世界中の何百万もの人々が悲しみに打ちひしがれ、目に涙をためながらニュースを見ている。今月号のねらいは、読者を安心させ慰めるような観点を提供することである。ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者、そしてマイトレーヤによる記事や応答、表明が提示されている。これらはきっと、人類は──特に危機の瞬間において──決して孤独ではなかったという読者の確信を強めるだろう。マイトレーヤとベンジャミン・クレームの師の言葉は、彼らがかつてなく近づいているという感覚を高めるかもしれない。
現在はラコーツィ覚者であるサンジェルマン伯爵についての記事の第一部は、彼の前世と業績について探究しており、私たちの中に住んでいる覚者方の現実性をいっそう浮き彫りにしている。この現実性を確認する記事と並んで、様々な分野での進展も明らかにされており、差し迫った変化の必要性が強調されている。このような幅広い話題に含まれるのは、気候変動、現状改革、人種差別、社会的不正義、先住民の勝利である。
世界を舞台として、実に皮肉な展開となっている。ロシアのリーダーたちは莫大な富を蓄積しつつ権力と支配にしがみつき、大昔からの競争のパターンを強固にしたいあまり、世界が待ち望んできた変化の真新しい触媒になったということに、読者も気づかざるを得ないだろう。ロシアによるウクライナ侵攻は世界の大部分を団結させ、地球のあらゆる地域の人々を活気づけるのに成功した。私たちが重大な分岐点に達し、どのような未来を望むのかを選択する必要に迫られていることを、人々はついに認識するに至ったかのようである。この新たに生起した認識を持続させなければならない。多くの指導者が次々と自国の軍事予算を増やしている状況に鑑みて、引き続き、民主主義と自由への新たな攻撃に用心していくためである。ベンジャミン・クレームの師はこう述べておられる。「現在の混乱と脅威は、過去の悪を正し、諸国家の間に正義を創り、古い論争を解決し、国際法規を支持するための新しい平和的な協力の時代の前奏曲にすぎない」
「人々は将来、この時を振り返って見るとき、それが最も輝かしい夜明けの前の暗い夜であったことを知るだろう。そしてこの波乱の多い時期に生きてきたことを喜ぶだろう。世界は偉大なる教師を待つ。その教師は、出現して、すべての者の完全な視野の中で教え、奉仕する機会を待っておられる」(「夜明け前の暗闇」、ベンジャミン・クレームの師、シェア・インターナショナル誌1991年1月号)
私たちはやがて、この暗い時期を振り返り、それを経験したことを喜ぶだろう、とベンジャミン・クレームの師が書いておられるのは途方もないことのように思える。それほど遠くない将来、この恐ろしい闘争の中で喜びを見いだせるのは、私たち人類が自らの本性を表現し、最高の特質を文化や文明に染み込ませ始めているからこそである。
選集「諸国民の同胞愛」は、共通の人間性を思い起こすよう呼びかけている。ベンジャミン・クレームの師はたびたび、戦争に関する洞察を提供し、いかにして平和を恒久的な現実とすることができるかを教えてこられた。覚者は「戦争の無意味さ」の中でこう書いている。「この時点から、後戻りはない。民衆は彼らの力を感知しつつあり、彼らが欲する平和を彼ら自身がつくりあげていかなければならないことを、そして自由と共に正義が支配するときのみ、うれしい平和が保障されるだろうということを理解し始めている」
過去の操り人形たち、パイシス(双魚宮)の舞台を気取って歩く人物たちは、変化を促す触媒としての役割を果たし、世界を後戻りできない地点へともたらす。こうしたものは、権力にしがみつこうとする、古い秩序による最後の必死の試みである。一方、新しい世界が形を取りつつある。このような進化の勢いは、愛、勇敢さ、共感、実際的な慈悲心のほとばしりに、そして、驚くような親切さと自己犠牲の行為に見られる。大昔からの否定的な勢力が支配権を握ろうとして戦う一方、民衆──驚くべき、並外れた、「平凡な」民衆──は、和合、自由、平等、民主主義、そして同胞愛の生きた体験こそが大事なのだということを証明しつつある。こうしたものは、私たち全員を結束させる凝集力である。私たちは今や、自らの人間性こそが「褒美」なのだということを知っている。