再生誕の法則──選集

The Law of Rebirth ── a compilation

「再生誕の法則」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間は彼らの人生を支配する精妙な法を学 び、理解するだろう──すべての者の運命 をコントロールする「カルマまたは原因結果の法 則」、それに関連して、魂が物質の中に転生する旅 を可能にする「再生誕の法則」、正しい関係を支配 する「無害であることの法則」、そしてすべての進 化がそれによって進行するところの「偉大なる犠牲 の法則」である。 これらの法の理解を通して、人間は彼らのメン トール(良き指導者)に、兄たちに、似るようにな り、すべての者が分かち持つ神性を顕示するよう になるだろう。賢者たちの教えに耳を傾け、一歩 一歩、彼らの生得の権利を受け継ぐだろう。人間 は神になるために生まれており、何ものもその 運命 さだめ を変えることはできない。その時期(タイミン グ)のみが、人間の手中にある。 (『覚者は語る』─いのちの法と規定─p.510)
[覚者方が世界におられるので]再生誕が人生の 事実であることが明らかになるでしょう。これは人 間が地球上に存在している理由についての人類の 考え方を変えるでしょう。私たちは、なぜここにいるのかについて知るようになるでしょう。それは、「なぜ、われわれはここにいるのか?」「われわれは誰か?」「われわれはここで何をしているのか?」「その目的は何か?」「われわれはどこに行くのか?」という昔からの問いです。私たちは特定の目的のためにここにいるのだということが明らかになるでしょう。つまり進化のプロセスを遂行している転生した魂の進化です。(『光の勢力は集合する』p.324)

転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして「再生誕の法則」を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が 意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、 その目的に適うようになり、また自分自身をそれ に合わせるようにしていく手段である。この過程 を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式 だろうが、すべて教育である。…… 新しい教育はこの目標に応えるべきである。神 の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばな らず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが 一般的に使われるようにならなければならない。 光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏 付けされるとき、より科学的なアプローチが子供 と大人の両方の教育に採り入れられるようになり、 その過程に新しい意味が与えられる。それによっ て、人は神になることを学ぶ。 (『覚者は語る』─新しい教育─p.201~202)

心と生気と肉体の中において真我を実現する術 を学ぶ者は、内と外のすべてが、神と呼ぶところ の唯一の源から来ることを経験するだろう。実際、 ありとあらゆるすべてのものが全能者に属するので ある。その感覚がメンタル体の中に芽生えると、 霊(スピリット)体はその同じパターンをたどるだろう。そして真我は平衡と無執着を表現することができるだろう。“私のもの”とか“あなたのもの”というような欲望の“主義”はそれなりの正しい釣り合いの中におさまるだろう。
真我は心でも生気でも肉体でもない。真我は永遠不滅である。心と生気と肉体は誕生の時に全能者によって与えられた衣であり、死の時に捨てるのである。経験であり、そしてエネルギーの源になるもの、それは生命である。真我が心と生気と肉体の中を動き回り、統御力を確立することができるようになるために、経験は非常に大切である。これがなされるとき、創造は征服される。
(『いのちの法則』p.97〜98)

魂は究極的に自らを本当に示現できる一連の肉体を魔法のようにつくります。その時点で私たちは進化の過程の終盤にさしかかっているのです。その時点まで、何十何万という転生が必要です。しかし、いったんそこに到達すると、魂はその反映(である男女)を見て、それがその(魂の)特質に反応し始め、より神聖に、つまりより非利己的で、愛他的で、他者を思いやり、自分の欲望の満足だけを望んでいないことを知ると、その乗り舟を刺激し、進化の旅を終わる過程を始めます。つまり、イニシエーションの過程です。……イニシエーションは進化の過程を早めるために取り入れられました。それは不可欠なものではありません。それがなくても私たちは進化しますが、現在の私たちのレベルに到達するのには何千万年とかかるでしょう。完成への惑星レベルのイニシエーションには5段階あります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.388)

人間が己の存在の事実、すなわち三重の特性、物質界への誕生の繰り返し、偉大で公正なカルマ(因果)の法則とその働きによって人間の生と死が進行するということ、これらの事実を把握するとき、人間は「存在(Being)」の状態の中に入るだろう、その中ではすべてが可能となる。その時、すべての人間の裡に潜む力(パワー)が発揮されるだろう。それが明らかにされるとき、人間の聖なる起源が実際に顕されるだろう。人間は神である。ただそれを知りさえすればよいのである。無知のみが人間を盲目の中に迷わせており、それゆえに自分たちの栄光を知り得ない。
未来の時は人間にとってすばらしい約束を宿す。前方を見さえすれば、人間が驚嘆し、戸惑う凝視の前に、その新しさゆえに、まったく当惑するような光景が展開するだろう。今日の言語の中には、そのような創造を描写し得るものはない。その時、人間が知ることのできる歓喜を描写し得るものはない。内なる平安と躍動する活動の感覚を明らかにし得るものはない。意味によって聖別され、目的の中に捧げられる人生は、人間にとって終わることのない創造的可能性をはらむだろう。
(『覚者は語る』─来るべき時─p184〜185)

……転生は個人の特定の運命によって異なる……個人が十分に進化していなければ、まだ運命というものはない。その個人は転生の中にただ引っ張り込まれてくる。人がある程度さらに前進すると、その個人の運命はグループの運命となる。しかしながら、弟子やイニシエートの場合には、転生の周期は個人の運命によって、それから何にもまして、奉仕への願望によって支配される。(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.262〜263)

……より高度の魂は……特定の光線エネルギーの影響の下で、そして大計画のある側面との関連で、特定の目的のためにグループの法則の下に転生する。各世代は、その時代の問題に多かれ少なかれ対処することのできる能力と知識を備えたグループを転生に引き入れる。このようにして、何度も何度も次々と転生してくる魂群の働きを通して、大計画は徐々に発展し、展開していく。そしてこれらのグループはその時代の終わりには永劫の時を転生の外で過ごすかもしれない。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.261)

わたしがあなたがたと共に居る間に、あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。新しい方法で、神の特性を示そう。あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。そのような無知を過去のものとなし、新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
これらの仕事のために、わたしはあなたがたの助力を求める、我が兄弟よ、なぜなら人間自身の努力を通してのみ、人間は価値あるものを得ることができるのであるから。これはいつもそうであった。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、神としてのあなたがたの真の特性が栄えることのできる、あの新しい国へお連れしよう。そこで、すべての人間が共に兄弟として、いのちの夢を成就するであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第123信、p361〜362)

マイトレーヤの教授はすでに始められており、それはあらゆるいのちを支配する法の働き方に照明をあて、人間が地上にいる目的を明らかにする。 行動(Action)がいかに反応(Reaction)を生み出 すかを示されるだろう。かくして人間は、自分自 身で自分たちの人生の環境をつくる。そして、人 間はあらゆる状況において、あらゆる関係におい て、無害であることの必要性を理解するようにな るだろう。
マイトレーヤの教えは、人間から死の恐怖を取 り除くだろう。彼の臨在そのものが永遠なるいの ちの証であろう。彼の言葉はまた、ほとんどの人 間の生活の中につきまとい自然さと歓びを損なわ せている恐怖心をも征服するだろう。
マイトレーヤの積んでこられた経験が進化の旅 路の迷路を案内するだろう。そして彼の足跡をた どることのできる者たちに、安全で確実な行路が 保証される。友として、案内人として、教師とし て、賢明な顧問として、この人類の長兄はご自身 の任務を成就されるだろう。 (『覚者は語る』─マイトレーヤの教え─p.293)

それ[男か女かどちらに生まれるか]を決めるのは魂です。特定の人生の目的に従って魂が物質界における表現の乗り舟をすべての意味で創造します。私たちは本当に私たちの魂の表現なのです。魂の界においては男も女もなく、そのレベルでの性の分割は父─母なる神の極性の反映にしかすぎず、それの合体が魂として私たちを存在せしめるのです。男女両方の体験を繰り返して、私たちはやがてこれらの両方の側面を平衡に発達させます。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.264〜265)

長い間同じ人種のままであるかもしれないし、5〜6種の異なった人種に連続して生まれ変わるかもしれません。または一つの人種のみに限定されるかもしれません。西洋人は東洋人に生まれることはないかもしれないし、東洋人は西洋人に生まれ変わることはないかもしれません。それは個人の運命によります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.393)

あなた方がわたしを見るとき、長い過去からの友を、以前にも度々あなたがたに教えたことのある者を認知するであろう。多くの者がこれに気づき、わたしを認知し、彼らの生活の中にわたしを受け入れるであろう。この宣誓を持ちかえりなさい──わたしは神の法を復活させる。わたしは神の愛を携えてくる。わたしは世界にいのちの水を放つ。この貴重な流れの中で、あなた方の生得の権利に向かって成長していきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第138信、p.407〜408)

すべての魂は「再生誕の法則」の下で転生し、そして再び転生する。魂は過去につくったカルマを片付けるために、グループ(集団)として一緒にやって来る。故にこの法則が、大昔の負債を支払い、昔の友人たちを認知し共に働き、昔の責任と義務を受け入れ、そしてずっと昔に身に付けた才能や特質を再び利用するために表面に持ち出すための機会を提供するのである。であるから、物質界におけるわれわれの顕現を支配するこの法則の中には、素晴らしい美と秩序がある。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.262)

時の初めから、人は自問してきた──自分はなぜここにいるのか、人生の意味は何か、と。様々な宗教や過去の聖者たちの教えにもかかわらず、ほとんどの人々は、われわれが“人生”と呼ぶところのものに目的や意味があるのかどうかについて悩み、確信なく、また同様に“死後”にわれわれを待つ体験が、もしあるとすれば、何なのかを知りたがっている。
来るべき時代には、これらの積年の心配や不安に対する答えがすべての者の一般的な知識になるだろう。これは、大体において、マイトレーヤと覚者たちの一団の公の臨在の結果であろう。あなた方の兄たちが人間の意識を刺激し、彼らが与える教えの模範を示すので、比較的短期間に途方もない目覚めが起こるだろう。数多の人間にとって、過去の疑いや不安は消え去るだろう。人々は、自分たち一人ひとりが大いなる発見の冒険に従事しており、それがやがて、これまで夢見ることもなかった完成の域に自分たちを導いてくれることを確信するようになるだろう。そのような意味と目的の感覚が現在の貧弱で不安な疑いに取って代わるので、言い知れない創造性と変化の時代が開花し、栄えるだろう。そのようになるだろう。かくして人間は、神(神性)の模範としての彼らの運命に目覚めるだろう。すべての人間は神聖な存在なのだが、すべての者が、これが真であることを知るわけではない。人々はますますこの真理に気づくだろう、そして彼らの周りの世界を変えるだろう。
(『覚者は語る〔Ⅱ〕─人々は呼びかけに応えるだろう─p.175〜176)

正しい見方をすると、進化の道を歩む人生とは、我々の低位の側面を高位の側面のために徐々に放棄していく過程です。転生した魂として、高位の神性が低位レベルの神性である肉体人間に生まれてきたのです。進化の目標である完成への旅路は低位レベルのものを徐々に放棄して、その低位レベルにおいて(つまり肉体人間において)高位の特質を体現することによって、ますます魂としての本来の存在になっていきます。魂は数えきれない転生の旅を繰り返し、生まれ変わってくる必要の全くなくなるまでこれを続けます。魂にとって帰還の旅路とは物質界、情緒界、メンタル(識心)界の制限から己自身を解放していくことです。それは、魂がその器である肉体、情緒体、メンタル体を、魂のエネルギーと特質で満たしていくことによってなされます。この過程の中で、二つのことが同時に起こっています。。一つは魂がその器を徐々に霊 化すること。もう一つは大昔のカルマを片付ける ために、魂が意図的にその器である肉体人間に重 荷を課すことです。魂が転生の体験を重ねながら 進んでいくにつれて、その反映である肉体人間は よりいっそう重いカルマを背負わされます。その人 が第4段階のイニシエートになる転生を除いて、 最後の転生において重荷は最も重くなります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.273)

すべての個人が、すべての国家が、それぞれの第 二の特性によって支配されている。この特性に支 配される進化の法則が真我を取り囲んでいる。真 我は認識をもって、それらを支配することを学ん でいかなければならない。認識は人生の中に動き をつくり、それが進化的な意味で発展を生じさせ る。しかし認識は、自由と混同されてはならない。 なぜなら自由こそが人生を通してたどる旅路の究 極的な運命 さだめ であるから。 各人が自分の進化の旅路の中に固くはまり込ん で第二の特性に依存している間に、自己訓練の術 を教えられるべきである。それを通して、人は徐々 に進化の法則をいかに利用するかに気づくように なる。
われわれは生と死を経験しながら、時間の周期 の中で進化していく。救済は至高の存在(Being) の中にあり、そこにも何の動きもなく、ただ連続 した認識があるのみである。これが万民の霊的旅 路である。つまり真我認識の術を学ぶことである。 創造(被造物)は自動的な過程である。すべての 主義が自動化されている。あたかも石を水の中に 投げるようなものであり、自動的に波紋がつくら れる。だからすべての行動が自動的に結果をつく り、真我に己が自由ではないことを思い出させる。 いったん真我がその自由を求め始めると、そのと き、救済への旅が始まるのである。
(『いのちの法則』p.85~86)

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再生誕の法則
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再生誕を支配する法則に関して、人間の理解に大きな混乱がはびこる。この混乱は既存の様々な教えや解釈に反映されており、人間の無知と恐怖をさらに深める役を果たす。
東洋では、数え切れないほど長い間、因果(カルマ)の不変の法則によって支配される生まれ変わりの理念について疑問が持たれることはめったになかった。その結果は、現在の環境がどのように屈辱的で非人間的なものであろうとも、それを即刻受け入れることであった。他方、西洋では、繰り返し転生するという概念は休眠状態にあり、6世紀にユスティニアヌス皇帝の煽動で教会の教えから除外されて以来、少数の人々の注目を引くだけである。もしオリゲネスの教えがキリスト教徒の信仰の本体の中に残されていたならば、生と死の事実についてまったく異なった態度が西洋に広まっていたであろう。
あの偉大なるイニシエート、オリゲネスは周期的転生の真理を知っており、これを教えた。生まれ変わりの繰り返し、それは「世界の主」によって始められたものであり、「犠牲の法則」の刺激のもとに進行し、「原因と結果の法則」によって支配される。教会の教えからこの真理を削除したことが、今日の明らかな無知と恐れを招いた。転生についての関心が残っている場合でも、その大部分がいわゆる前世の個人的なことについての興味に限られている。
来るべき宝瓶宮(アクエリアス)の周期には、再生誕の法則に関してまったく新しいアプローチが取られるだろう。東洋では、起こることはすべて容赦なきカルマ(因果)の結果として甘受するという宿命観、何百万の人間を過酷な労働と苦しみの生活に運命づけてきた古い宿命観が支配するが、それはもはやなくなるだろう。西洋では、人間の存在の基本的原則と、これらの法則の働きが授ける個人的責任をもはや無視しなくなるだろう。人間自身が思考と行動を通して自分の生活環境をつくることを知るようになるだろう。そしてまたこの同じ法則の働きによって、人間の性質や状態をより良い方向に変えることができることを知るだろう。
これが人生の意味と目的を再評価することにつながり、死の事実についてより健全なアプローチが生まれるだろう。すべての生命──生まれていようがいまいが──の連続性に関する理解が、今日の恐怖に取って代わるだろう。死がすべての終わりという古い恐怖症は、人間の心(マインド)を照らす新しい光の中に消え去るだろう。迷信や無知の暗黒の隅々にこの新しい光が輝き、永遠なる魂としての人間の神性を目覚めさせるだろう。自分で蒔いた種は自分で刈り取るというあのキリストの格言の真の理解が、人間の存在をすべての面において変容させるだろう。人間がこの法則の公正さと論理を認めるにつれて、これまで知られなかった寛容と無害の姿勢が現在の分離に取って代わるだろう。
新しい時代は新しい見識をもたらし、人間は人生を冒険として、発見の旅路として対処するだろう──神と人間は一体であるという事実の発見、探求者の限られた視界以外に分離するものは何もないという発見、そしてすべての人間が同じゴールに向かって異なったコースを歩むということ、われわれが努力しているすべてのゴールは、認識されるのを待つわれわれの神性を実現することであるという事実発見の旅路である。大いなる再生誕の法則のもとに、われわれはその旅路を何度も何度も繰り返したどり、そしてついには自己を完成した「神の子」として、われわれ自身の理解の光の中に入るのである。
(シェア・インターナショナル誌1985年1月号および『覚者は語る』p.113〜115)