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人類の選択──選集

Humanity’s choice – a compilation

「人類の選択」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。われわれはいま両極化を目撃しており、それが人類に選択を強いる。現在の生活の様式の中にある危険があまりにも恐るべきものであるゆえに、人間の霊性はこれに反抗し、新しいものを探求する。このようにして、人は神の意志を認識するようになる。すべての背後に「大計画」があり、神の「意志」を包含している。人間は、知ろうが知るまいが、今やその大計画を実施する用意ができている。新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分たちが聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。彼らは時の危急を知覚し、奉仕のために己を捧げる。彼らはすべての地において「善」を代表する。
(『覚者は語る 1』ー勝利は保証されているーより)

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるであろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ。あなたがたの愛を通して──あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して───あなたがたは正しく選択するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第78信より)

金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしはあなたがたの友であり、兄である。しかし神ではない。御父が、再びわたしをあなたがたのもとに遣わされたのは事実である。わたしは、兄弟であるあなたがたのところへやってきた。あなたがたが望むならば、祝福された未来に案内し導くために、やってきたのである。わたしの役割は、道が岐れていることを人類に示すことである。道標は置かれた、そしてこの地球の未来はあなたがたの決定にかかっている。正しい道を、神につながる唯一の道を、人類が選ぶのを確実にするために、我々は(あなたがたとわたしとは)ここに集うている。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第19信より)

間もなく世界は、人類種族の長老たち、覚者たち、神の子たちが世界に戻るのを知るだろう。予言はわたしたちの再臨を告げ、弟子たちの期待を活気づかせてきたが、彼らの多くは、今のこの時の出来事に気づかずに眠りこけている。わたしたちの到来を熱望して待つ者は多いが、それを遠い未来のことと心に思い描いている。わたしたちの手が今、扉を叩いているのを彼らは知らないのか。目覚めなさい、友よ! 目を覚ましなさい、善意の働き手たちよ! 世界を変容させるために、わたしたちと共に働く者すべてを必要とする。あなた方の希望と信頼をわたしたちは慈しむ。わたしたちを見、あなた方の生活の中にわたしたちを歓迎する用意をしなさい。……今、世界の救済計画が進行中である。これは、世界に奉仕することを願う者すべての協力を必要とする。奉仕することは、今日、むずかしくない。なぜなら、奉仕の方法は手近にあり、地球そのものが救済を求めて叫んでいるのだから。あなたの奉仕の分野を選び、熱意を込めて行いなさい。あなたがそうすると、あなたの魂は、その仕事のために必要なことをあなたに授けることを知りなさい。さらに、わたしたちの手があなたがたの手を強め、重荷を分かち合うことを知りなさい。多くのことが変わらねばならないことは確かだが、その変化の速度はあなた方にかかっている。計画の詳細を実施するために、わたしたちはあなた方の協力に頼っている。奉仕が、新しい文明の先兵に向かって、明日のより良い世界の基礎を築くことを呼びかける。その点呼の列の中にあなたの位置を占め、わたしたちを助けて救済の仕事をしなさい。時刻の合図が鳴るときに、これを逃がさないように。
(『覚者は語る 1』ー奉仕への召集ーより)

過去の長い間には、気候の変化の結果、人類の大部分が生存をかけて動物と戦っていたときがあった。今日とは比較にならない規模で、彼らは飢餓を体験した。テクノロジー(科学技術)と科学と急速なコミュニケーション手段が、今日、大多数の人間にとって、大規模の飢餓の災難を除去した。問題は、それだけの遺産に恵まれた世界に、なぜ、あのような規模の飢えが存在するのか、ということである。すべての人間のために十分過ぎる食糧が存在しながら、なぜいまだに何百万の人間が悲しくも飢えており、人間の神性に恥辱をもたらすのか。人間は、誰が生き、誰が死なねばならないかを決める権利を、どの法によってわがものにするのか。自己満足感のどれほどの深みから、そのような審判が下せるのか。どのようなイニシアチブによって、どのような新しく見いだした恩寵によって、人間はこの不正行為の潮を堰き止めることができるか。間もなく、一連の出来事が人間に自分たちの人生の目的を再考させ、共通の遺産を認知することを強いるだろう。間もなく、新しい平等化が金持ちと貧乏人の両方に、彼らの自然な同胞愛を教えるだろう。程なく、偉大なる教師自らが、あらゆるグループ、あらゆる種類の人間との連帯を実演なさるだろう。そして大師に負けまいとして、今日の分割は癒されるだろう。これらの時をよく銘記しなさい。古き時代の終わりの始まりであり、新しきものの誕生の日である。今日、世界の指導者たちは統御することのできない出来事に苦悶している。彼らがまったく知らないフォースが、彼らを計画していなかったしばしばヒステリックな反応へと押しやる。彼らは自分たちの独断的教義に導かれて、混沌から混沌へと逃げる。その間、わたしたちは忍耐強く待つ。人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。徴はすべての者に見ることができる──新しい時、もはや飢えがなくなる時の徴である。
(『覚者は語る 1』ー飢餓の終わりーより)

いま転生している私たちは尋常ならざる責任を担っている。私たちがいま世界にいるのはそのためである。すべての世代がその時代の問題を解決する知識と経験を携えた人々(魂)を転生へともたらす。私たちは将来の問題を解決するために、人類が存続し続けるかしないかを──正義、分かち合い、正しい関係、平和への選択をするか、すべての生命を破壊するかを──決定するために転生して来た。マイトレーヤは人類が正しい選択をすることを疑わない。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしに手伝わせてください。道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない、わたしの両手は「法」によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信より)

[大宣言の日の]この経験を通して、人類は自分たちの魂としての本来の姿に目覚め、そして新しいより良い正しい線に沿った文明を創造していくためのビジョンを得るでしょう。その体験に対する人類の反応が、この惑星の未来を決定します。マイトレーヤは二つの選択を人類に提供します。一つは、私たちがこれまでと同じように、古い貪欲で利己主義な自己満足感に満ちた過去の生活を続けて、自分たち自身を破壊するか、あるいは分かち合いの原則を受け入れ、人類が一体であることを受け入れて、これまで知られたことのない素晴らしい文明を創造するか。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第3巻』)

これから、人生は今までとは異なったものになるに違いないし、またそうなるだろうという事実に、多くの人々が目覚めつつある。新しい方向が招いており、過去のあり方に飽き飽きし、新しい道を試みる用意とあいまって、人々は人間の事態の中に一つの頂点を感知している。外的な出来事がこの体験の現実感を確認させてくれる──メディアは日ごとに、最新の発明や医学的洞察や、予期し得なかった妥協や長いあいだ疎遠だった人々の間の歩み寄りなどについて、世界中に一瞬のうちに通信し、報道する。不安や疑いが多くの領域にあるにもかかわらず、新しい希望が勢いを集めている。ひどい欠乏や恐怖だろうが、豊穣だろうが、永遠に続くものは何も存在しないことを人々は知っている。……人々は彼らを抑制する教義やイデオロギーから解放されて、かつては不可能と思われた合意に達することができる。不可能という言葉そのものが、様々な出来事がその逆を証明するにつれて、その意味を急速に失いつつある。これはいずれも偶然に起こるのではない。各々の成果の背後には、多くの働きと長い間練られた計画がある。人類がこの変化の唯一の誘発者であると考えるのは思い違いである。数え切れない長い長い間、人間は、彼らのために設置され、他者によって監督された道をたどってきたのである。「道の管理者」であるわたしたちは、その道を人間がたどるように示し、途上の多くの障害を無事にくぐり抜けられるように導くことを求める。……人類は道案内がいないことを恐れる必要はない。人類種族の兄たちであるわたしたちは、各々の必然性を予見してきており、人間の窮状に対する答えを熟知している。わたしたちの助けがあることを、わたしたちの助言はあなたがたが求めるならばいつでも提供されることを確信しなさい。わたしたちは人類の本当の必要を知っている。しかし人間は自分たちの自由意志で選択し、喜んで受け入れなければならない。もし人間が正しい選択をするならば、つまり資源の公平な分割を選ぶならば、わたしたちの手は解放され、さらに多くの助けを提供することができる。わたしたちの体験と知識はふんだんに与えられ、わたしたちの智恵と愛はすべての人々のために供される。わたしたちは確信をもって人間の嘆願を待つ。そうして、わたしたちは信頼される兄として、友として、あなたがたの生活の中に公に入っていくだろう。わたしたちの教師であり、あなたがたの教師である偉大なる主マイトレーヤが、ご自身の使命を始めるために舞台の袖に立って待っておられる。あなたがたからの呼びかけがわたしたちを前面に連れ出すだろう。
(『覚者は語る 1』ー新しい現実感ーより)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

幻の衝突事故

編集長殿
私が妊娠8カ月だった時(手紙は2004年2月に書かれた)、医師の健診を終え、車で帰宅途中のことでした。反対方向から来ていた1台の車が、突然店の入り口の車道目がけて、私の真ん前を横切ったのです。衝突は避けられないと思いました。私は思い切りブレーキを踏んだので、車は横滑りして、他の車のキィーッというブレーキ音が私の背後で聞こえていました。私は衝突を覚悟していましたが、まさにぶつかる瞬間が目前だったにもかかわらず、あの車のちょうど後ろをかすり傷ひとつなく通過して、それはまるで幽霊のような車だったのです! その時に私は心の中で、誰かが私と生まれていない赤ん坊を、本当に見守ってくださっていると強く感じていました。何が起こったのですか。どなたが私たちを助けてくださったのですか。
サラ・ボスバーグ
米国、ウェストバージニア州アイランド・ラン
【ベンジャミン・クレームの師は、それが『マイトレーヤによる奇跡の救出』であったことを確認した】

度重なる出会い

編集長殿
何年にもわたる長い間、私の姉と離れて暮らしていたので、姉と数日過ごす計画を立てました。2003年8月に私たちはパラマタにある、混み合ったショッピングモールにいました。姉は少しの間別のお店に行ってしまい、私は彼女が帰ってくるのを待ちながら、店のウィンドウを眺めていました。一人の女性が背後から私に近づいてきて、良い美容師がいるところを知っているか尋ねてきて、その女性は髪を切りたかったのです。彼女は背が高くほっそりとした、凛とした感じの人で、ツイードのジャケットとスラックス姿で、ブロンドがかった髪をきれいにセットしていました。私は力になれないけれども、姉は地元の人なのでお手伝いできるかもしれないと説明しました。その女性は私と一緒に待ってもよいか尋ねてきて、その時彼女が杖を持っていることに気づいたので、座って待つことにしました。待っていた間、彼女は最近の膝の手術のことを話して、庭の手入れをするのが難しいと言っていました。彼女は長年その地域が地元だったことがあると言いました。会話は快く、楽しめるものでした。私の姉が戻ってきて、彼女に別の郊外にいる美容師の名前と、そこまでの道順を教えました。その女性はその地域のことは良く知っていると言い、教えてもらえたことにお礼を言いながら去っていきました。翌日私たちは母を連れて別の町に出かけ、母の誕生日のために靴を買いに行きました。店にいた間、私は母の前で膝をついて靴をフィッティングして、サイズ感や履き心地を確かめるために歩いてみるよう母に言いました。母が歩こうと立ち上がり、私が見上げると、前日会った同じ女性がいるのに気づいて驚きました。彼女は横向きに立って棚の方を見ていました。そして同じ服を着ていました。この時には彼女は私たちのことがわからないようでしたが、母が近づいていくと、母の方を向いて静かな声で「とても素敵ですよ」と声をかけてくれて、それから歩いて店を出ていきました。姉と私はお互い顔を見合わせて、偶然ということはないと思いますが、彼女の存在にはどこか私たちの理解できる以上のものがあるように感じられ、彼女には特別な何かを感じていました。その数日間は私たちにとってとても特別で、私たちが離れていた長い年月の後で、再び愛情深いつながりと共有するものを体験したのです。その女性に実際に特別なものがあったかどうか、もし教えていただけるなら大変感謝いたします。私たちは天使の訪問を受けたと感じていました。
ロレイン・ヴァン・ダー・リンデン
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ビューティーポイント
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

応えられた祈り
編集長殿
(1)2003年9月15日の早朝、広島県にある禅の道場へ向かう友人を見送るために、東京の羽田空港に行きました。それから品川区荏原の別の友人の所へ向かう途中に、その人とは同じ禅の道場で出会ったのですが、その時私はまさにこの瞬間に目覚めていることができるようにマイトレーヤに祈り、それがその道場で実践した生きる技でした。祈りの後すぐに、歩道の陰になった場所に光のサークルを見つけました。その光のサークルはマイトレーヤによって現わされたのですか。

中道

(2)2003年9月28日の午後、私は千葉市の神社に友人と出かけましたが、その友人は伝導瞑想グループのメンバーです。神社でお参りした後、境内の外で羽織袴の日本の昔ながらの装束姿の白人の男性を見かけました。彼は20代か30代で、短い金髪に黒いサングラスをしていて、それがそのような改まった格好にそぐわないものでした。彼は歩道の真ん中を堂々とした様子で歩いていました。私はその人が結婚式の披露宴を終えて家に帰る途中だと思いましたが、しわくちゃの茶色の紙袋を二つ提げているのが、とても不思議でした。彼は一度私たちを見ましたが、そのまま歩いていきました。私たちは彼がマイトレーヤだと思っています。彼は本当にマイトレーヤでしたか。
匿名希望
日本【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)そのとおりであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

冬の奇跡

編集長殿
1991年に訪問看護師としての仕事をしていました。朝6時30分頃にある患者の農場の家から出て、自分の車に乗り込みました。季節は冬で、何もかも凍り付いていて、田舎の道はスリップ防止のための塩や砂が、まだ撒かれていませんでした。私は運転してアスファルトではない道へ戻り、別の患者の所へ向かって道を下っていると、深い谷に隣り合った道に急カーブがありました。カーブした所を通っていた時、凍結したために車が回らなくなり、数メートルの深さのある谷に向かって真っ直ぐ突っ込んでいったのです。その瞬間、車が突然回転して、坂道をバックで下り出しました。その直前に私は自分の姿をバックミラーで見て、数秒の内に目の前で私の人生が終わるのを見ることになり、それで死ぬことになるのだと自分自身に言い聞かせました。けれども私の車はバックして丘を下り、私は救われたとわかりました。
私は起こったことについて、何人もの人たちに言わずにいられませんでしたが、その時、機械的には絶対に不可能なことだと言われました。だから、今2019年に、この証言を送ることに決めたのです。
匿名希望
ベルギー

次の2通は同じ人物からのものです。

肯定的な反応
編集長殿
(1)最近(手紙は2008年12月に書かれた)私たちはミュンヘンのフェアでブースを出しました。私はブースの前に立ってチラシを渡していました。突然、二人の若い男性が私の方へ歩いてきました。二人共が黒い服を着て、それぞれが大きなカメラを首に掛けていました。彼らの内の一人は、もう一人より少し背が高い人でした。冊子を差し上げるのはどうかと私が尋ねた時、彼らはきっぱりとした声で「はい」と答えてくれて、グループ瞑想に興味があるかどうか尋ねた時も、同様でした。どちらの時も私が驚かされたのは、通常人々は最初の内、もう少しためらいがちなものだからです。さらに二人共が質問を差し挟まずに私の説明を聞き、明晰なオーラを放っていました。興味深いことに、私は最初の時からずっとカメラを持参していて、私たちのブースを訪れた、マイトレーヤではないかと思った人物の、写真を撮ることができるようにしていました。けれども私はその二人の若者との話し合いに、あまりにも夢中になっていたので、そのことをすっかり忘れていました。彼らはマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、背の高い方の人がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人はイエス覚者であった】

癒しの泉
(2)数日前に(手紙は2008年12月に書かれた)私はボーデン湖の近くに住んでいる友人を訪ねました。彼女が地元にある癒しの泉について話してくれて、それは(近所の)乗馬スクールのグラウンドにあるのです。その泉の水はすでに多くの人々を救っていました。ある医師は彼女の両親に治療として、その水を飲むようにアドバイスしています。(1)どなたがその泉を活性化されたのか教えていただけますか。(2)それは特定の病気の助けになりますか。ありがとうございます!
クリステル・シュトロマイヤー
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その泉が聖母であった覚者によって活性化されたことを確認した。(2)水は一般的な治癒の助けになる】

奉仕の贈り物
編集長殿
2003年5月に、ニューヨークのブアヒーズビルの伝導瞑想グループは、私も活発に参加しているのですが、オルバニーのマリオットホテルでの、ホールライフエキスポでブースを出しました。けれども私たちのグループは、ブースのための支払いができる資金をすぐには確保できず、そのためにメンバーの一人がエキスポの管理者に、もし私たちが『テーブルのセットや片付け』で数時間働いたら、代わりにブースの場所をもらえるかどうか頼んでみました。言うまでもなく、テーブル一つが残っていて、誰も使おうとしなかったので、親切にもそれを私たちのグループに提供してくれました。私たちには何も求められませんでしたが、声をかけられたら手伝えるように、自分たちで準備はしていました。大体において、1日はスムーズに過ぎていき、配布できた資料もあり、売れた本も数冊ありました。再臨の仕事に関わるワーカーとしてのこれまでの年月で、それは皮肉なことに私の初めてのエキスポでしたが、これまで参加してこなかった者にとっては、非常に楽しいものでした。午前の終わり頃に、興味深い紳士が私たちのブースにやって来ました。彼には訛りがあり、浅黒い肌をしていて、50代に見えるがっちりとした体格の人で、キャップを被っていました。メンバーの一人は彼がパキスタン系アメリカ人と言っていたと思いました。私は彼が南アメリカの国の名前を言ったと思いましたが、正直言うと覚えていないのです。彼がどの民族かを伝えた後、彼が強調したのは、それでも彼は「いまだにアメリカ人」だということで、そのことはとても明白に覚えています。(彼がマイトレーヤか覚者だと仮定して)話の要点が、何か人により劣っていると感じさせるためのものではない(つまり『非アメリカ人』というのは残念なキャッチフレーズであり、近頃非常に頻繁にやり取りされているものです)と私が思うのは、私たちの平和のメッセージは、最近感じられる威圧的なナショナリズムとは対照的なものであるからです。その紳士の訪問の時に、テーブルを担当していたのは私を含めて3人のメンバーでした。彼は私たちに伝導瞑想と様々なヨガとの関連について尋ねてきました。二人のメンバー、ボリスとジーネットは彼の質問のほとんどにうまく答えていて、ラヤ(エネルギーのヨガ)とカルマ(奉仕のヨガ)で伝導瞑想が組み立てられていることについて話しました。私たちはパラマハンサ・ヨガナンダの教えのことも尋ねられたので、その流れからクリヤ・ヨガについても話したはずだと思います。その紳士が帰っていく前に、彼は私たちに伝導瞑想で料金を取るのか尋ねてきました。それが無料であり、一般の人たちに向けて開放されていると答えると、彼は声を上げて冗談めかして、伝導瞑想の参加に対して料金を取るべきだ(!)と言ったのです。彼は私たちが実際に、伝導の料金を取り始めるべきだと言ったのではありません。私が思うに要点は、ただ与えられているものに、ほとんど人々は価値を認めないということで、この文脈で彼が意味したのは、霊的成長と奉仕の機会のことではないかと思っています。この大変に興味深い男性はマイトレーヤか、覚者のお一人でしたか。
ジェイソン・V・フランシス
米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ちぐはぐな人

編集長殿
2003年7月19日に、私は駅へ行ってシュテルン誌を買いました。手に雑誌を持って家に帰る途中、若い男性に出会いました。彼は着古して擦り切れた服を着て、バックパックの他にとても大きな古新聞の束を新聞紙1枚で包んだものを持っていて、束の端が見えていました。彼とすれ違った時、彼は歩道に置いたバックパックの上にただ座っているだけでした。彼のセーターの大きな穴から肩が見えていました。私が物乞いにお金を渡すことは、めったにありません。彼はお金を求めてきませんでしたが、小銭が少しだけ残っていたので、2ユーロを取り出して彼に差し出しました。彼はとても優しく微笑んで「いいえ、結構です」と言いました。少し気恥ずかしくなり、私はお金を戻してゆっくりと立ち去りました。後になって考えると、彼には『マイトレーヤの手』を渡せばよかったと思いました。私にとって最も驚かされたことは、ハンサムな若い顔に優しい笑顔を浮かべながら、ボロボロの外見でお金を断ったことで、それが私の頭の中ではしっくりしないのです。彼は特別な方でしたか。
メヒティルト・ヴィーンケルドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

再登場

編集長殿
2003年6月2日月曜日、知人と私はドイツのミュンスターシュヴァルツァッハにある修道院へ車で向かっていました。私たちはカッセル東サービスエリアのガソリンスタンドに立ち寄りました。午後3時30分頃ドライブを再開しようとした時、年配の女性が私たちの車に近づいてきました。その女性は簡素な服装で、それぞれの手にビニール袋を持っていました。彼女は私たちに、そこまでは誰かと一緒にやって来て、300kmドライブしてきた後で、その人からこれ以上連れていけないと言われたと言いました。それで彼女は私たちがカッセルまで彼女を連れていけるかどうか尋ねてきたのです。知人と私は一瞬ためらいましたが、断りました。私たちは後になって、すでにカッセルを通り過ぎていて、サービスエリアにいた人は誰も、Uターンしなければカッセルに行けなかったことがわかりました。その女性の頼みを断った後、彼女は1ユーロをもしかしてもらえないかと尋ねてきました。知人がいくらかお金を渡すと、その女性は喜んで、「ありがとう、マリア、これで少し食べ物が買えるわ」と言いました。彼女の悲惨な状態にもかかわらず、幸福そうで満足しているようでした。もし知人が以前にも、この同じサービスエリアで起きた、よく似た女性との同じような出会いをしていなかったなら、私がこの出来事についてそれ以上考えることはなかったでしょう。ベンジャミン・クレーム氏は、過去にこのサービスエリアで知人に近づいてきた女性が、マイトレーヤであったと確認されました。私は今そのことについて考えずにはいられず、その年配の女性が同様にマイトレーヤであり得るのではないかと考え続けています。あの時のことが忘れられないので、あなたからのお返事をいただければ幸いです。
アンネッテ・ローペルドイツ、シェーンキルヒェン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

目は知っている!
編集長殿
2019年3月22日にバス停にいて、数カ月間仕事をしてきた顧客の葬儀に向かうために、バスを待っていました。小雨が降る日でした。年配の男性がバス停に近づいてくるのが見えました。彼の横にはその年配の紳士の頭上に傘を差しかけている人がいました。年配の男性はやって来て私の隣に立ち、気さくに話しかけてきました。彼は周囲のあらゆるものに気づいていました。彼はドイツ系の人で、わずかに訛りがありました。きれいな身なりで金と黒い石の指輪を付けていて、見事な物のように見えました。ある時には彼が指輪にごく軽くキスしていました。彼は屈託のない人だとわかり、彼の周りの人々に感謝の念を持っていました。その年配の男性は間もなく受ける予定の目の手術のことを話しました。それが私の心に「この人は誰?」という疑問が浮かんだ瞬間でした。というのは、過去に私も目の症状のために、医療処置の必要なことがあったからでした。バスが到着するのを待っていた間、私は「もうすぐ来ますよ」と言っていました。彼が「私の妹もいつもそう言っていますよ」と言い、そう言いながら笑っていました(このことから私たちのグループが「もうすぐです」と繰り返してきたことが思い浮かびました)。その後私たちはバスに乗り、彼は通路の向かい側の母親と子供に注目して、母親が子供に本を読むのを楽しんで見ていました。彼は私にもそれを見てみるように言ってきました。彼が立ち上がってバスを降りる時、私の手を取り、「神の祝福がありますように」と言ってくれて、彼の優しさが際立っていました。1週間後、私は目から出血して網膜剥離だとわかり、外科手術が必要でした。あの男性との出会いと彼の屈託のなさを思い出すことで、回復の痛みは和らげられました。彼は私たちの周囲で進行しているすべてのことに、注目してもらいたいと思っていたようでした!
メアリーアン・スレイン
米国、サンフランシスコ

一体感
編集長殿
2019年6月5日の水曜日に、私たちはテレビで英国ポーツマスでのDデイ75周年記念式典を見ていました。数百人の退役軍人、ロイヤルファミリーや世界のリーダーたちが集い、戦って命を落とした人々を追悼し、敬意を表し、退役軍人たちの栄誉を称えたのです。手紙や日記から引用され、朗読されたものがとりわけ感動的でした。たくさんのものの中から一つの逸話が印象に残りました。ある連合軍兵士が重装備のリュックのせいで背中から水に落ちたけれども、兄が両腕で足を引っ張って助けると、皆が前進するのを励ますために、彼はできる限り素早くバグパイプを演奏し始めたというものです。私たちは、視聴者であっても全体の一部として含まれていると感じ、まるで私たち、生きている私たち皆が、一体となって、あらゆる年齢の男性も女性も、自由を守りながら亡くなった人たちも、家に残った彼らの愛する人たちも、家に帰った人たちも共に一つになったかのようでした。もしかして以前の1997年のダイアナ元妃の国葬中にあったように、マイトレーヤの祝福があったのだろうかと不思議に思うようになりました。
匿名希望

親愛なる友人たちへ
シェア・インターナショナルの皆さんへ、あなた方のなさっている助力と大変な仕事すべてに対して、お礼を申し上げたいと思います。何年にもわたり、私は書籍やポストカードを購入してきましたが、それらは非常に興味深いものです。さらにマイトレーヤやベンジャミン・クレーム氏に関する情報を、私はベストを尽くして伝えてもきました。あなた方が行っているこの偉大な仕事を続けていかれて、より多くの人々が真実を知るように祈っています。
J・ロウ夫人
英国、ノーザンプトン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

正しい選択

編集長殿
それは2001年のオランダでのケルクラード研修会後のことで、メンバーの友人と私はロンドンに帰る飛行機に乗る前に、アムステルダムで時間ぎりぎりのショッピングをしようと決めていました。私たちの行きたかったデパートは午前11時まで閉まっていたので、コーヒーを飲みに行きました。途中にチベットのお店の前を通りました。友人はチベットにいつも大変興味を持っていたので、入ってみようと私が言いました。店に入ると心の奥深くからどうしても何かを、チベットのものを買いたい気持ちになり、チベットそのものを支援したいような気持ちでした。穏やかで、それでいて厳しい顔つきの、チベット人の店員がカウンターの後ろにいて、私たちが眺めていた物すべてを見ていました。私たちは色について、どの色が自分たちに似合うか話し合っていたのですが、そこのガラスの棚の上に美しいシルクのスカーフがたくさん展示されていました。スカーフは生糸で織られていて高価だったので、私たちの予算を超えていました。それから私たちは実際に店の物を全部見て回り、修行僧の履くような室内履きを見つけた時には、伝導瞑想にぴったりだと思って笑ったりしていました。その間中店員の視線に気づいていて、彼は美しい物を見ていた私たちの喜びを楽しんでいるように見えましたが、彼の様子には何か差し迫ったところがあるように思えて、必ず買い物をしなくてはという気にさせられたのです。最後に私たちは「とても美しい品々がこのお店にはありますね、買い物がしたかったのですが、今ちょうど持ち合わせがないので、ごめんなさい」と言いながら、チベットの景色のハガキを買いました。その店員はただうなずいていました。歩いて行きながら、私は何かを、あるいは誰かを裏切ったというひどく嫌な気持ちになり、店に戻らずには家に帰れない予感がしていました。コーヒーを飲んでいる間、他に何も考えることができませんでしたが、何とか立ち直り、このことすべてがいかに馬鹿げているかを自分に言い聞かせていました。私たちはデパートへと別の道を歩いていたように思いましたが、その後、角を曲がると突然、またあのチベットのお店があったのです! 私たちはすでに遅れていたので、友人は急いで通り過ぎていき、私は彼女の後に続いていたのですが、もちろん私は店の中をのぞかないではいられず、あの男性がやはりカウンターの後ろに立っていたのです。私はもう耐えられなくなりました。私は友人を呼び止めて、この圧倒される感覚の困難な状況を説明しました。もう午前11時だったので、残り時間は多くありませんでしたし、友人がまだデパートで買い物をしたいのはわかっていました。私はどこへ行くべきか板挟みになった気持ちでした。けれども彼女はとても優しく、すぐに理解してくれました。私たちはそのお店に戻り、今度は店員がチベット僧のお経のテープを流してくれました。私が安いTシャツをラックから取ると、彼が歩いてきて試着できる場所を教えてくれました。私はTシャツを着て出ていって、「どうかしら?」と尋ねました。友人もチベット人の店員も二人共が首を振って、「ダメ」と言いました。あらいやだ! それから私はあの高価なスカーフを試してみるべきだと悟りました。時間が無くなっていたので、私はスカーフをつかむと試着室へと走り、友人を意識して、首にさっと掛けました。「そう、それが良い」と彼らは言いました。おかしな話ですが、私は現金で支払えるちょうどのお金を持っていたのです。チベット人の店員はそれを包んで、おまけのステッカー2枚をくれました。彼が小銭のお釣りを渡しながら、ダライ・ラマのバッジを買うように勧めてくれましたが、良心の呵責からこれ以上は買い物ができませんでした。店員は私の友人におまけのバッジをくれました。私たちがお別れを言うと、突然私は幸福と自由を感じ、重荷が無くなったような感じでした。後になって私はその紫色のスカーフを畏敬の念を持って見つめています。チベットのシルクスカーフは体を覆えるくらい大判です。それは本当にきれいで、とても美しい色なのです。あまりにも深遠な体験だったので、手紙を書いてお尋ねしなければと思いましたが、すべて私の想像だったのか、あるいは(1)私はそのお店に行き、スカーフを買うことになっていたのか、(2)その店員はごく普通の店員だったのでしょうか。教えていただけますと大変ありがたく思います。アネット・ポンズフォード 英国、サセックス州フォレスト・ロウ【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)その『店員』がマイトレーヤで、スカーフを祝福されたことを確認した】

転んでも幸運
編集長殿
2003年1月30日頃、私はエクアドルのビルカバンバのホテルにいて、ピンクのコンクリートの歩道橋から突き出ていた一本の鉄筋(金属で強化された棒)につまずいてしまいました。振り返ってみると、転んだ時に鉄筋が目を突き刺すか、脳に刺さっていたかもしれない危険があったと思います。でも不思議なことにつまずくのと、橋の脇のコンクリートの厚板にぶつかる間に、少しの時間も経っていなかったように思えました。私は腿から転んでものすごい痛みがあり、打ち身が腫れて、広範囲にひどい打撲傷を負い、片手を刺して鎖骨にあざができましたが、それだけで後は順調に回復しています。どなたかがもっとひどい怪我から私を救うために介入されたのですか。
J.D.ラビット 米国、ヴァーモント州ウェスト・ベルリン【ベンジャミン・クレームの師は、よりひどい怪我からイエス覚者によって助けられたことを確認した】

神には十分
編集長殿
2003年8月27日に、友人と私は『シルクロードの仏たち』についての展覧会から出てきたところでした。私たちは東洋風のレストランで食事をすることにして、アルスターアルカデン(ハンブルクのショッピングセンター)の外にあるテーブルを見つけました。数分後、鮮やかな色の服によれよれのジーンズ姿の中年男性が、私たちのテーブルにやって来ました。彼の瞳は真っ青でした(私たちはそれより前に、オペラのアリアを歌っていた歌手に彼が微笑んでいたのを見かけていて、私たちがその歌手にお金を渡すと、彼が左手を胸に当てて私たちにおじぎをしてくれました)。彼はハンブルクでホームレスの人たちによって編集されている、ヒンツ&クンストという新聞を差し出してきました。私は新聞を欲しくありませんでしたが、このような時のために集めていた小銭が入った透明の袋を、彼に渡しました。彼は袋と私を見て、「これは何ですか? このお金は知らないな」と言いました。私は不快に思いながら、この中には10セント硬貨が入っていることを説明しようとしました。彼は微笑んで「ペニー(ユーロが導入される前の貨幣)の方が良いのです」と言いました。それから彼は私の友人を見つめて、「あなたは私たちの仲間です」と言いました。彼は彼女に自分がフィンランド出身だと伝えました。友人はずっと前に1年間暮らしていたことがありました。彼は彼女に「私たちの間では、女性はあなたのように育つのです」と言いました。その後、彼は私を見て、「あなたは一輪の花のようにきれいです。お世辞ではありませんよ……私はあなたを知っています」と言いました。心の中では深く感動していましたが、ほんの少し気まずい思いもありました。それで私は彼に離れて欲しかったので、幸運を祈ると伝えました。彼は「幸運は助けになりません」と返事をしました。すると友人が「時には助けになるわ」と言いました。彼は再び返事をして「私はカトリック教徒です」と言い、彼が首にかけていたロザリオの十字架を見せてくれました。友人が彼の国にはごく少数の人たち(カトリック教徒)しかいないと言うと、彼は私たちに微笑んで「7,000人は神には十分です」と言ったのです。
ヘルガ・プファイファー、レナーテ・シュトルヒ ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

編集長殿
『奴隷制度は過去のものではない』(本誌2019年4月号)という記事の中で、シャノン・スクリブナーは数人の世界のリーダーたちによる『他者』への恐怖の宣伝が、市民を移民に対抗させていることを正しく暴露しています。しかし、いわゆる『民主主義』全般に属する、ほとんどすべての政治政党は、民主主義が穏健であるとか、あるいは責任能力があると私たちの多くが思っていることも含めて、『現実の』難民、つまり政治的、社会的、宗教的圧力から逃れ、避難所を求める機会を与えられ、もし幸運であれば新しい未来を築く人たちと、『経済難民』またの名を『幸運希望者』という、私たち自身には当然のこととしている、防衛手段を利用することを許されるべきではないとされている人たちとの間の、誤った区別をしています。私たちがこれらの『穏健な』政治家を、世界人権宣言の第25条の1が明確に、経済的圧力に対しても防護を拡大しているという事実に、取り組ませることに失敗している限り、世界的な社会経済的正義を要求する投票者としての私たちの不活動は、外国人嫌いの恐怖をかき立てる人たちに劣らず、この永続的な人類の悲劇に加担していることになるのです。
敬具
ゲラード・アートセンオランダ、アムステルダム

信念

編集長殿
これは1998年7月に私に起こったことです。私はエクスタシーというドラッグを使用していました。コンサート会場の音楽で意識が吹き飛んでしまったので、回復不能の損傷を負う前にはい出ることができたのを、神に感謝しています。私は完全に意識を失い、気づくと会場の外で群衆が私の周りを囲んでいて、友人たちもそこにいました。女の子が私を助けようとやって来ました。彼女は片手を私の頭に置きました。彼女がそうしていた間、私は心の中で祈りを捧げ始め、助けを求めていました。私はその夜、死にかけていたのだと思います。私は独り言で、こんなふうに死にたくないと言っていました。私は指に十字架の付いた指輪をしていて、それは私がクロアチア(両親の故郷)を離れる1週間前に、祖母がくれたものでした。私はその指輪を握り、助けを祈っていました。私が祈っていると、男性が通りかかりました。彼は私に近づいてきて、医師だと言い、助けを申し出てくれました。私は大丈夫だと答えました。その時、私の心の内に彼は天使だという声がして、実際には声というよりも、パチンと指を鳴らすようにわかったということでした。私は頭に手を当ててくれていた女の子に、彼は天使だから彼を呼び戻すように伝えました。彼は戻ってきて、とても静かに簡潔に語りかけてきました。彼はまさに光を放っているように見えました。それが頭上の灯りなのかわかりませんが、この輝かしい男性は黄色の髪で、顔はキャンドルの火のような色でした。彼は親指と人差し指を、私の目の間に置いて鼻をつかみながら、私に深呼吸をするように言いました。彼はこれで肯定的なイオンと否定的なイオンのバランスが取れると言いました。それから彼は私に彼の目を見るように言って、私がそうすると、それぞれの目に光の十字架が見えました。しばらくの間、私の注意はそこに留まっていました。それからすぐに、私は心の中で彼にごめんなさいと伝えました。私がこの言葉を心の中で繰り返すと、彼は私の母国語で私は良い娘だと言って返事をしてくれました。その瞬間、私は泣き出してしまい、全身が震えていました。すると彼は私の両腕を彼の手でさすりながら慰めてくれて、私の周りにいた友人たちに、私はショック状態だけれども大丈夫だと言っていました。それから彼は私を見て、帰らなければならないと言い、ここまでやって来た車の中で彼の友人が待っているということでした。私が見上げるとその車が見えて、1950年代から60年代の古い車でした。それもまた黄色で、彼の友人も光を放っているように見えて、彼らは似た資質を共有していました。彼の友人を見た時、その人も私を見ましたが、彼はこれまでに会ったもっとも悲しそうな人物に見えて、悲しみと痛みを感じました。彼の顔には両頬に傷跡がありました。このことを先に話すのを忘れていましたが、コンサート会場をはい出た時、左頬に刺すような痛みを感じていました。まるで顔に消えない傷跡が残るかのように思えました。どうやって傷がついたのかわかりませんし、階段から落ちる時に擦りむいたのかもしれませんが、そう思えないので、落ちた時に擦り傷ができたのではなく、誰かに引っかかれたように感じていました。そして彼の友人を見た時、彼の顔の傷は治っても跡が残っていたのです。その後、その医師は去っていき、私は彼が車に乗ったのを覚えていませんが、彼は行ってしまいました。彼が去った後、私はどういうわけか起こったことを忘れ、彼がクロアチア語をどのように話したかも忘れましたが、その後すべて思い出したのです。私は友人たちに彼の言ったことが聞こえたか尋ねました。彼らは何も聞いていなかったので、おそらく私の精神状態のせいで作り上げたことだろうと言われましたが、私は彼が私の母国語で、心の内に語りかけてきたのを知っています。私は心の奥深くから、彼が上(天)から来た人で、その晩、私を救ってくれたのだとわかっているので、その晩のことを思い返すたびに、私は涙を流し、彼に感謝しています。この素晴らしい男性が近づいてくる前に、私に手を置いてくれていた女の子が、そうしていた間、彼女は私のために祈っていると言いました。その後、私は彼が言ったことを彼女に伝えると、彼女も私を信じてくれて何かを感じたとも言っていました。私がこの手紙を送るのは、この男性が覚者かどうか確認するためではなく、私は彼がそうだと知っています。私が手紙を送るのは、何か超越したものがあること、神が実際に存在し、あらゆる所にいる私たちと共におられることを人々に信じてもらうためです。彼は私たちの裡に、あなたのそして私の裡にいます。探すのをやめて、信じ始めましょう、答は裡に存在しています。愛と光を持って。
ミシェル オーストラリア、シドニー【ベンジャミン・クレームの師は、助けてくれた男性がイエス覚者であったことを確認した。車で待っていた男性はマイトレーヤであった】

ロール・プレイ
編集長殿
2003年5月19日の午後10時30分頃、ウィルフレッドと私はトロントの地下鉄フィンチ線に乗って、毎週の伝導瞑想から帰宅するところでした。列車がブロア・ヤング駅を出発するとすぐに、私たちの車両にいた一人の男性が大声で叫び始めたのです。彼は全員にフィンチ駅への正しい列車に乗っているのか尋ねていました。彼は間違って教えられて、それより前に別の駅に着いてしまったため、正しい方向にいるのか確かめたいと、大声で文句を言っていたのです。彼は痩せこけて背が低く、長い髪にあごひげを生やし、緑のTシャツとジーンズを着ていました。手に古いバックパックを持っていました。彼は見るからに、話す様子からも明らかに酔っていましたが、私は彼と関わり合いになる気分ではなく、列車内の他の人たちも皆そうでした。けれどもウィルフレッドは彼に大声で返事をして、今回、彼は正しい列車に乗っていると伝えました。これで彼はとても機嫌が良くなり、誰彼無しにとても大きな声で話し続けていました。彼の話というのは、彼が3日間のバス旅行でサンダー・ベイからやって来て、フィンチ駅近くのティム・ホートンズ(コーヒー店)でのパーティーに行くことになっていて、その後、彼の兄弟が彼を釣りに連れていく予定があるということでした。彼はティム・ホートンズの正確な場所を知らず、何日ではないとしても、何時間約束に遅れているのかもわかっていなかったのです!
彼は騒々しく、制御不能に見えて、そのため車両内のほとんどの乗客は次の駅で降りていきました。するとその男性は私たちの座席の近くにやって来て、ウィルフレッドと話し始めたのです。ウィルフレッドはトロントの公共交通の地図を持っていて、この男性が正しいバスに乗るために向かうべき場所や、どのバス停で降りるべきかという良いアイディアがありました。今や明らかになったのは、彼と私は同じ方向へ向かっていたので、ウィルフレッドが私に向かって、そのご機嫌で酔っ払った男性をバス停まで連れていくことを提案しました(実際に、ティム・ホートンズの店は私の自宅にとても近いのです)。その酔った男性は私が面倒を見ることになって、あまりにも喜んで、『彼の持ち物』をウィルフレッドに売ろうとしました。彼は売りたいものが多少違法な物資であることを、はっきりとは言いませんでしたが、ほのめかしてはいました。もちろん、ウィルフレッドも私も関心を持ちませんでした。彼をバス停まで連れていくというアイディアには、あまり良い気分ではありませんでしたが、それにもかかわらず私は彼に無条件の愛をおくることに決めて、このことが彼を落ち着かせてくれることを願っていました。彼はフィンチ駅に着くまで、彼の話を大変な大声で繰り返していました。けれども地下鉄の車両から降りるや否や、彼はしらふになりました。彼がうっかり階段から転ばないように、私は抱えようとしましたが、列車を降りた後、彼は完全に問題なく、穏やかで状況が把握できていました。バス停では彼は私の親切にお礼まで言ってくれたのです。彼から離れられて喜んでいましたが、彼の行動の変化はいつまでも私の印象に残っていました。どうかこの『ご機嫌な』男性がマイトレーヤだったのか、あるいは他の覚者だったのか教えていただけますか。
A.T. カナダ、トロント【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

植物のパワー

編集長殿
私は家の居間に二つの植物を置いていて、二つとも大変に元気です(手紙は2003年7月に記述)。その植物の一つはベゴニアだと思っていますが、定かではありません。一本支柱が必要で付けているのですが、世話をしなくても天井まで育っています。それがあまりにも丈夫で、わずかに斜めになっても、いまだに育っていることは驚きです。切っていないのですが、どうしたら良いのかと思っていますので、説明をお願いします。
モウリーン・サドラー夫人
ニュージーランド、ワイララパ
【ベンジャミン・クレームの師は、その植物の成長はイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

鏡のイメージ

編集長殿
2003年にロンドンのシスル・ホテル・タワーブリッジでの、3日間の『ヒーリング・フェア』の終了の間際、私が荷物を載せる車を取りに、ちょうど部屋を出ていこうとした時、60代くらいのインド人かパキスタン人の風貌の女性が一人入ってきて、杖にもたれ気味に歩いていました。彼女が印象に残ったのは、とりわけ彼女が白いアジア風スタイルのズボンとぴったりのターバンに、黒い厚地のキャンバスのような生地でできた、おかしな場所に縫い目のある作業着を着ていたからでした。それが彼女を貧しい人のように見せていました。
私は引き返して、彼女が色々と眺めながらドアの近くのブースを動き回っているのを、しばらくついて歩きました。彼女の顔が見えた時、彼女が少し出っ歯で、鼻に大きな『ダイヤモンド』を付けているのがわかりました。彼女はそれからホテルの方へと歩いていき、私は彼女が去るのを見ていました。私はフェアの間、大体黒と白の服を着ていたので、不思議な気持ちになったのですが、彼女はもしかしてマイトレーヤでしたか。
ヘザー・スミス
英国、オックスフォード
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

サイレント・メッセージ

編集長殿
2003年8月22日の午前9時30分頃、ドーバーの中心街がにぎわい始めていました。その区域を歩いていた時、道路の真ん中に非常に背が高くやせ型の男性がいて、薄いグレーのシャツとパンツにブルー系のバッグを肩から提げていました。彼は巻き毛のグレーの髪を耳の下まで伸ばし、大きな麦わら帽子で、しっかりとしたつばの上にぐるりと色あせたバラの花が飾ってあるのを被っていました。
嘲笑が沸き起こったりはせず、誰もが興味を持って彼が通り過ぎるのを見つめていました。彼の周りには大いなる平安と喜びの雰囲気がありました。彼は何も語らず、ただ市役所の方向へ歩いていってしまいました。
この『幸いなる者』はマイトレーヤでしたか。
M.N.フレッチャー
英国、ケント州ドーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

心に触れるメッセージ

編集長殿
2003年8月26日火曜日、ニュージーランドのウェリントンでのことでした。私が職場であるドミニオン・ポストビルに戻っていた時に、一人の年配の男性が出てくるところでした。彼は長いグレーの髪にふさふさの白いあごひげと口ひげを生やしていました。彼は私を呼び止めて、「お目にかかったことがありますか?」と言いました。私は「いいえ、でもおそらく新聞で私の写真をご覧になったのでしょう。コラムをやっていますから」と答えました。彼は続けて「ああ、そうですね、たぶんその通りですね。今ちょうど中で、今年サンタクロースが必要か尋ねてみたのですが、必要じゃないそうです。ご存じでしょうが、私は地震が起こると思うのです。私の猫と犬が神経質になっていて、二匹がそんな風になると必ず地震があるのです。それにご承知の通り、金融市場の上がったり下がったりが、あらゆる所で起きていますから」と言いました。
この時点で彼はマイトレーヤだと思いました。彼はさらに「ともかく、ストレスでまいらないように。そしてあなたは私のハートの中にいるのを知っておいて」と言いました。私は彼を見て、「メッセージをありがとうございます。あなたも私のハートにいます」と言いました。私が彼の腕に触れると、あまりにも大きな愛を感じて泣きたくなりました。彼はお別れを言って去っていきました。私はエレベーターに乗り込むと、すっかり頭が混乱して、別世界にいるような感じでした。エレベーターの中で「迷子」になり、やっとのことで職場のフロアに到着したのです。この男性との出会いの後の感覚は、有頂天といえるものでした。
この男性はマイトレーヤでしたか。
マーリーン・ストロード
ニュージーランド、ウェリントン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ひげの男性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。

個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。私たちは読者の考慮のためにこれらを提供している。

 

消えた人

編集長殿

(2003年)4月2日に私は朝6時35分に家を出て、散歩に出かけました。気持ち良く歩いていて、別の道へ曲がった時も私だけで、その時は誰も見かけませんでした。その後突然に一人の女性が私の方へ近づいてきたのです。彼女とすれ違う時に、私が「おはようございます」と言うと、彼女も「おはようございます」と言い、とても静かな声でほとんど聞こえないくらいでした。そのまま歩いていって振り返ると、彼女はいなくなっていました。その女性は誰でしたか。

モーリーン・サドラー

ニュージーランド、ワイララパ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

 

本当に近い!

編集長殿

2000年9月20日の午後、私は仕事で意気消沈していて、不思議な体験をしました。私は地下鉄に乗っていました。車両は混み合っていました。これ以上人は乗れないと思われた時、ある駅でさらに数人が乗り込んできました。その中に盲目の男性が二人いて、盲目の人用の特製の杖を持っていました。少し経つと、二人の男性はその状況について若い人たちと冗談を言っていました。私はドアの近くで内側を向いていました。

幾つかの駅を過ぎて、体の向きを変えると30代の女性が本を読んでいるのが見えました。その表紙に「イエスに近づいて」というタイトルが黄色の地に白い大きな文字で(あるいはその反対の白地に黄色の文字かもしれません)書かれていたのです。本で女性の顔は隠れていましたが、私はそのタイトルに惹きつけられていました。最初には、それ以前に彼女に気づいていなかったのはおかしいと思いました(私はそれまでにも体の向きを変えていましたが、彼女を見かけなかったし、彼女が乗り込むのも気づきませんでした)。彼女はこざっぱりとして見えましたが、たくさんの人が乗っていたこともあって、ほとんど顔が見えませんでした。彼女はとても美しいように思えて、その顔には気品と優しさがありました。数秒間彼女を見ていましたが、彼女は読み続けていました。

私は次の駅で列車を降りなければなりませんでした。降りるために出口の方に向いて、その女性のいる方向に目をやりました。彼女はもはやそこにいなかったので、自分の目が信じられませんでした。ほんの数秒過ぎただけで、これほどたくさんの人々に囲まれていて遠くに行けたはずがありません。彼女が空いた席を見つけたかもしれないとも思い、全体を見回しました。列車を降りてから、壁際に寄って車両から降りてくる人たち全部を見ていました。けれども、彼女を再び見かけることはありませんでした。彼女がどうやってそのように姿を消したのか理解できなかったので、完全に困惑しながらもそのまま歩き出しました。

後になって考えてみて、本のタイトルに意味があると気づきました。その女性が目の前で消えたのは単なる偶然だったのか、あるいは彼女は特別な方でしたか。

ラファル・ボーロ

スペイン、マドリード

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

馴染みの顔

編集長殿

2年かおそらく3年前に(手紙は2001年に書かれた)、私はオックスフォード郊外の地元のショッピングセンターにいました。一人の男性がセンター内を横切って私の近くにやって来ました。彼は180cmを越える身長で、体格が良く全身白い装いで、ナイロビに現れた時のマイトレーヤの着ていたものととてもよく似ていました。ターバンは同じでしたが、長いローブではなく、彼が着ていたのは長いシャツとズボンのパキスタンのスタイルでした。よく似ていたのは膝上までで、というのもズボンが少し短すぎたことと、大きなスリップオン式の靴が何となく不作法な感じでした。

彼は30代前半で黒っぽいあごひげのある感じの良い顔で、彼の体格に似合っていました。彼は風変わりで、とりわけこのような場所では目立っていました。

1週間ほど経ってから、彼が再び同じ場所で同じ様子で通り過ぎていきました。それ以来、彼を見かけていません。

その人がマイトレーヤだと思ったことはありませんが、最近その人が普通の人なのか、とてつもない人物なのかを見分けることを促されているように思いました。

お手数ですが、覚者はお教えくださるでしょうか。

ヘザー・スミス

英国、オックスフォード

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ「編集長への手紙」に掲載されていない手紙の保留分が非常に多数あり、それらを掲載していく。
また、掲載された他の手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

沈黙のメッセージ

編集長殿
1990年代の半ば以来、クオピオのダウンタウンでのある記憶が、時折私に付きまとっていました。私が市場の隣の通りを歩いていた時、全身白い装いでターバンを着けた一人の男性が市場を横切っていくのを見かけました。彼は普通のスーツを着た数人の男性を連れていました。私は内心この人はどんな「シャィフ(アラブの族長)」なのかと思っていました。私が驚いたことには、彼が私に近づいて来たのです。
その「シャィフ」は私にフィンランド語で話しかけてきて、私が覚えているのは将来私たちが協力するようになると言ったことです。フィンランド語で話し続けながら、私は彼に何かを尋ねましたが、返事はありませんでした。スーツ姿の男性の一人が楽しげな人で、私に英語で話しかけてきて、「シャィフ」は声に出して話をしないけれども、声がテレパシーによって変換されて私の心にフィンランド語で聞こえるのだと言われました。そのスーツの男性はさらに「シャィフ」に認められたことは、誇りに思えることだろうと言いました。私は急いでどこかへ出かけるところだったので、その出来事をただ放っておいて、一体何者だろうと不思議に思いながら、そのまま立ち去りました。
後になってやっと、全身白の「シャィフ」のいでたちのマイトレーヤの写真を見て、すぐにクオピオで会った「シャィフ」だとわかったのです。私は年も日付も覚えていませんでしたけれども、マイトレーヤがその頃(1996年9月29日〈注〉)にクオピオにいたという言及があり、私が覚えている限りでは秋の初めの夕方から夕暮れの頃で、日付が一致するようです。
それ以来「シャィフ」に会っていませんし、いつが「後で」になるのかの説明もないようなのですが。このことについてこれまで誰にも話したことはありませんでした。
H.K.
フィンランド、イーサルミ

注:1996年9月29日、マイトレーヤはフィンランドのクオピオで、約200人のキリスト教徒に現れた。魅了されて注目する人々に17分間話をした。ほとんどは神から遣わされた天使だと思った。その地域の水が磁化された。(本誌1996年11月号)

高揚させる訪問

編集長殿
私には慢性の持病があり、薬が効かなくなっていましたが、痛みはひどくなっていったのです。2018年10月31日、私は痛みで前屈みの姿勢になり、歩くこともできないほどでした。食料品の買い物から帰ったところで、ベッドに横になると、すぐに温かなエネルギーに包まれるのを感じました。それを期待したわけではありませんでしたが、独り言で「ひどすぎる、洗い物も片付けもできない」と言いました。起き上がってカーテンを閉め、歯を磨いて服を脱いだのがやっとでした。
数時間後、40代の黒い髪に真っ青な瞳で、胸元が少し開いた白い麻のチュニックを着た男性が、私をベッドから持ち上げていたのです。私はベッドで裸でしたが、その時には白いチュニックを着ているのがわかりました。それは麻のチュニックのようで、2000年前に人々が着ていたと思われるようなものでした! 彼はやすやすと私を抱えていて、まるで私が簡単に持ち上がるかのようでした。彼に抱えられていても私には痛みがあり、彼が言うには「ギブス包帯で覆われているかのように、動作しなさい」ということでした。私が彼にイエスから遣わされたのか尋ねると、彼は「それだけではない」と返事をしました。彼の仕草の一つひとつが身体を通して感じられて、今でも私の意識に刻まれているのです。私は気分が良くなり始めましたが、幾つもの手術を受けなければならないだろうとはっきり言われました。その後数日間は、アパートの部屋の中でイエスのエネルギーを感じていました。
匿名希望
フランス

『ミスター・ピース』

編集長殿
2018年11月18日に、アムステルダムのシェア・オランダ・インフォメーションセンターは、「スピリチュアル・カフェ」という公開のイベントを「内なる冒険」という副題を付けて開催しました。センターをどうにか(パブにあるような)高いカウンターとスツールがあり、カフェテーブルを空間の周りに配置したカフェに変身させました。これは、いつものように一般の人々の関心を、私たちの基本の情報へと惹きつけるもう一つのやり方で、私たちは15分から20分の4つのインタビューを通して情報を提示しました。『インタビュアー』がスピーカーを一人ずつ招いて、そこでマイトレーヤ出現の『お話』と覚者方の存在、マイトレーヤの優先順位や、意識の変化の必要性と新しい教育の目的といった話題が、カフェのゲストたちに語られていったのです。
全員が楽しくくつろいだ雰囲気を喜んでいて、それが人々に私たちの情報を何らかの形で『伝えて』くれているようでした。イベントが始まると即座に参加した、代弁者方であると私たちが信じる二人の人物の存在によって、喜びはさらに大きくなったのです。
彼らにはすぐに印象に残るようなところがありました。彼らは(中年の異人種のカップルで男性と女性)やって来るなり、進行手順の一部となって、うなずいたり、微笑んだり、聞いている内容に賛同するとはっきりと発言したりして、彼ら自身も楽しんでいました。
イベント後の彼らとの会話(彼らはセンターに数時間いました)で、彼らが代弁者であるという私たちの考えは確かなものとなりました。午後の終わりには男性の名前がフリーデで、英語では『ミスター・ピース(平和)』という意味だということまでわかりました。彼の連れはもの静かで口数も少なく控えめで、彼の方はおしゃべりで社交的でした。休憩時間中やその後で、何人ものグループメンバーに彼らと話す機会がありました。以下はメンバーたちが見聞きした内容のリストです。
ミスター・ピースは「あらゆることが起きようとしている、ただいつかを知らないだけだ」と言いました。彼は聖杯の発見のことを話していました。
彼がグループに対してコメントして、彼は私たちがいかに注意深くスピーカーに耳を傾けていたかに気づいていました。彼は他の人々に耳を傾けることの必要性を強調して、聴く資質という言葉を使いました。彼は騒々しいイベントは避けているそうで、特にグループがとても幸福そうで生き生きしていることに注目していて、私たちを「心温まる」人々と言いました。
ある時には彼は立ち上がり、「行動。行動が必要だ!」と言いました。彼は規律の必要性を力説しました。
彼はより一般的なことについて話をして、「アムステルダムの地方自治体(推測すると、行政全般と思われる)は、避難民や移民を適切に面倒見ていないのです。彼らから金もうけをしています。避難民が一つのコミュニティーに統合されていることに対処していません」と言い、彼は他にも実際的な物事について話をしました。何かにサインする前に、きれいな印刷のものに常に目を通すこと、目が覚めたら、その日に感謝して、夜再び帰宅できたら、ありがたく思うこと、必ず家の中にきれいな空気を入れることなどです。
彼らが帰って行く時、彼はもう一度、ありとあらゆる素晴らしい物事が起きようとしている、ただいつなのか知らないだけだと言いました。
グループメンバー 一同
オランダ