カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

直接向かい合う

編集長殿
 2021年5月27日、私たちは再び『あの変装したマイトレーヤ』と出会い、会話を交わしました。ベンジャミン・クレーム氏(BC)が最初にこの人物について語り、彼を『特別な訪問者』と呼んだのは、彼が実際に現れる数カ月前のことでした。彼は後になってBCと彼の師によって、特定の変装をしたマイトレーヤであると確認され、よくアムステルダムのインフォメーションセンターを訪れたり、その近辺での異なった状況下でグループの様々なメンバーと会ったりしています。彼が最後にグループのメンバーと話をしたのは、2020年の6月でした。その時に彼は、かなりの期間会うことはないだろうというように伝えてきました。
 今回の彼の最初の問いかけは、「グループはどう?」でした。それからインフォメーションセンターが開いているかどうか尋ねてきました(私たちはロックダウンのために昨年3月以来閉めていて、本の注文などに対応するためにだけ入っていました)。「その場合の瞑想についてはどうなのかな、皆さんはオンラインで瞑想している?」。彼がそれはいいねと言いました。「一般公開の講演はしている?」。いいえ、私たちは実際に会うことはできないので、次善の策として、ウェビナー(インターネットセミナー)をやっていましたと答えました。彼の反応は素早いもので、ウェビナーに興奮したりしませんでした。「人と人の、面と向かい合った個人的な接触に勝るものはない」。さらにそれが『彼の個人的な意見』であるけれども、今のところ必要であることが本当に分かったと言っていました。「今でも……直接に向かい合うことがより良いことだ」。インフォメーションセンターのことについて、彼は『青信号』になったらすぐに、私たちを訪問するつもりだと言いました。
 私たちは、どのくらいコロナウイルスは続くのか尋ねました。完全に消え去ることはないだろうと言われました。それは風土病になるだろうということでした。そして彼から思いも寄らず尋ねられたのは、「そのウイルスは予測されていたか?」ということでした。それがBCかBCの師によるものという意味だと、私たちは理解しました。「そうですね、いいえ、おそらくはっきりとはありませんでした。けれどもベンジャミン・クレーム氏や彼の師、そしてマイトレーヤによって私たちが繰り返し伝えられてきたのは、もし人類が変化しないなら、私たちがこの惑星と自然界に与えている影響に気づかないなら、当然避けられない帰結というものがあるだろうということです。つまり原因と結果なのです」。彼はうなずいて、「そう、原因と結果、結果と原因だ」と悪循環を示しているように言いました。私たちはこの手紙を書いていた時になってやっと、中国で新型コロナが最初に報告される直前の2019年11月に、『ロニー・ツナミ』による警告、あるいは予測がなされていたことを思い出したのです(本誌2019年12月号参照)。それから彼は、私たち(世界)がすべての国々、特に発展途上国に、どうやってワクチンを供給できるかという問題について語りました。「私たちは月へ行ける、火星にも行ける、必要な手段も持っていて、どうすれば良いか分かっている、できたはずだ。まだできるはずだ」と彼は言いました。
 「今は困難で、厳しい時代だ。あらゆる人々にとってつらい状況だ。しかし私たちは滅んだりしない、世界は生き延びるだろう。けれども何百万もの人々にとっては、非常に過酷だ。彼らは今苦しんでいて、これからも経済的失敗の結果や、収入を失うことなどで苦しむだろう」
 なぜ物事はうまくいかないのかと考えて、人々が時々心配したり腹を立てたりしても、それは自然なことだと彼は言いました。そして時に腹を立てることは許されている、大丈夫だと言いました。彼は上を指差して(彼は過去にもこの仕草をしていました)、神に腹を立てる人をいたずらっぽく真似して、「パパ! なぜそんなに時間がかかっているんだ?」と言っていました。「私たちはマインドだけを使うときに腹を立てるんだよ、……よりも」と言い、信や直観よりもという意味で言っているようでした。
 たくさんの雨の後で温かな気候になり、木々や灌木、植物すべてが、青々として茂っていました。私たちの『特別な訪問者』は、自然の中で楽しむこと、心から思い切り楽しむことを出し惜しみしたことはないと語っていました。「ごらん!」と彼が公園の中の周囲すべての美を指差して、「毎年そこにあるんだ。私たちは何もする必要がない、ただそこにあって、私たちに与えられているんだよ!」。
 「お互いにハグもできないなんて、何と残念なんだ、でも『霊的なハグ』をするよ」と彼が言って、私たちの会話は終わりになりました。さらに、インフォメーションセンターで再び会えるだろうと言ってくれました。「またすぐ会おう! それから会ってくれてありがとう」。彼はお辞儀をして、古い自転車に乗って去っていきました。

グループメンバー 一同
アムステルダム

イエス覚者に委ねる

編集長殿
 私の夫、ジョン・フィリップスは重病を患っており、できる限りの間、私が自宅で看護してきましたが、それがあまりにも難しくなったため、夫はホスピスに入ることになりました。
 そこでの最初の夜に、彼は混乱して取り乱してしまい、家に帰りたがっていました。幸いなことに、ボランティアの一人が彼のそばに付いていてくれました。ジョンがマイトレーヤの手のカードを枕に置いていたのに気づいて、そのボランティアの女性は驚きました。彼女はジョンに、どうしてマイトレーヤについて知ったのか尋ねてきました。
 そのボランティアは、エステル・ダウエス・デッケルだとわかりました。彼女は長年にわたってグループのメンバーである、アレクサンデル・ダウエス・デッケルの娘だったのです。ジョンはエステルの助けと気遣いにとても感謝していました。突如としてジョンは、「マイトレーヤが君(エステル)を私の所へ送られた」ということを完全に悟ったのです。彼はすぐに静けさと安心を感じていました。
 ジョンはあごひげの男性が彼の部屋にいるところも見ていました。彼は死に近づきながらも平穏であり、「ただもうイエス覚者におまかせするよ」と言いました。
 彼は2週間後、あまり痛みもなく、穏やかに亡くなりました。
 私たちにとってこのことは、覚者方が私たちと私たちの愛する人々を導くために、常に私たちと共にあることを思い出させてくれる、美しい実例なのです。

ナンシー・デ・グラーフ
アムステルダム

囲み記事:

全知遍在のハート

編集長殿
 私は幸運にも、自宅の庭や室内の植物の中に、ハート形の葉っぱをたびたび見つけています。それら全部が徴と考えられるかどうかわからないので、シェア・インターナショナル誌に送るのをためらいました。けれども葉のいくつかは困難な時期に現れたもので、ある場合には愛と励ましを与えられていると、本当に感じました。私は散歩が難しくなったので、私の小さな庭を歩くことを楽しみ、とても豊かな植物の世界の美しさに驚嘆しています。
 ここに数枚同封しているものは、偉大なる存在の全知遍在と愛の証明としてお送りしています。

ローズ・マリー・マルミヨン・カロネゴ
フランス

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

予言者を期待する?

編集長殿
 2021年5月9日日曜日、私はリヨンでの気候マーチに参加しました。行進では、主催者によると7,000人近くの人々が集まり、ソーヌ川岸に沿って行列が広がって、楽しく陽気な雰囲気に包まれていました。
 ある時に『レポーター』がマイクと録音機器を持って、私に近づいてきました。彼はカメラを持っていませんでした。彼が来るところも帰るところも見ておらず、どこの会社で働いているのかもわかっていないのです。
 私たちは隣り合って歩いていました。会話は思いも寄らないもので、彼の最初の質問では、「あなたは未来について楽観的ですか?」と聞かれました。私は、はい、楽観的ですと答え、この現象は世界的なものであり、私たちは人類が一つであることを理解しなければならないなどといったことを話しました。
 「あなたはどこからそうした情報を得たのですか? どうしてそう言えるのですか?」と聞かれました。
 私は進化には資源の分かち合いが欠かせないのであり、今の危機は環境の問題であるだけでなく、社会的、経済的、そしてとりわけ霊的な問題であると指摘しました。
 「それではあなたは予言者を期待しているのですか?」
 そこで私はすべての時代の変わり目に、およそ2,000年ごとに偉大な教師がやって来て、仏陀やキリストのように人類を教え、助けることを伝えました。
 「でもそれは誰ですか? 私たちに見ることはできますか? 今まで会ったことはありますか? その人は今日ここにいますか? 彼の名前は何ですか?」。彼は熱心に食い下がってきて、私に矢継ぎ早に質問してきました。私はまさに核心へと押し進められている感じがして、ついに彼の名前はマイトレーヤだと伝えました。
 「どういう綴りですか?」。エム(M)、エー(A)、アイ(I)、ティー(T)、アール(R)、イー(E)、ワイ(Y)、エー(A)です。
 すると彼は去っていきながら、「私に希望を与えてくれてありがとうございます」と言ったのです。
 私はそのイベントを幸せな気持ちで終えて、こうしたことすべてをこのような驚くべき方法で言えたことは私にとって喜びでした! 予想もしていなかった言葉の数々について、いまだに考えていて、その若い『ジャーナリスト』の見通すような黒い瞳と、私に次々と質問を浴びせた様子を思い出すのです。彼に希望を与えたことに対する彼の感謝に励まされています。
 その時のためだけに私は参加したような気持ちになりました。
ジュヌヴィエーヴ・ジャコベリ
フランス、リヨン

予期せぬ大歓迎の訪問者たち

編集長殿
 2021年5月8日土曜日の午後3時30分、9人のグループメンバーが、私たちの施設であるニューカレドニアのヌメアのインフォメーションセンターに集まりました。何カ月も準備をしてきて、6月に「平衡と幸福」フェアで発表することになっている、伝導瞑想についてのスライドショーのことを話し合うためでした。
 私たちが(スライドショーの)知恵の覚者方についてのパートを始めた時、女性と男性の二人の訪問者が、午後4時にインフォメーションセンターを見学しにやって来ました。私たちがこの来訪に驚いたのは、いつもならオープンハウスは月の第一土曜日に開かれていて、それは先週の5月1日に予定されていたからでした。
 それでも私たちは彼らを招き入れ、発表の準備に参加してもらいました。彼らはとても感じが良く、議題にも興味を示していました。発表の最後にその女性が「すべて明快でしたね」と言い、それから私たちに「マイトレーヤについてもっと教えていただけますか? マイトレーヤについて聞くために、私たちは来たのです」と尋ねてきました。
 私たちはこの質問を予期していませんでした。質問に答え終えて、やりとりがあってから、スライドショーにはマイトレーヤの名前が出てこなかったことに、私たちは気づいたのです。
 それから私たちは短い伝導瞑想をすることを提案し、15分ほど行いました。11人が参加しました。その女性が「エネルギーがパワフルでした」と言いました。
 会議を終えるに当たって、メンバーの一人がマイトレーヤのメッセージ第82信を読みました。読み始めるとすぐに、その女性がとても感動して、すすり泣き始めました。メッセージの終わりの時にも、同じようになっていました。
 私たちはその日の出来事の特別な性質を感じました。
シェア・インターナショナルグループ
メンバー 一同
ニューカレドニア、ヌメア

忘れ難き人

編集長殿
 20年前に、妻と私はカリフォルニア州パサデナにある、小さな公園に隣接したアパートに住んでいました。土曜日にはいつもどおりに、公園で寝泊まりしていた、あるホームレスの男性に会って、少しお金を渡すことになっていました。12月だったので、私の母から手作りのクリスマス・クッキーの詰め合わせが届いていました。母は大変料理上手で、それが届くのをいつも楽しみにしていました。公園に持っていくために、いくつかをコーヒーの缶に詰めました。けれどもいつものホームレスの男性はいませんでした。それでも別のホームレスの男性が公園の向こう側にいるのが見えました。彼に近づいていくと、彼が食料品店のカートの中に服を入れていたのが見えました。公園のベンチで彼は注意深く服をたたんでいました。彼は耳にかぶさる長さの茶色の髪に、血色の良い顔色で、たくさんの時間を太陽と風の中で過ごしている人のようでした。彼が服をたたんでいた時、彼の服がとても清潔で、しわ防止加工されていたかのように見えて驚きました。私は彼に挨拶をして、少しお金を渡して、それから母から送られたものだと伝えながら、クッキーの缶を渡しました。彼は「ありがとう。あなたのお母さんの手作りなら、とてもおいしいに違いないね!」と言ってくれました。この時にもまた、彼のことが頭から離れませんでした。
住所氏名非公表
米国
【ベンジャミン・クレームの師は、そのホームレスの男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

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ある『大学生』による喜びの教訓

編集長殿
 1995年頃、私は修士号取得のために、ロサンゼルスのカリフォルニア州立大学へ戻りました。ある日の午後遅くの日没前に、伝導瞑想に参加するために車を取りに行こうと、キャンパス内を歩いていました。二人の男子学生がキャンパスの歩道を私の方へ歩いてきました。彼らが近くなった時、見上げると若い女性が、彼らのすぐ後ろを歩いてきているのが見えました。彼女は大学生の年頃で、肩くらいの茶色の髪でした。ちょうどすれ違う時に彼女が私を見て、モナリザのようにとても優しく微笑みました。
 突然、私は喜びでいっぱいになったのです! ハートが満たされ、足が地についていないような感じで、心がとてもウキウキとしていました! すぐに思ったのは、「彼女がしたように、私も微笑むだけで他の人々をこんなに幸せにできたら良いのに」ということでした。私は感激していました。
 ベンジャミン・クレーム氏は、覚者方が現れる時に必ず教訓を与えると言われました。ひとつ私の学んだことは、覚者に出会ったかもしれないという徴の一つが、はっきりとした理由などなくても、突然とてつもない喜びと幸福を感じるということです。
住所氏名は非公表
米国
【ベンジャミン・クレームの師は、その女子学生がマイトレーヤであったことを確認した】

心のこもった感謝

編集長殿
 私はもうすぐ91歳になりますが、シェア・オランダ誌(シェア・インターナショナル誌オランダ語版)の購読を更新しています。
 この月刊誌をとても楽しんでいるのです。
 アーケイン・スクールの通信講座を7年間続けましたが、夫が病気になったため、やめなければなりませんでした。
 私が生きている限り、月刊誌の購読を続けるつもりです。
 私の心からの誠意を込めて、編集者とチームの方々へ、皆さんの仕事と献身にお礼を申し上げます。
 光と愛のうちに
匿名希望
ベルギー

瞬く間に

編集長殿
 2006年9月にマイトレーヤの『手』の写真を見ながら、慢性緑内障の手術を両眼とも受けることになっていたので、助けをお願いしました。私の視神経の状態を考えると、ひどくストレスを感じていたのです。それから間もなく、ベッドに入って目を閉じると、私のそばに立っている地中海地方の風貌の女性の顔が見えました。彼女は小さな赤いリボンを肩までの黒髪の左右に付けていました。彼女の暗褐色の瞳が私の目に向けられました。私を見つめていた間、その瞳がずっと瞬きし続けていたような感じがしました。非常に深遠な瞳でした。翌朝目覚めた時、私の目のことも手術のことも、もはやストレスを感じていませんでした。
 もしかして、これはイエス覚者かマイトレーヤの現れだったのでしょうか。あなたのお返事を楽しみにしています。ありがとうございます。
ドミニク・ディ・スカラ
フランス、ヴィニェ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

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顔を合わせて

編集長殿
 たった今、私は驚くべき体験をしました。その経緯からお話しします。2008年にバルセロナのベンチに座っていた、1人の男性の写真を2枚撮影したのですが、その人はその後ベンジャミン・クレーム氏の師から、マイトレーヤのファミリアであったと確認されました。写真の1枚にはマイトレーヤがうつむいていて、わずかに斜めを向いた顔が見えています。私は両方の写真をコンピューターに保存し、そのうち1枚を縮小画像でデスクトップ画面に置くことにしました。驚いたことには、パソコンにその縮小画像を置くと、マイトレーヤの顔がまっすぐに私の方を向いていたのです!
 私は2020年の夏に新しいコンピューターを買いました。写真全部を新しいコンピューターに移動して、古い方でやっていたように、同じマイトレーヤの写真の縮小画像をパソコンのデスクトップ画面に置きました。けれどもこの時には写真は変化せず、元の写真のように顔は私の方を向いていませんでした。
 今夜(2021年3月23日)、マイトレーヤについての広報で活動している友人たちと、ズーム・ミーティングをしていた時、その縮小画像の名前がただの『.jpg』であることに気づきました。「これは良くない!」と思い、その縮小画像名を『Maitreya.jpg』に直すことにしました。ちょうど新しい名前を保存してその画像を見たところ、彼の顔がこちらを向いて、私の正面になっていたのです!
 私には奇跡のように思えました!!
(元の写真2枚と新しい縮小画像の画面コピーを添付しています)
サビーナ・クレシ
カナダ、エドモントン

この写真はベンジャミン・クレームの師によって、ファミリアの姿のマイトレーヤであると確認された。2008年にバルセロナに現れた時のものである。マイトレーヤと覚者方はしばしば扮装をして、または『ファミリア』を使って現れることを選択する。この人物はおそらくマイトレーヤとは似ても似つかないであろう。

喜びの演奏

編集長殿
 2004年の夏の日暮れ頃に、私は公園の南側にあるベンチに座っていました。私の書いた本が出版されることになったので、良い気分でした。ベンチには私の真横に2人の男性が座っていました。私たちはおしゃべりを始めました。彼らはロンドンから来た友人同士でした。背の高い白人の男性と、比較的小柄で『カフェオレ』色の肌をした男性で、その人はザンビア出身だということでした。私たちは私の本の内容について話をしました。
 私はアルメニア・フルート(ドゥドゥク)を持ち歩いていました。ラジオでフルートのことを知りました。この楽器に大変魅了されたので、演奏したくなったのです。背の高い男性が「それこそ人が楽器を演奏し始める、唯一の方法だね」と言いました。日が暮れていく頃の、周りに人が誰もいないか、ほとんどいない時にだけ演奏していると私が言いました。「それは残念ですね」と彼が言いました。小柄な方の男性も私に演奏するように励ましてくれて、典型的なジャズの吹奏パートを口真似して、指でフルートを演奏するフリまでしていました。
 ドゥドゥクは哀愁漂う音色で知られていて、普通は彼が言うようなジャズ風の激しいスタイルで演奏しないものです。どうしてそうなったか深く考えないうちに、その2人の思いやりのある男たちと一緒にいて、とても気楽なうれしい気持ちになりました。日没の2時間前に、公園内で人々が通りかかったり、周囲に座ったりしている中で、時々少しだけ恥ずかしくなりましたが、演奏を始めてしまったのです。背の高い男性が帽子を地面に投げたので、私は笑いました。演奏後も、私たちの会話はしばらく続きました。さようならを言った時、彼らはすでに数メートル離れていて、小柄な男性が再び振り返って、「あなたの本のタイトルは何?」と尋ねてきました。「極性のパラドックス」と私がその距離でも十分聞こえる大声で答えました。彼は「極性のパラドックス」と繰り返して、「極性(ポーラー)」の所が正しい英語の発音になっていました。
 彼らは『ただの』友人たちだったのか、それとも友人である覚者方だったのですか。
クリスティアン・ラインハルト
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

ハイウェイ救助

編集長殿
(手紙は2006年着)
 あなたの著書、『世界教師と覚者方の降臨』を読んでから数年後に、あなた(ベンジャミン・クレーム氏)が1992年にバンクーバーで講演を行うという、タラ・カナダからの知らせがありました。義理の息子と私は参加することにしました。私たちは(バンクーバーから)450キロメートル内陸に住んでいます。
 バンクーバーから1時間ほど車で走った辺りで、私たちの車は止まってしまいましたが、義理の息子には修理できませんでした。私たちは高速道の脇で、通行する車の誰かが助けてくれるのを待つことにしました。20分ほども経たないうちに、運搬トラックが止まり、運転手が助けを申し出てくれました。彼は運転席に乗り込んで、ステアリングの調整のようなことをしてくれました。それ以降は、ありがたいことに車は動いたのです。
 トラックの運転手は30歳くらいの男性で、きちんとした清潔な作業服を着ていて、きれいに輝く金髪で、気さくで親切な人でした。この人は普通の男性だったのか、それとも、もしかして覚者でしたか。
I.H.
カナダ、アームストロング
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

編集長への手紙

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宙を歩くように

編集長殿
 英国のペナイン山脈地方に、ヘブデン・ブリッジという名の小さな町があります。何年もの間、私は『出現季報』をそこのたくさんの郵便箱に配布してきました。
 町の真ん中を一本の川が流れていて、今年(2021年)の1月の日曜日の寒い朝に、私たちは川岸の歩道を歩いて、寂れ果てた町に向かっていました。
 突然、背が高く若い男性が橋へと続く鉄製の手すりに飛び乗って、(川まで9メートルもの高さにもかかわらず)まるで宙を歩くように、約7.5センチ幅の鉄の棒の上を『綱渡り』さながら歩き出しました。それから彼は橋の欄干へと飛び乗り、振り返って私たちを見ました。
 私は心の中で「イエス覚者」と思っていましたが、その人は微笑むことも手を振ることもなく、現在の状況において、ただ優しい眼差しが多くを語っていました。
 シェア・インターナショナル誌に、とてもたくさんの励みになる体験を掲載してくださったことに感謝します。この困難な時期に非常に必要とされています。
光と愛を込めて。
リンダ・ロッジ
英国、ヨークシャー州(2021年2月25日)

あふれる喜び

編集長殿
 数年前、ロサンゼルスで講演をした直後に、私は以下の体験をしました。講演後、いつもどおりに人々が列に並んで私に質問をしてくるか、あるいは体験を話しにきて、例外はありませんでした。突然小柄で黒っぽい髪の男性が、私と話していた他の人々の前に進み出てきました。彼はとても幸せそうな人でした。私たちは簡単な会話を交わし、私は彼の名前を尋ねました。彼から「教えますけど、私の後に繰り返さないといけませんよ」と言われました。私は「オーケー」と答えました。彼が「ユー(U)」と言い、私が「ユー(U)」と繰り返しました。彼が「アール(R)」と言い、私が「アール(R)」と言いました。彼が「ラブ(Love)」と言い、私が「ラブ、ユーアーラブ(あなたは愛)」と言いました。彼は満面の笑みでにっこりと笑いかけ、ものすごくうれしそうに「あなたもね!」と言って、両腕で私を抱え、力強いハグをしてくれたのです。私はすぐに説明不可能な、あふれかえるような喜びに満たされました。
 彼が飲み物を取りに、冷水器の方へ数歩歩いていったのを見て、「水瓶を運ぶ者(水瓶座)」が思い浮かびました。それで私がベンジャミン・クレーム氏に手紙を書くと、その男性はファミリアを使ったマイトレーヤであったことが確認されました。純粋な喜びの何と素晴らしい体験だったことでしょう! そしてもちろん教訓と思われるのは、人種、性別や性的嗜好、信念体系や経済状態、教育水準、出身国や性格タイプに関係なく、私たちは皆……「愛」だということです。
ディック・ラーソン
米国

見覚えのある見知らぬ人
(手紙は2006年に書かれた)

編集長殿
 最近、私はゾースト(オランダ)で、幼いアバター、サティヤムについての講演をしました。
 シェア・インターナショナル誌(2001年10月号)に掲載された短い記事で彼のことを知ったので、私は自分の知識の源について触れました。『シェア・インターナショナル』という定期刊行物がどのような類のものであり、どのような目的を持っているかを詳細に伝えました。
 私が講演をしている間、ホールの後部に立っていた人物が目に留まりました。背はそれほど高くなく、ジーンズをはいた茶色の髪の人でした。彼は私をまっすぐに見つめていたので、どうしても私に気づいてもらいたいからだと感じていました。最初その人は知り合いだと思いましたが、それと同時に明らかに知り合いではないと気づき、彼はマイトレーヤだとわかったのです。けれども私の直感は正しかったでしょうか。
ヒルデ・ブルツァールト
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

輝き

編集長殿
(手紙は2004年12月着)
 ベンジャミン・クレーム氏のミュンヘン訪問の翌日、私は新しい住居での、サイレント・ヨガ呼吸教室を初めて開きました。前日の出来事で頭がいっぱいだったので、湖沿いを散歩することにしました。それは小春日和の日々の終わり頃で、空の晴れ渡った日でした。歩いているとベンチに行き当たり、そこでホームレスの男性が日向ぼっこをしていました。彼は目を閉じて両腕を胸の上で組み、足も組んでいました。彼の顔には穏やかな充足感と陽気さが表れていました。何か心に触れて、思わず笑みがこぼれましたが、私はそのまま歩き続け、この出会いについてそれ以上考えませんでした。
 その同じ日の夜、伝導瞑想のためにミュンヘンにいました。帰宅する途中で、長いエスカレーターを上っていくことになり、再びこの数日間の出来事について深く考え込んでいました。見上げると、散歩で見かけたホームレスの男性が反対側を下りてくるのが見えて、自分の目が信じられませんでした。この時も彼は胸のところで腕組みをして、まっすぐに前を見ていました。最初は一瞬、彼は病気かと思いました。けれども彼の瞳を見つめていると、その輝きに深く感動したのです。彼の瞳にどれほど心打たれたかは、とても言葉では言い表せません。心から感動を覚えながら、車で帰宅しました。経済的に非常に不安な時期でしたので、この出会いは私に勇気を与えてくれる、輝かしい祝福であったと感じました。あのホームレスの男性は特別な方でしたか。
アンティエ・シュテルン
ドイツ、トゥッツィング
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

次の3通は同じ人物からのものです。

内なる美

編集長殿
 (1)約半年前(1999年)、カルガリーにある地元のショッピングモールへ、お使いをしに向かっていました。中央の通路へ続く角を曲がった時、一人の年配の女性が反対側に座っているのに気付き、心の中で「とても美しい人だわ。彼女の所へ行って、あれほどお化粧をする必要がないと伝えるべきかしら?」と考えていました。その後、彼女が私を見ると、私は心の奥深くから溢れる愛に包まれたのです。「マイトレーヤ?」と思いましたが、私が歩き続けても、彼女は微笑んでいるだけでした。
 帰りがけに、彼女がモールの真ん中の噴水の近くで、ショッピングカートを持った、もう一人の人物と一緒にいるのを見ました。その人は右手を、最初の女性の心臓の辺りに持ち上げていました。その最初の女性は、今度は、私に母のことを思い起こさせました。同じ微笑み、同じエネルギーで、「大丈夫、順調ですよ」と言っているかのようでした。
 その二人から流れてくる愛は驚くべきもので、今日に至るまで私を支え、鼓舞してくれているのです。後になって、彼らに近づかなかったことを後悔せずにはいられませんでした。これはマイトレーヤとの出会いでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人の人物はイエス覚者であった】

一人ではない

 (2)私は最近、たくさんの疑問を持っているのですが、特にキャリアでの私の『行き詰まり状態』が保留中、あるいは泥沼化(!)ともいえる状況になっていることについてです。私はサティア・サイババに一通の手紙を書き、この件に関してと、成人後の人生のほとんどの間、私が自分自身に背負わせてきたと思われる個人的問題について、助けを求めました。このことの答えだと思えるのですが、2004年4月にボンベイから一人の男性がやって来て、グルジと名乗りました。神性との直接の接触を求めるべきで、他のグルやアバターと関わるべきではなく、そうした人たちは皆、仲介者を当てにしているとさえ言っていました。さらに、来る時代にますます転生してくることになる、彼のような大勢の人々のうち、彼は最初の人間だと言っていました。彼自身が直接、治癒や祝福を行いますが、彼のエネルギーもやはり喚起することができます。私は彼のことをどう考えたらよいかわからず、それは私の知る『スピリチュアル人名録』の中に、彼が当てはまる『区分』がなかったためでした。あなたの師はこの男性についてご意見がおありですか。彼はアバターですか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が覚者方の一人の『年少の』弟子であったことを確認した】

トライアングル

 (3)私たちは自宅で、数名の講演者による、キリストの再臨に関する講演会を開きました。私たちの伝導瞑想への参加者は、その後増えましたが、短期間で元の3人のメンバーに戻ってしまいました。私はある意味、このグループの発展を妨げているのでしょうか。私たちはとりわけ小さなエネルギー的一団なのでしょうか。私の伝導時間は、バカバカしいほどわずかだとわかっていますが、ちりも積もれば山となると思って続けています。私に見えていない、より大局的な視点があるのでしょうか。
E.R.
カナダ、カルガリー
【ベンジャミン・クレームの師は、この場合が小さなエネルギー的一団であることを確認した】

編集長への手紙

 シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

覚者の魔法

編集長殿
 数年前(手紙は2006年着)、車に姉と、後部座席に横になった甥を乗せて運転をしていました。霧の多い天候で、すでに日が暮れていました。ブレステルニツァからマリボルへ向かっていました。道路の両側にコンクリートの壁かフェンスのある場所を運転していた時、前方の赤い車が別の車を追い越して、私の方へ向かっているのが見えたのです。私はブレーキを踏んで、できる限り壁の方へ寄りました。その道路は3台分の幅がなかったので、赤い車と衝突することになると思いました。すべてはほんの一瞬の出来事で、突然あの赤い車が私の背後に見えました。その車は通り過ぎていきましたが、どうやってかはわかりませんでした。
 覚者のお一人が介入されたのか、どうか教えていただけますか。
マヤ・クラインツ
スロベニア、マリボル
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者が介入されたことを確認した】

差し向けられた光

編集長殿
 昨日(2020年の冬)、午後6時半頃、友人と私は車で帰宅していました。私は窓から外を眺めていました。地平線はすでに暗くなっていましたが、突然明るい光がパッと私の顔を照らしました。けれどもそれは柔らかな光で、心地よい感覚に圧倒され、まるで一時休止ボタンが押されたかのようだったのです。どうも友人には何も見えていないようでした。私には見え続けていて、遠くの地平線近くの低い場所に何かが『ぶら下がっている』のが見えましたが、それ以上はわかりませんでした。
 数年前に私はよく似たことを体験しました。その時は朝の出来事でした。列車の客席に座って、やはり窓の外を眺めていました。同じように顔を照らした明るい光に感動しました。そしてその時にも睡眠薬と言えるような効果を私にもたらしたのです。
カリン・マイウ
ベルギー、ルーヴェン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

永遠に続く

編集長殿
 2002年9月11日の朝8時から9時半の間に、仕事の前半分を終えたので、バック通りから、よく訪れている聖母聖堂の奇跡のメダル礼拝堂まで、散歩することにしたのです。私は38番バスに乗って、ポール・ロワイヤル天文台バス停まで行き、そこで91番バスに乗り換えました。ラッシュ時だったのでバスは満員でした。バスに乗り込む時、3メートルほど離れた別の乗客と目が合いました。
 私はドキッとしました。次に思ったのは「何てこと、あの男性はすごくきれいだわ!」ということでした。息が止まるほどの美しさだったのです。その男性はパキスタン出身のようでしたが、服装はヨーロッパ風でした。彼は黒いスーツに白いシャツを着て、ネクタイをしていました。タイの色は覚えていません。非の打ち所がない装いで、頭には黒いターバンを巻き、正面に白い小さなバッジが付いていました。
 その出会いは5分から10分程度のものでした。私は一度ならず、二度、三度彼を見ていました。彼はじっとまっすぐに私の目を見たことはありませんでした。私に向かって何か言ったりもしませんでしたが、彼の眼差しは強烈で鋭いものでした。
 私はついに目を伏せて、バスから降りる準備をしました。通りで一人になると、この朝の絶世の美男子に有頂天になりました。つかの間の予期せぬ出会いでしたが、一日中頭を離れず、その姿について手紙を書いている今でもなお心に残っていて、私の記憶に刻まれているのです。「ああ、彼はとても美しかったわ、あの見知らぬ人、厳格さを帯び、慈悲の合わさった恩寵あふれる姿だったわ」と言い続けていました。この並外れた男性はどなたでしたか。
マリー・ジョゼ・ヌクアヤ
フランス、イブリー=シュル=セーヌ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

動物の魔法

編集長殿
(1)数年前に私の現在(*)の仕事に関係のある夢を見ました。その当時、3年半の間無職で、子供たちと私は金銭的に非常に困窮していました。
 夢の中で私は動物園にいて、大勢の人々と一緒に立ってヒヒの群れを見ていました。一匹のヒヒが他のものより目立っていて、彼はテレビの私の好きなアニメの一つに出てくる、ヒヒのキャラクターにそっくりだったのです。
 近くにいた人たちは、そのヒヒを滑稽だと思い笑っていました。私はなぜ笑っているのか彼らに尋ねました。彼らにはそのヒヒがマイトレーヤだとわからないのでしょうか。
 まるで私がテレビのクイズ番組で賞金を勝ち取ったかのように、そのヒヒが勝利のポーズを取って、毛皮の中から一通の封筒を取り出して私に手渡してくれました。その封筒を受け取った時、開けなくても私にはお金が入っていることがわかり、正確な金額も知っていました。
 その翌日、ある団体から電話があり、そこは半年前に私が仕事の応募をしたところでした。電話の女性が言うには、彼女が自分の机を片付けたところ、私の履歴書が見つかり、ユトレヒトにある人権団体での、私に良い仕事を知っているということでした。彼女は面接委員会のメンバーで、その仕事のための面接に私を呼んでくれました。私は出かけていき、仕事を得たのです。二度目のミーティングで私の給与について話し合われ、頑張ってみましたが、私が封筒の中に『夢見た』金額の給与を、新しい雇い主から引き出すことはできませんでした。私たちは100ギルダー(2002年までの通貨、約12,000円)少ない金額で同意しました。
 最初の1カ月の終わりに、私の最初の給与小切手を受け取る時、計算を間違えたため、初めの同意額よりも100ギルダー多い額を受け取ることになると、上司から伝えられました。夢の中で、『ヒヒの』封筒にあったとわかっていた、きっかり同じ金額だったのです。
 信頼はしばしば報われるという、私の考えは正しいでしょうか。この夢はマイトレーヤによって与えられましたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、両方の問いがそのとおりであると確認した】
(*編注:この手紙は2004年10月に受け取ったものである)

高揚感

(2)2004年11月の嵐の金曜夜に、私はユトレヒト中心部の職場から夜遅く帰りました。私の車を駐車した郊外までのバスに乗るため、バス停まで歩いていましたが、バス停に着くとバス運転手がドアを閉めて走り去ったのです。私は疲れていたので、これはひどい出来事でした。私はすっかり参ってしまいました。
 その時、赤のオペル・カデット(私の家族はしばしばこの類の車の冗談を言っています)が止まりました。運転手が窓を開けて、一部始終を見ていたと言い、車に乗っていくか尋ねられました。一瞬の躊躇もなく、私は彼の隣に乗り込みましたが、彼は作業服を着た建設業者でした。彼はその道を毎日車で通っていると言い、すぐの角を曲がった所に住んでいると言っていました。それから私たちは、ほとんどの人々がいかに配慮に欠けるかについて話して、人が他の人々の必要について考え、共感を持ったなら、苦しみはもっとずっと少なくなるだろうという話をしました。
 その夜の夕食の間、私がこの体験について子供たちと話をすると、彼らの反応(彼らは赤の他人の車に乗ってしまった私を怒っていました)を目の当たりにして初めて、それがとても奇妙なことだったとわかったのです。
その『建設業者』はマイトレーヤでしたか、なぜ私はあれほど怖くなかったのでしょうか。
エレン・ベルナルズ
オランダ、ブラリクム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『建設業者』がマイトレーヤであったこと、そしてそのために手紙の筆者が怖くなかったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されている。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

真の変化を生む力

拝啓 世界の読者の皆さんへ
 私が手紙を書いているのは、皆さんが世界に本当の変化を生む力を持っているからです。地球に影響を与えている物事がたくさんあって、私たちはそれらにストップをかける必要があります。これから二つの大きな問題を挙げて、もしそれに取り組まなければ何が起こるか伝えていきます。
 第一のことは気候変動です。気候変動は、石油を燃やすこと、飛行機や森の木を切ることのような、たくさんのことが原因で起こるのです。そのようなことすべてのせいで、極地の氷床が溶けて、海抜が上がっています。もし私たちが今止めなければ、もっと多くの町が洪水になり、人々は家を失うでしょう。
 次の大きな問題は、生息地を無くすことと絶滅です。私たちはあまりにも多くの世界の自然資源を使い、私たちを取り巻く世界に敬意を払っていません。私たちの惑星に住むすばらしい生き物を支えている、魅惑的で驚くべき生息地を私たちは破壊しています。多くの生き物たちが絶滅するようになるでしょう。山火事がゴリラを殺し、コアラを危険にさらしています。地球上の動物たちは、もし絶滅していくことを私たちが気にかけないなら、もっともっと弱くなっていくでしょう。
 私の手紙で皆さんの心が、このような問題を解決するために、何ができるかについて考えるように活気づけられることを心から願っています。
敬具
イーヴィー(8歳)
英国、ロンドン

くじけない信

編集長殿
 私は2000年代の中頃に、ある奇跡を個人的に体験しました。
 私は米国カリフォルニア州のサクラメント郊外に暮らしています。その当時、地元のベトナムカトリック教会の聖母マリア像が涙を流していました。湾岸地域のシェア・インターナショナルのグループはその奇跡のこともあって、マイトレーヤについての講演を行うことにしました。私は2カ月間そのイベントの広報を手伝いました。
 数週間前に誰かが私の車にぶつけて、へこみができていました。講演のためのポスター貼りを終えたある日、店から出て信じられない思いで自分の車を見ました。まるでへこみなどなかったかのようになっていたのです。消えてしまいました!
 信じてもらいたいわけではありません。でも真実なのです。
ジェームス・モリン
米国、カリフォルニア

スカイプのサプライズ

編集長殿
 2020年4月6日に、ニュージーランドのグループメンバー数人と、初めてスカイプでの対話を開始して数分後、誰かがとても強力なエネルギーを感じていると言い出し、瞑想をしようと提案しました。最初に大祈願を唱えることに全員が賛成しました。瞑想が目的のスカイプではなかったので、10分間ほど瞑想しただけでしたが、瞑想があまりに強烈だったので、これからのスカイプ会議では瞑想を取り入れて、もっと長く行うことに皆で賛成しました。
 私たちの話し合いは世界の出来事の広範囲な話題に及ぶことになり、人類にとっての、そしてロックダウン下の可能な場所で、希望をもたらす活動における私たち自身の役割にとって、方向転換をもたらす新型コロナの意味合いなど話し合いました。
 終わりに差し掛かって、私たちがこの時期を自分たちの(グループとしての)内なる強さを熟考し、つくり上げる機会として見ていることに気づきました。伝導瞑想をその潜在力で人類と私たち自身の両方を助けるためにより一層活用することによって、つまり忍耐と共感、謙虚さを持って出来事を観察し、私たちに必要な未来のために、明らかにマイトレーヤの優先事項である方向へ向かう道を、この世界が模索している時に、私たちに可能な援助として行うことによって取り組むのです。
 話し合う間、しばしば強力なエネルギーの流れを感じていましたが、私たちがバランス感覚を保つ必要性を検討していた時、突然金色の光がスクリーンの左側からさっと入ってきて、その時発言していたメンバーの頭と肩の周りに美しい金色の球体を形作ったのです! まさに光の祝福で、私たち皆に大変な喜びと驚きをもたらしました。二番目の光の現象はその直後、別のメンバーが話していた時に起こりました。とても説明しにくいのですが、間違いなく技術的な障害ではありませんでした。
 これは大変に鼓舞される体験だったので、このようなミーティングを毎週行い、その時必ず瞑想を行うことを決めるのに時間はかかりませんでした。私たちがどのような媒体を使っても、瞑想は非常に強力でやり易くなりました。私たち皆がつながっていることをより実感する助けになり、一見バラバラなような時期に、そうでなければ行ったであろうことよりも有益でした。
ティム&ポーリン・ウェルチ
英国、ミルトン・キーンズ
(編注:オンライン伝導瞑想の最中に撮影された祝福と考えられる写真ー時代の徴ー参照のこと)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されている。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

相互理解

編集長殿
 つい最近(2020年9月)、母と私は神の存在について議論しました。母はその間中ずっと自分が正しいと決めつけていたので、私は何とか会話を終わらせようとしていました。それは本当にとても不愉快な体験でした。けれどもその議論から1、2日後に、母が言うには窓から外を眺めていた時、スーツを着た男性を見かけて、その人は道路を渡る間に少なくとも20回は十字を切る仕草をしたそうです。私は自然と笑いが込み上がるのを止められませんでした! それは希望の徴でしょうか。どちらにしても私は幸せな気持ちになりました。
K.M.
ベルギー

つかの間の存在

編集長殿
 2004年11月3日の午後9時45分頃、私が地下鉄で帰宅途中の時、一人の男性が、年齢はよくわからないのですが、私の前に座っていました。彼はその他大勢のように目立たない人でした。私を見たりしませんでした。どうしてかはわかりませんが、彼に集中しなくてはいけないと感じたのです。私はこれまでマイトレーヤについて深く考えてきませんでしたが、その時には彼の名前が心に浮かんだのです(私は17歳で、私の母がお名前をよく口にしていたのです)。
 私の指がトントンと動き始めるのを感じ、温かな感覚がそこに流れ込んできました。彼が目を閉じているのが見えて、自分の指が素敵なリズムを刻むように動いていたので、私も強烈に目を閉じたくなりました。私の身体はいつまでも続くような楽しく温かな波動に満たされていました。私がそれを楽しんでいると、心の中で、「あなたが目を開けた時、私はこの場所に座っていないでしょう」という声が聞こえました。けれども私はもう少しその感覚を楽しんで、それから私自身の中で感覚が変化したのを感じたので、私の前の席を見ました。誰もいませんでした。その男性は消えてしまい、確認もしましたが、列車はどこにも止まっていなかったにもかかわらず、彼はもはや車両の中にもいませんでした。
その男性は誰でしたか。
アナ・フィードラー
ドイツ、ベルリン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

クッション効果

編集長殿
 私の婚約者のジョンと私は、2005年にサマセットのバースで6日間の休暇を過ごし、その地域の美しさを堪能していました。けれどもそれほど楽しめない時間を過ごすことになったのは、ジョンと彼の娘と一緒に、エイボン川の一部を見渡す広々とした歩道を散歩していた時、突然つまずき、ドシンと音を立てて顔を下向きに転んでしまったためでした。
 転倒で息が上がってしまったので、少しの間そこに横たわっていました。休んで息をすることが必要だったのです。さらに以前と同様に(本誌2020年7月号の手紙参照)、きっと顔からひどく出血しているはずだと思っていました。数人の人たちが私を助けに来てくれて、電話で救急車を呼ぼうとしましたが、突然私は親切な手助けによって歩道から立ち上がれそうに感じ、気分もかなり良くなりました。全く出血していないことがわかって本当に驚いたのですが、私が何かの力で転倒したので、その時どういうわけか衝撃が和らげられたに違いないと感じました。
 それから黒い服を着て小さな丸い帽子を被った一人の紳士を見かけました。とても素敵な顔をしている人でした。私が無事に立ち上がっているのを彼が見て、川を見渡せる欄干にもたれると良いと言ってくれてから、静かに歩み去っていきました。私は肋骨の辺りがひどく痛んだので、ジョンと彼の娘が検査してもらうために私を病院に連れていってくれました。結果は呼吸も酸素の吸入量もすべて異常なしでした。私たちは休暇の間の宿へ戻りました。
 その後、再び黒い服の男性の姿が私の心の目に見えて、彼の思いやりのある静けさを思い出し、また今度も「特別な」方との出会いではないかと思うのです。
ドリーン・ビスコウ
英国、ノース・ヨークシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『黒い服の男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

ポジティブ・エネルギー

編集長殿
 私は米国オレゴン州のポートランドに住んでいて、2005年3月にダウンタウンにある公共交通センターのバス停の一つで立っていました。私は人々が放出するエネルギー、とりわけ否定的なエネルギーに非常に敏感なので、いつもならそれは私にとってあまり良い状況ではありません。そして今回の特定の状況も例外ではありませんでした!
 やや年配の女性がバスの待合所に入ってきて腰を下ろしました。彼女は頭にスカーフを巻いて、長い丈の青い無地の上着を着て、『スラブ風』のスタイルを連想させました。私はそうした状況をやり過ごそうと奮闘していましたが、私を支えてくれる平穏さや安定感の『存在』を感じたのです。さらに一層私がその女性に注意を向けるにつれて、私に対して注がれる平穏で温かなものがもっと感じられました。彼女の顔をほとんど見ることができなかったので、彼女が魅力的であることとは関係ありませんでした。
 もっと言えば、私がその女性から発散されていたエネルギーに集中すると、バス停全体がその同じ温かさと平穏に包み込まれていくように思えました。私は実際に、自分自身の意にやや反しながらも、心の中で何かの歌を歌い出してしまうほどで、エネルギーはさらに上昇したのです!
 その女性はマイトレーヤだったのか、あるいは覚者のお一人でしたか。
ケビン・メッシュ
米国、オレゴン州ポートランド
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】