死後の人生を巡る旅

ジェイソン・フランシスによる

レスリー・キーン氏へのインタビュー

 

レスリー・キーン氏は、調査ジャーナリストで著者である。彼女はニューヨーク・タイムスのベストセラー、「UFOs: Generals, Pilots and Government Officials Go On the Record」(2010)(UFO:将軍、パイロット、政府高官たちが記録に載る)(SI誌、2013年2月号)の著者である。彼女の最新の著書は、

「Surviving Death: A Journalist Investigates Evidence for an Afterlife」(2017)である。ジェイソン・フランシスが本誌のために、レスリー・キーン氏に、死後の人生に関する彼女の調査についてインタビューを行った。

過去世の記憶

 

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたが調査の過程で出会った再生誕の印象的な事例について、幾つかお話しいただけますか。

レスリー・キーン:本の中で、2つの事例を詳しく取り上げました。ジーナリストとして私にとって最も決定的な事例は、幼児が関連したものです。その子供たちは具体的な記憶を持ち、過去世であったと言う人物に関して調査により見つけることができ、正確であると確証できるだけの詳細な情報を提供できたのです。もし誰かが確証できない記憶を持っていたとしても、あまり意味がありません。しかし、過去世でその人だったと主張する人物を特定でき、その子供の知識がその人物の人生について正確であれば、非常に説得力があります。

ある事例は、ジェームス・レニンガーという名前の2歳の男の子のものです。彼は2歳になる前に(過去世の)記憶を持ち始めました。彼が取り憑かれたように飛行機で遊び、第二次世界大戦の飛行機の知識を披露するようになると、約2年間にわたり一連の多くの出来事が起こりました。ジェームスは、飛行機の墜落を追体験する悪夢を見始めました。彼は怯え、ベビーベッドの中で泣き叫びました。最終的には、彼は何が起こっていたかをちゃんと話し始めました。彼は悪夢を見ている間、こう叫びました。「飛行機が火を吹いて墜落する!小さな男の人が出られない!」あるとき彼の両親が、何が起こっているのかを彼に尋ねました。彼は自分が日本人によって撃墜されたパイロットであったことを、徐々に話せるようになりました。彼の両親は、2歳の息子がどのようにして「日本人」という言葉を知ったのか分かりませんでした。

ジェームスは、飛行機に乗っていた小さな男の人がどうして自分であったのかを話しました。彼はコルセアという機種の飛行機を操縦していたことと、それがナトマという名前の船(後に空母ナトマ・ベイであると確認された)から飛び立ったことを語りました。さらに具体的には、彼にはジャック・ラーソンという名前の親友がいて、ジャックの飛行機は硫黄島の近くで墜落したと、彼は語りました。ある日、ジェームスの父が第二次世界大戦に関する本を彼と一緒に見ていると、その中に地図がありました。ジェームスは地図を指し示し、そこが彼の飛行機が墜落した場所だと言いました。

ジェームスの父はキリスト教を信仰しており、これは絶対にあり得ないと確信していたので、この件すべてに関して大きなトラウマの中にいました。それは、彼の宗教にはありませんでした。彼は息子が間違っていることを証明しようと決心しましましたが、息子の記憶を調べたときは、いつでもそれらが正確であると分かりました。ジェームスの父は、実際には私の本で抜粋を幾つか執筆しました。内容は、この件による彼の精神的な進歩について、それがどのようにして信仰と矛盾するものではないと最終的に認識するに至ったか、そしてそれを受け入れることができたかについてです。それが、多くの親たちが関わりを持つ、この事例の興味深い部分です。ジェームスの父は、最終的には空母ナトマ・ベイ関係者の同窓会に何度も参加しました。彼は息子の過去世での友人、ジャック・ラーソン氏を見つけました。多くの調査を行い、多くの第二次世界大戦の退役軍人と話した結果、彼は、ジェームスが過去に生きていた記憶を持っていた人物が誰であったかを見つけることができました。彼の名前はジェームス・ヒューストン・Jr でした。彼は、ジェームス・レニンガーが説明した通りに亡くなっていました。

ジェームスは3歳位になると、飛行機が燃えたり、爆弾の雨の中の恐ろしい状況で墜落する絵を描くようになりました。彼は絵に必ず「ジェームス3」とサインしました。彼の両親がその理由を聞くと、彼は「僕は3番目のジェームスだからだよ」と答えました。彼の父は、パイロットの名前がジェームス・ヒューストン・Jr だと知り、衝撃を受けました。なぜなら『Jr』は、今のジェームスが3番目のジェームスであることを意味していたからです。彼らは、当時84歳だったジェームス・ヒューストン・Jr の姉にも会いました。彼女は、小さなジェームスと非常に仲良くなりました。そしてジェームスは、2人の子供時代のことについて彼女に詳しく話し、その内容は彼が知るはずのないことだと彼女は言いました。彼女は、ジェームスが本当に彼がそうであったと主張する人物だったと確信するようになりました。

これは、私たちが記録を持っている、特定の(過去世の)記憶を持つ小さな子供の強力な事例の一つです。このような記憶のすべてが、ジェームスが過去世で誰であったか判定できる前に彼の父親により記録されており、それは重要な要素です。

体外での意識

SI:体外で意識を持つ体験をした場合、何が起こるのですか。

キーン:このような体験には、2つの側面があります。真実の体外体験と臨死体験です。ジャーナリストの立場では、体外体験の方が証拠として重要です。重要な事例は、心不全などの場合に、脳の活動や心臓の鼓動もなく、本質的に臨床的な死亡状態のときに体を離れる人々の体験です。彼らは体に戻ったとき、体外にいたと主張する間に物理的環境で見聞きした特定の事柄を報告することが可能です。

彼らはしばしば、自分が天井近くにいたと説明します。彼らは、医師が話していた内容や使っていた道具、機械の音といったことを正確に説明することができます。そしてこれは、体がテーブルの上に横たわっていて、目が閉じられていて、何も知覚できないとされているときに起こったのです。このような事例は、その人が言ったことの正確性を医師や看護師が検証できるので重要です。したがって、どうして彼らがこのようなことを知覚できたのかを説明する必要があります。考えられるのは、彼らが臨床的に死亡状態の間に、彼らの意識が実際に体とは独立して機能していたということです。

臨死体験は、類似の状況で一度体を離れ、崇高な次元の別の現実を旅してから体に戻り、それを説明する人々の体験です。それは、トンネルの中を通り、ある種の神秘的存在と会い、亡くなった親戚や友人と話す場合が多いです。それは、高められた現実であると説明されます。彼らは良く、それは現実の生活がそうであるよりも現実感があったと言います。生き生きとして、美しく、恍惚とした体験です。普通、彼らは戻りたくないと思いますが、戻らなければならないと、しばしば告げられます。

このような体験は、世界中の様々な文化や背景を持つ人々に起こっています。多くの研究が行われていますが、それがどのようにして起こるのかを誰も説明することができません。多くの懐疑論者は、脳内で何かが起こっていると信じています。しかしながら、これを研究している人々は、このような体験のすべての側面を説明できるモデルを何も持っていません。

それらはまた、経験した人にとって人生を変えるようなものです。彼らは死後の世界だと信じるこの別の領域にいた後で戻ると、死をもはや恐れなくなります。彼らはしばしば、生活を劇的に変え、他者への奉仕にもっと集中するように、より霊的志向になります。多くの場合、それは人に深い影響を与えます。

SI:子供が過去世の記憶を持つ場合、過去世と今の人生の間の時期を覚えていることはありますか。そしてそれは、臨死体験をした人の体験と似ていますか。

キーン:私の本には「幕間の記憶」という章があります。この人生で生まれる前にどこにいたかを話す子供たちに関して、研究が行われてきました。前世の記憶を非常に多く、鮮明に持つ子供は、人生の間の時期をより記憶している傾向にあります。しかし『幕間の記憶』は、検証がさらに困難です。なぜなら彼らは、別の次元にいたことを話しているからです。彼らがその現実で体験したことを説明している内容は、臨死体験をしている人が説明している内容と類似した特徴があります。

ですから彼らは共に、おそらく同じ次元間の領域、あちら側、何と呼んでも良いのですが、そこに入っていたと言うことができます。ジェームス・レニンガーとライアン・ハモンズ(Ryan Hammons)(本の中で詳しく取り上げている過去生の記憶の別の事例)は共に、彼らが生まれる前の記憶を持っていました。彼らはのちに、生まれる前のその領域から目撃した両親が関わった特定の出来事を、両親に正確に説明します。両方の出来事は、まさに受胎近くの時期に起こったのです。このような事例は他の事例ほど多くはありませんが、非常に魅力的です。バージニア大学の児童精神科医、ジム・タッカー博士は、おそらく子供の再生誕の記憶に関する世界的な権威ですが、彼は幕間の記憶について興味深い研究を幾つか行いました。

科学の役割

SI:再生誕と死後の意識の問題に、心理学はどのように取り組んでいるのでしょうか。

キーン: 残念ながら、それは非常にまれなことです。タッカー博士は、過去世の記憶を持つ子供の事例調査の先駆者であったイアン・スティーブンソン博士(バージニア大学の精神分析医)の仕事を受け継ぎました。スティーブンソン氏は何十年もかけて世界中を旅し、何千ページもの調査結果を著書や論文の形で発表しました。ジム・タッカー氏は、スティーブンソン氏の人生の最後に向けて一緒に活動しました。そして10年ほど前にスティーブンソン氏が亡くなったとき、タッカー博士は彼の仕事を引き継ぎました。これはまれなことです。この話題を扱う精神分析医は、確かにアメリカでは多くないと私は思います。そのことに関心を持ち、執筆した精神分析医はいますが、彼らは少数派です。奇妙な記憶を持ちながら精神分析医のところに行き、過去世の記憶を持っていると認識されなかった子供たちは、どれほどいたことでしょうか。私たちの文化は、それを受け入れないのです。

私たちには、訓練された精神分析医のジム・タッカー氏がいて幸運です。彼は子供と上手く接し、実際に子供に何が起こっているかを理解し、子供がこのような体験を話したときに、実際に何が起こっているかを識別することができます。私は、もっと多くの精神分析医がこの話題に興味を持つことを期待しています。それは私たちすべてにとって役立つでしょう。

SI:再生誕を含め、死後の人生を科学的に受け入れることにより、人生の理解の方法や他者との関係性にどのような影響があると、あなたはお考えですか。

キーン: それが普遍的に受け入れられている文化があります。例えばインドや、仏教国であるミャンマーです。しかし、このような国では、信念体系は基本的に宗教的であり、科学的ではありません。問題は、このようなことが真実であると、少なくても現在の手段で説明できるとは思えないことです。もっと多くの科学者がこれを真剣にとらえ、情報を調べ、実証し、それが不可能だと決め付けるのを単に止めるだけでも、私たちは皆恩恵を受けるでしょう。仮にそれが、私たちが物質世界に関してどれだけ知らないかを再認識させたとしても、まだどれだけの神秘が存在し、どれだけさらに発見する必要があるのでしょうか。それは、奇跡を促進する疑問へ私たちの目を開き、私たち自身の本質をもっと深く探るように私たちを励ましてくれるでしょう。

私たちは、単に物質的、ロボット的で、脳に支配されていて、死によってすべての人生が終わるような生き物である場合と比べ、人生に対する責任がより大きいことを認識するでしょう。それは人生により多くの意味を確かに与え、物質的な日常の経験を超えた体験の領域にもっとつながっている感覚を与えるでしょう。それは、肯定的な影響しかないでしょう。私の場合は、確かにそうでした。このような探求を始めたとき、私は懐疑的でした。それはより大きな目的の感覚や、世界や周囲の人々、物事の神秘へのつながりに私を開いたという意味で、私には素晴らしい影響がありました。

仮に私たちが死後も生きることが証明されれば、人はより広い目的の感覚を持ち、他者を害することはなくなるでしょう。なぜなら、死後に別の現実に移行するのであれば、それまでの人生を受け入れる必要があるからです。それは、おそらくより平和な世界をつくり、表面上は異なっている信念体系を巡って文化や宗教が争い合うことを防いでくれるでしょう。

詳しくは、次を参照: survivingdeathkean.com