2017年度 石川道子日本講演レポート

石川道子の講演ツアーは今年も5月と6月に行われた。5月6日の福岡での講演を皮切りに、東京──朝日ホール(5/14)、名古屋(5/17-18)、東京──読売ホール(5/20-21)、大阪(5/27-28)と続き、そして6月2〜4日のシェア・ジャパン研修会で終わった。今年の講演会のタイトルは「桁外れの時代に突入した──世界教師の出現と70億の目覚め」であり、各会場とも、このタイトルに興味を持って来場された方々が多く見られた。日本のグループは広報活動を統合、調整して、朝日新聞の全国版への全面広告をはじめ、各地域の新聞への広告、列車内や駅貼りのポスターなど、大々的に広告をした。加えて、チラシや長型ハガキが合わせて 200万枚以上も印刷され、各地のグループのポストインやポスター貼りの活動は非常に活発であり、ワーカーたちの志向と活動のレベルはこれまでになく集中したものであった。このような大々的な広告をするグループの資金源に興味をもった質問が2〜3の会場で聴衆から寄せられ、このグループの特殊性について、雑誌の発行から本の翻訳、制作、出版に関わるすべてが無報酬で行われている現状、各人の自由意志による自発的な寄付によって運営されていることなどの説明がなされた。

すべての会場で、真剣に、熱心に講演を聞く聴衆の姿がことさら印象的であり、初めてこの講演会に来られた人々が非常に多かった。今年は、東京で、例年の会場が予約できなかったため、朝日ホール(660席)と読売ホール(1100席)の二か所での講演会となった。朝日ホールは満席になり、一週間後の読売ホールも800名近くの来場者を迎えた。特に印象的だったのは、朝日ホールでの講演はちょうど、ウエサク祭にあたる日曜日(5月14日)であり、午後3時には、マイトレーヤからの祝福が世界中のシェア・インターナショナル・ネットワークのワーカーたちに送られる日であった。石川氏は、マイトレーヤのメッセージの抜粋を読み上げているとき特に強いエネルギーを感じ、感動で涙をながしている聴衆の姿が何人も見られたので、ちらっと時計を見たら、3時20分であったと、言われた。おそらく、マイトレーヤの祝福が聴衆にも届いたのではないかと思われる。会場全体が非常に静かな緊張の雰囲気であり、途方もないエネルギーに包まれていたようであった。

シェア・ジャパン研修会には全国から166名のワーカーが集い、グループとしての和合、個人としての奉仕の重要さを強調されたクレーム氏のメッセージを受けて、真剣な話し合いが行われた。また、研修の初日にクレーム氏を偲ぶ時間が企画され、1985年から2010年まで、毎年日本に来日し、講演と伝導瞑想の指導をしてくださった記録から抜粋したビデオが紹介され、何人かのメンバーがクレーム氏の思い出を語った。とても有意義で、楽しい研修会であった。

以下は、石川道子の講演会場で見られた尋常ならざるお客さまについて寄せられた手紙である。

最後!?

5月14日、朝日ホールでの講演会の終わり頃、受付に70代くらいの男性が一人でやって来ました。荷物なのかゴミなのか分からないものが詰まったレジ袋を3つほど持ち、ややくたびれた感じの背広に、ビジネス用のシャツは、胸のあたりに汚れがついていました。二日酔いのような、お風呂に入っていないような臭いもありました。

その風貌にして、笑顔が美しい人、という印象を持ったのは、これまで出会ったことのないような瞳に釘付けになったからだと思います。透明な黒色をいくつも重ねたような瞳で、瞳のふちは青味がかっているように見えました。

その人は開口一番、「これは宗教でしょ?」と言い、スタッフが「宗教ではなく、情報を伝えているだけです」と答えました。そのあと、こちらを試すような質問が投げかけられたのですが、その内容が思い出せません。どうしよう、答えられない、試されてるかも、と思っているうち、「この話はずーっと前から知ってたけど、今回初めて来たんだよ」と言われました。

その後、他の受付スタッフと会話をしていましたが、私はその場には交じらず、黙って立っていました。しばらくして、彼が私の目の前を横切りながら、こちらを見ることもなく、唐突につぶやきました。「これが最後だからね」何かの会話の続きでなく、突然発せられた言葉でした。

これが最後って何? ついにその時!? 思わず胸の中で小躍りしてしまいました。ワーカーにとっては、特別に思えてしまう一言。これが特別な意味を持つのか、そうでないのかは分かりませんが、迫っている「最後」に向かって何ができるのか、私たちの姿勢はこれでいいのか、一度立ち止まって考えたいと思うきっかけとなった一幕でした。

K.T.(東京)

完全なマッチ

5月20日の読売ホールでの講演会の時です。休憩の時間中にロビーにいた中年の男性に目が止まりました。というのは、その方は上から下まで、真っ黄色の服装をしていたからです。(私たちが講演会の広告のポスターの見出しに使った同じ色の黄色だったのです)。黄色のシャツ、黄色のズボン、そして床までの長い黄色のコートを着ていたのです。その服装の奇抜さに驚いて、私は数段上の階段から見とれていました。すると彼は角を曲がって歩きだしたと思ったら、突然見えなくなったので、私は驚いて後を追いかけたのですが、もうどこにも彼の姿は見えませんでした。

O.F.(東京)

明るい未来

東京の読売ホールで私が担当していた、クレーム氏の本の閲覧コーナーが混み合い、真剣にクレーム氏の本を読む方々が多く、椅子をたくさん補充しなければならないほど盛況でした。その場を切り盛りしながら呆然と眺めているときに、私のそばに立っていた男性に突然話かけられました。「人類の未来は明るい」という帯のついたクレーム氏の本を指さして、「これです、これです、」と言い、「私たちはすでにこの明るい未来にいるんですよ」と話されました。「皆さんは長いあいだ働いてこられたけど、もう大丈夫です。今がその明るい未来にいるんです」と続け、私は嬉しくなり、「本当にそうですよね」と同意すると、「ほとんどの人は貧しいですからね」と言われて、突然泣き出されました。高揚感と大きな喜び、希望と深い悲しみの混じった感じを受けました。

その方は60歳代の精彩を欠いたサラリーマン風の男性で、講演を聴いて高揚し、希望を見いだしたかのような明るい顔をしていました。

B.R.(東京)