を持ち得るかを見誤ります。「私は一人にすぎない。強大な権力を前にして何ができるだろうか」という疑問をよく耳にします。しかし、あなたが言及された研究から判断すると、現実は私たちが認識するよりもはるかにダイナミックで肯定的なようです。
レント:はい、それが民衆の力です。不思議なことに、この調査について知ると、「私たちは決してそこ[1,000万人]まで到達しない」と考えて、絶望し始めるかもしれません。しかし、それによって私は、この変化を分析する別の方法に導かれます。これは非常に価値のあるモデルだと思います。本の中でもそれについて述べました。それは「変化の適応周期理論」と呼ばれています。それは複雑なシステムの中でいかにして変化が起こるかを理解する体系です。

ジェレミー氏は一つのシステムの異なった段階について説明した。成長の段階つまり再編成、第二に搾取と急速な成長の段階、それから固定化あるいは保存の段階、最後に最終的な「解放」の段階である。この段階ではすべてのものがもろくなり、崩壊や突然の変化が引き起こされることがある──株式市場の崩壊や森林で起こっている火災のように。解放の段階は以前に築き上げられたものを解体させる。そして最終的に、解放の段階の後に再生の段階が来る。以前の段階では決して可能でなかったものが突然、次に来るものを形作ることがある。これは肯定的にも否定的にもなり得る。例えば、1930年代に第一次世界大戦後の経済崩壊後のヨーロッパでは、その段階においてヒトラーやムッソリーニのような人々が権力の座につくことができた。同じように、それは新しいアイディアが花開き、急速に広がり得る肯定的な期間につながることもある。

レント:たった今、私たちは現代文明の解放の段階の最終局面にいると考えています。時間との競争に似ています。最初に経済全体が崩壊してしまえば、それを再建することはできないでしょう。何千年にもわたって発展してきた構造を失うことになるでしょう。それは破滅的状況となるでしょう。再び疑問が生じます。そうしたすべてのものが崩壊する前に、グローバルな経済的、物質的システムがどこに行くかを方向づけるほど十分速く、私たちは認知体系を、世界を理解する方法を変えることができるでしょうか。私はこれを、私たちの時代が直面している中心的な疑問だと見なします。この根本的な移行は、この巨大な「国家という船」の方向を変えるほど十分速く、私たちの文化的な価値観において起こるでしょうか。

SI:最近は資本主義の崩壊、新自由主義の価値観と体系の排除がよく話題に上っています。あなたは1930年代について話されていました。今や、そのことは非常に興味深い点です。1930年代とちょうど同じように、私たちはファシズムの盛り上がりを目にしているからです。それが政治的な観点からのものであれ、あるいは大量消費主義が原動力となった経済的なファシズムとしてであれ、私たちは今、再びそれを目にしています。あなたはそれをどのように見るでしょうか。
レント:私たちはまさしくその時点にいると思います。大規模に解き明かされる時期です。極右であれ、ファシズム的な考えであれ、あるいは本当に再生した未来であれ──これらは社会に不満を抱く人々が引き寄せられるアイディアです。そのようなわけで、いのちのために、人間と自然の繁栄のために苦闘している私たちすべてにとって、民衆がわくわくし鼓舞されるように、そして自分自身の人生を未来のためのこの闘争の中へと入り込ませるように、こうしたアイディアを可能な限り関連した方法で提示していくことが義務となります。ここで決定的に重要なことは、文明がどのような形を取り得るかについてのビジョンを提示することです。そのようなわけで、私はあの「2050年の世界のビジョン」というビデオ〔「大いなる変容、つまり私たちはいかにして(かろうじて)気候災害を回避したのか」〕をウェブサイトに掲載したのです。私は「エコロジカル(生態系)文明」と呼ばれるものにますます胸を躍らせるようになっています──これは現在の文明の基盤となっているものとは異なった一連の原則に基づく文明の概念です。現在の文明は資源の搾取や、がんの増殖のような成長を基盤としています。最後にはすべてを破壊してしまうまでひたすら成長を続けます。それはいのちそのものの破壊に基づいています。それは富と株主の利益をつくり出すために人類や自然界からいのちを吸い取っています。しかし、エコロジカル文明はいのちや相互のつながり、統合、回復といった原則に基づくでしょう。そこでは、人間がお互い同士、そして自然界と共に持続可能な方法で繁栄することが、制度の組織の仕方、お互いとの取り引きの仕方、科学技術の発展の仕方、自然界との関係の仕方、食べ物のとり方などの基盤となるでしょう。こうしたものすべてが、根本的に異なった一連の原則と構造に基づくでしょう。わくわくするのは、こうしたすべての思考過程がすでにそこにあるということです。発明しなければならないというわけではありません。世界中で聡明な人々が寄り集まり、その出現しつつある未来の中へ入って実際に生きようとしています。彼らは、私たちがその未来のエコロジカル文明のために必要とすることを実践しています。誰が言ったのか分かりませんが、次の言葉は素晴らしいです。「未来はすでにここにある。まだよく広まっていないだけだ」というものです。その素晴らしいアイディア、新しいテクノロジーなどについて知り、それを新しいタイプのエコロジカル文明へと組み込むことが必要です。

SI:そして、そうした価値観を新しい構造の中心に据えることですね。新しい堅固な国連について、そして地球を守り、地球を全く神聖なものとして認めさせるための法律を施行し尊重する必要について話されたことを本当にありがたく思います。そして私の考えでは、私たちは礎を、いのちのための諸権利の法案を、人間生命のための規約を制定しなければなりませんね。
レント:まさしくそのとおりです。人類の偉大な達成の一つは国連の世界人権宣言です。それは第二次世界大戦の荒廃の後で策定されました。これは国際社会としての私たちの価値体系の基盤です。私たちは今、合意された優先事項の根本的で確立された部分として、自然界の諸権利についての同じようなものを必要としています。

SI:さらに、完全な人間になる権利も認識する必要がありますね。私たちはまるで、自分自身の半分でしかないような、不完全で、半分空になっているかのようだからです。
レント:全くそのとおりです。

SI:先見の明のある多くの作家や思想家を通して、私たちは物質主義と商業至上主義の影響について認識しています。今日の大量消費主義の優先事項のために、私たちは半分の人間として存在しています。人々が空虚さを感じると言うのももっともです。完全な人間の現実と権利を保障する新しい国連規約を待ち望んでいます。それは霊的な、つまり高位の意識の様相も含めて、人間全体を認識します。それは私たちが集団として解決するものとなるでしょう。その完全な人間とはどういうものかを定義するだけでなく、私たちが一部である他のすべてのシステムのいのちと権利を認知することにもなるでしょう。
レント:同じ意見です。そうです。あなたは素晴らしいビジョンを提示していると思います。そして、さらにもう一歩踏み出して、次のことを理解すべきです。つまり、あなたが描写したような方法で完全な人間になるということは、私たちのアイデンティティーは個別の有機体と共には終わらないことを認識するということです。それが私たち自身の個性と共に終わることはありません。それはヒッピー後の時代の「自分自身の成就」のような考え方ではありません。実際のところ、それが意味するのは、自分自身を本当に成就するとは、地域社会の中での、国際社会との、自然界との、自然界の中でのつながりを成就し、私たちがこの巨大なシステムの一部であることを理解するということです。本当に自分自身を成就することとは、自由意志論者のやり方で他者を犠牲にして自分のために何かをすることではなく、非常に広いアイデンティティーの感覚の一部となり、その感覚を経験することです。※ericachenoweth.comエリカ・チェノウェス/マリア・ステファン『なぜ市民の抵抗は機能するのか──非暴力闘争の戦略的論理(Why Civil Resistance Works: The Strategic Logic of Nonviolent Conflict)』(テロおよび非正規戦に関するコロンビア大学の研究シリーズ)ジェレミー・レント『パターン化する本能──意味を求めての人類の探求の文化史(The Patterning Instinct──A Cultural History of Humanity’s Search for Meaning)』www.jeremylent.com

ジェレミー・レント氏による声明
私たちがこの会話を行ってからも、私たちすべてを待つ劇的な変化に向けて世界は速やかに進み続けた。非常に顕著だと私が考える主要な部分の幾つかは次のとおりである。■ 世界自然保護基金(WWF)によると、1970年以降、世界中で人類は今や、哺乳類や鳥類、魚類、爬虫類の60%を絶滅させた。■ 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、取り返しのつかないほどの増幅したフィードバック(反動)につながる気候の臨界点を避けるためには、12年しか残されていないと警告した。■ ブラジルの大統領に選出されたジャイル・ボルソナロ氏は、パリ協定から脱退し、探鉱と単一栽培によるアマゾンの荒廃を倍増させることを明言している。■ アメリカでは民主党が下院を奪還し、進歩的なアレクサンドリア・オカシオ・コルテス氏は2020年の民主党綱領に向けて急進的なグリーン・ニューディール政策を提案している。これによってアメリカは、洞察力のある気候問題のリーダーとして認知される可能性がある。■ 新たに創設された「エクスティンクション・リベリオン(絶滅への抵抗)」は、ロンドンで五つの橋を封鎖することによる直接行動と市民の不服従という戦略を打ち出した。未来は、私たちが自ら集団的に創造するものだということが、今日ほど真実であったことはない。混乱がますます大きくなっていく期間は必然的に、文化的、政治的、経済的なシステムの大規模な変化につながるだろう。私は最近の記事でこう書いた。「現在のシステムが今後数年後に崩壊し始めるとき、世界中のますます多くの人は、根本的に異なった選択肢が必要だということを認識するようになるだろう。偏見と恐怖に基づいた運動に向かうのか、あるいは、人類のためのより良い未来のビジョンに加わるかどうかは、人々が入手できるアイディアにかなりの程度依存している。この定期刊行物を読むすべての人は、私たちが将来世代のために繁栄という遺産を残すのか、あるいは死という遺産を残すのかどうかに関する人類の集団的な決定において、果たすべき役割を担っている。賞金がこれほど高くなったことはかつてない。

ジェレミー・レント

 

フランスのコンタクティー、ピエール・モネ氏

分割した世界への緊急のメッセージ
ゲラード・アートセン

自らの世界の終わりを感じて、舞台の背後にいる権力屋たちは、人類の間に分割を生み出すためにあらゆることをしている。そして日々のニュースが示すように、今日政治指導者たちは入札を続けている。なぜなら彼らには、未来への唯一の持続可能なビジョン──普遍的自由と正義の創造を通して一体性を顕現すること──が欠けているからである。

拙著『転換期にある惑星――いかに正義と自由は実現されるのか』(大堤直人訳、アルク)で詳しく述べたように、宇宙からの訪問者は、1950年代の核開発時代以来、人類の分離的傾向と世界的滅亡への可能性への懸念を寛容に共有してきた。
ジョージ・アダムスキーは他の惑星の人々との出会いと彼らの緊急のメッセージについて公に話した最初の人物であったが、既得権者たちによる徹底した人格攻撃によって、彼の業績は歴史の周辺に追いやられた。しかし、真剣な調査は続いており、彼の主張と使命を回復させる努力は行われている。1998年には英国の作家ティモシー・グッドによる『エイリアン・ベース』が出版され、レネ・エリック・オルセンによる最近の調査『ジョージ・アダムスキー物語』、ミシェル・ザーガーによる『ジョージ・アダムスキー事件の検証』が共に今年の夏に出版された。
ベンジャミン・クレームが、ジョージ・アダムスキーの主張に加えて、『光の勢力は集合する』の中で示しているように、宇宙人にはこの惑星で「宇宙の兄弟たちの現実を世界に知らせるための」人々がいる。私たちに知られているのは、バック・ネルソン、トルーマン・ベサラム、ダニエル・フライ、ハワード・メンガーのような人々であり、彼らはアダムスキーのようなアメリカ人で、おそらく当時と今の世界情勢の中でアメリカにおいて重要な役割を与えられていた。
ブラジルの物理学者アラディノ・フェリックス(通称ディノ・クラスペドン)、カナダ政府の研究者ウィルバート・スミス、そしてスイスの農家エドワルド・ビリー・マイヤーを除けば、他のアメリカ以外の1950年代のコンタクティーたちは、「イタリア・フレンドシップ事件」を通してごく最近になって知られたにすぎない。その中には外交官アルベルト・プレゴ、心理学者ブルーノ・サマチッカ、そしてステファノ・ブレッカ教授も含まれる。
今でもほとんど知られていない名前は、ピエール・モネというフランスの徴集兵で、彼の最初の接触体験は1951年、アヴィニヨン近くのクーテゾンで起こった。彼の二つの著書『宇宙人が私に語ったこと』(1978年)と『宇宙からの接触者』(1994年)はいずれも英語には翻訳されず、スペイン、ポルトガル、オランダでのみ読まれている。モネ氏の話が広く知られていない理由はそのことにあると思われる。その本の中で、彼は7月のある夜、クーテゾンからオレンジ近くにある彼の家まで帰る途中で、同じ道沿いにある、オレンジから3、4キロ離れた石切り場に「テレポートされた」様子を述べている。バイクを押して岩場を歩きながら、彼はあたかも青白い銀色の光を発するレンズ状の円盤に導かれたようであった。他のコンタクティーの描写を思わせるが、「その円盤の『鉄』は物質で同時に非物質であるように見えた。少なくとも内部に絶えず動いている原子構造があるようだった。ほとんど生きているもののようだった。それは印象的で、美しく同時に当惑させるものだった」。
モネ氏が、近くの交通の音も全く聞こえない完全な沈黙を体験したと述べるとき、彼は肉体の外にいたのだと想像するのは困難ではない。「この完全な沈黙は、あたかも私が釣鐘状のガラスの下にいて、完全に外部の世界から隔離されているような印象を与えた。私には自分の呼吸音と鼓動と脈動の音のみが聞こえた」。宇宙船に近づいて歩いていると、彼は自分が見たものに興奮し、その前に立っている人間のようで同時に地上離れした存在を見過ごすところだった。彼はその存在が彼と「テレパシー的な交流のプロセスで」彼と交信しようとし始めたと述べる。彼らはそれを「全く自然で常に存在してきた方法だが、人類は普遍的な法則を見失うにつれてそれを失った」と述べた。
日々の旅程の開始地点に戻ったとき、彼は自分の時計と街の時計を見て、彼の体験の間物理的な時間が経過していなかったことに気づいた。しかし彼は自分が与えられた情報とメッセージを、その意味を伝えるのにふさわしい言葉に「翻訳する」ために長い年月を要した。遂に、1978年に彼は最初の著書を出版し、1979年から1981年までの間に多くの講演会への招待を受けた。
1974年に彼は再び宇宙人と接触するようになった。彼らはこう述べた。「私たちはあなた方の間におり、あなた方の間で行動しているが、あなた方はそのことを知らない」。世界中で70万人がコンタクトしていると彼は告げられた。本物の「コンタクティー」と思われる人々の体験を確認すると、モネ氏は次のように告げられた。「愛の法則に従うことのみが真の生活に導くという私たちの確信のために、私たちはあなた方よりもはるかに進歩してきました。しかし、私たちもまた状況の求めに応じて振舞いを適応させなければなりません。しかし私たちはそれを行い、過去の間違いから学んでいます。自由意志の法則を侵害することなく、このことを私たちはあなた方に教えます」
宇宙の訪問者たちは人類の歴史における現在の重要性を示唆した。「天地の動きに従って、私たちは間もなくアクエリアスの時代と天文学者が呼ぶものに入り、そこでは数千年にわたって地上における智恵の進化が頂点に達するでしょう。このことが可能になるのは、人間が個人としての自己ではなく全体としての社会とより同一化するようになることによってです。来るべき世紀に、人間は知的、霊的、心理的、科学的、技術的分野において必要な変化のための明確な指導を受けるでしょう。人間はこれらの指導を受け入れることも拒絶することも自由です」
実際、モネ氏の接触は、宇宙の兄弟たちが教師の帰還のための霊的基盤をつくることに関わっていることを示すように思われる。ベンジャミン・クレームによれば、「歴史を通じて、霊的に進化した人々が、宇宙人との接触によって、人間に自然と宇宙と調和して生きるための法則と価値観を教える公的なメッセンジャーの到来に向けて人類を準備してきた」。
ジョージ・アダムスキーは繰り返し、私たち全員が個人的により良い世界をつくる責任を持っていると述べてきたが、ピエール・モネ氏も同じことを伝えている。「もし私たちが自らの行動を自発的に変えるならば、私たちは輝かしい未来に入り、そこでは攻撃、憎悪、死はもはや存在しない。私の宇宙人たちが言うように、『憎むことをやめ、強く愛し合いなさい』。しかし、この知恵は各人が個人的に内的に苦闘することを通じてのみ手に入れることができる。すべての人間が全人類に責任を持つという事実に目覚め、恐ろしい出来事が起こるのはそれぞれの個人の行動の反映であることを自覚する必要がある。どんな行為もどんな思考も消すことはできない。各人の発するすべての思考は、憎しみか愛、幸福か不幸、生か死を生み出す」
「愛は生きることができるのみである! 愛は放射を通じて可視化する。愛は自己を忘れ、自己を他者に完全に与える。愛することは易しく同時に困難である。人が自己の内部を深く見つめ、自己に直面するならば、それはやさしい。そうすれば、人は自己を、私たちを囲い、自由に呼吸し愛に生きることを許さない行動や思考の沼地から抜け出させることができる。しかし努力を怠るならばそれは難しい。朝起きて仕事に行き、出会う人々すべてに敵対的な目を向け、邪魔な運転手に叫び、妻にストレスをぶつけるなどすること以上のものがあるのだということを見たくないのなら、それは難しい」
世界教師の出現のために活動している人々と同じように、宇宙の兄弟たちのメッセージを広める活動を長年行っている多くの人々に負担が強いられることについて、訪問者たちはこう促している。「愛の法則を真に理解する栄誉を享受しているあなた方に、私たちは次のことを求める。
忍耐を失わず、愛が何であるかを示し続け、あなたの生活のあらゆる瞬間に無限の愛を与えなさい。なぜなら間もなく人間の心は変わり、あなた方は報われることになるからです。あなたが与えた愛は何百倍にもなって戻って来るでしょう」
そして、物質的価値観──商業主義──への絶え間ない強調の必然的な結果としてのファシズムの台頭と共に、地球自体が危機を迎える中で、宇宙の兄弟たちのこれらの言葉は、人類の歴史の分岐点で特に緊急性を持っている。私たちは分離と憎しみを生む政策に明確かつ積極的に反対しなければならない。「私たちはあなた方を助けるためにここにいるが、あなた方全員の同意が必要である。あなた方のハートとマインドが愛と知恵で満たされることを希望する。私たちはあなた方を見守っている。しかし急がなければならない。時間は短いのだから」