サンフランシスコ、アメリカ、1995年11月
Q.過去からの否定的な傾向や抑圧された感情をどうすれば取り除くことができますか。
A.自分が同一認するものを再整列させることによってです。すなわち、私たちが、真我の器である肉体、アストラル体、メンタル体ではなく、真我と自分を同一認すればするほど、否定的な傾向はよりいっそう取り除かれます。否定的な傾向は間違った同一認の結果です。私たちは自分の感じるものと自分を同一認し、その大半は否定的な感情です。痛みや、嫌悪、残酷さや怒りを感じて、それがすべて現実だと思っています。それを当然のものと見なし、現実と考えます。それは現実ではありません。それらはただの感情であり私たちを通り過ぎるものです。あなたは昨日それを感じませんでした。明日はそれを感じないかもしれません。ですから、それのどこが現実(リアル)なのでしょう? 持続しないものであるならば、それは現実(リアル)ではありません。一時的なものです。
あなたがその感情と自分を同一認するなら、それを持続させます。それをあなたの体制の中に取り込みます──例えば、自己憐憫という否定的傾向は世界中に広まっています。自己憐憫は非常に否定的な体験です。それは常に続き、すべてはその個人と関連付けられます。それが否定的な条件をつくり上げます。あなたがそれと同一認すれば、それを強めるだけです。その代わりに、あなたはそれを感じて「それは私ではない」と言うのです。それを体験しているのは誰か? 誰がそれを体験しているのかを見いだしなさい。それが重要なことです。あなたが体験しているのが何かではなく、その体験をしているのは誰かということです。その誰か、つまり真のあなたが重要なのです。
体験の背後にいる真我としてのあなたが重要であり、それと接触すべきです。「なぜ私はいつも落ち込むのだろう」、「なぜわたし自身をこんなに残念に思うのだろう」、「なぜこんなに否定的な感情を持つのだろう」、「なぜ誰も私を好まないのだろう」、「なぜ私は成功しないのだろう」、「なぜ私は英国の王子やアメリカ大統領ではないのだろう」などと思うのではありません。誰もが何らかの形で自分に憐憫の思いを持っています。それはすべて非現実的な感情です。あなたは神であり、すべての知恵と力と神の愛を潜在的に持つ神聖な存在なのです。それはあなたに内在する可能性です。しかし、それは表現されなければなりません。
その表現を阻む唯一のものは、これらの不十分さ、自己憐憫、貪欲、利己主義という否定的な感情です。大きな罪、第一の異端は、分離の感覚です。それが大きな異端です。分離の感覚を取り除けば、すべての否定的な傾向を取り除くことになるでしょう。それは分離されているという感覚と、他の誰もがあなたを貶めようとしているという感覚の結果です。もちろんそれは苦痛なので私たちはそれらの感情を抑圧します。だから私たちはそれらを抑圧するのです。それらが表面に浮かぶのを許しなさい。それらを見つめ、「それは私なのか? もちろん私ではない」と言いなさい。あなたはそれから自分自身を離して、それらは養分が欠如して死に絶えます。
否定的な感情に集中すればするほど、あなたはそれに栄養を与えています。それらにエネルギーを注いでいるのです。あなたがエネルギーを注ぐものは何でも栄養を与えられます。それらから自分を引き離せば、もう栄養を与えません。「それは私ではない。それは私ではない」と言うのです。そうすれば感情とあなたの間に距離が生まれ、次第にそれは弱まって死ぬでしょう。あなたがもうそれらに栄養を与えないからです。それが、抑えつけることなしに感情を扱うやり方です。抑圧は何の益もなく、それに没頭することも同じです。
大半の人々は感情を抑圧するか、それに耽ります。心理学者は、「それを表に出しなさい! 怒りなさい! ドアを蹴りなさい!」と言いますが、それは愚かなことです。大事なのは感情を否定するのではなく、ただそれを見つめ、取り除こうとせず、抑えつけないことです。「私はこれを感じるべきではない。これは間違っている。これは醜い」などと考えないことです。単にそれを見つめなさい。あなたがそれを批難せずにただ見つめるならば、そしてそれに耽ることもなければ、それにエネルギーを与えません。ただそれを見つめ、否定せず、抑圧せず、正しくそれを見れば、それは死にます。あなたを支配することはなくなります。これをすればするほど、ますます否定性との関連は弱まります。そうすればあなたは自由になります。それがもっている唯一の自由です。
東京、 2008年
Q.マイトレーヤは世界を変えてより良い場所にするために来られるのですか。
A.いいえ。それは私たちの仕事です。マイトレーヤは世界をより良い場所にするために来るのではありません。私たちがそれをしなければなりません。マイトレーヤと覚者方は、私たちが正しいことをすればそれを助けてくれます。私たちが「法」を実行すればです。古いパイシス的な過去にしがみつくのをやめ、投資や商業主義や先進開発国としての私たちの相対的な権力やわずかな優越性にしがみつくのをやめればです。私たちは世界中で起こっている人間の苦しみを犠牲にして、それらすべてにしがみついているのです。過去34年の間いつでも、私たちはマイトレーヤを日常世界に呼び寄せて、御自身の正体を公表してもらうことができたはずなのです。
私たちがしなければならないことは、私たちの真の神性への第一歩を踏み出すことだけなのです。神性への第一歩というと、途方もないことに思われます。どうやってそれをするのか。途方もないことに思えますが、全くそうではありません。単純なことです。真実への第一歩、正しい関係の第一歩を踏み出せばよいだけです。なすべきことは、人類を一つと見なし、一つのグループと見なすことです。人類と呼ばれる一つの大きなグループの兄弟姉妹です。肌の色や宗教や伝統などが異なっても、それは単なる表面的なことにすぎません。根本的な真実は、人類の一体性です。マイトレーヤは、分かち合いへの第一歩は神性への第一歩であると言われました。彼は、「分かち合うとき、あなたは兄弟の裡に宿る神を認知する」と言われます。分かち合いは聖なることです。正義は聖なることです。世界に分かち合いと正義を創造すれば、あなたは神性の中にいます。
東京、 2004年
Q.マイトレーヤはそれぞれの人間の霊(スピリット)ですか。
A.それが真の彼の姿です。マイトレーヤは、キリストであり、世界教師であり、愛のエネルギーを体現しておられるので、すべての人間のハートの愛の核心となることができます。彼が「わたしはあなた方と共におり、あなた方の裡にある」と言われるとき、これは文字通り真実です。「わたしはわたしであるところのものをあなた方を通して現したい」。これが、私たちがマイトレーヤを必要とする理由です。私たちはマイトレーヤの存在を必要とします;私たちには彼であるところのキリスト原理の存在が必要であり、ロゴスのマインドの中の進化の大計画が正しく働くための生き方を示すことが必要です。