──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
早晩、人間は下層王国(動、植、鉱物界)との関係の真のあり方を理解するようになり、彼らの進化のために世話係の役割を喜んで引き受けるだろう。これが飼育業や農業、林業、漁業のすべての面における変容につながるだろう。今日の方式──森林と土壌の略奪、やせた土地の過度な耕作、多種の動物や魚類の貪欲で無謀な捕獲、これらは永遠に消え去るだろう。
自然の恩賜に対するこの不浄な戦いに、直ちに停止の号令がかけられねばならない。人はもはや大地と水を毒することを許してはならない。それは人間と動物を同様に脅かすものである。運動および空気と日光に浴する基本的権利を抑制するような飼育の方式に携わることは、もはや適切でない。実験のための数え切れない生物のむごい利用の仕方は、より健全な方法の研究と知識に道を譲らねばならない。
今日、多くの人々がこれらの問題に関心を寄せ、変えることを呼びかけている。人間の心は正しい方向へ動いており、何ものもこの勢いを止めることはできない。しかしながら、世界の生態均衡を維持するためには、直ちに非常に大きな変化が必要である。
地球が、生きている存在として、その全体にとってそれぞれ欠くことのできない各部分をすべて整えた完全な存在として見なされるとき、新しいビジョンと新しい正常さが普及するであろう。人間は自然の秩序の世話人として自分たちを見るようになるだろう。大計画に沿って、人類の上位も下位も、それぞれの王国が関連し合い、和合と美の中に機能することを前もって定められているのである。
今日、自然の法則の研究に巨大な額の金が費やされている。同時に、莫大な資源が浪費され、誤用されている。これらの資源が自然の均衡を安定させるために向けられたならば、新しい世界が出現するだろう。人間に長い間、隠されていた秘密を、人間自身が所有することになろう。いままで人間の詮索好きなマインド(識心)に閉ざされていた知識の領域に入ることになろう。自然はその神秘をついに明かし、そして人間は大計画の管理者としての正当な座を占めて、創造主とのパートナーシップ(提携関係)を始めるだろう。
人間はすべてのものを新しくすることも、あるいは世界を破滅させることもできる力を持つ。これまでに、そのような全能が人間の掌中にあったことはなかった。この力の正しい使用を保証するためには、今日めったに見られない智恵の表現が要求される。それを人間は己の裡に見いださなければならない、さもなければ死滅である。
人類種族にとって幸いなことに、人間は孤立した存在ではない。人間生活の舞台の背後から、覚者たちの一団が、神の属性のすべてを賦与された者たちが、今、登場しつつある。彼らから長老の智恵が流れ、人間を道に沿って導き案内するだろう。彼らのインスピレーション(鼓舞)を受けて、人は自分の足どりを見直し、もう一度新たに始めるだろう。彼らの賢明な後見のもとに、人は神へと登り始める、潜在するのだが表現されていないあの神性を顕し示すために。
このようにして、人間は早晩、覚者となり、同じように神の大目的の奉仕人になるだろう。そうすると、人類から、大計画を進行させるためにすべてのものを共に育む普遍的な智恵の流れが注ぎ出すだろう。
(シェア・インターナショナル誌1985年12月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
正義は神聖なり。正義は人間の世界に神の調和をもたらす。この聖なる均衡(バランス)から取り残された何百万の人間がこれを切望する。鏡が人のイメージを写すように、正義は神の特性を映し出す。時の無法の度合いは、世界にある不正義の度合いで測られる。そして今日、不正義が大手を振って、あらゆる面で貧困な者たちにつきまとう。
法律的には、正義が社会の規則や犯罪や処罰の分野を支配する。しかし、根本的に正義とは神の法に関連することであり、それは調和と正しい関係に向かって働く。すべての不正義が、それがいかに些細であろうと、総体に対して不調和をもたらす。今日すべての地において、不正義が存在する領域があまりにも大きいので、完全な破壊を防ぐために非常手段が必要とされる。
不正義は人間の聖なる可能性の否定であり、人間を人間から分離させ、人類を神から分離させる。世界中の多くの人間が、長い間の不正義と搾取と圧制から解放されるために、ついに彼らの祖先によって担がれたくびきを取りはずすために、苦闘している。わたしたち、見守る霊ハイアラキーは、彼らの闘争を推奨する。なぜならわたしたちは、それをすべての人間の裡に宿る自由と正義を切望する「聖なる閃光」の表現として見るからである。わたしたちは慈悲をもって彼らの苦境を見守りつつ、わたしたちの手を貸す。すべての人間が神の恩恵の分け前を得る平等の権利があることを否定する者がいる。そのように否定する者は分離した自己の声にのみ耳を傾け、彼らが持つもので神から来ないものは何もないことを忘れている。人間が裡なる神の声に耳を傾けるとき、分かち合いと正義が人間の病に対する唯一の答えであることを知る。
今日その聖なる神の声に耳を傾ける者はますます増えている。すべての側に、奪われた者のための代弁者(スポークスマン)が現れている。正義を求める叫びは増大し、間もなくその声は最高潮にふくれ上がり、過去を代表する者たちから発せられる慎重を呼びかける叫びはかき消されるだろう。
世界は一つであるのに、いかで二つの世界が存在し得ようか。法はすべての人間に対して同じであるのに、いかで分割があり得ようか。やがて人間は、大勢の人々の苦しみは総体の病であることを理解し、そして正義のみがその治療法であることを理解するだろう。援助は、今は欠くことができないものであるが、それは答えの半分しか提供しない。人間の心(ハート)の園に正義が完全に開花しなければならない。そしてそれがすべての人間を自由にする。
正義が、人間が自分自身を神として知ることのできる条件をつくり出す。愛において兄弟とつながり、自分の未来を勇敢に自分の手の中につかみ、それを神の青写真に沿って形づくることができる。多くの者が現在、そのような未来を欲している。そうした総体のビジョンを持つ者は幸いであるが、しかし努力と労働なしには、正義と愛と喜びを顕現してそれを実現することはできない。
未来に向かって進むとき、これらのステップを一人で踏む者はいないことを記憶しておきなさい。すべての人間が兄弟同胞として、本源に直接つながる経路に沿って進まねばならない。まさにその本源から正義は輝き出て、人間を調和と愛のうちに結び付ける。
(シェア・インターナショナル誌1984年5月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
人間が初めて地上に出現して以来、その歴史は争いと葛藤、侵略と戦争の歴史であった。これらの傾向が優勢を占めなかった時代はほとんどなく、それが人間の本質的な特性を表しているように思えるほどである。しかるに、あらゆる証拠が見られるにもかかわらず、それは決してそうではない。では、なぜ人間は自分自身についてそのように歪んだイメージを提供するのか。無秩序な行動や破壊的暴力を行うこの能力は、いずこより出てくるのか。
人間は本質的に魂であり、神の完全なる反映である。言い知れない永いあいだ、数え切れない多くの転生を通して、人間の魂はその聖なる特質を時間と空間の中で表現することを求める。魂は物質界における己自身の対応物をつくり、それ自体の完成に向けて進化していくために必要な手段を賦与した。このようにして、神の大計画は成就されていく。
この発達への鍵は志向(アスピレーション)である。すべての人間に内在するものは完全無欠への願望であり、善きもの、美しいもの、真なるもの──すなわち魂の属性──を表現したいという衝動である。行動がいかにぐらついたものであろうとも、それがいかなる表現方法をとろうとも、より良いものへの欲求を持たない者は誰もいない。裡にこの願望を持たない者はいない。
それでは、人間の逸脱を、暴力や憎悪をどのように解釈すればよいのか。
その答えは、人間の独特の位置、すなわち霊と物質の出会いの場にあり、そしてそれが同時に存在することで発生する緊張にある。人間は永遠の魂であり、それが物質の中に飛び込んで、そのために物質が強いる限界に従属させられる。完全を求める人間の闘いは、これらの相対する二つの極にある特性を完全なる和合と解決に導くことを伴う。
繰り返される転生を通して、進化の過程が徐々にこの目的を達成し、ついに物質(肉体人間)の特質と輝きが霊(スピリット)のそれと一致するようになる。そうして大計画は成就され、またもう一人の「神の子」が家に戻るのである。
永いあいだ、物質の優勢が魂の主要な表現を阻み、進化の速度は遅々としたものであった。やっと永い時を経て、人間の特質の相対する極が解決を見るとき、両分法〔*〕は単にそのように感じられるだけであり、対立は非現実のものであることを人は認識するだろう。そうすると人間は、すべてが一つであることを、霊と物質は唯一なる聖なる総体の二つの様相であり、過去の限界は単なる幻覚にすぎなかったことを知る。
相対立するものの闘いと、それに続いて起こる摩擦なしには、人間の進歩はまさに遅々としたものであろう。摩擦は火であり、それが人間をその道に押しやる。志向は光であり、それが人間を絶えず向上へと招く。このようにして、人は、やがて、物質の限界を放り捨てて、その裡に霊の輝きを賦与する。人間の任務は物質を霊化し、すべての王国においてこの惑星の資質を天帝(ロゴス)の完全なる反映にしていくことである。この惑星はロゴスのからだである。葛藤や戦争、暴力や憎悪は、人間がその本当の特質をいまだ実演することができないために現れるのであり、通り過ぎていくものにすぎない。人間の真実が支配し、その美が輝き、善がすべての者の視界に顕される時が急速にやって来つつある。
(シェア・インターナショナル誌1989年7月号)
〔*〕:両分法=物事を対立的な概念に二分する論法。
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
人間は、今日彼らが直面する問題の重大さをますます理解しはじめている。政治、経済、社会のすべての前線において、これらの問題はどんどん増大し、大きな頭痛の種になり、彼らに悲しく頭を振らせる。これらに加えて、自然とその資源に対する人間の軽率な態度が生じさせた環境の問題があり、人類の未来はますます暗澹(あんたん)としている。人類の生命が危機にさらされており、手遅れにならないうちに何か抜本的なことをしなければならないという認識が目覚めつつある。
事実、人間は災難から自分自身を救うために一体何ができるのか。人間の福利に対する脅威を緩和するためだけにでも、どんなステップを取ることができるのか。
答えは比較的単純である。しかし人間は、彼ら自身の条件づけられた網の中に捕らえられているので、それを本当に把握することは困難なようである。
人は競争という毒物から自分たち自身を解き放たなければならない。それがグラマーであることに気づかなければならない。実際そうなのであるから。そしてすべての人間の一体性を悟り、「全体的な善」のために協力を喜んで抱きしめなければならない。協力と正義(公正さ)のみが人間を、彼ら自身がつくり出す大惨事から救うだろう。協力と正義のみが彼らの未来を保証するだろう。これがそうであることを考慮するならば、人間は、救済への鍵として協力を受け入れる以外に選択肢を持たない。
人々は競争ではなく協力するときに、魔法の一服が彼らの生活の中に入ってくることを発見するだろう。長いあいだ続いていた問題がいとも容易に解決されるのに驚嘆するだろう。不可能だったことがもっとも軽いタッチに道を譲るだろう。そして協力を通してのみ、人間は生きることの本当の術を学ぶだろう。そのようになるだろう。かくして人間は、協力のみが授けることのできる(人間)関係の素晴らしさに感謝することを学ぶだろう。協力を通して、新しい文明が築かれるだろう。新しい科学が明らかにされ、新しい理解が顕れるだろう。かくして、人間は自分たちの神性を発見していくなかで共に成長するだろう。かくして、彼らはそのような一体性の歓びと幸せを知るだろう。
あなた方の兄たちである覚者たちは協力をよく知っている。わたしたちが行うことすべてにおいて、協力は中心的な役割を果たす。「同胞愛」が示顕されている関係の中では、競争という潰瘍は未知のものである。それ以外ではあり得ない。
人間が協力の術を学ぶことがわたしたちの真剣な願いである。この目標を目指して、わたしたちはメントール(良き助言者)として働き、模範を通して教えよう。協力は非常に解放的なものなのに、人間がその歓びを学ぶのにかくも遅れたのは本当に驚くべきことではないか。
競争の時代は急速に終わりに近づきつつある。その消滅に伴って、暴力や戦争、豊かさの直中の飢餓、貪欲や分離が同様に記憶から消え失せていくだろう。これらの悲哀に取って代わるために、喜ばしい協力が出現するだろう。そして人間に彼らの本質的な神性を保証する。そのようになるだろう。かくして人間は、神の様相のもう一つの面を理解するに至るだろう。
(シェア・インターナショナル誌2000年9月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
人権の問題が現代の人間の問題の中心にある。過去には、社会構造が個人の生活を支配し、階級制による人間関係が確立しており、すべての者が自分の位置を自覚していた──妻は夫に従い、男は領主に仕え、領主は王の意志に従い、それを実行した。一方、聖職者は神と人との間の仲介として働いた。これらの関係は人工的であり、押し付けられたものであるが、世の中における彼らのアイデンティティー(独自性)と位置を見つけようと苦闘する社会の必要を満たした。
これらは今日すべて変わった。少数の地域ではまだ支配階級が、しばしば市民紛争や戦争という代価を払って古い形態にしがみついているが、その他の地域では人々は自分たちの自決権を主張した。正しい統治のための責任を引き受け、種々の代表制制度によって自分たちの意志を表明することができる。人々は自分たちの生活に影響を及ぼす決議に対して、これまでにないほど、より一層の参加を要求する。
この新しい自由は一連の緊張を引き起こし、その解決が待たれる。至るところでより多くの自由を求める叫びが響きわたる──そしてまた、現在の構造を維持しようとするグループから秩序と法の支配を求める叫びが同等にきしめき返される。これらの対立したグループの目標を調和させるためには、まったく新しいアプローチ(取り組み方)が必要である。そのような調和を達成することは、遅々とした困難な仕事であることを受け入れなければならない。多くの矛盾し合う見解が調停されねばならないことは自明である。しかしながらこれらの問題の解決を待つかたわら、いくつかの基本的原則、ガイドラインを敷くことは賢明であろう──それなしでは、問題は手に負えないように見えるかもしれない。
最初に考慮すべきは社会を支配する法則が公正であり、すべての者に適用すべきであるということである。そのような基本的な正義と公正なしには、人々に法律を守ることを期待できない。今日しばしば「金持ちのための法律と貧乏人のための法律」が存在する──これは社会紛争の処方箋である。さらに必要なことは、法律が、すべての者が知り得て理解できる言葉で表現されることである。まったく時代遅れで専門家しか知らない法律を犯したという罪によって、人が投獄され、裁かれることがしばしばある。
最大の必要は、個人の利益と社会の利益とをより密接に同一視していくことである──それによってのみ、個人の自由と社会の安定を保持することができる。いかにすればこれを最大限に達成することができるか。
国際連合の機関が人権の規約を公式化した。もしそれが実施されれば、現在の社会緊張を解消し、公正な安定した社会の基礎をつくるのに大いに役に立つ。世界のすべての国に住む、搾取され、公民権を剥奪された何百万の人間にとって、これまでのところ世界人権宣言は夢にすぎない。目標はできる限りのスピードでこれらの基本的権利をすべての国家に確立することである。
分かち合いの原則を受け入れることによってこれは可能となる。人間はもはや、働くための権利、家族を養うための権利、自分の運命に対してある程度のコントロールを持つ権利、これらを得るために闘う必要はなくなる。分かち合いの受け入れは、一挙に分割を癒し、対立を終わらせ、現在の状態の病を癒し、人間を落ち込んだ泥沼から救い出すだろう。だから、分かち合いをあなたの努力の目標としなさい。世界は今、歴史上かつてないほどに、この公正な基本的な原則の確立を必要としていることを、人々に示しなさい。これを受け入れることを通してのみ、人間は己の神性を見つけ、それを実証することができるだろう。
(シェア・インターナショナル誌1984年7月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
人権の問題が現代の人間の問題の中心にある。過去には、社会構造が個人の生活を支配し、階級制による人間関係が確立しており、すべての者が自分の位置を自覚していた──妻は夫に従い、男は領主に仕え、領主は王の意志に従い、それを実行した。一方、聖職者は神と人との間の仲介として働いた。これらの関係は人工的であり、押し付けられたものであるが、世の中における彼らのアイデンティティー(独自性)と位置を見つけようと苦闘する社会の必要を満たした。
これらは今日すべて変わった。少数の地域ではまだ支配階級が、しばしば市民紛争や戦争という代価を払って古い形態にしがみついているが、その他の地域では人々は自分たちの自決権を主張した。正しい統治のための責任を引き受け、種々の代表制制度によって自分たちの意志を表明することができる。人々は自分たちの生活に影響を及ぼす決議に対して、これまでにないほど、より一層の参加を要求する。
この新しい自由は一連の緊張を引き起こし、その解決が待たれる。至るところでより多くの自由を求める叫びが響きわたる──そしてまた、現在の構造を維持しようとするグループから秩序と法の支配を求める叫びが同等にきしめき返される。これらの対立したグループの目標を調和させるためには、まったく新しいアプローチ(取り組み方)が必要である。そのような調和を達成することは、遅々とした困難な仕事であることを受け入れなければならない。多くの矛盾し合う見解が調停されねばならないことは自明である。しかしながらこれらの問題の解決を待つかたわら、いくつかの基本的原則、ガイドラインを敷くことは賢明であろう──それなしでは、問題は手に負えないように見えるかもしれない。
最初に考慮すべきは社会を支配する法則が公正であり、すべての者に適用すべきであるということである。そのような基本的な正義と公正なしには、人々に法律を守ることを期待できない。今日しばしば「金持ちのための法律と貧乏人のための法律」が存在する──これは社会紛争の処方箋である。さらに必要なことは、法律が、すべての者が知り得て理解できる言葉で表現されることである。まったく時代遅れで専門家しか知らない法律を犯したという罪によって、人が投獄され、裁かれることがしばしばある。
最大の必要は、個人の利益と社会の利益とをより密接に同一視していくことである──それによってのみ、個人の自由と社会の安定を保持することができる。いかにすればこれを最大限に達成することができるか。
国際連合の機関が人権の規約を公式化した。もしそれが実施されれば、現在の社会緊張を解消し、公正な安定した社会の基礎をつくるのに大いに役に立つ。世界のすべての国に住む、搾取され、公民権を剥奪された何百万の人間にとって、これまでのところ世界人権宣言は夢にすぎない。目標はできる限りのスピードでこれらの基本的権利をすべての国家に確立することである。
分かち合いの原則を受け入れることによってこれは可能となる。人間はもはや、働くための権利、家族を養うための権利、自分の運命に対してある程度のコントロールを持つ権利、これらを得るために闘う必要はなくなる。分かち合いの受け入れは、一挙に分割を癒し、対立を終わらせ、現在の状態の病を癒し、人間を落ち込んだ泥沼から救い出すだろう。だから、分かち合いをあなたの努力の目標としなさい。世界は今、歴史上かつてないほどに、この公正な基本的な原則の確立を必要としていることを、人々に示しなさい。これを受け入れることを通してのみ、人間は己の神性を見つけ、それを実証することができるだろう。
(シェア・インターナショナル誌1984年7月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
各世紀を経るごとに、人間はその目標に、完璧なる「神の光」の示顕に、さらに近づいていく。このようにして人間は本来あるべき姿──生きた神々──となっていく。各々の転生がその登山道に一つのステップを切り開く。そのような体験ごとに、人はその乗り舟(器)にわずかずつ光を加えていき、それによって体〔*〕の波動を微妙に変える。このようにして、人間のすべての体が光の波動で振動するようになるとき、その仕事は完了し、旅路は終わる。すなわち人間の視点から見れば、その旅路は終わるのである。それを成し遂げた者の視点から見れば、旅路は始まったばかりである。
このようにして各々の男女が人間から神へと変容を遂げる。物質の限界のすべてを備えたさなぎから、完全に自由になった「覚者(マスター)」が現れ出て、神の光を輝かせる。この光は広大な宇宙を横切って持続する。すべての次元と界を通してその特性を表し、それ自身を表現する様々な形態によってのみ条件づけられる。これらの形態が、物質の世界に意識がある者に対して、その「光」に近づく手段を与える。しかし本質的に光は無形であり、その存在を維持するのに構造を必要としない。
われわれ一人ひとりの裡深くに、そのような光が宿っており、輝き出る機会を待っている。各人の裡にすべてのコスモス(完全体系)の可能性が光っている。また、各人の裡に、その光を輝き出させようとする意志もあり、このようにして神の特性は顕わされる。その光とその意志とは魂に固有のものであり、魂との整列ができるときその結果としてその活動が始まる。だから魂との整列を確立するようにして、神の目的を実践しなさい。自らの裡を探究し、すべての知識と愛の源を見つけなさい。魂の光を世に顕し、奉仕する者の列に加わりなさい。
世界はもっと光を受け入れる用意ができている。至るところにいる人間は、己自身についての、そして神についての新しい知識に渇いている。人類の用意ができているゆえに、新しい「光の時代」の幕開けをするために、覚者たちは自分たち自身を準備してきた。進歩への無限の機会が人類に与えられるだろう。自然のエネルギー(フォース)に精通する扉を開く様々な発見に、人間は驚嘆するだろう。このようにして、人間に明らかにされる神秘と美に、彼らは仰天するだろう。神の事実と、その神性と人間との関係を、しかと知るだろう。そして喜んで神の大計画に協力するだ
ろう。
宝瓶宮(アクエリアス)の時代の入口にあって、これらすべてが人類を待っている。それは、神の大計画が再び栄え、人間がついにはその運命を意識的に受け入れることになる時代である。
今日、人は分裂と緊張で満ちた世界を見わたすとき、このことを疑うだろう。問題はあまりにも複雑であり、分裂はあまりにも大きいように見える。しかしまさにその時に、最も危急の瞬間に、大教師は来られ、新しい「光」をもたらそうとしておられる。そのようなお方が今、あなた方の中に在り、舞台脇で奉仕への招待を辛抱強く待っておられる。
この方のもたらす「光」を放ち、すべてを神聖の中に包みなさい。彼の教えを奉じ、困窮する者すべてに救いをもたらしなさい。彼の光を顕わして、この世界を新たに創造しなさい。
(シェア・インターナショナル誌1983年12月号)
〔*〕体=パーソナリティー、メンタル体、
アストラル体、肉体。
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
ますます諸国家は、昔から続いてきた問題、すなわち腐敗行為を認知し始め、それを深刻に受け止めて対処し始めている。世界のある地域では、腐敗行為は何世紀ものあいだ生活様式になってきた。それはもちろん、多数の人々の犠牲の上に少数の者たちを利してきた。数え切れない長い間、腐り切った指導者や強力な政治家が、臣民や市民に賦課した税金の上に富を増やしてきた。現代では、西洋の大企業が大規模に“勘定をごまかしてきた”ことが発覚している一方、東側においては、すべての取引きが、誰かの手に“賄賂をつかませる”ことを必要とする習慣が当たり前になっている。
腐敗行為は特定の民族や国家に特有であり、ある社会では、大統領や総理大臣から警察やスポーツに至るまで浸透している。最近の選挙が示したように、自由と民主主義を奉じているはずの国々においてさえも、選挙の腐敗は蔓延する。そのような腐敗した政府は失敗し、その国民を裏切り、そうすることで統治する権利を放棄するのである。
そのような腐敗の直中で、信頼を生み出すことは可能だろうか。信頼なしには人間の未来はまさに荒涼たるものである。信頼なしには、より公正な資源の分かち合いはむなしい望みであろう。信頼なしには、われわれの惑星という家を維持するために必要とされる包括的な意思決定は決してできないだろう。神聖で有益な信頼なしには、人間は地球という惑星の管理人としての権利を喪失するだろう。
そのようになるであろう。かくして人間は、即刻、社会のすべての層に、地球上の生活の隅から隅まですべてに染み込んでいる腐敗の腐食的影響に真剣に取り組むべきである。
人間がこれをなすのを助けるために、マイトレーヤは様々な形で現れる腐敗行為の腐食的影響を人間に示そうと骨を折られるだろう。もし人間が本来の特質なる神になるためには、欺瞞とごまかしの古いやり方を放棄しなければならない。深刻な環境問題に取り組むために、人間は信頼のうちに共に働かねばならないことを、彼は説明されるだろう。
信頼なしには、できることはほとんどないことをマイトレーヤは強調されるだろう。諸国家の指導者たちは彼ら自身があまりにも腐敗の中につかっているので、彼らは誰も信頼しない。
人間が必要な信頼を生み出すためには選択は一つしかないことをマイトレーヤは示されるだろう。この豊かな地球の産物を世界中により公平に分かち合うことであり、そして豊かさの中で死んでいる何千万の人々の飢餓と貧困を永久に終わらせることである。
指導者たちはマイトレーヤのことばに耳を傾けるだろうか。多くの場合、おそらく最初は否であろう。しかし間もなく至るところにいる民衆が耳を傾け、マイトレーヤの助言の賢明さを知るだろう。彼らはマイトレーヤの賢明なことばに全面的に同意し、彼の大義を支持するだろう。世界の世論は自分たちの声と良き指導者を見いだすだろう。その力に対して、貪欲な独裁者や腐敗した政治家の妨害しようとする声は次第に消えていくだろう。そのようになるだろう、そしてこの世界の浄化と変容が始まるだろう。
(シェア・インターナショナル誌2005年4月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
未来の生活について書かれたものは多い。たくさんの架空物語(フィクション)が空想的な人類の生活の未来図を描くことに専念している。これらの書き物はほとんど例外なしに、テクノロジー(科学技術)と科学的に組織されたシステムに支配された生活と環境を描く。寒々とした機械的な未来図が提供されており、読者が、そのような味気のない展望より、むしろ不確かで危険に満ちたものであっても現在の方を好んだとしても無理はないだろう。
しかしながら、未来は架空小説の作家が提示するような、非常に寒々とした人間の温かみに乏しいものである必要はない。科学とテクノロジーが繁栄することは疑いない。科学の発見を通して、生命の神秘が明かされ、宇宙のエネルギーをコントロールする時代に入りつつある。われわれのテクノロジーもまたこれらの発見によってもたらされる挑戦に適応するにつれ、さらに高度なものになるだろう。われわれは、適切なバランスが維持されて、科学の業績と資産が、人類がそれに仕えるのではなく、それが人類に仕えるような線に向けられることを確実にしなければならない。
あなた方がこれを成すのを助けてあげよう。わたしたち覚者の仕事は、正しいバランスを維持する道に沿う新しい社会の発展を監督することであり、人間の必要を侵害するものは何であれ、わたしたちの推薦を受けることはないだろう。美と適合感が試金石となるだろう。見苦しくて機械的で人間の精神(スピリット)に害のあるものはすべて避けられるだろう。目標は、人間とその環境との間に正しい関係を完全な自由と調和のうちに維持することであり、そしてテクノロジーと科学の発達すべてが人間の必要により良く仕え、実在(リアリティ)の特性をより良く知ることの助けとなることを保証するだろう。
このようにして、新しい機構の中に必要な安全装置があらかじめ設置されるのは確かである。いのちの高揚とその形態を美しくすることに関連することはすべて、わたしたちの祝福を受けるだろう。公共の福利に仕えるものはすべて、わたしたちの支持を得るだろう。
人間が彼らの環境との新しい関係を築く時がやって来る。人間と自然と神とは一体であるという意識に沿って、その真理の顕現を可能にする形態を人間はつくるだろう。総体のすべての側面との間に密接な接触(コンタクト)と自由な交換が行われるだろう。人生の意味と目的についての確かな知識が現在の混乱に代わり、これまで知られたことのない美の表示につながるだろう。真なるもの、善なるもの、美しいものが人生の中で現実となるだろう。
これらすべては、現在の混乱状態から方向転換することを前提にしており、それに依存している。人間の必要により適合する線に沿って社会形態を根本的に再建設することなしに、良きものは何も生じ得ない。人間の天与の可能性が、現在の不浄な社会秩序のためにいかに犠牲にされているかに気づくならば、必要な変化を一刻たりとも遅らせないだろうに。人間がその可能性の栄光をぼんやりとでも感ずることができれば、それを達成するための道を阻むものは何ものも許さないだろうに。未来は、人間の最善の志向と壮大なビジョンを招いている。
人間が犠牲にするものは神性ではなく、己の分離した自我であるような、そのような未来を築きなさい。人類同胞を愛において抱擁し、そして完全なる存在となりなさい。
(シェア・インターナショナル誌1983年2月号)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
人類につきまとうすべての問題の中で、グラマー(幻惑)の問題ほど大きいものはない。これはあらゆる困難や危機の基礎をつくっており、人類の大多数をその奴隷となす。あらゆる分離、分裂の根源にあり、あらゆる次元の苦痛や苦難の源である。その根は人類の大昔の過去にあり、非常に少数を除いたすべてが、その支配下にある。
グラマーは、本質的に人間の触感的感覚的装置──感情体またはアストラル体──の中に、そして人間が自分自身をその行為と同一認することに源を発している。感覚や感情──欲望的性質──との間違った同一認(アイデンティフィケーション)を通して、人間はイリュージョン(錯覚)と非現実の濃い霧で自分自身を取り囲み、その中で迷っている。これがグラマー(幻惑)を構成し、大多数はその中で一生を過ごす。グラマー(幻惑)は感情情緒の界におけるイリュージョン(錯覚)であり、個人にとってそして人類種族にとって、進歩への最大の障害となる。それは、不注意な人間の歩む途上に多くの間違った概念を据え、最も高邁なる理想主義者もその影響から逃れ得ない(いや、むしろ硬化した冷笑家よりも彼らの方がグラマー〔幻惑〕の影響を受けやすい)。
グラマー(幻惑)と取り組むためには、そのからくりを認識しなければならない。そのからくりによって、その中心的な異説──われわれが分離した存在であるという教え──がつくられ維持されている。分離感を強化するものはすべてグラマー(幻惑)の行為の結果であり、その異説を崩そうとする者はすべてその駆除のために働く。グラマー(幻惑)は、人間の欲望はリアル(実相)でありそれには本質的な妥当性と目的があるという考えの中に宿る。しかるに本当は、それがすべての不幸の原因であり、砂漠の蜃気楼のように実体のないものであり、一時的なものである。
悪気のない志向者は、業績を上げたいという欲望で自分の行為を曇らせる。理想主義者は、自分の理想が正しく思考する人間にとって唯一の理想であると見なす。国家の誇りというばかげた考えが、国家をその国民の利益に反した行為へ導くのを、われわれはしばしば目撃する。これらのグラマー(幻惑)の行為は欲望──権力への、野心の達成への欲望──の産物である。科学の光が特定の大昔からのグラマー(幻惑)をこの世から取り除いてくれたが、その代わり他のグラマー(幻惑)をつくり出した──所有欲のグラマー(幻惑)が世界の半分をその奴隷にし、他方、あとの半分は飢え、悲惨と窮乏の中で死ぬ。
やがて人類はこの段階を通り抜け、リアリティー(実相)についてのより正しい概念を確立するだろう。今日、人類種族を取り巻く無数のグラマー(幻惑)は、いつの日か、新しい時代が進行していくにつれて、人間の魂が顕現していき、その光の中で溶解するだろう。しかし、現在は新しいタイプのエネルギーが人間の生活に影響を及ぼしており、困惑と混乱の条件をつくり出している。現在のこの時期の高まった緊張が恐怖と破壊というグラマー(幻惑)を助長し、あらゆる種類の暴力に爆発している。
人類をこの大昔からの束縛──その幾分かは物質そのものの特性に固有のものでもあるのだが──から解放するには、何がなされねばならないか。人間は、間違った同一認と自分自身ででっち上げた想念の圧制から、いかにして自分自身を解放することができるか。その答えは意識の焦点を自己から集団(グループ)に移行させることであり、魂とのより正しい同一認であり、そしてすべての魂との正しい関係である。魂の光は、マインド(識心)を仲介として、グラマー(幻惑)の偉大なる解消剤として働く。そしてずっと以前に、仏陀が欲望を征服するために教えられたように、二つの相対する極の間の「高貴なる中道」である。魂の光の中で、本質的和合は見られ、アストラル(感情)体の波は静まり、そして志向者はイニシエーションの門口に立つのである。
(シェア・インターナショナル誌1984年4月号)
シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。