カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌展にハートが足りない?

 2023年7月1日から3日間、東京でシェア・インターナショナル誌展が開催されました。2日目のお昼前に到着すると、一人の高齢女性が椅子に座って、スタッフの女性と話していました。私たちは大規模な広報はしていませんでしたので、「あ、お客さんがいる!」と、うれしくなりました。
 しばらくパネルを眺め、資料をめくり、私もお客になったつもりで会場内を歩いていました。すると「ちょっと、あなた」とその女性に呼び止められ、隣に座らされました。「私ね、アイディアがあるの。アイディアがあるのよ! ハートが大事なのよ。ハートの形をここに置いたらいいんじゃない?」。急にそんなことを言われるとは思っていなかったので驚いたのと、「ここにはハートがない」と見事に指摘されてしまったような、ばつの悪い感情が一気に沸いてきました。
 しばらくして、また女性のそばに行くと、ずっと何かを書きつけていました。「この資料、もらえないって言うから書き写してるの」。女性の手元を見ると、大量の紙の束に大量の文字が書かれています。しかも、殴り書きに近い、とても読めるような文字ではありませんでした。
 それから1カ月経ち、シェア・インターナショナル誌のレポートを書くことになり、この奇妙なやり取りを思い出しました。この女性が伝えてきたことは何だったのでしょう。この展示企画を通して、私たちは何を世界に伝えていくのか、分かち合うってどういうことなのかと、根本的な問いを投げかけられているように感じています。

T.K.
日本、東京

次の2通は同じ人物からのものです。

明確さに重点を置いて

 (1)約8年前(おそらく2015年)に、私はパリ地区のフェアでメンバーとして参加しました。その展示会でグループがブースを出した初めての年で、私には二度目の参加でした。かなり大きな会場は、「ウェルビーイング(幸福)」をテーマにした数多くのブースでいっぱいでした。私たちは非常に不利な配置をされていて、部屋の奥の隅で、テーブルもとても小さいものでした。私たちは二人だけで資料の配置を終えると、そのような小さな場所に、あまりに多くのものが詰め込まれているという感じがしました。よく言われるように、「情報が多すぎると情報が失われる」のです。世界教師の出現についてのチラシに加えて、ミステリーサークルの写真、奇跡の写真、『我らの惑星を救え』というような気候変動についての情報が展示されていました。私はメンバーにレイアウトについて思うことを伝えましたが、これはそのようなものだからと彼に言われました。私はこの活動には新参だったので、しつこく言うことはしませんでした。
 大勢はいませんでしたが、人々は私たちの方を見ることも近づいてくることもなく、ロビーに入ってきました。彼らはより大きく魅力的なブースへと向かいました。午前中はうんざりするほど長く感じました。
 突然、60代の一人の女性がロビーに入ってきて、断固とした素早い足取りで私たちのブースにまっすぐ向かって来るのが見えました。彼女はテーブルの前に立って、「あなた方はここで何をしているの、何について伝えているの?」と言ってきたのです。
 マイトレーヤと知恵の覚者方の出現についての話です、と私は返事をしました。
 すると厳しい口調で、「もしあなたが覚者方の出現について伝えるのならば、正面に置くべきなのはその情報です。ここは紛らわしいので、あなた方が何について伝えているのかよく分からないのです」と言いました。私が驚いたのは、私の考えたまさにそのままを彼女が言ったからですが、私はあえてあまり強くは言いませんでした。それから彼女は満面の笑みで、「さあ、幸運をお祈りしますよ。あなた方のしていることはとても良いことです」と言ってくれました。
 そして彼女は去っていき、他のブースを訪ねることも見ることもせずに会場を出ていきました。
 以前、私には(ベンジャミン・クレームの師によって確認された)イエス覚者との出会いがあり、この女性の存在に同じエネルギーを感じました。彼女の話し方がとても毅然としていたので、その人はイエス覚者か彼の代弁者だと思いました。

(2)2023年4月16日にパリのグループと共に、分かち合いの概念に焦点を当てた『未来への鍵』と題した講演とビデオのイベントを開催しました。イベントは分かち合いについてのベンジャミン・クレーム氏のパリ講演からの抜粋で始まり、聴衆からの質疑応答があり、軽食の時間で締めくくられました。
 休憩時間中に、私は中年の女性と長々と話をしていました。私たちはたくさんのことについて話しましたが、とりわけ覚えていたのは、彼女がクリシュナムルティについて話したことでした。彼女はイエスとマイトレーヤの違いを説明してほしいとも言ってきました。講演の中でその点があまり明確ではなかったと言われました。それから無料のイベントの重要性を力説していました。
 私は文化活動がとても好きなのですが、価格が上がってしまったので、数年前ほどは出かけられなくなりました。このことをその女性には伝えなかったのですが、彼女から何度か、無料の文化活動を提供しているサイトをインターネットで探してみるように強く勧められました。パリで無料の講演やコンサート、映画に行ける場所の住所まで教えてくれたのです。彼女と話していた間、彼女には以前に会ったことがあるけれども、どこで会ったか分からないと思っていました。彼女は非常に磁力的なエネルギーの持ち主で、とても素敵な人でした。
 夜に自宅にいても彼女について考えずにはいられなくて、どこで彼女に会ったか思い出そうとしていました。そう思いながら眠ってしまいました。翌朝、ちょうど目が覚めた時に、「それはイエス覚者!」という言葉が頭の中に聞こえたのです。そして突然、数年前に資料の並べ方を変えた方が良いと言ってきた、あの同じ女性だったことを思い出しました。

J.J
フランス、パリ

編集長への手紙

ヨガ・フェスティバルでの三つの体験

(1)[2023年5月のヨガ・フェスティバルで私たちのブースを訪れた]背の高い白い服を着た女性が、ベンジャミン・クレーム著『世界教師と覚者方の降臨』を非常に熱心に購入したがっていました。しかし、彼女は銀行口座を持っていなかったので、小切手を切ることができなかったのです。現金では7ユーロしか持ち合わせていませんでした。彼女は[本について]「とてつもないものです!」と言っていました。彼女が興味を示したのはその本だけでした。彼女は手を差し出して、手の平にあるお金を私が受け取れるようにしました。本の正規の値段(12ユーロ)に足りるように、あと5ユーロを私が支払いました。
 奇妙なことに、(数日前の)5月20日の土曜日に、5ユーロの寄付をした男性がいました。それはこれまで一度も起こらなかったことでした。過去において寄付があったのは、ポストカードなどの費用ぐらいの金額だったのです。私はどちらの時にも驚いてしまいました。

P.B.
フランス、パリ

(2)2023年5月21日、分かち合いについて一人の『旅行者』と興味深い会話を交わしていた時、私はグループメンバーが背の高い女性と話をしているのを見ました。その女性は185センチメートルくらいの身長でした。心の中で私自身に、この若い『放浪者(ノマド)』との交流にもっと集中すべきだと言い聞かせていましたが、ブースの写真展の横の私が立っていた所から、その女性を見つめずにはいられませんでした。その背の高い女性は、ボーイッシュな髪形でオレンジ色の髪色でした。全身白の装いをしていました。ターコイズブルーの南京袋を持っていました。私が最もびっくりしたのは、彼女の手の平でした。彼女は右手を差し出して、それを開いて平らにして、グループメンバーが手の平から直接お金を受け取れるようにしたのです。それは珍しい仕草でした。

匿名希望
フランス、パリ

(3)2023年5月21日の午後5時頃、私たちは非常に強力なエネルギーがブースの横から放射されているのを感じましたが、そこはシェア・インターナショナル誌の裏表紙写真展を開いていた場所でした。そのエネルギーに対する私の反応はとても強烈で、身体のハート、太陽叢、両足、胃が反応していました。この激しい感情と情緒反応は15分ほども続きました。大きくなったハートと空っぽの頭の感覚がありました。5月20日には、写真展示から注がれるエネルギーの流れがその日の終わりまで続いた、とあるメンバーが言っていました。それは以前に起きた時と同じ時間に始まりました。

コレット・P
フランス、フォンテンブロー

編集長への手紙

緩やかな着地

 先週(手紙は2023年6月1日着)、パーキンソン病を患っている85歳の父が、自宅の吹き抜け階段から後ろ向きに落ちてしまいました。夫と私には大きな物音が聞こえ、まるで物でいっぱいの重い戸棚が壁から倒れてしまったかのようでした。それに続いて、恐怖の叫び声がしたのです。私たち二人が玄関へ走ると、父が陶製タイルの床の上に、右向きの胎児のような格好で倒れているのが見えました。けれども、夫と私が階段脇に置いたさまざまな物はすべて、ちょうどポストに届いたばかりだった鍵や木材用ニスの缶の入った大きな箱も含めて、置かれた場所にありました。ニスの缶一つが明らかにへこんではいました。つまり、私たちに聞こえた物音は何によるのか想像もつかないのです。父は階段の五段目から落ちていましたが、その高さから落ちたにしては、怪我は比較的少なく、どのように落ちたら、あのように着地できたのかも不可解なのです。結局、父は足を骨折しましたが、タイルで頭を打つことも、気を失うこともなかったので、神聖なる源から助けられたに違いないと私たちは感じました。ショックが徐々に消えていくと、父は私に、倒れた時に「神の存在」が共にあることを感じて、助けられたことが分かると言いました。またその瞬間、時が止まったとも言っていました。

エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイヤーベルク

【編註:この体験は、覚者あるいはマイトレーヤ御自身によって助けられたとベンジャミン・クレームの師によって確認された、他の出来事を思い起こさせるものである】

安心な運転手

 2022年11月、アムステルダムのある病院で転倒にかかわる診察が終わり、車椅子に乗ったヨス・クイルを病院のボランティアが通用口へと連れていってくれました。配車を頼んでおいたタクシーを待つためでした。
 絶え間なくタクシーが出入りしていました。しばらくすると、私たちの頼んだタクシーは地下の駐車場に待機しているという連絡がボランティアに入りました。それで私たちは地下へ行くために建物の中へ戻りました。そこの中央ホールで、とても背の高いタクシー運転手が立って待っていました。彼は挨拶をして、そっと車椅子を押すのを引き受けて、下の駐車場行きのエレベーターに向かいました。私は彼らから少し遅れていたので、タクシー運転手とヨスがエレベーターを待っていたところに追いついて、ヨスの同伴者だと説明すると、その運転手は「分かっています」と言いました。
 タクシーの中で、私たちは運転手にスピード防止帯(バンプ)を越える時には極力穏やかに運転してもらいたいとお願いしました。かなり高さのある最初の防止帯が駐車場の出口付近にあり、間近に見えていましたが、運転手は即座に反応してくれました。とても慎重に運転してくれたので、防止帯であることを全く感じませんでした。さらに、彼は防止帯のないルートを選んでくれました。タクシーの中で私たちはラジオのニュースを聞いていました。降りる時、そのなめらかな乗り心地についてお礼を伝えました。
 後になってヨスと私はお互いに情報交換をしたのですが、その男性は明らかにタクシー運転手としてはあまりにも並外れていました。その上、非常に背が高く、はっきりとした顔立ちの、鼻の高い人で、つま先がこれ以上ないほど長く尖った黒い靴を履いていました。生まれつき備わった威光があり、静けさのある人物でした。
 夕方になってようやく、この出会いについて電話で話していた時、突然、彼が非常に特別な運転手だったに違いないと感じて、感動してしまったのです。数年前にヨスは事故にあい、奇跡的に一人のタクシー運転手に乗せてもらったのですが、その時にも運転手はどこからともなく、知らないうちに現れていました。依頼を受けていたわけではありませんでした。彼はヨスを家に送り、料金はすでに支払い済みだと言ったのです(シェア・インターナショナル誌2017年5月号参照)。

ヨス・クイル
オランダ、アムステルダム
ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

「苦難の襲うとき、わたしは共にいよう」
(詩編91)

 2023年5月2日の火曜日、一人の女性がアムステルダムのインフォメーションセンターにやって来ました。彼女は真っ直ぐな黒髪の小柄な女性で、加齢のせいで少し腰が曲がっていました。インド出身の人のようでした。とてもフレンドリーで話しやすい人でした。
 彼女の語ったことの多くは、私も自分自身で認識していたことでした。彼女を理解するのが難しかったのは、話し方と言葉遣いのせいでもありました。オランダ語と英語を交互に話していましたが、どちらも彼女の母国語ではありませんでした。ある時点で、彼女がアムステルダムに住んでいるかどうかを尋ねましたが、返事はありませんでした。
 この話題が持ち上がってきた会話の流れはよく覚えていないのですが、あらゆる問題が頭の中を駆け巡ってしまうために、瞑想は彼女にとって大変に難しかったという内容は覚えています。自分の思考に注意を払わないようにと仏陀が言われた、と彼女は言っていました。私たち二人は、瞑想は依然として難しいけれども、やり続けていくしかないことに同意しました。
 彼女は呼吸ヨガを行っており、それは自分を落ち着かせてくれると言いました。彼女がやり方を私に示してくれました。それから突然、数字の91が出てきたのです。聖書を知っているか尋ねられ、詩篇91を意味していることがはっきり分かりました。
 彼女がインフォメーションセンターでの公開伝導瞑想について尋ねてきました。私は彼女に日時と、もし参加したいのなら、最初の時には早めに来て、どのように行うかについて誰かの説明を聞くのが最善だろうということも伝えました。そのことで彼女は疑わしそうな顔つきになったのは、月曜日には必ず見ているテレビ番組があって、見逃したくなかったからでした。私が『そう、分かりますよ』と思ったのは、『遠隔で』瞑想する時に、伝導瞑想が始まる前まで、時折私もテレビ番組を終わりまで見ているからでした。
 それから私たちは分かち合いやマイトレーヤについて話し、私は『全人類のための世界教師』と『人類の目覚め』の本を彼女に見せました。どちらにするか彼女は決められませんでしたが、最後にはうれしそうに二冊とも選びました。彼女は『目覚め』の意味について尋ねました。同義語として『意識的になる(becoming conscious)』ように努めた後、彼女は『用心している(alert)』という言葉を思い付きました。彼女はそのことに満足していました。その後、去っていきました。
 ところで詩篇91は今、私のコンピューター近くの壁にピンで留められています。それは美しく、言葉が慰めになり、とても気分が安らいで励みになるのです。
 明らかに私にぴったり合ったアドバイスとメッセージを与えられたので、彼女は特別な方であると信じています。彼女の訪問に心から感謝しています。

ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

追伸
 その女性が見せてくれた呼吸法を、必要な時いつでも行っていますが、『夢のように』素晴らしく効果があるのです!

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

マイトレーヤと覚者方が、社会正義に関係する政治的な問題や事柄にいかに密接に関与し焦点を当てているかを明らかにするために、われわれのアーカイブからささやかな手紙の選集を掲載する。

目覚めようとしている!

編集長殿

 先週土曜の2003年2月15日に、私たちはロンドンのハイドパークでの反戦集会に出かけました。ジェシー・ジャクソン師が演説を始めましたが、最初はジャクソン師の演説はそれほど心を引くものではありませんでした。しかしその後、突然、その演説が別のエネルギーと語調を帯びたように思えました。この時、演説者に目をくぎ付けにしている一人の黒人が私たちの隣に立っているのに気付きました。
 その後、若い歌手のミス・ダイナマイトさんが「愛」と「平和」について語り始めました。「それに、正義だ!」と、私たちの隣にいた男性が腕を振り上げて言いました。その男性は「そのとおりだ、お嬢さん、いいこと言うね」など、言われていることすべてについてコメントを差しはさみました。
 この男性の物腰には、マイトレーヤか覚者ではないかと思わせるような何かがありました。男性はとても陽気で、葉巻をくわえ(しかし吸うことはありませんでした)、小さなウイスキーのボトルを持っていました(アルコールの臭いは全くしませんでした)。私たちはカメラを持った取材班がいるのに気付き、その男性にインタビューしてはどうかと提案しました。
 彼はマイトレーヤか覚者の一人でしたか。

ダニー・パラシェチャク、デービッド・ジョンストン
ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した。ビデオには、インタビューの終わりに彼と一緒に歩いて帰る若い黒人男性も写っており、二人が元気いっぱいこぶしをぶつけ合っている様子も撮られていた。ベンジャミン・クレームの師は、この二番目の男性は覚者の一人の弟子であることを確認した】

 ロンドン反戦デモ行進での演説が終わって群衆が三々五々帰ろうとしていたとき、取材班は、ダニー・パラシェチャクとデービッド・ジョンストンが描写した「陽気な」アフリカ系カリブ人男性を含めて、現場にいた人々にインタビューを行った。その2分半のインタビューの内容を以下に掲載する。

アフリカ系カリブ人:「目覚めようとしている! 目覚めようとしている! 世界は人類のものだよ、兄弟」
インタビュアー:「まさにそのとおりだね、おじさん」
アフリカ系カリブ人:「そう、辺りを見ればそのとおりさ! 嬉しいねー! 私が参加するようになって長いからね──よくCND(核武装反対運動)などに参加していたのさ。でも、こんなのが見られるなんて素晴らしい限りだよ。その上にだ、この状況全体を目覚めさせたのはわれわれのような年を取った世代だが、それが目覚めようとしているのさ! 特に息子や孫のような若い世代が後に続いてくるのが見られて嬉しいね。今日は兄弟姉妹たちが真理を語り、嘘を、嘘を、暴き出すのを聞くことができて誇りに思うよ。これは素晴らしいことだ。若い世代全体が、黒人も白人もみんなこの場所に集まってきている。こういうのを見るのが大好きなのさ。100万ポンドに代えても見逃したくないね。それに、ここにいる私の幼い兄弟たちみんな、私の幼い兄弟姉妹たちみんなが、遠いところからはるばるやってきているのだよ! 嬉しいよ、本当に嬉しいよ! われわれは目覚めようとしているのさ! われわれは眠っているとでも連中は思っていたのか!」
インタビュアー:「ちょうど眠たい目をこすっているところかなぁ……」
アフリカ系カリブ人:「そう、そう! (笑いながら)兄弟よ、目覚めないか! 信じていろよ。褒美から目を離さないようにしろよ。その褒美は人類そのものさ! 人類はわれわれみんなのものだからね。バートランド・ラッセルが言うように『君たちの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ』だよ。そうしなければ、前にあるのは暗闇だけだ。でも、新しい世代の君たちは、新しい秩序の夜明けを見たのさ。その秩序は人類のものだ──ジョージ・ブッシュのものでもなく、トニー・ブレアのものでもない。こうしたいわゆる『神々』の一人のもので・ヘないのだ──こうした『新しい神々』のことは知っているよね──今やそれは君たちすべてのものだよ! 私は70歳を越えているがね、その私が言うのだよ、信念を持ち続けろよ、兄弟!」

(インタビュアー:M.R.マッキューン、
カメラ: アンバー・マクルーア)
(シェア・インターナショナル誌2003年4月号)

士気の向上

 私は2003年3月22日にロンドンのハイドパークでの反戦集会に気が進まないながらも出かけ、戦争が始まってしまった今ではあまり意味もないと思っていましたが、それでも私たちが参加してともに異議を唱えるべきだという、ベンジャミン・クレーム氏の師である覚者とマイトレーヤの勧めを心に留めていました。陽気な人々と交流し、友人たちやマイトレーヤとその教えに興味を示してくれる多くの人々に出会って嬉しかったのです。
 翌日、ノッティングヒルにある地元の食料品店にいた時、シルクハットに黒い眼鏡をかけたエキセントリックな黒人の男性が店に入ってきました。彼は戦争について話し始めたのですが、2月15日にハイドパークに(ファミリアとして)現れたマイトレーヤにそっくりな声で、トリニダード訛りがありました(本誌2003年4月号参照)。頭に包帯を巻いて泣いている子供の写真を指差しながら、彼は大きな声で「彼らは子供たちを殺している」「これは帝国主義だ」と断言し、彼の声はハイドパークの時のように響き渡りました(その時には非常に多くの子供たちの死亡や怪我のぞっとするようなニュースの完全な詳細は新聞には出ていなかったのです)。その間中、彼は私をまっすぐに見つめていました。私は彼の言葉よりむしろ彼の声の響きを聞きながら、ハイドパークの時の彼と外見は似ていませんでしたが、もしかしてマイトレーヤだろうかと考えていました。白状しますが、彼の熱烈さに少なからずへき易して、彼に応えようかどうかためらっていました。彼は突如出て行きました。私は新聞の代金を払って彼の後から急いで店を出ましたが、彼は消えていました。
 私が思ったのは、彼はマイトレーヤに違いなく、デモについての私の疑問に答えるために来られたのだということでした。

イディーナ・ル・ゲイ
英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その『トリニダード人』がマイトレーヤであったことを確認した】

(シェア・インターナショナル誌2003年5月号)

編集長への手紙

アーカイブからの二つの記事:
1982年の読者の視点

拝啓 シェア・インターナショナル誌へ
 シェア・インターナショナル誌のメッセージは、すべてのまともな心の持ち主であれば賛同するような、申し分のないものです。私はこの世界におけるキリストの存在を信じる人間ではありませんが、もしあなたの言われるキリストがはっきりと出現して、このおぞましい軍拡競争を取り除き、より良い世界をもたらす唯一の方法を語るならば、信じる方へともっと心を向けるべきだと思っています。もしも私たちや他の国々が核兵器の製造を中止したならば、第三世界の貧困を一夜にして解決することも可能でしょう。もしキリストが実在していて、こうした軍拡競争はこの世界がこれまで目の当たりにした中で最大の悪であるとはっきりと宣告しないならば、私は仰天するでしょう。もしこのことがあなたのメッセージの一つに含まれているなら、私はあまり懐疑的に感じないかもしれません。今日の世界で最も重要なことは、これらの大量破壊兵器を撤廃することです。兵器は甚だしく人道に外れており、恐ろしいほどに費用がかかり、ゾッとするほど危険なものなのです。

敬具
J.B.
英国、デボン

ベンジャミン・クレームによるコメント:あなたは全く正しいです。兵器は人道に外れ、高価で危険なものです。マイトレーヤがこの意見に同意するであろうことは疑う余地がありません。しかしながら、この常軌を逸した軍拡競争を停止させることができるとどの程度信じるかについて、私たちの間には明らかに違いがあります。兵器はそれ自体、費用のかかるものであり、危険で人道に外れると言えるものですが、問題の原因ではなく、結果なのです。兵器は人類が危険なまでに分離し、結晶化した構造の中に囚われており、錯覚に基づいた物質主義的な安全保障に浸りきっているという事実の結果であります。軍拡競争を止めるよう大国勢に求めても、それぞれの勢力圏が相手の善意をあまりにも信用していない限り、ほとんどあるいは全く効果がないでしょう。
 このような理由から、問題の本質を追求するようマイトレーヤは勧告されます。マイトレーヤは分かち合いの原則の実現を推奨しておられます。この分かち合いという方法により、現在交戦中で敵意を持った国々は将来の見通しを完全に変更させることができます。武器が必要とされるような事態を招く政治的相違は、大体において経済的要因によるものです。経済的問題の核は、分配と再分配の問題です。分かち合いの原則を受け入れることによって、こうした経済的な差異は解決されるでしょう。そうした新しい状況の中で、武装化と戦争を終わらせたいという動機が生じるでしょう。私たちの見解では、富める者と貧しい者との分断は、核軍拡競争と同じくらい大きな脅威を世界の安定性にもたらします。こうした見解を抱くのは私たちだけではありません。ブラント委員会報告書に記載されているものの中心となっています。どんなに良い意図を持っていたとしても、分かち合いを受け入れることなく単なる非武装化を提唱する人たちは、私たちが思うに、馬車を馬の前に置いているようなものであり、失望する運命にあります。
 核兵器という悪に一方的な攻撃をするよりも、分かち合いの原則がより根本的であることを強調するのには、もう一つの理由もあります。誰でも、限られた手段しか利用できないにしても、分かち合いというアイディアを自分自身の環境の中で適用させ始めることができます。そのようにしてだんだんと、すぐ身近な社会的変化に貢献するようになります。一方、軍拡競争を停止するという決議が採択されるのは──民主主義においては──そのアイディアへの半数以上の人々の支持がある場合だけです。独裁政権下にある国々においては、軍備の政策にいかなる変化をもたらすにも、それよりはるかに多くの支持が必要となるでしょう。私たちはそのような変化をすでに何十年も待っています。したがって、分かち合いは目的を実現するためのより一層直接的で、より効果的な手段であり、私たちもあなたと共に、飢餓や貧困のない、兵器の存在する余地のない世界が成就されるのを見たいと願っているのです】

(シェア・インターナショナル誌1982年10月号)

マイトレーヤ──『非常に特別な教師』

 数年前、おそらく1983年から1985年の間に、私はニュージーランドのテレビで英国のドキュメンタリー番組を見ていました。それは社会科学のドキュメンタリーで、英国でのパキスタン人とインド人の移民の生活実態を探ろうとするものでした。番組では、(ほとんどが工場などで働く)移民の生活の向上や状況を調査し、インドに留まった人々との比較を行っていました。番組はイングランド北部の工業都市での移住者の生活を調べるところから始まり、その後突然、イースト・ロンドンの移民たちに焦点を定めたのです(ベスナル・グリーン地区が頭に浮かびましたが、100%の確信を持っているわけではありません)。次に、移民たちの精神的な共同生活に焦点が当てられました。番組制作陣は、(外観は刑務所に似ている)一軒の大きな家への取材を許可されました。そこはパキスタンの人々のためのコミュニティーセンター、アシュラムとしての役目を果たしていました。センター内の活動は豊富で多岐にわたり、スピリチュアルセンターとしてのみならず、文化的な活動や結婚式なども含んでいました。
 霊的指導者たちはその時、自分たちの直中に『非常に特別な教師』がいるということをテレビジャーナリストに明らかにしました。彼らはその人物をクリシュナの生まれ変わりだと主張していました。私はその当時、(イスラム教徒の)彼らが、霊的教師としてのムハンマドよりも、クリシュナの生まれ変わりがいることを主張するのは大変に寛容だという印象を抱きました。「キリストの再臨」を含めて、アリス・ベイリーの教えの勉強を長年続けていたので、私はじっくり考えて、「ことによったら、これがそうなのかもしれない!」と思ったのです。
 『特別な教師』を撮影できないかというテレビジャーナリストの依頼は、その教師から放射されているエネルギーは一般の視聴にはあまりにも強力すぎると思われるという理由で、地域のリーダーたちによって断られました。その教師と個人的に会ったとき、そのジャーナリストは、彼らが拒否する理由を理解し、その『人物』の眼差しと存在によって完全に圧倒されたように感じた、と告白しました。その後、私たち視聴者は、人々と交流する『教師』の後ろ姿を見る機会に恵まれました。私が覚えている限りでは、彼は背が高く、白衣をまとっていたようでした。
 私にはそれ以上の詳細を書き加えることはできませんし、もちろん今になって、制作会社の名前を書き留めておかなかったことを後悔しています。視聴者がとても限定されていたことにも気づいていませんでした。ニュージーランドの人々はその番組の内容にほとんど関心を寄せなかったのではないかと思います。番組を覚えている人を一人も見つけていないからです。私が個人的に関心を抱いたのは、若い時分にイングランド北部に住んでいた1960年代の初め頃、初期のアジア人移民に対する社会福祉事業を行ったことがあるからでした。この件について、どのような形でも話に尾ひれをつけたりしていないことは確かです。

D.E.ダービー
ニュージーランド、クライストチャーチ

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

『お知らせ用』ナンバープレート

 2023年3月11日の週末に、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるベンジャミン・クレーム美術館での仕事に出かけました。土曜日に親友を訪ねて、私たちは霊的な事柄や、世界と人類の状態についてたくさん話をしました。翌朝、美術館へと戻る高速道で車を運転していて、黒っぽい色の車が私の左側を走っているのに気づきました。その車が私を越して行った時、ナンバープレートに「イエス、Dデー(YES DDay)」* と書かれていたのです。私は車を寄せてどんな人が車に乗っているのか見ようとしましたが、ウィンドウが濃い着色ガラスだったので、内側は何も見えませんでした。
 ナンバープレートはカリフォルニア州のもので、白地に青い文字で書かれていました。非常に驚いたのは、プレートのあちこちにローズピンクの斑点が付いていたことです。「あのような男らしい車に、あのような『女らしい』ナンバープレートなんて」と思ったことを覚えています。
 私たちのグループのメンバーたちが、覚者方の作られたナンバープレートの体験を何度かしてきているのを思い出しました。この体験もそうしたものの一つだと思いました。標準的なカリフォルニア州のプレートは文字か数字の7字分のスペースが認可されていますが、このプレートは8文字分あって、ピンク色の斑点も大変に独特なものでした。
 そしてもちろん、美術館への道のりの間中うれしくて、そのことを思うと、今でもうれしい気持ちなのです。

オルガ・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス

* 私たちはこのことを、世界教師マイトレーヤが間もなくより公の存在となっていくことへの言及であると考える。大宣言の日(Dデー)とは、マイトレーヤの真の地位が世界規模で認知され、体験される日のことである。

次の2通は同じ人物からのものです。

魔法のような慰め

(1)2023年2月28日、私にはとてつもない出会いがありました。
私はトラムの座席に座っていて、背後と隣に若い男性が二人座っていました。モロッコ出身の人たちのように見えました。
 突然煙が見えたので、おかしなことだと思いました。公共の乗り物での喫煙は何年もの間、禁止されているからでした。私は背後の若者に「タバコを吸いますか?」と声をかけました。「いいえ、奥さん」と彼が返事をしました。「タバコは吸いません。指を使います」と言いました。
 彼は指を口の中に入れて、指を吸うと、大きな煙の輪を吐き出しました。
 「からかっているんでしょう。電子タバコか何かを持っているのね?」と私は言いました。彼は何も持っていない両手を見せて、もう一度指を吸いました。さらに大きな煙の雲が口から出てきました。
 もう一人の若い男性もまた、空の両手を見せて指を吸い、同じことをやりました。「私も同じことができますよ、奥さん」
 「どうやっているの?  魔法みたいね」と私は言いました。
 私は現在、困難な時期を過ごしています。息子が重病を患っているのですが、この若者たちは本当に私を大笑いさせてくれました。他の乗客たちは全く反応しませんでした。まるで私が、彼らを見ることのできる唯一の人間であるかのようでした。
 私がトラムを降りる時、彼らは私のために、とても幸せな一日になることを願ってくれました。

(2)再びの慰め

 数日前(3月19日の日曜日)、私はトラムの席で、60歳くらいの女性の隣に座っていました。彼女は白髪の長髪で、歯が2本だけでした。小さな赤い鳥を網の中に入れて両手で抱えていて、鳥の頭だけが網から出ていました。
 「それは本物の鳥ですか?」と私は尋ねました。「ええ、撫でてもいいですよ」と彼女が言ってくれたので、小さな鳥の頭を撫でてやりました。
 「飛んでいってしまうのが心配ではないですか?」と私が尋ねました。
 「飛んでいくけれど、いつでもまた戻ってくるのです」というのが彼女の返事でした。
 ちょうど一週間前に亡くなった私の息子クリスチャンのことを、すぐに連想しました。私は大いに慰められたと感じました。

ナンシー・デ・グラーフ
オランダ、アムステルダム

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

覚者はすぐそばに

 2023年1月22日の日曜日、私が午前中に瞑想をしていた時、突然チベット人の覚者の顔が現れ、次にナイロビに現れた時のキリストの顔が、それから水のボウルを抱えたイエスの顔が現れました。両目はまだ閉じたままで、私が思ったのは「彼はチベット人の覚者に見える」ということでした。それから再び顔が同じ順序で現れました。私は混乱しました。彼らは私にメッセージを与えたかったのでしょうか。それとも私を励ますためでしょうか。私には分かりません。
 私に言えることは、それらの幻影がまだ私の頭に残っているということです。
 数日後の水曜日、Zoomでの伝導瞑想があり、私は参加するためにコンピューターを立ち上げました。瞑想開始の少し前までビデオを見ていたのですが、午後7時57分に誰かがトントンと机を叩いて、瞑想の時間になったことを私に知らせてくれました。この知らせがなければ、参加し損なうところでした。

テレーズ・デリッセン
ベルギー、ジャンブ(ナミュール県)

マイトレーヤと手を取り合って

 私の父の人生最後の一週間になった、今年[2022年]の5月中頃、(父は94歳になったばかりで)母のヘールチェは定期的に父のベッド脇に座って、マイトレーヤの『手』のカードを膝の上に置き、それに片手を重ねていました。もう片方の手で父の手を握っていました。それが父を落ち着かせたようでした。
 現在、母は自宅で朝と夜にケア・サービスを受けています。数人のケア担当の方たちが、時折母の隣に座って母の手を握りました。その間、母は父といた時のように、もう片方の手をマイトレーヤの手のカードの上に置いていました。そして10分間、一緒に座っているのです。ケア担当の方たちが自分自身の身体を通して、エネルギーと温かさが流れるのを感じたと言っています。とりわけ必要な場所にエネルギーが流れたそうです。同じことが時々、母を訪ねてくる他の人々にも起きています。そうした人たちは、マイトレーヤの手のカードを使うことに対して心を開いています。

イェルケ・デ・フリース、ヘールチェ・デ・フリース・クリーク
オランダ、ベルゲン

『分かち合いが世界を救う』写真展

 シェア・インターナショナル誌2023年1月号の4通の手紙を読んで、とてもうれしく思いました。フランスのメンバーたちの『分かち合いが世界を救う』写真展の準備や、開催中の体験について書かれている手紙に、私は感謝を捧げたいと思います。
 2008年の初め頃、私はまさに同じ展示目的のために、シェア・インターナショナル誌の裏表紙を選ぶ作業を数週間にわたって行いました。しかしその作業は、そうした資料の使用を希望する教師や講師に向けての支援用セットを用意するためでもありました。あの手紙の筆者たちのように、写真や引用文に向かって作業をしても、エネルギーや何か不思議なものを見たりすることはありませんでした。けれどもその数週間の探求や絶え間ない考察によって、世界資源が貪欲によってではなく必要によって分かち合われることへの切実な必要性に対して、ますます敏感に反応するようになり、さらに非常に希望に満ちて、溢れる愛を感じるようになりました。そのような感情的な苦悩にもかかわらず、私は強くもなりました。こうしたことは、長時間にわたってそのような資料に取り組んだことによる蓄積された効果としか考えられません。
 もし若い人たちがそれら[雑誌の資料]との持続した探求的な関係へと導かれたなら、私がそうだったように彼らもまた感動を覚えて、どのような世界を、なぜ望むのかについて、より意識的に考えるようになることを期待しました。しかしそのようにはなりませんでした。私たちのグループは何とかいくつかの図書館や二、三の学校で展示を行いましたが、英国では、人々の頭の中にあったのは別の物事、とりわけ株式市場の崩壊か緊縮財政のどちらかのようでした。当時、不平等の影響は、現在のように生々しくも全般的でもありませんでした。当分の間、人々の認識を高めるという広報の仕事の側面は休止状態に入りました。
 最新号のあの手紙を読んで、はっきり言って手紙で報告された体験のメッセージは、私には明確なものです。時代は急速に変化しており、写真展示の『心を開かせる』力を人々はより一層受け入れるようになっていくでしょう。

ポーリン・ウェルチ
英国、ミルトン・キーンズ

正しい住所

 2022年7月の中頃、私たちは新しい場所で伝導瞑想を始めましたが、私がこれまで行ったことのない所でした。私が建物に到着した時、玄関で正しい部屋番号とブザーを見つけようとかかりきりになっていました。ちょうどその時、一人の若い男性が私に話しかけてきて、正しいドアベルを見つける手助けをしてくれました。彼から伝導瞑想に参加するために来たのかを尋ねられたのです。それから彼は、私が探している部屋は42号室で、そこにフィリス・クレームが住んでいて、瞑想グループが集まっていると教えてくれました。
 不思議なことに、フィリスは最近その地域の建物に引っ越したばかりで、そのアパートの建物で一人か二人の人にしか会っていなかったのです。彼が今教えてくれた情報について知っている人は、そこにはいませんでしたし、フィリスはそこでの伝導瞑想を始めたばかりでした。たまたまこの体験をフィリスと他の人たちに話した時、彼女は近所の人たちに瞑想について何も伝えていなかったので、非常に驚き、心底びっくりしていました。その時居合わせた他の人たちは、その気さくで情報通の男性が代弁者で、おそらくフィリスを元気づけるためにやって来て、ハイアラキーが彼女の新しい住所をよく知っていて、彼女を応援していることを伝えていると考えていました。彼女が気がかりだったのは、引っ越しでかつての『十分にエネルギーが満ちた』伝導瞑想ルームを離れて、もしかすると新しい場所での瞑想は同じように『機能』しないかもしれないことでした。
 このことは、私が長年にわたって実践し、多くの癒しをもたらしてくれたこの瞑想法への祝福だと思いました。

ミシェル・C
英国、ロンドン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

分離はない

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)7年前(手紙の日付は2010年12月)、私はロンドンのカムデンにあるフレッシュ&ワイルドスーパーマーケットで、少しぼんやりしながら買い物をしていました。買い物かごを持った男性が「苺に合うクリームを探しているんだ」と言ってきました。彼は身長168センチメートルくらいで、黒い縮れ毛が後光のように広がった髪型でした。素敵な黒い瞳につややかな赤褐色の肌をしていて、少しだけ南米出身の人のように見えました。左耳に大きなトルコ石のイヤリングをぶら下げて、首周りにスカーフを美しくゆるやかに巻いていました。

 私が返事をする間もないまま、彼は後ずさって「あなたは治療家?  とてもオープンな人ですね」と言いました。私は違うと答え、伝導瞑想をしていることを伝えました。すると彼は「ああ、知っていますよ。それはマイトレーヤですよね?  分離というようなものは存在しないと言っている人ですね」と言ったのです。そして彼は私の頬に優しく片手を添えました。私たちが別れた時のことは覚えていないのです。

 私があまりにも孤独感にさいなまれていたので、これは明確な私へのメッセージでした。この思いやりある男性はマイトレーヤだったのでしょうか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

元気を出して!

(2)2004年の冬の終わり頃、私はカムデンで高さのあるカウンターの椅子に座ってコーヒーを飲んでいました。一人の男性が私の隣に座り、自分の大きなカップのコーヒーを指差しながら、「ひどい二日酔いだから、これが必要なんだ」と言いました。言葉とは対照的に、彼は元気いっぱいで快活そのもののように見えました。彼は澄んだ青い瞳に色艶の良い顔で、明るい茶色の髪は薄くなっていました。私たちはしばらく親しくおしゃべりをして、似通ったものの見方を楽しく思っていました。

 それから彼が「私のワインセラーがほとんど空なので、すぐに仕事を見つけなければいけなくなると思う」と言いました。私がそれは難しくないのか尋ねました。彼は「まさか。私にはある種の『何とも言えない魅力』があるからね!」と言いました。私たちは声を出して笑いました。別れる時に私が「ありがとう。本当に元気が出ました」と伝えました。
 私はしばらくの間気分が落ち込んでいたので、この陽気で前向きな男性が、本当に私の気持ちを高揚させてくれたのです。彼は覚者方のお一人だったのでしょうか。

カーラ・キャンベル
英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

同じ体験に関連する4通の手紙

(1)『分かち合いが世界を救う』展示会(ヴィルブージ)

 パリから南東に100キロ足らずの場所に位置しているヴィルブージで、2022年9月18日、私はパルタージュ・アンテルナスィヨナル(仏語版シェア・インターナショナル誌)の裏表紙から作成した展示写真を掛ける仕事を担当していました。写真を保管用の箱から取り出していた時、手がヒリヒリと熱くなるような心地良いエネルギーが目に見えて、感じることもできたのです。それは圧力調理器で蓋を開けると、蒸気が出てくるときのような感じでした。写真からも同じように感じられました。壁に掛けていくのは大変でしたが、展示のために用意されたヨガ・ルームで写真を掛け続けていました。展示はそこで1カ月続けなければなりませんでした。写真に触れるたびに、白い光がひらめくのが見えて、泣けてきてしまいました。私が『ウェルネス・サロン』に戻ってから、私たちは入り口のひさしに2枚の写真を展示しました。
 昼食から戻ると、私たちの会場のエネルギーがすっかり変化したことに気づきました。そして写真に触れるたびに、そのエネルギーが見えて涙が流れました。けれども、こうしたことが続くことは全く予想外だったのです。後になっても、グループのメンバーと設営のことや、似たような物事を話すたびに、そのメンバーが誰であれ、話しかけては止められていたのは、私が泣き出し続けていたからでした。そうしたことが非常に頻繁に私に起こり、手紙を書いている現在に至るまで続いています。つまり、展示でマイトレーヤのエネルギーによる体験をしてから30日経ってもそうなのです。
 結果として私は他のメンバーたちに自分の体験について話をして、キーワードになる言葉が心の中で印象に残っていることも伝えました。私が表現しようとしている体験を言葉に置き換えるのは、私にとっては非常に難しいことでした。グループと接触するといつでも、『分かち合い』という言葉が頭から離れませんでした。
 こうした時間を別にすると、私の人生はごく普通なのです。分かち合いが私たちの『外的人生』においてだけでなく、グループの内的人生についてのものであると分かったことを、私は他の人々に繰り返し伝えました。そうした人生の二つの様相は分離していないのです。
 しばしばグループのメンバーたちの中に『休止期間』という感覚があるように思っていました。今こそ分かち合いをグループの中でも外でも、私たちの思考、言葉や行動において実践する時が来たことを伝えようとしました。私に個人的な問題があるにもかかわらず、より多くの展示会をやっていくべきだと考え続けていました。この考えがより強くなって、活動的なメンバーが11月に不在の時に、展示会を行うという提案をした夜もそうした思いでした。私には今やるべきだという感覚がありました。そのため私の気持ちを分かち合い続けて、グループの良識に訴えました。私たちは個人的な問題のためにマイトレーヤの手のエネルギーを求めるけれども、マイトレーヤによって祝福された展示会のエネルギーを喚起してはいないと伝えました。集団的な善のためのエネルギーであるにもかかわらず、私たちはそれを喚起していない、と。『分かち合い』という言葉はグループ内でも外でも、今の状況に非常にふさわしいのです。人々には分かち合う用意がない、適切な時ではないというような意見をしばしば耳にしてきましたが、この体験の後はそういった意見を受け流すことはしないつもりです。なぜなら今のように、まさにこの時だという時は、決してなかったと感じているからです。
 もちろん、分かち合いは常に今日的な意味のあるものですが、どうして今すぐなのかを私に尋ねないでください。答えることはできませんから。それでもあの体験以来私は知ったのです。月刊誌の裏表紙に基づいた『分かち合いが世界を救う』写真展の展示をすることによって、様々なエネルギーによる体験もあって、この伝達手段をもっと頻繁に使用することを、私たちは求められていると確信するようになりました。『分かち合いが世界を救う』という事実に対してハートをオープンにする目的を持って、分かち合いを私たち自身の中にももたらすことを目指すのです。
 私たちはパルタージュ・アンテルナスィヨナル誌のたくさんの読者なのです。

M.A.
フランス、パリ

(2)『分かち合いが世界を救う』エピソード2

 私たちはパリで2022年10月31日から11月7日の期間、仮店舗に展示して『分かち合いが世界を救う』という写真展を催しました。11月1日にその店舗で私が読書していると、すぐにでも眼科医に診てもらいに行くべきだと思いついたのは、だんだんと濃くなっていく白い霧が見えるようになったためでした。
 私が思ったのは、自分の視覚の問題が実際には、自分に見えているエネルギーなのだということでした。それは続いて起こったことによって明らかになりました。突然、頭の中で「マイトレーヤがおられる、ドアを通って来られる!」とはっきりと聞こえたのです。見上げると通行人がいましたが、マイトレーヤではありませんでした。そうではなく、はっきりとしたエーテル体の光の人影が、ドアを通り抜けていくのが見えていました(それは剣の祭りで踊っている姿の時のマイトレーヤのようでした)。突然、ハート・センターと頭頂に強力なエネルギーを感じました。
 寒くなってきても、〔来場者が展示会に入りやすいように〕店舗のドアをできるだけ大きく開けておくようにしていましたが、まるで鍵をかけたかのように閉じてしまいました。起こり得ないのですが、まるでドアの鍵が開けられたようなカチッという音が聞こえました。この体験の後は、寒くても毎日ドアを開け放していました。
 2022年9月18日に体験したシェア・インターナショナル写真展(1の手紙参照)の困難を思い出したくありませんが、そうしたことは起こりませんでした。けれども、私たちが設営をした次の日にエーテル体の人影がドアを通った時、私はハートに痛みを感じて、それはまるで貧富の増大する格差[によって引き起こされているか]のようでした。1分後に一人の来場者が入ってきて、写真を見ておらず、引用文も読んでいないうちに『ありがとう』と言ったのです。この『普通の』男性は何かを感じたに違いありませんでした。彼が入って来た時、彼は、なぜ自分が戻ってきたのか不思議に思っているように見えました。エネルギーが波のように押し寄せてきて、写真展の会場を流れていました。

M.A.
フランス、パリ

(3)啓発された分かち合い

 2022年11月1日の午後に、パリで開かれた写真展のイベントとして、分かち合いをテーマに講演をするため出かけました。準備をする時間がほとんどなかったので、私は少し不安でした。驚くべきことに、講演が進むにつれて、アイディアは自発的に明確な順序で沸き起こってきました。それはまるで話している間に、自分自身が思考しているのをはっきりと見つめているかのようでした。これほど準備のない状態でこれほどリラックスできたことは、これまでに一度もなかったのです。私は助けられて、マイトレーヤのエネルギーがもたらされたと確信しています。それを理解したのは、このイベントを計画したグループメンバーが、彼女の朝の体験について話してくれた時でした。『分かち合いが世界を救う』と題された写真展がエネルギーで活気づけられ、祝福されていることを私は確信しています。

フランソワーズ M.
フランス、パリ

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

クリスマスと新年の光

幸せな光景

 2009年12月31日の夕方、東の空に光り輝く星を見つけました。それが木星ではあり得ないと分かっていたのは、木星が数週間、南西を移動していたからでした。そのため、木星はその場所には見えなかったはずです。そのうえ、この星はもっと輝いていたのです。息子と私は外に出ました。息子は部分月食の写真を撮りたかったためで、私はその星を眺めたかったからでした。外に出ると、息子は月を見るために望遠鏡を立て始めました。私はその星が小さくなったか消えてしまったことに気づきました。最初に目撃したほど輝くものは何もありませんでした。
 その後、突然、騒音が聞こえてきました。ヘリコプターだと思い、二人で空を見上げました。騒音が止まり、大きなオレンジ色の光の球体が目に入りました。息子はそれをヘリコプターだと決めつけてしまって無視していましたが、いや違うと私は言いました。他に光は見当たらず、音もしませんでした。オレンジ色の光はゆっくりと建物の屋上を越える高さまで移動して、やがて見えなくなりました。それは宇宙船に違いないと確信していました。それからしばらくして、シェア・インターナショナル誌2010年1・2月号で、他の人たちがオレンジ色の光の球を目撃して、それがマイトレーヤの光船と確認されたという手紙をいくつか読みました。私は今、その夜、私たちも彼の船を目撃したのだろうかと思っています。

アンジェラ・ゲルストン
英国、ランカスター

【ベンジャミン・クレームの師は、その物体が実際にマイトレーヤの光船であったことを確認した】

正しい星

私たちは『星』を見ることを心待ちにしてきて、度々目撃しています。カラフルな赤と青に点滅する星を、西オーストラリアのパース市の北の空の、ごく低い位置でしばしば目撃します。これはカペラかもしれない、と私は思っています。他にも二つの光り輝く星が、晴れた(雲のない)暗い空から突然現れたのを私たちは目撃したことがあります。それらは同時に連携して移動して、その数秒後に突然消えてしまいました。西の空の木星は素晴らしいものでしたが、今は見えなくなりました。
 南半球ではどこを見るべきでしょうか。あるいは私たちはすでに目撃したのでしょうか。

キャサリン・ガートン
オーストラリア、西オーストラリア州パース

【ベンジャミン・クレームの師は、赤と青に点滅する星がマイトレーヤの『星』であったことを確認した】

新年を迎える輝く光

 新年(2010年)が明けてすぐ、真夜中からほんの数分後に、友人たちと私はロンドン西部の南イーリングの空に、非常に明るいオレンジ色の光の行進を目撃しました。初めのうちは風船だと思いましたが、後になってそれらがすごいスピードで、音もなく移動しているのが分かりました。その光は私たちのすぐ近くに見えていても、実際には遠く離れているのだと私たちは結論づけました。それらが20分間ほども空に現れ続けていたので、私たちは大変驚きました。その光はとてもたくさんあって、おそらく20個か30個か、数え切れませんでした。同じような光の行進がリンカン上空で数カ月前に録画されていました。その映像は「リンカン上空の輝くオレンジ色の光のUFO」というタイトルのユーチューブで見ることができます。とりわけクリスマスと新年辺りでの、同じような体験を伝える何千件ものコメントがあるのです。
 その後、午後3時頃、台所の窓の外に完璧な十字架の形をした明るく輝く光のパターンを見ました。私はそれをボーイフレンドに教えて、その前の体験のことも合わせて、それがもう一つのマイトレーヤの徴かもしれないと伝えました。その日遅く、私たちがガナーズベリー・パークに出かけると、私たちの方へやって来るかのような、空中の明るい光を再び目撃しました。私は大変興奮して、今度はできれば携帯電話で写真が撮りたいと思いました。それはさらに光り輝いて、より大きくなり、その後方向を変えると空に消えてしまいました。

クリスティアーニ・マツナガ
英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その輝く光がマイトレーヤの光船であったことを確認した。十字架はマイトレーヤの光船によって現された】