2018年5月号目次

 

 

-覚者より
人類同胞愛
ベンジヤミン・クレーム筆記

視点
世界の若者の新しい運動
ゴードン・ブラウン

文化的転換一実り豊かな未来へと人類の道を再び方向づける
より深いつながりの感覚に基づく新たな世界観を構築すべき時
ジェレミー・レント

キング牧師の同胞愛の夢が新しい世界を創造する
エリッサ・グラーフ

民衆の声
パレスチナ人はガザの封鎖に抗議し、「元の移住地への復帰」を主張する

グループーアクエリアス時代の前方への道
グループ関係における非個人性 第2部
フィリス・パワー

時代の徴
『徴を求める者は……』
特殊なマーク

環境正義の追求
ジェイソン・フランシスによるロバート・バラード博士へのインタビュー

出現の政治面に関するマニフェスト
ソフィー・グランギョーム

現在100以上の都市が再生可能エネルギー70%を超える電力を利用

編集長への手紙
確認他

読者質問欄
回答 ベンジヤミン・クレーム

 

人類同胞愛

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 遅かれ早かれ、相互依存のリアリティ(現実)が諸国家に、そしてその指導者たちに分かりはじめるだろう。その認識は、今日彼らが格闘している様々な問題に対して全く新しい態度をもたらすだろう、そしてそれらの困難に対する、より容易なそしてより賢明な解決につながるだろう。視野の漸進的な変化が現在の猛烈な競争と対立を相互理解と協力に置き換えるだろう。すべての国家が同じペースでこの方向に進むのではないだろうが、この方法の有効性と明らかな健全さはやがて最も非楽天的な者たちにさえ、すべてのための恩恵を見させるようになるだろう。前進への一つ一つの歩みがこの過程を固め、そして協力への動きを速めるだろう。このようにして、より健全な関係が諸国家の間に展開していくだろう、そしてやがて、本当の同胞愛の感覚につながるだろう。
 より小さな国の多くはすでに相互依存のリアリティ(現実)を認識しているが、力を欠くために彼らの声は聞かれないままに過ぎる。大きくて強力な国々はそのような概念をあざけり、自力でできるという誇りが世界との関係についての真理に対して彼らを盲目にしている。

実験
 人間はゆっくりと進化するのであり、意義深い前進を遂げるためには時間と実験を必要とする。しかし、まさにこのようにしてこれらの達成は安定し、恒久的なものになるのである。
国際連合は、もちろん、より小さな国々の声が出され、そして聞かれることのできるフォーラム(公会の場)である。それは、安全保障理事会とその勝手な拒否権が廃止されるときにのみ可能となる。それ(安保理)の有用性はもはやなくなったのであり、権力と拒否権から解放されている国際連合総会に早く道を譲らなければならない。
 そうすると、諸国家は大国の拒否権と経済的誘因によって強いられる制約なしに行動するようになるだろう。海外において民主主義を最も大声に叫ぶ者たちが、国連の場における民主主義の欠如に不思議と盲目である。
 すべての国の国民はひとつであり、平等であり、お互いに依存しているということを人間は認識するようにならねばならない。いかなる国も一国で世界を所有することも支配することもできない。いかなる国も一国で世界のすべての国々に対立して存続することはできない。帝政や絶対支配権は過去のものである。人間は、この地球という惑星上における彼らの役割についての新しい理解を得る瀬戸際にいる。それは智恵の道とこの惑星の賜物の本当の管理者の道における旅人の仲間たちとの関係を変えることを含む。
 あなた方の兄たちであるわたしたちは、人間がこの変化を成し遂げるのを助けるだろう。マイトレーヤは人間の前に、行動と世界の変容への代替えを示すだろう。方向転換しなければ、未来はまさに困難で荒涼としたものになることを示されるだろう。そしてまた彼は、人間がお互いの相互依存を、同胞愛のリアリティ(現実)を認識するように鼓舞されるだろう。

 

環境正義の追求

ジェイソン・フランシスによる ロバート・バラード博士へのインタビュー

ロバート・バラード博士は「環境正義の父」と説明されることが多い。博士はテキ サス・サザン大学で教鞭を取っており、都市計画と環境政策の特別教授である。 博士は、共著である『間違った保護方針──政府の災害対応がいかにアフリカ系アメリカ 人社会を危険にさらしているか(TheWrongComplexionforProtection:HowtheGovernment ResponsetoDisasterEndangersAfricanAmericanCommunities)』(2012)を始め、18冊の本を 著した。他の栄誉としては、ニューズウィーク誌は、2008年に博士を今世紀の13人の環 境指導者の一人として名を挙げた。ジェイソン・フランシスが、本誌のためにバラード博 士にインタビューをした。

シェア・インターナショナル(以降SI):あなたは どのようにして「環境正義の父」として知られる ようになったのですか。

ロバート・バラード:これは、早い時期に私に与え られたようなものです。私は数多くの研究や著作を生み出しており、1978年から、民族問題や環境問 題の周囲で発生している問題を概念化し定義しよ うと試みながら、地域の団体と共に活動してきま した。私は多くの要望を受け、多くの人が私に支 援と援助を求めました。人々が持つ問題や挑戦を引き受け、多くのコミュニティーを援助すること は、その説明がどのように展開するかということで す。それは行き詰まり、私が推進しようとしていた ことではありませんでした。

SI:あなたは「環境的人種差別」をどのように定 義しますか。
バラード:それは制度化された差別の形態であり、 人種、肌の色、出身国を元にした環境の法や規制 の適用に関して言えば、差別的待遇という結果に なります。それは、住居選択、投票、雇用におけ る差別と似ています。もし人種が、どのような保 護を得られるかを決定する最も重要な要因である 場合、環境的人種差別は、このような種類の差別 の基本的な要素です。つまり、環境的な不正義と いう形での環境的な人種差別です。

SI:あなたの代表的な仕事について、お話しいた だけますか。
バラード:約40年の間、研究、政策、市民活動へ の参加と有権者参加がありました。私が行った最 初の研究は、1979年のテキサス州ヒューストンの 黒人コミュニティーに関するものでした。アフリ カ系アメリカ人の多い中流階級の郊外地域に廃棄 物埋め立て地が位置しており、認可されていまし た。環境的差別を変え、公民権法を適用する最初 の訴訟のためのデータを私は収集しました。それ は、「ビーン対南西部廃棄物管理会社」という訴 訟でした。私の妻はこの事例の弁護士であり、私 は鑑定人でした。
1930年代からこの訴訟が起こされた1978年まで、 市有の埋め立て処分場の100%が、黒人の多い地域 に隣接していました。八つの市有の焼却場のうち の六つ、四つの私有地の埋め立て処分場のうちの 三つが、その同じ期間内に黒人の多い地域に隣接 していました。「ビーン対南西部廃棄物管理会社」は、黒人は人口の25%を占めていたにすぎないの に、ヒューストンで処理された全廃棄物の82%が黒 人の多い地域の近くに送られたことを明らかにし ました。
その研究と訴訟から、もしこれがヒューストン で起こっているのなら、おそらく南部の他の地域 でも起こっているのではと、私は考えるようになり ました。私は研究をヒューストンから拡大し、テ キサス州のダラス、バトンルージュからニューオー リンズにかけてミシシッピ川に沿って広がるルイジ アナの『がん回廊』、世界で最も有害な埋め立て処 分場のあるアラバマ州のエメルまでを含めるように しました。
私はウェストバージニア州に行き、施設内の黒 人コミュニティーに位置する化学工場を見ました。 その当時は、ウェストバージニア州に黒人がいる ことを、多くの人は知りませんでした。この会社 は彼らを見つけ、1950年代に彼らのコミュニティ ーの中ほどに工場をつくりました。
私たちがアメリカ南部で起こっていることを調べ、基本的に発見したことは、南部の黒人コミュ ニティーは環境汚染の不公平な負担を負っており、 有害な人種差別が現実であり継続していたことで した。こうして私は、『南部諸州への廃棄 (Dumping in Dixie)』(1990)という本を書いたので す。私は研究を南部からアメリカ全体に拡大し、 『不平等な保護──環境正義と有色人種の社会 ( Unequal Protection: Environmental Justice and Communities of Color)』など、この問題を調査する 他の本を書きました。

国民的、国際的運動になる

SI:あなたの活動は、その後、どのように進展し たのですか。
バラード:1991年に、私たちは最初の「全国有色人種環境リーダーシップサミット」を開催しまし た。キリスト連合教会に所属するベンジャミン・ チャビス博士が各団体を結集させました。50州の すべてと少なくとも6カ国からの代表団が参加し ました。(チャビス博士は、マーチン・ルーサー・キン グ・ジュニア牧師のアシスタントを務めた公民権運動 の指導者である。サミットの代表団は、環境正義運動 の礎となった環境正義の17の原則の草稿を作成し採択 した)
1992年に、私たちはリオデジャネイロの地球サ ミットに向けて準備した環境正義の原則を採用し ました。地球サミットに行くまでに、私たちの原 則は六つの言語に翻訳されました。1992年から、 パリ、マラケシュ、ボンを始め、国連の主要な気 候サミットの度に環境正義の代表団を派遣し、世 界で何が起きているかを見てきました。
環境正義と環境的人種差別はアメリカの小さな コミュニティーで始まったものですが、こうした問 題を調査する際に、その枠組みは世界中に適用で きます。地球温暖化の影響があり、最初に汚染さ れ、それが最もひどく最も長く続いたコミュニティ ーは、発展途上国か、地球温暖化に最も影響を与 えていない貧しい国の貧しいコミュニティーにあり ます。その状況は、アメリカと同様です。私たち の環境正義の枠組みは、1992年のリオのサミット で拡大され、現在地球規模で起こっていることを 見るようになりました。

SI:長年の間に、環境正義の運動はどのようにし て統合され、成功していったのでしょうか。
バラード:環境正義の運動は、自分たちだけの小 さな孤立した奮闘から、地元の指導者が生まれ、 国民的、国際的な運動の一部となるまでに成長で きました。
1978年にヒューストンで、私たちは公民権や環 境などの、どの団体からも援助を受けていませんでした。しかし今日では、環境正義の運動は、公 民権、人権、環境、宗教的活動、教育などの運動 を包含しています。環境正義のパラダイムという 考え方は、現在では、法科大学院、公衆衛生大学 院を含む、あらゆる種類のコース、カリキュラム、 プログラムを持つ大学で教えられています。私た ちは、そのような形で入り込んでいったのです。
あなたがもし、1994年にクリントン大統領が発 令した環境正義に関する行政命令の後での、そし て1970年に成立した国家環境政策法の下での(「人 間環境の質に著しく影響を与える」連邦政府の行動案 に必要な)環境影響評価書を見れば、それらすべて の分析と報告書について、現在では環境正義のア セスメントと分析を行う必要があることが分かる でしょう。
歴史的に取り残され、必要な人に資金が適正に 割り当てられていないコミュニティーの地域計画 や災害対応を見てみると、環境正義の枠組みが、 今では政府組織や非政府組織や宗教的活動を行う 団体の活動の一部となっているのです。たとえ枠 組みがそこにあっても、それがどのように実現され ているかは、場所によって異なります。
環境正義の考え方はアメリカで生まれたもので すが、今では世界的な運動となっています。貧し い人々や有色人種に関係があるか、もしくはある 種の特性や不利益に基づく、環境的な問題や困難 のある場所で、環境正義の枠組みが適用されてい ない場所を見つけることは困難です。認可が与え られた場合、このような種類の分析や枠組みが考 慮されるようにする上で、この運動は大きな影響 があります。
最後に、この運動の最も大きな影響は、草の根 活動を援助し支援することであり、またこのよう な奮闘をしているコミュニティーが、地元のコミ ュニティーの外で、支援し資金調達を助けてくれ るような弁護士、専門家、科学者に関して、援助を受けられることを明確にすることです。

SI:2012年のビバリー・ライト博士とあなたの共 著『間違った保護方針』の中で、アメリカの自然 災害や人災で地元のコミュニティーに対して政府 がどのように反応したかを、あなたは調査しまし た。何が分かったのですか。
バラード:私たちは、1927年のミシシッピ大洪水 から2010年のメキシコ湾でのBP(ブリティッシュ・ ペトロリアム)の原油流出事故に至るまでの災害を 調査しました。ハリケーン、洪水、干ばつ、産業 的な流出事故などです。そこで分かったことは、そ の80年間で、地元の自治体や政府(州、連邦)は、 すべてのコミュニティーに同じように反応したわけ ではないことです。農家であれ、中小企業であれ、 在宅勤務者であれ、誰がお金を持っているか、ど の団体が政治的影響力を持っているか、どの人種 や民族に属しているかによって、自治体や政府の 反応は違っていました。
つまり、自治体や政府の反応に関しては、特に 復興の場合、お金のある所にお金が集まり、力の ある所にお金が集まることが多いのです。通常お金 は、復興用機器をそろえるために政治的影響力を 持つ所に集まります。最初に立ち直るコミュニテ ィーが資力を持つコミュニティーであることは、何 も驚くにあたりません。そして場合によっては、災 害復興において、大きな被害に苦しんでいないコ ミュニティーが、書かれた規則に従って追加の資 金を得る結果になります。
置き去りにされた脆弱なコミュニティーは、災害 に直面したことで、さらに置き去りにされ、災害 によって貧困に投げ込まれます。貧しい人々は、 より貧しくなります。災害の発生後、復興が軌道 に乗り始めると、お金を持つ人がお金を持たない 人に対して競争するようになります。どちらが勝ち そうなのか、予想できるでしょう。住宅不足、生活必需品の値上がり、賃料の上昇、希少な資源に 対する競争によって、経済的に不利な人、つまり 貧しい人、高齢者、子供のいる家庭、病気の人な どが、さらに経済的に不利な立場に置かれます。 それが、80年にわたる自治体や政府の災害への反 応で分かったことです。ヒューストンのハリケー ン・ハービー、フロリダのハリケーン・イルマ、バ ージン諸島とプエルトリコのハリケーン・マリアな ど、昨年の災害では、同じパターンが大規模に続 いていました。

SI:環境正義の運動は、将来はどうなるのでしょ うか。
バラード:環境正義の運動は、継続しており健在 です。運動の根幹にあるのは、それが世代を超え ていることです。環境正義の運動は、もっと大き な環境運動の一部であり、若者や学生を引き付け る大きな力を持っています。環境保護主義や人口 動態の変化、正義と公平を私たちのすべての運動 に導入することを話すとき、私にとって、環境正 義の運動はこの国の未来となるでしょう。その運 動が環境問題であれ、投票問題であれ、刑事司法 制度に係わる問題であれ、私たちの環境正義の枠 組みは、この国だけでなく、世界の広い地域にお いて、数多くの運動に置き換わり、引き継がれて います。

詳しくは次のウェブサイトを参照してください。 drrobertbullard.com

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

確認

編集長殿
2018年4月7日の土曜日の夜に、妻と私はレストランへ出かけました。小柄で年配の中国人の女性が、小さなバックパックを背負い、私たちの後ろのテーブルに座っていました。注文を終えると、彼女は立ち上がり、レストランのオーナーをずいぶんからかったり、ふざけたりし始めたのです。それから彼女は私たちの方へ来て話し始めて、私たちには理解できませんでしたけれども、彼女の仕草や陽気な声音、微笑む顔から彼女の意味していることは分かりました。彼女は食事の間度々、立ち上がって他のテーブルを回っていました。行く先々で彼女は大いに喜びを広めているようでした。彼女の態度は非常に喜びに溢れていて、明らかに人々を幸せにするのが好きだったのです。動き回っていた間、彼女は何度も私たちの所へ来て、一度などお茶まで入れてくれました!
私たちはオーナーに彼女が何者なのか尋ねました。オーナーによると、彼女は週に二、三度来ていましたが、夜に来たことはなく(その時は午後7時過ぎでした)、彼はなぜ彼女がその晩来たのか知りませんでした。その時、私は彼女が『ファミリア』かもしれないと思い始めました。彼女は驚くようなやり方で人々を大変に喜ばせて、皆がとてものびのびと彼女と向き合っていました。彼女の近くのテーブルに三人の人物がいて、私には彼らも『特別な人たち』に思えたのです! ある時には、その女性が彼らと非常に心温まる親密な様子で交流していました。彼女が動き回っていない時には、静かに食事をしていました(ずっとバックパックを背負ったままで!)。とりわけおかしなことは、彼女が食事を終えると蒸し餃子を注文して、私たちの所へ来て一つ勧めてくれたことでした。
私たちが帰る時に、その女性に向かってさようならを言うと、彼女は両手を体の前で合わせたので、私たちもその仕草を返しました! 私たちは精神の『高揚』を感じながら帰りました。私はそれがマイトレーヤで(代弁者でも代理人でもなく)、おそらくあのテーブルの三人はイエス覚者と弟子と、再びマイトレーヤ(!)だったという感覚があるのです。これを確認する方法がないことは分かっていますが、私がそう思う理由は、ベンジャミン・クレーム氏が亡くなる少し前に、同時に同じ場所で二人の人物として現れたマイトレーヤの体験談があったという事実に関係していることと、より重要なのは、その『感覚』がその日の前日に仕事場で私に起こったことと関係しているのです(19ページ『時代の徴』の最初の手紙参照)。
レイ・ショウ
カナダ、ブリティッシュコロンビア州バーナビー

奇跡の毎日!

編集長殿
2018年3月21日に、私はシェア・インターナショナル誌のスペイン語版3月号を受け取りました。私がパラパラとページをめくっていた時、時代の徴の中の『最後の晩餐』の絵を見て、それを写真に撮り、家の台所兼食堂に飾ろうと思いましたが、後になって『編集長への手紙』を読んで、その絵が音楽の聞こえてくる話と関係していると分かりました。(本誌3月号36ページ、編集長への手紙の中の『天上の音楽』、17ページの関連の写真参照)それを見た瞬間から、それを正しい場所に置かなければという決意が生まれ、音楽のためだけでなく、それが宗教的に神秘的に表現しているもののためにも、そしてその芸術的な性質のためでもあるのです。私はその日、携帯電話を使って写真を一枚撮り、写真店に行ってプリントしてもらいました。
翌日、朝5時に目が覚めて、眠くなかったのでテレビを見ることにしました。ニュースを読むために消音にして、眠っていた夫を邪魔しないようにしました。その時かすかな音楽が聴こえてきました。私はチャンネルを変えてみて、ニュース番組が背景に音楽を流して放映されているので、ニュースチャンネルのせいかどうかを確かめました。それがテレビから出てはいなかったので、私は静かに座って音楽を聴きながら、注意していました。それはごく小さな音で、非常にソフトで、ハープのような音でとても美しいものでした。20分ほど聞いていて、夫に伝えると、神聖な音楽のようだと言われました。聖木曜日(最後の晩餐の夜)に写真を写したので、つまり元の写真の事柄に関係していますし、同じ日にそれを食堂に置いたのです。私は再びあの音楽を聴くことはありませんでしたが、もう一度聴きたいと思っています。
このような時期に人々に起きる奇跡の数々によって、新しい毎日が私たちを驚かせてくれるのだと思います。
L.M.
キューバ

オープンなコミュニケーションを

編集長殿
数週間前、マイトレーヤの代弁者で、かなり定期的に訪問する方が、アムステルダムのインフォメーションセンターで、私たちと話をしながら一時間を過ごしました。話は広範囲にわたり、数多くの話題に及んで、エーテル界やエーテル物質のこと、話すのか読むのか、すなわち言葉は誤って解釈されうるが、思念をエーテルにおいて送ることは、それこそ最良のコミュニケーションの方法であることなどです。私たちは世界の全体的な状態について話しました。彼は私たちがマイトレーヤを見るまで長く待たないだろうと言い、それが今年であると言いました(今年の初め頃、私たちの1月の講演の一つで、そのような現在というのは、「まさにこの年のことだ」と言われました)。
一日ほど後で、私たちの常連のイエス覚者の代弁者が立ち寄って、私たちがかなり大型のスクリーンを道路に面したメインルームに置いて、ベンジャミン・クレーム氏の講演(字幕付き)のDVDを上映しているのを見ていました。時折、スクリーンをウィンドウの中に置いていましたが、しばらくそうしていませんでした。若い代弁者から、なぜスクリーンをウィンドウに面したメインルームに置くよりも、『ウィンドウの中に』置かなかったのかと尋ねられました。「通行人がいつでも見たい時にDVDを見られるよ!」。私たちはすぐにそうすると言って、そのようにしました。
数週間後、私たちはマイトレーヤの代弁者が、センターでの講演に参加するのを半ば期待していましたが、彼は現れませんでした。けれどもその日、4月8日の遅くに、あの常連のイエス覚者の代弁者が再び姿を見せて、ウィンドウの中のスクリーンを見て、何てうれしいかを伝えてくれました。「良いね! ああそうだ、ところで基本情報の載った新聞は今手に入る、どうかな?」。私たちが笑い出してしまったのは、ちょうど基本情報の新聞をもう一度印刷する計画を話し合っていたからでした! そのように彼は、私たちがいつでも対応できる状態でいるように、最も愉快で優しいやり方で支えてくれているように思います。
メンバー一同
シェア・インターナショナル・オランダ・インフォメーションセンター
オランダ、アムステルダム

夢のような

編集長殿
私はベンジャミン・クレーム氏のパリでの講演を聞いて、大変な恩恵に浴したと思い、シェア・インターナショナル誌に非常に関心を持ちました。2000年の初めの5月か6月に、オートゥイユに向かう地下鉄に乗り、リュクサンブール公園方面に乗り換えました。私は子供を迎えに行かなければならなかったので急いでいました。
ある人物が私の方へやって来て、お金を求めてきました。私はポケットにあったものを彼に渡しました。すると彼は頬に軽くキスをしてきました。4歳のフランソワが待っていたので、急いで立ち去りました。その出来事が忘れることのできないような、たくさんの強さを、私に与えてくれました。それは夢のようでした。このようなことは今日の世界では起こらないので、どう思われますか。もしそうなら、私たちの世界も非常に異なっていたでしょう。
マダム・レール
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

スマイル・セラピー

読者質問

説明文:
世界中のあらゆる講演において、事実上生涯において毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載する。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものである。

Q 大宣言の時にマイトレーヤが言及し紹介されるのはどの覚者方ですか。(2011年7月、ロンドンでの講演会)
A 大宣言の日に彼は彼のグループ、覚者方を紹介されるでしょう。たくさんの覚者方を紹介するでしょう:イエス覚者、モリヤ覚者、クート・フーミ覚者、そして他の何人かの覚者方です。彼らは後になって、一度に一人ずつ前面に出て来られ、1975年以来私的に行ってきたことを公に始めるでしょう。

Q UFOが出現するとき、近くにいる人や宇宙船の下にいる人をオーバーシャドウするのですか。(2007年10月、ミュンヘンでの講演会)
A いいえ。目撃されるとき、それらは人々をオーバーシャドウしません。

Q マイトレーヤは同時に幾つもの肉体で現れることができますか。
A はい。

Q 彼は同時にもっと多くの肉体の中に存在できますか。
A はい。あなたはどんな人について話しているか分かっていません!

Q マイトレーヤの手には星の形がありますか。そうだとしたら、意味は何ですか。
A 彼の手の写真についている影のことですか。いいえ、星はありません。ただの影です。

Q 悟りとイニシエーションの違いはなんですか。
A 簡単な答えは、悟りはイニシエーションの結果です。イニシエーションを受ける能力は徐々の悟りの結果です。私たちの転生の旅の終わりに向けて、最後の20から30の転生の間──その数は人によって違います──私たちは五つのイニシエーションを通過します。

Q すべての覚者方は地球上で肉体を持たないのですか。
A 地球上の多くの覚者方はエーテル体ですが、およそ3分の2は濃密な肉体で、3分の1はエーテル体です。

Q 他の惑星の人々は地球の人間よりも進化しているのですか。
A 地球はあまり進化した惑星ではありません。すべての惑星には住人がいます。その多くは私たちよりも進化しています。ほとんどすべての住人が完全に悟った覚者である惑星もあります。

Q 光の十字架と建物や窓の光のフォーメーションが世界中で出現しています。その影響は穀物サークルと同じですか。日光がなく、窓に光の十字架が見えないときにもエネルギーは残りますか。
A 穀物サークルは数秒で作られます。宇宙の兄弟たちはマインドの中にパターンを描き、準備ができれば、器具が自動的に反応して、下の畑にある穀物の茎を折り曲げて穀物のフォーメーションを作り出します。光の十字架は穀物サークルとは異なった機能を持ち、日光によって作られます。日光があるときにだけ現れ、その反射が十字架や円の形などさまざまな形で近くの建物に投写されます。その形は様々であり、世界中で見られます。それらはマイトレーヤに関係して宇宙の兄弟たちによって作られています。マイトレーヤは宇宙の兄弟たちにどこにそれを現すかを助言され、巨大なビルの側面や、時には小さな家の上に二つか三つ現わします。

Q 私たちはマイトレーヤに会うことができますか。
A 彼が全世界に知られるまでに、彼は祈願用の「手形」を与えられました。もしあなた方が必要とするならば、彼の「手」を見て、健康などの彼の援助を求めることができます。彼はカルマの法則に応じて応えられるでしょう。「私の援助はあなた方の求めるままにある。あなた方はただ求めればよい」と彼は言われました。
【2001年8月、マイトレーヤは奇跡的に彼の手形をスペイン、バルセロナの家の鏡に現された。それは写真に撮られ、2001年10月号のシェア・インターナショナル誌に掲載された】

Q 誰がマイトレーヤなのかをどうやって知ることができますか。誰もが自分だと主張することができる中で、どうやって本物を知るのですか。
A あなたの直観があなたに告げるでしょう。あなたがマイトレーヤを認知することに役立つのは霊的体験でしょう。私は自分がマイトレーヤだと思っている人をたくさん知っています。大勢の人が私の家に来ます。私は彼らに、なぜ自分がマイトレーヤだと思うのかを尋ねます。自分は身体がとても強健なので、とある男性は言いました。45歳だが、19歳の身体を持っていると言いました。私の家まで18マイルを歩いてきたのです。どうやって世界を変えるのかと尋ねると、彼は肉体の健康によってそれを行うと答えました! 私は彼と5分間くらい話し、マイトレーヤの真の仕事などについて説明すると、彼の熱狂は萎んだようでした。私は彼に、帰りも18マイル歩くのかと尋ねました。彼は、いいえ、バスで帰りますと答えました!また別の若者は、私に電話して来て、僕はキリストがどこにいるか知っているが、私は知りたいですかと言いました。私は「はい、あなたが教えたいのであれば」と答えました。「ええと」と彼は言いました。「僕か僕の弟のどちらかです」! そこで私が、彼か彼の弟ではあり得ないことを説明すると、彼は「ああ、クレームさん、あなたは私の肩の荷を下ろしてくれました!」と言いました。1、2週間後に彼はもう一度電話して来て、僕を覚えていますか、今度はもっと大切なことがあります、と言いました。「僕は誰がキリストなのか本当に分かりました」。「ええ、誰ですか?」「はい、絶対に僕の弟です!」

現在の外交関係の進展に照らして、ベンジャミン・クレームの師による「和合についてのさらなる考察」より以下の部分を再掲載する。「北朝鮮はこれらの国々の中で最も若く、もともとの朝鮮の分割から成立した国である。彼らはその勇敢さを世界に証明することに夢中になっているので、その意図もまた予測するのが最も難しい。残念なことに、彼らはいくらか核の開発能力を達成したので、諸国家の間で、危なっかしい大砲のように見られている。よく知られているように、この国は、その統治者によって導かれるのではなく、むしろ支配されており、国際連合は全体で、注意深く監視しなければならない。その国民は認知と食料に飢えている。諸国家は、物惜しみせずに、その両方を北朝鮮に分け与えるべきである。平均的な傍観者の見地からは、この評価には恐れと不安を抱かせるものがたくさんあるように思われるだろう。しかし覚者たちには、国々の間に新しい本当の和合を保証する正義を願い、すべてが欲する平和を願って、変化しようとする用意のある世界が見えるのである」(シェア・インターナショナル誌2012年9月号)

ベンジャミン・クレームは2013年に同じ問題について言及している。
Q 世界は北朝鮮をどう扱うべきだと思われますか。(1)脅しを無視する。(2)制裁を強める。(3)貿易対話を始める。(4)援助を提供する。(5)北朝鮮に親善回復を試みるには、どの国家が最適だと思われますか。
A (1)いいえ。(2)いいえ。(3)はい。(4)はい。(5)韓国と中国です。(2013年5月号)