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今月号の内容概説

 現在、世界の現状を困難なもの、不可解なものとして経験していない人はほとんどいないはずである。今月号でベンジャミン・クレームの師である覚者の記事「新しい状況の到来」を選んだのは、このような時代の落ち着かない状態から尻込みすることなく、人類の苦境の中から生じて「この時代のチャレンジに応えるために彼らの能力をますます発揮」するかもしれない可能性を指摘しているからである。

 チャレンジに応えるというテーマは、今月号の記事やインタビューで取り上げられている。例えば、コロナウイルスの衝撃で悪化した不景気、失業、貧困や、(たとえ臨時措置としてであれ)国連が最近提案したようにユニバーサル・ベーシックインカム(全世界市民向けの最低所得保障)のようなアイディアを推進することによって人々がどのように応えているかが取り上げられている。フランスの経済学者、セバスチャン・ヴィユモ氏は、主流の資本家たちがどう言おうとも、分かち合いがいかに現実の選択肢であるかを指摘している。

 日常生活の大部分が今や新型コロナウイルスという観点から見られており、科学はウイルスの起源を調査しているが、本誌は動物たちとの関係や動物たちの意識について探るマクネア・エザード氏によるインタビューを掲載する。

 本誌は哀悼の意を表することなく、ジョン・ルイス米下院議員のような公民権運動の英雄の逝去を忘れてしまうことはできなかった。彼の価値観はシェア・インターナショナル誌の価値観をかなりの程度反映しているからである。オバマ前米大統領はジョン・ルイス氏とその業績を思い起こしながら、すべてのアメリカ人のために一票を投じることによってルイス氏を称えるようアメリカ人に熱心に訴えかけた。「もし時間があれば行うようなこととして、投票を扱うことはできません。民主主義のために取ることのできる最も重要な行動として、投票を扱う必要があります」

 もし現在、国家経済が苦しんでいるとしたら、社会的に疎外された人々──パンデミック(世界的大流行)以前から生活が不公正な闘いそのものであった難民や移民労働者──の苦境を想像するよう、ジャーナリストのグラハム・ピーブルズ氏は私たちに求めている。

 今月号は、より良い世界や、この惑星への奉仕、改善に向けた、実際的な志向の模範を提示している。ジョン・ルイス氏であれ、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス米下院議員であれ、あるいは原住民の環境保護活動家であれ、「普通の」人々の生活上の英雄的行為も繰り返しテーマとなっている。オカシオ=コルテス氏は米国の保守層の既得権益と闘う一方、本誌のブラジルの通信員が描写しているように、アマゾンでは、熱帯雨林の商業化や搾取、破壊を阻止するために活動家たちが文字通り自分の人生を犠牲にしている。オカシオ=コルテス氏へのインタビューの書き起こし記事では、彼女独特の実際的理想主義と、彼女が代表する人々の生活状況を改善しようという決意が掘り下げられている。どのような霊的態度が効果的な仕事に最もつながると思うかと問われて、彼女はこう答えた。「私が最もよく実践している霊的な訓練は、無執着であると思います。私の使命は、より良い世界の原則を推進することです。この『ポスト』に過度に執着していると、仕事をすることができません。……私は自我や評価に対する無執着を実践する必要があります。強力で裕福な人々の小さな階級による社会的受容に執着することはできません。彼らは連邦議会の同僚です。この富裕層による社会的受容に執着する場合、私は自分の仕事をすることができません」

今月号の内容概説

 今月号(訳注:英文誌では7・8月合併号として発行された中の8月号部分)で発表された、深く掘り下げた記事やインタビューでも、様々な考え方、様々な声が取り上げられている。
 スコット・チャンピオンは「パンデミックとオーバートンの窓」で、経済システムへの、そして変化を求める一般大衆のますます強くなる決意への、ウイルスの影響を分析している。「変化を引き起こすためには、政治家は政策の範囲を拡大し、既存のオーバートン(国民が受容可能だと思う政策の幅を意味する言葉)内で新しい政治要綱を展開するか、国民が政治家に聞こえるほどの大きな声で新しい政策を求めることが必要である」
 ルトガー・ブレグマンは、コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)が明らかにしたように、人類はもともと親切で協力的であることを請け合っている。
 学者たちはあらゆる部門で変化を提唱している。例えば、それはユニバーサル・ベーシック・インカム(全国民向けの最低所得保障)であり、また、リュック・ギロリーの記事「グローバル・マーシャル・プランが再び議題に?」で取り上げられている債務免除である。
 パンデミックの衝撃と人種差別の不正義は、オーバートンの窓を開け放って人生を肯定する正義の空気を吸い込むために、私たちが一致した意志を見いだし、自分たちの声を活かし、賢明な行動をとる必要があることを明らかにしている。

アリス・A・ベイリーの思い出

 ラウル・ウィレムス氏はアリス・A・ベイリーと知り合いであった。彼は1936年にアントワープで彼女に会い、ベルギーでの彼女の最初の協働者になった。このインタビューが行われたとき、ラウル・ウィレムス氏は91歳で、国際企業の役員として多忙で波乱に富んだ生活を送っていた。優れた軍人としての戦時中の勇敢な行いに対する数々の勲章に輝いている彼は、死んでいても不思議ではない経験を少なくとも7回はくぐり抜けてきた。彼は自然科学、特に生物学と鳥類学に特別の興味を持ち、占星学にも興味を持っていた。ベルギーのブリュッセルに住んでいた故アレイン・イールヴォェトが彼から話を聞いていた。(このインタビューは、本誌の1988年7・8月号に初めて掲載された)

シェア・インターナショナル(以下SI ):あなたは何をきっかけにアリス・A・ベイリーと知り合われたのですか。
ラウル・ウィレムス:1936年のことでした。フォスター・ベイリーと結婚して間もなくのことですが、彼女はニューヨークに事務所を設置すると、彼と一緒に生まれ故郷のイギリスヘ渡り、タンブリッチ・ウェルズ(ケント州)に居を構えました。彼らは、彼女の世界善意協会という組織に対する人々の興味を喚起すべく、ヨーロッパヘ数回旅行をしました。運良く、アントワープにある神智学協会のフランス語を話す支部で、ある晩二人に巡り会ったのです。その支部長である弁護士のウィッテマン氏からベイリー夫妻を紹介されました。彼らは私が流暢な英語を話しているのを聞いて、すぐグルーンプラッツのレストランでの食事に私を招待しました。話題は多岐にわたりました。アリスが神智学協会の本部のあるインドのマドラスでの出来事を話してくれたのを覚えています。そこには協会が運営する菜食レストランがあり、アリスと友人はその食堂で給仕を交替でやっていました。ある日、二人の紳士がやって来て、ステーキとフライドポテトを注文しました。アリスはどうしたらよいかを調理場へ行って尋ねましたが、答えはとても不親切なもので、客に帰ってもらうようにというものでした。しかしアリスは、失礼なことではないかと考え、「口に入るものは口から出る言葉よりも重要ではない」とエプロンを外して、店を辞めてしまったと話してくれました。これが、私がアリスと初めて会った時の様子です。

S I:その後も彼女に会う機会はおありでしたか。
ウィレムス:ええ、ありました。ベイリー夫妻は、もっとよく知り合えるようにと、イギリスの家に私を数日間招待してくれたので、私は伺いました。ベイリー夫人は自ら料理をしてくれ、7、8日の間、私は彼女の夫や、赤児を抱えた娘の一人、英国中を講演旅行している同僚、それに後日アントワープで私と働くことになるオランダ人と食卓を囲みました。その間、フォスター・ベイリーはオーストラリアにいる友人とテレパシー通信ができるよう努力していました。

S I:アリス・ベイリーを通して送られたDK(ジュワル・クール)覚者からのテレパシー通信に立ち会われたことがありますか。
ウィレムス:はい、幸運なことに、通信方法の重大な変化を目撃する恩恵にあずかりました。彼らと数日過ごした後、フォスター・ベイリーが妻の寝室に招き入れてくれたため、私は彼女が「チベット人」からメッセージを受ける様子を目の当たりにすることができました。彼女がベッドに真っ直ぐに座っているさまを、今でもありありと思い出すことができます。彼女は左手にノートを持ち、驚くほどの早さで書き込んでいました。彼女が書いている間、夫は彼女が朝の6時から書き通しであると私の耳元でささやきました。そして、10時になってやっと書きやめた時には、彼女は完全に疲れ果てていました。私が居合わせたある日、彼女はもう気絶寸前だから続けられないと訴えていました。

S I:覚者の反応はどうでしたか。
ウィレムス:そうですね、ベイリー夫人はちょっと耳を傾けている様子でしたが、私たちの方を向くと「DK覚者は、その点について考えてきたと答えておられます。彼は話すのではなく、自分の考えを文章にして壁に映し出してくれるそうです。私は、ただそれをマイクに向かって話せばよいのです。録音に必要な機材がそろい次第仕事にかかります」と言いました。その時から2日ほど、食卓で彼女と顔を合わせることは滅多にありませんでした。必要な機材を集めるために奔走していたからです。最初の試験的な伝達が始まろうとするとき、フォスターはこの新しい通信方法を見せるために私を呼びに来ました。アリスが話している間、録音用の円盤が一定の速度で回転し続けて、彼女の言葉を録音していきました。およそ20分毎にタイピストがやって来ては、その円盤を新しいものと交換していきました。
 今、突然思い出したのですが、ちょっとした逸話をお話ししましょう。それは面白い出来事でした。私がアリスと彼女の部屋で二人だけで話をしていた時のことです。風もないのに開いたり閉じたりしている奇妙なドアの様子に、私は注意を奪われました。アリスは私の目線を追うと、すぐ「いたずら者め、出て行きなさい」と声高に言いました。そして私のほうを向き、「小さなエレメンタルがドアのラッチにつかまって揺すって遊んでいたのです。私が邪魔をしたので、飛び下りて泣きながら走り去っていきました」と言いました。

S I:当時あなたは、アリスがベルギーで講演をした時に通訳をなさいませんでしたか。
ウィレムス:確かにしました。タンブリッジ・ウェルズの彼らの家に2週間ばかり滞在して、私はアントワープに戻りました。ベイリー夫人は、間もなくベルギーに話をしに行くのですが、通訳を引き受けてくれませんかと私に尋ねました。数週間後、実際に彼女はアントワープとブリュッセルに来ました。アントワープでは、フランダース支部がかなりうまくいき始めており、フランス語とオランダ語の両方の通訳を行うことになりました。しかし、これは成功しませんでした。英語の文章が間延びし過ぎてしまったのです。私は何とかフランス語新聞に彼女の訪問に興味を持たせることができ、多くの記事が掲載されました。私は14人の協力者を集めてグループをつくり、「新時代の建設者」という名前で、世界善意協会発行のチラシをフランス語とオランダ語に訳して配布しました。

S I:戦時中もその仕事は続けられましたか。
ウィレムス:私たちの活動は1942年の初頭まで続きました。メンバーの一人が、ドイツ軍が私を強制収容所に入れる決定を下したと忠告してくれました。そうなれば世界善意協会の役には立たなくなり、家内を不幸な未亡人にしてしまうことになりますから、決定を何とか考え直してもらえないかと問い合わせましたが、アメリカと連絡を取る組織や集会には絶対に出席してはならないという返事がきました。他に選択肢がなかったので、不本意ながら従いました。戦後、長年にわたり、月例の満月瞑想会を催しましたが、私が働いていた国際企業の立て直しにあまりにも忙しかったため、以前のように世界善意協会に傾倒することはできませんでした。

S I:キリストと知恵の覚者方の再臨に対する当時の期待はどのようなものでしたか。
ウィレムス:そうですね、そのことについて戦前戦後を通じて何かを聞いたという記憶はありません。アーケイン・スクールの教えにも、当時、それについての言及はありませんでした。すべては弟子道の準備に集中しており、『キリストの再臨』(1948年)の翻訳書を私たちが手にしたのは1950年代になってからでした。この本は一部では好意的に迎えられましたが、その信ぴょう性を疑問視する向きも少なくありませんでした。特に、敬虔なカトリック教徒であった私の友人の間ではそうでした。聖書に予言されている破滅的な「世の終わり」はまだ来ていないと彼らは確信しておりました。
 私自身は教会に縛られておりませんので、どんな宗教的礼拝へも自由に参加できます。私に関しては、祈り方が異なる唯一の神が存在するだけです。黙示録について言えば、私の印象では、私たちはある意味、今でもそれを体験しているように思います。
 現在の荒廃ぶりは信じ難いほどではないでしょうか。何百万という人々が困窮の極みにあり、さらに何百万もの人々が、あり余るほど食糧のある世界で飢え死にしているのですから。また、自然環境の汚染も忘れるわけにはいきません。その汚染は許し難い次元に達し、しかもそれは人間の利己心のために起こっているのです。テクノロジーは「すぐに金持ちになる」ことを動機とする競争制度の付属物になってしまっています。そのような劣悪で退廃的な状況にあって、キリストが第三次世界大戦を防ぐために──私の期待としてはできるだけ早く──戻って来られなければならないということは、私には当然のことと思われます。もちろん、仕事をするのは弟子や善意の人々でなければならないということは理解しています。なぜなら、キリストや覚者方は私たちに道を示し、助言を与え、励ますことしかできないからです。

S I:現在キリストがこの世におられるという情報に対して、あなたはどうお考えですか。
ウィレムス:マイトレーヤの存在によって世界が守られているということは大変うれしいことだと思います。また、サティヤ・サイババのような方が──この方が宇宙キリストである可能性を私は信じています──決して地球規模の核戦争は起こさせないと言っておられるのはとてもうれしいことです。私はブリュッセルでベンジャミン・クレーム指導の伝導瞑想に参加しましたが、彼と個人的に会って、キリストの存在の真実性を確信しました。その時の彼についての印象は、クレームはただの「説教者」ではないというものでした。聴衆の上に立つわけでもなく、追随者を得ようとしているわけでもありません。彼が教えているのはただ情報を伝えることだけです。私が特に評価しているのは、彼の闊達なユーモアのセンスです。しかし、時として変貌して見えることがあり、その時は彼の話す言葉も彼のものとは感じられません。そのような時は明らかにオーバーシャドウされているのです。『マイトレーヤの使命』に載っている多くの質問(中には実に馬鹿馬鹿しいものがありますが)に対する彼の答えは、並々ならぬものだと思います。あのような答えは、すべてを知っている知恵の覚者との接触があって初めて可能なものです。クレームが覚者と接触していることは私には間違いないことに思えます。私に言える限りでは、DK覚者がアリス・ベイリーを通して与えた情報とも矛盾していないということからも、それはいっそう確かなことに思えます。

S I:マイトレーヤが分かち合いの必要性を強調されていることについては、どうお考えですか。
ウィレムス:アクエリアス時代は間違いなく分かち合いの時代であり、したがって全世界的な同胞愛の時代です。ローマ教皇が最新の回勅である『社会政策要綱』の中で、地球の富のより良い分配への支持を明確に打ち出していることは、非常に肯定的な徴です。軍備に費やされる総収入のわずか1%もあれば、飢餓というスキャンダルを早急に一掃する緊急援助計画の組織化が可能であることは明白です。教皇の話に戻りますが、大宣言後、マイトレーヤはイエス覚者を世界に紹介し、彼がサン・ピエトロ大聖堂の主座に座るというクレームの筋書きは、12世紀のアイルランドの大司教であった聖マラキの予言にも相通ずるものです。彼はすべての教皇にラテン語の象徴的な名前をつけておりますが、それによると、次の教皇は111代にわたる歴代教皇の最後の教皇になるとのことです。この教皇に対して彼がつけた名前は『オリーブの誉れ』というもので、これはこの教皇が心からの和解と平和の時代の幕明けをするであろうことを示唆しています。多くのキリスト教徒の方々には少し行き過ぎた考えであるように思えるかもしれませんが、私はこの教皇とは、おそらくイエス覚者ご自身のことであろうと考えています。私はキリストの大宣言の日、生きている間にはとても体験できるとは夢にも思わなかった出来事が待ち遠しくてなりません。このことは私に多大な影響を与えました。「盗人が夜やって来るように」来られた方を、聖書の予言にあるとおり「すべての人の目が仰ぎ見る」ことになるように望みます。この惑星規模のペンテコステが善意の男女を刺激して、人類にふさわしい社会の建設へと共に立ち向かわせることを心から願っています。

今月号の内容概説

 今月号(訳注:英文誌では7・8月合併号として発行された中の7月号部分)で、深く掘り下げた記事やインタビューを発表する機会が提供され、様々な考え方だけでなく様々な声も取り上げられている。それは今月号の筆者たちの多様な声であり、また、正義を求める民衆の声である。現在の危機に対する人類の責任と反応を振り返ることにする。変化の必要性はシェア・インターナショナル誌で毎号、強調されている。今、こう問いかけたい。世界は変化に向けて用意を整えているのか。そして、誰が先導するのか──指導者だろうか。民衆だろうか。これまでのところ、特定の地域の人種差別に対する世界規模の反応から判断すれば、先導するのは、自分たちの意見や声を響かせている民衆である。民衆は連帯し、正義と一体性のためであれば命を、「呼吸そのもの」を失う危険を冒すこともいとわないようである。
 一方、覚者方がこのような状況をどう見るかは考慮に値する。「マイトレーヤが提唱されるのは、革命(レボリューション)ではなく、進化(エボリューション)である。革命は対決と大量殺戮をもたらし、一種類の問題を他の種類の問題に置き換えるだけであることを、マイトレーヤはよくご存知である」。(「偉大なる決断」本誌2012年1・2月号)
 「わたしたちの方法は平和的な進化の方法であり、世界をさらに危険にさらそうとする者たちにその方法を勧める。わたしたちの方法は単純であり、達成可能である。分かち合いの原則は人間の苦難に対する素晴らしい解答である」(「将来の一対の柱」本誌2013年9月号)
 「過去の最良のものを大切にし、古い道標を復元しなさい」(「未来への道」本誌1985年9月号)
 グレアム・マクストンは、ほとんど間違っているたくさんの考え方から私たちを解放してくれる一方、オランダの学者たちはすでに、コロナ後の世界のための計画を立てている。「学者として、私たちはこの政策ビジョンが、国際的連帯に基づいたより持続可能で、公正で多様な社会へと導き、将来的なショックや感染症の世界的大流行へのより良い予防と対処につながるものであると確信している。私たちにとって問題は、もはやこれらの戦略を実施することが必要かどうかではなく、どうやってそれを行うかである」

今月号の内容概説

 世界は数カ月間、パンデミックへと突き進んできた。新しい基準と新たなスタートが必要であるにもかかわらず、世界の指導者たちは速やかに「通常への復帰」、「従来通りのビジネス」、「経済のキックスタート」を主張している。これらの言葉は商業主義に起源があるため、広告用語のように聞こえるのは偶然の一致ではない。本誌のほとんどすべてのページでは、人類が目覚めることの必要性が強調されている。それによって、地球上のすべての生命との新しい関係に踏み込み、この危機が、方向性を変えて、公正で正気で持続可能な世界を創造する素晴らしい機会を提供していることを理解するためである。覚者の記事は、「人間は誰も分離し孤立していないことを、知ってか知らずか、すべての人間は次々に展開される啓示の長い旅路の中で、見えざる糸で共につながっている」と語りかけ、助言し、思い出させる。
 今まで、人類はゆっくりと学ぶ者であり、マイトレーヤと覚者方が数十年にわたって人類自体を一つのものとして見るよう助言し、嘆願してきたにもかかわらず、困難な方法で物事を学ぶ必要があった。リン・ガードルストーンが「人類の目覚め」で書いているように、「このパンデミックは、『立ち止まって…… 今 ……あなたが築いた世界を見なさい……反道徳的な過剰さに囲まれた言うに言えない苦しみ……致命的な危機に瀕しているすべての生命体と惑星自体』と言っているのかもしれない」。WHOやWFPといった不可欠な国連機関は、この助言に対する世界の拒否の結果に日々対処している。
 経済学者であり作家であるグレアム・マクストン氏は、次のように述べている。「今回の危機は私たちが再考する時間を与えてくれ、その休止と考えるためのチャンスはとてつもない可能性を提示するでしょう。それは驚くべき機会です!」と。
 ほとんど知られていない弟子であるエリザベス・ワーノンは、何十年も前に次のように書いている。「地球にとって重要である物質的な諸問題は解決されなければならない。世界経済は、必要不可欠な食料と物品を確保し、代金を支払い、すべての国に割り当てなければならない。兄が弟に対して責任を負うのと同じように、富裕国はあまり有利でないもう一方の国々に対して責任を負っている。……」と。
 今月の選集では、自然界に対する人類の責任と相互依存性について何の疑いも残していない。
 環境活動家のバンダナ・シバは、すべての人々を行動へと呼び起こす。「コロナ危機の現在の時代において、地球と人類を守るため、地球民主主義と経済民主主義に基づいた、新しい経済をイメージし、つくり出しましょう。民主的な参加と連帯によって、三つの危機に取り組みましょう。そして仕事を保証し、声を上げることを保証する、未来の経済の形成に参加する行動を取りましょう」
 現在、私たちのリーダーたちは、おそらく自分自身の狼狽を隠すために、怒り狂ったり、空威張りをしたりする一方で、何百万もの人々が、「さて、いずこに行くのか」と心配そうに思案している。今日は根本的な変化の無限の可能性に満ちており、私たちのリーダーと私たち自身に「リセット」ボタンを押すことを要求する時である。

今月号の内容概説

 至るところの人々や私たちの貴重な惑星が遭遇した恐ろしい窮状を私たちは共に経験している。そのため、シェア・インターナショナルの協働者たちは世界の人々と共に悲しみ、そして悲嘆している。人類は、たとえ辛くとも、私たちが一つであり、相互依存の関係にあり、私たちと私たちの制度すべてが脆弱であることを学んでいる。私たちに共通の人間性とすべての生命に配慮する義務に基づいた非常に違った世界を創造する必要性が、私たちに明らかになりつつある。時代は困難であり、何百万もの人々が苦しんでいる。そして、私たちに共通の困難のために、今月号では、問題を検証し、人類が今直面している悲惨な状況に説明と癒しをもたらす希望と前向きなアイディアを提供する。
 世界が再び「いつも通りの状態」に戻ることができないことは今や明らかであるが、中央銀行、株式市場、巨大化した多国籍企業、既得権益を有する人々はこの現実を受け入れるだろうか。世界的な制度が崩壊の危機に瀕しているため、政府と「マネーの男たち」は、分裂、社会的不正、および現在の沈滞につながった構造を補強する方法をすでに計画している。今月号の本誌のページは、グローバルな変革を求める世界中からの叫びを反映している。例えば、全国民向けの最低所得保障(ユニバーサル・ベーシック・インカム)の要求の高まり(次ページの「最低所得保障を実現するのは今」を参照)であるが、ベンジャミン・クレームの師である覚者は明白な解決策を指し示している。「分かち合いの原則が、人間の必要に応え、多くの問題を解決する唯一のものである。なぜなら、それは神ご自身の計画にとって根本的なことであるから」
 「世界は正義を切望する。正義と愛の欠如こそが、今日、人間を取り巻く問題の真の原因である。これらの聖なる様相が、もし明日にでも施行されるならば、新たな楽しさが、あなたがたの生活を彩るであろう……。
単なる愛の欠如が、今日の人間の苦悩の根源である。これこそが、人の聖なる素質の顕現を妨げている」
 マイトレーヤのメッセージ第101信を読むと、問題と解決策はより明確になる。
 多くの人がこの危機を機会と見ている。今月号に掲載できればと思ってきた尊敬されている著名な方々の声は、根本的な変化を促している。著作家のジェレミー・レントの言葉を引用すると、私たちは「もっと大きく考える」べきである。「コロナウイルスの流行による長期的な影響について何かを考えたとしても、おそらく十分に大きく考えてはいないでしょう」。フランシスコ教皇は「希望の感染」について語った。「今やこれまで以上に、人々、地域社会、国民を中心に置いて、癒し、配慮し、分かち合うために団結しなければなりません。……私たちの文明──とても競争的で、とても個人主義的で、生産と消費の熱狂的なリズム、浪費的な贅沢品、極少数の人々のための不相応な利益を有する──を切り詰め、吟味し、そして生まれ変わらせることが必要です」
 今月の通信者たちは、新型コロナウイルスの危機がもたらす機会を強調し、暗闇の中で開花しつつある回復力と生来の優しさを見ている。
 今月の「選集」でベンジャミン・クレームの師である覚者は私たちすべてに要求しているが、その答えは次のように示されている。「世界は一つであるのに、いかで二つの世界が存在し得ようか。法はすべての人間に対して同じであるのに、いかで分割があり得ようか。やがて人間は、大勢の人々の苦しみは総体の病であることを理解し、そして正義のみがその治療法であることを理解するだろう」

今月号の内容概説

 世界は二度と同じままでいることはない、ということを私たちは今や知っている。シェア・インターナショナル誌の読者はいつも、私たちが途方もない時代に生きていることを知っていたが、今はかつてないほど明白である。
 メディアが連日、全世界的な危機について報道しているので、ベンジャミン・クレームの師によるこの記事「未来は招く」が、なぜ4月号用に選ばれたのかは明らかであろう。「世界はひとつであること、人類は有機体であり、その福利はそれぞれの部分すべての健康にかかっていること、危機と病の兆しを無視することはもはや可能でもなく賢明なことでもないこと、これらのことを人間に示す証拠は日ごとに増えている。現在、多くの者がこれに気づき、正義を呼びかけているが、目覚めた人類の叫びのみが、大国を現在の貪欲な姿勢から転じさせるに足るであろう。……この真理をすべての人間にわからせるために、マイトレーヤは一刻も浪費されないだろう」
 こうした考えは、救世主(メシア)はここにおりご自身を明らかにしようとしていると語る超正統派ユダヤ教宗教指導者(ラビ)たちの発表と助言に反映されている(「ユダヤ教宗教指導者が救世主はここにいると語る」を参照)。彼らは人々に対して、祈るように、自分の宗教的行事に従うように、メシアの存在の徴に備え、気をつけるように促している。彼らの助言は、優先事項や価値観を吟味し、自分の立ち位置を知るようにという、すべての人への呼びかけである。
 今月号の本誌は実質的に、同じようなことを「時代の徴」の欄で表明している。一方、「気候問題という試練:人類の倫理基準の足並みをそろえる」のような記事や、真我を探して生きた生涯を明らかにしている魅力的な伝記は、課題と解決策を提示している。抜本的な変化を引き起こすには、平和的な抗議活動に取り組むたった3.5%の人口しか必要とされないことを知ることもまた、励みになるものであり、現在、国際社会の切迫した状況の中から根本的な変化をつくり上げる可能性を現実のものにする。
 新型コロナウイルスに対する世界の反応は、大抵の人々もしくは多くの人々が待望している新たな始まりになる可能性がある。私たちは「自分を隔離させる」ように促され、概して他の人々との接触を避けているが、今回のことは、ひとつであることを実感する共通の体験を受け入れる引き金となるかもしれない。それは簡素さや充足、分かち合い、普遍的な社会正義を受け入れるよう私たちを突き動かしていく可能性がある。
 「あなた方の生活に入りつつあるこの新しいリズムを感じることができないか。人間を行動へと活気づける新しい衝動を、誰が無視できようか。すべてがつくり直されるだろう。そして間もなく暗闇は照らし出す光に道を譲るだろう。……奉仕することを願う者は誰も仕事や目的を欠くことを恐れる必要はない。経験豊かな手による指導が喜んで提供されることを信じなさい。わたしたちは、あなた方がこの世界を復興させるのを助け、あなた方の傍らで兄弟として働き、過去の残骸を取り除く」(「未来は招く」)
 そして、マイトレーヤはメッセージ第13信で次のように言っておられる。「再教育、再建設、そして変革の仕事を、あなたがた自身の任務としなさい。人間一人ひとりが燈台であり、その灯を同胞のために遠くまで照らすのである。あなたのランプの灯を明るくともし、輝かし、道を示しなさい。一人ひとり、すべてが必要である。この世界を救済し、復旧するためのこの偉大な計画に参加するのに、小さすぎる者も、若すぎる者もいない」

今月号の内容概説

 世界と地球が私たちの誤った選択による衝撃に対処しようとしている折なので、今月号のシェア・インターナショナル誌は、私たちが自らつくり上げた諸問題に根拠を与えている根本的な要因と同時に、今私たちにとって実現可能な変容に向けて希望を呼び起こす機会に目を向ける。マイトレーヤの任務を描写した記事の中で、ベンジャミン・クレームの師は、紛れもないコメントを残している。「人間にとっては、彼らが自分たちの行動の結果を理解し、それに対処しようとするにつれて、それは最大限の努力を要求される困難な時期である。様々な出来事の理路が理解できずに……」
 このことを念頭に置いて、あり方や自分についての理解の仕方を模索する人間の真の必要を検討することにした。現在と将来の教育から始めるにあたり、グラハム・ピーブルズの多岐にわたる記事「教育:目的の拡大」を取り上げ、次に、教育へのアプローチに関するフィリス・クレームによる内省的な記事が続き、そして同じテーマに関する選集が添えられている。
 人間はこれまで自分の真の性質を本当に理解したことがなく、したがって教育的な必要も理解したことがなかったため、社会的な不正義、貪欲、不平等として露顕している深刻な過ちを犯してきた(グローバル経済システムに内在する不安定さに関するセバスチャン・ヴィルモットによる専門的な分析で検討されているように)。その過ちは私たちの惑星の破壊という形でも露顕しており、それはデビッド・コーテンの記事「気候変動対策の先延ばしの期間は終了した」で見事に描写されている。ここで特集されたすべての主題は、解決策を指し示し、新たな可能性にあふれる未来を提示している。
 今月号を貫く糸の一つは、私たちは皆、転生している魂だということである。これは論理的には、すべての社会構造が変化する必要があることと、地球に対してより大きな責任を負うことを意味するはずである。今月号にはマイトレーヤからのメッセージ第120信もすべて掲載されている。心に語りかけてくるそのメッセージは、優しいものであると同時に、同じくらい力強いものである。以下はそのメッセージの一部である。「わたしは世に仕えることを願う。わたしは正義を愛する。わたしは時間に間に合った。わたしは世界の均衡を正す。わたしは任務に専念する。わたしは自由を尚ぶ。わたしは、人間が用意の整っているのを感じる。わたしは何ごとをも偶然に任せない。わたしは新しいものを喚び起こす。わたしは過去の病を治す。わたしは古いものを変容させる。わたしはあなたのひたいに触る。わたしは天使の軍勢を指揮する。わたしは神の大計画に仕える。わたしは兄弟たちを抱擁する」

対立する教育観

フィリス・クレーム

 「私たちは皆、転生している魂です」
 端的に言えば、子供を教育することに関して、長期間にわたって対立してきた二つの態度がある。一つは、概して、子供が成長してから入っていく社会へと子供を適合させるために、徐々に知識と技能を刻み込んでいくための「空白のページ」あるいは「空の容器」と子供を見なすものである。これは古いビクトリア時代の考えだと思われているが、今日の教育へのアプローチの幾つかをいまだに支えている。
 これと対立しているのが、子供は初めから、潜在的にはすでに存在している人物になるために徐々に発達する可能性のある生来の特質を持っているという見方である。もちろん、教室での実践において、「知識と技能を培う」とか「潜在能力を開発する」と言うように、こうした二つの見方は重なり合っているかもしれない。また、教師たちはたぶん、混合したアプローチが必要だと主張するだろう。それでも、こうした二つのアプローチは、人間についての二つの根本的に異なった見方──物質主義的な見方と霊的な見方──を反映している。「発達(開発)」の支持者にとって、子供は肉体以上の何かであり、頭脳も、遺伝的性質も、環境も、全体を構成するには至らない。
 ベンジャミン・クレームが述べているように、「私たちは皆、転生している魂です」。また、グラハム・ピーブルズが今月号で強調しているように、すべてが一つの聖なる全体の一部である。輪廻転生について知っていれば、つまり、私たちは転生している魂であり、この生涯は多くの生涯の一つであり、霊性を完成させる道に沿って少しだけ前進する一つの機会にすぎないということを知っていれば、教育へのアプローチは大きく変わる可能性がある。一例を挙げると、私たちが皆、魂であるという考えは、他の人々への接し方に影響を与え、生徒を判断する──あるいはなるべくなら、判断しない──別の方法を教師たちに与える。生徒ができることや生徒の知識、技能だけというよりはむしろ、生徒のあるがままの姿を基本的に尊重するようになる。多くの教師は、その信条がどうであれ、生徒に対するこうした根本的な敬意を持っているが、持っていない教師もいる。さらに時には、敬意を持っているとしても、実際の場面でそれを維持することがいつも容易なわけではない。
 「発達(開発)としての教育」という考えは、よく引用される(アリス・ベイリーを通して書かれた)ジュワル・クール覚者による『新しい時代の教育』での陳述に照らせば、かなり違った光沢を帯びることになる。「何らかの形の発達──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的な発達──に向けて人間を駆り立てるすべての活動が、もしそれがその人を現在の状態より前進させるならば、本質的に霊的な性質のものであり、内なる神聖な存在が活発であることを示している」。これは、「潜在能力を発達させる」と通常はかなり漠然と表現される発達という考えよりも正確である。それに含まれるのは、例えば、スポーツ選手として達成しようという努力、物質的な状態を改善しようという努力、満足のいく愛情生活を持とうという努力、より多くの知識を得ようという努力、世の中で善を行おうという努力である。この陳述はまた、人々は進化の様々な段階におり、例えば、情緒により焦点を置いている者もいれば、メンタル界により焦点を置いている者もいることを考慮に入れている。「人間を駆り立てるすべての活動」は志向的であり、すべてが「内なる神聖な存在が活発であることを示している」。つまり、その人の魂が存在し、その人に影響力を及ぼしていることを示している。教育は、すべての人に内在する、志向を表現しようとするこうした意欲を促進すべきである。個々の教師はそうしようと努めるが、技能や試験、職業に焦点を置いた、しばしば懲罰的なシステムはそのように努めようとはしない。あるいは、少なくともかなり狭い形でそのように努めている。
 長年、アリス・ベイリーの内的グループの中で働いたロベルト・アサジオリ※は次のように書いている。「他の人々の自己向上を助けることにおいて本当に成功したいと思うなら、……対処したり規律に従わせたりする必要のある諸傾向に、その個人にとっての外的な力(例えば、教師自身の意志の力)で決して対立してはいけません。……むしろ、生徒の中に潜在している高位の力を目覚めさせなければなりません。……」
 「悲しいかな、親や教育者によってあまりに頻繁に採用される第一の選択肢は、個人の中に対立の感覚を喚起します。その人は、あたかも自分の決定的に重要な発達が阻害され抑圧されるかのように感じるからです。そのため、若者たちの中に、権利の拡大や自己主張、頑固な不服従、猛烈な反抗精神の必要性を強く感じる者がよく見られるのです」
 これは、若い人々の明らかに破壊的な傾向を恐れる人々にとって、多くを語る陳述である。こうした傾向は、より良い世界のために闘っていることを十分に自覚している他の若い人々の行動とは著しい対照をなしている。否定的もしくは破壊的である若者は、自分の志向や「拡大と自己主張の必要性」を表現することを許されてこなかったのであると、したがって懲罰的なアプローチは逆効果であると、考えてよいのかもしれない。
 1960年代と70年代のイギリスでは、主流の教育において、「子供中心」のアプローチ──生徒自身の観点や段階、自分の能力や知識、性格を「発達」させようという能力から始めること──に現在よりもはるかに大きな焦点が当てられていた。しかしそれ以降は、教育課程の狭小化、「就職」や「技能」や「説明責任」への焦点化が、多くの場合、創造的な科目の減少や学習への創造的なアプローチの減少につながった。一部の生徒にとって得るところはあったが、画一性が増し、生徒のストレスが増大するという代償を払うことになった。
 教育は再び、その目的に立ち返る必要がある。グラハム・ピーブルズが指摘するように、これは、この惑星の住民としての私たちの目的を再考することを意味する。学校の生徒たち自身が大挙して告げているように、それは、私たちの内的な一体性という認識、一人ひとりが他の人々と、そしてこの地球という惑星と一体であるという認識を取り戻すことを意味する。ジュワル・クール覚者は(先の引用のあとに)次のように続けている。「人間の霊は不滅である。それは永久に存続し、進化の道を点から点へと、段階から段階へと前進し、神聖な属性や様相を着実かつ連続的に展開させていく」

※ ロベルト・アサジオリ(1988-1974)は「サイコシンセシス(統合心理学)」の創設者であり、トランスパーソナル心理学の分野で大きな影響力を持っていた。

アサジオリ「内的生活に関する覚書」、ビーコン誌、1926年と1995年

ベイリー『新しい時代の教育』(AABライブラリー、2004年)

 「第一に、教育が誰のために存在するのか、そして教育がその機能を果たしていく過程が理解されなければならない。これは見かけほど明白ではないかもしれない。なぜなら、人は長い間自分自身の本性と構成について無知であったし、部分にすぎないものを全体であるとして見、己自身の本質的存在を、大体において無視してきたのであるから。
 転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして『再生誕の法則』を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うようになり、また自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式だろうが、すべて教育である。
 今日の感覚では、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し、コントロールするための最小限の必要条件しか請け合わない。人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶ者はなく、ほとんどの人間が生存のための日常の闘いに気を取られている。……」
(ベンジャミン・クレームの師、「新しい教育」より、本誌1988年第1・2号)

今月号内容概説

 今月の本誌は(訳注:英語版は1・2月合併号として、日本語版は1月号・2月号別々であるが)、アグニ・ヨガや天使達の話からボランティア精神、さらに偽情報の見分け方など様々な情報を網羅すると同時に、マイトレーヤや覚者方、天使やデーヴァ、弟子などに関する記事を特集している。
 生態系と霊性に関する画期的な新しい分析は人生を概観する新しい見方について統合的なやり方を提唱し、(信念、信、直観に関しての)賢明な見解を集めた選集は、霊と物質、主観と客観の関係についてのこの理解に言及している。「われわれが新しい時代に入るにつれて、外的世界と主観的(内的)世界を探求し、(神の)創造におけるこの二つの様相の間の関係を理解することに新しい緊急性が感じられている。世界中の多くの科学者が、すべてが相互に関連し合っていることについての彼らの直観を実際に証明する必要に促されて、彼らの探求をそちらの方向に曲げつつある。超人格なるエゴ、または魂(の存在)を受け入れるという姿勢が徐々に地盤を広げつつあり、それは人間の現実観の新しい統合につながりつつある」(ベンジャミン・クレームの師、選集を参照)
 今月号の内容の多くに共通して流れる統合の線があり、同時にそれと並行してわれわれの過去の過ちを修正し、変化させようとする人類の側の実際的な努力の発展が見られる。われわれは「われらの惑星を救う」必要があることを理解し、また化石燃料からの投資引き揚げの必要があることや、環境の浄化、飢えた人々への食糧支援、社会正義と公正な制度の確立の必要があることを理解する。
 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、「新しい日」という記事の中で、人間を「駆り立てて道を前進させるフォース(霊的エネルギー)を感知する力が一段と高まっている」ことについて語っている。「彼らは、自分たちがコントロールはもとより理解すらできないものが多くあることを、かすかにではあるが、感知する。しかし彼らは、ゆっくりと、彼らの裡にそして周りに、より大いなる意味と目的を、より大いなる和合と美を、思い描き始めている」。この号において幾人かの覚者方の教えの中に意味と目的を見いだすことができるだろう──覚者方は、ベンジャミン・クレームを通して、またエレナ・レーリッヒ(ヘレナ・レーリッヒとも)を通して、さらには第二次世界大戦がヨーロッパを席捲し非人道性が増大する状況において自分たちの師である覚者方の指導の下で日ごとに意識と霊的洞察を成長させた勇敢な若い弟子たちを通して語った。
 自分の子供が死ぬのを見て、デーヴァ(または父親は天使として体験した)がその子の周りで働くのを見たという父親の単純な証言を読んで、人生に何か格別のものがあるということを疑うことは難しい。4人の若いハンガリー人に対して天使たち(実際には覚者たち)が与えた驚くべき教えについて読むとき、読者に疑念を抱かせることは難しいだろう。8歳の少女が幻(ビジョン)として出会ったイエス覚者の顔を完全に献身的に自信をもって描くのを知ることは、最も懐疑的な読者にも驚きを与えるだろうし、新しい意味に目覚めさせることになるだろう。助けが公にあるいは背後から与えられるのを見ることは、希望の灯に火をつけるものであろう。それはまた私たちの眼を開かせ、いのちがひとつであることに気づかせるであろう。ベンジャミン・クレームが述べたように、「希望とは、すべてのものと内的につながり合っているという自覚です。あなたの生命が、日々の活動が、宇宙の計画と内的に結合していることについての自覚です」。