カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

暗雲を払って

 この数日間(手紙は2010年11月に書かれた)、数年前に起きたある体験のことを思い出したり、記憶を辿ったりしていました。正確な日付は覚えていないのですが、ある冬の日にシチリアのトッレと呼ばれる場所で、浜辺の岩の上に座っていた時に起きたことでした。
 その当時は、ハイアラキーの存在や、すべての存在が一つであること、私たちの種族の進化のための聖なる大計画が存在することについて私が受け入れてから比較的日が浅く、したがってまだ不安定な認識でした。私は長年、無益と思われる過去との葛藤を抱えていて、そこから自分自身を解放しようとしてもがき、方法も見つかりませんでした。まるで過去の行動の結果から決して自由にはなれず、現在の目的や平安を達成することも、ましてや愛とは何か、何を意味するのかを理解することもできないように思われました。
 私がそこに座って海と空を眺めていた時、私の心の内で優しく元気づけてくれる声が聞こえたように思えました。過去はもはやそれほど現実的なものではなく、その影響は、私の頭上の晴れた空にある小さな黒雲の破片のように、徐々に無くなっていくだろう、とその声は言ったのです。私は意識的なトランス状態になったようでした。しっかり目覚めていながら、意識が薄れていて、それでも同時に心の内に起こっていることに注意を向けていました。
 私の注意は頭上の小さな黒雲に向けられました。それをじっと見ていると、それは小さくなっていき、その後、目の前で消えてしまいました。私はまばたきして、自分の想像だと思いました。それで目線を別の雲に移すと、それもまた目に見えて消えていき、その場所には青空以外に残っていませんでした。だんだんと目線を雲から雲へと移動していくと、それぞれの黒い雲が崩れていき、そして消えていって、空全体が一点の曇りもなく晴れ渡るまで続きました。
 その体験の後、私は安心感を覚え、畏敬や感謝、希望といったようないくつもの他の感情を感じていました。そして『予言された』とおり、過去にとらわれて憂鬱になることも徐々に無くなりました。時がたつにつれて、ついには、私にとってふさわしい心の持ち方を見つけたのです。
 ある意味では、その体験がどこから来たのかは問題ではないと分かっていますが、私が手紙を書いたのは、このような体験を分かち合い、声を与えることが必要だと思ったからです。助けやこれまで述べてきたような慰めを受けることは、私たちの共通の言葉や意識の一部になり得るものであり、この世界の外に存在しているのではなく、私たちすべてが属している、より偉大な存在の一部であると認識するようになるということです。それでも、さげすまれることを怖れて、否定する人たちもいることでしょう。私は時勢が変わりつつあることを知っています。少なからず、シェア・インターナショナル誌のような月刊誌に助けられています。

ジル・ブラウン
シチリア、カターニア

【ベンジャミン・クレームの師は、この体験がイエス覚者によるものであったことを確認した】

笑顔の効能

 地元のスーパーマーケットの青果コーナーで買い物をしていて、マッシュルームを選んでいた時、ぽっちゃりとした年配の男性が私の背後ににじり寄ってきました。彼は私の肩へもたれかかってきて、非常にはっきりと「俺のおっ母さんは、ノミを一匹見つけた。それからそいつをティーポットに入れて、ポット一杯のお茶にした」と言ったのです。私は笑って「それは大変お利口さんでしたね!」と言いました。
 振り返ってその男性を見ると、彼はケバケバしい青のシャツを着て、赤い髪を変なバーコードヘアにとかしつけていました。私は彼の外見にクスクスと笑ってしまい、そうしている間に彼はどこへともなく消えてしまったようでした。
 その日はとても身体が弱っていると感じていたのですが、その突飛な人物に会ってから幸せな気持ちで買い物を終えることができました。もしかして彼の詩にメッセージがあったのだろうかと思っています。
 この男性が地元のコメディアンだったのか、とりわけ特別な方だったのか、どうか教えていただけますか。

ダヴィナ・ダービー
ニュージーランド、クライストチャーチ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

素晴らしい会話術の人

 2、3年前(手紙は2010年10月に書かれた)、私は健康食品店の前に駐車し、入り口の木の下に腰を下ろしている男性に気づきました。彼から少しのお金を求められました。私は「いいですよ」と言って、彼に10ドル札を渡しました。それから会話が始まり、彼がテキサス州に車で帰るためのお金が必要だと言いました。私は彼にテキサス州にある場所について質問し始め、米国の大統領選に出馬したがっている、物議を醸すテキサス人についても尋ねてみました。
 彼は私が持ち出したあらゆる話題について知的に話をしました。私が店に入ろうとすると、彼は立ち上がって、握手してきました。その時、彼が自分の人生について何も語らなかったことに気づきました。それで私は彼に「何をしているのですか?」と尋ねました。彼は「人々を鼓舞しています」と答えました。
 私は店に入ってから、彼がさらにお金を必要としているかを尋ねようと思っていましたが、外を見てみると、彼はいなくなっていました。それ以来、しばしばこの不思議な出会いについて考え、それがマイトレーヤであったかもしれないと思っていたのです。そうでしたか。

ブランチ・バリモア
米国、オクラホマ州オクラホマ・シティ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

無言のやりとり

 2008年5月に、私はイタリアのベニスへ数日間出かけました。最初の夜には、サン・マルコ広場を訪れました。午後9時頃でした。広場に近づいていくと、紳士が一人ベンチに座っているのが目に留まりました。彼は濃い色の野球帽を被り、青い瞳をしていて、170センチくらいの身長で50代後半の人でした。彼は携帯電話で話をしていて、イタリア語だと思ったのは、彼が「プロント(もしもし)」と言ったのがはっきりと聞こえたからでした。
 少しの間サン・マルコ寺院の前で立ち止まってから、彼の近くのベンチに腰を下ろしました。私は目を閉じて静かに黙想していました。彼が見つめているのが感じられたので、しばらくして目を開けて、彼を見ようと顔を向けました。彼は私を見つめているように思いましたが、ちょうど私の頭の上を見ていたのでした。私は彼がいることで大変に心地よく、私たちの間に無言のコミュニケーションがあるように感じて、まるで彼が私を理解してくれたかのように思っていました。
 さらにしばらくして、私は彼に向かって微笑み、向き直って目を閉じると、まだ彼の存在が感じられました。もうしばらく座ってから、私は立ち上がりホテルの方へ歩き始めました。彼が私に気づいて、「アデュー(さようなら)」と言ってくれました。私は微笑んで、歩いて行く前に彼の方へそっと頭を下げました。
 それ以前に彼がイタリア語を話すのを聞いていましたので、フランス語でさようならを言われたことには困惑しました。私は自分の国籍が英国であることも示していませんでした。その当時は私に分かっていなかったのですが、翌月に数日間フランスのパリを訪れることになっていたのです。その後、『ア、デュー』は「神へ」と解釈できると友人が教えてくれました。
 私はこの体験を大変心強く受け止めました。これは覚者のお一人でしたでしょうか。

ピーター・レヴィ
英国、ストーク・オン・トレント

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

違う姿で

 拝啓 クレーム殿
 私はウィーンを拠点とする伝導瞑想グループのメンバーです。私たちはマイトレーヤについての定期的な情報提供も行っています。2008年6月18日に、私たちはそうしたイベントを計画し、それはいつものように一般の人たちに開かれたものでした。メンバー4人が最後の準備に取り組んでいた時、お年を召した一人の女性が、講演が始まる予定より約1時間前に部屋に入ってきました。彼女は受付までやって来ると、そこはマイトレーヤについてのクレーム氏の本でいっぱいだったのですが、こうしたテーマすべてをよく知っていると彼女が力説しました。その女性と数人のメンバーが少しの間会話を交わしました。
 その後より親密なやり取りをして、彼女と話すうちに私たち全員が、注目に値するような個人的なヒントを与えられていたと感じていたのです。彼女はクレーム氏の本にも興味を示し、1冊を選んで私たちに近くで見てみるように言ってきました。それから彼女は周囲を見回して、座るのに良い場所を見つけました。そしてかなり強調した口調で「もっと光が必要よ!」と言いました。私たちが明かりを点けることを提案すると、彼女は少しにっこりとしましたが、それを断りました。さらにしばらく私たちと一緒にいた後、彼女はお別れを言って部屋を出る前に、ドアの所で振り返って「戻ってきます」と言いました。
 彼女はその情報イベントには帰ってきませんでしたが、イベントの終わりに、目立つ風貌の若い男性が部屋に入ってきました。彼は非常にフレンドリーで、伝導瞑想に強い関心を見せていました。彼もまた、ずっと残り続けるような印象を私たちに与えました。
 この二つの出来事についてもっと教えていただけますか。

エーディト・ハーバーハウアー
オーストリア、ビーダーマンスドルフ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』と『若い男性』の両方がマイトレーヤであったことを確認した】

真摯に祈る人

 拝啓 クレーム殿
 姉と私は2009年6月にルルドを訪れて、そこで三晩過ごしました。38年間、魂の伴侶であった姉の夫が2009年1月に亡くなっていました。その別れによって、姉はひどく打ちのめされていました。
 私たちは数回、ロンドンでのクレーム氏の瞑想会に行ったことがあります。クレーム氏と共にできない時には、知り合いのキリスト教徒や友人たちと一緒に家に集まり、オーバーシャドウを受けるためにクレーム氏と主マイトレーヤに『つながろう』としました。
 過去には、ローマで母と子であったマイトレーヤとイエス覚者に私たちがお会いしたことや、スペイン階段の下でベンチに座っていた若い男性としてのイエス覚者のことを、師である覚者に確認していただきました。ルルドで私たちはもう一度イエスか、マイトレーヤに出会うかもしれないと感じていました。滞在二日目に、ある店から出てみると、私たちの目の前の歩道に非常に年老いた女性がいて、顔をうつむかせてロザリオを持ち、祈るように両手を合わせていました。私は頭から足までヒリヒリするような感覚があり、そのせいで目に涙が浮かんできました。私たちがお金を渡した時に、私がその女性の肩に触れると、その女性は顔を上げて美しい微笑みを見せてくれました。彼女は別の言語で私たちにお礼を言って、私たちが立ち去ると元の姿勢に戻っていました。
 翌日は私の70歳の誕生日で、私は一人で地元の店に出かけました。商店とホテルの向かい側に大きな教会があり、またあの女性が教会前の歩道にいたのです。私は姉に伝えに行きましたが、一緒に出かけた時には彼女はいなくなっていました。私たちは大変がっかりしました。もう一度お金を渡して、『ありがとう』と言いたかったのです。
 その日遅くにバスツアーから戻り、教会の向かいの店から出ると、あの女性が再び歩道にいました。私たちが話しかけると、再び彼女は顔を上げて美しい微笑みを浮かべました。素敵な茶色の瞳が、途方もない優しさで私たちの姿をとらえていて、彼女はやはり別の言語で話し続けていましたが、何度か『マリア』と口にして、ハートに手を置いていました。
 私たちはこれがイエスかマイトレーヤかもしれないと感じ、彼らがルルドに来て、その場に『平穏さ』をもたらしていると思ったのでした。というのも、その当時はそれほど敬虔な感じがせず、騒々しいように思えたからでした。姉は初めての訪問だったので、すっかりあきれてしまっていました。この女性との出会いの後は、雰囲気が静かになったようでした。
 クレーム氏と師である覚者に、この手紙に貴重な時間を割いてくださって大いに感謝しています。

ローズマリー・エデン
英国、バーミンガム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

移動する光

 それは2009年12月8日の午前1時30分頃のことでした。私がベッドに入ると、柔らかな白い光が壁の上をゆっくりと移動するのが見えました。その光は海の中の発光性の生き物のように優しく輝いていました。数日前に同じ光を見た時には、外からカーテンを通して車のヘッドライトか何かが入ってきたに違いないと思っていました。けれども、この時には光が楕円から十字へと形を変えていき、その後、移動しながら十字から楕円へと変化したのです。それから光がちょうど、数カ月前に亡くなった私の飼い猫の写真の所へ来ると、写真の上で輝く小さな光の十字・ヒになりました。それはあまりにまぶしかったので、猫の姿がはっきり見えたほどでした。その後、光は消えてしまいました。
 それは何だったのか教えていただけますか。

匿名希望

【ベンジャミン・クレームの師は、その光がイエス覚者によって創られたことを確認した】

微笑み続ける理由

 2008年9月に、私は歯医者に行って、自宅へ戻るところでした。中央公園内を歩いていくと市立図書館がありました。公園の真ん中に噴水があり、訪れた人々が休憩し、その場所の美しさを楽しむためのたくさんのベンチがありました。私は歯医者に行った後、いくつか買い物も済ませていたので、足が痛くなっていました。
 そのベンチにはしばしばホームレスの人たちが腰掛けていました。その時には2、3人の男性を見かけました。その人たちの所を通り過ぎた時、私はどういうわけか立ち止まり、振り返ったのです。彼らのうちの一人は非常に大柄な男性で、周りにたくさんのバッグがあり、帽子を自分の前に置いていました。私は戻って、財布から少しお金を取り出し、彼の帽子に入れました。彼からの力強いエネルギーの衝撃を受けました。最初、私は混乱しましたが、その後、気分が良くなりました。あまりにも気分が良くなったため、その後の数日間は文字通り笑みが絶えませんでした。幸福感が一週間続きました。この『大柄な』男性をそれ以来二度見かけています。

アンネリ・カウハネン
スウェーデン、クリッパン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

いつもそこに

 私は興味深い体験をしました。自転車に乗ったひげの男性が、交差点の赤信号で止まっていた私の車の前にいました。私たちはウィスコンシン州マディソンの、交通量の多い道路の左折車線にいました。彼がいると、前方の行き交う車が小さく見えて、彼が際立ってたくましい自転車乗りだということがよく分かりました。私は左折してそのまま進み、彼を通り過ぎました。私は自転車に乗るのが好きでしたが、心の中では、このような交通量の多い急な坂道で自転車に乗っているのが、自分でなくて良かったと思っていました。
 さらに進んだ先で、私はスターバックスのドライブスルーに寄って飲み物を買いました。また車の多い道路に戻った時、彼を見かけたのが二度目でした。私はそのまま運転し、何度か右折と左折を繰り返し、ウィスコンシン州フィッチバーグで私が気に入っている公園を走り抜けました。公園を抜けたところで、あの同じ自転車乗りがペダルをこいでいたのです。
 私は自宅まで、約16キロメートル先のマクファーランドへと向かいました。家に着いて、母親の猫のために獣医の電話予約を入れました。猫を受け取り獣医に連れていくために、ストートンへ向かって自宅からさらに16キロメートルほど運転しました。ストートンを通って獣医院に行くまでに、またも同じ自転車乗りがいたのです!  その時には、彼と私はお互いを見つめて笑い合いました。
 同じ自転車乗りを11時間半の間に四度も、三つの異なった地域で目撃したのです。これは偶然だったのか、それともマイトレーヤかイエス覚者が自転車に乗るのを楽しんでおられたのですか。

スー・ブルイレット
米国、ウィスコンシン州

【ベンジャミン・クレームの師は、その『自転車乗り』がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

短い滞在

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)2008年4月5日に、私たちのグループはベンジャミン・クレーム氏のDVD講演会と、それに続く質疑応答のパネルディスカッションを開催しました。ドアを開けたままにしていた時、背の高い黒人で黒いシャツに黒いパンツ姿の男性が、やって来た第一弾の来場者の一人でした。彼はデズモンド・ツツ氏と似ていました。グループの誰もが彼に気づいていました。
 彼は観客席に入っていき、一人で腰を下ろしました。その後、すでに着席していた二人の女性に、知り合いであるかのように手を振りました。彼は席を移動して、その人たちと数分間おしゃべりをしに行きました。出現季報を渡されると、それを読んでいました。鉛筆と質問用紙は彼から断られて、長くはいられないのでと言われました。実際に、開始の5分前には、立ち上がって出ていきました。外のホールで、メンバーの一人が数分間彼と話をしました。その紳士は経営管理学の修士学位のために勉強していると言いました。それから、「今から私は仕事に行かなければなりませんが、戻ってくるつもりです」と言いました。彼が歩いて去っていく時、もう一人のメンバーが彼を見て、「この人はマイトレーヤだ」と思ったのです。彼はそのメンバーを見て、微笑みました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

召集か選抜か

(2)同じイベントの講演後、小柄な黒人の女性が展示テーブルにやって来ました。彼女は肩の長さの髪に黒いスーツを着ていました。名前はレノーアでした。
 彼女からこう尋ねられました。「私は少し仕事があってここに来て、あなたたちのチラシを見たのです。この発表会に来る必要があると思いました。それで質問があります。……イエスは双魚宮時代の世界教師でしたか? 人はどうやって覚者になりますか?   あなたたちは召集されたのか、それとも選ばれたのですか?」
 私が意識の進化について話すと、「あなたは輪廻転生というヒンズー教の概念について話していますね。私は三位一体やニカイア信条についての教義と共に、メソジストとして育ちました」と彼女は言いました。イエス覚者はキリスト教会と働くことになると伝えると、彼女はとても喜んで、「イエスは世界におられるの?」と言いました。イエスはマイトレーヤと緊密に働いておられることを伝えました。
 その訪問者はさらに、汚染や地球温暖化に関連した世界への懸念について話をしました。その後、「さて、読むための資料もすべていただきました。これからここに来た目的のことをするために戻らなくてはなりません」と彼女は言いました。来てくれたことについてお礼を述べると、彼女はスーツケースを引っ張りながら歩いて去っていきました。この人は特別な訪問者でしたか。

アン・マリー・ドハティ
米国、ジョージア州マリエッタ

【ベンジャミン・クレームの師は、『レノーア』がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

癒しの愛

 2021年11月の終わり、夜遅く私の寝室で二つの特別な体験をしました。
 私は最近、10月26日に、アムステルダム東部の45平方メートルのアパートから、タインドルプ・ニーウェンダム(アムステルダム北部)の、周囲を庭と草木に囲まれた29平方メートルの角家に引っ越しました。そこを愛情と冗談を込めて私の『タイニーハウス(小さな家)』と呼んでいますが、近頃の最新流行でもあり、私はこの家でとても幸せを感じています。本当の『アクエリアス』の場所なのです。すでにここで伝導瞑想を行い、新しい時代の祈りと統一のマントラムを毎日唱えています。それからマイトレーヤの教えをできる限り日常生活に適用しようと努力し、勉強方法として、シェア・インターナショナル誌オランダ語版の既刊分をたくさん読んでいます。
 体験1:11月29日から30日にかけての夜に、『誰か』が私のベッドの右側にそっと腰を下ろしたのが分かりました。『誰か』は溢れるほどの豊かな愛を放射していました。私は「大丈夫、リラックスして、起こることそのままにまかせよう。この人は明らかに良い意図をもって来ているから」と思っていました。それから私の肩甲骨の間に手が置かれたのをはっきりと感じ、首のところが何か変化したのも感じられました。両肩がひどく引きつってしまうのでしばしば目が覚めてしまうのです。どうやって快適に横たわったらよいかもう分かりませんでした。私の頸椎に『経年劣化』があって、首をひねると砂利道の小石のような音が聞こえるのです。ひどく痛むので、時々動きも制限されてしまいます。突然、両肩に温かさを感じ、何かがひび割れている音が聞こえて、少し刺すような痛みが起きましたが、その後私は再び眠りに落ちました。翌朝目が覚めると、幸福で気力も充実していました。
 体験2:これは11月30日の夜に感じ始めたエネルギーについてです。新しい時代の祈りと統一のマントラムを唱え終えて、その日の感謝を捧げ、明かりを消すと、空が北極光(オーロラ)のように見えて、青味がかった色になっていました。ベッドの足元側の右隅に垂直の光の柱のような閃光が見えました。それだけでなく、星のような青と白の光の小さな点もあり、それらは消えたり回転したりしていました。そして私の右耳に「さあ眠りなさい、コリンダ」という声が非常にはっきりと聞こえたのです。大変に申し訳なかったのですが、どうしてもトイレに行く必要があることと、行っても大丈夫であってほしいということを声に出して伝えなくてはなりませんでした。実際、大丈夫でした。いったんベッドに戻ると、右側に霊妙な人物がいるのに気づき、この人物もたくさんの愛を放射していました。『誰か』が私の寝室にいることが、全く不思議ではなかったのです。それで私はその『存在』に感謝して、身体を右側に向けました。その後、肩甲骨の間に温かさが再び入るのを感じました。白っぽい黄色の燦然と輝く光も頭の中に入ってきて、目もくらむほどでした。それから私は眠りに落ちて、朝目覚めると再び幸福で、この手紙を送ろうと決めたのです。

コリンダ・デ・ヘール
オランダ、ニーウェンダム

オープンハートな団結

2021年11月の初め頃、シアトル郊外の住宅地での二日間の大規模エキスポで、再臨の情報を展示しました。コロナのパンデミックが始まって以来、対面での広報の最初の再開となりました。
 近年では、このようなイベントは一人で運営してきました。長年のグループメンバーが仕事の関係で一時的にたまたまシアトルにいて、私を手伝うことに同意してくれています。それは最高に励みになることです。助けがあると知ることで、自分の能力を過大評価しがちになりました。イベントを行うことに加えて、二つの講演を行うことに決めてしまったのです。さらに努力を『磁力化』することを願って、郊外の様々な住宅地で広報用のポスターの配布を思い切って行いました。イベントが近づいてくる頃には、私はすっかり疲れ果てていました。以前のイベントと比較すると、週末を通して、より多くの人々が立ち寄り、会話のためにとどまっているように思いました。ある女性は「これにはすごく覚えがある気がします。どうしてか分からないけど」と言っていました。
 二日目の朝、私はあまり眠れず、服装を決めるのはなかなか難しいことでした。私の色合いが暗かったので、見た目を明るくするためにジュエリーが必要だと分かりました。私の頭をよぎったのは、「和合を表現するために、輪がつながったネックレスを付けよう」という考えでした。
 その日の午後遅くに、一人の女性がブースにやって来ました。私たちが驚いたことに、彼女はとても大きな黒いマスクを着けていて、そのマスクは様々な色のライトをピカピカ光らせていたのです! これまでそのようなものを着けている人を見たことがなく、ソーシャルメディアでも見たことはありませんでした。マスクの中央に奇妙な形が付いていて、はっきりとは分からないのですが、それは奥歯のように見えました(私はインプラントと歯根管処置を今年終えていました)。その女性は大変に朗らかでした。瞑想に興味を示していて、ある日どのように自分の「ハートをオープンに」したかを語り、できる限り学びたいと言っていました。
 私たちには共通点がいくつかありました。彼女は米国でフィリピン人移民のもとに生まれ、父親は高齢でした。その前に、私はグループメンバーと自分の父親について話し、彼女には父親が1910年生まれだと伝えていました。ずいぶん昔のことだと思っていました。ところがこの女性は、父親は1908年に生まれたと言ったのです。私がびっくりしたのは、彼女は26歳以上にはとても見えなかったからです!  彼女の名前はイマキュレイトでした。必ず伝導瞑想の冊子を読んで、オンライン瞑想にも参加申し込みをすると断言してくれました。
 イマキュレイトはとても元気な人で、私たちは長い間会えなくなっていた友人同士のように心が触れ合っていました。彼女は帰る前に、彼女自身の首を指差して「あなたのネックレスを見た時に、あなたと話をするのは大切なことだと分かったのよ!」と言ったのです。

シエリート・パスクアル
米国、シアトル

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

ただ与えること

 2000年の夏に、私は約2週間ロンドンに滞在しました。私は学生で、初めて一人での海外でした。あまりにたくさんのホームレスの人々を見かけたことに、ショックを受けていました。以前にも他の場所でホームレスを見たことはありましたが、その時にはどういうわけか気が滅入ってしまい、ダウンタウンへ行って、お客で混み合ったファストフード店の隣に座り込んでいる人たちを見た時には、特にひどい気持ちになりました。私は混乱していました。
 ある日、ダウンタウン近くの通りを歩いていた時、二人の少女が走り寄ってきて、彼女たちの母親が病気なので、母親のために食べ物を買う必要があると言いながらお金を求めてきました。この小さな子供たちが困窮しているのか、あるいはホームレスなのだろうかと思っていました。私がそのうちの一人にお金を渡しましたが、もっと必要だと言われました。もう一人にお金を渡すと、また同じことを言われました。私が渡すと、彼女たちの「もっとちょうだい!」が繰り返されて、近くの店から店主が出てきて二人を怒鳴るまで、私は逃げ出せなくなっていました。二人は逃げていき、私は何が起こったのか分かっていませんでした。私はすでにたくさんのお金を渡していましたが、彼女たちが何者なのか、私はどうすべきだったのか分かりませんでした。私はさらに混乱してしまいました。
 同じ日の後になって、歩いていた時にスーツを着た男性に出会い、話しかけられました。その男性は背が高く、体格の良い黒人でした。ビジネスマンに見えました。彼はグループの仲間たちと金曜日に集まって、ホームレスの人たちに食べ物を提供していると話してくれて、寄付を頼まれました。あの少女たちが頭に浮かんできて、少しの間ためらっていました。私は彼にほんの少しのお金でも大丈夫かどうか尋ねました。彼に1ポンドくらいを渡すと、彼は微笑んでお礼を言ってくれました。彼の微笑みで気持ちが良くなりました。
 再び歩き始めると、彼から呼び止められました。彼は微笑みながら私にヨガについての小さな本を渡してくれたのです。私は彼にお礼を言いました。私に本をくれたことで持ち出しになってしまっていると思い至って、後になって奇妙な感じがして申し訳なく思っていました。けれども私は彼に会ってからのほうが幸せでした。彼は特別な方だったのか、それともただのボランティアだったのですか。これらの体験が意味するのは、渡すお金よりも時には動機がより大切だということですか。

匿名希望

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

ぴったりのところに

 2008年5月31日の早朝に、私は美容室の予約があって、村へと車で向かっていました。あまり眠れていなかったので、車を駐車していた時、街灯にぶつけてしまいました。これが起きる直前、歩道に一人の紳士が立っているのが見えました。彼は薄いベージュのスーツとネクタイで、メガネをかけていました。
 車が止まった後、バンパーの部品のいくつかが落ちていました。その紳士がそれを拾って、元の場所に戻してくれました。彼は私を慰めてくれて、「新しい車なのに残念でしたね」と言ってくれました。

ヴィルヘルミナ・ヴィラルト
オランダ、エーペ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

判断の問題

 2007年9月26日に、私はアムステルダムでのベンジャミン・クレーム氏の講演に参加しました。オーバーシャドウによる感動を覚える体験によって、非常に感銘を受けました。何という愛だったでしょう!  紛れもなく本当の祝福でした!
 講演の1週間後、以下のことが起こりました。ドアを開けたままにして玄関で作業していた時、外にいた二人の女性の大きな声にびっくりしました。その二人はとても一般的な話をしていて、そのことで私は一つの見切りをつけてしまいました。それは「その女性たちに何も間違っていることはない、二人は全く大丈夫で、誰でも、すべての人たちは完全に十分な存在だ」という思考によって修正されました。私の感じ方が変化したのです。
 それから二人がゆっくりと玄関を過ぎて歩いていくのを見ていました。70代の年配の女性たちで、きれいな服装をしていて、手に手を取って歩いていました。一人はかなり大柄で驚くほどカラフルな服を着ていて、もう一人は小柄で全体に灰色がかって見えました。私の家の玄関の前で立ち止まり、お互いに大声で話しかけて、おしゃべりに夢中でした。その後二人は歩き続けながら、実際には何でもないことについて熱心に話し続けていたのです。それは私の印象で、この時には判断を下してはいませんでした。
 数メートル歩くと、二人はまた立ち止まりました。つまり、極めて重要なのは二人の会話ということなのです。背の高い女性は大声で持論を述べると、もう一人がそれを肯定するというふうでした。おかしくて愛すべき女性たちでした! 二人は歩いていきました。少し雨が降っていて、背の高い女性がとても小さな傘を持っていて、それがまた驚くほどカラフルなボールがプリントされているもので、実際に使うにはあまりにも小さいものでした。それから忙しく話しながら、二人はゆっくりと通りを渡っていきました。私は自分の仕事を続けました。
 またすぐに二人の声が聞こえてきました。その時二人は道路の反対側から戻ってきていて、その間中、話をしていました。一方で、私は家の前にあるバンの中ですることがありました。バンの中で立っていると、またそこに二人がいたのです!  私のすぐ前を歩きながら、完全に会話に没頭していました。
 こうしたことを観察していた間中、奇妙な感覚がありました。講演でクレーム氏は、覚者方がファミリアとして現れる時には、しばしば何か奇妙なところがあると言っていました。また目撃している人物の何らかの特徴を、優しく指摘することもあるということでした。あの女性たちについてはどうなのでしょうか。二人は人目を引く以上の存在なのでしょうか。
 この出来事の前の晩に、また別のことが起こりました。妻と私が車に乗っていて、恥ずかしながら自分たちの会話にかなり熱中していました。相当のスピードを出して運転していた時、前方の信号が黄色から赤へと変わりました。反応が遅れながらも、今にも道路を渡ろうとしていた歩行者が見えていました。強くブレーキを踏むと、その歩行者の女性のほんの90センチかそこら手前で止まりました。信じられないほどの短時間で停止できたことと、ブレーキを踏む動作の滑らかさが普段と違っていたことに私は驚いていました。私たちは助けられましたか。

コース・ヤンソン
オランダ、ザイスト

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『背の高い女性』がマイトレーヤで、もう一人がイエス覚者であったことを確認した。(2)マイトレーヤが車を止める手助けをされた】

熱心な訪問者

 私たち『ダブリン・グループ』のメンバーは、2008年3月のダブリンでのマインド・ボディ・スピリットフェアに出店しました。三日目の終わりに、帰宅するため荷物をまとめていました。ほとんど興味を持ってもらえませんでしたが、もしマイトレーヤが現れたらすばらしいのではないかと思っていました。その時、20代後半か30代前半の女性が現れました。彼女は笑みを浮かべた丸い顔をしていました。茶色の髪を後ろで束ねてほっそりとした三つ編みにしていて、淡いブルーのジャケットと無地のシルクのやや長めのスカートという格好でした。
 彼女が「マイトレーヤはどこにいますか?」と言いました。私は「ロンドンです」と答えました。彼女が「彼に会ったことはありますか?」と聞いてきました。私がいいえと答えると、彼女が帰ろうとしたので、私から「彼に会ったことはありますか?」と尋ねました。クスクスと笑いながら、彼女は「分かりません」と言って、素早く立ち去りました。この人は覚者でしたか。
 眠りに就く前に、アンと私は伝導瞑想をした時に感じる同じエネルギーを、それぞれ体験しましたが、私たちは大祈願を唱えていませんでした。これはなぜでしょうか。

ノラ・ハート
アイルランド、ダブリン県ブラックロック

【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がマイトレーヤご自身であったこと、体験したエネルギーがマイトレーヤからの祝福であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

美しい挨拶

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)1977年の夏に、私はイタリアのサン・ダミアーノ教会まで巡礼の旅をしていました。2台の長距離バスに日本人がたくさん乗車していました。教会へと歩いて向かっていた時には私一人だけで、20メートル離れた場所に立っていた一人の日本人女性以外に、周囲に誰もいませんでした。その女性は背が高くなく、顔が完璧な卵形で、黒髪に栗色の瞳をしていて、白と赤と金色の日本の着物を着ていました。彼女は私に微笑みかけてきて、深く三度もお辞儀をしたのです。私はびっくりして、彼女が笑いかけているのが私なのかどうか確かめるために、後ろを振・阨ヤりました。実際のところ、彼女と一緒にいたのは私だけでした。向き直ると、その美しい女性は去っていました。
 あなたの師は彼女が誰だったのか教えてくださいますか。彼女からのメッセージは何でしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した。メッセージはなかった】

違っても同じ

(2)4年前のイースターの日に、膵炎による17日間の昏睡状態と一度の臨死体験の後、病室の壁に目をやると、栄光に満ちたキリストの半身像が私に微笑んでいたのです。彼の姿はキリスト教絵画にあるような特徴があまりありませんでした。彼はどなただったのでしょうか。イエス覚者でしたか。

アンヌ・ジラン ベルギー、ルタンヌ

【ベンジャミン・クレームの師は、それがマイトレーヤの像であったことを確認した】

真の美

 2008年に姉と私はシャルルロワの病院から帰るところでした。左側の、私たちから15メートル背後に40歳くらいの女性の姿が見えていました。彼女はアフリカ人のようで、身なりが良くメガネをかけていて、宝飾品を身に付けていました。
 私の姉は歯のことで歯科医から言われたことを心配していました。私はできる限り慰めようとして、彼女には良い両親と、困難な時には常に支援する用意がある妹がいることを伝えました。私たちがカルマや受容について話していた時、その女性が私たちに声をかけてきました。彼女から、この憎悪と暴力の世界で、私と姉の周りを囲む愛そのものを見ることができるのはとても素晴らしいことで、その愛は大変美しく、気持ちが安らぐと言われました。彼女に母と娘かと尋ねられました。私たちは姉妹だと答えました。彼女は神の祝福を願ってくれました。彼女にお礼を言って、私たちも彼女に神の祝福を願い、良い一日でありますようにと伝えました。
 私たちはとても感動し、驚いてもいたのです! 私たちが後悔したのは、姉と私の間に愛が存在していたのを、私たちを知らずに彼女がどうやって見ることができたのか尋ねなかったことです。彼女を見つけようとしましたが、彼女はいなくなっていました。彼女は覚者だったのではと思いました。

アニー・ジョルジュ ベルギー、シャトレ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

光の祝福

 2009年10月にダミアン神父の列聖のためにローマを旅行中、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂で写真を1枚撮影しました。自宅で写真に、二人の人物が歩いているのを思わせる光の線があるのに気づきました。私が教会に滞在していた間、信徒席には祈りを捧げている男性が一人いました。写真には彼の姿が見えていませんが、彼の座っていた場所に(写真を撮った時、彼が確かにそこに座っていたことは分かっています)、光が見えているのです。私が教会にいた間中ずっと、その男性はそこに座ったままで、別の写真では彼が信者席に座っているのが分かります。私はそこで祈り、すばらしい平安を体験しました。
 オランダのアーペルドールンから参加した私たち5人は、アントワープ・エギディウス信者会が、ホームレスや難民、アフリカでのエイズ問題や世界平和に取り組むことを目的としているローマの信者会と会合するための巡礼の旅に同行しました。ローマでは週に3回、無料の食事が多くの人々に提供されていて、年老いた人々のためのホームや知的障害者のための施設もありました。アントワープとブリュッセルでも、無料の食事がホームレスや難民の人たちに提供されており、貧しい地域出身の若者たちのための平和の学校もあり、ユダヤ教徒とイスラム教徒、キリスト教徒の間で対話が進展中でもあります。ローマやアントワープの信者会の例にならって、アーペルドールンの私たちも、ダミアン神父がハンセン病患者に献身的に尽くしたように、同様の活動を行っています。私たちの時代のハンセン病患者は、見捨てられた人々でもあり、ホームレスや年老いた人たち、エイズに苦しむ人たちや薬物中毒者といった人々です。私たちは友情と連帯の気持ちで彼らと親しくなりたいと思っています。
 ダミアン神父の列聖は、50年にわたって存続しているローマの信者会と出会う機会であり、アーペルドールンでの私たちの活動の育みとなるものでした。願わくば、写真の光の徴が、私たちの活動と世界のエギディウス信者会の活動への、祝福であればといいと思います。

ロナルド・ダスホルスト
オランダ、アーペルドールン

二重駐車

 2007年12月23日に、車でグループの伝導瞑想会場に向かっていた時、突然小型の黒い車が目の前に現れ、郵便ポストの横に停車しました。その隣にメンバーの車があったように見えました。その袋小路には他に車はありませんでした。小型の車から若い二人連れが降りてきて、手を振ると散歩に出かけていきました。私が私道に乗り入れると、他に止まっている車はありませんでしたが、二人のメンバーが瞑想室にいました。
 瞑想後、参加していた他の二人のメンバーの車のうちの一台が、若い二人連れの駐車した場所に止まっていたのを見て驚いたのです。そのメンバーの車はやはり同じ場所に止まっていました。あの若い二人連れを見たのは、私だけだったと気づきました。
 彼らのことが頭から離れず、立ち止まって話しかければよかったと思っているので、誰だったのか教えていただけますか。

ジーン・ドサード
米国、バージニア州バージニア・ビーチ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い二人連れ』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

軟着陸

 1997年10月に妻と私は、当時87歳だった私の母に会うためにミネソタに戻りました。母は1カ月後に亡くなりました。
 母からその冬の普通でない体験についての話を聞きました。母によると、食料品の買い出しに行く途中、雪や氷がまばらに残った食料品店の駐車場に車を止めました。歩き始めると、突然ちょうど足元にあった氷の上で足が前にすべってしまい、真っ直ぐに地面に落ちて、臀部を打ったということでした。そこにいた二人の男性がすぐにやって来て、立ち上がるのを助けてくれました。そのうちの一人は「とても親切な男性」で、食料品店の入口までずっと付き添って、母が大丈夫かを確認してくれたそうです。私は転んで怪我をしたのか尋ねましたが、「いいえ、ふんわりと転んだから」と言われました。
 転んだ時の助けがあったのではと疑問に思ったので、その男性たちを以前見かけたことがあったか尋ねました(母は小さな町に住んでいます)。返事は「いいえ」でした。その後彼らを見かけたかを尋ねました。再び、返事は「うーん、いいえ」でした。母は奇跡や覚者方についての話を信じないだろうと思ったので、私はただ微笑んでうなずいていました。その後、その男性たちがイエスとマイトレーヤで、駐車場を歩いて店のドアまで付き添ったのはマイトレーヤであったことを、ベンジャミン・クレーム氏の師が確認されました。私は大喜びでした!  私の母は亡くなる前にマイトレーヤにお会いしたのです!

匿名希望
米国

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

光のハート

 マニュエル・マガリャエスさんが撮影したハート形の写真(本誌2021年8月号)を見て、この写真をシェアしようと思い立ちました。この光でできたハート形は、2016年7月19日に自宅の居間の天井に現れました。1977年にマイトレーヤが現代世界にお入りになって以来、毎年その日には、いつも『記念日のお祝い』をしてきました。
 光の源を見つけようと両腕を振り動かしてみても、どこから来た光なのかわからないままでしたが、その時間にまだ太陽は出ていました。時折それが再び現れるので、私はいつも見るのを楽しみにしています。

アン・サリバン
米国、ニューヨーク州ロングアイランド

帰還の旅

 (1)1944年10月4日、ソビエト軍の侵攻のために私の家族はラトビアからドイツへ逃れ、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルにある難民キャンプに連れて行かれました。そこにいた間、工場で勤務する人もいました。私は電気通信の訓練を提供されました。ちょうど15歳の誕生日を迎えるところでした。ドイツで2週間経つと、他の女の子たちのグループ(約20人)と共に、ドイツ東部のバルト海岸にあるリューゲン島に送られました。そこに到着すると、どのような訓練も受ける予定になっていないことが分かりました。私たちは溝を掘るか、あるいは同様の骨の折れる他の仕事をすることになると噂されていました。私はとても落胆して心配になったので、翌日、キャンプの司令官に会いに行きました。私は彼に自分の気持ちが変わったこと、まさにその日に15歳になったばかりで、家族と離れたくないことを伝えました。言い争いになると思っていましたが、そうなりませんでした。彼は私に、翌日キャンプを離れることができると言ったのです。
 翌日、私はシュテティーン鉄道駅に連れていかれ、移動用の食事のサンドイッチとブランデンブルクへ戻るための旅費を渡され、道順を教えられました。夕方になる頃、列車はベルリンに到着しました。私はベルリンで列車を乗り換えて、ボツダム駅でブランデンブルク行きの列車に乗らなければなりませんでした。車両はもう満員でしたが、身なりの良い年配の紳士の隣の席だけが空いていました。彼はネイビーブルーのギャバジンのコートのボタンを留め、ベルトも付けていて、黒いシャツとネクタイに黒い帽子を被り、黒い靴に黒い革の手袋という格好でした。列車の旅の間、私たちは会話を交わし、私がどこから来て、どこへ行くのかなど、その他のことについても話をしました。私たちはドイツ語で会話していましたが、彼はしばしば「知っている、知っている」と言っていました。
 彼は生き生きと輝く瞳をした優しい人で、実業家という印象を受けました。ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルに近くなると、すでに外は暗くなっていました。彼が「どうやってキャンプに戻るつもりですか?」と尋ねてきました。私は「分かりません」と返事をし、おそらく歩くことになると思っていました。彼が「いいかね、駅にリムジンと運転手を待たせています。あなたをキャンプまで送ります」と言ってくれました。それは完全に大丈夫だと思えて、車に乗せてもらうことに何の心配もありませんでした。駅の外に出ると、運転手の乗った黒のリムジンがその人を待っていました。私が車に乗ると、すぐに難民キャンプに送ってもらえました。その男性と運転手は、私が入り口を通るまでそこにいて、それから車で去っていきました。私の家族は、ブランデンブルクのもう一つの難民キャンプに移動したことが分かりました。翌日、私は家族と再会し、私が帰ったことで皆が大喜びでした。リューゲンから逃げ出して、ブランデンブルクに到着すると、すぐにリムジンで駅からキャンプまで戻れたなんて信じられないくらいだったのです。
 これでお終いとなるところでしたが、彼との話にはまた別の展開があります。54年後の1998年の誕生日に、私はドイツでの私の15歳の誕生日と、私を助けてくれた素敵で親切な男性のことを考えていました。終戦時には彼に何も悪いことが起こらないようにと願っていました。その日の夜遅く、私はベッドに入って少し読書をしようと思っていました。夜の静寂の中で、優しい足音が家の中を通って、私の寝室へ近づいている気配を感じました。どういうわけか私はパニック状態にもならず、恐ろしくもありませんでした。足音が近くなり、私が列車で出会った男性が歩いて入ってきました。彼が近寄ってきてベッドの端に腰を下ろしました。私たちはただお互いに見つめ合い、私は驚きのあまり何も話せなくなりました! しばらくすると彼は立ち上がり、壁の中へと消えていきました。彼が消えてしまったので、イエス覚者だと分かりました。彼が去って行く時に、わずかに顔に微笑みを浮かべていて、彼に気づいたことを知ってもらえたのだと分かったのです。
(1)それはイエス覚者だったのか確認していただけますか。(2)リューゲンから脱出する時に、助けていただきましたか。(3)運転手はどなたでしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『列車の男性』がマイトレーヤであったことを確認した。(2)そのとおり、マイトレーヤからの助けであった。(3)イエス覚者であった】

アストリダ・カニェプス
ニュージーランド、クライストチャーチ

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

直接向かい合う

編集長殿
 2021年5月27日、私たちは再び『あの変装したマイトレーヤ』と出会い、会話を交わしました。ベンジャミン・クレーム氏(BC)が最初にこの人物について語り、彼を『特別な訪問者』と呼んだのは、彼が実際に現れる数カ月前のことでした。彼は後になってBCと彼の師によって、特定の変装をしたマイトレーヤであると確認され、よくアムステルダムのインフォメーションセンターを訪れたり、その近辺での異なった状況下でグループの様々なメンバーと会ったりしています。彼が最後にグループのメンバーと話をしたのは、2020年の6月でした。その時に彼は、かなりの期間会うことはないだろうというように伝えてきました。
 今回の彼の最初の問いかけは、「グループはどう?」でした。それからインフォメーションセンターが開いているかどうか尋ねてきました(私たちはロックダウンのために昨年3月以来閉めていて、本の注文などに対応するためにだけ入っていました)。「その場合の瞑想についてはどうなのかな、皆さんはオンラインで瞑想している?」。彼がそれはいいねと言いました。「一般公開の講演はしている?」。いいえ、私たちは実際に会うことはできないので、次善の策として、ウェビナー(インターネットセミナー)をやっていましたと答えました。彼の反応は素早いもので、ウェビナーに興奮したりしませんでした。「人と人の、面と向かい合った個人的な接触に勝るものはない」。さらにそれが『彼の個人的な意見』であるけれども、今のところ必要であることが本当に分かったと言っていました。「今でも……直接に向かい合うことがより良いことだ」。インフォメーションセンターのことについて、彼は『青信号』になったらすぐに、私たちを訪問するつもりだと言いました。
 私たちは、どのくらいコロナウイルスは続くのか尋ねました。完全に消え去ることはないだろうと言われました。それは風土病になるだろうということでした。そして彼から思いも寄らず尋ねられたのは、「そのウイルスは予測されていたか?」ということでした。それがBCかBCの師によるものという意味だと、私たちは理解しました。「そうですね、いいえ、おそらくはっきりとはありませんでした。けれどもベンジャミン・クレーム氏や彼の師、そしてマイトレーヤによって私たちが繰り返し伝えられてきたのは、もし人類が変化しないなら、私たちがこの惑星と自然界に与えている影響に気づかないなら、当然避けられない帰結というものがあるだろうということです。つまり原因と結果なのです」。彼はうなずいて、「そう、原因と結果、結果と原因だ」と悪循環を示しているように言いました。私たちはこの手紙を書いていた時になってやっと、中国で新型コロナが最初に報告される直前の2019年11月に、『ロニー・ツナミ』による警告、あるいは予測がなされていたことを思い出したのです(本誌2019年12月号参照)。それから彼は、私たち(世界)がすべての国々、特に発展途上国に、どうやってワクチンを供給できるかという問題について語りました。「私たちは月へ行ける、火星にも行ける、必要な手段も持っていて、どうすれば良いか分かっている、できたはずだ。まだできるはずだ」と彼は言いました。
 「今は困難で、厳しい時代だ。あらゆる人々にとってつらい状況だ。しかし私たちは滅んだりしない、世界は生き延びるだろう。けれども何百万もの人々にとっては、非常に過酷だ。彼らは今苦しんでいて、これからも経済的失敗の結果や、収入を失うことなどで苦しむだろう」
 なぜ物事はうまくいかないのかと考えて、人々が時々心配したり腹を立てたりしても、それは自然なことだと彼は言いました。そして時に腹を立てることは許されている、大丈夫だと言いました。彼は上を指差して(彼は過去にもこの仕草をしていました)、神に腹を立てる人をいたずらっぽく真似して、「パパ! なぜそんなに時間がかかっているんだ?」と言っていました。「私たちはマインドだけを使うときに腹を立てるんだよ、……よりも」と言い、信や直観よりもという意味で言っているようでした。
 たくさんの雨の後で温かな気候になり、木々や灌木、植物すべてが、青々として茂っていました。私たちの『特別な訪問者』は、自然の中で楽しむこと、心から思い切り楽しむことを出し惜しみしたことはないと語っていました。「ごらん!」と彼が公園の中の周囲すべての美を指差して、「毎年そこにあるんだ。私たちは何もする必要がない、ただそこにあって、私たちに与えられているんだよ!」。
 「お互いにハグもできないなんて、何と残念なんだ、でも『霊的なハグ』をするよ」と彼が言って、私たちの会話は終わりになりました。さらに、インフォメーションセンターで再び会えるだろうと言ってくれました。「またすぐ会おう! それから会ってくれてありがとう」。彼はお辞儀をして、古い自転車に乗って去っていきました。

グループメンバー 一同
アムステルダム

イエス覚者に委ねる

編集長殿
 私の夫、ジョン・フィリップスは重病を患っており、できる限りの間、私が自宅で看護してきましたが、それがあまりにも難しくなったため、夫はホスピスに入ることになりました。
 そこでの最初の夜に、彼は混乱して取り乱してしまい、家に帰りたがっていました。幸いなことに、ボランティアの一人が彼のそばに付いていてくれました。ジョンがマイトレーヤの手のカードを枕に置いていたのに気づいて、そのボランティアの女性は驚きました。彼女はジョンに、どうしてマイトレーヤについて知ったのか尋ねてきました。
 そのボランティアは、エステル・ダウエス・デッケルだとわかりました。彼女は長年にわたってグループのメンバーである、アレクサンデル・ダウエス・デッケルの娘だったのです。ジョンはエステルの助けと気遣いにとても感謝していました。突如としてジョンは、「マイトレーヤが君(エステル)を私の所へ送られた」ということを完全に悟ったのです。彼はすぐに静けさと安心を感じていました。
 ジョンはあごひげの男性が彼の部屋にいるところも見ていました。彼は死に近づきながらも平穏であり、「ただもうイエス覚者におまかせするよ」と言いました。
 彼は2週間後、あまり痛みもなく、穏やかに亡くなりました。
 私たちにとってこのことは、覚者方が私たちと私たちの愛する人々を導くために、常に私たちと共にあることを思い出させてくれる、美しい実例なのです。

ナンシー・デ・グラーフ
アムステルダム

囲み記事:

全知遍在のハート

編集長殿
 私は幸運にも、自宅の庭や室内の植物の中に、ハート形の葉っぱをたびたび見つけています。それら全部が徴と考えられるかどうかわからないので、シェア・インターナショナル誌に送るのをためらいました。けれども葉のいくつかは困難な時期に現れたもので、ある場合には愛と励ましを与えられていると、本当に感じました。私は散歩が難しくなったので、私の小さな庭を歩くことを楽しみ、とても豊かな植物の世界の美しさに驚嘆しています。
 ここに数枚同封しているものは、偉大なる存在の全知遍在と愛の証明としてお送りしています。

ローズ・マリー・マルミヨン・カロネゴ
フランス