2024年9月号目次

覚者より ベンジャミン・クレーム筆記
行動を待つ諸問題

編集部より
緊急-力強い行動が必要

視点
21世紀の永遠平和のための10原則
ジェフリー・D・サックス

フランス民主主義のための闘い -フランスの議会選挙
ルーク・ギオリー

ルトガー・ブレグマン著
『道徳的野心』 才能の無駄遣いをやめ、 意義ある遺産を築く
コルネ・クワテルによる書評

国連未来サミット:より良い明日のための多国間解決策
ポーリン・ウェルチによる概説

ロサンゼルスのベンジャミン・クレーム美術館訪問
フィリス・クレーム

S.O.P. - われわれの惑星を救え!
ストップ・エコサイド・インターナショナル

時代の徴
デーヴァ (天使) 、 ミステリー・サークル

「オーバービュー効果」- 相互連帯というビジョン
アンディ・モーガン

最近のグローバル経済の動向: 私たちの将来にとって何を意味するのか
セバスチャン・ヴィユモ

日本上空のUAPの調査のため議員連盟が設立
N.O.

愛と憎悪
アート・ユリアーンス

中央銀行とマネーサプライ―第二部
セバスチャン・グラーフ、ラーズ・グラーフ

編集長への手紙
プロパガンダはどう機能するか 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

行動を待つ諸問題

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 反駁の懸念なしに、世はすべてこともなしではないと言うことができる。例えば、大金持ちと絶望的な貧困者との間の隔たりはかつてなく大きい。極端な不均衡はいかなる社会にとっても健全ではない。確かに富裕層の中の何人かは彼らの富を貧困者に分かち合うが、しかし、一般に、大金持ちはむしろ、すべての者に不利益でも、さらに並外れた大金持ちになることを目指す。

 ますます増大する今日の生活のあらゆる面の商業化、それ自体が“時限爆弾”であり、その爆発は現在の経済機構を屈服させるだろう。その時期はあまり先のことではない。この極度の物質主義によって生じる緊張はあまりにも大きく、まさに平衡が壊れる時点に近づいている。ほとんどの人は、緊張をつくり出す方にあまりにも深く関わっているので、これらのフォース(力)に気づいていない。

 かくして、人間に彼らの唯一の自然なコースが提供される――分かち合いの原理の採択である。人類はこの認識の方にじりじりと寄りつつあるが、しかしそれを実際に顕現するには、まだほど遠い。

 同時に、世界に直面する生態系の問題はクライマックスに近づきつつある。今日、ほとんどの国家が、惑星の温暖化は最大の敵であることを認める。国々を分け隔てる問題は、それが人間の責任なのか、あるいはどの程度が人間の責任なのかということである。人間が取ることのできる最も賢明なコースは、気候の窮境のほとんどは彼らの責任であると想定して、その問題を修正するためにあらゆる実際的な手段を講じることである。ある国々は確かにそうしているが、すべてではない。わたしたちの助言は、人間の行動と非行動が問題の80%に責任があり、人間は彼ら自身、そして彼らの子供たちのために、その緩和に向けて何も惜しむべきではない。

 わたしたちが助けの手を差し伸べることは請け負うが、しかし人間自身が自分たちの役割を果たさなければならない。
 世界経済の崩壊と共に、人々は人類の一体性を認識するようになるだろう。この認識は戦争に対する彼らの態度に深遠な影響を及ぼすだろう。生存のための闘いに彼らは共に結びついていることを知るだろう。そしてマイトレーヤのことばがより一層大きく彼らの心(マインド)に響くだろう。分かち合い、正義、自由は、未来の強力なシンボルとして、すべての者の生得の権利として、正しい関係への道として、人間の心(マインド)に育っていくだろう。

 (シェア・インターナショナル誌2014年4月号)

緊急 ── 力強い行動が必要

 本誌の多くの読者は、たとえ理論上であっても、覚者方が予見したアメリカ合衆国の未来を知っており、合衆国の運命がこの惑星の未来のための神の計画の一部であることを知っている。

 そのため、そうした読者がどのような反応を示すかは完全に理解可能である。世界人口の大部分が人類のことを恥じ、悲しんでいる。無頓着で注意散漫な人々は意に介さないだろう。洗脳された人々、思想を注ぎ込まれた人々、魂を売った人々は拍手喝采を送る。物事がよく見える人々はできる限りのことをするが、しばしば口封じをされ、抗議行動は解散させられ、「大いなる不名誉」の一部となってしまった政府によって違法と判断される。私たちの集団的なカルマの記録に汚点を残すような出来事を、歴史は許すだろうか、それとも忘れるだろうか。

 世界の多くの地域における飢餓や大規模な貧困に目をつぶっていただけでも、十分にひどいことであった。政府が国際人道法や海洋法を無視し、絶望に打ちひしがれた移民たちに港や国境を閉ざしたことも、忌まわしいことであった。私たちは民間人の虐殺や子供たちの殺戮、一つの国とその国民の破壊を目の当たりにしており、事態はさらに悪化した。人道に対する気違いじみた犯罪、ジェノサイド(集団殺害)、民族浄化を目にしており、日に日に耐え難くなってきている。

 すでにそうした恐怖の重荷を背負っていたのであるが、今やまた屈辱を味わっている。人道に対する罪を犯したとみなされている過激主義者の政権の残忍な指導者が、アメリカの民主主義の中心に招き入れられたからである。政府の中枢にいただけでは十分に破壊的ではないが、彼は議会に対して嘘をついた。そして、人民の議院でのスタンディングオベーションという褒美をもらった。

 平均的なアメリカ市民にとって議会とは何か。「合衆国憲法第1条は、議会として知られる立法府を設立した。議会は、すべてのアメリカ人の日常生活に影響を与える法律を制定し、人民の声として奉仕することを意図している。その責務には、政府の機能や計画への資金提供、立法過程に関する情報を提供するための公聴会の開催、行政府の監督などが含まれる」(visitthecapitol.gov)

 あの出来事により、正義に対して、真実に対して、人民の声とその代表者たちの権威に対して、どのような害が及ぼされたのか。その光景はイスラエルに、虐殺を続け、この地域で戦争の舞台を拡大するための白紙委任状──米国の全面的な許可と後ろ盾──を与えた。このような狂気の結果がどうなるかは、推測することしかできない。ネタニヤフ首相がより広範な戦争を、可能であればイランとの戦争を望み、必要としているのは明らかである。戦争が長引けばイスラエルの現職首相の実刑判決が遅れるからといって、自分自身に「刑務所から出られる免罪符」を与えるのは、他人の生死に対する何と利己的で冷笑的なアプローチであろうか。例えば米国のような他の国で、大統領候補が高官職に就くことで実刑判決を回避できるのと同じである。

 これは民主主義の汚点である。アメリカ市民はどうなるのだろうか。アメリカの税金で賄われた爆弾が国民全体の命を奪うとき、どのような選択肢があるだろうか。蛮行を容認することは、米国と国際社会にとって代償を伴うことになるに違いない。

 マイトレーヤのエネルギーは、建設的なものと破壊的なものとの間の選択を明確にするために働いていることを私たちは知っている──創造的で平和な社会につながる、前向きで協力的な目標へと世界を前進させるものと、その反対のものとの間の選択である。そのような選択を迫られたうえで、犯罪者として裁かれるかもしれない男が、議会から世界に向けて演説することが許されたのだろうか。アメリカ国民を代表して決定を下す権力の座にある人々が、善の選択か、その反対の選択かを迫られた瞬間がここにあった。今後数カ月、選挙民はどのような選択を迫られるだろうか。

 アメリカ合衆国の初期のモットーは、「エ・プルリブス・ウヌム(多数から一つへ)」であった。その後、モットーは、「われわれは神を信ずる」となった。合衆国の秘教的なモットーは、「私は道を照らす」である。
 この目標を達成するためには、すべての国民が必要となるだろう。「プルリブス(多数)」とは、多州を指すだけでなく、多文化、多民族が混ざり合ったものを指すとも解釈することができる。それが合衆国の強みであり、運命である──すべての人がそれを受け入れさえすれば。彼らは、新しい文明と新しい人間のための、いわば、基本的な構成要素となるだろう──それは直観的な種族であり、人々は協力や調和、相乗効果という普遍的な法則に従って生き、分かち合いが当たり前になるだろう。

アメリカの運命

「世界はアメリカの魂の出現を待つ。それはかなり以前に、マーシャルプランというあの美を誕生させた。また世界は、マイトレーヤが人類に道を示すために出現されるのを待つ。マイトレーヤの教えがアメリカ合衆国の理想主義的魂を目覚めさせ、喚起させるだろう。そしてアメリカの最良の市民たちを、彼らがいつも心(ハート)に抱いてきた光に向けさせるだろう。彼らは世界中の兄弟姉妹たちと協調して、マイトレーヤに鼓舞されて、一致して、待っている世界に正義を、したがって平和をもたらすだろう」

(ベンジャミン・クレームの師、「待っている世界」、
シェア・インターナショナル誌2003年5月号)

待っている間

 世界が待っている間、そして2024年11月の米国での選挙を注視しながら、以下の挑戦的な文章を読むのも悪くはないだろう。第二次世界大戦が激化し、自由な人類の未来が脅かされる中、ジュワル・クール覚者が『ハイラーキーの出現』の中で、当時中立国であったアメリカ合衆国に連合軍への参加を促すために書いたものである。この文章の中には、覚者の次の言葉がある。平和のために祈りを捧げた後に、善の勢力があなたの代わりに戦い、神が仕事をしてくれるのを辛抱強く待つのですか。

「今日の世界危機」1940年6月30日

 「今日、死の勢力が跋扈しているが、それは自由の死、言論の自由の死、行動の自由の死、真理と高位の霊的な価値観の死である。……悪と人間の苦しみに直面してもなお消極的な姿勢をとるよう説き、何の危険も伴わない平和主義を容認する人々に対して、私は次のように言いたい。あなたは一体何をもってして、今日地球を闊歩している侵略の勢力、裏切りと悪と破壊の勢力と戦うつもりなのですかと。この戦いにどのような武器を持ち込むのですか。猛攻撃を食い止め、嵐を静めるために、どこから手をつけるのですか。平和のために祈りを捧げた後に、善の勢力があなたの代わりに戦い、神が仕事をしてくれるのを辛抱強く待つのですか。あなたの祈りや願いは、正しく力強い行動を伴わないならば役には立たないと私は告げる。象徴的に言って、あなたの祈りや懇願は神の玉座に届くかもしれないが、そのとき次のような返事が返ってくる。もしあなたが立ち上がり、自分が望むもののために戦うならば、光の勢力はあなたの腕を強め、あなたに有利なように潮流を変えるであろうと。もし善意の人々が、自分の理想主義に安んじて、自分の希望が正当であることを証明したり、望ましい理想の実現に尽力したりするために、実際的なことを全く行わないならば、誰が好戦的な利己主義の前進を食い止めるというのですか」

(ジュワル・クール覚者、『ハイラーキーの出現(上)』、AABライブラリー)

 アメリカの神聖な運命を考えると、世界の方向性と私たちが共有する運命は、物事を明確に見る善意の人々の手に委ねられていると言っても過言ではないようである。
 ジュワル・クール覚者は上記で「力強い行動」の必要性に言及している。行動していないことを嘆くだけならば、言葉は空虚である。古代からの、まだ打ち負かされていない悪が私たちの時代に再び表面に現れており、明晰に考えることや、声を上げ、適切な合法的行動を取ることが求められている。そのこと自体が希望の源である。
 怒りと憎しみからの束の間の休息を与えてくれたのは、パリ・オリンピックであった。その雰囲気は幸せで、協力的で、相互尊重の模範に満ちているようであった。フィナーレでは、善良さを分かち合う世界への明白な切望を感じさせる、示唆に富むシンボルが用意されていた。
 砂漠に降る恵みの雨のようであった──英国からの最近のニュースについてはそう感じられた。極右の人種差別主義者による暴行が何日間も続いたのを受けて、あらゆる年齢、民族、信仰を背景に持つ何千人もの英国人が決然として、国内の各都市で反ファシストの抗議デモに参加した。その善意と人間味あふれる声は、私たちの日中や不穏な夜を埋め尽くすジェノサイドと苦しみの光景とは全く対照的で、喜ばしいものであった。人種差別、ファシズム、憎悪に立ち向かうために、このような抗議行動は今後も続くだろうか。これは、団結した行動の中にこそ希望があることを改めて示す、「力強い行動」であった。私たち民衆こそが、私たちの地域社会、国家、そして未来への希望の源である。

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい

祈りは主(神)を思い起こすための最も容易で最も甘美で優雅な方法の一つである。祈りの中にはいつも無執着がある。祈りの中で、あなたは重荷も心配も持たない──これは完全無欠の状態である。あなたは全能者(神)の存在を経験する。マイトレーヤは言われる。「祈りの中で、あなたは決して迷うことはないだろう」
(シェア・インターナショナル誌1990年3月号)

 祈りに関する以下のベンジャミン・クレームによる質疑応答は、シェア・インターナショナル誌で以前に発表されたものの選集である。

Q 祈りの力は宇宙の構造の中に魔術的に織り込まれており、すべての人に利用できるものでしょうか。それとも、至高の存在やキリスト、覚者、聖者などの仲介となる代理人を常に必要とするような性質を持つのでしょうか。
A 常に仲介となる代理人を必要とします。

Q 祈りには、個人救済型の祈りと宗教的な人々の仲介的な祈りという、二つの基本的なカテゴリーがあるのでしょうか。それとも、神は祈りについては「えこひいきしない」のでしょうか。すべての祈りは基本的には同じであり、同じように利用されるのですか。
A 祈りの利用には様々な段階があります――欲望に基づいた懇願から、多かれ少なかれ科学的な祈願まで。それは「祈る」人の進化によって決まります。

Q どうすれば仲介の能力を持つ存在に私たちの祈りを知らせることができるのですか。(1)(a)それは誰にでも行えますか。(b)覚者との接触が必要ですか。(2)(治療において)誰に対して祈るかによって違いはありますか。
A 仲介者を視覚化するか思うかすることによってできます。(1)(a) はい。(b)いいえ。(2)はい、ある程度は。

Q (1)是認(アファメーション)や喚起と比べて、治療のために祈りを用いることの違いと利点は何ですか。カルカッタのマザー・テレサは、「私の患者であるイエスよ、あなたにお仕えすることは何と甘美なことでしょう」と言って、彼女が癒そうとする人々を通してイエスの手助けをしているのだと考えていました。(2)彼女の手法は、祈り、是認、認知のいずれの表現ですか。それとも単に彼女が出会った必要に仕えることでしたか。
A (1)違いはありません。その人に何が「できる」かによります。(2)祈りの示顕であると共に、彼女が出会った必要に仕えることでもありました。

Q 祈り、喚起、是認、マントラの使用の共通性と違いを教えてください。
A 祈りは欲望以上のものです。喚起(マントラを使用するか否かに関わらず)は最も科学的です。是認は中間的なもので、是認する人によります。

Q 次のように要約することは正確ですか。「祈りは神への語りかけです。瞑想は神があなたに語りかけるのを許すことです」
A 分かりません。私はそのような考え方をしません。

Q 形式的な祈りを与える代わりにただ「神と話す」ならば、それは祈りとみなされますか。
A はい。

Q 祈りは(通常行われているように)要請として行われる代わりに喚起や命令として行われたほうがより強力ですか。
A はい、それが可能ならば。次第に、喚起は崇拝や祈りに取って代わるでしょう。

Q (1)信は祈りの結果に影響しますか。(2)そうだとすれば、どのように影響しますか。
A (1)はい。(2)意志を喚起します。

Q (1)なぜ祈りは効果がある人とない人がいるように見えるのですか。(2)他の誰かのために祈ることは彼らのカルマへの干渉になりますか。(3)祈りは有害になり得ますか。
A (1)大部分はカルマ的な状況によります。信にもよります。(2)いいえ。(3)はい、例えば呪いを喚起する場合などです。

Q 進化の旅路の中で祈りがもはや必要なくなるときは来ますか。
A はい。

Q 以下の祈りの型で重要性と効果が高いのはどれですか:賞賛/賛美、感謝、懇願/要請、告白、治療、祈願。
A 感謝、懇願/要請、告白/懺悔、治療、祈願はどれも重要です。

Q (1)すべての熱心な祈りは聞かれているというのは本当ですか。誰に聞かれているのですか──天使(デーヴァ)ですか、覚者方ですか。(2)聞かれているとすれば、通常は反応があるということですか。私たちが認知していないかもしれない、祈りへの応えの実例はどのようなものですか。
A (1)はい、覚者方によって聞かれています。(2)多くの祈りは応えられますが、期待されたり望まれたりしたような形とは限りません。ですから、しばしば認知されません。

Q (1)教会の中で与えられた祈りは、他の場で語られた祈りよりも強力ですか。(2)人類は祈りを用いる唯一の王国ですか。
A (1)いいえ。(2)はい。

Q 「主の祈り」や「詩篇第23章」のような形式的な祈りに恩恵はありますか。
A 非常に恩恵があります。

Q 物質的な物事についての助けを神に求めても良いですか。
A お勧めできません!

Q 誰かのために祈り、その人たちがそのことを知らないときでも、彼らの重荷を軽くすることになるのですか。
A できます。

Q 効果的であるためには、自分や他の人々の治療のために何回くらい祈ることが勧められますか。2回以上治療を求めれば、最初の祈りが聞かれたことに信を持っていないことになるのでしょうか。他方で、十分に高いレベルから祈っていないとすれば、効果を得るためにはさらなる祈り(おそらくもっと整列しているとき)が必要なのでしょうか。
A どちらも然りです。

Q 祈りの基礎には恐怖心の要素があるように思われます。(1)これは正しいですか。(2)なぜ人は祈るのでしょうか。
A (1)時にはそうですが、必ずしもそうとは限りません。(2)もちろん、援助を求めてです。

Q 祈りはいつ始まったのでしょうか。
A 初期の動物人間が、足の速い恐竜に追いかけられているときに恐怖の金切り声を上げ、助けを求めて叫んだときです。おそらくそれは私たちが今日祈りと呼ぶようなものではなく、その不明瞭な懇願が誰に向けられていたかは推測するしかありません。

Q 誰に祈るかは大切なことですか。
A 誰に向かって祈るかは本当に大切なことではありません。大切なのはあなたが選んだ人を信じることです。アプローチが意識的なものであればあるほど、よりメンタル的で、意志がより多く関わり、接触への信が大きいほど、祈りが聞かれる可能性は高まり、カルマの法則の範囲内で応えられます。私が勧めるのは、神の代表者、聖なる仲介者としてのマイトレーヤに祈ることです。特に彼は援助を必要とする人々の祈りに応えることを約束しておられるからです。そして、物質的な物事や生活上の問題への解決を求めて祈るべきではないと思います。それは私たち自身に解決する責任があります。

Q 1945年に起こったことの後で、マイトレーヤをロンドンに呼んだのは祈りではなかったのですか。
A 可能な限り早く戻って来られるというマイトレーヤの決断が発表されたのは1945年でした。この決断は、その大部分が、人類からの助けを求める祈願の叫びに応えてなされました(ロンドンを彼の「ポイント・オブ・フォーカス〈焦点となる地点〉」にしたという決定には別の理由があります)。人々はあらゆる言語で、特にマイトレーヤにではなく、「天上にいる」神に対して、「どうか、どうか、神さま、お助けください!」と叫びました。私たちが神に向かって、あるいはマイトレーヤや誰に対してでも、平和のために祈るのは、私の考えでは間違ったやり方だと思います、私たちは自分でそれをしなければなりません。平和をもたらすために、援助やエネルギーや導きやインスピレーションを求めて祈るのは結構ですが、平和を「つくる」のは私たちです。私たちはただ座って神が平和を生み出すと考えることはできません。神は平和をお持ちであり、神は平和です。平和はすでに存在しており、私たちがその平和を乱しているのです。

Q 祈りはマイトレーヤを喚起する方法ですか。
A はい、まさにそうです。すべての覚者方は祈りに反応されます――それが、祈りが応えられる方法です。天国に座っている人々によってではありません。そのような場所はありません。天国とは存在の状態であり、その天の王国とは、魂の王国です。覚者方は目覚めており、決して眠ることはなく、すべての祈りを聞いておられます。彼らがその祈りに応えるかどうかは祈願の強さ、その祈りが包み込んでいる感情的メンタル的な実質の割合に依存しています。祈りが包み込んでいる実質がより高度でよりメンタル的であればあるほど、覚者方のマインドに与える影響は大きくなります。なぜなら彼らは感情界ではなくメンタル界で働いているからです。アストラル・タイプの祈りに応えるアストラル界の存在はたくさんいますが、覚者方自身はメンタル界と、それより上位の魂の(霊的な)界で反応されます。ですから、祈りによってあなたの祈願を高めれば高めるほど良いです。それよりもさらに重要なのはカルマです。カルマの法則は、祈りに関しての覚者方の行動さえも支配します。
 最高の祈りは志向です。志向が高まれば高まるほど、それはハートの行動をより多く含みます。瞑想は、魂(高次の自己)のエネルギーと整列し、徐々にそれと融合するための、一段と優れた方法です。それは私たちを魂と一体化させる方法です。祈願は異なったもので、伝導瞑想は祈願と結びついています。それは高次の霊的な源からのエネルギーを呼び起こすことであり、そのエネルギーを低位のレベルに伝導することです。伝導瞑想は、高次の源であるハイアラキーと、低位にある人類一般の間の架け橋です。

Q 死別した魂のために祈ることに価値はありますか──例えば、彼らの運命が低位の界にいることだとすれば、それを高次の界に引き上げるために。
A 私の理解では、いったん死が起これば(少なくとも死後3日間が過ぎれば)、死別した魂の運命に影響を与える方法はありません。祈りの価値は物質界に残っている人々のためにあります。しかしながら、死への移行を通過している人々のために(共に)祈ることは、彼らの注目を魂のレベルに焦点化させ、高次の界へ到達するために必要とされる霊的緊張を増すことには役立つことができます。物質界にいる「お互いのために」祈ることは常に役立ちます。

Q 愛をもって行われるならば、誰かのために(あるいは数人の人々、または人類全体のために)絶えず祈ることによってカルマの法則に影響を与えることはできますか。
A 個人や世界全体のために祈ることには絶対的に真の価値があります。カルマの法則を変えることはできませんが、その働きの結果は、このようなやり方で援助することを奉仕としている霊的存在からの高次のフォースを呼び起こすことによって変えることができます。

(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命 第1巻、第2巻、第3巻』、『伝導瞑想:21世紀のヨガ』、シェア・インターナショナル誌の「読者質問欄」)

新しい時代の祈り

わたしは宇宙の創造主である。
わたしは宇宙の父にして母である。
すべてがわたしから来る。
すべてがわたしに戻る。
心と生気と肉体はわたしの宮殿である。
真我はそのなかにわたしの至高の存在と生成を実現する。

──主マイトレーヤ

1988年7月にマイトレーヤによって与えられた「新しい時代の祈り」は、祈願的な効果のある本物の是認(アファメーション)であり、私たちが、人は神と一体であり、分離は存在しないことを認識するための強力な道具となるだろう。わたしが宇宙の創造主であることを肯定することによって、わたしが神であり、真のリアリティ(実在)であるという意識に(徐々に)至ることができる。マイトレーヤの側近は、次のように説明している。「この祈りは、人々を心と生気と肉体から無執着な、裡なる真我を体験することに導くことができる」