2022年10月号目次

 

覚者より 神の代理者
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
気候非常事態が地球を襲う今、新たな「ウォール街の責任を 追及する」キャンペーンが開始された
ジュリア・コンリー

民衆の力が生活を変革する
ドミニク・アブデルヌール

『限界とその先』ウーゴ・バルディ、カルロス・アルバレス・ペレイラ編
シェア・ギルモアによる書評

『モリヤの庭の木の葉』

統一のマントラム

マイトレーヤの教え
ベンジャミン・クレーム

時代の徴
心強い徴

世界情勢
「国境なき外交団」:問題だらけの世界を修復する新たな奉仕活動

編集長への手紙
ビブーティの奇跡 他

新しい時代の教育

意識
アート・ユリアーンス

ウクライナ戦争が激化する中、和平交渉は不可欠である
メデア・ベンジャミン、ニコラス・J・S・デイビス

ゴルバチョフ――「英雄、偉大なる人間」

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

神の代理者

──覚者より
  ベンジャミン・クレーム筆記

 人間は、前進への道に迷ったとき、問題解決の道を見いだせずに希望を失ったときはいつでも、救いを求める本能的な叫びを、苦悩の中で神に助けを求める訴えを発する。このようにして、20世紀の始めの(世界)大戦中に人類がくぐり抜けてきた労苦がキリストを呼び、彼を再び世界の中に呼び招いたのである。過去のあらゆる変遷を通じて、今ほど多くのことがキリストの到来にかかっていることはなかった。なぜなら、人間がこれほどの破壊力を支配したことはかつてなかったから。
 今日、国家は限りなく分裂している。それぞれが世界の智恵の貯蔵庫であることを主張し、人間に自由と正義のどちらかの選択を提供する。人間がそのような選択を迫られるとは何とばかげたことであろうか。自由と正義は(どちらも)聖なるものであり、神性なるものは不可分である。正義なしに自由はあり得ず、自由を奪われた正義は存在しない。間もなく人間は、真理のこのひどいこじつけを永遠に終わらせ、国家間の不和を癒す機会を与えられるだろう。人間はすべて聖なる存在であり、神の贈り物と計画を分かち合う平等の権利を持つことを認識することのみが必要である。そのような認識なしには、人間は平和を知ることはないだろう。
 人類がキリストを見るとき、自分たちが孤立した存在ではないことを、神の代表者が人類の呼びかけに応えて援助するために戻られたことを知るだろう。キリストは、人間がその本源を神の中に有することを、そして彼らすべてが兄弟であり同族関係であることを思い出させるだろう。キリストは人類の前に、未来の選択を示し、勧告する資格を有する彼の権利を行使するだろう。すべてのためにより良き人生へ向かうステップの輪郭を描かれるだろう。それは人間の霊的本性により適った生活である。キリストは、教え、導き、かくして人間の行動を通して、世界を変えるだろう。
 はじめは、人間が変化の恩恵に慣れるまでは進歩は遅いかもしれないが、やがてその速度は早まり、すべての者が沸き返るような変動の中に誘い込まれる。その過程を止めることのできるものは何もない。なぜなら、それは神の御心の中に源を発しているのだから。神の大計画の磁力に長い間抵抗し得るものは何もない。
 大計画が成就されるのを妨げる最大の要因は、疑いもなく人間の恐怖心である。人間は自分たちの周りに敵意ある世界を見、あらゆる側において貧窮と欠乏に脅かされている。
 核の脅威は、すべての者の上に重くのしかかっている。マイトレーヤは、人間は彼ら自身の恐れ以外に恐れるものは何もないことを勧告されるだろう。人間が自分たち自身にとっての最大の利益のために行動しさえすれば、祝福された未来が待つことを、そして神の意図こそが人間の持つ最良のものであることを示されるだろう。人間は、自分たちの欲する世界を創造するために行動しなければならないことを示され、彼は救うためではなく、道を示すために来ることを、示されるだろう。マイトレーヤは、奉仕の重荷と歓びを自ら担う者すべてに力を与えるだろう。彼の重荷を分かつ者すべてに油をそそいで聖別されるだろう。
 古いあり方を保持する者は危険を感じるが、負け戦を戦い続ける。彼らは城の壁を強めようとして空しい努力をする。正義の潮の流れが変わるにつれて、彼らの塁壁は弱まる。人間が自由に向かって突き進むにつれて、彼らの擁護者は彼らを裏切る。この混乱の中にマイトレーヤはやって来られた、ご自身の聖なる資質を人間のために喜んで供するために。

(シェア・インターナショナル誌1987年7月号)

今月号の内容概説

 私たちのシステムのほとんどが壊れているため、社会を組織する新しい方法を早急に創出する必要があることを、私たちは皆知っている。今月号の記事は、構造内の亀裂を浮き彫りにし、前方への新しい道を指摘しているが、現代の経済や政治、産業、教育、生態系に関わる規範の誤りと内在する弱点を特定することから始めている。シェア・ギルモア氏による『限界とその先』の書評は、過去には耳を傾けられなかったが今は理解されなければならない警告を、実に良いタイミングで思い出させてくれる。視点の記事「ウォール街の責任を追及する」はまさしくそうした警告を発しており、巨額の利益と資本主義体制の極端な例を非難している。
 今月号はまた、混沌とした時代に対する人類の生来の霊的・心理的な反応──高位の力に対する私たちの本能的な訴えかけ──を明らかにしている。しかし、私たちの行動は依然として恐怖と不安によって駆り立てられている。ベンジャミン・クレームの師は次のように述べている。「大計画が成就されるのを妨げる最大の要因は、疑いもなく人間の恐怖心である。人間は自分たちの周りに敵意ある世界を見、あらゆる側において貧窮と欠乏に脅かされている。核の脅威は、すべての者の上に重くのしかかっている」。クレームの師はさらに続けて次のように述べ、私たちを安心させている。「マイトレーヤは、人間は彼ら自身の恐れ以外に恐れるものは何もないことを勧告されるだろう」。必要な変化を成し遂げる方法は極めて単純である──自分たちが望むような世界、共通の利益に奉仕するような世界を創造しなければならない。
 マイトレーヤ御自身が『モリヤの庭の木の葉 Ⅰ』(アグニ・ヨガ協会刊)で伝えられた言葉の一部が転載されている。マイトレーヤはその中で、御自身の臨在について読者に安心感を与える一方、新しい世界を建設するための行動へと人類を促している。「この重苦しい日々には、君は労役により、無罪放免されるだろう。そして行動により、君は高められるだろう」。自分の環境のせいにして自暴自棄になることも容易であったはずだが、そうはならずに自分自身と近所の人々がより良い生活を築くために働くよう3人の若者たちを動機づけたのは、彼ら自身の労役と社会正義の追求であった。この過程は「民衆の力が生活を変革する」という記事で描写されている。
 万人への奉仕のために自分の人生を捧げ、マイトレーヤのアイディアに対して敏感であり、世界規模の途方もない変化の火付け役となったのは、ミハイル・ゴルバチョフ氏であった。その生涯を追悼するために、1990年代にベンジャミン・クレームによって伝えられた情報が掲載されている。次の言葉はゴルバチョフ氏の幅広い包括的なアプローチをよく示している。「平和とは、類似性の中の和合ではなく、多様性の中の和合に、様々な違いを認めて和解することにあります」
 意識の特性についての(アート・ユリアーンス氏の)短い論文、教育に関するミニ選集、国連世界人権宣言第26条、和平交渉の必要性の強調は、もしこの惑星が繁栄し危機を乗り越えようとするなら学ばなければならない他の教訓を明らかにしている。「徴」と「手紙」のページは、私たち──人々と惑星──は独りではなく、マイトレーヤや覚者方、スペース・ブラザーズ(宇宙の兄弟たち)からの助力を当てにすることができるということを多くの読者に確信させる。

マイトレーヤの教え

ベンジャミン・クレーム

 キリスト・マイトレーヤの教えの概要をジュワル・クール覚者がわれわれのために記述してくださった。その教えは、われわれすべてが生まれながらにして知っており、真理であると認めているものであることに気づくだろう。正しい関係はわれわれの生活の基礎であり、そのような正しい関係をつくるために、われわれは何度も何度も生まれ変わってくる。マイトレーヤはその必要を繰り返し語り、実行に移す方法を再び示されるだろう。
 正しい人間関係の創造への最初のステップは、われわれの政治、経済、社会の構造の変革である。人間は今日、霊的精神的危機を通っており、それがこれらの分野に集中して顕れている。そして、経済問題の中核に分配、再分配の問題がある。正しい人間関係は人間が次に達成すべきことであり、神によって定められたものである。われわれが贅沢と浪費の中で生活しているのに、他方、第三世界の何百万もの兄弟姉妹たちは飢え死にしている。そのような状態の中で、われわれは彼らと正しい関係にあるとは言えない。
 解決法は明らかである。この豊かな世界の資源を分かち合うことが正しい関係への欠くべからざる最初のステップである。マイトレーヤはこのことを明らかにされ、この目標に向かって人類が行動することを鼓舞されるであろう。分かち合いと正義を、真の平和への(したがって人類の存続と世界の救済のための)唯一の道として、呼びかけられる。それは、本質的には、正しい人間関係の確立と今日の世界にある明らかに悪い関係を廃棄することへの呼びかけである。個人的、国家的、国際的競争と貪欲、かつてないほど強烈な世界的な憎悪と暴力、分離主義と排他性、自分自身の理想に対する狂信的執着、われわれを自己破壊の淵までもたらしたすべての痛恨と不信を廃棄することである。

裂開の刀

 マイトレーヤの愛のエネルギー ──「裂開の刀」──の効力が現在の世界にある極化をつくり出したのであり、それは人類に前進への道をはっきりと示すであろう。包括性と愛、正義と人間の精神の自由のために闘う者はすべて、彼の周りに集うであろう。分離主義と搾取、競争と貪欲に味方する者は、同じく明らかになるだろう。そして人類の前にある選択は非常に明瞭になるだろう──愛と憎しみ、分かち合いと貪欲、平和と戦争、生と死との間の選択である。マイトレーヤは(メッセージ第11信の中で)言われた。「わたしの心はあなた方の答えを、選択を知っている。そして喜んでいる」と。彼の愛のエネルギーに応えて、人々はすべての国々において、様々なグループをつくり、正義と平和と正しい関係を要求するだろう。(それはもうすでに始まっている)。間もなくこれらのグループは世界で最も大きな、最も強力な勢力となり、平和と善意の新しい時代を招じ入れるだろう。

再生誕の法則

 再生誕(転生輪廻)の法則の認知と理解の中に、正しい人間関係と人類の問題の解決への鍵がある。これは西洋ではほとんど完全に無視されてきた(しかし、現在それは変わりつつある)。他方、東洋ではそれを従順に受け入れすぎたこと、そしてその意味についての誤解が彼らの努力の停滞をもたらした。マイトレーヤは、われわれが完成への長い進化の旅路を行くに当たって、この法則がいかに関係しているかを示される。そしてこの教理が新しい世界宗教の基調の一つとなるだろう。
 今日、西洋においてこの法則が受け入れられているところでは、ほとんど完全に過去世の記憶の回復に強調が置かれ、そのような活動に伴うあらゆるグラマー(自己眩惑)と惑わしで満ちている。マイトレーヤは、この法の真の働きを、転生している魂の完成への過程として示すだろう。(すべての形態の中に)再生誕してくるのは魂であり、魂自身の特性が三次元の世界における人間生活の中で──肉体的、情緒的、識心的に──完全に実演されるようになるまで、次々とその乗り舟である肉体人間をつくり変えては再生誕してくるのである。
 マイトレーヤは、再生誕の法則と因果の法則(東洋ではカルマの法と呼ぶ)との関係を示すだろう。この関係を正しく理解することによって、人類はすべての活動において無害であることの必要性を知るようになるだろう。魂は、お互い同士の間に、そして根源なる神との間に正しい関係を達成するために、グループ集団で周期的に転生してくる。この事実に必然的に備わる責任と義務が理解され、正しい関係の必要性と実務牲が明らかになるだろう。

イニシエーションの秘法

 今日のマイトレーヤの再臨は、彼がその長をしている霊的ハイアラキーの外的顕現でもある。アトランティス時代以来初めて、ハイアラキーの覚者方とイニシエートたちが世界で公に働かれるのであり、われわれは彼らの本当の姿を知るだろう。
 彼らはいにしえの秘法の管理者であり、その秘法の中に進化の過程についての鍵が含まれており、それは数字や儀式やシンボルの中に隠されている。その秘法はまた、生命そのものの秘密を人類に解き明かし、宇宙のエネルギーをわれわれの手の中に置くであろう聖なる科学への鍵も含む。これらの大昔の秘法が明かされ、魂の事実が証明され、人間の本質的不滅性が知られるだろう。
 イニシエーションの秘義の秘められた過程は今日、何千人ものイニシエートの意識的体験である。来るべき時代には、それは何百万の人々にとっての外的世界での儀式の体験となるだろう。本質的に、イニシエーションは意識の拡大の結果であり、そして高位の価値と霊的理解に対する認識と受信能力を精妙化する結果であり、またそれに導くものである。この意識の拡大を通して、イニシエートはそれまで自分から切り離されていたところの真我(聖なる存在)の様々なレベルと様々な意識の状態に気づくようになる。この体験はイニシエートの放射能力(発光)を増し、さらに大きな奉仕を世に行うことができるようになる。その人はまさに「覚醒し者」となっていくのである。
 マイトレーヤはこのイニシエーションの秘法について教えるだろう。彼は最初の2段階のイニシエーションの司祭として、人類を神の王国、つまり彼が長を務めるハイアラキーへと導かれるだろう。この体験を通して、人間は自分たち自身を本来の神として認識するようになるだろう。

グラマーの消散

 人類の大多数はいまだアトランティス時代の意識を持つ。つまり、意識が情緒界に極化しており、普通の日常の意識の活動は情緒(感情)界にある。そしてその界のグラマー(自己眩惑)の迷路の中で迷っている──ゆえに現在の世界の混乱と問題が存在するのである。ジュワル・クール覚者の言葉を引用すると、「人間が同胞に提供することのできる最大の奉仕は、自分自身で、己の裡なるキリストの力を通して、エネルギーを方向づけ、自分自身をその界(アストラル界)の支配から解放することである」。そして「人間の心(ハート)が活発になる瞬間、その瞬間には感情的な、太陽神経叢(みぞおちチャクラ)の活動は終止する」。人間はハートを通して、マイトレーヤの呼びかけに応える。この愛の様相を刺激することによって、マイトレーヤはすべての者を通して働き、世界を変え、同時に、われわれをグラマーや無知や恐怖から引き上げるのである。彼のエネルギーが授けるより大いなる生命を通して、われわれを光の中へ、神性のまことの顕現へと導くだろう。

(シェア・インターナショナル誌、1982年7月)

編集長への手紙

 シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている

ビブーティの奇跡

 2022年4月16日(イースターの週末)の朝に、私たちの娘ラヘルが、のどに痛みがあり少し具合が良くないと言ってきました。繰り返し吐き気を覚えていましたが、この時にはさらに少し深刻なようでしたので、数時間後、私たちは娘にコロナの簡易検査をすることにしました。思ったとおり彼女は陽性でした。私たちの地域の指針に従って、すぐに娘の部屋を支度して、家族全員がマスクを着けて、様々な予防策を講じ、5日間のロックダウンに備えました。私たちは数時間、ビデオチャットのおしゃべりをしたり、娘を含めた家庭内行事を行ったりして過ごし、その後夕食になりました。
 夕食前に私は娘の部屋に行き、少しビブーティを渡しました。それはたくさんのビブーティが現れている個人のお宅からの贈り物で、(元はグループのメンバーたちへのもので)グループメンバーから私たちに贈られたものでした。私たちの誰か、あるいは知人の誰かがウイルスに感染した場合に備えて、私はそのビブーティのごく一部を取っておいたのです。ラヘルはごく少量のビブーティを手に取って、それを舐めました。部屋を離れた直後に彼女が呼ぶ声が聞こえました。「ビブーティが戻ってきた」という声でした。
 彼女の手を見ると、左の手のひらの中央にビブーティの薄い線が見えました。「そうだね、ビブーティは少し残ることがあるよ。それを舐めてみて。携帯を取ってくるから」と伝えました。
 携帯電話を持って戻り、彼女の手を見ました。ビブーティは戻っていました。同じ場所に、同じ細い線になっていました。私は娘の手の写真を撮り、それからビデオ撮影もしました。
「ビデオを撮っているから、もう一度手を舐めてみて!」と伝えました。
 ラヘルは自分の手をしっかりと舐めて、それをカメラに向けると、完全に無くなっていました。私たちは15秒ほど待ってから、彼女が手を眺めて閉じたり開いたりして、再び見つめていました。それから私に見せてくれました。ビブーティは戻っていたのです! 驚くべきことです!
 ラヘルはもう一度舐めてから手を洗いましたが、その時には戻ってきませんでした。ビブーティが現れたことで大変心強く感じられました。ラヘルは大丈夫だろうと分かって、私たちは皆とても安心できたのです。
 翌日はイースターの日曜日で、ラヘルはまだ少しもうろうとしていましたが、全体的にはとても回復していて、かなり良い気持ちで目が覚めました。私たちは検査を受け続けました。娘はしばらくの間、陽性反応が続きましたが、症状はほんのわずかで、私たちの誰も彼女から感染しなかったのです。

ティム・ベーツケス

 
(写真提供:ティム・ベーツケス)
米国、アルバータ州セント・アルバート

 

 

癒しの手

 長い間、重度の健康問題を抱えた後、3週間前(2022年7月)に医師たちが私の二つの致死的な症状の体内要因を発見するために、いくつか侵襲的(身体に負担となる)処置を行う計画を立てました。
 そうした処置を待っている間に、私はマイトレーヤに助けを求めて、毎晩マイトレーヤの『手』のカードを1枚敷いて、その上に仰向けに眠っていました。3夜か4夜目に非常にリアルな夢を見て、むしろ映像のように感じられました。夢の中でグループのメンバーたちが、想像上の部屋の中に大勢集まっていたのです。これは私の夢の中で何年にもわたって繰り返されています。
 金色の光が溢れる中で、映像の部分が輝くような色彩を伴って始まると、ベンジャミン・クレーム氏が満面の笑みを浮かべて私の方へやって来て、片手と前腕を優しく私の腰に当てました。例えるなら、紳士が女性をレストランで案内するようなやり方とほぼ同じでした。彼は手をそのままにして、私たちは気さくにおしゃべりをしながら数分間メンバーたちの間を歩いていました。
 朝、目が覚めると、数カ月ぶりに初めて一晩中とてもぐっすりと眠れて、痛みから解放された感じがして、喜びと平安に満たされていました。この状態があまりに明らかに継続したので、私が外傷から回復するのを助けてくれていたもう一人の医師が、その変化に仰天したことと、これまでは本来の私の姿を見たことがなかったことを自発的に伝えてくれました。これは今まで3週間続いているのです。
 私の妹は懐疑的なタイプですが、過去数週間のうちに何年も見ていなかったほど、私が突然活動的になり、身体も機能しているようだと、やはり自分から伝えてくれました。そして昨日、その処置を受けたのですが、全く何も悪いところがないことに、私自身も医師たちもびっくりしていました。私は心の中でこれが治癒だと分かり、感謝でいっぱいでした。

フランシス・オマーン
米国、カリフォルニア州バークレー

新しい時代の教育

 シェア・インターナショナル誌今月号の裏表紙にある国連世界人権宣言からの引用は、今日の教育に関するものである。教育を受けるという単純で基本的な権利を主張するものであるが、世界中の非常に多くの人々がそうした権利を享受しておらず、したがって不十分な生活を送っている。
 教育は、社会の中で生きることから十分に恩恵を受け、社会に貢献する能力を促進する、と今日考えられている。また、教育は、人が「潜在能力を発揮する」ことを可能にするものと見なされることも多い。

 ベンジャミン・クレームの師による以下の記事は、「良き市民」という考え方を当然と見なすだけでなく、はるか先を行っている。新しい時代のための教育の本質的目標は、人が転生している魂としての自分自身についての理解を増大させることを可能にすることである。深い確信をもってこのことを知っていれば、私たちは社会における地歩を得るとともに、喜び、意義、すべてのいのちの一体性についての理解をもって社会に貢献することができるようになる。この増大する認識に比べれば、一般に教育の目標として考えられており、人が社会で地歩を得ること──あるいは、ある場合には世界をつくり直すこと──を可能にする知識や技能は二次的なものになるだろう。私たちが転生している魂であると知ることは、他のあらゆるものの根幹である。

新しい教育

       ──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 新しい時代における教育の方向について洞察するにあたって、教育が果たす基本的な目的を確立し、そうして現在の教育のアプローチの不十分さに光を当てることは有益であろう。
 第一に、教育が誰のために存在するのか、そして教育がその機能を果たしていく過程が理解されなければならない。これは見かけほど明白ではないかもしれない。なぜなら、人は長い間自分自身の本性と構成について無知であったし、部分にすぎないものを全体であるとして見、己自身の本質的存在を、大体において無視してきたのであるから。
 転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして「再生誕の法則」を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うようになり、また自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式だろうが、すべて教育である。
 今日の感覚では、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し、コントロールするための最小限の必要条件しか請け合わない。人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶ者はなく、ほとんどの人間が生存のための日常の闘いに気を取られている。
 今日、すべての国家がいまだ文盲以外の何ものでもない。至るところに、事実で詰まったマインド(識心)が意味ある仕事を欠いてぼんやりしている。職業のための教育が人生のための教育に取って代わり、他方そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力に爆発する。
 教育は内在する神に接触し、これを知り、それに表現を与える手段として理解されるべきである。伝統的には、宗教がこの目的を果たすものとして見られ、宗教教育が今日多くの国においてその防壁として残っている。しかしながら、宗教は神へ通じる幾多の通路の一つにすぎず、すべての人間が己の神性を体験し、それを表現できる手段を見つけなければならない。
 新しい教育はこの目標に応えるべきである。神の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばならず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが一般的に使われるようにならなければならない。
 光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏付けされるとき、より科学的なアプローチが子供と大人の両方の教育に採り入れられるようになり、その過程に新しい意味が与えられる。それによって、人は神になることを学ぶ。
 このすべてが教育の分野で働く人々の熱心な努力を待っている。そのような任務にふさわしい適性を培うことが、若い者たちを教える志向者すべての目指すべきものである。今、われわれすべての前に開かれる新しい時代において、人生のための教育に挑戦しようとする用意のある者にとって、これほど良い奉仕の機会が現れたことはない。
 人間が分離と分割の問題に取り組むにつれて、新しい可能性の展望が間もなく現れるだろう。これがエネルギーを解き放ち、人間をやがて神の足下に連れていく訓練や教育のテクニックが鼓舞されるだろう。

(シェア・インターナショナル誌1988年1月号)

光の時代

       ──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 各世紀に、同時代の人々をはるかに抜きん出る者が何人か出現する。彼らの天賦の才は顕され、天性は輝きわたり、すべての者がこれを見、そして賞賛する。そのような人々は、人間が、己自身について、そしてその可能性についての認識を増大させていく方向につながる仕事を成し遂げた偉大な発明者であり、画家であり、作家、音楽家、科学者である。
 近年において彼らの注目は、科学と人間の知識の拡大に向けられてきた。これが、今までは達成の望みさえかなわなかったほどのスケールで、人間のマインド(識心)を目覚めさせる道を整えたのである。人間は今日、これまでの達成をすべて影の中に投じてしまうような新しい啓示と発見の瀬戸際に立つ。
 この来るべき時代は「光の時代」として知られるだろう。そしてあらゆる意味と顕現を含めた「光」が人間の起源となるだろう。見る目のある者にとって、人間が「光の部屋」に通じる扉を叩き始めている徴はすでに見えている。人間が、新しい洞察とテクノロジー(科学工業技術)が意味するものに取り組むにつれて、古くからの闇と無知は消え去っていく。間もなく、「光の科学」が、「聖なる科学」が、人間の驚嘆した凝視の中に明かされるだろう。そうして人間の進化の旅路における一つの重要な目標が達成されるだろう。
 現在まで、ほんの少数の専門家のみがこの「光の科学」に接近することができたのだが、この恩恵をすべての者の利益のために使えるようにするためのステップがすでに取られている。エネルギーおよび光についてのすべての人間の必要は、簡単にかつ安全に満たされるだろう。太陽そのものがこの目的のために利用される。「マイトレーヤの旗印」のもとに愛において団結し、人間は星々への新しい通路を創り出すだろう。人間が自然の神秘を探究するにつれて、自然はその秘密を明け渡し、すべての底に横たわる秩序だった美を明かすだろう。
 このようにして、新しい、より簡素な生活が、マイトレーヤと彼の「弟子たち」(覚者たち)の導きのもとに始まるだろう。人間は喜んで過去の分割を放棄し、生きとし生けるものすべてと新しい調和の中に入るだろう。
 永いあいだ、人間はこの調和への鍵をあこがれ求めて、空しく探しまわった。彼らの最高の志向と努力はいつも無駄に終わった。今、初めて、一体性についての認識が目覚めはじめ、分かち合いとより正しい安全な線に沿って生活を立て直す必要性が、人間の心(マインド)に印象を刻みはじめている。
 新しい時代、「光の時代」は、われわれの頭上にある。そしてこの来るべき時に、人間は、彼らの祖先が持ち得なかった、あるいは無視したインスピレーション(鼓舞)と導きを見つけるだろう。今やついに、人間とハイアラキーの覚者たちは、兄弟同胞愛と信頼という共通の絆で結ばれて、一緒に働き、前進するだろう。わたしたちの示す模範によって、人間は鼓舞され、超人間的な努力で達成をなし遂げ、光がすべての者の心(ハートとマインド)にもたらされるだろう。
 そのようになるだろう。そのようにして、創造の偉大なる秘密は明かされるだろう。そのようにして人間は創造者となり、自分自身の運命の調整者となり、「神のような存在」となり、「人間」の名にふさわしい存在となるだろう。

(シェア・インターナショナル誌1989年9月号)

新しい時代における教育の基本目的

『新しい時代における教育の方向について洞察するにあたって、教育が果たす基本的な目的を確立し、そうして現在の教育のアプローチの不十分さに光を当てることは有益であろう』

 確かにそうです。もし私たちが教育の目的を知らなければ、もし教育される人々についての(本来の)特質を知らなければ、そして現在の教育方法とアプローチが変わらなければ、若い人々や成人を新しい時代の人生体験に備えて訓練するにあたってあまり進歩を期待できないのは明らかでしょう。
 新しい時代における生活は、地球上における過去のすべての経験と完全に異なるでしょう。最も進化した者たちを除いて、私たちの誰も、智恵の大師(覚者)方の直接の訓育の下に、悟りへの様々な段階を通り、人生の意義を深めていく経験を持ちません。
 来るべき時代には覚者方は公に世界に住むでしょう。……覚者方の多くが何らかのかたちの教育に関わるでしょう。来るべき時代には、彼らの弟子たちがまず、若い人々も年老いた人々も含めたすべてのグループの訓練と教育の主な任務を果たす人々のための教師になるでしょう。
 世界が分かち合いと正義と平和を通してますます和合していくにつれて、人間の構成の特質や地球上における人生の目標が認識されるようになり、ますます多くの人々がもっと知りたいという欲求にかられるでしょう──自分が誰かについて、人生の目的について、そして自分の進化の段階について。人々は進化について話すでしょう。それが地球上における最も重要な要素となるでしょう。人類の意識の進化、そして自然界におけるすべての王国の発展が、至るところにいる男女の思考と目的を支配するでしょう。
 人々が転生している魂としての自分たちのアイデンティティーについてもっと認識するにつれて、魂の特質をよりいっそう表現し始めるでしょう。
 ですから、直観が、今日ではほとんど働かない人々の中に、働き始めるでしょう。人生の外的な見かけの背後にある可能性や意味をますます直観的に知るようになるでしょう。あらゆる面において、自分が誰かを知りたがるでしょう。自分はなぜ生まれたのか、以前にも本当に生まれたことがあるのか、自分は本当に再生誕の法則を通して連綿と続いた転生の結果なのか。……
 教育は認識の問題です。……認識を通して、私たちは人生に対して自分自身を開きます。いのちはエネルギーとして振動しており、そのエネルギーの意味と効果について意識的な認識を増大させるにつれて、進化します。そしていのちの意味と目的によりいっそう気づいていきます。
 それは直観的プロセスです。直観とは実際、意識的認識です。それが開発されるにつれ、私たちがますます魂の特質に近づくにつれ、意識はよりいっそう魂のようになります。直観(それは魂の様相です)と呼ばれるものを通して、あの意識が私たちに開かれ、顕されるのです。……

『職業のための教育が人生のための教育に取って代わり、他方そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力になって爆発する』

 人々は子供たちがなぜあんなに暴力的なのか、なぜ人が無意味に暴力を振るうのか、不思議がります。……すべての国で、人々は生活のための、生存のための苦闘の中でひどいストレスを受けており、それは人々から生気(スピリット)を奪い、萎えて干からびさせます。
 彼らの人生観は商業主義の限界によって規定されます。大学卒の資格がなければ、今日ほとんどの職場でつまらない仕事以外の可能性がないと考えます。それは破壊的です。そのように感じる人は自分自身の情けなさや痛みしか見ることができず、いつか爆発します。「私は存在するんだ、他の人々と同じように存在するんだよ。僕はお金がない。教育がないから、どうやってお金を稼ぐか知らない」。これは本当です。彼らは教育の目的はお金を得るためだと思っています。しかし教育の真の目的は、自分が誰であり、何であるかを、人間であるということは何を意味するのか、人生の目的は何かを理解することです。

(シェア・インターナショナル誌2009年1月号)

読者質問欄

 世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q:否定的な感情と過去の抑圧された感情をどうすれば取り除くことができますか。

A:私たちが誰であるかを再認識することによってです。私たちが真我の器(肉体、アストラル体、メンタル体)ではなく真我と同一認すればするほど、否定的な傾向を取り除くようになります。否定的な傾向は間違った同一認の結果です。私たちは感覚と同一認しています。大半は否定的な感情です。傷ついたり、ぞっとしたり、冷酷に感じたり、怒ったりし、それをリアル(現実)と考えます。それがリアルであることを当然と見なしています。しかし、それはリアルではありません。単に通り過ぎる感覚にすぎません。昨日それを感じることはなく、明日にも感じることはないものがどうしてリアルなのでしょうか。継続しないものはリアルではありません。一時的なものです。
 そうした感覚と同一認し、それを続かせるなら、それを自分の一部に組み込むことになります。この部屋にいる誰もが自己憐憫の傾向を持っているでしょう。自己憐憫は非常に否定的な経験であり、すべてを自分に関連づけます。それが否定的な状況をつくり出し、それと同一認するならば、それを単に強化するだけです。しかしそれと同一認しなければ、すぐに「それは自分ではない!」と言うでしょう。それを感じるけれども、「それは自分ではない」のです。それを体験しているのは誰か?  誰が経験しているのかを見つけなさい。それが重要なことです。あなたは経験していますが、経験しているのは誰なのでしょうか。あなたが決定的に重要な存在です。経験の背後にある真我としてのあなたが決定的に重要であり、あなたはそれと接触しているのです。「ああ、私は自分に失望している。なぜこのような否定的な感情を持つのだろう? なぜ誰も自分を好きになってくれないのだろう? なぜ成功できないのだろう?」。誰もが自分に失望しています。こうしたものはすべて、怒りの感情です。
 しかし、あなたは神であり、永遠なる偉大な神的存在であり、あらゆる知恵、あらゆる力、あらゆる神の愛を潜在的に持っています。それはあなたの中に潜在しており、顕示されなければなりません。その顕示を阻んでいるのは否定的な感覚、不十分だという思い、自己憐憫、貪欲、利己主義などです。
 最大の異端は分離という感覚です。それが最大の異端です。分離の感覚を取り除けば、あらゆるこのような傾向が取り除かれるでしょう。それは分離感の結果であり、誰かがあなたを貶めようとしているという感覚です。
 もちろん、私たちはそれが苦痛なのでこのような感情を抑圧します。それらが表面に出てきて「これが私なのか?」と言うのを許しません。もちろん、それはあなたではありません。それから距離を取れば、養分が枯渇して消滅します。否定的感情に集中すればするほど、それに養分を与えることになります。エネルギーを注ぐことになります。何でも注目を注げば育ちます。距離を取れば、養分を与えません。「それは私ではない、それは私ではない」と言えば、感情とあなたとの間に距離が生まれ、次第にそれは弱まり消滅します。なぜなら、それ以上養分を与えないからです。それが、抑圧なしに対処する方法です。抑圧も自己耽溺も効果がありません。
 大半の人々は感情を抑圧するか、それに耽溺します。心理学者は、「すべての感情を解放しなさい。怒りを表しなさい。ドアを蹴っ飛ばしなさい」と教えています。それは滑稽なことです。愚かなことです。本当に愚かなことです。大切なのは感情を否定することではなく、ただ見つめることです。それを取り除こうとせず、抑圧しようとせず、「これは間違っている。これは醜いことだ」などと言わずに、ただ見ることです。何も言ってはいけません。非難せず、耽溺もせずにただ見つめるならば、エネルギーを与えません。否定や抑圧なしに正しく見つめるとき、それは消滅し、あなたを捉える力を弱めます。そうすればするほど、否定的なものとあなたとのつながりは弱まります。そして自由になります。そのときに得られる自由を考えてごらんなさい。

Q:どうやって自分自身を見いだせばよいのでしょうか。個人的な使命をどうやって知ればいいのでしょうか。伝導瞑想をすればできますか。

A:確かに伝導瞑想はあなたが魂と接触するのを助けます。どんな瞑想であれ、それが瞑想の目的です。瞑想によって科学的な度合いは違いますが、瞑想は人が自分自身の魂と接触するための手段です。自分自身を見いだす最初の方法は瞑想を通じてです。
 瞑想はすべての人のためのものであり、進化の道を辿るにつれて次第に、魂はその人を導き、物質界の男女を何らかの瞑想へと導きます。最初はとても微弱なものかもしれませんが、次第にそれはその人の生活の強力な一部となり、これが魂との連結をもたらします。そして魂はその反映である物質界の男女を掴むことができ、その意志と目的へと方向づけます。魂の目的は奉仕することであり、魂と接触するや否や、人は奉仕したいと欲するようになります。それは自動的なものです。魂の目的は奉仕することだからです。奉仕したいと思うのは、パーソナリティーではなく魂です。ですから、奉仕への欲求なしに魂と接触することはあり得ません。奉仕するかどうかはあなた次第ですが、それがあなたの魂の目的であれば、もちろん、奉仕しないよりはした方が良いでしょう。

Q:あなたはマイトレーヤとの交信が、特に他人と一緒にいるときは、どれほど劇的なものかについて述べられました。彼がいかに現れたり消えたりするかについて、そして、すぐ傍にいるときには途方もない感覚体験をすることについて述べられました。

A:それはマイトレーヤに関することです。私の講演会でマイトレーヤにオーバーシャドウされるときのことです。彼の光が部屋を満たして私を取り巻き、すべての人ではありませんが、多くの人々がこの光を見ます。彼らにとってはこれが、私がキリストの存在について語ることが真実であることの確証となります。