カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
 その他の掲載された手紙は新しいものである。覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

笑顔の実践

 2003年1月頃、コロラド州ボールダーのスタジオでヨガのレッスンを受けていました。そのレッスンはアシュタンガ・マイソールスタイルで、部屋にいる人がそれぞれ自分のヨガを行っている間、インストラクターは見て回り、各生徒を一対一で指導します。その日のインストラクターの一人が私たちの『基本理念』になる人(スタジオのオーナー)だったので、部屋はとても混み合っていて、スティッキーマット(粘着マット)には実際に隙間がないくらいでした。私の隣で練習していた男性は、スタジオでそれまで見たことはありませんでした(その日以来見かけていません)。彼はかなりしつこくクスクス笑いを続けることで、何度も私の注意を引きました。ある時には目が合って、彼から「いつもこんなふうに混んでいる?」と尋ねられました。私は彼に、日曜日にはしばしばそうなるけれども、他の日はそれほど混んでいないと説明しました。彼は「ちょうど一人で練習するのに慣れてきたところだ」と返事をしました。その出来事が心に残ったのは、主にあの笑い方のせいでした。しかし、他の誰もその笑い方に気づいていないようでした。

エリザベス・レニンガー
米国、コロラド州ボールダー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『笑っていた男性』がマイトレーヤの代弁者であったことを確認した】

ジングルベルの応援

 5カ月もの間、あらゆる収入源を脅かし、私をストレスにさらしてきた終わりなき行政問題に悩まされてきました。いくつもの行政機関が複数回にわたって、私の公文書を紛失していました。2023年12月8日、まさに物事が自然に解決していくだろうと思った時に、行政機関のある職員から手紙が届きました。それは、私の想像し得る何よりもひどいものだったのです。完全な無能力の結果でした。その上、私のマンションを所有する会社が暖房を切ってしまいました。
 システム全体が自動化されていて、チャットボット(自動会話プログラム)があるだけで、人はいませんでした。すべての行政機関は一般向けには閉まっていたので、どうしたらよいものかと思案しました。家でふさぎ込む代わりに、ノートを買いに出かけるだけの気力はありました。シャンゼリゼ通りに着くと、パリの土産物店の前に、伝統的な衣装を着たインド人かパキスタン人の男性を見かけました。彼は2016年7月号のシェア・インターナショナル誌に掲載された写真の[ベンジャミン・クレームの師からマイトレーヤであると確認された]人物に似ていました。彼は携帯電話を眺めていました。
 彼はターバンを巻き、チュニックを着ていました。私は彼を知っていると思いました。チュニックはターコイズ色で金をあしらっていましたが、私が驚いたのはその音でした。鐘の音に少し似ていました。ちょうどカーニバルの鐘のようでしたが、インド風の音でした。胸には40個ほどの戦争勲章があったはずで、それぞれが音を立てていたのです。予想外で、奇妙で、つかの間の出来事でした。全部で3秒くらいのことだったのです。彼に出会った後、私の中で何かが変わりました。彼はとても陽気で、それはまさに私が必要としていたものでした。マイトレーヤ、笑顔にしてくれる人!

匿名 フランス

慰めと保護

 2024年2月15日、とても風変わりな方法で気持ちを高揚させるメッセージに出会いました。その二日前にさかのぼって、説明を始めたいと思います。サイババとマイトレーヤ(1988年、ナイロビ)の写真を見つめながら、私は聖なる指導者たちに霊的な強さを求めていました。喉の感染症から少しずつ回復しているところでしたが、同時に内なるつながりが途絶えた感じもしていました。私には物質的なレベルを超えた『元気づけ』が必要だったと言えるでしょう。
 私は何年にもわたって、心の内で何度も、物質的な徴〔ルビ:しるし〕は本当に必要ではないとマイトレーヤに伝え続けてきましたが、そのような出来事に対して常に心を開いてはいます。そうした徴は、覚者方の公の出現という私たちの希望の情報を強化する助けとなり得るからです。その瞬間には、明白な性質のものを切実に期待することなく、微妙な形での徴を求めていたのだと思います。
 ちょうど仕事が終わったところでした。駐車場を通って自分の車に歩いて近づいていきながら、特製のナンバープレートホルダーを見つめました。そこには二つの文字列がありました。一つはプレートの上に、一つは下にあって、「平和には分かち合いが必要」「S.O.P.──われわれの惑星を救え!」と書かれていました。この文字はかなり小さくて目立たないものでしたが、ときどき職場では人目が気になり、どれだけの人が気づいただろうか、「分かち合い」という言葉についてどう思うだろうか、過激な社会主義と誤って解釈する人がいるだろうか、と思うことがあります。
 車のドアハンドルのところに来た時、運転席の窓に明るい色の付箋が付いているのに気づきました。即座にそれが聖書の一節だと分かって、伝統固執主義のキリスト教徒が他の車にも同じような付箋を貼ったのではないかと推測しました。けれども、駐車場を見回してみても、他の付箋は見当たりませんでした。それで、注意してメッセージ全部を読みました。普段なら、旧約聖書は私がインスピレーションを求めて最後に頼る所ですが、誰であったとしてもこれを置いた人は、どの言葉を書くのがふさわしいか、どのように提示したらよいかをまさしく知っていたのです。
 「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」(申命記31章6節)
 知恵の覚者あるいは側近の一人が、この出来事の背後におられると証明することはできませんが、そのようにタイムリーで完璧に作り上げられた付箋をこのような形で『普通の』人が置いたと想像することは、ほとんど不可能なのです。これは実際に私たち皆へのメッセージです。愛の主が「あなたと共に歩まれる」のですから。

アンディ・モーガン
米国、テキサス州アーリントン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

次の2通は同じ人物からのものです。

「あなた次第です」

 私は地元の店の角に立って、店員と話をしていました。突然、長髪のドレッドヘアで赤い野球帽を被った、中年のアフリカ系アメリカ人の男性が私の隣に現れて、私たちの周囲の空間をとても前向きなエネルギーで満たしたのです。彼は私の方を向いて、オーケストラでも指揮するかのように両腕を持ち上げて、「あなたに幸福な一日を願うためにやって来ました!」と言ってくれました。私は「ありがとう。今日が、あるものすべてです。今この瞬間が、存在するすべてです」と言いました。彼はさらに「幸福な日を過ごさなくてはならないわけではありません。それはあなた次第です。またすぐに会いましょう!」と言ったのです。私が店員の方を向き、向き直ると、彼はいなくなっていました。

 後になってそのことについて考えました。クリスマスの時には、家族の一員が幸福であるように願っていたものでした。その日のそれ以降は、本当に幸せを感じました。誰かが親切にも、私のためにも幸福を願ってくれたのだと思いました。彼の言葉やエネルギーで、同じ喜びの感覚を残してくれたイエス覚者やマイトレーヤとの過去の出会いを思い出しました。それがどなただったのか定かではありませんが、その体験から確かに私は幸福を感じたのです。

 2023年のクリスマス休暇の間、一人の友人が健康と経済的な問題を抱えていて、一時的な住居への支払いが困難になっていました。私は寄付を送りましたが、十分ではありませんでした。私は『手』を通してマイトレーヤに、助けるために他に何ができるかお尋ねすることにしました。一瞬のうちに、ソーシャルメディアへの投稿を作成して、他の友人たちに寄付を頼めるようにするという考えが浮かびました。視覚的な助けがあれば、常に人々の注意を引きやすくなると分かっていたので、私が会員になっている写真サイトへと向かい、投稿に使った添付の写真をすばやく見つけました。興味深いことに、この写真はボストンで撮影されましたが、そこはまさしく友人が住んでいる場所なのです。写真は2018年に撮られましたが、人目を引くものだと思い、もしかして『ファミリア』の姿のマイトレーヤかもしれないと思いました。

 言うまでもなく、投稿によって、友人が新年までの一時的な住居への支払いができるほど十分な寄付が寄せられました。それはまさに彼女が必要としていたものでした。

アン・サリバン 米国、ニューヨーク州ロングアイランド

完全への旅をする建築家

 2024年1月24日土曜日に、オーストリアでのスキー休暇から帰宅する途中、鉄道の駅で待っていた時、興味深い出会いがありました。バイエルン・アルプスのミッテンヴァルトにある小さな鉄道駅のホールでひとり座っていた時、一人の男性が私の方へ歩いて来て、会話が始まりました。彼は年配で、おそらく80代半ばでした。歯がほとんどなく、素敵な濃いブルージーンズに、新しい革製のスケートボード・スニーカーに見えるものを履いていました。頭に野球帽を被り、たたんだ買い物袋を二つ持っていました。かなり薄手の緑色のウィンドブレーカーは、気温が氷点下だったその日、十分に温かいとは思えませんでした。彼はドイツ語で話しかけてきて、どこへ行くのか尋ねてきました。私は彼に、チロル地方でスキー休暇を過ごして、ドイツ北部へ帰るところだと伝えました。それから、十分に温かいかどうか尋ねました。彼は胸の右側を指でたたいて、「これが温かさを保ってくれるよ」と言いました(肉体の心臓とは反対側なので、霊的ハートを意味していると思いました)。彼はすぐ近くのオーストリアの町、シャルニッツに住んでいると言い、ミュンヘン近くのドイツの町、ガルミッシュ・パルテンキルヘンよりも物価が安いと言っていました。私が尋ねないうちから、家賃や公共料金を実際いくら払っているか教えてくれました(夫と私はその地域の住宅費を調べようと計画していたので、彼がその話を持ち出したのは驚きでした)。10分にわたる会話の間に、彼は私に、自分は建築家だと言い、妻が子供を5人欲しがったという話をしました……(私の夫もいつも5人の子供を欲しがっていました)。それは責任が重過ぎると感じた、と彼は言いました。彼によると、息子二人がバイエルンに住んでいるが、「息子たちは物やら何やらが好きなんだ」、だから常にとても忙しい、一方で自分はもっとずっと落ち着いた生活をしていると言っていました。彼は少しスペイン語で話し、それから私たちはフランス語でも会話をしました。

 全体として、彼について最も印象に残ったのは、無執着の表現でした。彼が時間に支配されているという感じは全くありませんでした。彼はまさに今存在していて、彼といると、私もまさに今存在していると感じられました。私たちが次の乗り継ぎ先であるバスへと向かおうとする直前、彼はさようならと言い、「あなたが健康でいられますように」と言ってくれました。私は最近、ストレスが自分の健康を損なっているのが気がかりでした。けれども、彼がそう言った時の言い方で、私は自分の健康を掌中に握っていることを悟りました。彼がドアから歩いて出ていく時、ジーンズの右の後ろポケットのすぐ上に大きな裂け目があって、下に着た保温着がのぞいていました。後になって、夫と私が隣駅に到着してバスを降りると、突然、彼がそこにいて、再び少しだけ私たちと話をしました。その時に、彼の野球帽のロゴが「完全への旅」となっていることに気づいたのです。

エリッサ・グラーフ ドイツ、シュタイアーベルク

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

次の4通は同じ人物からのものです。

覚者の助け

(1)1992年の春、吹雪の数日後に高校から自宅まで車を運転していました。いつもの曲がり角に差し掛かった時、半解けの雪に乗り上げて、ゆるやかに道路から滑り落ちてしまいました。ほとんど崖になっている急斜面の端へ向かっているのが分かっていても、できることは何もありませんでした。それを考えると、私の落ち着きは驚くべきことでした。どうにか車は丘を転がり落ちる寸前で止まりましたが、右側のタイヤは両方とも地面から離れて、後輪一つは約90センチも宙に浮いていました。私は非常に注意しながら、何とか前側のドアの一つから脱出しました。レッカー車の男性がやって来ましたが、「今にも落ちそうだ」と言って車に触ることを拒否しました。それよりも彼は、車が引っかかっていた崖から約24メートル下の家の人たちを避難させて、もう1台のレッカー車の助けを求めて電話をかけました。その2台で私の車を難なく持ち上げることができたのです。
 私はおそらく、死に至るような状況を回避する『特別な』助けをいただきましたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者からの助けであったことを確認した】

覚者の手を取って

(2)1998年か1999年のことでした。サンフランシスコで伝導瞑想研修会が開催された金曜日の夜、私が部屋の中と、間もなく瞑想を始めようとしている人たち全員をじっと眺めていた時、吹き抜けの階段の近くに奇妙な人物が二人いるのに気づきました。その二人の中年男性は、みすぼらしい格好のために目立っていました。誰も彼らを知らないようでしたが、部屋の中にいる人と同じくらい大きな声で自信たっぷりに話をしていました。彼らの振る舞いは、すべてが彼らにとって『古い帽子』で、疑いようもなく彼らはその場に溶け込んでいるという印象を与えていましたが、外見が明らかにそれとは相反していました。
 全員が着席すると、二人のうちの一人が私の隣に座り、私は人生で最も集中した強烈な瞑想を体験しました。その二人の男性は覚者方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であり、瞑想中に筆者の手を握っていたのはイエス覚者であったことを確認した】

彼を認識するでしょうか?

(3)2003年のデンバーでのシンコ・デ・マヨの祝祭で、私たちの広報用ブースにやって来た人たちと話をしていた時、突然、ヒスパニック系の男性が私の背後に自転車を止めたのに気づきました。そこは私たちのポスターの前で、「もし仏陀やキリストに会ったなら、あなたは彼を認識するでしょうか?」という表題でした。その男性はとても背が高く、長髪で、30代か40代でした。ひどい歯並びの、とても貧しい人のように見えました。
 けれども、彼はとても親しみやすい人でニコニコとしていました。雲が移動して、何とも気持ちの良い天候になったという話を私がしたと思います。彼はその話題を取り上げて、さらに話を続けると、間もなくとても良い天気になるだろうと言いました。5月5日から10日の間にもう一度吹雪になるだろうが、その後はとても良い天候になり、もう雪は降らないと言っていました。貧しい身なりをした、チノという名のこのヒスパニックの男性が、汚れた毛並みのチコという名の犬を、自転車のハンドルの背後にどうにか取り付けた筒型のスポーツバッグに詰め込んで、穏やかな確信を持って天気予報を伝えてくれることが私には奇妙に感じられました。私たちはしばらくおしゃべりをしました。彼はカリフォルニアの出身で、その地域の家族を訪ねようとしていました。暑すぎなければ、寒いよりも暖かい方が好きだと言っていました。彼が自転車をポスターの前に止めていたので、人々からポスターが見えないのではないかと思っていました。彼は私の考えに気づいたように、自転車の移動を申し出てくれました。けれども、私が「大丈夫です」と言ったのは、彼がマイトレーヤかもしれないとうすうす思っていたからです。彼がポスターの前に立っているのは、むしろ適切で愉快なことだと思ったのです。
 彼は「良い一日を」と何度も繰り返して、心温まるお別れも言ってくれました。これが私にとてもよく当てはまっているように思えたのは、来るべき時代の明るさを知っているにもかかわらず、今の世界の不正義に対して、たびたび深刻になり過ぎて、圧倒されてしまうためでした。さらに言うと、5月10日は実際に吹雪になり、多くの人々にとって驚きでしたが、それ以来ずっととても良い天気でした。チノは注目すべき人物でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、チノがマイトレーヤであったことを確認した。また、『チコ』はイエス覚者であったと師が述べていたように思う】

ハートに置かれた手

(4)数年前、ボールダー・クリーク・フェスティバルで、私たちのブースを一人で担当していた時、二人の小柄な男性が向かい側にあるブースで立ち止まったのに気づきました。一人はおそらく30代で、とりわけ陽気な人でした。黒髪にとてもふさふさとしたあごひげを生やし、他の国の、たぶん中東出身のように見えました。もう一人は、彼の霊的な教え子のようでした。20代に見えました。金髪で、ずっと物静かで真面目でした。
 あごひげの男性は、向かい側で大変な騒ぎを起こしていました。巨大なおもちゃの剣を手に取って楽しそうにふざけて振り回し、かなりの物音を立てていました。彼を観察しながらとても楽しい時間を過ごしていた時、私はマイトレーヤのことを思い、彼の体現する愛がどうして裂開の剣と呼ばれるのか考えていました。
 彼らは私たちの広報ブースにやって来て、とても熱心に見ていました。彼らの朗らかな雰囲気に馴染めなかったので、正直、私は少し堅苦しく感じていました。私たちは奇跡について少し話をしたと思います。彼らには独特な雰囲気があることに触れ、どこから来たのか尋ねました。あごひげの男性は、ペルシャと答えてくれました。現在ではそのような場所はないので、変だと思いました。彼に霊的な背景があるかどうか尋ねると、ゾロアスター教徒だと言いました。私たちが展示していた『マイトレーヤの手』のポスターについて彼が尋ねてきたので、私は経緯について説明しました。それは象徴的なものだと思うということ、そして手の跡は鏡に現れたということを伝えました。また、人が自分自身の内を見つめるとマイトレーヤからの祝福を見いだすかもしれないということを、その手の跡は示唆していると伝えました。彼は私のハート・チャクラに手を置くことによって応答し、しばらくそのままにしていました。心の中で、これはマイトレーヤとイエスかもしれないと思いながら、エネルギー的な相互作用をどこかで期待していましたが、全く何も感じませんでした。彼らはその後、すぐに去っていきました。
 あごひげの男性がマイトレーヤで、若い方の男性がイエス覚者でしたか。
ザック・キャッスルマン 米国、コロラド州ボールダー
【ベンジャミン・クレームの師は、あごひげの男性がマイトレーヤで、もう一人の男性がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

「私の路線に」
 2023年11月12日(日)の昼頃、フランスのパリにあるフローラル公園でのマルジョレーヌ・エコロジカルフェアの入り口に立って、未解明の現象についての写真展示のチラシを配っていました。一人の年配の男性が私の方へ歩いてくるのが見えました。彼は帽子を被り、白いシャツを覆うほど長く先のとがった白いあごひげを生やしていました。古い金属製の買い物用カートを引っ張っていて、そこに古びた緑色のチェックのバッグを載せていました。私は未解明現象についての写真展示があるという説明をしながら、チラシを彼に渡しました。彼が展示会場はどこか尋ねてきました。私は「ストラスブール・サン・ドニ駅とレピュブリック駅の間で、安物の靴で有名な通りにあります」と答えました。彼は私に「地下鉄の出口に行った方がいいよ。とにかく、展示場は私の利用する地下鉄の路線だから、9番線だね」と言いました。
 話をしていた時、お互いの目を真っ直ぐに見ながら、私はこの人物について不思議に思っていました。その瞬間、まるで私たちの周囲には何も存在していないかのようでした。私は喜びを感じ、その男性への静かな尊敬の念が私を満たし、愛の高まりに圧倒されていました。彼の外見と、彼から発散される純粋な善性との間には食い違いがありました。その後、彼が立ち去る時に「未解明現象と超自然現象、それは良いね。私の路線だよ、9番線だ」と言っていました。すり減った白いスリッパを履いた足を引きずりながら、彼が去っていくのを私は見つめていました。長いグレーのコートの前を開けて着ているハンサムな物乞いのように見える、印象的な存在感の人でした。


イザベル・ゴナンフランス、パリ

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

平和を支持し人類の味方をするとはどういうことでしょう?

 私は(デニス・クシニッチ氏によって始められた)重要な嘆願書「平和の味方をする時が来た」に署名しました。書かれていることの一部は、「もし支持するように呼びかけられたなら、平和の味方をしよう。和解の味方をしよう。復興の味方をしよう。人類の味方をしよう。どうかこの取り組みに参加してください。あなたの声を聞かせよう!  中東での戦争を終わらせ、永続する平和を築くために、どうか嘆願書に署名してください」というものです。
 識別力を使う必要があると思います。第二次世界大戦中は、何百万という人々を殺りくしていたナチスと、ファシズムの邪悪と闘った国々の、どちらにも味方しないことでうまくいったのではないでしょうか。私たちはイスラエル(ネタニヤフ)と極右政府が、イスラエル国防軍を使って、赤ん坊や子供たち、罪のない人々を殺し、水や電力を遮断し、病院や学校を空爆しているのを知っています。これは大規模な戦争犯罪です!  彼らの目標が何であるか想像がつきます。
 マイトレーヤの愛のエネルギーは、私たちにとって非常に明らかなものです!  マイトレーヤが私たちに選択するよう望まれていて、私たちは日々の生活の中で選択を行う必要があることを知っています。不正義や悲惨な戦争を、じっと座って眺めているのは間違いです。「人類の味方をする」というのは、人道に反する犯罪に対して実際に行動することです。もちろん、外交官として働く人たちは慎重である必要がありますが、私たちは不正義や犯罪が続くことへの反対に参加する必要があります。ハマスは殺人や誘拐を行い、テロによって破壊的な犯罪を行っています。けれども私たちは、マイトレーヤがおっしゃったように、何がテロの原因なのかを知ってもいるのです。
 私は自国で平和運動に加わっていますが、そのことは、ガザでの罪なき人々に対して行われているこの悲惨な戦争に抗議することの妨げにはなっていません。

匿名希望

ぴったりのアドバイス

 10月18日に水泳エアロビ教室で、身体が動かなくなっていることに気づきました。私の指がつかんでいるロープを離せない状態でした。不意に、プールから出て家に帰る必要があると悟りました。プールの階段横に立っていても、手が手すりをつかむことができませんでした。両足はへなへなになり、後ろ向きに水深90~120cm程度の水の中に倒れました。私は方向感覚をなくしてしまい、どちらが『上』なのか分からなくなりました。「これが溺れそうになるということ?」と思っていると、頭の中の声が「そのとおり」と答えました。
 両足がゼリーのようになり、もう手遅れだと感じました。するとその声が、口を開けないように、さもないとさらに水を飲みこんでしまい、死ぬことになると告げたのです。それから「助けが向かっている!」と言われました。私にはとても長い時間のように思われましたが、その後、インストラクターが私を水から持ち上げて、「息をして!」と大変力強い大きな声をかけてくれました。病院で医師たちから、もし肺にさらに液体が入っていたら、命が危なかったのは確かだと言われました。確実に肺から水を出すために、私は4日間入院しなければなりませんでした。後になって、軽い脳卒中を起こしていたことも確認されました。一過性脳虚血発作(TIA)と呼ばれるもので、両手両足が動かなくなり、そこに伝えられるどんな指示にも従えなくなったことが原因でした。その日にいただいた助けにとても感謝しています。1週間後、私はまだここにいて81歳の誕生日を祝ったのですから。

キャロル・ミランダ
米国、カリフォルニア州サンホセ

活動家の仲間

 2008年7月15日の土曜日にロンドンで、急遽呼びかけられたデモに参加しての帰途でのことでした。そのデモは、ジョージ・W・ブッシュの来訪と女王の歓迎、その夜の英国首相との晩餐への招待に反対するためのものでした。
 私は地下鉄のプラットホームに立っていて、「分かち合いと正義が平和をもたらす」と書かれた私の旗を見ている人々の目が少し気になっていました。やっと列車が到着し、ちょうどドアの方へ移動していたとき、私の横から声が聞こえてきました。「あなたがデモにいたのを見かけたわ」。いったん列車に乗ると、私の仲間は、中年で熱意のありそうな顔立ちの女性で、分厚いレンズの眼鏡をかけていました。彼女は黒髪で、あらゆる類の活動家のバッジで覆われたジャケットを着ていました。彼女は真面目な様子で前かがみになって、本当に短期の告知で大勢の人々が参加したことや、非常に質の高いスピーチについてコメントし始めました。
 私たちはグアンタナモ湾で囚人となっていたモザム・ベッグのスピーチについて話しました。彼は文化的で知的な人物として、刑務所内での扱いを描写し、私は感動して涙が出ました。もう一人のスピーカーはウォルター・ウォルフガングで、数年前の労働党会議で逮捕された社会主義者です。彼はデモに来た人々や共感している世界中の人々が、ブッシュと彼のパートナーたちが過去に踏み留まっている間に、未来をつくっていくのだと言いました。別のスピーカーは、メディアが西側に住む人々に対してイラクでの戦争やイスラエルによる西岸地区の占領とガザ地区の支配について報道しないことによって、ごまかしを生み出すことに共謀していると言いました。
 それから、その女性は私に尋常でないことを言いました。「アメリカで唯一成長している分野は、軍事と刑務所よ」
 私の降りる駅が来たので、お別れを言って降りなければなりませんでした。この人が覚者であったのかどうかお尋ねしたいのです。

スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】(シェア・インターナショナル誌2008年11月号)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

正真正銘のメッセージ

 ガザのパレスチナ人の救済のためのデモが、2009年1月24日にロンドンでありました。抗議の人々は、ガザにおける破壊緊急委員会の訴えを放映することを拒否したBBC(英国放送協会)の外に集まりました。
 私がもう一人のメンバーと共に旗を持って、集まったデモの人々の群れの中にいた時、不意にブロンドの巻き毛の子供が楽しそうに笑いながら、デモの中や外を走ったり飛んだりしているのに気づきました。母親は背が高く、若くて色白で、ドレッドヘアを腰まで垂らして、幸せそうに笑いながら子供の少し後を追いかけていました。私は楽しい気持ちになって、笑みがこぼれました。二人は群衆の中で見えなくなりました。二人を探すと、若い女性が子供を腕に抱いていました。彼女は広い道路に立って、大きなピンク色のハート型の旗を一緒にバランスを取りながら掲げていました。白い太文字で書かれていたのは、「愛は行動」でした。反対側には「変化は行動する時にだけ起こる」と書かれていました。デモが続いていたので、私も一緒に動いていました。二人のことも、その旗も再び見ることはありませんでした。
 二人が本当に覚者方であったのか、確認していただけますか。

スザンヌ・フィリップス
英国、サセックス州アシャースト・ウッド

【ベンジャミン・クレームの師は、『若い女性』がマイトレーヤで、『子供』がイエス覚者であったことを確認した】
(シェア・インターナショナル誌2009年3月号)

確証

 2009年2月8日の夜、おかしなことが私に起こりました。私は星の徴の情報について、大変に懐疑的で、もしすべてが幻想だったらと思い始めていました。もしマイトレーヤがおられなかったら、世界はどうなってしまうのかを考えていたのです。それは全人類と惑星の破壊を意味するでしょう。私はすっかり悲しくなり、落ち込んでしまい、バスルームに行ってシャワーを浴びました。シャワーからお湯を出して蒸気がバスルームに充満し始めた時、バスルームの鏡に手形があるのに気づいたのです。それはマイトレーヤの『手』に似ていました。私は鏡には触っていませんでしたので、びっくりしましたが、手形が現れたことで、勇気と期待感がよみがえり、喜びと平穏と希望で満たされました。
 これはマイトレーヤによって現されたのですか。

チアゴ・スタイバーノ・アルベス
ブラジル、サンパウロ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『手』がマイトレーヤによって現されたことを確認した】
(シェア・インターナショナル誌2009年3月号)

思い出させる合図

 2009年2月15日に、手形が私の両親の家のバスルームに現れました。私はそのことを親に尋ねましたが、彼らが作ったのではないという返事でした。これはマイトレーヤからの徴でしたか。もしそうなら、今月現れた二度目の手形になります。目的は何ですか。その頃、私は少し疲れて落ち込んでいましたが、それと関係がありますか。

チアゴ・スタイバーノ・アルベス
ブラジル、サンパウロ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『手形』がマイトレーヤによって現されたことを確認した。目的は人々に、ここにおられることを思い出させるためである】
(シェア・インターナショナル誌2009年4月号)

編集長への手紙

この手紙の選集で記述されている出会いはすべて、ベンジャミン・クレームと彼の師によって、マイトレーヤあるいは他の覚者との体験であると確認されている。これらの手紙は、関わった人物の注意を引きつける際に、覚者方が用いる素晴らしい創造性を示すために選択されている。しばしば驚くほどタイムリーな方法で、その人たちにとって特定の意味を持っており、時には広く一般の人々にとっても意味のあるものとなっている。
初めの2通を除いて、すべて以前に掲載されたものである。

忘れられない夢

 私が眠っていたある晩、夢の中で(太陽のように)非常に明るい光源を見ました。その光源から光線が流れ出て、私を囲みました。私は大きな喜びと安らぎを感じていましたが、動くことも話すこともできませんでした。突然、光のスクリーンが私の前に登場しました。その上に名前一つが現れて、『マハートマ(Mahatmat)』とありました。
 私はこの話をガールフレンドにしか伝えませんでしたが、それ以来、あの画像がずっと私のハートに刻まれているのです。出現季報を読み、キリストの天使の姿のシルエットを見てすぐに、体験談などを読んだ後、ベンジャミン・クレーム氏に尋ねるため手紙を書くことに決めました。(アンドレ・トレパニエ氏による送付)

アルベール・ビア
カメルーン

【ベンジャミン・クレームの師は、その夢の体験がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

光のメッセージ

 ある夏の朝、並木道をランニングしていた時、二本の木々の間に光の十字架が見えて驚きました。
 光の十字架の中心には白い霧状の輪がありました。数秒後、「平衡」というメッセージを聞いたのです。(アンドレ・トレパニエ氏による送付)

匿名
カナダ、ケベック州シクーティミ

【ベンジャミン・クレームの師は、その体験がカナダの覚者によるものであったことを確認した】

携帯の奇跡

 2008年6月4日に、息子と私は昼食の時に、この惑星の将来と世界の生命の状態について話をしていました。私たちはキリスト・マイトレーヤや知恵の覚者方の存在についても話をし、彼らのとてつもないエネルギーが、リアリティへの新しい理解へ導くことについて話していました。私たちは二人とも『マイトレーヤの使命』Ⅰ巻とⅡ巻を読んでいました。
 それから息子が居間に行くと、携帯電話の画面に、ケニアのナイロビに現れた時のマイトレーヤの写真が現れているのを見つけたのです。私たちは大変驚き、喜びました。その夜、同じ写真が私の携帯にも現れたのです。私の携帯のマイトレーヤの写真で私は喜びいっぱいになり、私だけではなく、世界中すべての人々にとっての希望を与えてくれるのです。この手紙を書いている時もまだ、私たちの携帯電話にはマイトレーヤの写真が現れています。

アニカ・ボリニック
スロベニア、ツジ

【ベンジャミン・クレームの師は、携帯電話の写真がマイトレーヤによって現された徴であったことを確認した】

(シェア・インターナショナル誌2008年12月号)

シェア・インターナショナル誌展にハートが足りない?

 2023年7月1日から3日間、東京でシェア・インターナショナル誌展が開催されました。2日目のお昼前に到着すると、一人の高齢女性が椅子に座って、スタッフの女性と話していました。私たちは大規模な広報はしていませんでしたので、「あ、お客さんがいる!」と、うれしくなりました。
 しばらくパネルを眺め、資料をめくり、私もお客になったつもりで会場内を歩いていました。すると「ちょっと、あなた」とその女性に呼び止められ、隣に座らされました。「私ね、アイディアがあるの。アイディアがあるのよ! ハートが大事なのよ。ハートの形をここに置いたらいいんじゃない?」。急にそんなことを言われるとは思っていなかったので驚いたのと、「ここにはハートがない」と見事に指摘されてしまったような、ばつの悪い感情が一気に沸いてきました。
 しばらくして、また女性のそばに行くと、ずっと何かを書きつけていました。「この資料、もらえないって言うから書き写してるの」。女性の手元を見ると、大量の紙の束に大量の文字が書かれています。しかも、殴り書きに近い、とても読めるような文字ではありませんでした。
 それから1カ月経ち、シェア・インターナショナル誌のレポートを書くことになり、この奇妙なやり取りを思い出しました。この女性が伝えてきたことは何だったのでしょう。この展示企画を通して、私たちは何を世界に伝えていくのか、分かち合うってどういうことなのかと、根本的な問いを投げかけられているように感じています。

T.K.
日本、東京

次の2通は同じ人物からのものです。

明確さに重点を置いて

 (1)約8年前(おそらく2015年)に、私はパリ地区のフェアでメンバーとして参加しました。その展示会でグループがブースを出した初めての年で、私には二度目の参加でした。かなり大きな会場は、「ウェルビーイング(幸福)」をテーマにした数多くのブースでいっぱいでした。私たちは非常に不利な配置をされていて、部屋の奥の隅で、テーブルもとても小さいものでした。私たちは二人だけで資料の配置を終えると、そのような小さな場所に、あまりに多くのものが詰め込まれているという感じがしました。よく言われるように、「情報が多すぎると情報が失われる」のです。世界教師の出現についてのチラシに加えて、ミステリーサークルの写真、奇跡の写真、『我らの惑星を救え』というような気候変動についての情報が展示されていました。私はメンバーにレイアウトについて思うことを伝えましたが、これはそのようなものだからと彼に言われました。私はこの活動には新参だったので、しつこく言うことはしませんでした。
 大勢はいませんでしたが、人々は私たちの方を見ることも近づいてくることもなく、ロビーに入ってきました。彼らはより大きく魅力的なブースへと向かいました。午前中はうんざりするほど長く感じました。
 突然、60代の一人の女性がロビーに入ってきて、断固とした素早い足取りで私たちのブースにまっすぐ向かって来るのが見えました。彼女はテーブルの前に立って、「あなた方はここで何をしているの、何について伝えているの?」と言ってきたのです。
 マイトレーヤと知恵の覚者方の出現についての話です、と私は返事をしました。
 すると厳しい口調で、「もしあなたが覚者方の出現について伝えるのならば、正面に置くべきなのはその情報です。ここは紛らわしいので、あなた方が何について伝えているのかよく分からないのです」と言いました。私が驚いたのは、私の考えたまさにそのままを彼女が言ったからですが、私はあえてあまり強くは言いませんでした。それから彼女は満面の笑みで、「さあ、幸運をお祈りしますよ。あなた方のしていることはとても良いことです」と言ってくれました。
 そして彼女は去っていき、他のブースを訪ねることも見ることもせずに会場を出ていきました。
 以前、私には(ベンジャミン・クレームの師によって確認された)イエス覚者との出会いがあり、この女性の存在に同じエネルギーを感じました。彼女の話し方がとても毅然としていたので、その人はイエス覚者か彼の代弁者だと思いました。

(2)2023年4月16日にパリのグループと共に、分かち合いの概念に焦点を当てた『未来への鍵』と題した講演とビデオのイベントを開催しました。イベントは分かち合いについてのベンジャミン・クレーム氏のパリ講演からの抜粋で始まり、聴衆からの質疑応答があり、軽食の時間で締めくくられました。
 休憩時間中に、私は中年の女性と長々と話をしていました。私たちはたくさんのことについて話しましたが、とりわけ覚えていたのは、彼女がクリシュナムルティについて話したことでした。彼女はイエスとマイトレーヤの違いを説明してほしいとも言ってきました。講演の中でその点があまり明確ではなかったと言われました。それから無料のイベントの重要性を力説していました。
 私は文化活動がとても好きなのですが、価格が上がってしまったので、数年前ほどは出かけられなくなりました。このことをその女性には伝えなかったのですが、彼女から何度か、無料の文化活動を提供しているサイトをインターネットで探してみるように強く勧められました。パリで無料の講演やコンサート、映画に行ける場所の住所まで教えてくれたのです。彼女と話していた間、彼女には以前に会ったことがあるけれども、どこで会ったか分からないと思っていました。彼女は非常に磁力的なエネルギーの持ち主で、とても素敵な人でした。
 夜に自宅にいても彼女について考えずにはいられなくて、どこで彼女に会ったか思い出そうとしていました。そう思いながら眠ってしまいました。翌朝、ちょうど目が覚めた時に、「それはイエス覚者!」という言葉が頭の中に聞こえたのです。そして突然、数年前に資料の並べ方を変えた方が良いと言ってきた、あの同じ女性だったことを思い出しました。

J.J
フランス、パリ

編集長への手紙

ヨガ・フェスティバルでの三つの体験

(1)[2023年5月のヨガ・フェスティバルで私たちのブースを訪れた]背の高い白い服を着た女性が、ベンジャミン・クレーム著『世界教師と覚者方の降臨』を非常に熱心に購入したがっていました。しかし、彼女は銀行口座を持っていなかったので、小切手を切ることができなかったのです。現金では7ユーロしか持ち合わせていませんでした。彼女は[本について]「とてつもないものです!」と言っていました。彼女が興味を示したのはその本だけでした。彼女は手を差し出して、手の平にあるお金を私が受け取れるようにしました。本の正規の値段(12ユーロ)に足りるように、あと5ユーロを私が支払いました。
 奇妙なことに、(数日前の)5月20日の土曜日に、5ユーロの寄付をした男性がいました。それはこれまで一度も起こらなかったことでした。過去において寄付があったのは、ポストカードなどの費用ぐらいの金額だったのです。私はどちらの時にも驚いてしまいました。

P.B.
フランス、パリ

(2)2023年5月21日、分かち合いについて一人の『旅行者』と興味深い会話を交わしていた時、私はグループメンバーが背の高い女性と話をしているのを見ました。その女性は185センチメートルくらいの身長でした。心の中で私自身に、この若い『放浪者(ノマド)』との交流にもっと集中すべきだと言い聞かせていましたが、ブースの写真展の横の私が立っていた所から、その女性を見つめずにはいられませんでした。その背の高い女性は、ボーイッシュな髪形でオレンジ色の髪色でした。全身白の装いをしていました。ターコイズブルーの南京袋を持っていました。私が最もびっくりしたのは、彼女の手の平でした。彼女は右手を差し出して、それを開いて平らにして、グループメンバーが手の平から直接お金を受け取れるようにしたのです。それは珍しい仕草でした。

匿名希望
フランス、パリ

(3)2023年5月21日の午後5時頃、私たちは非常に強力なエネルギーがブースの横から放射されているのを感じましたが、そこはシェア・インターナショナル誌の裏表紙写真展を開いていた場所でした。そのエネルギーに対する私の反応はとても強烈で、身体のハート、太陽叢、両足、胃が反応していました。この激しい感情と情緒反応は15分ほども続きました。大きくなったハートと空っぽの頭の感覚がありました。5月20日には、写真展示から注がれるエネルギーの流れがその日の終わりまで続いた、とあるメンバーが言っていました。それは以前に起きた時と同じ時間に始まりました。

コレット・P
フランス、フォンテンブロー

編集長への手紙

緩やかな着地

 先週(手紙は2023年6月1日着)、パーキンソン病を患っている85歳の父が、自宅の吹き抜け階段から後ろ向きに落ちてしまいました。夫と私には大きな物音が聞こえ、まるで物でいっぱいの重い戸棚が壁から倒れてしまったかのようでした。それに続いて、恐怖の叫び声がしたのです。私たち二人が玄関へ走ると、父が陶製タイルの床の上に、右向きの胎児のような格好で倒れているのが見えました。けれども、夫と私が階段脇に置いたさまざまな物はすべて、ちょうどポストに届いたばかりだった鍵や木材用ニスの缶の入った大きな箱も含めて、置かれた場所にありました。ニスの缶一つが明らかにへこんではいました。つまり、私たちに聞こえた物音は何によるのか想像もつかないのです。父は階段の五段目から落ちていましたが、その高さから落ちたにしては、怪我は比較的少なく、どのように落ちたら、あのように着地できたのかも不可解なのです。結局、父は足を骨折しましたが、タイルで頭を打つことも、気を失うこともなかったので、神聖なる源から助けられたに違いないと私たちは感じました。ショックが徐々に消えていくと、父は私に、倒れた時に「神の存在」が共にあることを感じて、助けられたことが分かると言いました。またその瞬間、時が止まったとも言っていました。

エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイヤーベルク

【編註:この体験は、覚者あるいはマイトレーヤ御自身によって助けられたとベンジャミン・クレームの師によって確認された、他の出来事を思い起こさせるものである】

安心な運転手

 2022年11月、アムステルダムのある病院で転倒にかかわる診察が終わり、車椅子に乗ったヨス・クイルを病院のボランティアが通用口へと連れていってくれました。配車を頼んでおいたタクシーを待つためでした。
 絶え間なくタクシーが出入りしていました。しばらくすると、私たちの頼んだタクシーは地下の駐車場に待機しているという連絡がボランティアに入りました。それで私たちは地下へ行くために建物の中へ戻りました。そこの中央ホールで、とても背の高いタクシー運転手が立って待っていました。彼は挨拶をして、そっと車椅子を押すのを引き受けて、下の駐車場行きのエレベーターに向かいました。私は彼らから少し遅れていたので、タクシー運転手とヨスがエレベーターを待っていたところに追いついて、ヨスの同伴者だと説明すると、その運転手は「分かっています」と言いました。
 タクシーの中で、私たちは運転手にスピード防止帯(バンプ)を越える時には極力穏やかに運転してもらいたいとお願いしました。かなり高さのある最初の防止帯が駐車場の出口付近にあり、間近に見えていましたが、運転手は即座に反応してくれました。とても慎重に運転してくれたので、防止帯であることを全く感じませんでした。さらに、彼は防止帯のないルートを選んでくれました。タクシーの中で私たちはラジオのニュースを聞いていました。降りる時、そのなめらかな乗り心地についてお礼を伝えました。
 後になってヨスと私はお互いに情報交換をしたのですが、その男性は明らかにタクシー運転手としてはあまりにも並外れていました。その上、非常に背が高く、はっきりとした顔立ちの、鼻の高い人で、つま先がこれ以上ないほど長く尖った黒い靴を履いていました。生まれつき備わった威光があり、静けさのある人物でした。
 夕方になってようやく、この出会いについて電話で話していた時、突然、彼が非常に特別な運転手だったに違いないと感じて、感動してしまったのです。数年前にヨスは事故にあい、奇跡的に一人のタクシー運転手に乗せてもらったのですが、その時にも運転手はどこからともなく、知らないうちに現れていました。依頼を受けていたわけではありませんでした。彼はヨスを家に送り、料金はすでに支払い済みだと言ったのです(シェア・インターナショナル誌2017年5月号参照)。

ヨス・クイル
オランダ、アムステルダム
ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

「苦難の襲うとき、わたしは共にいよう」
(詩編91)

 2023年5月2日の火曜日、一人の女性がアムステルダムのインフォメーションセンターにやって来ました。彼女は真っ直ぐな黒髪の小柄な女性で、加齢のせいで少し腰が曲がっていました。インド出身の人のようでした。とてもフレンドリーで話しやすい人でした。
 彼女の語ったことの多くは、私も自分自身で認識していたことでした。彼女を理解するのが難しかったのは、話し方と言葉遣いのせいでもありました。オランダ語と英語を交互に話していましたが、どちらも彼女の母国語ではありませんでした。ある時点で、彼女がアムステルダムに住んでいるかどうかを尋ねましたが、返事はありませんでした。
 この話題が持ち上がってきた会話の流れはよく覚えていないのですが、あらゆる問題が頭の中を駆け巡ってしまうために、瞑想は彼女にとって大変に難しかったという内容は覚えています。自分の思考に注意を払わないようにと仏陀が言われた、と彼女は言っていました。私たち二人は、瞑想は依然として難しいけれども、やり続けていくしかないことに同意しました。
 彼女は呼吸ヨガを行っており、それは自分を落ち着かせてくれると言いました。彼女がやり方を私に示してくれました。それから突然、数字の91が出てきたのです。聖書を知っているか尋ねられ、詩篇91を意味していることがはっきり分かりました。
 彼女がインフォメーションセンターでの公開伝導瞑想について尋ねてきました。私は彼女に日時と、もし参加したいのなら、最初の時には早めに来て、どのように行うかについて誰かの説明を聞くのが最善だろうということも伝えました。そのことで彼女は疑わしそうな顔つきになったのは、月曜日には必ず見ているテレビ番組があって、見逃したくなかったからでした。私が『そう、分かりますよ』と思ったのは、『遠隔で』瞑想する時に、伝導瞑想が始まる前まで、時折私もテレビ番組を終わりまで見ているからでした。
 それから私たちは分かち合いやマイトレーヤについて話し、私は『全人類のための世界教師』と『人類の目覚め』の本を彼女に見せました。どちらにするか彼女は決められませんでしたが、最後にはうれしそうに二冊とも選びました。彼女は『目覚め』の意味について尋ねました。同義語として『意識的になる(becoming conscious)』ように努めた後、彼女は『用心している(alert)』という言葉を思い付きました。彼女はそのことに満足していました。その後、去っていきました。
 ところで詩篇91は今、私のコンピューター近くの壁にピンで留められています。それは美しく、言葉が慰めになり、とても気分が安らいで励みになるのです。
 明らかに私にぴったり合ったアドバイスとメッセージを与えられたので、彼女は特別な方であると信じています。彼女の訪問に心から感謝しています。

ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

追伸
 その女性が見せてくれた呼吸法を、必要な時いつでも行っていますが、『夢のように』素晴らしく効果があるのです!