2020年3月号目次

 

覚者より
マイトレーヤの任務
ベンジャミン・クレーム筆記

マイトレーヤからのメッセージ 第120信

今月号の内容概説

視点
国連報告書:不平等の拡大が世界の70%以上に影響を与える

対立する教育観
フィリス・クレーム

教育:目的の拡大
グラハム・ピープルズ

教育
教育——新しい次元(第1部)

時代の徴
世界中の光の現象

気候変動対策の先延ばしの期間は終了した
デビッド・コーテン

S.O.P. -Save Our planet ! (われわれの惑星を救え!)
海洋の温度が歴史的な高温を記録する

世界経済の“日本化”と迫りくる危機
セバスチャン・ヴィルモット

民衆の声
民衆のパワー

編集長への手紙
個人的訪問,他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

マイトレーヤの任務

シェア・インターナショナル誌は創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者から毎月記事を提供してもらった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に関連性を保ち時間を超越している。2005年に書かれたこの記事を選んだのは、非常に鮮明に以下に記されているように、それが希望を強く呼び覚ますからである。「マイトレーヤは、彼に反応できる者たちすべての心(ハート)を開くだろう。そして人間を恐怖と分裂の過去に背を向けさせて、未来の栄光を迎える用意をさせるだろう」

マイトレーヤの任務

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 変化の勢いが世界中を通じて着実に増大しているのがますます明らかになっている。次々に出来事が起こり、新しいものが古いものに取って代わるその順序の論理を識別できるものはほとんどいない。あなた方の兄たちであるわたしたちはこの過程の必然性を認知する。そして、すべてが大計画のより完璧な表現に向かって動いているということを知るわたしたちは、それを満足して見守る。
 しかしながら、人間にとっては、彼らが自分たちの行動の結果を理解し、それに対処しようとするにつれて、それは最大限の努力を要求される困難な時期である。様々な出来事の理路が理解できずに、彼らが信頼をおく神(神性)を疑う。人間にとっては、彼らが盲目的に自分たちの意志を強く主張し、あるいは彼らの努力の結果から逃れようとするにつれて、いつもこのようであった。
 時代から時代へと移行するにつれて、そのような緊張とためらいの期間はいつも繰り返されてきた。各々の新しい時代は、新しい馴染みのないフォース(エネルギー)を世界にもたらし、それが徐々に人間にのしかかり、そして反応を呼び起こすのである。かくして今日もまた、人間が、新しい時代のエネルギーが要求する新しい方向をかすかに模索するにつれて、そのようである。ある人々はその方向を感じ取り、要求される行動について、彼らの同胞を教育しようとしている。しかしながら、多くの人間は変化を恐れ、もし“過激派”が彼らの思い通りに行動するならば、差し迫る混乱と破壊のみを見る。
 この分裂した世界に、キリストはやって来られた。彼の任務は、これらの本質的に異なるグループを和解させ、現在の混乱と騒動の中に秩序をもたらすことである。彼の任務が容易なものではないことは誰の目にも明らかであろう。様々なグループの間の溝は広く、深く固められていることも、等しくすべての者に明らかであろう。では彼は、古いそして怯えている者たちと、急速に発展している新しい者たちとの間の深い割れ目に橋を架けるために、どのようにして働かなければならないのか。また、現代の顕著な特徴である極度の物質主義を、彼はどのようにして押しとどめることができるのか。宗教団体の不寛容さに対処して、彼らが和合を体験するのを助けるにはどうすればよいのか。
 マイトレーヤは、人間の中にひとりの人間として御自身を紹介し、何も要求せず、誰の忠誠をも要求しないだろう。彼のアプローチはシンプルで直接であり、彼の挙動は穏やかで落ち着いているだろう。彼のマインドの明晰さは注目を引くだろう。彼の智恵は人間の恐怖を克服するだろう。彼の発言の誠実さは人間の心(ハート)を溶かし、憎悪と貪欲の重荷を取り除くだろう。かくして、人間は新しい神性の出現を体験するだろう。その内に人間を包含し、そこに距離も分離も見ないお方である。
 宇宙のパワーと愛の体現であり代行であるマイトレーヤは、彼に反応できる者たちすべての心(ハート)を開くだろう。そして人間を恐怖と分裂の過去に背を向けさせて、未来の栄光を迎える用意をさせるだろう。

マイトレーヤからのメッセージ 第120信

親愛なる友よ、わたしは再びあなたがたと共に居る。
そしてあなたがたの周りに志向の光を見るのは喜びである。

これは、わたしのために働くあなたがたの心意気について、
わたしが持っている認識が正しいものであることを確認させてくれる。
あなたがたの心の聖杯からこの内面の真理が輝き出づる光景に、わたしの心は喜ぶ。
我が友よ、あなたがたの生活の中に、真理のための道をあけ、未来への扉を開きなさい。
わたしの使命は、人類のためにあの栄光に満ちた未来への径を輝らし、
あなたがたの裡に愛の原理を呼び覚ますことである。
そしてその愛をお互い同士に顕して、
あなたがたを前方へ導き、すべての人間を神に引き寄せることである。

わたしは戻ってきた救い主である。
わたしは人々の中の一人の男である。
わたしは希望を体現する者。
わたしは神の法の復興者。
わたしは悟りへの手段である。

わたしはすべての人間に救いをもたらす。
わたしは兄弟たちを愛する。
わたしはすべての人間を一つと数える。
わたしは神の法を教える。
わたしは二つの道を結合させる。
わたしは世に仕えることを願う。
わたしは正義を愛する。

わたしは時間に間に合った。
わたしは世界の均衡を正す。
わたしは任務に専念する。
わたしは自由を尚ぶ。
わたしは、人間が用意の整っているのを感じる。
わたしは何ごとをも偶然に任せない。
わたしは新しいものを喚び起こす。
わたしは過去の病を治す。
わたしは古いものを変容させる。
わたしはあなたのひたいに触る。
わたしは天使の軍勢を指揮する。
わたしは神の大計画に仕える。
わたしは兄弟たちを抱擁する。

わたしと共に新しい夜明けに足を踏み入れ、
すべてのものを新しくしなさい。
わたしであるところのものを、あなたがたを通して顕し、わたしの仕事をなしなさい。
真なるあなたであるところのものを表現し、
新しい世界を創りなさい。
わたしの顕現が、神としてのあなたがた自身を顕させるように。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心(ハートとマインド)の裡に、今顕されるように。
それによって、あなたの目から無知の曇りがとり除かれるように。

今月号の内容概説

 世界と地球が私たちの誤った選択による衝撃に対処しようとしている折なので、今月号のシェア・インターナショナル誌は、私たちが自らつくり上げた諸問題に根拠を与えている根本的な要因と同時に、今私たちにとって実現可能な変容に向けて希望を呼び起こす機会に目を向ける。マイトレーヤの任務を描写した記事の中で、ベンジャミン・クレームの師は、紛れもないコメントを残している。「人間にとっては、彼らが自分たちの行動の結果を理解し、それに対処しようとするにつれて、それは最大限の努力を要求される困難な時期である。様々な出来事の理路が理解できずに……」
 このことを念頭に置いて、あり方や自分についての理解の仕方を模索する人間の真の必要を検討することにした。現在と将来の教育から始めるにあたり、グラハム・ピーブルズの多岐にわたる記事「教育:目的の拡大」を取り上げ、次に、教育へのアプローチに関するフィリス・クレームによる内省的な記事が続き、そして同じテーマに関する選集が添えられている。
 人間はこれまで自分の真の性質を本当に理解したことがなく、したがって教育的な必要も理解したことがなかったため、社会的な不正義、貪欲、不平等として露顕している深刻な過ちを犯してきた(グローバル経済システムに内在する不安定さに関するセバスチャン・ヴィルモットによる専門的な分析で検討されているように)。その過ちは私たちの惑星の破壊という形でも露顕しており、それはデビッド・コーテンの記事「気候変動対策の先延ばしの期間は終了した」で見事に描写されている。ここで特集されたすべての主題は、解決策を指し示し、新たな可能性にあふれる未来を提示している。
 今月号を貫く糸の一つは、私たちは皆、転生している魂だということである。これは論理的には、すべての社会構造が変化する必要があることと、地球に対してより大きな責任を負うことを意味するはずである。今月号にはマイトレーヤからのメッセージ第120信もすべて掲載されている。心に語りかけてくるそのメッセージは、優しいものであると同時に、同じくらい力強いものである。以下はそのメッセージの一部である。「わたしは世に仕えることを願う。わたしは正義を愛する。わたしは時間に間に合った。わたしは世界の均衡を正す。わたしは任務に専念する。わたしは自由を尚ぶ。わたしは、人間が用意の整っているのを感じる。わたしは何ごとをも偶然に任せない。わたしは新しいものを喚び起こす。わたしは過去の病を治す。わたしは古いものを変容させる。わたしはあなたのひたいに触る。わたしは天使の軍勢を指揮する。わたしは神の大計画に仕える。わたしは兄弟たちを抱擁する」

対立する教育観

フィリス・クレーム

 「私たちは皆、転生している魂です」
 端的に言えば、子供を教育することに関して、長期間にわたって対立してきた二つの態度がある。一つは、概して、子供が成長してから入っていく社会へと子供を適合させるために、徐々に知識と技能を刻み込んでいくための「空白のページ」あるいは「空の容器」と子供を見なすものである。これは古いビクトリア時代の考えだと思われているが、今日の教育へのアプローチの幾つかをいまだに支えている。
 これと対立しているのが、子供は初めから、潜在的にはすでに存在している人物になるために徐々に発達する可能性のある生来の特質を持っているという見方である。もちろん、教室での実践において、「知識と技能を培う」とか「潜在能力を開発する」と言うように、こうした二つの見方は重なり合っているかもしれない。また、教師たちはたぶん、混合したアプローチが必要だと主張するだろう。それでも、こうした二つのアプローチは、人間についての二つの根本的に異なった見方──物質主義的な見方と霊的な見方──を反映している。「発達(開発)」の支持者にとって、子供は肉体以上の何かであり、頭脳も、遺伝的性質も、環境も、全体を構成するには至らない。
 ベンジャミン・クレームが述べているように、「私たちは皆、転生している魂です」。また、グラハム・ピーブルズが今月号で強調しているように、すべてが一つの聖なる全体の一部である。輪廻転生について知っていれば、つまり、私たちは転生している魂であり、この生涯は多くの生涯の一つであり、霊性を完成させる道に沿って少しだけ前進する一つの機会にすぎないということを知っていれば、教育へのアプローチは大きく変わる可能性がある。一例を挙げると、私たちが皆、魂であるという考えは、他の人々への接し方に影響を与え、生徒を判断する──あるいはなるべくなら、判断しない──別の方法を教師たちに与える。生徒ができることや生徒の知識、技能だけというよりはむしろ、生徒のあるがままの姿を基本的に尊重するようになる。多くの教師は、その信条がどうであれ、生徒に対するこうした根本的な敬意を持っているが、持っていない教師もいる。さらに時には、敬意を持っているとしても、実際の場面でそれを維持することがいつも容易なわけではない。
 「発達(開発)としての教育」という考えは、よく引用される(アリス・ベイリーを通して書かれた)ジュワル・クール覚者による『新しい時代の教育』での陳述に照らせば、かなり違った光沢を帯びることになる。「何らかの形の発達──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的な発達──に向けて人間を駆り立てるすべての活動が、もしそれがその人を現在の状態より前進させるならば、本質的に霊的な性質のものであり、内なる神聖な存在が活発であることを示している」。これは、「潜在能力を発達させる」と通常はかなり漠然と表現される発達という考えよりも正確である。それに含まれるのは、例えば、スポーツ選手として達成しようという努力、物質的な状態を改善しようという努力、満足のいく愛情生活を持とうという努力、より多くの知識を得ようという努力、世の中で善を行おうという努力である。この陳述はまた、人々は進化の様々な段階におり、例えば、情緒により焦点を置いている者もいれば、メンタル界により焦点を置いている者もいることを考慮に入れている。「人間を駆り立てるすべての活動」は志向的であり、すべてが「内なる神聖な存在が活発であることを示している」。つまり、その人の魂が存在し、その人に影響力を及ぼしていることを示している。教育は、すべての人に内在する、志向を表現しようとするこうした意欲を促進すべきである。個々の教師はそうしようと努めるが、技能や試験、職業に焦点を置いた、しばしば懲罰的なシステムはそのように努めようとはしない。あるいは、少なくともかなり狭い形でそのように努めている。
 長年、アリス・ベイリーの内的グループの中で働いたロベルト・アサジオリ※は次のように書いている。「他の人々の自己向上を助けることにおいて本当に成功したいと思うなら、……対処したり規律に従わせたりする必要のある諸傾向に、その個人にとっての外的な力(例えば、教師自身の意志の力)で決して対立してはいけません。……むしろ、生徒の中に潜在している高位の力を目覚めさせなければなりません。……」
 「悲しいかな、親や教育者によってあまりに頻繁に採用される第一の選択肢は、個人の中に対立の感覚を喚起します。その人は、あたかも自分の決定的に重要な発達が阻害され抑圧されるかのように感じるからです。そのため、若者たちの中に、権利の拡大や自己主張、頑固な不服従、猛烈な反抗精神の必要性を強く感じる者がよく見られるのです」
 これは、若い人々の明らかに破壊的な傾向を恐れる人々にとって、多くを語る陳述である。こうした傾向は、より良い世界のために闘っていることを十分に自覚している他の若い人々の行動とは著しい対照をなしている。否定的もしくは破壊的である若者は、自分の志向や「拡大と自己主張の必要性」を表現することを許されてこなかったのであると、したがって懲罰的なアプローチは逆効果であると、考えてよいのかもしれない。
 1960年代と70年代のイギリスでは、主流の教育において、「子供中心」のアプローチ──生徒自身の観点や段階、自分の能力や知識、性格を「発達」させようという能力から始めること──に現在よりもはるかに大きな焦点が当てられていた。しかしそれ以降は、教育課程の狭小化、「就職」や「技能」や「説明責任」への焦点化が、多くの場合、創造的な科目の減少や学習への創造的なアプローチの減少につながった。一部の生徒にとって得るところはあったが、画一性が増し、生徒のストレスが増大するという代償を払うことになった。
 教育は再び、その目的に立ち返る必要がある。グラハム・ピーブルズが指摘するように、これは、この惑星の住民としての私たちの目的を再考することを意味する。学校の生徒たち自身が大挙して告げているように、それは、私たちの内的な一体性という認識、一人ひとりが他の人々と、そしてこの地球という惑星と一体であるという認識を取り戻すことを意味する。ジュワル・クール覚者は(先の引用のあとに)次のように続けている。「人間の霊は不滅である。それは永久に存続し、進化の道を点から点へと、段階から段階へと前進し、神聖な属性や様相を着実かつ連続的に展開させていく」

※ ロベルト・アサジオリ(1988-1974)は「サイコシンセシス(統合心理学)」の創設者であり、トランスパーソナル心理学の分野で大きな影響力を持っていた。

アサジオリ「内的生活に関する覚書」、ビーコン誌、1926年と1995年

ベイリー『新しい時代の教育』(AABライブラリー、2004年)

 「第一に、教育が誰のために存在するのか、そして教育がその機能を果たしていく過程が理解されなければならない。これは見かけほど明白ではないかもしれない。なぜなら、人は長い間自分自身の本性と構成について無知であったし、部分にすぎないものを全体であるとして見、己自身の本質的存在を、大体において無視してきたのであるから。
 転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして『再生誕の法則』を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うようになり、また自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式だろうが、すべて教育である。
 今日の感覚では、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し、コントロールするための最小限の必要条件しか請け合わない。人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶ者はなく、ほとんどの人間が生存のための日常の闘いに気を取られている。……」
(ベンジャミン・クレームの師、「新しい教育」より、本誌1988年第1・2号)

教育──新しい次元(第1部)

 「教育」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。(本誌2008年7月号の選集「新しい教育」も参照のこと)

 新しい次元──魂の次元──が子供の必要を満たすための基盤として、もっと受け入れられてくるであろう。このことが起こると、子供はこの与えられた生涯において、自分の潜在可能性の成就へ向けて進む、進化する魂として見られるようになるであろう。新しい科学、すなわち魂の科学は、あらゆる未来の教育努力の基礎となり、子供と教師両方の生活を変容させるものとなろう。
 学校や大学は制度的側面を失い、子供のいる社会ともっと融合したものとなるであろう。したがって、学校と仕事の間のより密接な関係が当たり前となって“壁のない学校”への道を開くであろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 子供たちは「三つのR」、すなわち読み(Reading)、書き(Writing)、算術(Arithmetic)を教えられる必要がある。しかしこれだけでは十分ではない。彼らは本来どんな存在であるかを教えられる必要がある。今日の子供たちは真我と、心(マインド)、生気(スピリット)、肉体との間の関係を、大人が想像するよりもずっと容易に理解するだろう。
(『いのちの法則』)

 最良の教え(唯一の真の教えだと私は思いますが)は、模範によって与えられます。あなたに与えることのできるアドバイスがあるとすれば、それは、あなたの子供を条件づけや教義、信条などの教え込みから完全に自由にしてあげなさい、ということです。子供があるがままの自分でいられるようにしてやりなさい。彼らを「信条」から遠ざけ、彼らの自発性を決して封じ込めないようにしなさい。そうすれば彼らの魂としてのユニークさが表現されるようになります。
(『光の勢力は集合する』)

 今日のすべての教育制度は、例外なく、程度の差こそあれ、移行状態にある。規律の問題が解決される前に、教育理論や実践において必要な調整が起こるのに相当の時間がかかるであろう。
 若者はどこでも彼らの自由を必要とし、要求する。そして調理済みの知識を追従的に吸収する者としてではなく、彼らの問題への解決や彼らの夢の実現を求める冒険者としての扱いを受ける権利を必要とし、また要求している。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 あなたがたは、意識しようがしまいが、心の中で、わたしの存在の事実に、わたしの呼びかけに応えたからこそ、今ここに集うているのである。それなら、この事実を人に伝え、人類を招いている単純な真理の道を指し示すことを、あなたがたの仕事としなさい。分かち合うことが神聖なることを、愛することが神の特性であることを、共に働くことが人の運命であることを、彼らに教えなさい。未来の光を見ることのできる唯一の壇上に立ちなさい。我が友よ、共にその壇上に立ちて、道を示しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信より)

 今日、学校の教師は子供たちに読むこと、書くこと、計算をすることなどを教えるために訓練されています。教師が生徒の内に喚起することを求められているのは、非常に限られた範囲の概念です。大抵の場合それすらありません。教師たちが、反復記憶によって子供たちに教えるように指示されているのは限られた一連の概念です。私の考えでは、それは全く教育ではありません。
 教育は──物質的、情緒的、メンタル的、そして霊的のいずれの場合においても──個々の子供の潜在力を喚起すべきです。
(『光の勢力は集合する』)

 マイトレーヤは期待されるとおり、計画を巧みに敷かれた。それは様々なセンターや機関の設立をも含み、そこで必要な教育が与えられ、体験が得られ、レッスンが習得される。
のようにして、若くて機動性のある先駆者のグループは新しい生き方、関係の仕方を示していくだろう──彼らの人生に宝瓶宮の愛のこもった、ブレンド(混合)させていくエネルギーをしみ込ませることを絶えず求めながら。賢明な実験を通して、彼らは一歩一歩、存続可能な信頼のおける形態の創造へと進み、徐々にそれらはすべての者に採択されるだろう。
(『覚者は語る 1』─宝瓶宮〈ルビ:ほうへいきゅう〉の水─より)

 これからは学校や大学において、思考やアイディアがどこから来るかということを、われわれは皆全能なる神につながっていることを、そしてわれわれの本当の自己(真我)を経験するのに経典は要らないことを、人々は発見するようになるだろう。
(『いのちの法則』)

 世界には教育がほとんど、もしくは全く行われていない地域がありますから、現在教育を受けていないすべての人々が教育を受けなければなりません。世界中の教育水準は高められなければなりません。何の教育も受けていない人々は少なくとも基礎教育を受けなければなりません。基礎教育を受けた人々はより高度な教育を受けなければなりません。社会を変化させる可能性をつくり出すために、世界中で、金銭とエネルギーと努力が教育に注がれなければなりません。教育なしに変化は起こらないでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 教育的なアイディアや目標の革命的変化は世界中で徐々に展開するだろう。各国は進化しつつある子供たちをその思考の中心において、独自の背景や伝統の中から、それぞれアイディアや実験を提供するだろう。……
 教育の意味と目的についての理解の仕方に深遠な変化が生じ、その中で子供たちは進化しつつある魂として個人のユニークさにおいて考慮されるだろう。そしてすべての教育施設および教育技法が、子供の本質的な神性の開花に仕えるように計画されるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 家庭において、学校において、認識が天与の神聖なるものとして尊重されるだろう。認識は創造の母である。認識を分割することは決してできないし、強いることもできない。教科書でそれを描写することもできない。なぜならそれには、始まりもなく、終わりもないからである。認識は体験するのみである。
(『いのちの法則』)

 すべての家庭で子供たちに真の歴史を教えることのできるテレビ画面を想像してごらんなさい。それは全世界的な歴史です。その歴史は民族主義的、好戦的愛国主義的な歴史ではなく、あらゆる時代を通じての人類の歴史であり、子供たちはそれに自分自身を関連づけることができるのです。覚者方はテレビの画面上に、遠い、遠い昔のアトランティス時代の生活の光景と、そして未来に起こり得る未来像を投影することができます。テレビの画面には、覚者方によって投影される子供たちのための素晴らしいプログラムができるでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

 媒体としてのテレビは国と国を、兄弟と兄弟を、そして人類をマイトレーヤと彼の一団につなげるのに非常に大きな可能性を持つ。それは情報伝達のための最良の手段であり、それが正しく扱われるならば、新しい教育における主要なカギである。その重要性は強調しすぎることはない。現在は、大きな前進への飛躍と世界中のコミュニケーションの連結の準備段階を歩んでいる時期である。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 多くの国々で争いがあるのは、異なった信仰の代表者が互いに同意できないからである。これが教育制度の中に危機をつくる。マイトレーヤはすべての母親と父親に向かって言われる。「あなたの庭を見てごらんなさい。美しい花々を賞賛しなさい。庭は多様性があるときにのみ美しいのである。創造(被造物)の中には七つの色がある。一色でも欠けるならば光はない。あなたは、信仰を受け入れるために、または拒絶するために、ここにいるのではない。七つの異なった色をすべて経験するためにいるのである。そのようにして、あなたの知識と智恵は増えるだろう」
(『いのちの法則』)

 将来の教育においては、正規の学校の教室と、職場や地域社会一般との間に、より多くのより強い関係が築かれると思います。そして教育の一環として、子供たちを非常に幼い時から地域社会の活動に活発に参加させる必要があると思います。そうすれば、極めて初期のころから、家庭よりも幅広い、そして学校とも異なった地域社会の部分として自分自身を見るようになります。学校と置き換えるのではなく、学校が人生にもたらすものを増大させるためです。
(『光の勢力は集合する』)

 わたしが人類の前に姿を現すのも間近い。わたしのグループはすでに知られている。わたしの在所に通ずる径はたくさんある。軽く戸を叩きなさい、わたしは答える。わたしの教えの断片は明かされた。まだまだ多くのことが明かされていない。わたしの知恵の宝箱を開いて、神に関するすべてのことをあなたがたに教えることが、わたしの願いである。
(『いのちの水を運ぶ者』第139信より)

 教師と言うとき、私たちはクラスの中の教師を考えます。学校や学校制度の中で、より豊かな教育が子供たちに授けられるという理由が、私には全く理解できません。一人の教師の代わりに、外部にも教育者と言える教師がかなりいるはずです。彼らは、芸術家、科学者、警察官、医者であるかもしれません。彼らは生徒たちに生活体験という恩恵を与えるでしょう。それが生徒にとって必要なことなのです。
 生徒は、現在行われている一つの主題に沿った特定の授業だけを必要としません。もちろんそれも必要ですが。しかし、私たちは子供の意識を拡大することができるのです。大抵の子供は、彼らが受けた最高の教育は、人生における彼らの創造力に感化を与えた両親、おじさん、教師、および他の人々の鼓舞であったことに、後で気がつくのです。
(『光の勢力は集合する』)

 最初に単科大学(カレッジ)が設立され、最も有能な学生たちに、魂の科学を含めた新しい科学の初歩のレベルが教えられるだろう。この新しい科学は、目に見えるもの見えないもの、亜原子レベルのものからコズミック(宇宙)レベルのものまで、自然環境のすべての面を網羅するだろう。
 このようにして、見えざる世界の栄光についての新しいビジョンが人間に与えられるだろう。異なった分野の間に協力の精神が育てられ、新しい、より広い、より包括的な見解が現在の断片的なものに取って代わるだろう。このようにして覚者たちは働くだろう──人間のマインド(識心)を刺激し、強化し、さらに新しい高みの探求と達成へと鼓舞する。
(『覚者は語る 1』─覚者たちは世に在〈ルビ:あ〉る─より)

 教育においてまず最初に必要なことは、子供たちに自分たちを全体の一部として見るように、様々な国家、肌の色、背景、宗教すべてからなる大きな人間種族の一部として見るように教えることです。すべてが同じ神性を持ち、同じ道をたどり本源へと向かっているのです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

 我が友よ、あなたがたも生活の中で分かち合いを具現することができる。この聖なる原則が是非とも支配すべきである。あなたがたの子供たちに、幼き者たちに、分かち合うことを教え、善を啓発しなさい。わたしの任務は、すべての人を啓発し、無知を真の知識に変え、目で見えるすべてのものの背後に唯一なる実在があることを教えることである。そのようにして人間を神のもとに連れていく。
(『いのちの水を運ぶ者』第127信より)

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

個人的訪問

編集長殿
 1982年にキリスト・マイトレーヤがご自身の『霊的体』に輝く白いローブをまとって私の家に現れられて、再び1987年にも、私がハンプシャーのホワイト・イーグル・ロッジを訪れた時、イエス・キリストが洋服を着た『肉体』を持ってその場におられました。
 1990年代後半に私がサイキック・ニュース誌を購入すると、そこに世界教師についての広告が出ていました。その広告を見たのは初めてのことで、その人は私に現れたのと同じ人物でした。その人についてのチラシを配ったのですが、地元で様々なトラブルになりました。トニー・ブレア首相にも世界教師について、また住宅、教育、保健や社会正義についても手紙を書きました。持久戦ですっかり神経が消耗してしまいましたが、世界教師がすべての人々のためのより良い世界に向けた使命を、間もなく開始されることを期待しています。世界教師と皆さんのご多幸をお祈りします。
リリアン・ラング
英国、チェシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、『白いローブ姿の男性』がマイトレーヤで、『イエス・キリスト』がイエス覚者であったことを確認した】

船上の出会い

編集長殿
 2003年にフクファンホラント(オランダ)からハリッジ(英国)までのフェリーに乗っていて、自分と友人たちの席を探していました。大変混み合っていたので、明らかに一人旅をしている若い男性との相席になるテーブル席しかありませんでした。私は彼に相席で構わないかどうか尋ねてから、腰を下ろしました。
 私はその若い男性から目を離すことができませんでした。私には同じ年頃の息子がいますが、彼と以前に会ったことがあるかどうかを考え続けていて、船旅の間中ずっと、彼の姿を探している自分がいたのです。彼は多くの様々な人たちに話しかけていて、私たちがデッキから降りて車へ向かっていた時、私は彼の方を再び見て微笑むと、彼が微笑み返してくれて、その様子は私が自分の子供たち(私は里親です)に対してするような、ただ子供たちを気にかけて、大切に思っていることを知らせる仕草で、肩をすくめてにっこりとするというやり方でした。
 私は実際にはそのことについてあまり考えていませんでしたが、出会って目が離せなかった、その男性のことを娘に話していたら、彼女が即座にそれは覚者のお一人かもしれないと言ったのです。大変恐縮ですが、娘が正しいのかどうか教えていただけますでしょうか。もしそうなら、彼はママが『可愛がる男の子』としての役割を大いに楽しまれたように思います。
パット・フォレスター
英国、コルチェスター
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

知らないまま

編集長殿
 2019年にスピリチュアル・フェアでの1日の活動を終えて、ちょうど片付け始めたところに、一人の女性がやって来て、私たちのブースのポスターのうちの1枚の前に立ちました。彼女はマイトレーヤの出現に関係のある、徴や奇跡の写真を吟味しているようだったので、私が彼女に近づいて、何か特に目を引いたものがあるか尋ねました。彼女はすぐに、「徴を求める者は、それを見つけるであろう。しかし、わたしの顕れ方は、もっと単純である」という引用文を指差しました。彼女はそれを大きな声で読み上げて、「これはどういう意味ですか?」と尋ねてきました。私は気落ちしてしまいました。まさにその日の朝、もし聞かれたら、どう答えたら良いのか自問してきたもので、いまだに答えは出ていないことを、彼女に伝えました。
 彼女は少しイライラとした様子で、私たちのテーブルへ移動していき、資料に向かって腕を広げて、「あら、わかりません。わかりません。何もわかりません。顕れ? どういう意味ですか? 奇術や錯覚がどこにでもたくさんあります。わかりません。わかりません」と言いました。
 彼女の注意を引く方法を何とか見つけようとして、彼女が仏教徒か尋ねました(そのような格好をしていると思いました)。「いいえ! 違います」と彼女はきっぱりと答えました。それから彼女はさらに「顕れ。顕れ。わかりません」と繰り返して、テーブルの反対側に展示してあった『いのちの水を運ぶ者』の本をさっと手に取りました。それを開くと、「ほらここに! 見て! 顕れ!」と勝ち誇って叫びました。それから彼女はまるですべての答えでもあるかのように、メッセージ第83信の終わりの文章を読み上げましたが、その時には私は要点が全くつかめませんでした。彼女は他の箇所を読み上げた時も、彼女の言っていることが理解できませんでした。彼女の熱意と確信のある様子がかえって障害になっていたようでした。けれども彼女が本の他の部分を眺め始めた時、私が納得できる、マイトレーヤの顕れ方についての質問への答えが、突然頭に浮かんだのです! どうしてそうなったかはわかりませんが、『愛』という言葉がパラパラとめくられるページから、飛び出してきたように見えたのです。私はとてもホッとしました。
 それからその訪問者はブースの他の所を見回り始め、ポスターに書かれた様々な引用文を、私にも聞き取れず、まして一緒に読んだりできないほどの速さで読み上げていました。彼女の言う『わかりません』の合間に、読み上げたすべての文章は、まるで言葉が『顕れ』の何か素晴らしい点を、証明するかのような権威の同じ雰囲気を持っていました。けれども私には効果はありませんでした。
 このことで圧倒されるような混乱した気持ちになりました。まるで私が訪問者で、提示された幅広い分野の資料から、一つの単純なつながりを何とか見つけ出そうと苦労している人のようでした。
 その女性は私を連れて、少なくとも20分間はブースにいましたが、それは知らないということの旅をしていたかのようでした。状況が変わったのは、彼女が帰ろうとしていて、彼女が私たちは皆もっと笑うべきだと言った時でした。私たちは心から賛同し、「何よりも、私たちが自分たち自身を笑う(冷静な目で見るの意)必要がありますね」と言いました。彼女はそれに本当にとても賛成だと言い、いきなり爆笑して、お別れの手を振ってくれました。
匿名希望

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q (公の場で)話をすることはなぜ重要なのですか。(2001年5月、滋賀の伝導瞑想会議)

A 話をするときに何が起こるでしょうか。話をするとき、明らかに言葉は多かれ少なかれ、あなたの意味やアイディアを体現します。そして大半の人々はそれが話すときに起こることのすべてだと考えています。それは重要な一部ですが、それが公の場で外的な分野で人が誠実さと知識を持ってこれらの途方もない重要な啓示、ハイアラキーの存在とハイアラキーの出現について知らせるときに起こるすべてではありません。
 しかし、シェア・インターナショナル誌の手紙で報告されているような、後にマイトレーヤやイエス覚者や他の覚者と確認された方々に何らかの形で接触を受け、話しかけられ、道ですれ違うなどした体験の話について考えるならば、彼らがその話を手紙に書いて送った理由は何でしょうか。なぜ他の出来事ではなく、その出来事なのでしょうか。たとえ体験の中で何も起こっていないように思えたとしても(そしてしばしばそれは束の間で、ほとんど何も起こっていないように思えますが、マイトレーヤや覚者と手紙を書いた人との間で何かが伝わったために、それは真の体験であれば確認されます)、彼らの間では何かが起こったのです。それが話をするときに起こることです。彼らの間で体験の中で何かが伝わり、それは話の中でも伝わります。
 話をするときに人々が伝える最も重要なものは、それは話し手であれ聴衆としてであれ、彼らのオーラです。あなたは話を聞きに行き、それに関心を持ち、後で何の話だったかを尋ねられたとき、それが何なのかを伝えることはおそらく難しいでしょう。しかし、あなたはその「感じ」を知り、話をした人のオーラを感じ、話し手と聴衆の間の交流を感じ、それはおそらく忘れ難いものでしょう。肉体には誰もが気づきますが、エーテル体とそのエネルギー、エーテルを通して世界に流れたフォースに気づく人はほとんどいません。チャクラを通したそのエネルギーの過程はあなたがどこへ行くときにもその個人のオーラを形成します。そのオーラは、エーテル物質体、アストラル情緒体、四つのレベルのメンタル体、そして魂の三つのレベルのどれかで構成され、もしその人が十分に進化していれば、モナッドのエネルギーの何らかの様相、つまり霊の様相も関わるでしょう。人が話をするとき、そのすべてが明らかになります。それらのフォースはその磁力を聴衆に感じさせます。伝導瞑想をしている人々やハイアラキーの再臨のために働く人々は人類の中でより進化しています。彼らのオーラはどんどん磁力的になります。
 大衆に向けて話すとき、あなた自身のオーラは機能し、あなた自身の磁力が生き生きとします。あなたは鏡を見て、「私ですか? いいえ、私はあまりに臆病です」と言います。あなたが臆病に感じるのは、あなた自身を臆病にしているからです。人々は自分にはできない、話すことはできないと考えます。内気すぎて、話をすることを誰かに任せます。全体として、彼らは容易にできる話をしません。しかし、話せば話すほど、自信がつきます。自信が深まり、ますます容易になります。それはあなた自身のグラマーを克服するという問題だけではありません。それは最終的な「生産物」を見ることでもあります。それはあなたの外部にあるもの──あなた自身ではなく、仕事、大計画、あなたがそのために働いている大義──であるということを理解することです。自分がしていること(例えば本屋に本を持っていくこと)と同一認しているならば、あなたは自分自身を売っているような気になるでしょう。しかし、自分自身に集中することをやめて、仕事に集中するならば、あなたがしていることを単に大計画や大義に関連付けるならば、あなたは何でもできることに気づくでしょう。

Q どのようにグラマーを理解すべきですか。

A グラマーは、(通常私たちが定義するようなものとは)異なる方法で見れば、自由意志の誤用です。私たちは自由意志を持ちますが、その自由意志はそれが「神の意志」と呼ばれるものと一致しているときにのみ正しく用いることができます。つまり、それが惑星ロゴスの進化の大計画と一致しているということです。そして、それが私たちのレベルで理解できる大計画と調和していれば、あなたはあなたの自由意志で自分が言うべきと思うことを言ったり行ったりできます。自由意志とは権利でもありますが、責任でもあります。そしてグループにとっての責任は、あなた自身の自由意志と同じくらい重要です。
 グラマーの本質は、人間は非人格的、客観的にはなれないということです。非人格性あるいは客観性はグラマーの正反対であり、それは常に、何らかの程度で、人格的で非客観的です。グラマーの本質は無知です。書物や情報の無知ではなく、自分自身についての無知です。それはしたがって、客観性と主観性の違いが分からないということです。あなたの動機が、オープンで明瞭で非人格的か、完全に個人的なものであるかの違いが分からないことです。
 世界の人々の99%がアストラル偏極しているというのが事実です。それは彼らの注目がアストラル界にあることを意味します。それが人々の生きている世界です。彼らの意識はアストラル界に偏極しています。もちろん程度はあります。世界の伝導瞑想グループにいる人々の大半は、第1イニシエーションのあたりにいます。そして彼らの大部分は1から1.5の間にいます。つまり、ほとんどの人々は、大計画に沿って意識的に働こうとしている伝導瞑想グループの人々でさえ、比較的に言って、アストラル偏極しているということです。彼らは本を書くことができ、計画を立て、ロケットを月に飛ばすことなどはできるかもしれませんが、それでも1.5か1.6以下なのです。つまり彼らはある種の思考はできますが、秘教的な見地からは、本当には思考できないのです。それは真の思考というより推論です。思考のうちの最低の部分であり、(メンタル界の)最低のレベルにおける具体的思考です。
 要するに、アストラル偏極していれば、それがあなたの意識の座であり、したがってマインドのレベルであり、アストラル界より上位のマインドの魂のレベルは(あなたにとって)失われます。あなたはそれ以上のレベルには行けません。行けたとしても束の間です。それは継続性の問題です。
 簡潔に言えば、人々はあらゆる種類の刺激に反応し、その刺激についての「考え」を言葉にして反応しています。実際、それはまだ感覚の問題です。彼らが話している刺激に対する感情的、感覚的反応です。それは「思考」ではなく反応の感覚です。それが彼らを怒らせたり、不幸にしたりするのです。