カテゴリー別アーカイブ: 読者質問

読者質問欄

Q あなたはこの情報をオープン・マインド(開かれた心)で聞いてほしいと言われますが、それは難しいとも言われています。なぜそうなのでしょうか。

A 私たちは皆オープン・マインドを持っていると思っていますが、実際には全くそうではありません。私たちが信じていることのほとんど、世界はこういうものだと考えていることのすべては、実際には生まれたときからの条件付けの結果です。私たちは自分が信じていることや自分の考えに反するものに出会うと、それを払いのけてしまいがちです。それは自尊心や思考の安定に干渉するので、私たちはそれを無視し、好みません。
 正統的な伝統を信じる人々や、私の言うことに反するように思える何らかの宗教組織に属する人々にとって、それは特に難しいことです。私の見解からは、私の言うことはどんな宗教的教えとも対立しないと思います。そのように思えるかもしれませんが。この情報は難しく、特に初めて聞く場合にはそうでしょう。この話にいくらかでも馴染めば、正しいと思うことができるようになり始めるでしょう。まず始めに、それは完全に間違っているか、本当であるにはあまりに良過ぎると思われるのです。

Q あなたは自分の言うことが事実であると確信しているのだと思いますが、なぜ長年同じことを言い続けるのですか。その価値があると思いますか。

A それは明らかなことだと思います。もし私の言うことが真実であれば、これはあなたがこれまでに聞いたどんなことよりも重要な情報です。もしこれが真実であれば、それは今の人生だけではなく、遠い過去から将来までの連続する人生の基礎となるものです。この情報は、それが真実であれば、今日起こっていることへの理解を与えます。なぜ物事がこのように起こるのかについてです。大多数の人類が平和と正義と幸福の世界に入っていけるように、多くの人々にとって恐ろしい、つまり困難でトラウマ(心の傷)となるような物事を、いかにして変えていくことができるかを教えます。

Q マイトレーヤはなぜ世界大戦中にやって来られなかったのですか。

A 500年以上もの間、覚者方は彼らが日常世界に戻らなければならないことを知っており、その出来事に備えていました。長い間、彼らはそれが可能になるにはあと1,000年か1,200、1,300年くらいかかると思い、それまでに人類は彼らが与えるものへの準備ができているだろうと考えていました。1945年6月、戦争が事実上終わった時、マイトレーヤは覚者方の一団に向かって、もし人類が正義、分かち合い、正しい人間関係への第一歩を自らの自由意志で踏み出したら、可能な限り最も早い時点で戻ると発表されました。戦争が、完全にではなくとも、少なくとも事実上終わり、重要でなくなったとき、分かち合いの原則が少なくとも経済関係を支配し始めたとき、善意のエネルギーが顕現し、正しい人間関係の確立へと導くようになったとき、彼はやって来ると言われました。それらがほんの少しでも起こり始めたとき、完全である必要はなく、私たちのマインドがそれらの方向に向き始めたとき、マイトレーヤは、覚者方の一団と共にご自身が日常世界に戻ると言われました。
 それは1945年のことでした。5年以内、1950年頃にやって来ることが期待されました。正確な時間ではありませんが、およそ5年です。戦争が、その非常な恐ろしさによって、人類を懲らしめ、方向を変えることが期待されました。しかし、すべての国が苦しんだわけではなく、大国は古いやり方──古い貪欲な、利己的なやり方、過去の競争的なやり方──に速やかに戻りました。実際、それはパイシスの時代のやり方であり、今や終わりつつあります。その結果、マイトレーヤの到来は延期され、遂に1977年、マイトレーヤは「人類の用意があろうがなかろうが」やって来ると言われました。

Q 進歩的で、変化を求める、より「ニュー・エイジ」的なタイプの人々が、保守的で「パイシス的な」人々よりも効果的でないように見えるときがあるのはなぜですか。

A 新しいタイプの人々は、エネルギーを感じ、アクエリアスのエネルギーに反応していますが、彼らにふさわしい仕組みが存在しません。現在のシステム──政治、経済、社会、教育、科学、文化等々は、すべて過去の時代の産物であり、彼らにとっては完全に敵対するものです。それはすべて過去のパイシスの時代に関係しています。そして彼らの反応はそれらすべてを一掃したいというものです。彼らはそれをすべて取り除き、最初から始め、すべてを再建したいと思っています。しかし、再建は古き最良のものの上に行わなければなりません。人類を引きとどめる古い最悪のものは取り除かなければなりませんが、古い最良のものの上に新しいものを築かなければいけません。今私たちの前にある仕事は、新しい仕組みと新しい性質を築き、人類の中にそれを構築し、アクエリアスの特質を表現することです。
(2006年9月、オランダ、アムステルダムの講演より)

Q アトランティス文明はどのくらい続いたのですか。盗みはいつから始まったのですか。人々が盗むことをしなかった時代があったとあなたは言われました。

A アトランティス文明は1,250万年続きました。盗みが始まったのはいつか? 1,250万年の中のどこかです!
(2009年9月、オランダ、アムステルダムでの講演)

Q この仕事においてなぜ感傷性が問題になるのですか。

A 他の光線よりも感傷的な光線が二つあります。第6光線と第2光線です。世界中のグループの人々はこの二つの光線をたくさん持っており、そのため感傷性が存在します。感傷的な人は、感傷的でない人は厳しく排他的であるなどと考えがちです。そうではありません。客観的で非人格的であること(それは望ましいことです)と冷たく厳しいこと(それは望ましくないことです)との間には違いがあります。
 第2光線と第6光線の人々はあらゆる状況において感傷的になる傾向があります。彼らはしばしば感じがよくてとても優しい人々ですが、グループとグループ・ワークの観点からは、その感傷性は重要ではありません。単なる「障害」や壁です。

読者質問欄

Q あなたがアクエリアスのエネルギーの特質として「統合」という言葉を使われるとき、未来のために実際には何を意味するのですか。
A エネルギーが強力になるにつれて、人々はますます統合や全体性に反応します。アクエリアスのエネルギーは世界の様々な人々──異なった文化、人種、背景、宗教、異なった国家運営の方法──を一つの巨大なグループに融合し、すべてを統合して融合します。
 それが人類全体として私たちが次の2,000年間に行う仕事の本質でしょう。これらの新しいエネルギーは巨大で宇宙的で微妙なものであり、その特質が文明を特徴づけます。将来、来るべき2千年周期に私たちは協力を通して共に建設するでしょう。私たちは統一された文明を築き、和合を創造し、その和合は様々な違いから成り立っています。差異をなくし個性を消すような統一ではなく、その個性は人類というより大きなグループへの奉仕に使われるでしょう。ですから、そのようにして人類は、個別の国家の行動としてではなく、世界のすべての人々の最良の目的のために共に働くでしょう。

Q 天才という現象を説明していただけますか。天才とは何ですか。
A すべての天才の背後には覚者がいます。人類はその事実に気付いていませんが、覚者方は特定の時代の文明の鼓舞者です。どんな分野であれ、彼らの弟子たちを通して新しいものを鼓舞するのは覚者方です。それは新しい交通様式かもしれないし、新しい芸術や科学、教育かもしれません。要するにテクノロジーや新しい思考方法など私たちが発見したと考えているものすべては覚者方によって刺激されたものです。そのようにして私たちは進化します。実際、進化することが「生活の中の私たちの仕事」です。偉大な概念やあらゆる仕事を行ったように見える天才たちの背後には覚者方がおり、例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、レンブラントがそうです。彼ら各人の背後には覚者がおり、彼らのマインドを鼓舞して彼らに創造させたのです──もちろん、芸術だけでなく、人間生活のあらゆる分野においてそうです。主に芸術家を扱う覚者方がおり、主に政治家を鼓舞する方々もおり、哲学者、宗教指導者などを扱う方々もいます。覚者方は専門分野をお持ちです。

Q では、個人としての私にとってのマイトレーヤの目的とは何ですか。
A マイトレーヤの目的は人類を神へともたらすことであり、それは自分自身の神性を認識し、それを表現することです。つまりあなたが神であるかのように生きることを意味します。それは宗教に入ったり修道僧や尼僧になることではなく、あなたが接触するあらゆる人々との関係において彼らが自分自身であるかのように行動することです。そのためには私たちは戦ったり競争したりせずに、平和の中に生きなければなりません。共に生きるという考えから競争を消さなければなりません。誰もが潜在的には神であり、誰もが自分自身の成長のリズムを持っています。速い人もいればゆっくりな人もおり、一つの線に沿って発達する人もいれば、様々な発達をする人もいます。そしてこのようにしてすべての生活様相が網羅されます。

Q 難民や移民についてどうお考えですか。
A 先進国の多くが抱える大きな問題の一つが移民問題──移民の到着です。アメリカとEU諸国の中には、巨大な障壁を設け、国境に壁を築きました。彼らが言っているのはこういうことです。「彼らはここに来てはいけない。私たちは彼らを欲しない。彼らはここに来て私たちの仕事を奪う。彼らは迷惑で、数が多すぎる。私たちの国は何千人もの移民を受け入れるほど大きくはない」。その一方で、ますます多くの難民や移民が仕事を求めてやって来続けます。彼らは途上国から来て、国では仕事がないため、先進国に来て仕事を得ようと思い、合法かさもなくば非合法にやって来ます。英国は過去の帝国である英連邦の中心です。ある時代には、英連邦に属する国々のどこからも英国に来ることが許されていました。それは多かれ少なかれ英国人と同じでした。今ではそれは困難になり、入国には何年も待たされます。そして自国民と移民との間には巨大な壁や障害が存在します。
 しかし、何世紀にもわたって移民の波を受け入れてきた国家はすべて、彼らによって豊かになっています。移民は地域の生活に異なった特質を持ち込みます──異なった料理、異なった考え方、異なった宗教、予想もしなかった多くの異なったやり方です。それらは私たちの生活の質を豊かにします。そしてアメリカについて言えば、移民が現代のアメリカをつくったのです。
 マイトレーヤの仕事は、このことを理解するように人類を鼓舞することであり、私たちが一つであり、人類という一つのグループとして一つの世界に住むことを目指すべきであるということを知らせ受け入れさせることです。彼はいかに生きるかを人類に教えなければならず、私たちはそれに応えなければなりません。私たちはそれを自分で考えたかのように必要なものと見なければなりません。マイトレーヤは人類に助言する仕事を持ちますが、彼が言うことの現実性を見るのは私たちの仕事であり、それは単なる別のアイディアではなく、私たちに絶対的に不可欠な行為であることを知らなければなりません。そしてそれを欲しなければなりません。それを歓迎し喜ばねばなりません。私たちは分かち合いの原則を受け入れ、それを実施しなければなりません。

Q また別の経済危機が起こるでしょうか。それとも私たちはすでに最悪のものを経験しましたか。
A それはまだ終わりに達していません。それは続くでしょう。上がったり下がったりするでしょう。特に通貨的な意味では多少の改善はあるでしょうが、労働や産業の見地からは、アメリカやヨーロッパのような国が回復するには長い年月がかかるような崩壊が起こるでしょう。毎週何十万もの職が失われています。途上国ではそれはどんなものか考えてごらんなさい。(2009年9月)

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。

今月は科学界が新型コロナウイルスに対するワクチンを研究している中、ワクチンの実施に関する質疑応答をここに再掲載します

Q ワクチンの実施に反対する行動が急速に高まっています──明らかにそれにはもっともな理由があります。製薬会社が巨大な利益を得るために仕組まれた大きな陰謀があるように思われます。他方、何千もの人々が死に、多くの人々が副作用のために障害を負っています。全体としてワクチンによって達成されたとされる業績はねつ造されており、統計は操作されています。それは危険で自然に反する方法であり、自然で健全な生活を送っていれば通常の人間には不要なものです。「シェア・インターナショナル」誌はなぜアフリカのワクチン・キャンペーンを「良いニュース」として伝え、完全にそれに同意しているのですか。

A ワクチンは(ホメオパシー的に製造されたものを除いて)病気を克服するための最良で最終的な解決法ではないかもしれませんが、大衆的な規模ではアフリカ、インド、そのほか多くの国々で多くの恩恵をもたらし、障害となる病気から人々を解放しています。質問のような無知で教条的な発言は危険なものだと思います。これは、覚者の見解です。
(2002年4月号)

Q (途上国の)子供たちはすでにやせ衰えてしまった体にけがらわしい薬品が必要ないことは確かです。彼らが必要としているのは純粋なきれいな水、公衆衛生(下水設備)、栄養であって、彼らは(ワクチンのような)他の異質な物質は必要ないのです。
シェア・インターナショナル誌1991年5月号での、途上国の子供たちのワクチンや予防接種についてのあなた方の情報に関して、あなた方は単に化学、医学、生体解剖のシンジケートによって宣伝された嘘をオウムのように繰り返しているだけではないですか。

A あなたの言うように、生活に第一に必要なのはきれいな飲み水、栄養のバランス、公衆衛生であることは間違いありません。シェア・インターナショナルはめったにそれを強調するチャンスを逃しはしません。しかし、何百万もの子供たちにはそれはまだまだ手の届くものではなく、それが届くようになるまでは、これより望ましくない、予防という手段が使われ続けなければなりません。このような予防接種などの予防的な手段の効果を完全に非難してしまうことは、私たちには赤ん坊を風呂の湯水ごと捨ててしまうようなものに思えます。それは開発援助の世界の人々で、(私たちのような)構造上の変化を主張するが、そのため食料や緊急援助は否定する、という立場を取るのにも似ています。またワクチンと一口に言っても様々なワクチンがあります。ホメオパシー療法で用意されたワクチンが様々な病気に対しての無害な医療を提供するのに全面的に効果的であると証明されたことは、あまり広く知られていません。世界中で使われると、現在の疫病を安全にコントロールする方法が利用されるようになるでしょう。
 ユニセフではその仕事として、世界中の何千人ものプロのワーカーやボランティアの人々が子供たちの人権のために働くという純粋な目的に支えられて喜んで働く用意があり、また実際に無数の子供たちの命を助けてきました。シェア・インターナショナルは救われた子供たちの数を数えてはいませんが、私たちは発展途上国におけるユニセフの数々の活動を見てきて、その組織の仕事に深い敬意を持つものです。
(1991年6月号の読者からの手紙への回答として)

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 人類が自滅しないとどうしてそんなに確信が持てるのですか。

A それは主に、知恵の覚者方と呼ばれる途方もなく進歩し啓発された方々が今や私たちの間におり、彼らの師である世界教師、主マイトレーヤと共におられることを知っているからです。彼らは全知であり、人類のハートは健全であり、私たちすべてに内在する善きものに反応することができることを知っており、私たちはそれに反応して、政治的経済的社会的な変化を起こすこと、そしてそれは私たちが自滅しないことの保証であることを知っておられるからです。

Q 一言で要約すれば、新しい時代を特徴づける指針となる原則は何でしょうか。

A それは統合の原則でしょう。私たちは生活のすべての様相を統合し、人類全体を一つのグループに統合することを学ぶでしょう──長年夢見られてきた同胞愛が初めて現実のものとなるでしょう。この統合を起こす主な力は、私たちが一つの人類の兄弟姉妹であり、一つの聖なる源に属しており、それゆえに世界の資源を分かち合うことは世界で最も自然なことであることを受け入れることでしょう。私たちが家族の物を何でも分かち合うように、人類家族は分かち合うことの必要を認識し、それが最初の一歩となるでしょう。

Q あなたは将来起こるかもしれない多くの外的な変化について述べられました。それは人々の内面にも影響を与えると思います。マイトレーヤはメッセージ第3信でこう述べています。「道を示させてください──より簡素な生活に前進する道を。そこでは誰もが欠乏することなく、同じ日が二度繰り返されることはなく、同胞愛の喜びがすべての人々を通して顕される」。これらすべての変化は生活の内面にとって何を意味するのでしょうか。

A それは二方向のプロセスです。外的な変化は内的な変化である意識の変化に続いて起こるものでなければなりません。その意識の変化は世界に公に出現される覚者方の鼓舞と指導を通して起こるでしょう。
 彼らは人類に教え、私たちの行動の結果について示すでしょう。例えば、私たちが今生きているようなやり方を続けるならば、最終的には完全な混乱とゆっくりした自滅に終わることを示されるでしょう。さもなければ、私たちは、私たちが一つであり、一つの人類の兄弟姉妹であるという単純な前提を受け入れ、これを(認められた)事実であるとする状況をつくり出すでしょう。統合の高まりが資源の分かち合いをもたらし、私がいま述べているような変化につながるでしょう。
 内的な変化は人々の自己の深い感覚をもたらすでしょう。私たちは、隠者や修行者か宗教者以外には考えられないようなやり方で、私たちが聖なる存在であることを知るでしょう。それは生活のあらゆる分野におけるすべての人に開かれた経験でしょう。私たちが「神」と呼ぶものは私たち自身の内部にあり、その神、神性を毎瞬ごとに経験するようになるでしょう。そしてそれは政治、経済、宗教、科学、芸術、文化のすべての分野で表現され、このようにして私たちは、いわば多くの異なった糸から編まれた経験のすべてから巨大なタペストリー(壁掛け等に使われる織物)を生み出すでしょう。そして私たちはこの新しい地上における生命の性質による、私たち自身の美しいパターンを創造するでしょう。
(最初の三つの質疑応答の出典:ベンジャミン・クレームとディック・ラーソンとのインタビュー「21世紀への入り口」より)

Q 今日多くの人々が苦しんでいるインフルエンザ(流感)や繰り返す風邪の流行の原因は何ですか。

A 2003年という年は、世界にとって、そしてとりわけ出来事に対して恐怖心をもって感情的に反応する敏感で不安な多くの人々にとって、特に困難な年でした。呼び起されたストレスの結果として、自然災害と共に、様々な種類の流行病──SARSの出現からインフルエンザなど繰り返す伝染病──が生じました。人々が皆同じ伝染病や、伝染のパターンや周期に従うわけではありませんが、そのすべての根底にある原因はストレスです。
 免疫システムを築く必要があります。とりわけ、言うは行うより易しですが、誰もがもっと無執着になり、世界の出来事に感情や恐怖心で反応せず、マイトレーヤの臨在とその力のリアリティ(実在)を確信しなければなりません。彼の手を用いなさい。
(シェア・インターナショナル誌2004年2月号)

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 覚者方に止めることができるのなら、なぜ人々は毎日死んでいくのですか。

A なぜなら覚者方にはそれを止めることができないからです。止めることは許されていません。私たちは止めることができます。明日にでも止めることができます。明日から誰も死ななくて済むように、世界の資源を分配することができます。しかし、何百万もの人々が飢え死にしています。しかし、それは覚者方の責任ではありません。私たちの責任です。
 自由意志と呼ばれる偉大な法則があります。自由意志を支配する法則は、覚者方が、私たちが自分ですべきことを私たちのためにすることを許しません。そうするならば、私たちは決して成長しないでしょう。進化しないでしょう。覚者になることはないでしょう。もし覚者方が私たちのためにすべてをしてくださるならば、私たちはこの世における私たちの運命である進化を達成することは決してないでしょう。私たちはそれが自分の責任であることを認識しなければなりません。
 人々が死んでいくというのは恐ろしい犯罪です。人々は言います、「なぜ神はこれを許されるのだろう?」それは神とは関係がありません。私たちに関係があるのです。私たちは互いに責任を持っています。そのために私たちはここにいるのです。私たちはお互いの面倒を見るためにここにいるのです。それが家族のしていることであり、それに気づくのが早ければ早いほど、私たちの暮らしはよくなるでしょう。
 ですから、それは覚者方の問題ではありません。私たち個々人が、人間としての責任を担うべきであり、人間であるということは神であるということです。それは同じことです。
 個々の人類が、人類と呼ばれるものと神と呼ばれるものは同じであることに気づくときが来るでしょう。そこに区別はありません。何の分離もありません。それは全宇宙を通して同じです。すべての部分、生命のあらゆる要素は他の部分に関係しており、宇宙全体を通して分離しているものはありません。私たちは分離しているという考えは大いなる異端です。

Q 「愛」という言葉についてほとんどの人は、ロマンチックな愛や母の子に対する愛のようなことを思い浮かべると思います。愛にはそれ以上のものがあるのですか。愛についてもっと深い理解が存在するのですか。

A はい、そのとおりです。母子愛や恋愛も愛の一様相ですが、愛とは本当はとてつもないエネルギーです。それはキリスト原理、キリスト意識と呼ばれます。それは意識のエネルギーであり、物質の構成要素を結び付け、惑星を現実の凝集した状態に保つものです。「愛は世界を動かす」という言葉がありますが、文字通り愛は世界を動かしています。なぜなら、すべての生命の原子を共に保つあの凝集的な磁力的フォースがなければ世界は存在しないからです。
 この太陽系の本質は愛です──私たちの太陽系は第2光線であり、第2光線の本質は愛です。ですから、この太陽系に関する限り、神は愛です。イエスは人間として初めてこのことを示しました。愛としての神を人間として初めて完全な形で示しました。仏陀は、弟子であるゴータマを通して、同じ愛のエネルギーの知恵の様相を人間として初めて完全な形で示しました。マイトレーヤは、まだ完全な形で人間が示していない神の別の様相を持ち込まれます。私は彼の秘密を明かしたくありませんが、彼は私たちがまだ認識しておらず、来るべき時代に示すことになるであろう神の新しい様相を啓示されるでしょう。それが彼のもたらす啓示です。それはまだ知られていない神の新しい様相であり、まだこの世で断片的にしか示されていないものです。

Q マイトレーヤは愛の主と呼ばれますが、彼は「悲しみの男で悲嘆を知る者」であるとも読んだことがあります。マイトレーヤに関するこの記述はどちらも正しいですか。

A 「悲しみの男」という記述は、マイトレーヤを代理したイエスについてのものです。イエスはマイトレーヤによってオーバーシャドウされましたが、それは単にイエスについての記述ではありません。イエスは「悲しみの男であり悲嘆を知る者」であると考えられていますが、実際にそのとおりです。彼は十字架につけられましたが、この記述の真の意味は、マイトレーヤは世界の悲しみについて知っている者であるということです。彼はこの世の苦しみについて知っています。もしあなたが愛の主であるマイトレーヤの心の中を見ることができれば、そこには疑いなく神の愛を見るでしょう。しかし同時に、そこにあなたが見るのは彼が毎瞬、携えているものです。つまり、あらゆる悲しみ、悲嘆、苦しみ、屈辱、恥辱、全人類の絶望です。それがマイトレーヤの心にあるものです。あなたはそれに一瞬でも耐えることはできないでしょうが、彼はそれと共に歩んでおられます。彼はこの世におり、絶えず私たちの悲しみと共にあります。
 彼が言われたように、彼の見地からは彼と私たちの間に分離は存在しません。私たちのすべての悲しみ、痛み、苦しみ、悲嘆を彼は分かち合われます。絶望、何百万もの人々の絶望的な貧しい暮らしは、彼が日々働かれる中で、キリストにとっての生きた現実です。あの記述の意味はそういうことです。そしてそれ故に、彼が愛の主であるが故に、彼はこの悲しみの叫びに応えることできるのです。それが彼がこの世にいる理由です。私たちが彼を世界に呼んだのです。1914年から1918年と1939年から1945年の世界大戦を通じて(マイトレーヤの見地からはそれは一つの戦争です)、私たちの助けを求める叫びはマイトレーヤが何千年も暮らしているヒマラヤの高所に届きました。そして彼は応えられたのです。私たちは、「助けてください。私たちが苦しんでいるのをあなたはご存じです。これはあまりに恐ろしく、これ以上はやって行けません」と呼びました。そして彼は応え、決断し、1945年6月に、世界に戻るという彼の意図を発表しました。その決定は1977年7月に彼がロンドンに来た時に成就し、そこで認知されるのを待っています。
(1996年7月、ロサンゼルスでのディック・ラーソンによるインタビュー)

Q これらのグループにおける合意とは何を意味するのですか。

A 合意が生じるのは、あるグループの「すべての」メンバーが、自由意志から、その自由意志を、大計画のために用い、自己の意志ではなく、神の意志のために、大計画への奉仕のために用いるときです。そのとき合意は自動的に生まれます。誰もが客観的で「自己から離れて」、仕事の価値と仕事の活動のみを客観的なものとして見るならば、彼らは自由意志を正しく用いています。そうでなければ、彼らの動機は入り混じっています。

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 大宣言の日の後、人類が変化すると、宗教は崩壊するのですか。

A 全く違います。その反対です。しかし宗教は新しくなり、若返り、純化されるでしょう。古いドグマや教義はすべて宗教から取り除かれるでしょう。新たな生命と活力を持ち、人々のために新しい純粋さと現実性を持つようになるでしょう。そして進化し続けるでしょう。
 しかし、様々な宗教の中から次第に人々は神への新しいアプローチに引き寄せられるでしょう。それは新しい宗教と呼ぶことはできません。なぜなら信仰に基づいていないからです。それは信条に基づくものではありません。それは進化の科学であり、進化の過程の底にあるその科学に十分な関心を持つ人々がそれによって、マイトレーヤを通して、私たちが神と呼ぶものは私たちを超えたところ、空中、宇宙、私たちの周りのすべてに存在するという理解に至るでしょう。実際に、神が存在しない場所はありません。それが、神が存在するすべてです。しかし、マイトレーヤを通して、多くの人々は様々な宗教から引き寄せられ集合し、神への新しいアプローチを見いだすでしょう。それは、神と私たち各々の中にある神は同じ一つのものであるという認識です。私たちに内在する神性と私たちが神と呼ぶ超越的なものの間には分離や違いはありません。ですからもしそれを宗教と呼ぶならば、それが来るべき時代の宗教でしょう。
 しかしまだ長い間は様々な宗教がその純化された状態で続くでしょう。例えば、イエス覚者は、至るところのキリスト教団体の長です。彼の仕事は、これらの団体から、今日までキリスト教の多くを支配している人間のつくった教義やドグマを取り除くことです。

Q 魂が転生するのは、受胎の時ですか、誕生の時ですか。

A 実際、どちらでもありません。魂は赤ん坊の肉体のために器を準備します。魂はそれをエーテル肉体の中に設置し、それが次第に固い物質体になります。およそ第4週に、魂は将来の赤ん坊が第4週から5週になる頃にその物質に生命を与えます。

Q マイトレーヤは神の唯一の子ですか。

A 決してそうではありません! 全宇宙にそのような存在はいません。神の唯一の息子や娘であるような人間は存在しません。すべての男女、すべての子供は聖なる存在──神の息子や娘です。マイトレーヤにお会いしたら、「あなたは神の唯一の子ですか」と尋ねてごらんなさい。またはパレスチナでマイトレーヤを代理したイエスに対して、聖書に書かれているように彼は神の唯一の子なのかどうかを尋ねてみなさい。彼は、そうではない、そのような人はいない、と言うでしょう。「どうして私がそうであり得るでしょうか?」と。
 それは、聖パウロとして知られている弟子パウロであった──聖パウロ※としても知られている──偉大なる存在によって最初に提示され、拡張され、知られるようになった空想です。聖パウロはキリスト──つまりイエスを通して働いたキリスト──の神性を強調しすぎました。実際、彼はキリストに会ったことはありませんでした。彼は初め、「大管区指導者」としてキリスト教徒を迫害していました。彼は第3段階のイニシエートだったので、その仕事をとてもよく行いました。ダマスカスに行くまでは。ダマスカスへの途上で、彼は落馬し、3日間盲目になり、それから視力が戻りました。
 彼は元々サウルと呼ばれていました。そしてダマスカスへの路上でパウロになりました。彼は偉大なイニシエートであり、途方もない力と勇気を持っていましたが、狂信的でもありました。その狂信性がキリストの実在性についての歪曲の理由であり、実際、キリストを人類から切り離しました。彼の教えは神を人類から切り離しました。誰も神ではなく、それでもすべては神です。独自の神の子というような存在はいません。
※「聖パウロは確かに鼓舞されましたが、マイトレーヤによってオーバーシャドウされたのではありません。彼は第3段階のイニシエートでした。(この出来事は、聖書の中で、ダマスカスへ行く途中での彼の『転向』と彼が3日間盲目であったという話の中で、劇的に記録されています)。ジュワル・クール覚者の聖パウロに対する批判は、パウロが古いユダヤ教の教えに順応させるために、新しい教えを部分的に歪めたことに関連しています(にもかかわらず、パウロのことを『あの偉大なるイニシエート』と呼ばれていますが)。彼はイエスの神聖さを強調しすぎ、排他的なものにしてしまいました。聖パウロのあの神秘主義が、今日に至るまでキリスト教の教会のアプローチを彩っています」
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命 第1巻』)

Q 私が自分自身の個人瞑想の形式を持たないならばどうすべきですか。

A あなたが個人瞑想のやり方を持たないなら、一つ簡単なやり方があります。あなたの頭の上に、輝かしい黄金の球体が火のように光っているのを視覚化しなさい。「アスピレーション」と呼ばれるリトグラフは、この黄金の光の球を描いています。このように視覚化できます。それは黄金の火のようですが、球体の形をしています。大きなグレープフルーツくらいの大きさで火のような球として思い描き、そこからエネルギーが黄金の雨のように降るところを想像しなさい。あなたが座っているところに、黄金の雨が降り注ぎ、とても微細な雨が静かに柔らかくあなたの頭と肩と周囲全体にシャワーのように降ってくるところを思い描きなさい。あなたはそれを視覚化し、想念形態を築きます。時々それが消滅し、どこにあるか分からなくなるでしょうが、何の緊張も感情的障害もなしに、ただ静かにそれを築き、再び頭上にそれを視覚化し、頭と肩を取り巻くのを想像しなさい。それが消えたら、何の興奮もなしに、ただ静かにもう一度築くのです。

アスピレーション(志向)

ベンジャミン・クレームの絵画「アスピレーション」(1964年)の解説:
「白い光で包み込んでいるような、白い形態に囲まれたバラ色の形態の中に、燃えるような金色の玉がある。金色の玉は魂を表している。黄金の火の玉、金色の火は、瞑想中、瞑想者の頭上に、人間の魂として思い描くことができる。これは人間の魂についての認識、魂との一体化へ向かっての志向を象徴的に表している。
 志向と瞑想を通して、パーソナリティー(肉体人間)はアンタカラーナ、すなわち光の橋によって魂と連結される。この絵では、アンタカラーナはバラ色を取り囲む白色の輪で象徴されている」
(『現代のマンダラと不朽の知恵──ベンジャミン・クレームの秘教芸術』)

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q イエスは、彼を神として信じることが唯一の救いであると言っているのに、どうしてすべての教えは新しい時代のメシアへと導くのですか。(1997年11月18日、米国アトランタ州のベンジャミン・クレーム講演)
A イエスが実際そう言ったのかどうか、私には分かりません。ヨハネ福音書14章6節で彼はこう言っています。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」
 マイトレーヤはキリスト原理の体現者です。現在はイエス覚者である弟子イエスをオーバーシャドウすることによって、そのキリスト原理がイエスを通して顕現されたのです。ですから、イエスがそう言ったとき、イエスを通してそれを言っていたのはマイトレーヤでした。
 キリスト原理と呼ばれるものは愛のエネルギーであり、それは意識のエネルギーそのもので、右胸にある中心である(ハート)チャクラの中で目覚めます。聖書では、「賢者の心臓は右側にあり、愚者の心臓は左側にある」と書かれています。
 右胸には霊的なハート・センターがあり、人体における魂の座です。それは濃密な肉体ではありません。エーテル肉体であり、精妙な肉体です。濃密な肉体はエーテル体が凝縮したものです。エーテル体は、それが濃密な肉体として顕現する前に母胎に入ります。
 キリスト原理と呼ばれるものが意識の小さな種子、右胸のチャクラの小さな炎として目覚めるとき、あなたは賢者になります。キリスト原理が内部に宿ることを知り、キリスト原理に出合うたびにそれに反応します。そのエネルギーが目覚めると、より大きな度合いで、より大きな目的と、そのエネルギーに反応します。
 「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。つまり、右胸のハートにおけるキリスト原理が顕現されることなしには。キリスト原理がそこで目覚めると、どんな人生を歩んでいようが、あなたはその霊的生命に方向づけられます。
 それは宗教的になるということでしょうか? 宗教の道は神に至る多くの道の中の一つにすぎません。それらはすべて最後には一つのものに導かれます──唯一なる神です。ひとつの神性、ひとつの神があるだけです。あなたはそれであり、私たちはそれであり、実際のところ、神以外のものは存在しません。それは存在するすべてです。
 私たちはこの肉体が実在のものだと考えています。そうではありません。それは相対的な実在にすぎません。それはあの神性の器ですが、私たちは皆その神性を分かち合っています。唯一の神性があるだけです。だからマイトレーヤはこう言われるのです。「わたしを崇拝してはならない。もしあなたがわたしを崇拝するなら、あなたは自分自身を低めていることになる。わたしはそれを欲しない。わたしはあなたに対等であってほしい。あなたは至高の存在の閃光である。あなたがわたしよりも低いと考えてはならない」
 一つのレベルがあるだけです。それが神性であり、私たちと覚者方との唯一の違いは、彼らはその神性を顕示することができるということです。私たちが進化の過程を辿るにつれて、その神性は肉体を通してそれ自身を表現できるようになります。ですから、すべての生命は進化しており──後退することもありますが──常に前進しているのです。すべての転生があの神性をますます顕示する能力を与え、遂にはマイトレーヤが真我実現と呼ばれる状態になります。
 彼はこう言われます。「わたしは新しい宗教をつくるために来たのではなく」、あらゆる伝統の枠組みの中で進化し続けることができるよう援助するためであると。あなたがキリスト教徒なら、最良のキリスト教徒でありなさい。あなたがヒンズー教徒なら、最高のヒンズー教徒でありなさい。「わたしは人類に真我実現の術を教えるために来た」。そのために私たちはここにいるのです──真我(神)実現を達成するためです。彼は「真我のみが重要である」と言われます。
 「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。キリスト原理が人間のハートの中に目覚めない限り、誰も自分の神性を実現することはできず、真我実現や神実現──それが父のもとに行くことです──に至ることはできない。イエスが意味したのはそういうことです。
 それは、ルネサンス初期の絵画の中で、洗礼を受けるイエスの頭上に黄金の光の中で鳩が下りてくることに示されています。それがキリスト原理です。それがマイトレーヤの意識であり、当時はイエスを通して働いたのです。それが何らかの程度で私たちの中で目覚めると、マイトレーヤか個人的な師によって強化されます。
 奉仕と瞑想を通して、しかしとりわけ人類への奉仕を通して、その目覚め、キリスト原理の強化が進み、それがあなたが誰であるかの目覚めに導きます。「誰も父のもとに行くことはできない」。まず、人間のハートの中にキリスト原理が目覚めなければ、誰もその神性を実現することはできないのです。
 もしそうでないなら、キリスト教徒だけが神のもとに行くことになります。それは現実のあり得ない解釈です──ヒンズー教徒、仏教徒、無神論者、合理主義者、人道主義者、ユダヤ教徒、イスラム教徒などは神のもとに行くことはできないということになります。なんという傲慢さでしょうか! それはイエスを完全に間違って解釈しています。
 イエスが「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」と言われたとき、彼は自分を神の唯一の子として信じなさいと言ったのではありません。イエス覚者に会ったら、あなたはこう尋ねることができます。「あなたは神の唯一の子なのですか?」彼はこう言うでしょう。「馬鹿なことを言わないでください。パレスチナの唯一の神の子なのかですって? そんなことがあり得るでしょうか。誰もが神の子なのです。この世のあらゆる男女が神の子なのです。宇宙全体の中で、唯一の神の子などという存在がいるでしょうか?」

Q マイトレーヤによって特別に磁化されたテキサス州サンアントニオの水はまだ見つかっていないのですか。
A まだ見つかっていません。マイトレーヤがよいと思われるときに見つかるでしょう。

Q 「アンタカラーナ」と呼ばれるあなたの絵画について説明していただけますか。
A 弟子は科学的に瞑想するにつれて、頭脳から魂に向けて光の回路を築きます。その間、魂は同様の光の回路を魂から頭脳に向けて築きますが、さらに明るい性質のものです。瞑想の根本的な目的は人を魂と接触させることです。ほとんどの人にとって魂とは単なる概念にすぎません。信じる人もいるし、信じない人もいます。進化した男女は、魂を信じているだけでなく、魂を真我として知っており、真我とは真の自己であり、何度も転生します。瞑想の実践を始めるや否や必然的に魂と接触するようになり、魂との整列は次第に深まっていきます。この整列は、この絵画が表現しているアンタカラーナの創造を通して形成されます。上部にある明るい黄色の形は魂を表現しており、下部の暗い黄色はパーソナリティーを表しています。パーソナリティー、頭脳と魂との間にこの光の回路(アンタカラーナ)があり、それは瞑想を通して形成されます。

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q (公の場で)話をすることはなぜ重要なのですか。(2001年5月、滋賀の伝導瞑想会議)

A 話をするときに何が起こるでしょうか。話をするとき、明らかに言葉は多かれ少なかれ、あなたの意味やアイディアを体現します。そして大半の人々はそれが話すときに起こることのすべてだと考えています。それは重要な一部ですが、それが公の場で外的な分野で人が誠実さと知識を持ってこれらの途方もない重要な啓示、ハイアラキーの存在とハイアラキーの出現について知らせるときに起こるすべてではありません。
 しかし、シェア・インターナショナル誌の手紙で報告されているような、後にマイトレーヤやイエス覚者や他の覚者と確認された方々に何らかの形で接触を受け、話しかけられ、道ですれ違うなどした体験の話について考えるならば、彼らがその話を手紙に書いて送った理由は何でしょうか。なぜ他の出来事ではなく、その出来事なのでしょうか。たとえ体験の中で何も起こっていないように思えたとしても(そしてしばしばそれは束の間で、ほとんど何も起こっていないように思えますが、マイトレーヤや覚者と手紙を書いた人との間で何かが伝わったために、それは真の体験であれば確認されます)、彼らの間では何かが起こったのです。それが話をするときに起こることです。彼らの間で体験の中で何かが伝わり、それは話の中でも伝わります。
 話をするときに人々が伝える最も重要なものは、それは話し手であれ聴衆としてであれ、彼らのオーラです。あなたは話を聞きに行き、それに関心を持ち、後で何の話だったかを尋ねられたとき、それが何なのかを伝えることはおそらく難しいでしょう。しかし、あなたはその「感じ」を知り、話をした人のオーラを感じ、話し手と聴衆の間の交流を感じ、それはおそらく忘れ難いものでしょう。肉体には誰もが気づきますが、エーテル体とそのエネルギー、エーテルを通して世界に流れたフォースに気づく人はほとんどいません。チャクラを通したそのエネルギーの過程はあなたがどこへ行くときにもその個人のオーラを形成します。そのオーラは、エーテル物質体、アストラル情緒体、四つのレベルのメンタル体、そして魂の三つのレベルのどれかで構成され、もしその人が十分に進化していれば、モナッドのエネルギーの何らかの様相、つまり霊の様相も関わるでしょう。人が話をするとき、そのすべてが明らかになります。それらのフォースはその磁力を聴衆に感じさせます。伝導瞑想をしている人々やハイアラキーの再臨のために働く人々は人類の中でより進化しています。彼らのオーラはどんどん磁力的になります。
 大衆に向けて話すとき、あなた自身のオーラは機能し、あなた自身の磁力が生き生きとします。あなたは鏡を見て、「私ですか? いいえ、私はあまりに臆病です」と言います。あなたが臆病に感じるのは、あなた自身を臆病にしているからです。人々は自分にはできない、話すことはできないと考えます。内気すぎて、話をすることを誰かに任せます。全体として、彼らは容易にできる話をしません。しかし、話せば話すほど、自信がつきます。自信が深まり、ますます容易になります。それはあなた自身のグラマーを克服するという問題だけではありません。それは最終的な「生産物」を見ることでもあります。それはあなたの外部にあるもの──あなた自身ではなく、仕事、大計画、あなたがそのために働いている大義──であるということを理解することです。自分がしていること(例えば本屋に本を持っていくこと)と同一認しているならば、あなたは自分自身を売っているような気になるでしょう。しかし、自分自身に集中することをやめて、仕事に集中するならば、あなたがしていることを単に大計画や大義に関連付けるならば、あなたは何でもできることに気づくでしょう。

Q どのようにグラマーを理解すべきですか。

A グラマーは、(通常私たちが定義するようなものとは)異なる方法で見れば、自由意志の誤用です。私たちは自由意志を持ちますが、その自由意志はそれが「神の意志」と呼ばれるものと一致しているときにのみ正しく用いることができます。つまり、それが惑星ロゴスの進化の大計画と一致しているということです。そして、それが私たちのレベルで理解できる大計画と調和していれば、あなたはあなたの自由意志で自分が言うべきと思うことを言ったり行ったりできます。自由意志とは権利でもありますが、責任でもあります。そしてグループにとっての責任は、あなた自身の自由意志と同じくらい重要です。
 グラマーの本質は、人間は非人格的、客観的にはなれないということです。非人格性あるいは客観性はグラマーの正反対であり、それは常に、何らかの程度で、人格的で非客観的です。グラマーの本質は無知です。書物や情報の無知ではなく、自分自身についての無知です。それはしたがって、客観性と主観性の違いが分からないということです。あなたの動機が、オープンで明瞭で非人格的か、完全に個人的なものであるかの違いが分からないことです。
 世界の人々の99%がアストラル偏極しているというのが事実です。それは彼らの注目がアストラル界にあることを意味します。それが人々の生きている世界です。彼らの意識はアストラル界に偏極しています。もちろん程度はあります。世界の伝導瞑想グループにいる人々の大半は、第1イニシエーションのあたりにいます。そして彼らの大部分は1から1.5の間にいます。つまり、ほとんどの人々は、大計画に沿って意識的に働こうとしている伝導瞑想グループの人々でさえ、比較的に言って、アストラル偏極しているということです。彼らは本を書くことができ、計画を立て、ロケットを月に飛ばすことなどはできるかもしれませんが、それでも1.5か1.6以下なのです。つまり彼らはある種の思考はできますが、秘教的な見地からは、本当には思考できないのです。それは真の思考というより推論です。思考のうちの最低の部分であり、(メンタル界の)最低のレベルにおける具体的思考です。
 要するに、アストラル偏極していれば、それがあなたの意識の座であり、したがってマインドのレベルであり、アストラル界より上位のマインドの魂のレベルは(あなたにとって)失われます。あなたはそれ以上のレベルには行けません。行けたとしても束の間です。それは継続性の問題です。
 簡潔に言えば、人々はあらゆる種類の刺激に反応し、その刺激についての「考え」を言葉にして反応しています。実際、それはまだ感覚の問題です。彼らが話している刺激に対する感情的、感覚的反応です。それは「思考」ではなく反応の感覚です。それが彼らを怒らせたり、不幸にしたりするのです。

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q あなたの本を勉強するために教師は必要ですか。秘教の知識を多く持つ人々は教師になりますが、それは必要なことでしょうか。教師の意見は尊重されます。それはその人の教えの理解に影響しませんか。(2010年5月、ベンジャミン・クレーム日本・滋賀の研修会)

A 私の哀れな書物が他の人々に解説するための教師を必要とするでしょうか? 私は「絶対に必要ない!」と考えます。私の本は全く明快に書かれています。私は難しく書くことができません。なぜなら私は単純な人間だからです。あらゆる国のあらゆるグループに、秘教の教えはとても難しいのでそれを理解するには天才が必要だという考えが出回っています。それはナンセンスです。
 秘教の教えは通常のものではなく、ありふれたものではありませんが、必ずしも理解が難しいものではありません。主な問題は、誰も十分に時間をかけて読まないことです。私が、例えばジュワル・クール覚者によって書かれたアリス・ベイリーの本を開き、何かを読むとしたら、それは覚者の書いたものなので、私にとっては全く意味をなさないかもしれません。そこで私はもう一度読みます。そしてまだ理解できなければ、もう一度読みます。理解できるまで読み返します。それには時間を使わなければなりません。それがどういう意味かを教えてくれる人は必要ありません。彼らはその意味について自分自身の考えを持っているだけです。しかしそれはあなたにとって意味がないかもしれません。あなたはあることについてのその人の意見を知り、それがすべてです。
 価値があるのは、覚者が伝えようとしたことに対するあなたの特定の理解だけです。50人が読めば、その意味について50通りの異なった考えがあるかもしれません。そのことに価値があります。教えを通してあなた自身のやり方を知ることです。このグループでは、他の人よりも深いレベルの洞察を持つ人は誰もいません。教師や指導者の時代は終わりました。私たちはアクエリアスの時代におり、アクエリアスのエネルギーは個人の教師を使いません。それはグループによってのみ吸収されることができます。
 秘教的な見地からは、あなた方がしようとしていること、あなた方の真の目的は、グループとしていかに考え、行動し、振舞うかを学ぶことです。グループ意識をいかに開発するかを学ぼうとしているグループにとって、個人的な教師は無用です。グループとしていかに行うかを学ぼうとし、教師については忘れなさい。彼らはあなた方より多くを知っているわけではありません。彼らの洞察が役に立つとすれば、それは彼ら自身にとってです。グループの中で個人であることを学びなさい。そのやり方であなたはアクエリアスのエネルギーを引き付け、それを正しく使うでしょう。
 世界のどこのグループにも、自分は他の人よりも優れていて、教養があり、あらゆることを他の人よりも理解していると思っている人がいます。それは正しくありません。グラマーです。教師として認められたいというグラマーです。私は教師にはなりたくありませんが、この地位を強いられました。私は本を書きましたが、すでにブラヴァツキーやベイリーなどの本に書いてある秘教の教えについて人々に教えるためではありません。私は嫌いであるにもかかわらず書いたのです。私が書いたのはマイトレーヤの再臨の話を人々に伝えるためです。できる限り広く知らせるために書いたのであり、秘教的なこととは関係ありません。それは難しくありません。書くことは私の専門ではなく、私の仕事のやり方ではありません。ですから、自分より目覚めておらず、教養がなく、賢くないと考える人々を教えるのをやめなさい。それはグラマーです。私の本は解釈を必要としません。陽の光のように明快です。真っ直ぐに書かれており、読みやすく、理解も容易です。

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 私はマイトレーヤに会うことができますか。(2008年5月、ベンジャミン・クレーム日本講演会)

A あなたは、マイトレーヤに対してでさえ、無執着でなければなりません。私はマイトレーヤがどこにいるのか知っていますが、マイトレーヤに会いに行くことは許されません。私は彼の近くには決して行きません。彼がある会合に出席されていることを知っていても、私は決してその会合には行きません。実在する誰かと握手する必要はありません。ハートの中で、彼があなたにとって実在するか、そうでないかのどちらかです。もし彼があなたのハートの中にいれば、あなたは彼に会って握手する必要はありません。

Q あなたや覚者方は、再臨のタイミングについて話すとき、なぜいつも「間もなく」と言われるのですか。

A 覚者方はいつも「間もなく」と言われます。なぜなら、彼らの観点からは、それは非常に間もなくだからです。彼らにとって10年や20年は「間もなく」であり、私たちの時間で2週間程度のものです。もし覚者方が「それは20年以内に起こるかもしれない」と言われたら、誰も何もしないでしょう。私が1959年にマイトレーヤに知らされたのは、彼は「誰が可能と思うよりも早く」やって来るということでした。彼は約20年と言われました。実際には、その出来事は18年後(1977年)でした。私は「20年! 急ぐ必要はない!」と思いました。私にとって20年は途方もなく長い時間でした。それで私は何もしませんでした。私の師が外に出て話すよう私を「プッシュ」するまで、私はそれについて何もしませんでした。私には切迫感はありませんでした。秘教グループにとっての問題の一つは、彼らが切迫感を持っていないことです。

Q 私たちはグループとして、例えば自分だけの活動をしたり他のグループのメンバーなしに話をしたがる人々に、どう対応すべきでしょうか。彼らにグループのミーティングに来るよう頼んでも拒否されます。

A どのグループにもそういう人がいます。彼らは、自分には言うべきことがあり、それを知らせたいと思っているが、自分自身でそれをする力を持たない人々です。彼らはグループと「共に」働くことができません。彼らはグループの「ために」働くことはできますが、「共に」ではありません。彼らはグループのアイディアのために働くことはできますが、グループと共には働けません。なぜなら、彼らはグループを信頼していないからです。彼らはグループ意識を開発していません。彼らは本当は競争的であり、グループと競争しているのです。そのような人々はグループには無用です。グループ・ミーティングに出席しないならば、彼らはグループのメンバーではありません。彼らはグループ・ミーティングのための時間はありませんが、自分自身の話を大衆に伝えたいのです。それは奉仕とは何の関係もありません。彼ら自身に関係があるだけです。彼らは注目されたく、ひとかどの人物でありたいのです。何とかして彼らは他の人々に、彼らがグループの代表者であると知ってほしいのです。それは競争的であり、グラマーであり、エゴにすぎません。そのような人はグループにいるべきではありません。彼らはエゴが強すぎます。自分自身を認めてほしいのです。
 秘教とは何でしょうか。90%は常識で、10%は少し謎めいています。つまりその10%以外は常識です。しかし、どこに常識があるでしょうか。
(2010年5月、滋賀でのベンジャミン・クレーム講話)