カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。
ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

黄金の玉座

編集長殿
2018年8月のある日、私はアムステルダムのシェア・オランダ・インフォメーションセンターで、書類の束などをゴミ箱に入れるものと、保存するものとを確認して仕分けしていました。
私はシェア・インターナショナル誌を手に取り、表紙の(『マイトレーヤの玉座』という)絵を眺めていて、玉座の左側数カ所に、金色の縁取りがあるのを見ました。それは椅子の部分の始まりと終わりにあって、とても分厚くなっていました。もっとよく見ると、絵の天辺の左側に、小さな金色の点々が見えました。私は驚いて、「他の号にも見えているか後から調べなくては。これまでずっと見落としていたのかしら?」と考えていました。
後になって他の号を調べても、金色の部分はありませんでした。もっとじっくりその美しい金色の絵を眺める時間を取らないで、その代わり目の前の仕事を続けてしまったことに、心底がっかりしました。物事をしっかり見る時間を取り、思考も見つめて、行動ばかりに突き進まないようにと、心に留めておかなければならないと思いました。
それはずっと昔にテレビでコンサートを見ていた時、指揮者の指から(今回見た)金色のエネルギーが流れ出ていたのを、目撃したことも思い出させてくれました。
ミエンケ・ラマイン
オランダ、ドリーベルゲン

知っている訪問者

編集長殿
2018年8月10日、アムステルダムのインフォメーションセンターで、写真展が正式にオープンしました。シェア・インターナショナルの活動や目的についての、短い講演を聞いた聴衆の中に、おおらかで物怖じしないスリナム出身の男性がいて、彼は溢れるようなエネルギーを発散していて、45歳くらいの人でした。彼は後方に座っていて、後になって彼の名前がロメオだとわかりました。マリーケの講演の間、彼は励まし支持する様子で微笑みながら、じっと彼女を見つめ続けていました。それは人から人へと伝わっていきました。その晩になっても、彼女はまだエネルギーを感じていました。
彼はグループメンバーの一人と瞑想について話をして、その人が時にはうまくいくけれども、うまくいかない時もあると言うと、彼は思考を手放して、それに邪魔されないようにすること、思考に注意を払わないことだとアドバイスしていました。
その後アンネリースが彼に、マイトレーヤについて聞いたことがあるか尋ねると、彼はすべての情報を知っていると答えました。
彼の主な関心事はアメリカでした。彼は市場のフォースと商業至上主義について話をして、まさにガンジーが言ったように、講演の中でもちょうど取り上げていましたが、「皆の必要を満たすには十分だが、貪欲を満たす分はない」と言っていました。彼はまたマリーケが話したことを取り上げて、人々は行動を起こすのに十分なだけ知っているが、『凍り付いた』ような状態だと言いました。けれどもひとたびマイトレーヤが話すのを聞けば、私たちは人類がひとつであること、すべての人がお互いに兄弟姉妹であることを、私たちのハートの内で知り、体験することになり、そのようにして一つの家族の中で行うように、あらゆるものを分かち合うでしょう。
彼はロンドンで財界の上層部の夕食会に参加した時のことを話して、そこでは非常に多額のお金が使われ、そのやり方で雇用主たちはシステムへのアクセサリーになるのです。誰もがシステムに組み込まれており、そのため何か批判を表明すれば、解雇されるかもしれないことを皆が恐れています。オランダで、彼は健康保険制度についての交渉に出席し、「この決定は人々に対して、どのように作用しますか?」と彼が尋ねた時、彼らは彼を見つめて、「どの人々ですか?」と聞き返したのです。彼はそれが決して人々についてのことではなく、常にお金についてのみなのだと言いました。健康保険制度は人々に関するものではなく、経営と効率性に関することなのです。
彼によると、トランプ氏が(本当の金持ちからは)真剣に受け取られたことがなかったのは、彼が投機家であり、本当の財産を持っていなかったためでしたが、あらゆるものが現在その価値を増してきたので、彼は真剣に受け取られ、人々は彼と一緒にいるところを見られることや、彼とビジネスをすることを欲しています。彼はまた戦争は兵器産業に利益になるだけだとも言っています。人々、そして特にメディアはトランプ氏のツイートや公式見解に集中していますが、彼らが気を取られている間に、トランプ氏は最も恐ろしい法案にサインすることに忙しく、それによって労働者が彼らの権利を失うことになるのです。「あなた方は、オランダが小さな国であるという事実にもかかわらず、オランダの声が世界において、いかに重要か忘れています。オランダの人々は実際に、あらゆる大きな企業や重要な組織に関わっているのです」。アンネリースが彼に今何の仕事をしているか尋ねると、彼はコーチをしていると言いました。マリーケが彼の名前を思い出せず、彼は彼女の名前を知っていたために、彼は名前を覚えることを学んでいたと言い、『メンタルの体操』をすることは非常に大切だとも言っていました。
彼はさようならと言って、話し合いの後で帰っていきました。
マリーケ&アンネリース・オプ・テン・ノール
オランダ
(この手紙の最初の説明については、本誌2018年9月号 編集長への手紙「民主主義の権利を守れ」を参照)

特別の案内人

編集長殿
私の叔母が1996年にマイアミに行きました。最初の日に彼女は完全に道に迷い、方向がわからなくなって、袋小路に行きつきました。彼女はベネズエラを思い出しながら、泣き始めました。その瞬間に、金髪で若く白い服を着た男性が、彼女を立ち上がらせて、完璧なスペイン語で話しかけてきて、彼女を名前で呼んで、彼女が探している場所への道順を教えてくれたのです。このことすべては、彼女が一言も言葉を発しないうちに起こったのです!
匿名希望
ベネズエラ
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女の『案内人』がイエス覚者であったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

自由なる彷徨

編集長殿2018年6月4日に列車でベルリンに向かう途中、尋常でない出会いがありました。その日は何となく何かが起こりそうな予感がしていました。何カ月も以前の11月に、私がマイトレーヤからの導きを求めて祈ったのは、外国で暮らすことになじめず、度々孤立していると感じる場所でいかに最善の奉仕をするかについて、うまくいかない感じがしていたからです。私は列車に乗って、二人掛けの席が向かい合う四人掛けの席が空いているのを見つけました。近づいてみると、窓側の二つの席には古びたカーディガンが置いてあり、それが座席の間に並んだビニール袋に被せられていました。これは不思議なことで、ドイツの列車内では誰も物を置きっ放しにはしないのが一般的だからです。袋はそれ自体が重なっていて、三重か四重に1枚ずつ内側に入れられた状態で、個人の持ち物が入っていると思いました。私は通路側の席の一つに腰を下ろして、誰がそれを取りに来るのか興味を持っていました。列車が出発し、私が携帯電話を見ると、娘の親友のウルスラの写真を母親がフェイスブックに載せているのが見えました。停車駅で窓の外を眺めていた時、大きな建物が見えて、側面の壁に大きな文字で「シュリューター」という名が書かれた機械の会社でしたが、もしかしてオーナーは私の知人で、同名のもう一人の機械工と関係があるのだろうかと思っていました。終点まで10分くらい前に、一人の年配の女性で優しい顔の人が、背後の通路からやって来て私の席の隣に立ちました。彼女を見ると、英国人の女優のジュディ・デンチ(彼女の歯はひどい状態で半分無くなっていたことを別にしてですが)を思い出しました。彼女は頭から足までセーターを重ね着していて、ピンクの長い丈のセーターを上に着て、粋なピンクのニットのベレー帽を頭に被っていました。温かい日だったので、彼女の格好には驚いていました。けれども最も驚かされたのは彼女の裸足でした。彼女が靴を履く習慣がないことは明らかで、彼女の足は擦れて汚れていました。彼女が自分の物を移動させたので、私は窓側に座れるようになり、彼女が私の隣に座りました。私たちが話していた時、彼女は私のドイツ語が母国語ではないと気づいて、何語を話すのか尋ねてくれて、やすやすと英語に切り替えてくれました。彼女の説明では、地方のドイツの列車に乗って、地域の実際の町や村を見る旅を5年間続けているそうです。彼女によると「世界や旅の何たるかを本当に見ることはできないのよ、家のことや面倒を見ないといけないことに責任があるうちわね」ということでした。私はこれが私自身のチャレンジに向けて直接言われたと感じました。私は家や物質的所有についての自分自身の愛着や先入観について考え、それがより一層意識的な奉仕者となり、もっと自由に移動して、より広範な聴衆と希望のメッセージを分かち合う時間を取ろうとする献身を、邪魔しているものだと思いました。彼女は元々荷物を持っていましたが、盗まれたか壊されたかして、そのことが彼女のライフスタイルに関して、一般大衆や列車での旅仲間たちからの態度を受け入れるというより、体験することを促したのです。けれども彼女はそのような体験に動じていないように見えました。彼女は自分を『ホームレス』と名乗ったりするような素振りもなく、むしろ彼女の態度からは、彼女のライフスタイルが意識して選択されたものであり、人々がどう思うかについて無執着だということがわかりました。気がかりだったので彼女に靴無しの足について尋ねた時、彼女は何年も前に靴を履いていた時、靴擦れができてしまったそうです。頭から足首までウール生地で覆えば、冬に裸足だとしても、温かいままでいられることを発見したと彼女は言っていました。列車から降りる準備をしていた時、私は彼女の名前を尋ねようと思いました。彼女の返事にびっくりしたのは、私の頭の中の考えから出てきたようだったからで、彼女は名前を「ウルスラ・シュリューター」と言ったのです。その出会いには非常に鼓舞され、結局私たちは皆人生において選択をするものであること、そしてより良い奉仕へ自分自身を解放する状態を、自分でつくらなければならないという気づきがありました。ベンジャミン・クレーム氏の、弟子として人は世界に属するというアドバイスが思い出されました。
エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイアーベルク

民主主義の権利を守れ

新しい写真展が8月12日に、アムステルダムのシェア・オランダのシェア・インターナショナル・インフォメーションセンターで開かれました。一般の人々やグループメンバーたちも参加した、成功した一日でした。訪問者の中にスリナム出身の男性がいて、彼のエネルギーや言葉が大変印象に残ったので、それらを本号に含めなくてはと考えましたが、その手紙は原稿作成の終盤になって、やっと届いたところでした。彼は何人もの共働者たちと長い間話をしていました。以下は彼の示した最も重要なポイントや、世界中のグループメンバーにとって、特にアメリカのメンバーにとって価値があると考えたコメントのいくつかを、短く要約したものです。手紙全文は10月号に掲載される予定です。彼はマイトレーヤについてすべて知っていると言いました。彼は特にアメリカに関心を示していて、市場フォースと商業至上主義の否定的な影響について話をしました。彼はロンドンの金融界についても知っていて、巨額のボーナスや給与を通じて、従業員らがいかにシステムの中に結び付けられていて、批判などすれば仕事を失うことになるのを怖れているかを説明しました。それはすべてお金についてであり、決して人々についてではないのです。私たちの訪問者は、戦争がとりわけ兵器産業の利益になると言いました。さらに彼はトランプ大統領について注意するように言って、大衆やメディアが繰り返されるツイートに気を取られている間に、トランプは史上最低最悪の法案にサインすることにどれだけ忙しくしていることか、これによって必然的に労働者はその権利を失うことになると言いました。
シェア・オランダ共働者一同

貴重なものを見る目

編集長殿
私は5月(2018年)に目の手術を受けました。あまり期待をしておらず、マイトレーヤの『手』を通して助けをお願いしていました。片目の手術を終えて、夫と私がエレベーターを待っていた時、一人の男性がやって来て私たちの隣に立ちました。彼の外見が目立っていて、昔ながらの映画スターのように見えました。黒っぽいカーリーヘアでパーティー向きの格好をしていました。彼はまばゆいばかりの笑顔で、美しく白い歯をしていて、まるで光を放っているように見えました。夫が彼に「あなたはこの病院で有名なのですか?」と尋ねました。彼は笑い出して、自分を指差しながら「ここで有名なように見えますか?」と言いました。それから彼は私の手を取って、心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と尋ねてくれました。私は手術やその特別な男性のこと全部にすっかり圧倒されていたので、後になってやっと、それが尋常でない出会いだと思いが至ったのです。私のもう一方の目はそれ以来手術を続けてきましたが、視力が再び回復したのをとても感謝しています。
ナンシー・デ・グラーフ
オランダ、アムステルダム

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

やり続けなさい!

編集長殿
2018年5月12日に数万人もの抗議者たちは、緊縮政策が英国で始まって以来、最大の労働組合会議のデモに参加しました。雰囲気は陽気な感じでしたが、群衆は労働環境と人権のためのより良い変化を待ちわびて、切望していました。ハイドパークの入場口にいた時、並外れた人物がパークレーン通り入り口にある中央受付所にいて、身体がいくらか植込みに隠れていましたが、デモの人々の方を向いているのが見えました。彼(あるいは彼女)は白い縁取りの付いたノーム(先のとがった帽子を被った老人姿の伝説の小人)の帽子という感じのものを被り、とてもカラフルなカーディガンにクリーム色のタータンチェックのキルト(スカート状の衣装)を着ていました。彼は白髪のカーリーヘアで、満面の笑みを浮かべていました。彼には見覚えがありました。突然、彼は一方の腕を回し始め、それからもう一方の腕も(風車の羽根のように)回して、まるで群衆を激励して、「立ち上がれ! 立ち上がれ! やり続けろ! やり続けろ!」と言っているかのようでした。それはすぐに伝わってきて、私は自分のプラカードをお返しに振って、しばらく彼を見ていましたが、向き直ってジェレミー・コービンの元気が出る演説を聞くために、喜び勇んでハイドパークへ入っていきました。
スザンヌ・フィリップス 英国、ウェストサセックス州

必死の訴え

編集長殿
2001年8月、シェア・インターナショナルの仲間がマイトレーヤに出会いましたが、ユーストン・ロードで車の行き交う危険な状態で、座り込んで食料を求めていた男性として現れたのでした。(本誌2001年9月号参照)2001年9月に、ユーストン・ロードを通って車で北へ向かっていた時、遠くに一人の男性が見えて、彼は速いスピードで走る車の二つの車線の真ん中を走っていたのです。彼は東ヨーロッパの人の風貌で、肩の長さの黒髪が汚れて固まり、あちこちにはねていて、ボロボロになった黒い服を着ていました。彼はフラフラとした足取りながらも、断固として前に進んでいました。後ろから来る車が近かったので、私はスピードを落とせなくて、彼をはねてしまわないかと心配でした。彼が開けた車の窓の近くに来た時、数秒間お互いを見つめました。彼は動揺して切羽詰った表情でした。片方の目が奇妙で、おそらく見えていなかったのが、彼を少し野蛮なふうに見せていました。彼は気も狂わんばかりに自分の口を指差して、「食べ物、食べ物!」と叫んでいました。停車することはとてもできなかったので、ショックを覚えながら運転を続けました。その時、仲間が見かけた人物を思い出して、彼は同じ人物、つまりマイトレーヤではないかと思ったのです。
ジル・フライ 英国、ロンドン【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

クローンで行こう
編集長殿2001年6月12日の火曜日、その晩のベンジャミン・クレーム氏講演会の準備のため、書籍やその他の備品を車一杯に詰め込んで、コンウェイ・ホールに向かって運転していました。キングスクロスに近づいていた時、巨大なガス工場近くの裏通りで、急なカーブを曲がって驚くべき光景を目撃したのです。二人のアジア人の男性が、反対側の道をこちらに向かって腕を組んで歩いてきたのですが、完全に瓜二つだったのです! 彼らの身体も顔も同じで、同じこげ茶のウールの帽子とジャケットとズボンに靴までお揃いで、まさにクローン人間のようでした。外側の肩から斜めがけにして、それぞれ身体の内側になるように提げた、大きくて重そうな鮮やかなオレンジ色の新聞配達用バッグも、ぴったり同じ分量で中身が一杯に詰まっていたのです! 彼らは笑ったり、話をしたり、前を見たりしていました。まさに子供が描く『蝶々』の絵そのものに見えました。私たちは彼らを眺めながら車で通り過ぎて、彼らが離れていくのを見ていました。車の中の一人が、「あれは私が思っている人たち?」と言ったので、私たちは噴き出してしまいました。それはあまりに面白くて、マイトレーヤとイエス覚者に違いなく、中でもすばらしく見事な変装でした! 私たちはコンウェイ・ホールまでの道のりを笑いっぱなしでした。あなたの師は、あの一卵性の双子が誰だったのか教えていただけますか。
アネット・ポンズフォード 英国、イースト・グリンステッド、ジル・フライ 英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その二人の男性が実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 

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ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

路上の出会い

編集長殿
2018年5月初めのある日、グループメンバーと私はアムステルダムで、交差点の歩道を渡るのを待っていました。モロッコ人の風貌の男性がすでに道路を渡って、私たちの方へ近づいていたのですが、彼が通り過ぎる時に突然振り返り、私たちに話しかけてきたのです。私は少し驚きました。彼は陽気で上機嫌な様子でした。私たちは彼が言ったことを正確には覚えていませんが、大体の意味は、彼が寂しいと感じたことがないのは、人々に話しかけているからだということ、そして彼はどこにいる人たちでも、何が必要であっても助けるのは、私たちが皆ひとつであり、兄弟姉妹だからということでした。それから彼はそのまま歩き続けて、私たちは心が軽くなるのを感じながら、信号が青に変わってから道路を渡りました。
シェア・オランダ・
インフォメーションセンターのメンバー
オランダ、アムステルダム

光のスピード

編集長殿
2018年5月10日に、私たちはアムステルダムのスピリチュアルなセンターである、ザ・ローズ(デ・ルー)で、『存在の美と生命の法則』と題した講演会を催しました。
私たちが(急な階段を上った)3階にある講演会場に到着した直後のことですが、驚いたことに松葉杖の女性が入ってきたのです。私たちがなぜ驚いたかというと、彼女は私たちと同じ停留所でトラムを降りた人で、センターまで歩く距離もあり、その後階段まで上ってきていたからでした。彼女はセンターまでの道のりも階段も、ものすごいスピードでやって来たに違いありませんでした。
講演の終わりに私たちは大宣言の日について話し、マイトレーヤが人類に一体性の体験を与えてくださることを伝えました。その時にあの女性が霊的な体験について私たちに話してくれて、彼女自身と同じく画家であるモスクワの友人が描いた、美しいマイトレーヤの絵を見ていた時に、その瞳が美しく光のようで、まさに輝く光だったそうです。私たちが弟子を通して働く覚者方についても話をすると、覚者方が例えばベンジャミン・クレーム氏やレンブラントを通して働くのを知るのは、すばらしいことだと彼女は言いました。それから彼女は他の催しに参加したいので、帰らなければならないと言いました。
伝導瞑想グループメンバー
オランダ、アムステルダム

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

素早い答え

次の2通は同じ人物からのものです。
編集長殿
(1)2018年4月30日から5月1日までの間、ウェルビーイング&コンテンポラリー・アート展に参加して、(パリ地区の)ヴァンセンヌの城壁の外に、私たちのブースを作るために朝早く出発しました。月曜日は天候があまりにもひどく、強風と降り続く雨で寒い日でした。午後早くから、突風とぬかるんだ道の水たまりのせいで、人々が私たちのブースの前で立ち止まりもしないことを思うと、自分自身に問いかけをしたいという気持ちになりました。展示に参加し続けたこの20年間で、このような類の質問を自分に問うてみたことはありませんでしたが、誰かがポスターを見ることもブースの周りのエネルギーを感じることも、あるいは立ち止って私たちの資料を眺めることもできない、この例外的な状況を考えると、その月曜日にブースに留まっていることはどれだけ有用なことなのだろうかと思いました。グループのノートにメモを書き込んでいた時、頭の天辺全体に強烈な熱さを感じたので、熱源があるのか見上げてみましたが、それはあり得ないことでした。実際に何もありませんでしたが、その瞬間、イエスが私に答えてくださったのだとわかりました。だからこそ、注目に値するような並外れたものでもないこの話を分かち合うことが役立つと思われましたし、本当に意味のある体験でした。

激励

(2)2018年2月に、私たちはパリのボディ・マインドフェアでブースを出しましたが、悪天候のためにメンバーの一人は参加することができず、雨の中を苦労して展示しました。2月9日に超心理学の展示場で、メンバーが冗談で「私たちは忘れられてしまって、覚者も弟子も訪ねてくれない!」と言いました。午後3時15分に金髪に青い瞳のきれいな女性が私たちのブースの前で立ち止り、『マイトレーヤの使命 第2巻』の上に指を置いて、私にマイトレーヤとは誰なのか尋ねてきました。私はメンバーを呼んで一緒に彼女に答えました。彼女はスラブ系の訛りがあり、ヘレナ・ブラヴァツキーとアリス・ベイリーの著作はすべて読んだと言っていました。彼女が本当に全部を読んだのか、少し疑わしいと私たちは思いました。彼女はメンバーに「そう見えないでしょうけど、私はたくさんのことを知っているわ。私は何歳だと思う?」と言いました。メンバーは30歳くらいと答えました。彼女によると実際は48歳で、不随で寝たきりだったので読む時間があったのだそうです。メンバーはベンジャミン・クレーム氏の本『光の勢力は集合する』について、そして人類の進化について彼女に伝えました。その女性は、人類の進化が地球上だけのことではなく、宇宙的なものだと教えてくれました。
彼女は本を買うことに興味を持っていないようだったので、私が彼女にベンジャミン・クレーム氏の本のカタログを渡すと、マイトレーヤの名前を覚えておくために、まさに欲しかったものだと言われました。固く決心した様子で、彼女がマイトレーヤの『手』のカードを買ったので、メンバーがその手は三次元になっていると伝え始めると、彼女は外観を越えたものを見ているのだから、何も証明する必要はないと答えました。彼女はさらに「私は直観的なのよ」と言い、メンバーに「あなたの心臓はどう?」と尋ねました。メンバーは心臓病なので、それは悩ましい問題でした。続けて彼女は彼が良くなるだろうと言いました。彼女は彼に「あなたは月曜日にここにいるの?」と尋ねました。そして不思議なことにそれは彼が戻ってくる日でした。そして彼女は彼に、彼のために何ができるかを考えるつもりだと言いました。そのメンバーは彼女に、ネカー病院で撮影されたイエスの外見について伝えようと申し出ましたが、私たちは彼女がそれ以上聞きたくなさそうだと感じたので、シェア・インターナショナル誌(2002年9月号)の写真についての、説明が印刷されたコピーを渡しました。そのコピーはA4サイズでしたが、彼女はそのサイズより少し小さめの、青い厚紙のチラシだけを受け取りました。彼女がそれを優しく折ると、その様子は日々の小さな仕草が状況を一変させるという格言に勝るものでした。それから彼女は「戻ってくるわ」と言いながら帰っていきました。彼女がそこにいた間とその後しばらくは、私のチャクラに温かさを感じていました。30分後彼女はブースに戻ってきて、満面の笑みを向けてウインクをしてくれました。私は彼女がマイトレーヤの代弁者のお一人だと思います。すべてが象徴的なことだったのではないかと考えさせられました。彼女は月曜日に戻ってきませんでしたが、あのメンバーの具合は良くなりました。
M-A.A.フランス、パリ

奇跡の治癒

編集長殿
ある友人が私に奇跡について手紙を書くように言ってくれましたが、それは2000年の秋に、私が主マイトレーヤの助けを呼びかけた後に起きたことでした。私の姪の義理の姉であるヴィーダを、助けてくれるように電話をもらいましたが、彼女はガンで闘病しており、1年半の間ニューヨーク州バッファローにある癌センターに、入退院を繰り返していました。今や彼女は自宅に戻されることになっていて、悪性腫瘍が治療に反応しなくなり、彼女の体内全体に進行して脊柱の上部や脳にまで広がったためでした。彼女は亡くなるために自宅に戻されるのです。
彼女の娘が泣きながら電話をしてきて、地元の腫瘍専門医からは、脳まで腫瘍が進んだ時に亡くなるだろうと言われていました。アリゾナからフロリダに散らばる家族全員に知らせられました。私が病院の一室に入ると、家族が皆彼女の周りに集まり、祈ったり、お別れを言ったりしていました。彼女は半ば意識のある状態で、むくんで膨れ上がり、パンパンになって青味がかっていました。私は両手を彼女の頭に置き、長い間助けを求めて祈りました。彼女はほんのわずか目を開いて、「治療してもらえるの?」と言いました。
私は「そうよ、始まっているわ、ヴィーダ!」と答えました。その時、「ああ神よ、彼女に偽りの希望を与えさせないでください!」と心の内で思っていました。
彼女の家族の何人かが私の自宅まで来て、出現についての資料を受け取り、彼らの反応は良いものでした。
ヴィーダは話ができて、食事もでき始め、10日ほど経つと主治医がX線撮影をして、どの程度腫瘍が脊柱まで進んだかを確認することになりました。彼女の弟が私に電話をしてきたので、私は息を飲みましたが、彼から「医者が驚いているよ、身体にガンの兆候がなかったんだ。これは診断の間違いか、あるいは聖なる介入だよ」と聞いた時の、何という喜びだったことでしょう。ゆっくりとすべての投薬が中止されて、彼女は家に帰りました。
彼女の家族は7月14日に75人以上が集って、夕食会を開いてお祝いしました。私は霊媒で、これが三度目のガンの治癒だったことはわかっています。他のものはこれほど広範囲ではありませんでした。
私は2年前に4カ所の心臓バイパスをして、腎臓の動脈にステントが入り、股関節部損傷もあり、私の娘が言うところの、身体の再調整を重ねてきました。第二次世界大戦で病身になった夫を40年以上看病しました。私は仲介者となりましたが、主治医からは、私が他の人たちのように年を取らないで、どうしてこれほど活動できるのか不思議に思われて(現在88歳です)、質問されるようになりました。彼に招かれて彼の家で話をして、皆がその方法を知って喜んでくれました!
MMP
米国、ペンシルベニア州ミードビル
【ベンジャミン・クレームの師は、その治癒がイエス覚者によって与えられたことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

確認

編集長殿
2018年4月7日の土曜日の夜に、妻と私はレストランへ出かけました。小柄で年配の中国人の女性が、小さなバックパックを背負い、私たちの後ろのテーブルに座っていました。注文を終えると、彼女は立ち上がり、レストランのオーナーをずいぶんからかったり、ふざけたりし始めたのです。それから彼女は私たちの方へ来て話し始めて、私たちには理解できませんでしたけれども、彼女の仕草や陽気な声音、微笑む顔から彼女の意味していることは分かりました。彼女は食事の間度々、立ち上がって他のテーブルを回っていました。行く先々で彼女は大いに喜びを広めているようでした。彼女の態度は非常に喜びに溢れていて、明らかに人々を幸せにするのが好きだったのです。動き回っていた間、彼女は何度も私たちの所へ来て、一度などお茶まで入れてくれました!
私たちはオーナーに彼女が何者なのか尋ねました。オーナーによると、彼女は週に二、三度来ていましたが、夜に来たことはなく(その時は午後7時過ぎでした)、彼はなぜ彼女がその晩来たのか知りませんでした。その時、私は彼女が『ファミリア』かもしれないと思い始めました。彼女は驚くようなやり方で人々を大変に喜ばせて、皆がとてものびのびと彼女と向き合っていました。彼女の近くのテーブルに三人の人物がいて、私には彼らも『特別な人たち』に思えたのです! ある時には、その女性が彼らと非常に心温まる親密な様子で交流していました。彼女が動き回っていない時には、静かに食事をしていました(ずっとバックパックを背負ったままで!)。とりわけおかしなことは、彼女が食事を終えると蒸し餃子を注文して、私たちの所へ来て一つ勧めてくれたことでした。
私たちが帰る時に、その女性に向かってさようならを言うと、彼女は両手を体の前で合わせたので、私たちもその仕草を返しました! 私たちは精神の『高揚』を感じながら帰りました。私はそれがマイトレーヤで(代弁者でも代理人でもなく)、おそらくあのテーブルの三人はイエス覚者と弟子と、再びマイトレーヤ(!)だったという感覚があるのです。これを確認する方法がないことは分かっていますが、私がそう思う理由は、ベンジャミン・クレーム氏が亡くなる少し前に、同時に同じ場所で二人の人物として現れたマイトレーヤの体験談があったという事実に関係していることと、より重要なのは、その『感覚』がその日の前日に仕事場で私に起こったことと関係しているのです(19ページ『時代の徴』の最初の手紙参照)。
レイ・ショウ
カナダ、ブリティッシュコロンビア州バーナビー

奇跡の毎日!

編集長殿
2018年3月21日に、私はシェア・インターナショナル誌のスペイン語版3月号を受け取りました。私がパラパラとページをめくっていた時、時代の徴の中の『最後の晩餐』の絵を見て、それを写真に撮り、家の台所兼食堂に飾ろうと思いましたが、後になって『編集長への手紙』を読んで、その絵が音楽の聞こえてくる話と関係していると分かりました。(本誌3月号36ページ、編集長への手紙の中の『天上の音楽』、17ページの関連の写真参照)それを見た瞬間から、それを正しい場所に置かなければという決意が生まれ、音楽のためだけでなく、それが宗教的に神秘的に表現しているもののためにも、そしてその芸術的な性質のためでもあるのです。私はその日、携帯電話を使って写真を一枚撮り、写真店に行ってプリントしてもらいました。
翌日、朝5時に目が覚めて、眠くなかったのでテレビを見ることにしました。ニュースを読むために消音にして、眠っていた夫を邪魔しないようにしました。その時かすかな音楽が聴こえてきました。私はチャンネルを変えてみて、ニュース番組が背景に音楽を流して放映されているので、ニュースチャンネルのせいかどうかを確かめました。それがテレビから出てはいなかったので、私は静かに座って音楽を聴きながら、注意していました。それはごく小さな音で、非常にソフトで、ハープのような音でとても美しいものでした。20分ほど聞いていて、夫に伝えると、神聖な音楽のようだと言われました。聖木曜日(最後の晩餐の夜)に写真を写したので、つまり元の写真の事柄に関係していますし、同じ日にそれを食堂に置いたのです。私は再びあの音楽を聴くことはありませんでしたが、もう一度聴きたいと思っています。
このような時期に人々に起きる奇跡の数々によって、新しい毎日が私たちを驚かせてくれるのだと思います。
L.M.
キューバ

オープンなコミュニケーションを

編集長殿
数週間前、マイトレーヤの代弁者で、かなり定期的に訪問する方が、アムステルダムのインフォメーションセンターで、私たちと話をしながら一時間を過ごしました。話は広範囲にわたり、数多くの話題に及んで、エーテル界やエーテル物質のこと、話すのか読むのか、すなわち言葉は誤って解釈されうるが、思念をエーテルにおいて送ることは、それこそ最良のコミュニケーションの方法であることなどです。私たちは世界の全体的な状態について話しました。彼は私たちがマイトレーヤを見るまで長く待たないだろうと言い、それが今年であると言いました(今年の初め頃、私たちの1月の講演の一つで、そのような現在というのは、「まさにこの年のことだ」と言われました)。
一日ほど後で、私たちの常連のイエス覚者の代弁者が立ち寄って、私たちがかなり大型のスクリーンを道路に面したメインルームに置いて、ベンジャミン・クレーム氏の講演(字幕付き)のDVDを上映しているのを見ていました。時折、スクリーンをウィンドウの中に置いていましたが、しばらくそうしていませんでした。若い代弁者から、なぜスクリーンをウィンドウに面したメインルームに置くよりも、『ウィンドウの中に』置かなかったのかと尋ねられました。「通行人がいつでも見たい時にDVDを見られるよ!」。私たちはすぐにそうすると言って、そのようにしました。
数週間後、私たちはマイトレーヤの代弁者が、センターでの講演に参加するのを半ば期待していましたが、彼は現れませんでした。けれどもその日、4月8日の遅くに、あの常連のイエス覚者の代弁者が再び姿を見せて、ウィンドウの中のスクリーンを見て、何てうれしいかを伝えてくれました。「良いね! ああそうだ、ところで基本情報の載った新聞は今手に入る、どうかな?」。私たちが笑い出してしまったのは、ちょうど基本情報の新聞をもう一度印刷する計画を話し合っていたからでした! そのように彼は、私たちがいつでも対応できる状態でいるように、最も愉快で優しいやり方で支えてくれているように思います。
メンバー一同
シェア・インターナショナル・オランダ・インフォメーションセンター
オランダ、アムステルダム

夢のような

編集長殿
私はベンジャミン・クレーム氏のパリでの講演を聞いて、大変な恩恵に浴したと思い、シェア・インターナショナル誌に非常に関心を持ちました。2000年の初めの5月か6月に、オートゥイユに向かう地下鉄に乗り、リュクサンブール公園方面に乗り換えました。私は子供を迎えに行かなければならなかったので急いでいました。
ある人物が私の方へやって来て、お金を求めてきました。私はポケットにあったものを彼に渡しました。すると彼は頬に軽くキスをしてきました。4歳のフランソワが待っていたので、急いで立ち去りました。その出来事が忘れることのできないような、たくさんの強さを、私に与えてくれました。それは夢のようでした。このようなことは今日の世界では起こらないので、どう思われますか。もしそうなら、私たちの世界も非常に異なっていたでしょう。
マダム・レール
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

スマイル・セラピー

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

ストリートライフ

編集長殿
2002年のいつ頃かに、私が予約先に向かっていた時、歩道で足を組んで座り、頭にスカーフを巻いた女性を見ました。彼女はボール紙を1枚持っていて、それにはお金をいただけたら食事ができますと書かれていました。彼女の頭がうつむいていたので、物乞いを恥じているのだと感じました。この若い女の子に心を打たれ、戻る時にお金を渡すことを考えて、そうしました。彼女の頭はさらに下向きになっていて、抱えていたコップに小銭が数枚ありました。私は「幸運を」と言いながら小銭を入れました。彼女が頭を持ち上げて、私たちはお互いを見ることになり、彼女の瞳が輝いていたので、私は喜びでいっぱいになりました。これは1日中続きました。この若い女性は誰でしたか。
ニコール・マサールフランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

内なる美
編集長殿
2001年12月19日に、私は『生まれ変わり』ました。その日、リモージュにある私の美容院で、何かが私の中に目覚めたのです。12月21日にミス・パイヴァが美顔術のためにやって来ました。最初の電話をかけてきて彼女が値段を尋ねた時から、すでに何か違っていました。少し値段交渉をした後で、ミス・パイヴァがその日の午後6時に予約を決めました。電話では彼女はアフリカ系の声のように思えました。彼女を待っていた間、どんな外見だろうかと思っていました。彼女は白人でしたが、顔立ちは外国風でした。私たちはそのことについて話をしました。私は彼女が世界市民のようだと言いました。彼女は笑っていました。彼女は私を違ったように見ていて、単なるネイリストではなく、もっと能力があると言ってくれました。
私たちは彼女の洞察力の広さと適応能力について話をしました。私が彼女には悩みの種がないように見えると伝えました。ほとんどの私の顧客たちには悩みがあるように思います。施術は2時間半続きました。彼女は、もっと早くに帰るはずなのを心配している両親に電話しました。
私の母は、マイトレーヤが私を通して、ミス・パイヴァに御自身を示されたと思っています。もしこれがそうした事例なら、訪問の目的は何だったのだろうと思うのです。どのような理解の助けも感謝いたします。

ジョエル・シャンボン
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、そうではなく、『ミス・パイヴァという女性』が実際にはマイトレーヤであったことを確認した】

消えたヒッチハイカー

編集長殿
1975年の春に私は家(アパート1階の私の部屋)にいて、2、3カ月だった私の赤ん坊をお風呂に入れていた時、ドアのベルが鳴りました。赤ん坊をバスタオルにくるんで、誰が来たか見に行くと、若い男性が立っていて、何か食べる物を求めてきました。
少し驚きましたが、彼に部屋に入るように言って、息子に服を着せる間待ってもらってから、彼に息子を渡して(!)食べ物を用意できるようにしました。私たちは少し(宗教について)話をして、それから彼は、私が用意した旅のための包み(いくつかの食べ物といくらかのお金)と、『すべてを許し給うキリスト』の絵も持って出ていきました。
去っていく前に、彼からどこでヒッチハイクしたらよいのか尋ねられました。私は彼に(右側の数メートル先の)場所を教えて、ドアを閉めました。ドアの脇の窓から外をのぞいて驚いたのは、誰もいなかったことです。正面にも、右側にも左側にもいませんでした。しばらくヒッチハイクのためと示した辺りを見ていましたが、誰もいなかったのです。
後になって考えてみて驚いたのは、まったく見知らぬ人間を家に招き入れて、赤ん坊を世話してもらったほど、よくも信頼できたということでした。この出来事が心に残ったのは言うまでもありません。
その後すぐに、天使について本を読んでいた時に、以下の文章がありました。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」(ヘブライ人への手紙第13章2節)。これは私にとってぴったりの説明でした。他には見当たりませんでした。
最近になって、この話を他の人に話したところ、彼女がそれはマイトレーヤ以外にないと言いました。その後すぐに、私の友人がちょうどシェア・インターナショナル誌を見つけて、彼女も同じことを言いました。私はどう考えたらよいでしょうか。このことを明確にしていただけますか。それにもかかわらず、この人物が誰であれ、彼が来てくれたことが、私はとてもうれしいのです!
アニタ・カシモン
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その若い男性がイエス覚者であったことを確認した】

幸福な読者

編集長殿
格別な最初の2018年シェア・インターナショナル誌に感謝します。まさにこの困難な時期に私たちに必要なものです。私たちのグループのメンバーたちによる多大な貢献と、それに加えて非常に興味深い記事を見るのは、素晴らしいことです。
もう一度ありがとう。これはライフライン(命綱)です!
心からのお祝いを込めて。
ジャネット・エドワーズ
英国、ソーリハル

 

編集長への手紙

手紙説明
シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

何と驚異に満ちた世界!

次の3通は同じ人物からのものです。

編集長殿
(1)2017年12月の初めに、私はアムステルダム中心部の古い建物の中での、ある講座を受講していて、休憩の時にコーヒーを入れる手伝いをするために階下へ向かいました。あらゆる種類の講座に参加していた人たちでいっぱいでしたが、廊下には犬を連れた女性が一人いる以外は、ほとんど人影がありませんでした。長く急なひと続きの階段を下り始めた時、ヒールが何かに引っかかったに違いありませんでした。転び始めた勢いのせいで、手すりから手が放れてしまいました。すると、高い飛び込み台から飛び込むような形で、頭を下にして放り出されるように落ちたのです。落ちていきながら、「助かるためにどうしたら良いのか?」というようなことがたくさん頭をよぎりました。車椅子になってしまうことすら思い浮かび、それに長くお世話になりたくはないと即座に心に決めました。その後空白がありましたが、目を開けてみると、階段の最後の段から少し離れた石の床に横たわっていて、まるで『回復体位』でそこに寝かされたように、横向きで膝を曲げて、手は頭の下にありました。私のハンドバッグは壁の近くに置かれていました。私が階段を見上げていると、「やろうと計画していることを終えるための時間は、あとどのくらい残っているのか?」という思いが心に浮かんだのです。駈ける馬のように心臓がどきどきし、私を取り巻く愛を感じて、涙をこらえられませんでした。一人の男性が私に近づいてきて、彼は小さな『ドンという音』を聞きつけてきたのです。「ボーッとしていたんですね?」と言って、さらに「救助されたに違いありませんね、そうでなかったらここにいるわけがありませんよ」と言われました。ショックから立ち直ると、私の自転車は鍵をかけて置いていくことにして、家に帰りました。アムステル川にかかる『スキニー・ブリッジ』(古くからある有名なアムステルダムの名所)に差し掛かった時、たった今体験したことすべてを深く考えながら、涙で曇った目で街を見つめました。その後数日間は身震いが続きました。ところで私には打ち身ができましたが、どこにも骨折はなかったのです。

(2)2017年12月の初めに、アムステルダムのインフォメーションセンターでの伝導瞑想を終えて、自転車で家に帰っていました。スリナム人のような風貌の、優しい感じの男性が自転車で近づいてきて、私の隣に来ました。私たちは自転車をこぎながら、友人同士のようなおしゃべりをしました。何度か彼が私の後ろになって、他のサイクリストたちが私たちを通り越していけるようにしていました。私が別の道へと曲がらなければならない地点に来た時、彼がしっかりと言い含めるように、「マダム、どうかくれぐれも用心してください」と言ったのです。彼はそのまま行ってしまいましたが、10メートルくらい離れた場所で振り返り、手を振ってくれました。

(3)2018年1月18日にオランダにハリケーンが上陸しました。外出しないようにメディアを通して人々に警報が出されていました。気象警報にもかかわらず、私はどうしてもスケッチブックを買いに行きたくなり、思い切って出かけることにしました。(アムステルダムの)ホテル・オークラがある道路に入ると、巨大な樫の老木が強風で曲がっているのが見えて、「どうか倒れないで!」と思いました。ホテルを通り過ぎていきながらも、吹き飛ばされないように壁にへばりついていなければなりませんでした。角に自動ドアのオフィスがあったので、嵐から避難するためにそこへ入りました。やはりそこへ逃げてきたばかりの男性が入って座るように言ってくれました。ちょうどその時、大きな衝突音が聞こえてきて、巨大な樫の木の一本がバリっと音を立てて倒れたのです──私はその下を歩いてきたところでした! ちょうど入って来た男性の車の上にぶつかり、彼はほんのちょっと前に駐車したばかりでした。嵐が少し収まった時、私はついに店に到着しましたが、まだ震えていて、欲しかったスケッチブックが売り切れだと分かっただけでした。
匿名希望オランダ、アムステルダム

次の2通は同じ人物からのものです。

見えないドア

編集長殿
ずっと昔に起きた二つの出来事について、マイトレーヤとイエス覚者に関係しているかもしれませんので、お伝えしたいと思います。
(1)2002年6月29日に私はボルドーにいて、商業街路にあるカフェのテラスに座っていました。静かに座って飲み物を少しずつ飲んでいた時、大変生き生きとした、45歳から55歳くらいでほっそりと背の高く、貧しい身なりの男性が近づいて来て、私の友人にタバコを巻くための紙を買うお金を求めてきました。驚いたことに、友人は断りました。彼が去ろうとした時、私が財布の奥に見つけた小銭を渡しました。彼は、私が恥ずかしくなるような熱意を込めて、何度もお礼を言ってくれました。そのようなふるまいは私たちには理解できませんでした。彼は去っていきました。おそらく30分ほど経ってから、彼がまるで魔法を使ったかのように、再び現れました。一つの世界から別の世界へと行き来できる、見えないドアを通り抜けて、テラスの前で彼が歩きながら現れたのを目撃したとしか、どうしても思えませんでした。何かが違っていました。彼の深いブルーの瞳が見えました。彼はもう一度私にお礼を言い、またもや気恥ずかしいほど敬意を込めてお礼を言ってくれたのです。彼は私に幾つか質問をして、それから去っていきました。

幸せの贈り物
(2)2002年9月のある金曜日に、家に帰るバスの中で、60代くらいの西インド諸島の女性が、彼女の夫と一緒に私の隣にやって来て腰を下ろしました。彼女はすぐに宗教についての会話を私と始めました。プロテスタントの転向者であり、信徒として、彼女は私がなぜ仏教支持者なのかを知りたいと言いました。彼女はしっかりとした信を持っており、それは様々な物の見方の中に、妥協をしないという形で表れているようでした。突然話し合いが楽しい雰囲気に変容して、私は彼らのそばにいると気分が良かったことを認めます。時々彼女が説明中に過激で熱のこもったようになると、私は笑い出し、彼女も笑いました。私は彼女に良い1日を祈って別れました。その後の週は、いつも金曜日に彼女が夫と共にバスに乗っていたのを、遠目に見かけました。翌週の金曜日、彼女はまた私の隣に座り、再び会話が始まりました。けれども何か違った感じでした。私は、彼女から発散される波動に、もっと敏感になっていたように思えました。私たちは再び話をし、その時には不思議なことに、霊的な物事と関連した私の関心について口に出すことはありませんでしたが、彼女が一人で話している中で、私の示した質問に的確に答えてくれたので、自然と私はとても満たされた気持ちになりました。私は計り知れない『贈り物』を受け取ったと確かに感じていました。
YDMフランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の物乞いがマイトレーヤで、二番目の夫婦はマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

グループの和合

 編集長殿2017年11月28日に、私はグループのメンバーと一緒に喫茶店にいました。私たちは自分たちのグループに起こっていたことについて、それは決裂と言えるものでしたが、話し合っていました。それは何カ月も漂っていたにもかかわらず、例年のメインの講演会を通して顕在化しました。突然、私には窓にベンジャミン・クレーム氏の姿がチラッと見えて、それはあるエネルギーを伴っていました。午後4時30分くらいのことで、私は内省的な状態でした。私の右側にはっきりとしたエネルギーがありましたが、曖昧な形をしていました。エネルギーが私たちの内や周囲に注がれていたので、同席したメンバーはそれを感じていて、もうベンジャミンさんのシルエットは窓に見えていませんでした。けれども1時間ほど経って、何かに強く促されて目を閉じると、まるでビデオを見ているかのように、ベージュのジャケットを着たベンジャミンさんが動いているのが見えました。その時、曖昧な形のエネルギーが私の右側から左側へ移っていきました。
 喫茶店が午後7時に閉まるので、私たちは6時45分に帰ることにしました。私たちは長い道のりを共に歩きましたが、エネルギーはまだ私たち二人に向けられていました。その後、私たちは別れましたが、エネルギーはまだ来ていました。それは思いがけないことだったので、私は夜の予定を変更しなければなりませんでした。翌日にかけてもずっと、エネルギーはまだ注がれていて、強烈さは随分なくなっていても、私ははっきりとベンジャミンさんのエネルギーを感じ、いつもより一層彼が近くにいるかのようでした。この体験を言葉にするのは難しいことです。

匿名希望

次の手紙は喫茶店に同席していた、もう一人のメンバーからのものです。

編集長殿
 2017年11月28日に、グループのメンバーと私はルーベンスの絵画展に出かけました。そのような展示会の間にもたらされる、いつもの恵み深いエネルギーを私たちは体験しました。1時間ほどしてから、展示会のエネルギーをアースするために、お茶とケーキを求めて外に出ました。
 私たちはお茶を飲みながら、私たちが非常に重大だと考える、最近のグループ活動の問題について、グループの和合にとって何らかの影響をもたらすこととして話していました。私たちはこの問題を非常に懸念していて、難局に追い込まれたように感じていました。
 私たちの懸念や心配を話していた時、あまりにもあり得ないことが起こりました。午後5時30分のことでしたが、私たち二人共が自分たちに注がれる、活気あるエネルギーの流れを感じ始めたのです。私たちはそれぞれ違ったようにそれを体験していましたが、体験は同時に起こり、私たちはそのことについてお互いに話ができて、それは大変まれなことでした。もちろん私たちはそれ以上何についてもおしゃべりできなくなり、感じていることや解釈について、一言二言口にするだけでした。私たちはそれが自分たち二人に向けられたもので、おそらくはグループの和合についての、私たちの話し合いや懸念に関連しているのではないかと分かり始めていました。私にとってそれは頭頂のチャクラを通して流れる強力なエネルギーで、時折強度が数秒間減退し、その後再び強さが戻るのです。そのため、私たちは1時間喫茶店にいて、お茶を飲むふりをしながら、エネルギーを満喫して、時々目を閉じたりしていました。店を出ることを話し始めた時、エネルギーが減退しました。その時私が声に出して「どうぞ続けて」と言うと、エネルギーの流れはすぐに戻ってきました。
 その後、私たちは地下鉄に乗り、私にはエネルギーがかなり軽くなり、頭の周りにチクチクする感じがするだけでした。家に帰って、すぐにソファに座ると、エネルギーの流れが強力に戻ってきて、そのまま午後9時30分に就寝するまで続きました。
 私はそれがベンジャミン・クレーム氏の師からの贈り物だと信じます。私にとってエネルギーの流れは、わずかに減退しながら木曜日の夕方まで続きました。私は水曜日のほとんどと木曜日の午前中、エネルギーと統一するためにベッドで過ごしたので、日常生活をおくることはできなくなっていました。
 実際に助けられていると感じ、私のエーテル体が強められ、感情体が浄化されたようだったのは、グループの不和の後で、私はできる限り対処しようとしましたが、深い不調和を感じていたからです。腹立たしさが消えて、私のエーテル体は滋養を与えられ、再び心地良いものとなった感じがしました。1カ月ほど経つと、グループの和合の必要性が、形式的な概念から深い理解へと移行しました。

匿名希望

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

向かい合って
編集長殿
2017年12月18日の月曜日に、私は家に一人で座っていて、気分がとても悪く、息苦しくなっていました。18年間、家のマントルピースに置かれていた、マイトレーヤの『手』のカードを見つめ始めました。突然、驚いたことにマイトレーヤのお顔が『手』のカードに現れたのです。彼は私の方を向いていて、非常にハンサムで、茶色のわずかに巻き毛の髪が額にかかっていて、あごひげが少し見えました。彼はとても若くて、年を取らないように見え、私は彼の愛に囲まれて、とても穏やかな気持ちでした。しばらくすると、顔の向きが変わったので、横顔を見ることができましたが、また元に戻って私の方を向きました。私は座って何時間も見つめながら、気分も良くなり、祝福を受けたのでした。
アデル・テンプル英国、サリー州レッドヒル

だから、目を覚ましていなさい
編集長殿
2018年1月5日の伝導瞑想の間、グループの覚悟についての、ある考えが心に浮かびました。そのすぐ後で、60年以上も考えたことのなかったことが、心に飛び込んできて、それは聖書のたとえ話で、5人の賢明な乙女と5人の愚かな乙女が、花婿が現れるのを待ちながら婚礼の祝宴の準備をするという話でした。「そこで天国は、10人の乙女がそれぞれ灯りを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の5人は思慮が深く、5人は思慮の浅い者であった。思慮の浅い者たちは、灯りは持っていても、油を用意していなかったが、思慮深い者たちは、自分たちの灯りと一緒に、入れ物の中に油を用意していた。しかし花婿が遅れたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい!』と呼ぶ声がした」このたとえ話は以下のように終わります。「だから、目を覚ましていなさい。人の子(イエス・キリスト)がやって来る、その日その時があなた方に分からないからである」(新約聖書マタイの福音書)私はこの最後の文章が、初めの物語に関係しているとは、はっきり覚えていませんでした。このたとえ話は、『マイトレーヤの使命 第3巻』(英語版)の中に見つけたベンジャミン・クレーム氏の詩を連想させるものでした(註:日本語版が出された後に、クレーム氏が英語版に書かれたものである)。「宮人たちが座って王の入場を待つとき、われわれは、マイトレーヤ、あなたをお待ちする。ある者は座ることなく、あちらこちらと、歓びの知らせを告げに、走り回る。偉大なる主、首長の中の首長が、今や馬から降りて、門に近づかん。開けなさい、速やかに、主を遅らせることのないように」
匿名希望

確認
編集長殿
2017年7月8日に、ロンドングループのメンバーたちが、ブライトン・ヨガ・ショーでブースを出しました。関心が高まっていて、午前中遅くから絶え間なく訪問者がありました。黒髪で黒い瞳の女性が、私たちのテーブルに近づいて、展示されている情報の性質について尋ねてきて、彼女は40歳くらいに違いなく、くつろいだ格好でした。彼女と一緒に話していると、自然に大宣言の話になりました。突然、強烈で美しく温かなエネルギーが私たち二人に流れてきたのです。あまりに強力だったので、話をすることはもはや不可能で、その黒髪の女性以外は、ブースや訪問者たち、展示している人たちすべてが、かすんでぼんやりとなり始めました。私たちはお互いに向き合っていたので、彼女が両手を伸ばしてきて、私の両手を取るとそれにキスをして、それから前屈みになって私の両頬にもキスをしたのです! 私は完全に圧倒されていて、我に返った時に座り込んでしまい、その女性は歩いて去っていきました。フェアの騒音や気配が私の意識に戻ってくるまでの間、数分間に感じられましたが、ただ座っていました。後になってブース展示をしている人たち数人が、私たちのブースにやって来て、あのエネルギーを感じて、何なのか不思議に思っていました。それは特に、大宣言について話をした時にだけ起こったもので、おそらく非常に非常に間もなく、起こることになっているという事実を示しているかもしれませんし、もしかするとフェアの日に、講話や講演で、機会のある時はいつでも、このことについて話をすることが不可欠で重要だという徴かもしれません。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド