「あなたの兄弟を愛しなさい。彼らの窮乏に心を留めなさい。あなたが豊かに持つものを与えなさい、そして世界に喜びを復興しなさい」
「あなたは兄弟同胞の番兵である」
「兄弟の窮乏をあなたの行動の尺度として・・・」
「人類は一つである」
「皆は一人のために、一人は皆のために」
「私たちが共に力を合わせれば、もっとずっと多くのことができます。これが相乗効果です!」
新しいものではない。なじみのないものでもない。このページ以外にこの号には掲載されていないが、責任の分かち合いと一体性という概念は、シェア・インターナショナル誌が支持し、直接的または間接的に伝えようとするものすべてを包み込んでいる。こうした声明は、マイトレーヤによってメッセージの中で、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって、ジュワル・クール覚者によって、マイトレーヤか覚者の一人のスポークスマンによって伝えられたものである。
人類がこうした教訓に従って生き、行動すべき時があるとすれば、それは今である。正義と平和が世界の隅々で確立された現実となるようにするには、一致団結して、連帯して行動を起こす必要がある。あらゆる危機、人類の道徳的指針に挑みかかるような難題(ジレンマ)に対処するには、大勢になれば途方もない力を持つ普通の人々が団結し、理性と同情の声を届けなければならない。自由と平等に機会が訪れるような適切な条件を創り出すためには、「私たち」──つまり「民衆の力」──が必要である。未来が私たちのものになるかどうかは、「民衆の力」次第である。そうした集団的な行動の中にこそ、明るい未来を可能にする希望がある。人類と私たちの未来のために、平和構築の基盤となる分かち合いと正義のために、行動するという意識的な選択の中にこそ希望がある。マイトレーヤと覚者方はここにいて、同胞愛に向けたあらゆる努力を鼓舞し、活気づけ、支援しておられることを知ることにこそ希望がある。
南アフリカは今年5月、1994年に最初の民主的な選挙が実施されてから30周年を迎える。これは、アパルトヘイトとの闘いに加担したかどで投獄されたネルソン・マンデラ氏が釈放されてから4年後のことであった。マンデラ氏は、正義を求めるパレスチナ人の闘いを「現代における最大の道徳的課題」と表現した。南アフリカの人々は、恐ろしい残虐な行為や非人道的な行為に耐えることがどういうことであるかを知っている。「真実和解委員会」のおかげで、南アフリカの人々は被害者意識と復讐の必要性から解放された。ハーグにある国連の国際司法裁判所にイスラエルを提訴したのが南アフリカであることは、他者の苦しみへの同情と共感の勝利である。南アフリカの訴状は、法の支配を高く掲げている。
次の記事「決断の時」は、ベンジャミン・クレームの師によって書かれ、2002年5月にシェア・インターナショナル誌に掲載された。2001年9月11日のトラウマと、それに対する軍事行動を扱ったものだが、今日との類似性を見いだし、教訓を学ぶことができる。「これらの男たちは、世界はすべての人間に属するということをいつになったら学ぶのだろうか。彼らの富と権力が他をコントロールする力を授けるかもしれないが、彼らは支配者でも警官でもない」
決断の時
「世界は深刻な危機の状態にあり、それは主に、昨年9月11日のテロ攻撃に対するアメリカの大統領の対応によって生じた。アフガニスタンにおける戦争と最近のイスラエルの残虐行為の急増はつながっており、イラクに対して企てられている攻撃も同様である。それぞれに基本的なのは古い怨恨の清算である。そのような子供じみた行為は、世界の福利を脅かす出来事に対しての恥ずべき無責任な対処方法である。覚者たちはテロリズムに対する宥和政策を提唱しないが、しかしアフガニスタンと中東における対応の仕方はわたしたちの好みではない。それはテロの原因──貧困、フラストレーション、屈辱、絶望感──を全く考慮に入れず、単に暴力と残虐を永続させるだけである。自己憐憫と傷ついた誇りの中で道に迷い、アメリカは智恵と慎重さと均衡感をも失った。
その間に、イスラエルは自爆行為に悩まされて、『テロに対する戦い』という言い訳を利用して、いつもの如く過剰反応する。アラファト氏に対する恥知らずな迫害と屈辱的な行為に対して、イスラエルの指導者と軍隊が誇るべきものは何もない。イスラエルの国民は、他の誰よりも、抑圧された人々の苦悩を理解すべきである。
これらの男たちは、世界はすべての人間に属するということをいつになったら学ぶのだろうか。彼らの富と権力が他をコントロールする力を授けるかもしれないが、彼らは支配者でも警官でもない。彼らがその富を『普遍的な善』のために分かち合うとき、テロの終息を見るだろう。そして彼らは夜、もっとぐっすりと眠れるだろう。少数者の利益のために世界を支配しようとする権力の男たちは、不当に得て振り回すその権力に酔っている。
より賢明な声が、多くの観点から傾聴に値する声が世界に必要とされることは、ますます明らかである。その声、マイトレーヤの声は、復讐と憎悪の叫びを超えて、間もなく聞こえるだろう。間もなく世界は、われわれの直中にある彼の臨在に目覚め、そして大いなる選択が人類に提供されるだろう。かくして、これは人類の大きなテストの時である。かくしてこれは、決断の時、先例のない時である。
人間がこのことを理解するとき、彼らはマイトレーヤの旗印のもとに集い、正義と自由を求める彼らの要求を知らしめるだろう。彼らは喜んで分かち合い、そして奉仕する意志を示すだろう。そしてそのようにして世界をつくり直すだろう。
そのようになるだろう。そのようにして、人間は彼らの昔の誓願を新たにし、神への彼らの足跡をたどり直すだろう」(シェア・インターナショナル誌2002年5月号)
ジュワル・クール覚者は第二次世界大戦の最中、『ハイラーキーの出現(上)』(AABライブラリー刊)の中で、潜在的な可能性や、必要とされる取り組み、未来の形態について、「新しい世界秩序に向けてのステップ」という節で概略を描いている。「新しい世界秩序は、積極的な責任感に基づいて築かれるであろう。『皆は一人のために、一人は皆のために』がルールになるであろう。国家間でこうした態度を培っていかなければならない。それはまだ存在しない」(249~251頁)
悲劇的なことには、私たちが毎日目撃しているように(もしメディアが真実を伝えており十分に勇敢であるなら)、このような態度は依然として、政治家たちの頭からは程遠いところにある。ベンジャミン・クレームの師が以下の文章で言及している「責任の分かち合い」の感覚はどこにあるだろうか。
重要な機会
「・・・わたしたちは人間の中に、責任の分かち合いについての新しい意識を確立することを求める。一致協力した行動の味を、彼らの中に目覚めさせることを求める。わたしたちはこの二つが顕現できるような条件をつくるように努め、そのようにして変化に導く。すべてがエネルギーである。エネルギーのみが存在する。人類という中心(センター)におけるこれらの高度のエネルギーの影響を通して、世界に新しい雰囲気を生み出すことを求める。信頼の条件をつくるために、わたしたちを助けてほしい。そして世界に新たな希望をもたらそう。愛と信頼の種を蒔き、それが希望と喜びとして花開くのを見守りなさい。
兄弟同胞の苦しみを緩和するために、誰でも何かをすることができる。あなたがどこに位置するのかよく判断して、何をすべきかを見つけなさい。すべての犠牲的行為に対して、今あなたの支持を誓い、そこにあなたのできることを貢献しなさい。この時を、与える時となしなさい。あなたの奉仕しようとする意志に十分な表現を与えなさい。奉仕するとき、あなたは光に向かって働き、あなたの目的により正しく整合することを知りなさい。
あなたの位置をわたしたちと共に置き、人間の夢を実現させなさい。あなたの位置をわたしたちと共に置き、わたしたちの助けと刺激とを確信しなさい。あなたの位置をわたしたちの側に占め、とうてい不可能と思われたような行為をなしなさい。・・・」
(「重要な機会」より、シェア・インターナショナル誌1984年3月号)
この合併号(日本語版は1月号と2月号に分けて発行)では、記事や報告、インタビュー、書評の中で次のようなアイディアを前面に押し出している。変革を推進する民衆の力、より優れた指導者の必要性、地球規模の問題に対する常識的なアプローチ、偏狭な民族主義や人種差別主義の危険性、全体主義、ファシズムの厄介な拡大、そして、より良い世界へと指導者たちを導くために集団で活動しようとする民衆の決意をまさに分断し弱体化させるために、悪辣で権威主義的な同人集団がどのように権力を維持し利用しているのか、といったアイディアである。シェア・インターナショナル誌は、自然界のために行動を起こす緊急の必要性を常に念頭に置いているが、従来の科学よりも一歩踏み込み、科学に受け入れられようとしている次の大発見を明らかにする。その大発見は、健康に役立ち、新たな癒しの方法と、私たち自身や私たちを取り巻く環境を体験する新しい方法をもたらすものである。
覚者方に関してはいつもそうであるように、強制は一切ない。私たちは自由に選ぶことができるが、覚者は次のように励まし、導いている。「兄弟同胞の苦しみを緩和するために、誰でも何かをすることができる。あなたがどこに位置するのかをよく判断して、何をすべきかを見つけなさい」
(シェア・インターナショナル誌1984年3月号)