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若い男性がマイトレーヤを探す

ヤネス・フェルヤンチク

 これは1996年6月の出来事である。その当時、私は数年前から再臨のアイディアに親しんではいたが、スロベニアには活動中のグループがなかったため、活発に活動をしていなかった。1日に長時間の個人瞑想をしていた時期であり、私は若く元気で、おそらく少し繊細で、自分が望むような場所や時期にマイトレーヤを見つけることができると思っていた。
 今振り返ってみると、マイトレーヤを探すことは、若い男性が太陽の下で居場所を見つけるような試みであったと思う。証拠や兆しを求める人は依然として存在し、この体験談は彼らのためのものである。マイトレーヤとベンジャミン・クレーム氏の真我に関する教えが広く理解されるようになれば、兆しは必要ではなくなるだろう。

1996年の夏、私はロンドンに1週間の「波動の調査」の旅行に行くことを決めた。それは私にとって初めてのロンドンへの旅行であり、私はすぐにイスラム教地区でマイトレーヤの『探索』を開始した。私は毎日、ロンドンの様々なモスクで、イスラム教徒と共に祈りに参加した。私はイスラム教徒の偽りのない献身に本当に感銘を受けるようになった。そのような種類の献身を見ることができたのは、これまでキリスト教の修道院や仏教の僧院だけであった。私はあらゆる種類の人々と出会った。ソーシャル・ワーカーからイマーム、スーフィーからサウジアラビアのシークなど、すべての種類のイスラム教徒と終わりのない宗教的な議論にふけった。私は彼らの祈りに参加し、彼らは私の献身に感心してくれた。彼らは、私がイスラム教徒になろうとしており、スロベニアでイスラム教を広め、当時戦争で苦しんでいたボスニアのイスラム教徒を援助するだろうと考えていた。次に私にとっての問題が始まり、私は困惑したのである! 私にとって、すべてが嘘であった。なぜなら、探している人物を彼らが知っているかどうかをどのように尋ねればよいか、私には本当に分からなかったからである。
 マイトレーヤがホワイトチャペル・モスクに定期的に来ていたと聞いていたため、私は東ロンドンのホワイトチャペル地域を散々にさまよい歩いた。私は毎日のようにそこに行き、夕方には当てもなくうろついた。最初の瞬間から、私はモスクのエネルギーに強い印象を受けた。それはちょうど、教会でたまに経験するキリストの波動のようであった。私は後方に立ち、祈りに参加する数十人の人々を毎日注意深く観察していたが、探していた物や人を全く感じることができずに、日々がただ過ぎていくだけだった。
 そして、イスラム教徒にとって聖なる日である金曜日がやってきた。午後1時ごろの大きな祈りでは、モスクは満員で身動きもできないほどであった。500人以上の人々が挨拶や会話をしていたに違いない。その場は、活気があり、興奮した雰囲気であった。祈りのために整列する時間になると、すべての人が、祈りを始めるのではなく、急に静まり返った。まさにその時、群衆の前で、いつもはイマームが祈りを主導する場所に、一人の男性が立っていることに気づいた。彼は190cm程の背丈で、とても痩せており、髭を生やしており、白いアラブ風の被り物を被っていた。彼は深い黄色の長いチュニックを着ていた。人が多く、彼からは実際に何も直接感じることはできなかったが、沈黙は奥深く、彼は深く尊敬されているようであった。彼は静かに話し、ある種の優しい権威により、彼の言葉は音楽のように感じられた。問題は、彼が私の理解できない言語で話していたことであった。男性の青白い顔をはっきりと見るには遠過ぎたが、男性は間違いなく候補者となった!ミーティングが終わった後で、私は彼を入り口で待ち、絶対に彼にインタビューをすると心に決めた。
 男性が10分ほど話をした後で、祈りが始まり、それは10分から15分続いた。祈りが終わり、私が彼にインタビューしようとし始めたとき、私は、以前に会ったことのある何人かのサウジアラビアの若いシークから話しかけられ、私の背景、政治的な状況、ボスニアの戦争など、あらゆる質問が始まった。私は彼らを連れてロビーに行き、男性をそこで待つことに決めた。15分間話をしながら、私は常にドアを見ていた。ようやく彼らが立ち去り、私がメイン・ホールに戻ってみると、そこは半分ほどの人出になっていた。そして私は本当にうろたえてしまった。男性はすでに見当たらず、ホールの反対側には別のドアがあった。私は急いで裏の道路に出たが、彼はどこにもいなかった。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、講演者はマイトレーヤであったことを確認した】

王の帰還
ロンドンに来て前半の時期は、私はいかなるイスラム教徒にもマイトレーヤを知っているかどうかを直接尋ねることはしなかった。私はそれが全くの冒涜ぼうとくとなることを知っていたからである。私はパキスタンから来た教師について尋ねるだけであった。その人物は非常に良い教師で、非常に霊的であると聞いている、などである。後に出発が迫ってくると、私はより大胆になり、ベンジャミン・クレーム氏の著書、『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』から1988年のナイロビでのマイトレーヤの奇跡的な出現の写真を何枚かコピーし、この人物と会ったことがあるかを人々に直接尋ねることを始めた。会ったことのある人は、誰もいなかった。数日間、私はこれをモスクや路上で普通の人々に対して行い、イマームやイスラムショップの店員など、可能だと思われるあらゆる人に聞いて回った。
 私にはリビア出身のハッサンという良い同伴者がいて、私の言葉を通訳してくれた。例えば、パキスタンからロンドンに到着したばかりの宗教教師で、英語はあまり話しません、などである。ハッサンは毎日のように私に同行し、私がイスラム教徒になるだろうという希望の下に、イスラム教を私に説明してくれた。私が彼に写真の男性が誰であるかを説明すると、彼は面白がった。ハウンズローのモスクのイマームも同様であり、彼に写真を見せたとき、彼は何も言わなかったが、彼の目が弾けたように笑っているのが分かった。私はすべての希望を失ったようであった。
 そして、旅行の終わりが近いある日、マイトレーヤが一時期拠点としていたホワイトチャペル地域のブリックレーンをぶらついていたとき、以前に素敵な店員と出会った小さなアラブ・ショップを再訪した。私はお香と香水を幾つか購入し、彼にナイロビの写真を見せた。驚いたことに、彼はその男性を即座に認識したのである!私は自分の幸運を信じられなかった。彼は確かなのだろうか。彼は男性と会ったことがあると主張した。それはいつなのか。数年前である。どこでなのか。エジプトの女性、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会の会場でのミーティングに彼が参加した場所、道路を数本隔てたところで。ザイナブ氏はイスラム国家を設立しようとした団体の一員であったという理由で1960年代にエジプトで投獄されていた女性である。彼女はある種の政治的、宗教的な反逆者であった。彼女は酷い扱いを受け、拷問され、ナセル政権の下で終身刑の宣告を受けたが、その後サダト政権になってから、1971年に予想外に刑務所から釈放された。彼女は後に活動を継続し、講演活動を行い、1990年代の初頭に講演でロンドンを訪れた。店員は、私が見せた写真の男性とそのときに出会ったのである。その男性はメインの講演の前に15分間話をしたが、男性が何を話していたか、彼は何も覚えていなかった。私は彼に再度、それは確かなのかを尋ねると、彼は再度、講演会で会った人物とナイロビの写真の人物は同一であると断言した。私はさらに驚いた。
 ここでついに、私は求めていた物質的な証拠を見つけたのである。次に彼は、店にあったザイナブ・アルガザリ氏の著書を見せてくれた。彼女はその本の中で、エジプトの地下牢での「苦難」と、人並みの精神生活を送る権利のための闘いについて書いている。私は店員に敬意を払いその本を購入したが、未だに全く読んでいない。私が読んだのはタイトルだけであり、それは私の心を即座に貫いた。その本は『王の帰還(The Return of the Pharaoh)』というタイトルである。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会にいた男性は、まさにマイトレーヤであったことを確認した】


編注:1980年代、独立系ジャーナリスト、パトリシア・ピッチョン氏は、彼女の著書『マイトレーヤを探して』(アルテ、2007年)に書かれているように、他のジャーナリストに接触し、マイトレーヤを『探索する』活動を調整した。マイトレーヤが一般大衆の前に出現できるようにするためには、メディアが人類の代表としてマイトレーヤの『探索』に十分なエネルギーを費やし、人類の自由意志が侵されないようにすることが必要である。マイトレーヤを『探索』したり、指し示したり、『つくり出し』たりすることは、ベンジャミン・クレームと共に活動する人々や、このグループに近しい人々の課題であったことは一度もない。しかしながら、1996年に起こったこの個人的な物語は、マイトレーヤは実際には遍在ではあるが、ロンドンの特定の地域におけるマイトレーヤの消息を伝えている。


編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

聖母の涙の癒し
編集長殿
 私の友人であるオーストラリアのアントニオ・パレナ氏が、数カ月前ベンジャミン・クレーム美術館に電話をかけてきて、これまでやってきた話し合いを続けるためでしたが、話の流れで私が最近広範囲の頸部手術を受けて、回復が難しく苦しんでいることを話しました。彼から涙を流す聖母像が存在していて、そこから涙を集めているという話をしてきて、ベンジャミン・クレーム氏から涙をホメオパシー薬局に持ち込んで、治療薬を作ることを勧められたということでした。アントニオがその錠剤を私が受け取れるようにしてくれたので、5週間前くらいから飲み始めました(手紙は2019年10月に書かれた)。首の手術の他にも、腰から仙骨にかけての重度の神経圧迫によって、脚に深刻な症状が現れてきていました。この脚の症状のせいで、もう8カ月間もほとんど眠れなくなっていました。治療薬を取り始めると、ハムストリング(もも裏側の腱)、ふくらはぎ、足、つま先の症状が一夜にして消えたのです。さらに以前の手術で飲んでいた薬のとても厄介な副作用で、生活が大変困難でしたが、それも無くなりました。こうした症状が両方とも一夜にして治ってしまい、文字通りたった一夜のうちのことで、症状が戻ったりもしませんでした。私はプラシーボ効果を起こしがちなタイプとは思えませんし、特に症状の一つが無意識の状態から発生していたこともあり、正直に言ってこれまで聖母とは何の関わりもありませんでした。子供時代の信仰でも重要視しておらず、シェア・インターナショナル誌の聖母の奇跡の写真でさえも、私にはほとんど興味のないことでした。イエスが子供時代の中心で、そのことで聖母であった覚者への関心を無くしていました。今考えてみると、それは本当に覚者方と不朽の知恵の教えに対する理にかなった反応ではありませんでした。手術からの首の回復はいまだにありませんが、そのことにも望みは高く持っています。そして解決困難な健康上の問題に苦しんでいる読者の方たちは、この治療薬を試してみたいのではないかと思いました(治療薬はwww.simillimum.co.nzで『泣く聖母の涙〈weeping Madonna tears〉』で注文できます)。
スコット・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス35

相乗効果
編集長殿
 2019年11月9日の、ジョージア州アトランタのビーガン・フェスでの、シェア・インターナショナルのブースに、「ロン」という名の男性が訪れました。彼は40代中頃に見えて、メディア用のパスに「ロン・G何とか」と書かれた名札を首からかけていました(彼の名字が見えませんでしたが、ちらっと見えた感じでは、名字はフィリピーノだと思いました)。彼から「これ一体何のことですか?」、「どうして関わることになったのですか?」と尋ねられました。その時からこの情報を彼と分かち合い始めました。
 私たちが伝導瞑想について話すと、彼はノースカロライナ州のシャーロットから来たと言いました。アトランタのグループメンバーのアン・ドハティが返事をして、今はシャーロットにグループがないけれども、他のメンバーたちがそこで展示や講演を行っていて、伝導瞑想がそのうちできることを期待していると言いました。私はロンに何をしているのか尋ねると、彼はエネルギーと相乗効果についてのプログラムを組み立てていると言い、「プログラム開発者」だと名乗りました。彼はそういったプログラムをMIT(マサチューセッツ工科大学)やスタンフォード大学で教えていると言いました。私が彼に研究者たちのみに教えているのか、それとも一般の人たちなのか尋ねると、「両方です。最初にエネルギーを教えるのは、彼らが一体性と相乗効果について理解する前に、エネルギーについて知らなければならないからです。私たちの相互関連性について考えることをせずに、エネルギーについて教えることはできません。この頃人々はあまりに離ればなれです。彼らはエネルギーについて理解しなければなりません。私たちは一体性について話をしています」。
 ロンはさらにプログラムのためにたくさん旅行をして情報を集めていて、行った先の様々な町でブースを訪問していると言いました。彼は「シェア(分かち合い)は知っています。もっとたくさんのシェア(分かち合い)のブースがあります」と言いました。彼によるといつもそうしたブースで同じ質問をするそうで、「それは何についてですか?」と尋ねて彼らの話に耳を傾けるのです。時折、話の中でそれとは異なった「獲得」について語る人もいます。彼は集めた情報をプログラムに利用していると言っていました。
 その時には私たちはロンとの会話にかなり没頭していました。彼は20分ほどブースにいてから、私たちのメッセージをどのように提示するかについての、ヒントを私たちに教えてくれたのです。私たちのテーブルの背後の、「世界資源を分かち合うとき、世界に正義がもたらされる。国々の間に信頼があれば、平和へとつながるだろう」と書かれた旗を、彼が見上げました。「もし私が情報を伝えるなら、『あなたが正義や平等、平和を信じるなら、私たちに加わるように勧めます。私たちは共にもっとずっと多くのことができます。これが相乗効果です!』と言いますね」。会話のこの部分で、彼は「正義」を強調したように思えて、このメッセージをそのように伝えるという提案を二度繰り返してくれました。さらに続けてロンは、「ツナミがやって来ますよ!ツナミのような波が次々にね!」と言っていました。私たちは彼の提案にお礼を言って、私はメッセージを提示する異なったやり方を教えてくれたと彼に伝えました。私たちは彼に再び名前を尋ねると、彼は「ロニー・ツナミ!」と答えました。
 後になって私たちは様々な人たちとのあらゆる素晴らしい交流のあった、ビーガン・フェスでの一日について話をしましたが、ロニー・ツナミは私たちの展示に、正義や平和、平等への強調という、異なった観点を提案することでイベントの展開を暗示していたと皆で確信しました。あるメンバーが「ロニー・ツナミは特別な方だと思う?」と聞いてきました。答えは「もちろん!」
クリスタ・ペレス
米国、ジョージア州アトランタ

クリスマスの精神
編集長殿
 昨年の2018年、私は夫と共に地元の郊外にある劇団による、チャールズ・ディケンズ作のクリスマス・キャロルの製作に参加しました。そのお芝居は当時の貧困の大変に胸の痛むような様子を描いていました。私は静かに泣き始め、マイトレーヤに「どうか急いでください、堕落に苦しむ皆のために、どんどんひどい状況になっています」と無言の訴えをしたのです。
 何とか最後までやりおおせて、劇場から出ていくと、素晴らしい出演者たちがホワイエでホームレスのために募金を行っていました。私は到底十分ではないと思いながらも、20ポンド(約2,800円)を箱に入れました。私たちは少し食料品が必要だったので、地元の食品店に行きました。レジの所で陽気なレジ係が私たちの最後の商品を精算していた時、30代の男性が突然現れて、1本のパンと赤ワイン1瓶をバサッとカウンターに投げ出しながら、自分のカードを機械に押し当てたのです。私は少しイラッとして、私たちはまだ終わっていないと彼に言いました。彼は「ああ、そうね、僕は急ぐから」と答えました。彼はお酒を飲んでいるのではないかと思いながら、レジ係に彼の精算をするように合図しました(その時は私たちが自分たちの買い物の精算をやり直さなければならないだろうと思っていました)。その男性はさっさと歩き出しました。夫が買い物を袋から出し始めると、レジ係からその男性が私たちの買い物の支払いをしたと言われました。私は彼を呼び止めて、「待って、あなたに支払いがあります」と言いました。彼は振り向くと手を振って、「メリークリスマス!」と大声で言って、さっと外へ出ていきました。かなりあ然として、私たち3人はお互いに顔を見合わせました。素敵なレジ係がクスクス笑いながら、「クリスマスには不思議なことが起きるものです」と言いました。
私たちの買い物はちょうど20ポンドと少しでした。
H.S.
英国、オックスフォード

読者の皆様へ

 新しい読者たちはシェア・インターナショナル誌がその目的をどのように定義しているかを知って、興味深く思うかもしれない。私たちは自分たち自身を新しい時代の声として、希望のメッセージや勇気づけ、有用で鼓舞される情報を運ぶ者として見ている。私たちは一般的なメディアが気づいていないような、原因と目的が根底にあることを考慮に入れた、世界の出来事に対する見解を提供することを目指しており、例えばこの惑星の進化のための大計画の存在が、世界の出来事の背後にある意識を示唆しているのである。一つの重要な世界的イベントは、この困難の時代に人類を助け導くために、今この現代世界におられる世界教師マイトレーヤと知恵の覚者方の、公に認知される顕現である。
 自然界の他の界との関係のみならず、お互いとの、そしてこの惑星との正しい関係へと私たちが移行するのを助けるために、マイトレーヤは分かち合い、つまり世界資源の公正な再分配を勧め、77億の人々すべての権利が保障される、社会正義と公平な国際的システムを成し遂げることを提言されている。それと同時にすべての国々は、環境の保護と保全を目的とし、この惑星の完全な健康を取り戻すための大規模なプログラムに、早急に協力しなければならない。
 多くの様々な国々での民衆の力の止められない高まりは、人々の集団が彼らの基本的な人権を要求する勇気と決意の中で増大するにつれて起こり、マイトレーヤや覚者方、ベンジャミン・クレームのような弟子や、世界の変容のために働く、その他の善意の人々の活動のとてつもない影響を示しているのである。マイトレーヤは日々、社会的に無視され、声を持たない人々の必要や希望を声に出している。彼のエネルギーが新しい世界を創造している。十分な人々の準備が整い、変化を要求しているために、彼は一人の現代人として今ここにいる。
 そのことを心の内に留めて、この惑星と数十億の人々の絶望的な状況を見れば、私たちはいつものように、あたかもマイトレーヤが公に広く認知される出現が、本誌の初代編集長であるベンジャミン・クレームによると『すぐそこまで来ている』かのように活動する。私たちの情報を広めるために、誰でもすることのできるあらゆることは、その過程に対して計り知れない貢献となることも、私たちは知っている。人々が彼の存在を知ろうが知るまいが、どこでも人々は長年待望された教師を見ることを切望している。一つひとつの『機会の窓』がよりオープンな出現への可能性をつくり出し、実際に彼の出現はいかなる時点でも起こり得る。彼のみが、そのような途方もなく大きな一歩をもたらすために必要とされるすべての条件が整う時を知るのである。私たちはこのことを彼の手に委ねる以外になく、過程を早めるためにできることに集中するのみである。彼の『帰還』のために働く人々は、ただ自らの努力を続け、彼の存在を確信し、他の人々に情報を知らせて、より良き世界に向かってマイトレーヤの優先事項の実現を促進するために働く。
 今年が終わるにつれて、人々の声の響きは次第に大きくなっており、私たちすべてができることについて、ベンジャミン・クレームが述べたことを思い起こす良い機会であるかもしれない。
 「人類の反応が変化の速度を決めるのです。そしてそれは起こらなければならないすべての変化の必要について、人々が話をすることに大いに左右されるのです。十分に多くの人々がそのことについて話をし、変化を要求するとき、マイトレーヤは出て来ることができるのです」
 2013年のベンジャミン・クレームとのディスカッションで、重要なポイントの一つとして彼が挙げたのは、グループの仕事と大宣言のタイミングの間には直接的な関係があるということであった。
 「私たちが大宣言の日に影響を与えるのです。私たちがグループ(世界中のグループ)としてやることと大宣言の日がいつになるかには、直接的な関連があります。大宣言の日は多くの人が考えているより早く訪れるでしょう。私たちはそれがすぐそこまで来ているかのように働く必要があるのです。実際的な意味では、マイトレーヤが1982年に最初に出て来られたかもしれない時と比べて、それよりもずっと早まるでしょう」
 グループは何に焦点を合わせるべきなのか。「話して、話して、話すのです。聞く耳のある人には誰でもいいから話をするのです。たとえ、しどろもどろでも、及び腰でも構わない。勇気を出しなさい。勇気を奮い立たせなさい。そしてハートから話しなさい。人々は答えを探しています。彼らには希望が必要です。私たちの仕事は人々を鼓舞することです」
 ということは、グループが私たちの情報を知らせる仕事を引き受ければ引き受けるほど、大宣言の日はより早くやって来るということなのか。
 「大宣言の日は、前もって決められた日時はないことを理解しなければなりません。それは私たち次第なのです。タイミングは分かっているのですが、日時はまだ決まってはいません。それは私たちのグループとしての有効性にかかっているのです。その日は私たちの働きを通して実現させることができるのです。より多くの人が、ただただ、もっと出かけていって話をしなければなりません。聞こうとする人すべてに話をするのです。すべての機会を捕まえなければなりません。
 グループは機械的な奉仕から抜け出す必要があります。私たちはこの非常に特別な情報に対して機械的で習慣的な反応をしないようにしなければなりません。新しい、より良い方法を推し進め、生き生きとして突き進まなければなりません。あまりにも少数の人しか話をしていません。あなた方は情熱を見つけ出し、ハートをその火で燃やさなければなりません。広告は有効であり、必要です。しかし、最善のことは話すことです。私たちは緊急性の感覚を持たなければなりません。いつも自分の目の前に、自分はこの仕事をするためにこの時期に生まれてきたのだという事実を掲げていなければなりません。私たちは、希望を与えること、鼓舞すること、この情報を伝えることによって奉仕をするのです」(シェア・インターナショナル誌2014年1月号)
 シェア・インターナショナル誌はこの機会に読者の皆さんに、1年のうちの楽しい祝祭の時をお祈りし、健全で寛容なグローバル社会のための欠くことのできない基礎としての、平和や正義、確立された善意への切望を分かち合いながら、人々が共に祝い集うことを願いたいと思います。皆さんのご支援と励ましに感謝いたします。2020年を心待ちにするとともに、皆さんに新年の祝福をお祈りいたします。

シェア・インターナショナル・チーム

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

次の2通は同じ人物からのものです。

冷静沈着

編集長殿
(1)数年前に(手紙は2004年1月に書かれた)、初めてBC(ベンジャミン・クレーム氏)のフレンズハウスでの講演に参加して間もない頃、私はワージングのサウス通りを歩いていました。大手銀行の一つの店舗の外に背が高く長い髪の男性が座っていて、お金を求める小さな紙の看板を持っていました。
私は少し遠くから彼に気づいていたので、彼には必ずいくらかお金を渡そうと思っていました。彼が私を見上げる距離まで近づきました。私はちょうど銀行へ行くところなので、お金を渡しに戻ってくるつもりだと説明しました。彼はただ「OK、兄弟」と言ってうなずきました。彼は長い黒髪に黒いジャケットを着ていました。真っ直ぐに私を見つめて、大変に物静かな落ち着いた雰囲気があり、ごく薄いブルーの瞳をしていました。
私は彼にお金を渡すために戻りました。彼は再び私を見つめて、ただ「ありがとう、兄弟」と言いました。その後もその出会いが印象に残っていて、ツキに見放された人で、あのような『雰囲気』を持った人物に出会ったことはありませんでした。この人はマイトレーヤかそれともイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

完全なサークル

(2)2003年5月の間中、私はワージングのモンタギュー通りを歩いて、その地域で撮影してきた『光のパターン』のフィルムを現像してもらいに行くところでした。
病気の動物のための慈善市民救護所の、深い青色の店の看板の上に、小さくてかすかな光のサークルがあるのに気づいたので、それを見るために急いで立ち止りました。私が立ち止ると、かすかな青いサークルの一つが突然白く輝く完全なサークルに変化して、その後同じくらいの速さでまた薄くなって元の姿に戻りました。
それはヘッドライトが非常に素早く付いて、消えたかのようでした。1時間ほど後で同じ店の前を通ってもう一度見てみました。驚いたことに、再びそれが起こり、同じように薄くなる前に完全な白いサークルに変化したのです。
それよりも以前に私は『かすかな』サークルの写真を何枚も撮ってきて、いつかもっと良い写真を撮りたいと願っていました。これらの『輝くサークル』はマイトレーヤによって現されたのですか。
リチャード・エルフィック
英国、ウェストサセックス州ワージング
【ベンジャミン・クレームの師は、そのとおり、輝くサークルはマイトレーヤによって現されたことを確認した】

すぐ近くに

2003年12月30日に、私は息子と彼のガールフレンドを車に乗せて、ムランの鉄道駅に向かっていました。ティエール大通りの真ん中で、白い修道僧の服を着た男性が歩道にいるのを私たちは目撃しました。彼はメガネをかけていました。スーツケースは持っていませんでしたが、「目的地エタンプ」と書かれたプラカードを持っていました。私は彼に手を振りました! 運転をしながらバックミラーを見ると、彼が私を見ていました。彼の眼差しはとても近くにあるように思えて、まるで車の中の私の真後ろにいるかのようでした。
息子のガールフレンドが私に、「彼は誰ですか?」と尋ねてきました。「マイトレーヤかもしれない、世界教師よ」と私が答えました。「それで彼はイエスみたいだったのね、どんな人の姿にもなれるんですか?」。「そうよ」。「それなら本当に確かなんですね?」。「そうよ、すごく楽しい休日になるという徴ね」と私が言いました。
彼女は自分の家族に会えるのを喜んでいましたが、同時に不安にもなっていました。彼女には元気づけが必要だと感じていたのです。これが本当にマイトレーヤだったのか、それとも妄想だったのか知りたいと思います。
ポーレット
フランス、ムラン
【ベンジャミン・クレームの師は、『修道僧』がマイトレーヤであったことを確認した】

天候への果敢な挑戦

編集長殿
1998年の冬の最中のことだったと思うのですが、ネルソン・ボランティアセンターで公開伝導瞑想会を開いていた時、カトリックの司祭と若い友人が参加してきました。その若い男性は露出度の高い短い袖のシャツを着ていました。私たちは彼に寒くないか尋ねました。彼は大丈夫だと言いました。その時私も他のグループメンバーもエスキモーのように着込んでいたのです。私がその背の高い紳士にどこへ行く予定なのか尋ねると、オーストラリアと答えました。彼らは1時間の瞑想の後、帰っていきました。彼らに普通でないところはありませんでしたが、夏のような格好をしていたのが少し奇妙だと思いました。彼らは誰でしたか。
ボブ・ヒューズ
ニュージーランド、ネルソン
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

何事も可能

編集長殿
数年前に(手紙は2004年4月に書かれた)、私は車の事故に巻き込まれて、内臓出血のために入院しなくてはなりませんでした。私は薬とベッドでの静養という治療を受けることになっていました。
2週間を過ぎても改善しませんでした。訪ねてきた友人が効くかどうか試してみるように、いくつかのハーブ薬を持ってきてくれました。私の日課の一部は治療のための祈りと瞑想を行うことでした。予定されていた外科手術の前の晩に、私の身体全体を流れるエネルギーの力強いうねりを感じていました。
翌朝、出血は止まっていたのです。医師はなぜなのか説明できませんでしたが、まさに「何事も可能」と言ったのです。
完全に回復して、私は数日中に退院しました。回復は病院の手当てのおかげか、ハーブの療法か、覚者による治療か、あるいはその三つすべての組み合わせでしたか。
バリー・ナイズワンダー
カナダ、アルバータ州エドモントン
【ベンジャミン・クレームの師は、治療がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

分かち合いの美

編集長殿
(2004年6月に書かれた)その月の最終日のことでした。仕事を終えて、私は数冊の状態の良い本を少しのお金のために売りました。けれどもそのことを気に病まないようにして、とても美味しい魚料理を手頃な値段のビストロで食べました。それから近くの公園に行きました。ここ数日大雨だったのですが、それにもかかわらずバラの庭では、あらゆる色と形、香りの花々が咲いていて、宝石のような美しさでした。太陽は照ったり曇ったりしていました。素晴らしい庭園のこの辺りでは、人々はより優しく動いたり、話したりしていました。とても美しかったので、私は喜びと感謝でいっぱいになりました。
その時若い男性を見かけました。物乞いの人で芝生に腰を下ろしていましたが(その区域では芝生は花壇の一部なので、通常人々はベンチに座ります)、とても優しげで柔和な様子で、まるでバラの中で生きているようでした。彼は景色に溶け込みながらも、同時に注意を引くことなく、平穏さの満ちた磁石のようでした。彼がいることで私はうれしくなりました。通り過ぎる時、「きれいですよね?」と言うと、「そうですね」と彼が言いながら微笑みました。
少し後になって、残っているお金をどうしても彼と分かち合いたいという、ものすごい衝動を感じて、戻りました。彼はお金を求めたりしていなかったので、私は慎重にもなっていました。注意深く、少しドキドキしながら、彼に私の手持ちのユーロを分かち合ってもらえるか尋ねました。彼は心底驚いた様子で、「あまりにびっくりして……」と言いました。私自身もその状況と、あの美しさやお金を分かち合って、「あなたと分かち合いたい」という言葉を伝えたいという強烈な衝動に驚いていたのです。
また私はこの手紙を書いていて、とても幸せを感じていますが、私の人生の状態はある意味『バラ色』ではありません。たとえその若い男性が『普通の』物乞いであったとしても、この出会いは祝福だと感じています。私の質問は、それは私のハートの中のマイトレーヤだったのか、それとも肉体を持った人としてのマイトレーヤだったのですか。
ヒルデガルト・ピンゲン
ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】

短く、簡潔に

編集長殿
私には2、3の奇妙に思える出会いがありました(手紙は2004年6月に書かれた)。
最初のものは暗く冷たい12月の夕方の、6時30分のことで、小柄な年配の女性が室内着だけを着て、早足で私の方へ道を渡ってきたのですが、素晴らしく大きく熟した枝付きトマトを手に持って高く掲げて、笑っていました。少し彼女が心配になり、大丈夫か尋ねました。彼女は「私、酔っ払っているかしら、どう?」と言いました。そのようには見えませんでした。「あなたは大丈夫ですね」と私が言うと、彼女はそのまま行ってしまいました。
次は、若い男性が微笑みを浮かべて、まるで私が最も素晴らしい存在であるかのように見つめていたことで、私が作家なのか尋ねてきて、普通列車を待つ間おしゃべりをしました。その後彼はお辞儀をして「さようなら、マダム」と言いました。どちらの出会いも普通には思えません。
あなたの師はコメントをくださるでしょうか。
アン・リンチ
アイルランド、ダブリン、ダン・レアリー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『小柄な年配の女性』がマイトレーヤで、『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

認 知

編集長殿
2004年4月にマルク・フェリーはパリでの伝導瞑想研修会に参加するため、出かけていきました。彼はその二日間で完全に変容し、元気づけられていました。彼は以下の体験が本物であるかの確認をお願いできるかどうか尋ねています。
日曜日の伝導瞑想の間、マルクの隣の男性が瞑想から出ていきました。誰かがやって来て席に座りましたが、突然別の背の高い美しい男性が、ブルージーンズに赤いポロシャツ姿で自信に溢れた様子で現れて、もう一人の男性に向かってマルクの右側の席に座りたいという身振りをしたのです。マルクはすぐにこの男性が大変に進化した人だという印象を持ちました。けれどもこの男性が手を重ねてきた時(ベンジャミン・クレーム氏が出席する時には、瞑想者全員が手をつなぐことになっています)、マルクはあまりにすさまじいエネルギーを受けたので、部屋の中で『彼』がここにいると叫びそうになりました。マルクが心の中でもし徴をいただければ(叫んだり)しませんと言うと、その男性はうなずいて、手を押さえることで応えてくれました。
その男性が瞑想を離れる時、彼が出ていく前に、その日は寒い日だったのでコートを持っていくだろうとマルクは予想していましたが、驚いたことに彼は赤いポロシャツを着ただけの姿で真っ直ぐ外へ出ていきました。
この男性は覚者のお一人でしたか。
マルク・フェリー
フランス、モンティヴィリエ
ピエール・コシェリ(代筆)
フランス、アラドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

ガイダンス

編集長殿
あなた、あるいはあなたの師は、24年ほど前の同じ月のうちに起こった以下の出来事について説明していただけますでしょうか(手紙は2004年5月に書かれた)。
(1)赤信号で止まっていた時、私ははっきりと内なる声が「聞こえて」、信号が青になると「進むな。ここにいて」と言ったのです。幸運にも私が声に従うと、数秒後に1台の車が高速で赤信号を通り過ぎていきました。
(2)あの特別な土曜日に、とても落ち着いて調和した気持ちだったので、南カリフォルニアの自宅から遠くない200エーカー(約24万5千坪)の牧場で乗馬をして過ごすことにしました。その半年前に同じ牧場で乗馬をしていた時、貴重なアメリカン・インディアン・ジュエリーで、ズニ族が作ったシルバーとトルコ石でできた「サンダーバード(伝説の生物)」を首に掛けていましたが、無くしていました。そこまで運転しながら、「今日『サンダーバード』を見つけられたら素敵じゃないか?」と思っていたのを覚えています。けれどもその考えをすぐに打ち消したのは、ジュエリーを無くして以来、大雨が度々降っては止み、その上私も何度か戻ってきていたからでした。
3時間の乗馬の中頃で、しばらく止まって休みを取りました。馬にまたがろうとした時、馬の前足の間の泥の中から突き出た物に、太陽の光が反射するのが見えました。そうです、それは私の「サンダーバード」でした!
リチャード・モラノ
米国、カリフォルニア州ロサンゼルス
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)警告はイエス覚者からのものであり、(2)その場所までイエス覚者によって導かれていたことを確認した】

覚者方と働く、いつでもどこでも

編集長殿
何年も前に(1980年代後半だと思います)、有名なオランダの霊能者との会合に参加しました。40名ほどの聴衆が集まっていました。その霊能者が講演を行い、続いて質問のできる時間がありました。私は彼女に世界教師マイトレーヤ、キリストが日常世界に戻ってくることについて知っているか尋ねることにしました。そう尋ねた瞬間、非常に強力な流れ込んでくるエネルギーを感じ、私はマイトレーヤのエネルギーだとわかったのです。それはあまりにも強力で、他の人たちも感知していて、もちろん霊能者自身も感じていたので、彼女は聴衆に向かって、何かとてつもない、非常に特別なことがその時起きていると告げました。
私はエネルギーのために震えながら座っていたのを覚えていますが、それほど強烈だったのです。その晩はほとんど眠れず、私には珍しいことでしたが、十分に『祝福によって充電された』のは明白でした。
一日か二日後、私はメンバーに電話をかけて、その体験を伝えました。
クレーム氏はその出来事とエネルギーの源について尋ねられて、電話の会話で確認してくださったのですが、それは実際にマイトレーヤからの祝福で、私を通して会場と聴衆に送られたということでした。
何年も前に起きたことですが、その体験を非常に鮮明に覚えていて、特に霊能者と聴衆の反応は忘れられません。
もし私たちがエネルギーの伝導にオープンで、覚者方が適切で有用だと考えられる時はいつでも、マイトレーヤや覚者方が、このような方法で私たちを通して働かれることは、私にとって全く明らかなことなのです。
匿名希望
追伸:私の体験では、同じ出来事がコンサートやその他の同じような大きな集会でも起きるものです。

人類の選択──選集

Humanity’s choice – a compilation

「人類の選択」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。われわれはいま両極化を目撃しており、それが人類に選択を強いる。現在の生活の様式の中にある危険があまりにも恐るべきものであるゆえに、人間の霊性はこれに反抗し、新しいものを探求する。このようにして、人は神の意志を認識するようになる。すべての背後に「大計画」があり、神の「意志」を包含している。人間は、知ろうが知るまいが、今やその大計画を実施する用意ができている。新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分たちが聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。彼らは時の危急を知覚し、奉仕のために己を捧げる。彼らはすべての地において「善」を代表する。
(『覚者は語る 1』ー勝利は保証されているーより)

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるであろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ。あなたがたの愛を通して──あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して───あなたがたは正しく選択するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第78信より)

金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしはあなたがたの友であり、兄である。しかし神ではない。御父が、再びわたしをあなたがたのもとに遣わされたのは事実である。わたしは、兄弟であるあなたがたのところへやってきた。あなたがたが望むならば、祝福された未来に案内し導くために、やってきたのである。わたしの役割は、道が岐れていることを人類に示すことである。道標は置かれた、そしてこの地球の未来はあなたがたの決定にかかっている。正しい道を、神につながる唯一の道を、人類が選ぶのを確実にするために、我々は(あなたがたとわたしとは)ここに集うている。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第19信より)

間もなく世界は、人類種族の長老たち、覚者たち、神の子たちが世界に戻るのを知るだろう。予言はわたしたちの再臨を告げ、弟子たちの期待を活気づかせてきたが、彼らの多くは、今のこの時の出来事に気づかずに眠りこけている。わたしたちの到来を熱望して待つ者は多いが、それを遠い未来のことと心に思い描いている。わたしたちの手が今、扉を叩いているのを彼らは知らないのか。目覚めなさい、友よ! 目を覚ましなさい、善意の働き手たちよ! 世界を変容させるために、わたしたちと共に働く者すべてを必要とする。あなた方の希望と信頼をわたしたちは慈しむ。わたしたちを見、あなた方の生活の中にわたしたちを歓迎する用意をしなさい。……今、世界の救済計画が進行中である。これは、世界に奉仕することを願う者すべての協力を必要とする。奉仕することは、今日、むずかしくない。なぜなら、奉仕の方法は手近にあり、地球そのものが救済を求めて叫んでいるのだから。あなたの奉仕の分野を選び、熱意を込めて行いなさい。あなたがそうすると、あなたの魂は、その仕事のために必要なことをあなたに授けることを知りなさい。さらに、わたしたちの手があなたがたの手を強め、重荷を分かち合うことを知りなさい。多くのことが変わらねばならないことは確かだが、その変化の速度はあなた方にかかっている。計画の詳細を実施するために、わたしたちはあなた方の協力に頼っている。奉仕が、新しい文明の先兵に向かって、明日のより良い世界の基礎を築くことを呼びかける。その点呼の列の中にあなたの位置を占め、わたしたちを助けて救済の仕事をしなさい。時刻の合図が鳴るときに、これを逃がさないように。
(『覚者は語る 1』ー奉仕への召集ーより)

過去の長い間には、気候の変化の結果、人類の大部分が生存をかけて動物と戦っていたときがあった。今日とは比較にならない規模で、彼らは飢餓を体験した。テクノロジー(科学技術)と科学と急速なコミュニケーション手段が、今日、大多数の人間にとって、大規模の飢餓の災難を除去した。問題は、それだけの遺産に恵まれた世界に、なぜ、あのような規模の飢えが存在するのか、ということである。すべての人間のために十分過ぎる食糧が存在しながら、なぜいまだに何百万の人間が悲しくも飢えており、人間の神性に恥辱をもたらすのか。人間は、誰が生き、誰が死なねばならないかを決める権利を、どの法によってわがものにするのか。自己満足感のどれほどの深みから、そのような審判が下せるのか。どのようなイニシアチブによって、どのような新しく見いだした恩寵によって、人間はこの不正行為の潮を堰き止めることができるか。間もなく、一連の出来事が人間に自分たちの人生の目的を再考させ、共通の遺産を認知することを強いるだろう。間もなく、新しい平等化が金持ちと貧乏人の両方に、彼らの自然な同胞愛を教えるだろう。程なく、偉大なる教師自らが、あらゆるグループ、あらゆる種類の人間との連帯を実演なさるだろう。そして大師に負けまいとして、今日の分割は癒されるだろう。これらの時をよく銘記しなさい。古き時代の終わりの始まりであり、新しきものの誕生の日である。今日、世界の指導者たちは統御することのできない出来事に苦悶している。彼らがまったく知らないフォースが、彼らを計画していなかったしばしばヒステリックな反応へと押しやる。彼らは自分たちの独断的教義に導かれて、混沌から混沌へと逃げる。その間、わたしたちは忍耐強く待つ。人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。徴はすべての者に見ることができる──新しい時、もはや飢えがなくなる時の徴である。
(『覚者は語る 1』ー飢餓の終わりーより)

いま転生している私たちは尋常ならざる責任を担っている。私たちがいま世界にいるのはそのためである。すべての世代がその時代の問題を解決する知識と経験を携えた人々(魂)を転生へともたらす。私たちは将来の問題を解決するために、人類が存続し続けるかしないかを──正義、分かち合い、正しい関係、平和への選択をするか、すべての生命を破壊するかを──決定するために転生して来た。マイトレーヤは人類が正しい選択をすることを疑わない。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』)

わたしに手伝わせてください。道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない、わたしの両手は「法」によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ。
(『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信より)

[大宣言の日の]この経験を通して、人類は自分たちの魂としての本来の姿に目覚め、そして新しいより良い正しい線に沿った文明を創造していくためのビジョンを得るでしょう。その体験に対する人類の反応が、この惑星の未来を決定します。マイトレーヤは二つの選択を人類に提供します。一つは、私たちがこれまでと同じように、古い貪欲で利己主義な自己満足感に満ちた過去の生活を続けて、自分たち自身を破壊するか、あるいは分かち合いの原則を受け入れ、人類が一体であることを受け入れて、これまで知られたことのない素晴らしい文明を創造するか。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命 第3巻』)

これから、人生は今までとは異なったものになるに違いないし、またそうなるだろうという事実に、多くの人々が目覚めつつある。新しい方向が招いており、過去のあり方に飽き飽きし、新しい道を試みる用意とあいまって、人々は人間の事態の中に一つの頂点を感知している。外的な出来事がこの体験の現実感を確認させてくれる──メディアは日ごとに、最新の発明や医学的洞察や、予期し得なかった妥協や長いあいだ疎遠だった人々の間の歩み寄りなどについて、世界中に一瞬のうちに通信し、報道する。不安や疑いが多くの領域にあるにもかかわらず、新しい希望が勢いを集めている。ひどい欠乏や恐怖だろうが、豊穣だろうが、永遠に続くものは何も存在しないことを人々は知っている。……人々は彼らを抑制する教義やイデオロギーから解放されて、かつては不可能と思われた合意に達することができる。不可能という言葉そのものが、様々な出来事がその逆を証明するにつれて、その意味を急速に失いつつある。これはいずれも偶然に起こるのではない。各々の成果の背後には、多くの働きと長い間練られた計画がある。人類がこの変化の唯一の誘発者であると考えるのは思い違いである。数え切れない長い長い間、人間は、彼らのために設置され、他者によって監督された道をたどってきたのである。「道の管理者」であるわたしたちは、その道を人間がたどるように示し、途上の多くの障害を無事にくぐり抜けられるように導くことを求める。……人類は道案内がいないことを恐れる必要はない。人類種族の兄たちであるわたしたちは、各々の必然性を予見してきており、人間の窮状に対する答えを熟知している。わたしたちの助けがあることを、わたしたちの助言はあなたがたが求めるならばいつでも提供されることを確信しなさい。わたしたちは人類の本当の必要を知っている。しかし人間は自分たちの自由意志で選択し、喜んで受け入れなければならない。もし人間が正しい選択をするならば、つまり資源の公平な分割を選ぶならば、わたしたちの手は解放され、さらに多くの助けを提供することができる。わたしたちの体験と知識はふんだんに与えられ、わたしたちの智恵と愛はすべての人々のために供される。わたしたちは確信をもって人間の嘆願を待つ。そうして、わたしたちは信頼される兄として、友として、あなたがたの生活の中に公に入っていくだろう。わたしたちの教師であり、あなたがたの教師である偉大なる主マイトレーヤが、ご自身の使命を始めるために舞台の袖に立って待っておられる。あなたがたからの呼びかけがわたしたちを前面に連れ出すだろう。
(『覚者は語る 1』ー新しい現実感ーより)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

幻の衝突事故

編集長殿
私が妊娠8カ月だった時(手紙は2004年2月に書かれた)、医師の健診を終え、車で帰宅途中のことでした。反対方向から来ていた1台の車が、突然店の入り口の車道目がけて、私の真ん前を横切ったのです。衝突は避けられないと思いました。私は思い切りブレーキを踏んだので、車は横滑りして、他の車のキィーッというブレーキ音が私の背後で聞こえていました。私は衝突を覚悟していましたが、まさにぶつかる瞬間が目前だったにもかかわらず、あの車のちょうど後ろをかすり傷ひとつなく通過して、それはまるで幽霊のような車だったのです! その時に私は心の中で、誰かが私と生まれていない赤ん坊を、本当に見守ってくださっていると強く感じていました。何が起こったのですか。どなたが私たちを助けてくださったのですか。
サラ・ボスバーグ
米国、ウェストバージニア州アイランド・ラン
【ベンジャミン・クレームの師は、それが『マイトレーヤによる奇跡の救出』であったことを確認した】

度重なる出会い

編集長殿
何年にもわたる長い間、私の姉と離れて暮らしていたので、姉と数日過ごす計画を立てました。2003年8月に私たちはパラマタにある、混み合ったショッピングモールにいました。姉は少しの間別のお店に行ってしまい、私は彼女が帰ってくるのを待ちながら、店のウィンドウを眺めていました。一人の女性が背後から私に近づいてきて、良い美容師がいるところを知っているか尋ねてきて、その女性は髪を切りたかったのです。彼女は背が高くほっそりとした、凛とした感じの人で、ツイードのジャケットとスラックス姿で、ブロンドがかった髪をきれいにセットしていました。私は力になれないけれども、姉は地元の人なのでお手伝いできるかもしれないと説明しました。その女性は私と一緒に待ってもよいか尋ねてきて、その時彼女が杖を持っていることに気づいたので、座って待つことにしました。待っていた間、彼女は最近の膝の手術のことを話して、庭の手入れをするのが難しいと言っていました。彼女は長年その地域が地元だったことがあると言いました。会話は快く、楽しめるものでした。私の姉が戻ってきて、彼女に別の郊外にいる美容師の名前と、そこまでの道順を教えました。その女性はその地域のことは良く知っていると言い、教えてもらえたことにお礼を言いながら去っていきました。翌日私たちは母を連れて別の町に出かけ、母の誕生日のために靴を買いに行きました。店にいた間、私は母の前で膝をついて靴をフィッティングして、サイズ感や履き心地を確かめるために歩いてみるよう母に言いました。母が歩こうと立ち上がり、私が見上げると、前日会った同じ女性がいるのに気づいて驚きました。彼女は横向きに立って棚の方を見ていました。そして同じ服を着ていました。この時には彼女は私たちのことがわからないようでしたが、母が近づいていくと、母の方を向いて静かな声で「とても素敵ですよ」と声をかけてくれて、それから歩いて店を出ていきました。姉と私はお互い顔を見合わせて、偶然ということはないと思いますが、彼女の存在にはどこか私たちの理解できる以上のものがあるように感じられ、彼女には特別な何かを感じていました。その数日間は私たちにとってとても特別で、私たちが離れていた長い年月の後で、再び愛情深いつながりと共有するものを体験したのです。その女性に実際に特別なものがあったかどうか、もし教えていただけるなら大変感謝いたします。私たちは天使の訪問を受けたと感じていました。
ロレイン・ヴァン・ダー・リンデン
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州ビューティーポイント
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

応えられた祈り
編集長殿
(1)2003年9月15日の早朝、広島県にある禅の道場へ向かう友人を見送るために、東京の羽田空港に行きました。それから品川区荏原の別の友人の所へ向かう途中に、その人とは同じ禅の道場で出会ったのですが、その時私はまさにこの瞬間に目覚めていることができるようにマイトレーヤに祈り、それがその道場で実践した生きる技でした。祈りの後すぐに、歩道の陰になった場所に光のサークルを見つけました。その光のサークルはマイトレーヤによって現わされたのですか。

中道

(2)2003年9月28日の午後、私は千葉市の神社に友人と出かけましたが、その友人は伝導瞑想グループのメンバーです。神社でお参りした後、境内の外で羽織袴の日本の昔ながらの装束姿の白人の男性を見かけました。彼は20代か30代で、短い金髪に黒いサングラスをしていて、それがそのような改まった格好にそぐわないものでした。彼は歩道の真ん中を堂々とした様子で歩いていました。私はその人が結婚式の披露宴を終えて家に帰る途中だと思いましたが、しわくちゃの茶色の紙袋を二つ提げているのが、とても不思議でした。彼は一度私たちを見ましたが、そのまま歩いていきました。私たちは彼がマイトレーヤだと思っています。彼は本当にマイトレーヤでしたか。
匿名希望
日本【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)そのとおりであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

冬の奇跡

編集長殿
1991年に訪問看護師としての仕事をしていました。朝6時30分頃にある患者の農場の家から出て、自分の車に乗り込みました。季節は冬で、何もかも凍り付いていて、田舎の道はスリップ防止のための塩や砂が、まだ撒かれていませんでした。私は運転してアスファルトではない道へ戻り、別の患者の所へ向かって道を下っていると、深い谷に隣り合った道に急カーブがありました。カーブした所を通っていた時、凍結したために車が回らなくなり、数メートルの深さのある谷に向かって真っ直ぐ突っ込んでいったのです。その瞬間、車が突然回転して、坂道をバックで下り出しました。その直前に私は自分の姿をバックミラーで見て、数秒の内に目の前で私の人生が終わるのを見ることになり、それで死ぬことになるのだと自分自身に言い聞かせました。けれども私の車はバックして丘を下り、私は救われたとわかりました。
私は起こったことについて、何人もの人たちに言わずにいられませんでしたが、その時、機械的には絶対に不可能なことだと言われました。だから、今2019年に、この証言を送ることに決めたのです。
匿名希望
ベルギー

次の2通は同じ人物からのものです。

肯定的な反応
編集長殿
(1)最近(手紙は2008年12月に書かれた)私たちはミュンヘンのフェアでブースを出しました。私はブースの前に立ってチラシを渡していました。突然、二人の若い男性が私の方へ歩いてきました。二人共が黒い服を着て、それぞれが大きなカメラを首に掛けていました。彼らの内の一人は、もう一人より少し背が高い人でした。冊子を差し上げるのはどうかと私が尋ねた時、彼らはきっぱりとした声で「はい」と答えてくれて、グループ瞑想に興味があるかどうか尋ねた時も、同様でした。どちらの時も私が驚かされたのは、通常人々は最初の内、もう少しためらいがちなものだからです。さらに二人共が質問を差し挟まずに私の説明を聞き、明晰なオーラを放っていました。興味深いことに、私は最初の時からずっとカメラを持参していて、私たちのブースを訪れた、マイトレーヤではないかと思った人物の、写真を撮ることができるようにしていました。けれども私はその二人の若者との話し合いに、あまりにも夢中になっていたので、そのことをすっかり忘れていました。彼らはマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、背の高い方の人がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人はイエス覚者であった】

癒しの泉
(2)数日前に(手紙は2008年12月に書かれた)私はボーデン湖の近くに住んでいる友人を訪ねました。彼女が地元にある癒しの泉について話してくれて、それは(近所の)乗馬スクールのグラウンドにあるのです。その泉の水はすでに多くの人々を救っていました。ある医師は彼女の両親に治療として、その水を飲むようにアドバイスしています。(1)どなたがその泉を活性化されたのか教えていただけますか。(2)それは特定の病気の助けになりますか。ありがとうございます!
クリステル・シュトロマイヤー
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その泉が聖母であった覚者によって活性化されたことを確認した。(2)水は一般的な治癒の助けになる】

奉仕の贈り物
編集長殿
2003年5月に、ニューヨークのブアヒーズビルの伝導瞑想グループは、私も活発に参加しているのですが、オルバニーのマリオットホテルでの、ホールライフエキスポでブースを出しました。けれども私たちのグループは、ブースのための支払いができる資金をすぐには確保できず、そのためにメンバーの一人がエキスポの管理者に、もし私たちが『テーブルのセットや片付け』で数時間働いたら、代わりにブースの場所をもらえるかどうか頼んでみました。言うまでもなく、テーブル一つが残っていて、誰も使おうとしなかったので、親切にもそれを私たちのグループに提供してくれました。私たちには何も求められませんでしたが、声をかけられたら手伝えるように、自分たちで準備はしていました。大体において、1日はスムーズに過ぎていき、配布できた資料もあり、売れた本も数冊ありました。再臨の仕事に関わるワーカーとしてのこれまでの年月で、それは皮肉なことに私の初めてのエキスポでしたが、これまで参加してこなかった者にとっては、非常に楽しいものでした。午前の終わり頃に、興味深い紳士が私たちのブースにやって来ました。彼には訛りがあり、浅黒い肌をしていて、50代に見えるがっちりとした体格の人で、キャップを被っていました。メンバーの一人は彼がパキスタン系アメリカ人と言っていたと思いました。私は彼が南アメリカの国の名前を言ったと思いましたが、正直言うと覚えていないのです。彼がどの民族かを伝えた後、彼が強調したのは、それでも彼は「いまだにアメリカ人」だということで、そのことはとても明白に覚えています。(彼がマイトレーヤか覚者だと仮定して)話の要点が、何か人により劣っていると感じさせるためのものではない(つまり『非アメリカ人』というのは残念なキャッチフレーズであり、近頃非常に頻繁にやり取りされているものです)と私が思うのは、私たちの平和のメッセージは、最近感じられる威圧的なナショナリズムとは対照的なものであるからです。その紳士の訪問の時に、テーブルを担当していたのは私を含めて3人のメンバーでした。彼は私たちに伝導瞑想と様々なヨガとの関連について尋ねてきました。二人のメンバー、ボリスとジーネットは彼の質問のほとんどにうまく答えていて、ラヤ(エネルギーのヨガ)とカルマ(奉仕のヨガ)で伝導瞑想が組み立てられていることについて話しました。私たちはパラマハンサ・ヨガナンダの教えのことも尋ねられたので、その流れからクリヤ・ヨガについても話したはずだと思います。その紳士が帰っていく前に、彼は私たちに伝導瞑想で料金を取るのか尋ねてきました。それが無料であり、一般の人たちに向けて開放されていると答えると、彼は声を上げて冗談めかして、伝導瞑想の参加に対して料金を取るべきだ(!)と言ったのです。彼は私たちが実際に、伝導の料金を取り始めるべきだと言ったのではありません。私が思うに要点は、ただ与えられているものに、ほとんど人々は価値を認めないということで、この文脈で彼が意味したのは、霊的成長と奉仕の機会のことではないかと思っています。この大変に興味深い男性はマイトレーヤか、覚者のお一人でしたか。
ジェイソン・V・フランシス
米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ちぐはぐな人

編集長殿
2003年7月19日に、私は駅へ行ってシュテルン誌を買いました。手に雑誌を持って家に帰る途中、若い男性に出会いました。彼は着古して擦り切れた服を着て、バックパックの他にとても大きな古新聞の束を新聞紙1枚で包んだものを持っていて、束の端が見えていました。彼とすれ違った時、彼は歩道に置いたバックパックの上にただ座っているだけでした。彼のセーターの大きな穴から肩が見えていました。私が物乞いにお金を渡すことは、めったにありません。彼はお金を求めてきませんでしたが、小銭が少しだけ残っていたので、2ユーロを取り出して彼に差し出しました。彼はとても優しく微笑んで「いいえ、結構です」と言いました。少し気恥ずかしくなり、私はお金を戻してゆっくりと立ち去りました。後になって考えると、彼には『マイトレーヤの手』を渡せばよかったと思いました。私にとって最も驚かされたことは、ハンサムな若い顔に優しい笑顔を浮かべながら、ボロボロの外見でお金を断ったことで、それが私の頭の中ではしっくりしないのです。彼は特別な方でしたか。
メヒティルト・ヴィーンケルドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

再登場

編集長殿
2003年6月2日月曜日、知人と私はドイツのミュンスターシュヴァルツァッハにある修道院へ車で向かっていました。私たちはカッセル東サービスエリアのガソリンスタンドに立ち寄りました。午後3時30分頃ドライブを再開しようとした時、年配の女性が私たちの車に近づいてきました。その女性は簡素な服装で、それぞれの手にビニール袋を持っていました。彼女は私たちに、そこまでは誰かと一緒にやって来て、300kmドライブしてきた後で、その人からこれ以上連れていけないと言われたと言いました。それで彼女は私たちがカッセルまで彼女を連れていけるかどうか尋ねてきたのです。知人と私は一瞬ためらいましたが、断りました。私たちは後になって、すでにカッセルを通り過ぎていて、サービスエリアにいた人は誰も、Uターンしなければカッセルに行けなかったことがわかりました。その女性の頼みを断った後、彼女は1ユーロをもしかしてもらえないかと尋ねてきました。知人がいくらかお金を渡すと、その女性は喜んで、「ありがとう、マリア、これで少し食べ物が買えるわ」と言いました。彼女の悲惨な状態にもかかわらず、幸福そうで満足しているようでした。もし知人が以前にも、この同じサービスエリアで起きた、よく似た女性との同じような出会いをしていなかったなら、私がこの出来事についてそれ以上考えることはなかったでしょう。ベンジャミン・クレーム氏は、過去にこのサービスエリアで知人に近づいてきた女性が、マイトレーヤであったと確認されました。私は今そのことについて考えずにはいられず、その年配の女性が同様にマイトレーヤであり得るのではないかと考え続けています。あの時のことが忘れられないので、あなたからのお返事をいただければ幸いです。
アンネッテ・ローペルドイツ、シェーンキルヒェン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

目は知っている!
編集長殿
2019年3月22日にバス停にいて、数カ月間仕事をしてきた顧客の葬儀に向かうために、バスを待っていました。小雨が降る日でした。年配の男性がバス停に近づいてくるのが見えました。彼の横にはその年配の紳士の頭上に傘を差しかけている人がいました。年配の男性はやって来て私の隣に立ち、気さくに話しかけてきました。彼は周囲のあらゆるものに気づいていました。彼はドイツ系の人で、わずかに訛りがありました。きれいな身なりで金と黒い石の指輪を付けていて、見事な物のように見えました。ある時には彼が指輪にごく軽くキスしていました。彼は屈託のない人だとわかり、彼の周りの人々に感謝の念を持っていました。その年配の男性は間もなく受ける予定の目の手術のことを話しました。それが私の心に「この人は誰?」という疑問が浮かんだ瞬間でした。というのは、過去に私も目の症状のために、医療処置の必要なことがあったからでした。バスが到着するのを待っていた間、私は「もうすぐ来ますよ」と言っていました。彼が「私の妹もいつもそう言っていますよ」と言い、そう言いながら笑っていました(このことから私たちのグループが「もうすぐです」と繰り返してきたことが思い浮かびました)。その後私たちはバスに乗り、彼は通路の向かい側の母親と子供に注目して、母親が子供に本を読むのを楽しんで見ていました。彼は私にもそれを見てみるように言ってきました。彼が立ち上がってバスを降りる時、私の手を取り、「神の祝福がありますように」と言ってくれて、彼の優しさが際立っていました。1週間後、私は目から出血して網膜剥離だとわかり、外科手術が必要でした。あの男性との出会いと彼の屈託のなさを思い出すことで、回復の痛みは和らげられました。彼は私たちの周囲で進行しているすべてのことに、注目してもらいたいと思っていたようでした!
メアリーアン・スレイン
米国、サンフランシスコ

一体感
編集長殿
2019年6月5日の水曜日に、私たちはテレビで英国ポーツマスでのDデイ75周年記念式典を見ていました。数百人の退役軍人、ロイヤルファミリーや世界のリーダーたちが集い、戦って命を落とした人々を追悼し、敬意を表し、退役軍人たちの栄誉を称えたのです。手紙や日記から引用され、朗読されたものがとりわけ感動的でした。たくさんのものの中から一つの逸話が印象に残りました。ある連合軍兵士が重装備のリュックのせいで背中から水に落ちたけれども、兄が両腕で足を引っ張って助けると、皆が前進するのを励ますために、彼はできる限り素早くバグパイプを演奏し始めたというものです。私たちは、視聴者であっても全体の一部として含まれていると感じ、まるで私たち、生きている私たち皆が、一体となって、あらゆる年齢の男性も女性も、自由を守りながら亡くなった人たちも、家に残った彼らの愛する人たちも、家に帰った人たちも共に一つになったかのようでした。もしかして以前の1997年のダイアナ元妃の国葬中にあったように、マイトレーヤの祝福があったのだろうかと不思議に思うようになりました。
匿名希望

親愛なる友人たちへ
シェア・インターナショナルの皆さんへ、あなた方のなさっている助力と大変な仕事すべてに対して、お礼を申し上げたいと思います。何年にもわたり、私は書籍やポストカードを購入してきましたが、それらは非常に興味深いものです。さらにマイトレーヤやベンジャミン・クレーム氏に関する情報を、私はベストを尽くして伝えてもきました。あなた方が行っているこの偉大な仕事を続けていかれて、より多くの人々が真実を知るように祈っています。
J・ロウ夫人
英国、ノーザンプトン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

正しい選択

編集長殿
それは2001年のオランダでのケルクラード研修会後のことで、メンバーの友人と私はロンドンに帰る飛行機に乗る前に、アムステルダムで時間ぎりぎりのショッピングをしようと決めていました。私たちの行きたかったデパートは午前11時まで閉まっていたので、コーヒーを飲みに行きました。途中にチベットのお店の前を通りました。友人はチベットにいつも大変興味を持っていたので、入ってみようと私が言いました。店に入ると心の奥深くからどうしても何かを、チベットのものを買いたい気持ちになり、チベットそのものを支援したいような気持ちでした。穏やかで、それでいて厳しい顔つきの、チベット人の店員がカウンターの後ろにいて、私たちが眺めていた物すべてを見ていました。私たちは色について、どの色が自分たちに似合うか話し合っていたのですが、そこのガラスの棚の上に美しいシルクのスカーフがたくさん展示されていました。スカーフは生糸で織られていて高価だったので、私たちの予算を超えていました。それから私たちは実際に店の物を全部見て回り、修行僧の履くような室内履きを見つけた時には、伝導瞑想にぴったりだと思って笑ったりしていました。その間中店員の視線に気づいていて、彼は美しい物を見ていた私たちの喜びを楽しんでいるように見えましたが、彼の様子には何か差し迫ったところがあるように思えて、必ず買い物をしなくてはという気にさせられたのです。最後に私たちは「とても美しい品々がこのお店にはありますね、買い物がしたかったのですが、今ちょうど持ち合わせがないので、ごめんなさい」と言いながら、チベットの景色のハガキを買いました。その店員はただうなずいていました。歩いて行きながら、私は何かを、あるいは誰かを裏切ったというひどく嫌な気持ちになり、店に戻らずには家に帰れない予感がしていました。コーヒーを飲んでいる間、他に何も考えることができませんでしたが、何とか立ち直り、このことすべてがいかに馬鹿げているかを自分に言い聞かせていました。私たちはデパートへと別の道を歩いていたように思いましたが、その後、角を曲がると突然、またあのチベットのお店があったのです! 私たちはすでに遅れていたので、友人は急いで通り過ぎていき、私は彼女の後に続いていたのですが、もちろん私は店の中をのぞかないではいられず、あの男性がやはりカウンターの後ろに立っていたのです。私はもう耐えられなくなりました。私は友人を呼び止めて、この圧倒される感覚の困難な状況を説明しました。もう午前11時だったので、残り時間は多くありませんでしたし、友人がまだデパートで買い物をしたいのはわかっていました。私はどこへ行くべきか板挟みになった気持ちでした。けれども彼女はとても優しく、すぐに理解してくれました。私たちはそのお店に戻り、今度は店員がチベット僧のお経のテープを流してくれました。私が安いTシャツをラックから取ると、彼が歩いてきて試着できる場所を教えてくれました。私はTシャツを着て出ていって、「どうかしら?」と尋ねました。友人もチベット人の店員も二人共が首を振って、「ダメ」と言いました。あらいやだ! それから私はあの高価なスカーフを試してみるべきだと悟りました。時間が無くなっていたので、私はスカーフをつかむと試着室へと走り、友人を意識して、首にさっと掛けました。「そう、それが良い」と彼らは言いました。おかしな話ですが、私は現金で支払えるちょうどのお金を持っていたのです。チベット人の店員はそれを包んで、おまけのステッカー2枚をくれました。彼が小銭のお釣りを渡しながら、ダライ・ラマのバッジを買うように勧めてくれましたが、良心の呵責からこれ以上は買い物ができませんでした。店員は私の友人におまけのバッジをくれました。私たちがお別れを言うと、突然私は幸福と自由を感じ、重荷が無くなったような感じでした。後になって私はその紫色のスカーフを畏敬の念を持って見つめています。チベットのシルクスカーフは体を覆えるくらい大判です。それは本当にきれいで、とても美しい色なのです。あまりにも深遠な体験だったので、手紙を書いてお尋ねしなければと思いましたが、すべて私の想像だったのか、あるいは(1)私はそのお店に行き、スカーフを買うことになっていたのか、(2)その店員はごく普通の店員だったのでしょうか。教えていただけますと大変ありがたく思います。アネット・ポンズフォード 英国、サセックス州フォレスト・ロウ【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)その『店員』がマイトレーヤで、スカーフを祝福されたことを確認した】

転んでも幸運
編集長殿
2003年1月30日頃、私はエクアドルのビルカバンバのホテルにいて、ピンクのコンクリートの歩道橋から突き出ていた一本の鉄筋(金属で強化された棒)につまずいてしまいました。振り返ってみると、転んだ時に鉄筋が目を突き刺すか、脳に刺さっていたかもしれない危険があったと思います。でも不思議なことにつまずくのと、橋の脇のコンクリートの厚板にぶつかる間に、少しの時間も経っていなかったように思えました。私は腿から転んでものすごい痛みがあり、打ち身が腫れて、広範囲にひどい打撲傷を負い、片手を刺して鎖骨にあざができましたが、それだけで後は順調に回復しています。どなたかがもっとひどい怪我から私を救うために介入されたのですか。
J.D.ラビット 米国、ヴァーモント州ウェスト・ベルリン【ベンジャミン・クレームの師は、よりひどい怪我からイエス覚者によって助けられたことを確認した】

神には十分
編集長殿
2003年8月27日に、友人と私は『シルクロードの仏たち』についての展覧会から出てきたところでした。私たちは東洋風のレストランで食事をすることにして、アルスターアルカデン(ハンブルクのショッピングセンター)の外にあるテーブルを見つけました。数分後、鮮やかな色の服によれよれのジーンズ姿の中年男性が、私たちのテーブルにやって来ました。彼の瞳は真っ青でした(私たちはそれより前に、オペラのアリアを歌っていた歌手に彼が微笑んでいたのを見かけていて、私たちがその歌手にお金を渡すと、彼が左手を胸に当てて私たちにおじぎをしてくれました)。彼はハンブルクでホームレスの人たちによって編集されている、ヒンツ&クンストという新聞を差し出してきました。私は新聞を欲しくありませんでしたが、このような時のために集めていた小銭が入った透明の袋を、彼に渡しました。彼は袋と私を見て、「これは何ですか? このお金は知らないな」と言いました。私は不快に思いながら、この中には10セント硬貨が入っていることを説明しようとしました。彼は微笑んで「ペニー(ユーロが導入される前の貨幣)の方が良いのです」と言いました。それから彼は私の友人を見つめて、「あなたは私たちの仲間です」と言いました。彼は彼女に自分がフィンランド出身だと伝えました。友人はずっと前に1年間暮らしていたことがありました。彼は彼女に「私たちの間では、女性はあなたのように育つのです」と言いました。その後、彼は私を見て、「あなたは一輪の花のようにきれいです。お世辞ではありませんよ……私はあなたを知っています」と言いました。心の中では深く感動していましたが、ほんの少し気まずい思いもありました。それで私は彼に離れて欲しかったので、幸運を祈ると伝えました。彼は「幸運は助けになりません」と返事をしました。すると友人が「時には助けになるわ」と言いました。彼は再び返事をして「私はカトリック教徒です」と言い、彼が首にかけていたロザリオの十字架を見せてくれました。友人が彼の国にはごく少数の人たち(カトリック教徒)しかいないと言うと、彼は私たちに微笑んで「7,000人は神には十分です」と言ったのです。
ヘルガ・プファイファー、レナーテ・シュトルヒ ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】