カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ちぐはぐな人

編集長殿
2003年7月19日に、私は駅へ行ってシュテルン誌を買いました。手に雑誌を持って家に帰る途中、若い男性に出会いました。彼は着古して擦り切れた服を着て、バックパックの他にとても大きな古新聞の束を新聞紙1枚で包んだものを持っていて、束の端が見えていました。彼とすれ違った時、彼は歩道に置いたバックパックの上にただ座っているだけでした。彼のセーターの大きな穴から肩が見えていました。私が物乞いにお金を渡すことは、めったにありません。彼はお金を求めてきませんでしたが、小銭が少しだけ残っていたので、2ユーロを取り出して彼に差し出しました。彼はとても優しく微笑んで「いいえ、結構です」と言いました。少し気恥ずかしくなり、私はお金を戻してゆっくりと立ち去りました。後になって考えると、彼には『マイトレーヤの手』を渡せばよかったと思いました。私にとって最も驚かされたことは、ハンサムな若い顔に優しい笑顔を浮かべながら、ボロボロの外見でお金を断ったことで、それが私の頭の中ではしっくりしないのです。彼は特別な方でしたか。
メヒティルト・ヴィーンケルドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

再登場

編集長殿
2003年6月2日月曜日、知人と私はドイツのミュンスターシュヴァルツァッハにある修道院へ車で向かっていました。私たちはカッセル東サービスエリアのガソリンスタンドに立ち寄りました。午後3時30分頃ドライブを再開しようとした時、年配の女性が私たちの車に近づいてきました。その女性は簡素な服装で、それぞれの手にビニール袋を持っていました。彼女は私たちに、そこまでは誰かと一緒にやって来て、300kmドライブしてきた後で、その人からこれ以上連れていけないと言われたと言いました。それで彼女は私たちがカッセルまで彼女を連れていけるかどうか尋ねてきたのです。知人と私は一瞬ためらいましたが、断りました。私たちは後になって、すでにカッセルを通り過ぎていて、サービスエリアにいた人は誰も、Uターンしなければカッセルに行けなかったことがわかりました。その女性の頼みを断った後、彼女は1ユーロをもしかしてもらえないかと尋ねてきました。知人がいくらかお金を渡すと、その女性は喜んで、「ありがとう、マリア、これで少し食べ物が買えるわ」と言いました。彼女の悲惨な状態にもかかわらず、幸福そうで満足しているようでした。もし知人が以前にも、この同じサービスエリアで起きた、よく似た女性との同じような出会いをしていなかったなら、私がこの出来事についてそれ以上考えることはなかったでしょう。ベンジャミン・クレーム氏は、過去にこのサービスエリアで知人に近づいてきた女性が、マイトレーヤであったと確認されました。私は今そのことについて考えずにはいられず、その年配の女性が同様にマイトレーヤであり得るのではないかと考え続けています。あの時のことが忘れられないので、あなたからのお返事をいただければ幸いです。
アンネッテ・ローペルドイツ、シェーンキルヒェン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

目は知っている!
編集長殿
2019年3月22日にバス停にいて、数カ月間仕事をしてきた顧客の葬儀に向かうために、バスを待っていました。小雨が降る日でした。年配の男性がバス停に近づいてくるのが見えました。彼の横にはその年配の紳士の頭上に傘を差しかけている人がいました。年配の男性はやって来て私の隣に立ち、気さくに話しかけてきました。彼は周囲のあらゆるものに気づいていました。彼はドイツ系の人で、わずかに訛りがありました。きれいな身なりで金と黒い石の指輪を付けていて、見事な物のように見えました。ある時には彼が指輪にごく軽くキスしていました。彼は屈託のない人だとわかり、彼の周りの人々に感謝の念を持っていました。その年配の男性は間もなく受ける予定の目の手術のことを話しました。それが私の心に「この人は誰?」という疑問が浮かんだ瞬間でした。というのは、過去に私も目の症状のために、医療処置の必要なことがあったからでした。バスが到着するのを待っていた間、私は「もうすぐ来ますよ」と言っていました。彼が「私の妹もいつもそう言っていますよ」と言い、そう言いながら笑っていました(このことから私たちのグループが「もうすぐです」と繰り返してきたことが思い浮かびました)。その後私たちはバスに乗り、彼は通路の向かい側の母親と子供に注目して、母親が子供に本を読むのを楽しんで見ていました。彼は私にもそれを見てみるように言ってきました。彼が立ち上がってバスを降りる時、私の手を取り、「神の祝福がありますように」と言ってくれて、彼の優しさが際立っていました。1週間後、私は目から出血して網膜剥離だとわかり、外科手術が必要でした。あの男性との出会いと彼の屈託のなさを思い出すことで、回復の痛みは和らげられました。彼は私たちの周囲で進行しているすべてのことに、注目してもらいたいと思っていたようでした!
メアリーアン・スレイン
米国、サンフランシスコ

一体感
編集長殿
2019年6月5日の水曜日に、私たちはテレビで英国ポーツマスでのDデイ75周年記念式典を見ていました。数百人の退役軍人、ロイヤルファミリーや世界のリーダーたちが集い、戦って命を落とした人々を追悼し、敬意を表し、退役軍人たちの栄誉を称えたのです。手紙や日記から引用され、朗読されたものがとりわけ感動的でした。たくさんのものの中から一つの逸話が印象に残りました。ある連合軍兵士が重装備のリュックのせいで背中から水に落ちたけれども、兄が両腕で足を引っ張って助けると、皆が前進するのを励ますために、彼はできる限り素早くバグパイプを演奏し始めたというものです。私たちは、視聴者であっても全体の一部として含まれていると感じ、まるで私たち、生きている私たち皆が、一体となって、あらゆる年齢の男性も女性も、自由を守りながら亡くなった人たちも、家に残った彼らの愛する人たちも、家に帰った人たちも共に一つになったかのようでした。もしかして以前の1997年のダイアナ元妃の国葬中にあったように、マイトレーヤの祝福があったのだろうかと不思議に思うようになりました。
匿名希望

親愛なる友人たちへ
シェア・インターナショナルの皆さんへ、あなた方のなさっている助力と大変な仕事すべてに対して、お礼を申し上げたいと思います。何年にもわたり、私は書籍やポストカードを購入してきましたが、それらは非常に興味深いものです。さらにマイトレーヤやベンジャミン・クレーム氏に関する情報を、私はベストを尽くして伝えてもきました。あなた方が行っているこの偉大な仕事を続けていかれて、より多くの人々が真実を知るように祈っています。
J・ロウ夫人
英国、ノーザンプトン

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

正しい選択

編集長殿
それは2001年のオランダでのケルクラード研修会後のことで、メンバーの友人と私はロンドンに帰る飛行機に乗る前に、アムステルダムで時間ぎりぎりのショッピングをしようと決めていました。私たちの行きたかったデパートは午前11時まで閉まっていたので、コーヒーを飲みに行きました。途中にチベットのお店の前を通りました。友人はチベットにいつも大変興味を持っていたので、入ってみようと私が言いました。店に入ると心の奥深くからどうしても何かを、チベットのものを買いたい気持ちになり、チベットそのものを支援したいような気持ちでした。穏やかで、それでいて厳しい顔つきの、チベット人の店員がカウンターの後ろにいて、私たちが眺めていた物すべてを見ていました。私たちは色について、どの色が自分たちに似合うか話し合っていたのですが、そこのガラスの棚の上に美しいシルクのスカーフがたくさん展示されていました。スカーフは生糸で織られていて高価だったので、私たちの予算を超えていました。それから私たちは実際に店の物を全部見て回り、修行僧の履くような室内履きを見つけた時には、伝導瞑想にぴったりだと思って笑ったりしていました。その間中店員の視線に気づいていて、彼は美しい物を見ていた私たちの喜びを楽しんでいるように見えましたが、彼の様子には何か差し迫ったところがあるように思えて、必ず買い物をしなくてはという気にさせられたのです。最後に私たちは「とても美しい品々がこのお店にはありますね、買い物がしたかったのですが、今ちょうど持ち合わせがないので、ごめんなさい」と言いながら、チベットの景色のハガキを買いました。その店員はただうなずいていました。歩いて行きながら、私は何かを、あるいは誰かを裏切ったというひどく嫌な気持ちになり、店に戻らずには家に帰れない予感がしていました。コーヒーを飲んでいる間、他に何も考えることができませんでしたが、何とか立ち直り、このことすべてがいかに馬鹿げているかを自分に言い聞かせていました。私たちはデパートへと別の道を歩いていたように思いましたが、その後、角を曲がると突然、またあのチベットのお店があったのです! 私たちはすでに遅れていたので、友人は急いで通り過ぎていき、私は彼女の後に続いていたのですが、もちろん私は店の中をのぞかないではいられず、あの男性がやはりカウンターの後ろに立っていたのです。私はもう耐えられなくなりました。私は友人を呼び止めて、この圧倒される感覚の困難な状況を説明しました。もう午前11時だったので、残り時間は多くありませんでしたし、友人がまだデパートで買い物をしたいのはわかっていました。私はどこへ行くべきか板挟みになった気持ちでした。けれども彼女はとても優しく、すぐに理解してくれました。私たちはそのお店に戻り、今度は店員がチベット僧のお経のテープを流してくれました。私が安いTシャツをラックから取ると、彼が歩いてきて試着できる場所を教えてくれました。私はTシャツを着て出ていって、「どうかしら?」と尋ねました。友人もチベット人の店員も二人共が首を振って、「ダメ」と言いました。あらいやだ! それから私はあの高価なスカーフを試してみるべきだと悟りました。時間が無くなっていたので、私はスカーフをつかむと試着室へと走り、友人を意識して、首にさっと掛けました。「そう、それが良い」と彼らは言いました。おかしな話ですが、私は現金で支払えるちょうどのお金を持っていたのです。チベット人の店員はそれを包んで、おまけのステッカー2枚をくれました。彼が小銭のお釣りを渡しながら、ダライ・ラマのバッジを買うように勧めてくれましたが、良心の呵責からこれ以上は買い物ができませんでした。店員は私の友人におまけのバッジをくれました。私たちがお別れを言うと、突然私は幸福と自由を感じ、重荷が無くなったような感じでした。後になって私はその紫色のスカーフを畏敬の念を持って見つめています。チベットのシルクスカーフは体を覆えるくらい大判です。それは本当にきれいで、とても美しい色なのです。あまりにも深遠な体験だったので、手紙を書いてお尋ねしなければと思いましたが、すべて私の想像だったのか、あるいは(1)私はそのお店に行き、スカーフを買うことになっていたのか、(2)その店員はごく普通の店員だったのでしょうか。教えていただけますと大変ありがたく思います。アネット・ポンズフォード 英国、サセックス州フォレスト・ロウ【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)その『店員』がマイトレーヤで、スカーフを祝福されたことを確認した】

転んでも幸運
編集長殿
2003年1月30日頃、私はエクアドルのビルカバンバのホテルにいて、ピンクのコンクリートの歩道橋から突き出ていた一本の鉄筋(金属で強化された棒)につまずいてしまいました。振り返ってみると、転んだ時に鉄筋が目を突き刺すか、脳に刺さっていたかもしれない危険があったと思います。でも不思議なことにつまずくのと、橋の脇のコンクリートの厚板にぶつかる間に、少しの時間も経っていなかったように思えました。私は腿から転んでものすごい痛みがあり、打ち身が腫れて、広範囲にひどい打撲傷を負い、片手を刺して鎖骨にあざができましたが、それだけで後は順調に回復しています。どなたかがもっとひどい怪我から私を救うために介入されたのですか。
J.D.ラビット 米国、ヴァーモント州ウェスト・ベルリン【ベンジャミン・クレームの師は、よりひどい怪我からイエス覚者によって助けられたことを確認した】

神には十分
編集長殿
2003年8月27日に、友人と私は『シルクロードの仏たち』についての展覧会から出てきたところでした。私たちは東洋風のレストランで食事をすることにして、アルスターアルカデン(ハンブルクのショッピングセンター)の外にあるテーブルを見つけました。数分後、鮮やかな色の服によれよれのジーンズ姿の中年男性が、私たちのテーブルにやって来ました。彼の瞳は真っ青でした(私たちはそれより前に、オペラのアリアを歌っていた歌手に彼が微笑んでいたのを見かけていて、私たちがその歌手にお金を渡すと、彼が左手を胸に当てて私たちにおじぎをしてくれました)。彼はハンブルクでホームレスの人たちによって編集されている、ヒンツ&クンストという新聞を差し出してきました。私は新聞を欲しくありませんでしたが、このような時のために集めていた小銭が入った透明の袋を、彼に渡しました。彼は袋と私を見て、「これは何ですか? このお金は知らないな」と言いました。私は不快に思いながら、この中には10セント硬貨が入っていることを説明しようとしました。彼は微笑んで「ペニー(ユーロが導入される前の貨幣)の方が良いのです」と言いました。それから彼は私の友人を見つめて、「あなたは私たちの仲間です」と言いました。彼は彼女に自分がフィンランド出身だと伝えました。友人はずっと前に1年間暮らしていたことがありました。彼は彼女に「私たちの間では、女性はあなたのように育つのです」と言いました。その後、彼は私を見て、「あなたは一輪の花のようにきれいです。お世辞ではありませんよ……私はあなたを知っています」と言いました。心の中では深く感動していましたが、ほんの少し気まずい思いもありました。それで私は彼に離れて欲しかったので、幸運を祈ると伝えました。彼は「幸運は助けになりません」と返事をしました。すると友人が「時には助けになるわ」と言いました。彼は再び返事をして「私はカトリック教徒です」と言い、彼が首にかけていたロザリオの十字架を見せてくれました。友人が彼の国にはごく少数の人たち(カトリック教徒)しかいないと言うと、彼は私たちに微笑んで「7,000人は神には十分です」と言ったのです。
ヘルガ・プファイファー、レナーテ・シュトルヒ ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

編集長殿
『奴隷制度は過去のものではない』(本誌2019年4月号)という記事の中で、シャノン・スクリブナーは数人の世界のリーダーたちによる『他者』への恐怖の宣伝が、市民を移民に対抗させていることを正しく暴露しています。しかし、いわゆる『民主主義』全般に属する、ほとんどすべての政治政党は、民主主義が穏健であるとか、あるいは責任能力があると私たちの多くが思っていることも含めて、『現実の』難民、つまり政治的、社会的、宗教的圧力から逃れ、避難所を求める機会を与えられ、もし幸運であれば新しい未来を築く人たちと、『経済難民』またの名を『幸運希望者』という、私たち自身には当然のこととしている、防衛手段を利用することを許されるべきではないとされている人たちとの間の、誤った区別をしています。私たちがこれらの『穏健な』政治家を、世界人権宣言の第25条の1が明確に、経済的圧力に対しても防護を拡大しているという事実に、取り組ませることに失敗している限り、世界的な社会経済的正義を要求する投票者としての私たちの不活動は、外国人嫌いの恐怖をかき立てる人たちに劣らず、この永続的な人類の悲劇に加担していることになるのです。
敬具
ゲラード・アートセンオランダ、アムステルダム

信念

編集長殿
これは1998年7月に私に起こったことです。私はエクスタシーというドラッグを使用していました。コンサート会場の音楽で意識が吹き飛んでしまったので、回復不能の損傷を負う前にはい出ることができたのを、神に感謝しています。私は完全に意識を失い、気づくと会場の外で群衆が私の周りを囲んでいて、友人たちもそこにいました。女の子が私を助けようとやって来ました。彼女は片手を私の頭に置きました。彼女がそうしていた間、私は心の中で祈りを捧げ始め、助けを求めていました。私はその夜、死にかけていたのだと思います。私は独り言で、こんなふうに死にたくないと言っていました。私は指に十字架の付いた指輪をしていて、それは私がクロアチア(両親の故郷)を離れる1週間前に、祖母がくれたものでした。私はその指輪を握り、助けを祈っていました。私が祈っていると、男性が通りかかりました。彼は私に近づいてきて、医師だと言い、助けを申し出てくれました。私は大丈夫だと答えました。その時、私の心の内に彼は天使だという声がして、実際には声というよりも、パチンと指を鳴らすようにわかったということでした。私は頭に手を当ててくれていた女の子に、彼は天使だから彼を呼び戻すように伝えました。彼は戻ってきて、とても静かに簡潔に語りかけてきました。彼はまさに光を放っているように見えました。それが頭上の灯りなのかわかりませんが、この輝かしい男性は黄色の髪で、顔はキャンドルの火のような色でした。彼は親指と人差し指を、私の目の間に置いて鼻をつかみながら、私に深呼吸をするように言いました。彼はこれで肯定的なイオンと否定的なイオンのバランスが取れると言いました。それから彼は私に彼の目を見るように言って、私がそうすると、それぞれの目に光の十字架が見えました。しばらくの間、私の注意はそこに留まっていました。それからすぐに、私は心の中で彼にごめんなさいと伝えました。私がこの言葉を心の中で繰り返すと、彼は私の母国語で私は良い娘だと言って返事をしてくれました。その瞬間、私は泣き出してしまい、全身が震えていました。すると彼は私の両腕を彼の手でさすりながら慰めてくれて、私の周りにいた友人たちに、私はショック状態だけれども大丈夫だと言っていました。それから彼は私を見て、帰らなければならないと言い、ここまでやって来た車の中で彼の友人が待っているということでした。私が見上げるとその車が見えて、1950年代から60年代の古い車でした。それもまた黄色で、彼の友人も光を放っているように見えて、彼らは似た資質を共有していました。彼の友人を見た時、その人も私を見ましたが、彼はこれまでに会ったもっとも悲しそうな人物に見えて、悲しみと痛みを感じました。彼の顔には両頬に傷跡がありました。このことを先に話すのを忘れていましたが、コンサート会場をはい出た時、左頬に刺すような痛みを感じていました。まるで顔に消えない傷跡が残るかのように思えました。どうやって傷がついたのかわかりませんし、階段から落ちる時に擦りむいたのかもしれませんが、そう思えないので、落ちた時に擦り傷ができたのではなく、誰かに引っかかれたように感じていました。そして彼の友人を見た時、彼の顔の傷は治っても跡が残っていたのです。その後、その医師は去っていき、私は彼が車に乗ったのを覚えていませんが、彼は行ってしまいました。彼が去った後、私はどういうわけか起こったことを忘れ、彼がクロアチア語をどのように話したかも忘れましたが、その後すべて思い出したのです。私は友人たちに彼の言ったことが聞こえたか尋ねました。彼らは何も聞いていなかったので、おそらく私の精神状態のせいで作り上げたことだろうと言われましたが、私は彼が私の母国語で、心の内に語りかけてきたのを知っています。私は心の奥深くから、彼が上(天)から来た人で、その晩、私を救ってくれたのだとわかっているので、その晩のことを思い返すたびに、私は涙を流し、彼に感謝しています。この素晴らしい男性が近づいてくる前に、私に手を置いてくれていた女の子が、そうしていた間、彼女は私のために祈っていると言いました。その後、私は彼が言ったことを彼女に伝えると、彼女も私を信じてくれて何かを感じたとも言っていました。私がこの手紙を送るのは、この男性が覚者かどうか確認するためではなく、私は彼がそうだと知っています。私が手紙を送るのは、何か超越したものがあること、神が実際に存在し、あらゆる所にいる私たちと共におられることを人々に信じてもらうためです。彼は私たちの裡に、あなたのそして私の裡にいます。探すのをやめて、信じ始めましょう、答は裡に存在しています。愛と光を持って。
ミシェル オーストラリア、シドニー【ベンジャミン・クレームの師は、助けてくれた男性がイエス覚者であったことを確認した。車で待っていた男性はマイトレーヤであった】

ロール・プレイ
編集長殿
2003年5月19日の午後10時30分頃、ウィルフレッドと私はトロントの地下鉄フィンチ線に乗って、毎週の伝導瞑想から帰宅するところでした。列車がブロア・ヤング駅を出発するとすぐに、私たちの車両にいた一人の男性が大声で叫び始めたのです。彼は全員にフィンチ駅への正しい列車に乗っているのか尋ねていました。彼は間違って教えられて、それより前に別の駅に着いてしまったため、正しい方向にいるのか確かめたいと、大声で文句を言っていたのです。彼は痩せこけて背が低く、長い髪にあごひげを生やし、緑のTシャツとジーンズを着ていました。手に古いバックパックを持っていました。彼は見るからに、話す様子からも明らかに酔っていましたが、私は彼と関わり合いになる気分ではなく、列車内の他の人たちも皆そうでした。けれどもウィルフレッドは彼に大声で返事をして、今回、彼は正しい列車に乗っていると伝えました。これで彼はとても機嫌が良くなり、誰彼無しにとても大きな声で話し続けていました。彼の話というのは、彼が3日間のバス旅行でサンダー・ベイからやって来て、フィンチ駅近くのティム・ホートンズ(コーヒー店)でのパーティーに行くことになっていて、その後、彼の兄弟が彼を釣りに連れていく予定があるということでした。彼はティム・ホートンズの正確な場所を知らず、何日ではないとしても、何時間約束に遅れているのかもわかっていなかったのです!
彼は騒々しく、制御不能に見えて、そのため車両内のほとんどの乗客は次の駅で降りていきました。するとその男性は私たちの座席の近くにやって来て、ウィルフレッドと話し始めたのです。ウィルフレッドはトロントの公共交通の地図を持っていて、この男性が正しいバスに乗るために向かうべき場所や、どのバス停で降りるべきかという良いアイディアがありました。今や明らかになったのは、彼と私は同じ方向へ向かっていたので、ウィルフレッドが私に向かって、そのご機嫌で酔っ払った男性をバス停まで連れていくことを提案しました(実際に、ティム・ホートンズの店は私の自宅にとても近いのです)。その酔った男性は私が面倒を見ることになって、あまりにも喜んで、『彼の持ち物』をウィルフレッドに売ろうとしました。彼は売りたいものが多少違法な物資であることを、はっきりとは言いませんでしたが、ほのめかしてはいました。もちろん、ウィルフレッドも私も関心を持ちませんでした。彼をバス停まで連れていくというアイディアには、あまり良い気分ではありませんでしたが、それにもかかわらず私は彼に無条件の愛をおくることに決めて、このことが彼を落ち着かせてくれることを願っていました。彼はフィンチ駅に着くまで、彼の話を大変な大声で繰り返していました。けれども地下鉄の車両から降りるや否や、彼はしらふになりました。彼がうっかり階段から転ばないように、私は抱えようとしましたが、列車を降りた後、彼は完全に問題なく、穏やかで状況が把握できていました。バス停では彼は私の親切にお礼まで言ってくれたのです。彼から離れられて喜んでいましたが、彼の行動の変化はいつまでも私の印象に残っていました。どうかこの『ご機嫌な』男性がマイトレーヤだったのか、あるいは他の覚者だったのか教えていただけますか。
A.T. カナダ、トロント【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

植物のパワー

編集長殿
私は家の居間に二つの植物を置いていて、二つとも大変に元気です(手紙は2003年7月に記述)。その植物の一つはベゴニアだと思っていますが、定かではありません。一本支柱が必要で付けているのですが、世話をしなくても天井まで育っています。それがあまりにも丈夫で、わずかに斜めになっても、いまだに育っていることは驚きです。切っていないのですが、どうしたら良いのかと思っていますので、説明をお願いします。
モウリーン・サドラー夫人
ニュージーランド、ワイララパ
【ベンジャミン・クレームの師は、その植物の成長はイエス覚者からの祝福であったことを確認した】

鏡のイメージ

編集長殿
2003年にロンドンのシスル・ホテル・タワーブリッジでの、3日間の『ヒーリング・フェア』の終了の間際、私が荷物を載せる車を取りに、ちょうど部屋を出ていこうとした時、60代くらいのインド人かパキスタン人の風貌の女性が一人入ってきて、杖にもたれ気味に歩いていました。彼女が印象に残ったのは、とりわけ彼女が白いアジア風スタイルのズボンとぴったりのターバンに、黒い厚地のキャンバスのような生地でできた、おかしな場所に縫い目のある作業着を着ていたからでした。それが彼女を貧しい人のように見せていました。
私は引き返して、彼女が色々と眺めながらドアの近くのブースを動き回っているのを、しばらくついて歩きました。彼女の顔が見えた時、彼女が少し出っ歯で、鼻に大きな『ダイヤモンド』を付けているのがわかりました。彼女はそれからホテルの方へと歩いていき、私は彼女が去るのを見ていました。私はフェアの間、大体黒と白の服を着ていたので、不思議な気持ちになったのですが、彼女はもしかしてマイトレーヤでしたか。
ヘザー・スミス
英国、オックスフォード
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

サイレント・メッセージ

編集長殿
2003年8月22日の午前9時30分頃、ドーバーの中心街がにぎわい始めていました。その区域を歩いていた時、道路の真ん中に非常に背が高くやせ型の男性がいて、薄いグレーのシャツとパンツにブルー系のバッグを肩から提げていました。彼は巻き毛のグレーの髪を耳の下まで伸ばし、大きな麦わら帽子で、しっかりとしたつばの上にぐるりと色あせたバラの花が飾ってあるのを被っていました。
嘲笑が沸き起こったりはせず、誰もが興味を持って彼が通り過ぎるのを見つめていました。彼の周りには大いなる平安と喜びの雰囲気がありました。彼は何も語らず、ただ市役所の方向へ歩いていってしまいました。
この『幸いなる者』はマイトレーヤでしたか。
M.N.フレッチャー
英国、ケント州ドーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

心に触れるメッセージ

編集長殿
2003年8月26日火曜日、ニュージーランドのウェリントンでのことでした。私が職場であるドミニオン・ポストビルに戻っていた時に、一人の年配の男性が出てくるところでした。彼は長いグレーの髪にふさふさの白いあごひげと口ひげを生やしていました。彼は私を呼び止めて、「お目にかかったことがありますか?」と言いました。私は「いいえ、でもおそらく新聞で私の写真をご覧になったのでしょう。コラムをやっていますから」と答えました。彼は続けて「ああ、そうですね、たぶんその通りですね。今ちょうど中で、今年サンタクロースが必要か尋ねてみたのですが、必要じゃないそうです。ご存じでしょうが、私は地震が起こると思うのです。私の猫と犬が神経質になっていて、二匹がそんな風になると必ず地震があるのです。それにご承知の通り、金融市場の上がったり下がったりが、あらゆる所で起きていますから」と言いました。
この時点で彼はマイトレーヤだと思いました。彼はさらに「ともかく、ストレスでまいらないように。そしてあなたは私のハートの中にいるのを知っておいて」と言いました。私は彼を見て、「メッセージをありがとうございます。あなたも私のハートにいます」と言いました。私が彼の腕に触れると、あまりにも大きな愛を感じて泣きたくなりました。彼はお別れを言って去っていきました。私はエレベーターに乗り込むと、すっかり頭が混乱して、別世界にいるような感じでした。エレベーターの中で「迷子」になり、やっとのことで職場のフロアに到着したのです。この男性との出会いの後の感覚は、有頂天といえるものでした。
この男性はマイトレーヤでしたか。
マーリーン・ストロード
ニュージーランド、ウェリントン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ひげの男性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。

個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。私たちは読者の考慮のためにこれらを提供している。

 

消えた人

編集長殿

(2003年)4月2日に私は朝6時35分に家を出て、散歩に出かけました。気持ち良く歩いていて、別の道へ曲がった時も私だけで、その時は誰も見かけませんでした。その後突然に一人の女性が私の方へ近づいてきたのです。彼女とすれ違う時に、私が「おはようございます」と言うと、彼女も「おはようございます」と言い、とても静かな声でほとんど聞こえないくらいでした。そのまま歩いていって振り返ると、彼女はいなくなっていました。その女性は誰でしたか。

モーリーン・サドラー

ニュージーランド、ワイララパ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

 

本当に近い!

編集長殿

2000年9月20日の午後、私は仕事で意気消沈していて、不思議な体験をしました。私は地下鉄に乗っていました。車両は混み合っていました。これ以上人は乗れないと思われた時、ある駅でさらに数人が乗り込んできました。その中に盲目の男性が二人いて、盲目の人用の特製の杖を持っていました。少し経つと、二人の男性はその状況について若い人たちと冗談を言っていました。私はドアの近くで内側を向いていました。

幾つかの駅を過ぎて、体の向きを変えると30代の女性が本を読んでいるのが見えました。その表紙に「イエスに近づいて」というタイトルが黄色の地に白い大きな文字で(あるいはその反対の白地に黄色の文字かもしれません)書かれていたのです。本で女性の顔は隠れていましたが、私はそのタイトルに惹きつけられていました。最初には、それ以前に彼女に気づいていなかったのはおかしいと思いました(私はそれまでにも体の向きを変えていましたが、彼女を見かけなかったし、彼女が乗り込むのも気づきませんでした)。彼女はこざっぱりとして見えましたが、たくさんの人が乗っていたこともあって、ほとんど顔が見えませんでした。彼女はとても美しいように思えて、その顔には気品と優しさがありました。数秒間彼女を見ていましたが、彼女は読み続けていました。

私は次の駅で列車を降りなければなりませんでした。降りるために出口の方に向いて、その女性のいる方向に目をやりました。彼女はもはやそこにいなかったので、自分の目が信じられませんでした。ほんの数秒過ぎただけで、これほどたくさんの人々に囲まれていて遠くに行けたはずがありません。彼女が空いた席を見つけたかもしれないとも思い、全体を見回しました。列車を降りてから、壁際に寄って車両から降りてくる人たち全部を見ていました。けれども、彼女を再び見かけることはありませんでした。彼女がどうやってそのように姿を消したのか理解できなかったので、完全に困惑しながらもそのまま歩き出しました。

後になって考えてみて、本のタイトルに意味があると気づきました。その女性が目の前で消えたのは単なる偶然だったのか、あるいは彼女は特別な方でしたか。

ラファル・ボーロ

スペイン、マドリード

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

馴染みの顔

編集長殿

2年かおそらく3年前に(手紙は2001年に書かれた)、私はオックスフォード郊外の地元のショッピングセンターにいました。一人の男性がセンター内を横切って私の近くにやって来ました。彼は180cmを越える身長で、体格が良く全身白い装いで、ナイロビに現れた時のマイトレーヤの着ていたものととてもよく似ていました。ターバンは同じでしたが、長いローブではなく、彼が着ていたのは長いシャツとズボンのパキスタンのスタイルでした。よく似ていたのは膝上までで、というのもズボンが少し短すぎたことと、大きなスリップオン式の靴が何となく不作法な感じでした。

彼は30代前半で黒っぽいあごひげのある感じの良い顔で、彼の体格に似合っていました。彼は風変わりで、とりわけこのような場所では目立っていました。

1週間ほど経ってから、彼が再び同じ場所で同じ様子で通り過ぎていきました。それ以来、彼を見かけていません。

その人がマイトレーヤだと思ったことはありませんが、最近その人が普通の人なのか、とてつもない人物なのかを見分けることを促されているように思いました。

お手数ですが、覚者はお教えくださるでしょうか。

ヘザー・スミス

英国、オックスフォード

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ「編集長への手紙」に掲載されていない手紙の保留分が非常に多数あり、それらを掲載していく。
また、掲載された他の手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

沈黙のメッセージ

編集長殿
1990年代の半ば以来、クオピオのダウンタウンでのある記憶が、時折私に付きまとっていました。私が市場の隣の通りを歩いていた時、全身白い装いでターバンを着けた一人の男性が市場を横切っていくのを見かけました。彼は普通のスーツを着た数人の男性を連れていました。私は内心この人はどんな「シャィフ(アラブの族長)」なのかと思っていました。私が驚いたことには、彼が私に近づいて来たのです。
その「シャィフ」は私にフィンランド語で話しかけてきて、私が覚えているのは将来私たちが協力するようになると言ったことです。フィンランド語で話し続けながら、私は彼に何かを尋ねましたが、返事はありませんでした。スーツ姿の男性の一人が楽しげな人で、私に英語で話しかけてきて、「シャィフ」は声に出して話をしないけれども、声がテレパシーによって変換されて私の心にフィンランド語で聞こえるのだと言われました。そのスーツの男性はさらに「シャィフ」に認められたことは、誇りに思えることだろうと言いました。私は急いでどこかへ出かけるところだったので、その出来事をただ放っておいて、一体何者だろうと不思議に思いながら、そのまま立ち去りました。
後になってやっと、全身白の「シャィフ」のいでたちのマイトレーヤの写真を見て、すぐにクオピオで会った「シャィフ」だとわかったのです。私は年も日付も覚えていませんでしたけれども、マイトレーヤがその頃(1996年9月29日〈注〉)にクオピオにいたという言及があり、私が覚えている限りでは秋の初めの夕方から夕暮れの頃で、日付が一致するようです。
それ以来「シャィフ」に会っていませんし、いつが「後で」になるのかの説明もないようなのですが。このことについてこれまで誰にも話したことはありませんでした。
H.K.
フィンランド、イーサルミ

注:1996年9月29日、マイトレーヤはフィンランドのクオピオで、約200人のキリスト教徒に現れた。魅了されて注目する人々に17分間話をした。ほとんどは神から遣わされた天使だと思った。その地域の水が磁化された。(本誌1996年11月号)

高揚させる訪問

編集長殿
私には慢性の持病があり、薬が効かなくなっていましたが、痛みはひどくなっていったのです。2018年10月31日、私は痛みで前屈みの姿勢になり、歩くこともできないほどでした。食料品の買い物から帰ったところで、ベッドに横になると、すぐに温かなエネルギーに包まれるのを感じました。それを期待したわけではありませんでしたが、独り言で「ひどすぎる、洗い物も片付けもできない」と言いました。起き上がってカーテンを閉め、歯を磨いて服を脱いだのがやっとでした。
数時間後、40代の黒い髪に真っ青な瞳で、胸元が少し開いた白い麻のチュニックを着た男性が、私をベッドから持ち上げていたのです。私はベッドで裸でしたが、その時には白いチュニックを着ているのがわかりました。それは麻のチュニックのようで、2000年前に人々が着ていたと思われるようなものでした! 彼はやすやすと私を抱えていて、まるで私が簡単に持ち上がるかのようでした。彼に抱えられていても私には痛みがあり、彼が言うには「ギブス包帯で覆われているかのように、動作しなさい」ということでした。私が彼にイエスから遣わされたのか尋ねると、彼は「それだけではない」と返事をしました。彼の仕草の一つひとつが身体を通して感じられて、今でも私の意識に刻まれているのです。私は気分が良くなり始めましたが、幾つもの手術を受けなければならないだろうとはっきり言われました。その後数日間は、アパートの部屋の中でイエスのエネルギーを感じていました。
匿名希望
フランス

『ミスター・ピース』

編集長殿
2018年11月18日に、アムステルダムのシェア・オランダ・インフォメーションセンターは、「スピリチュアル・カフェ」という公開のイベントを「内なる冒険」という副題を付けて開催しました。センターをどうにか(パブにあるような)高いカウンターとスツールがあり、カフェテーブルを空間の周りに配置したカフェに変身させました。これは、いつものように一般の人々の関心を、私たちの基本の情報へと惹きつけるもう一つのやり方で、私たちは15分から20分の4つのインタビューを通して情報を提示しました。『インタビュアー』がスピーカーを一人ずつ招いて、そこでマイトレーヤ出現の『お話』と覚者方の存在、マイトレーヤの優先順位や、意識の変化の必要性と新しい教育の目的といった話題が、カフェのゲストたちに語られていったのです。
全員が楽しくくつろいだ雰囲気を喜んでいて、それが人々に私たちの情報を何らかの形で『伝えて』くれているようでした。イベントが始まると即座に参加した、代弁者方であると私たちが信じる二人の人物の存在によって、喜びはさらに大きくなったのです。
彼らにはすぐに印象に残るようなところがありました。彼らは(中年の異人種のカップルで男性と女性)やって来るなり、進行手順の一部となって、うなずいたり、微笑んだり、聞いている内容に賛同するとはっきりと発言したりして、彼ら自身も楽しんでいました。
イベント後の彼らとの会話(彼らはセンターに数時間いました)で、彼らが代弁者であるという私たちの考えは確かなものとなりました。午後の終わりには男性の名前がフリーデで、英語では『ミスター・ピース(平和)』という意味だということまでわかりました。彼の連れはもの静かで口数も少なく控えめで、彼の方はおしゃべりで社交的でした。休憩時間中やその後で、何人ものグループメンバーに彼らと話す機会がありました。以下はメンバーたちが見聞きした内容のリストです。
ミスター・ピースは「あらゆることが起きようとしている、ただいつかを知らないだけだ」と言いました。彼は聖杯の発見のことを話していました。
彼がグループに対してコメントして、彼は私たちがいかに注意深くスピーカーに耳を傾けていたかに気づいていました。彼は他の人々に耳を傾けることの必要性を強調して、聴く資質という言葉を使いました。彼は騒々しいイベントは避けているそうで、特にグループがとても幸福そうで生き生きしていることに注目していて、私たちを「心温まる」人々と言いました。
ある時には彼は立ち上がり、「行動。行動が必要だ!」と言いました。彼は規律の必要性を力説しました。
彼はより一般的なことについて話をして、「アムステルダムの地方自治体(推測すると、行政全般と思われる)は、避難民や移民を適切に面倒見ていないのです。彼らから金もうけをしています。避難民が一つのコミュニティーに統合されていることに対処していません」と言い、彼は他にも実際的な物事について話をしました。何かにサインする前に、きれいな印刷のものに常に目を通すこと、目が覚めたら、その日に感謝して、夜再び帰宅できたら、ありがたく思うこと、必ず家の中にきれいな空気を入れることなどです。
彼らが帰って行く時、彼はもう一度、ありとあらゆる素晴らしい物事が起きようとしている、ただいつなのか知らないだけだと言いました。
グループメンバー 一同
オランダ

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ「編集長への手紙」に掲載されていない手紙の保留分が非常に多数あり、それらを掲載していく。また、掲載された他の手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

完璧なタイミング

編集長殿
2018年10月6日の、アトランタでのシェア・インターナショナル展示会は、情報を分かち合ったり、質問に答えたりした素晴らしい一日でした。私たちが展示パネルを片付けて、資料を荷造りし始めた時、中年のヒスパニック系の女性が、美しい微笑みを浮かべてやって来ました。彼女は肩の長さのグレーの髪で素敵なロングドレスを着ていました。彼女は「あらいやだ、遅すぎたのね! 車の中でカバノーの公聴会を聴いていたものだから。展示会をもう一度することはありますか?」と言いました。私が予定はありますと答え、情報についてのパネルや資料の展示は、すべての図書館でのイベントで行っていることも伝えました。私は『世界教師』の冊子を最後の荷物の箱から取り出して、これが情報の十分な要約になっていることを伝えて彼女に手渡しました。彼女はタイトルの『世界教師』を見て、世界教師の名前は何かを尋ねてきました。私がマイトレーヤと答えると、彼女から彼はまだテレビインタビューをしているか尋ねられました。彼女は続けて「テレビで彼を見て、話を聞いてきましたから、私のハートは彼のことがわかったのです!」と言ったのです。彼女は片手をハートにおいて、さらに「彼は今では政治の分野で話をしていますけど、それはこの国で起こっていることのためです。マイトレーヤはキリストですよね?」と言いました。私は「そうです、絶対にそうです!」と答えました。それから彼女は温かな笑みを浮かべると、「彼は私たちと共にいる、彼は私たちと共にいるのよ!」と言いながら、ハグをしようと両腕をさっと広げました。私はこの話をグループと分かち合うために駐車場に向かい、メンバーたちはその遅れた訪問者の話を知ってとても喜んだのです!
アン・ドハティ
米国、ジョージア州マリエッタ

上機嫌で

編集長殿
2003年5月24日の土曜日の朝、私がいつもの犬の散歩をしていた時、突然二人の女性が近づいてきたのです。一人は大変な大声で私の犬に話しかけてきて、「あなたは何てきれいなの!」と言いました。もう一人の女性はとても背が高く、「彼(私の犬)は誰かがやって来るとは思ってもいなかったようね」と言いました。私たちはほんのわずか目が合い、一緒に笑いました。私は通り過ぎてから、お酒の匂いに気づきました。4歩か5歩歩いて振り返ったのは、お酒の匂いをさせるには早過ぎる時間だったからでしたが、二人はいなくなっていました。私はあちこち見回してみましたが、二人はいませんでした。二人の女性はマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
ダニエラ・カントン
ドイツ、ベルリン
【ベンジャミン・クレームの師は、実際にその『二人の女性』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

根気強い助っ人

編集長殿
2003年4月、ニューヨーク州ブアヒーズビル郊外の郵便局で、とてもほっそりとした背の高い黒人の若い男性に気づきました。その地域では黒人の人たちを見かけることはめったにありませんので、その男性が一般のアメリカの黒人よりも色黒だと思ったのを覚えています。彼は私にニッコリと笑いかけてきたので、私も笑みを返しました。それから私はコンビニエンスストアでガソリンを入れるために車で向かっていて、そこは1ブロック先の鉄道線路を渡った所にありました。そこにもあの陽気な黒人の男性がいました。その時には彼が私の車の方へ歩いてきて、話したいことがあるという身振りをしました。私がドアを開けると、彼は右側の後ろのタイヤの空気圧がとても下がっていると言いました。私は車を降りてタイヤを見に行きました。確かに空気圧が下がっていました。今そうなったばかりに違いないと思いました。彼が身振りで建物の脇にあったエアポンプの方を指して、給油する前にまずタイヤの空気を入れた方が良いと言いました。なぜならさらに重さが加わるとタイヤとホイールに良くないからということでした。私は彼にそれをやってもらえるかどうか尋ねましたが、そのような作業が大変に苦手だったからでした。彼はすぐに承知して作業に取り掛かりました。それをやりながら、彼は私にホースの計器がどのように空気圧を示すかを教えてくれて、計測すると私のタイヤは35ポンド(約245kpa)必要とわかりました。空気を入れている時に、私はうれしい気持ちで彼にお礼を言って、給油したらすぐに近くの修理店に車を持っていくべきだと決心しました。タイヤにかなり大きな穴が開いていただけでなく、ホイールも曲がっていることがわかったのです。疑いもなく、それは毎年雪が無くなった後で現れる、相当な数の道路の穴の一つのせいでした。この見知らぬ人がタイヤのパンクに気づくほどよく見てくれて、私にそれを気づかせてエアポンプでの作業を助けてくれるほど、親切で辛抱強かったことに心から感謝しています。この人は普通の良き隣人だったのか、それとも特別な方でしたか。
イルゼ・ベイカー
米国、ニューヨーク州ブアヒーズビル
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

聖なる振る舞い

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ「編集長への手紙」に掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

聖なる振る舞い

編集長殿
私は時々、どのように神聖さを表すのか、いかに人にオープンになれるのか、すべての人々との『一体』を感じながら本当にオープンであることについて考えています。
2018年11月の初めに、私はトラムに乗っていて、降りる駅が間近でした。出口近くのスペースに移動した時、出口の向かい側の席に座る男性に気づきました。私は彼が「ハロー」と言ったと思ったのですが、ともかく彼が私と握手するために手を伸ばしてきたので、私たちは握手しました。
彼の握手はしっかりとした心地良いものでした。それは1分ほどのことでした。その間にトラムが停車したので、私は急いで降りました。彼のことが心に残りました。彼からは素朴さが感じられ、まさしくオープンで親切な顔の人で、純粋で無垢な雰囲気がありました。彼はカジュアルな服装をしていました。私は驚きと幸福感を持ってトラムを降りたのです。
私たちはいつも伝導瞑想を始める時、テープのマイトレーヤからのメッセージを聴いています。その日の夜に流れたのはメッセージ第28信で、その始まりに私は驚いたのです、「あなた方に新しい生き方を見せてあげたい、人間に生来備わる同胞愛に基づく生き方を、愛し、分かち合う能力と、人間の本質的な神性に基づいた生き方を。聖なる人間になる過程は、単純で自然なものであり、すべての人間に開かれている。それは、あなた方の裡にはじめから宿るあの神を解き放つ過程である。わたしは約束しよう──もしあなた方が私に従いて新しい時代に前進するならば、あなた方の裡に宿る聖なる本質を解き放ってあげよう……」
匿名希望
オランダ、アムステルダム

岐路に立つ人類
編集長殿
2018年10月28日に、私たちが「岐路に立つ人類」と題されたベンジャミン・クレーム氏の講演ビデオ上映を開始しようとしていた時、二人の朗らかなスリナム人の女性たち、パールとステラが入ってきて、一人は手に私たちのチラシを持っていました。二人はその朝ペンテコステ教派の礼拝に参加して、その後アムステルダムのシェア・オランダ・インフォメーションセンターでのビデオ上映のチラシを見つけて、ここにやって来たと言っていました。二人が近所の教会での礼拝に参加したのか尋ねられると、それは定期的な教会の礼拝ではなく、教会に所属もしていなかったけれども、一緒に歌うために参加し、その内7曲だけを歌ったと答えていました。(私たちが注目に値する不思議なことだと思ったのは、相当に厳しいことで知られている信仰を持つ人たちが、インフォメーションセンターを訪ねてきたことでした。以前に二人のイスラム教徒の女性たちが訪ねてきた同様のケースがありましたが、それは本誌2016年4月号で、ベンジャミン・クレーム氏の師からイエス覚者の代弁者の女性たちであったと確認されました)私たちは上映が始まるので着席し、二人は前方の席に座るよう誘われましたが、すでに座っていた後ろの席の方を希望しました。二人のすぐ前に座っていたグループメンバーが振り返って、視界の邪魔になっていないか尋ねましたが、「私たちは首が長いから」問題ないと言っていました。それは奇妙な返事で、実際には首が長いということは全くなかったからでした。私たちはそれを象徴的なことと思いました。上映後に私たちはテーブルを囲んで座り、話し合いを始めました。パールがほとんどの発言をして、ステラは時々参加して、ある時にはテーブルにいた全員を非常に注意深く観察していました。パールは3歳の時スリナムからオランダにやって来たので、オランダの人たちのメンタリティをとても良く分かっていて、人々は互いの面倒を見ないと言いました。私たちは非常に物質主義的になって、もはやお互いを気にかけていないのです。通りでもトラムでもスマートフォンにだけかかりきりになっています。金持ちと貧しい人たちとの拡大する隔たりについても話し合われました。ステラが、ある少年は700ユーロ(約9万円)する靴を買っていて、その一方で少年の母親は苦労して生活をやりくりしていた話をして、彼女は彼らに自分の考えを伝えたと言っていました。貧しい人たちについて話していた時、パールの声の調子から彼女が貧しい人たちに関心を寄せて、援助していることがうかがえました。商業至上主義の話題は、特に健康管理と環境においてのことが取り上げられました。他の誰もが同時に話をしていた時、ステラが穏やかに「私たちが行うことや言うことが、私たちに帰ってくるのです」と言って、今彼女が言ったことを、円を描く動作で強調して、彼女の右手で右肩から始まって、身体の真正面に来たら左手が続いて左肩までの円を完成させるというものでした。それは円形で包み込むような仕草で、完璧にカルマの法則を表現していました。『民衆の力』が変化をもたらす重要な方法として述べられて、皆が心から賛同し、私たちは通りに出かけていって、私たちの声を聞かせるべきだと話しました。
ある時にパールが、グループメンバーの一人に「あなたは千里眼なの?」と尋ねました。返事は「いいえ」でした。次の質問は「でも、あなたはボスね?」。「いいえ」。「でもあなたはここの責任者ね?」。再び「いいえ、違います」と言って、「私たちは『ボス』のいない、一つのグループとして活動しようとしています」という、ベンジャミン・クレーム氏が例えば彼の著書の『協力の術』で説明しているように伝えました。するとパールは同じメンバーに少し二人だけで話せるか尋ねてきました。彼女らは台所へ引っ込みました。そこでパールはそのメンバーを真っ直ぐに見て、「あなたが私を見ると、何が見える?」と尋ねました。「お茶の中にたくさんの角砂糖を入れ過ぎている女性」という返事を、彼女は笑いながら聞いていました。女性たちは二人とも講演に感銘を受け、帰る時にその内一人が上映したDVDを買うために戻ってくると言いました。
オランダグループメンバー一同
シェア・オランダ・インフォメーションセンター
オランダ、アムステルダム

言葉の拡散
編集長殿
米国とカナダのシェア・インターナショナルの協働者たち12人のグループが、2018年11月1日から7日にかけてカナダのトロントで開催された2018年世界宗教議会に参加し、情報発信のためのブースを出展しました。最初の日の午前中、数人のメンバーが訪問者たちと会話をしていた時に、二人の魅力ある南アフリカ人の黒人男性が私たちのブースにやって来ました。一人の女性がインターネット上に載せるために、彼らとの会話を撮影していました。彼らがブースに入ってきた時、一人が大きな旗を指差して、もう一人に向かって「世界教師が帰還した……だからみんなに言うんだよ、『すべての人たちが教師だ。あなたに起こるすべてのことは、あなたに教えている』とね」と説明していました。その後彼はさらに「そして世界教師は私たちありとあらゆる人々の中に生きている」と言っていました。二人の男性の間の活気のある楽しい会話が続いていき、彼らが話していると、私たちに注がれる肯定的なエネルギーと愛の貨物列車のように感じられました。
その二人の男性がそれぞれの国で有名人であることは、後になってわかったことで、長年福音派の聖職者であり、それぞれ『覚醒』を体験している人たちでした。フェイスブックのページには、ジャクソン・コーサ主教が1977年のアフリカでの大規模な福音派キリスト教の集会で、覚醒を体験したと書かれています。コーサ氏と彼の長年の友人であるムツィ・シンディ氏は共に30年活動してきて、彼らの非常にオープンで全世界的な、あらゆる人々に宿るキリストの神秘主義的解釈で知られています。
以下は、彼らの鼓舞される会話の抜粋です。
MC(ムツィ・シンディ):質問をすればするほど、より目覚めて、一層答えを見い出せるものだ。
JK(ジャクソン・コーサ):私がこうしたあらゆる信仰の流派を統合して、気づいたことの一つがわかると思うけど、まるでそうしたすべてがいろいろな点で、やはりそれぞれの原理主義者の教えから出てきているように思われることだ。
MC:それは他の人々と交流することによって、他の人たちに耳を傾けることによってのみ現れることができるものだね、イエスがあなたの隣人を愛せと言う時、あなたの隣人はあなたと異なったように世界を見ている人で、それがイエスの言う、私たちが愛する必要のある人物なんだ。
JK:つまりこの全宗教の世界議会は私たちを変容させるものだね、過去には私たちのほとんど誰も彼もが、他の人たちを自分たちの方へ改心させようとしていたから……ここにあるあれを見た? 誰かが人を改心させようとしている秘密の計略とかがあると思うかい? それともただのメッセージなのか……。
MC:(クスクス笑いながら)基本的には、それは皆が君に言っていることだよ、「あなたの話をしてください! あなたの目覚めの話をしてください!」とね。なぜなら言葉は違っても体験は同じ(二人声を揃えて)だとわかるだろうからね。つまりここにいる私たちは皆一つの体験をしている、イスラム教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、宗教が何であれ、体験は同じさ! 単なる言語にすぎないんだ……。
JK:彼ら皆が言うように、彼らの神は、その神が誰であれ、愛だというように思えるね……私たちは同じことについて話してきたと言ってもいいね?
MC:そうだ、私たちは同じことを話してきたよ! そしてそれは愛だ! それが私たちそのものだ! 私たちは私たち自身について話してきたんだ!
エリサ・グラーフ
ドイツ、シュタイヤーベルク

 

光栄な出会い

光栄な出会い
編集長殿
米国に戻る飛行機に乗るため、アムステルダムのスキポール空港へのタクシーに乗っていた時、運転手と長い会話を交わしました。私がなぜオランダにいるのか、つまりシェア・インターナショナルの伝導瞑想研修会に参加するためでしたが、それを説明したところから会話が始まりました。私はシェア・インターナショナルとは何か、伝導瞑想とは何かを説明し、マイトレーヤや知恵の覚者方、ブラヴァツキーやベイリー、クレーム氏のことまでの再臨のメッセージについて、世界資源の分かち合いなどについても伝えました。運転しながらも、そのタクシー運転手は会話を続けてくれて、質問やコメントをして、私が話していることに興味を示してくれました。
私たちは様々な時事問題も話し合いました。ある時、彼が社会的経済的不平等や、移民やマイノリティーの人たちへの対策などについて話をして、この辺りでも他の地域でも世界の変化への鍵となるのは米国であると言い、なぜなら世界の模範をつくることになるからということでした。彼は他の国々は米国がどうするか決定するのを注視していて、米国の行動を真似ると言いました。私は同意しましたが、正しいことを行うのは各国が決めることでもあると言いました。彼は再び繰り返して、他の国々が米国のリードに従うのだから、世界の模範を築くことにおいて米国がいかに重要かを語りました。
空港への道中で、彼がどこの出身か尋ねると、彼はカシミールだけれども、何年もオランダに住んでいると言いました。
分かち合いについて話していた時、ガンジーの言葉で「すべての必要を満たすのに十分なものがあるが、貪欲を満たす分はない」というのを思い出そうとして、代わりにそういう内容で言い換えて伝えました。彼は言い換えた言葉に賛同してくれて、その日(10月2日)がガンジーの誕生日だと教えてくれました。
私がタクシーを降りる前にもう少し伝導瞑想について話をして、世界の福利のために行われていると伝えました。彼が世界とは私たちを取り巻く人たちを包含するものであり、平和の感覚を持っている人は、花の香りのように他の人たちによって感知されるものだと言いました。
彼が興味を示してくれたので、私の持っていたオランダ語の伝導瞑想の冊子を渡しました。彼は快く受け取ってくれました。
私は彼の名前を尋ねました。「イムラン」と彼は答えました。「どういう意味ですか?」と私は尋ねました。「『村の王』という意味です」という答えでした。彼が私の名前を尋ねてきて、私の名前は私に似合っていると言いました。その時は彼が意味したことがよく分かっていませんでしたが、後でその言葉を考えた時、私の名前についての最近の会話に関係していると思えて、私は「小さな丘」を意味していると思っていたのに対して、誰かが本当の意味は「山」だと言ったのです。
タクシーを降りる時、私は幾分かしこまって、もしかして再び私がアムステルダムに来た時などに、いつかまた連絡を取れるだろうかと言いました。彼はその日の朝、私の携帯電話に(私を迎えに来ている途中だと伝えるために)電話をしたことをちゃんと覚えていて、そういう訳で私には彼の電話番号が分かっていたのです。つまり彼は、私が電話番号を知っていることを強調して、さらに繰り返してくれたのかもしれません。その言葉を後で考えた時、それは最近のシェア・インターナショナル研修会で、代弁者の方たちが実際に電話番号を教えてくれることがあるという話に関係があると思いました。
結局のところ、私は興味深い思いを感じながらタクシーを降りて、「村の王」イムランとの長い会話によって高揚した気持ちでした。
モンテ・リーチ
米国、サンフランシスコ

すべてはそのために

編集長殿
2018年9月に、私はヨーロッパ伝導瞑想研修会に三度目の参加をしました。ケルクラードの列車の駅を出た後、道に迷ってしまい、やっとのことで近くの森を抜けて修道院に行きつきました。私は道中を楽しんで歩き、できるだけ何度もこの森に戻ってこようと心に誓い、その後毎日そうしました。
2018年9月29日のミカエル祭の日に、私はこの森での散歩に出かけました。午前中の集会を終えてからで、議題は「オープンであること」でした。
太陽が輝き、雰囲気は平穏そのものでした。すぐに放浪者のような人物がいるのに気づいたのです。彼は50歳くらいで、ペットボトルの入ったビニール袋を積んだ自転車を押して歩いていました。彼は勇敢そうで、喜びに溢れ、見るからに活気があり、生きることに幸せそうで、地味な服装にキャップを被っていました。何か磁力的で素朴な感じが彼から放たれていました。
普通で当たり前の「ハロー」の後で、その男性は即座に私に向かって、完璧なフランス語で話しかけてきました。私が口に出したかどうかにかかわらず、彼についての質問に答えてくれて、その地域中を歩き回ってボトルを集めていて、リサイクル用に25セントのお金になると言っていました。また彼には他の収入源もあるので、世界の人々や文化を知るためにたくさん旅行できると言って、155ヵ国を旅したとも言っていました。また彼の妻は彼に丸1年出かけるように勧めてくれたそうです。彼は数本のビールを飲んでいたことをわびていました。
彼から私がそこで何をしているのか尋ねられて、研修会やマイトレーヤ、キリストなどについての私の短い説明に納得してくれたようでした。それから彼は私をじっくりと見つめて、私がポルトガル系であること(事実)や、様々な他の話もしましたが、事実なのか、何を意味するかは私にはわかりませんでした。
私の態度や外見からはそのような推測はできないはずだったので、私は彼にどうやってそのようなことすべてがわかったのか尋ねました。彼はそうしたことについて本を読んだと言い、「私たちは大地から来て、大地に帰るのだ」と言って、さらに「書かれているものを読むことが十分なので、空にあるものを読もうとする必要はない」(あるいはそれに似たこと)と言っていました。もし彼が自分を『クリスティアナス』と紹介しなければ、そして近くのオランダの町の『パレスチナ通り』に住んでいると言わなかったなら、これは普通の出会いのままだったのかもしれません。
私がもうすぐフランスに帰ることになると知って、次に再びこの研修会に私が来た時に会って、彼が南アフリカから戻っていたら一緒に過ごそうと言われました。
彼が私に電話番号を口伝えしてくれて、それを急いで書き留めたのはその時のことでした。それでこの日が私の記憶に刻み込まれているのです。この出会いは時を超えた資質を持つものです。研修会の他の二人の参加者も、ある時点で私たちの会話に加わって、この人物と一緒にいました。彼が何者なのかはミステリーのままですが、自分なりの考えは持っています。誰もが自分自身でそうすることでしょう。
ギヨーム・リバル
フランス、アンティーブ

フレンチ・コネクション

編集長殿
オランダのケルクラードでのヨーロッパ伝導瞑想研修会で、メンバーの一人と一緒に修道院の隣にある森で散歩していた時、二人連れに出会いました。男性の方が私を見て、「ハロー、パスカル」と言いました。彼は私と同じくフランス人でした。私はこれまで彼に会ったことはありませんでした。彼が私の名前を知っていたことにびっくりしました。
ありがとう。
パスカル・ブラシェット
フランス、トゥールーズ