日本講演レポート

本誌監修者、石川道子講演会は、仙台、東京、大阪、名古屋の4都市で開催され、いずれも盛況のうちに幕を閉じた。
最初の講演は、5月15日に仙台で開催され、2011年の大震災後6年ぶりの開催であった。聴衆は非常に熱心にこの希望のメッセージに聞き入っていて、そのほとんどが初めてこの話を聞く人々であった。収容人員180名の会場は220名ほどの人であふれ、別室が用意され、大画面のスクリーンを通して熱心に講演を聞いていた。途中で音声の不具合が起こったが、人々はホールに移動して、帰ることなく、4時間もの間、ホールに設置された画面をとおして熱心に講演に耳を傾けていた。
東京講演にはおよそ1,000人、大阪と名古屋では、600~700名の聴衆がやってきたが、名古屋では特に若い人々の姿が目立っていた。
どの講演会場でも、ワーカーたちが街中にポスターを貼って歩いたり、電車内ポスターを使ったりして、熱心に準備活動を行った。70万~100万枚のカードやチラシが撒かれ、大阪で産経新聞に掲載された全頁広告はことのほかこのグループの活動と情報を端的にわかり易く知らせる物だったことから、後にチラシとして各地でも使われた(以下の手紙参照)。そして、これはどの講演会場でも共通していたことであるが、聴衆の方々の姿勢がとても真剣であった。一言も聞き逃さないといった態度で、質疑応答を入れると4時間あまりになる講演に熱心に耳を傾ける姿がとても印象的であった。
各講演会主催地では伝導瞑想会も催され、100~300名の人々が参加した。講演旅行の最後に滋賀でワーカーのための研修会が開催され、179名が参加、熱心にこれからの活動について話し合った。研修会では土曜日の瞑想が始まる前に、ロンドンのクレーム氏とスカイプでつながって、マイトレーヤからの祝福のエネルギーを受けた。

ハイアラキーの援助

編集長殿
2016年 5月28日、石川道子氏の講演会がクレオ大阪で開催されました。当日は非常に熱心なお客さんが多く、石川氏のお話はとてもすばらしいものであり、みんなシーンと聞き入っていました。
講演会の広告に関して、4月30日の産経新聞大阪版に掲載された全面広告について、これまでとは全く違った流れがあったことについてお尋ねしたいと思います。
3月末ごろ、まだ講演会の2カ月前なのにいつもの産経新聞の広告代理店から何回も電話がかかり始めました。それは、講演会に向けて新聞の全面広告をやりませんか……というものでした。私はまだ早すぎると思ったので、適当に流していました。しかし、4月になっても何度も電話があり、だんだん次のような提案に変わっていきました。担当者は、「今までに出した全面広告はポスターのようなものだし、書籍を載せているけれど分かりにくいし、もうこれからは読者に伝えたい話の内容をもっと分かりやすく、そして読んでもらえるように提供した方が良いです。そうでなければ全面広告の意味がありませんよ」と言ってきました。
そして驚くことに、担当者は、「……講演の内容まで踏み込んで、このような講演会ですというように話される内容がわかる広告で、……また今までの視点とは違うバージョンをこちら(広告会社)が作ってみたいのですが、どうでしょうか」と言いました。私は内心そんなことは想像もしてなかったので、びっくりしました。また担当者は、「たとえ当日の講演会に来られなくても、読者がこういう話なのかと思ってもらえるものを、今、提供する必要があるんです! それを今、準備することが絶対に必要なのです! もうそういう時期に来ているんです! 石川講演会に向けての全面広告で伝えるインパクトが最も効果的です。今は早いと思っているかも知れないけど、全然早くないですよ! 作るのにも時間がかかるし、後になって、きっと早めに作っておいて良かった! ……と絶対に思いますよ! ……だから今、すぐやりましょう!」と、力説されてしまいました。
私は担当者のすごいパワーに圧倒されたので、本当にこの人が言っているのだろうか、と思ってしまうほどでした。
それから担当者は、「私が知っている範囲ですが、全面広告をやって読者からクレームが一件も来ないのはこのグループだけですよ。だから私は安心して勧められるんです。これまで、あなたたちの広告はいつも審査は一回で通るし……けれどこれは稀なことなんです。大手のメーカーでさえも審査が通らず、何回もクレームが来るんです、全面広告となると本当に難しいんですよ!」と言いました。
最初、私は毎日のように電話をかけてくる担当者に熱意を感じつつも、今までの原稿はこちらのグループで作っていたこともあり、まずグループと相談する必要がありました。講演者である石川さんにもお話すると、「すばらしいニュースでうれしい、思っていることをズバリ言ってくれた担当者に感謝したい……」とも言われましたので、私たちのグループは前向きに検討することにしました。
その旨を担当者に伝えて、パンフレットや石川さんのインタビュー記事、2015年度の石川講演のDVDを含めた数点の資料を渡しました。
そして1週間後に初稿が届きました。石川さんは、「見事な出来栄えで、伝えたいことが一枚にすべて網羅されており、大変すばらしい……」と感心されました。翌日、担当者から電話がかかってきました。「……どうですか。原稿は見ていただけましたか……」と静かに言われた瞬間、私はいつもの担当者とは違う雰囲気を感じました。私が、「……もう王道ですね……」と言うと、染み入るような声でゆっくりと「……王道で作りました……、言いたいことをすべて書きましたよ……」とやさしく言われました。それから担当者は、「自分は少しだけアドバイスをしただけです。私と製作者が決めたのは、クレーム氏がこういうことを言っているという流れでいきましょう、ということだけで、後は製作者が資料をしっかり読み込んで作ってくれました……」と言いました。
「この広告のタイトルの『分かち合いが世界を救う』については、製作者と私はすぐ一致しました。ここが大きすぎる字のように感じるかも知れませんが、これでインパクトを与えるのです。読者の目をここに集中させるのです。ここにはその力が集まっています。そうすると読者はどんどん引き込まれて読んでいくのです。それから、あなたたちはすばらしいボランティアグループだし、しかも、世界中にネットワークとしてつながりをもって活動しているということも分かるようにした方がいいのです……」
次に私は、たくさんのクレーム氏の著書(15冊)の中からよくぞこの2冊を出してくれましたね、と言うと、「この2冊は、今、非常にタイムリーなんです。今出す本はこれなんです。製作者がそうしたんです。これを今、前面に出さなくてはならないのです! ……ここを読めば伝えたいことがすべて書いてあります。それをここに書くのです。最初に書くと最後まで読んでもらえないのです。この場所でいいのです……」とだんだん熱く話してくれました。私はこんなにも真剣に私たちの活動について考えてくれていた担当者に驚いてしまいました。
全面広告は新聞社の審査も問題なく通り、4月30日の大阪版に掲載されました。関東のグループは、石川氏の講演会のお知らせ部分だけを東京、仙台、名古屋のものに変えて、この同じ広告を東日本エリアの産経新聞に全面で出したいということになり、担当者にその旨を伝えました。何度も電話のやりとりをしているうちに、2~3時間たったころ、急展開になり、「もう時間がないのでその原稿を使ってください、時間がないからいいですよ。もう好きなように使ってください!」ということになり、東京オフィスの審査も無事に通り、この全面広告が東日本全域で掲載されました。そして今後もこの原稿は全て自由に使ってもいいと言ってもらえました。
講演者の石川さんは日本全国のワーカーに向けて、今回の全面広告が出来た経緯を説明し、各人がその広告原稿の内容を読んだ上で、是非これを分かち合いたいと思ったら、講演会の案内と一緒にこのコピーを配布することで、情報の内容をより詳しく伝えることができる旨、呼びかけました。全国のワーカーは直ちに反応し、コピーの注文と寄付の申し込みが次々と入りました。すごい勢いで全国のどの地域も、この広告原稿を使って、もっと広報したいという意識になり、全国的に活気づいてきました。広告原稿を大量に印刷するにあたって、石川氏の最初の講演会である5月15日の仙台に間に合わせるためには、(しかも、5月の連休が始まる直前であり)、まさに超特急で印刷の手配が必要になりました(広告を作るのにまったく“早すぎる”ことはありませんでした)。
結果的に、新聞に掲載された他、この広告原稿のコピーは70万枚印刷され、全国のワーカーがそれぞれの地域で活動し、配られました。
石川氏は講演会での質疑応答の部で、情報を人に伝えるためにどうすればよいか、という質問に答えるときに、この広告のコピーについて話されたので、聴衆は帰り際に何枚も持っていく人々も多く、用意されていたコピーは各講演会場とも、あっと言う間になくなってしまいました。
全面広告に関するこれら一連の体験は日本のワーカーたちの広報活動をさらに活発にし、6月10~12日の週末に開かれたシェア・ジャパン研修会において、全国から集まった179名のワーカーはこの情報を伝え続けていくことへの決意を新たにし、今後の1年間を通して、このコピーを使用する方法などを討議しました。
この広告の作成に関して、マイトレーヤか覚者のお助けがあったのでしょうか。
U.M./滋賀県、日本
【ベンジャミン・クレームの師は、日本のグループがハイアラキーからの援助という贈り物をいただいたことを確認された】

(以下は同じ人物に関する3人の体験です)

特別な見守り

編集長殿
2016年5月15日、宮城県仙台市のメディアテークで、東日本大震災から6年ぶりに、石川道子氏の講演会を行いました。講演が始まる時間には180名の会場が来場者で満員になり、満員時の予備室として講演の様子をプロジェクターで実況していたスペアルームも一杯になるほど、講演会は盛況でした。ところが間もなく、スペアルーム(予備室)で実況していた講演音声が聞こえなくなるという機器トラブルが発生ました。スタッフは、機器の調整、お客様への説明と、想定外の事態に皆大わらわで対処していました。そのとき私(M.M.)もスタッフの一人として、状況を係に連絡するために走り回っていました。が突然、来場者の一人から声をかけられたのです。
「Mさんのことは、よく知っているよ。大丈夫だから」と、突然、私は名前で呼ばれました。
中背、40~50歳位の男性は、短髪で根元が白髪、整った顔立ちをしており、親しげな笑顔で話しかけてくるのです(服装は白か水色のアウトドア系のジャケットを着ていたような記憶がありますが、こちらも慌てていたので記憶が定かではありません)。見知らぬ人から自分の名前を呼ばれた私は驚きましたが、「あれ?  どこかで上映会をした時に会った人かな? それとも知人か親戚かな?」と考えましたが、思い当たりません。見覚えがないはずなのに、どこかで会ったことがあるような気もします。明るくて快活、言葉は東北弁で訛っていますが、とてもさわやかな印象で、周りの人と異なる雰囲気がありました。その男性とは、その後2回遭遇しました。
スペアルームでは音声が聞こえないからと、来場者たちは廊下設置のTVモニターへと移動していました。彼らは廊下のTV前に人だかりをつくり、座り込んでモニターを見る人もいました。が、これに対して会場側から、「防災上、廊下での立ち見・座り見はやめさせてほしい」という注意が出されました。しかし、音声がなかなか回復せず、スタッフはかなり焦っていました。
慌てていた私の後ろから、また彼がニコニコして現れ、「会場にいくつか空席もあるし、立ち見もできっから(できるから)、俺建築士だからよく知ってっから(知っているから)」と威勢よく言ったかと思うと、「立ち見はできません」と呼び止めようとする私を置いて、ピューっと走り去ってゆきました。かなりのスピードで追いつけないくらいでした。
その後、音声も復旧し、第2部の質疑応答のときには、(休憩時に途中で帰った人もいたので)スペアルームにいた人も全員会場内に座ることができ、スタッフもやっと胸をなでおろしました。
プログラム終了後、他のお客さんに混じった先ほどの白髪の男性とすれ違い、(今日はこのおじさんと何回も出会うな)と思いつつ、「先ほどは、ありがとうございました」とお礼を申し上げた所、彼は目でニコッと笑い返してくれましたが、周りのお客さんの様子を見守っているような感じでした。
人なつこくて活気があり、さわやかで確信にあふれた様子で、大工の棟梁さんかお祭りの仕切り役のような感じの人でした。席に座り講演を聴こうとする来場者の中で、なぜか彼だけが来場者の流れや会場全体を見守ってくれているように目立ち、「スタッフなみの活躍をしてくれて不思議なお客さんだな」と、とても心に残りました。(気仙沼市 M.M.)
講演会直前までたくさんの問合せ電話があり、また、やるべき広報は全てやりつくしたという想いから、私(M.M.)は晴れ晴れした気持ちで当日を迎えました。
第一部の講演後の小休憩の時、私は質問用紙を石川さんに届けようと7階フロアを足早に歩いていました。すると、突然男性から声をかけられました。その男性は白髪の短髪で中肉中背、年齢は40~50代くらい、ベージュでポケットのたくさんついているベストを着ていました。その方は、とてもピュアな明るい、生き生きとした目をされていて、とてもいいお顔をされていました。とにかく明るい雰囲気の方で、私を待っていたかのように、素敵な笑顔で片手を上げて「よっ!!  来たから」と言われたのです。突然だったので、私はどのような対応をしたか忘れましたが「ありがとうございます」と言ったのか、「どうも」と会釈したのか定かでありません。が、驚いたのは、その男性の挨拶の仕方が、私のことを昔からよく知っていて、親友のような旧知の知り合いのような、とてもフレンドリーな挨拶だったのです。私もどこかでお会いしたかもしれないと思うのですが、記憶をたどっても全く思い当たりません。今でもとても不思議な方でした。
あとで夫(M)と話していたら、夫に声をかけた人は私に挨拶された男性と同一人物だと思いました。
スペアルームでのモニターテレビのトラブルにもかかわらず、怒って帰られた方は2名だけで、その他の方たちは熱心に残って話を聞かれていきました。数日前に、電話の問い合わせをされてきた70代の講演者と同じ「道子」というお名前の女性が最後に「当日は、いい日になりますよ」とおっしゃった通り、とてもいい日になりました。(気仙沼市 M.M.)
当日はスペアルームでのトラブルがあり、スタッフは慌ててバタバタしているところで、スペアルームに出たり入ったりしている一人の来場者がいるのに私(U.C.)は気づきました。その方の動きはまるでスタッフのような動きをしていました。その方は、あとで聞いたらスペアルームの来場者を廊下にある大型テレビモニターの所に誘導した方ということでした。スタッフ以上に適切な動きをされて、誘導されたその男性が、普通の方とは思えなかったのです。ベージュ系のジャンパーを着た中肉中背の方でした。(仙台市 U.C.)
これらの男性は、来場者でしたか? それとも、トラブル対応のために助けを与えられたのでしょうか?
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、この助け舟をだしてくれた男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】