経済に関する霊的な見方――選集

経済に関する霊的な見方――選集
A spiritual perspective on economics ──a compilation

この引用文の選集は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 近年の金融、経済の崩壊が生活に与えた損傷の度合いを人々がより完全に認識するとき、古い制度に戻ることは、多くの者がそう望んでいるのだが、それは不可能であることを発見するだろう。経済は貪欲と利己主義と分離主義によって粉砕されたのだが、本質的には新しい時代のエネルギーの作用によって破壊されたのである。すでに、人々が認識している以上に、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーはその不思議な力を地球に働きかけている。人々は意識においてますますお互いに引き寄せられており、統合のエネルギーがその恩恵ある仕事を行っているのである。すでに多くの者たちが、あたかもひどい重荷から解放されたかのように、新しい方法に反応しており、単純化された、しかしより和合した世界を望み見ている。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─人間の生活は繁栄するだろう─より)

 わたしの教えは単純である。分かち合うことの必要と、すべての人間が平等に汲み取ることのできる資源の溜まり場を創ることの必要を、示すであろう。貪欲を協力と信頼に置き換え、人間の裡なる霊性を顕すことの必要を説こう。霊性の顕現こそ、もっとも大切なことである。我が友よ、それなくしては、人間の未来はまさに闇である。決定の時が人類を待つ。わたしの愛が両極端の見解を創り出す、それがわたしの振り回す剣である。
(『いのちの水を運ぶ者』第64信より)

 金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。
(『マイトレーヤの使命  第Ⅱ巻』)

 人々は供給の法則に異なった要求をする。ある者は人生により多くを求め、より大きな資源を支配する。しかしそれが満たされるためには、少ししか要求しない者、あるいは要求できない者たちの犠牲の上にのみ、可能である。これが市場のフォースの盲目さなのである。それは要求する者たちの位置(経済的、社会的、その他)の違いを全く考慮に入れない。であるから、これらのフォース(エネルギー)の操作はその中に不平等性を備えているのである。本質的に分割的なものである。だからマイトレーヤはこれらを「悪魔的」と呼ばれるのである。すべての者が同じところから始めるならば、それに何らかの論理があるかもしれない。しかし誰も同じところからは始めない。
(ベンジャミン・クレームの師、『マイトレーヤの使命  第Ⅱ巻』)

 世界的に信奉されている現在の信条は、市場の力(フォース)のそれである。「市場フォースとは人が降伏することを意味する。真我は、利潤を最大にするという観点から、生命の未知のフォースに降伏させられる。……市場フォースの本質は貪欲と分離主義である。これらのフォースに執着すればするほど、ますます束縛の独房をつくり出す。これは霊的な破産につながり、精神の不均衡につながる」……マイトレーヤは、手綱を外された市場フォースが国々の間に広まっていくことをもはや許さないだろう。市場は存在するだろう。しかし社会民主主義によって均衡が保たれるだろう。
(マイトレーヤの側近、『いのちの法則』)

Q マイトレーヤとあなたの師、そしてあなた自身も、商業主義は破壊的だと考えていると読みました。なぜですか。世界では常に取引が行われています。商業主義の何がそんなに間違っているのですか。
A 取引のような「商業」と商業主義(コマーシャリゼーション)の影響の間には違いがあります。取引は物資を交換する合法的な方法であり、あなたの言われるように、遠い昔から行われてきました。商業主義とは、金儲け(利益追求)が人間活動のあらゆる分野に入り込んでいる状況のことです。保健医療や教育の分野までこのひどい物質主義に支配されています。今日、商業主義には境界がなく、封じ込めることができません。あらゆるサービスが商品と見なされ、自由に売り買いできるものとされています。この恥ずべき慣行が今日の私たちの問題の中心にあります。
(『多様性の中の和合』)

 指導原理は浪費ではなく、充足でなければならない。現在、世界の経済制度は浪費によって支配されている。その浪費の乱行が様々な汚染問題をつくり出し、惑星の健康に対する危害を形成する。これはまだ半分しか認識されていない。持続可能な経済とは、惑星の健康の可能性の範囲内においてすべての者の必要を供給するものである。現在では、それは達成不可能のように見える。しかし光のテクノロジーが人類のためにその状況を変換し、われわれすべての必要を満たすために無限で生態系的に健全なエネルギーを提供する。
(ベンジャミン・クレームの師、『マイトレーヤの使命  第Ⅱ巻』)

 市場フォース(力/エネルギー)は悪や混乱や破局のフォースであり、そしてその子供は競争と比較である。市場フォースは、悪魔的なエネルギーである。市場フォースは“私のもの”とか“もっともっと”(つまり独占欲や貪欲)につながり、それに終わりはない。市場フォースは、われわれが知るこの文明を破滅の淵にまで導くだろう。
(マイトレーヤの側近、『いのちの法則』)

 今日、われわれは、物質主義に完全に拘束されています。今日、世界は、すべての物を、もっともっとと欲する――すべてのシステムの中で成長することが目標です。われわれはもっと簡素に生きることを学ばねばならない、ということは、産業的見地から見れば、安定した国家経済と呼ばれるものに入ることであり、われわれに必要なものだけを生産するのです。生産を、必要なものだけにとどめ、産業の成長というものは過去のものになる。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 そこに西欧世界の過失がある。これらの“成功した”国々はその富と支配力を主に歴史に負うており、また世界経済を強引な“市場のフォース”を通して彼ら自身に有利なように操る彼らの能力に負うのである。世界の哀れな極貧の者たちは、今や自分たちの分け前を要求する。もしわれわれがこの単純な正義への当然の権利に対処し改善しなければ、世界に平和はないだろう。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─アメリカの選択─より)

 今日世界にのしかかっている経済的、そして実際、霊的な危機の中心にある問題は資源の再分配です。この霊的な危機が政治と経済の舞台に集中されているのです。それだから、マイトレーヤは、まず最初は、政治、経済の教師としてやって来られるのです。マイトレーヤの教えは非宗教的ですが、霊的(精神的)生活についてであり、正しい人間関係についてであります。私たちが世界の資源を分かち合うとき、世界の病を解決する最初の一歩を踏み出すことになり、それは神性へ向かう最初の一歩であります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 世界中に、差し迫った変化についての感覚が増大している。主要貨幣や金融機関の崩壊が世界経済の骨組みを揺るがせ、それが世界経済構造の崩れ落ちる殿堂に支柱を立てたり、もし可能ならば矯正しようとする試みを始めさせた。これらの土壇場の試みは成功しないだろう。短期的には、それらの試みは、もはや存続可能ではない制度の、あるいは大多数の人間にとって役に立たない制度の究極的な崩壊を、ただ遅らせるだけである。
……
 古く、役に立たなくなった機構はその安定性と首尾一貫性を失いつつあり、かくして新しい時代の形態の建設のためにその土俵をきれいにしている。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─変化への前奏─より)