グループ――アクエリアス時代の前方への道

グループワーク──選集
Group work──a compilation

「グループワーク」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

グループ活動は将来のあり方です。来るべき時代にはすべての活動がグループを通して行われ、グループ提携、グループ思考、そしてやがてグループ意識に到達するでしょう。これは宝瓶宮星団から流れ入るエネルギーの特質に沿ったものであり、そのエネルギーはグループ形成を通してのみ知ることができ、理解することができ、利用することができるのです。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.551)

多様性の中の和合

和合の中には多様性がある。目覚める時が来た。あなた自身のままでありなさい。お互いを追随してはならない。徐々にあなたは進化するだろう。二人と同じ人間はいない。二人とそっくり同じに模倣される人はいない。他人の人格を装った瞬間、あなたはわたしとあなたの間に距離をつくる。自分自身である瞬間、あなたは至福を、静謐を、平穏を、楽しみ始める。そのとき、わたしとあなたとの間に距離はない。
(『いのちと目的』p.265)
グループはそれぞれ異なった進化の段階にいる個人で構成されています。先ほど、グループ・イニシエーションの条件の一つはおよそ同じ程度の進化の段階にある弟子たちのグループであることだと述べました。それは一般的なステートメントです。実際には、すべてのグループが様々な段階にある人々から成っています。第1段階のイニシエーションを受けた人々がいます。それが大多数ですが。それから第2段階のイニシエーション、あるいは第3段階さえ受けた人々が数人いるかもしれません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.647~648)

マイトレーヤの関与

あなたがた自身をわたしの友達とみなし、わたしと共に働きなさい。あなたがた自身をわたしの伴侶と考えて、世界を救いなさい。あなたがた自身をわたしの弟子として顕し、新しい世界を創造しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第102信、p.306)

合意──グループ意識

いかなるグループにも智恵や知性や明瞭さを独占する人はいません。グループがグループであるのは、仕事を適切に行うためにグループの持つすべての特質を必要とするからです。グループワークの術とは、これらの異なった観点、異なった態度、異なった才能や経験を一つのツール(手段)に集中させて、それが合意を通してグループ全体のために語ることができることです。グループや光線について話すときにはいつでも年々出されることですが、グループと共に働くことはできない人々(いつも同じ光線ですが)がいます。彼らはグループのために働きますが、グループと共に働くことができません。彼らは自分の考えはほかの人々の考えをすべて合わせたよりも優れていると想像します。おそらく彼らはこのことを全く意識しておらず、そう言われると否定することでしょう。基本的に彼らはグループのほかのメンバーと競争しています。協力と柔軟性の特質をグループ関係のあらゆる側面に取り入れようとする意図が絶えずあるべきです。
一瞬一瞬、絶えず自分の動機を見なければなりません。絶え間ない、根深い競争心から自分を解放しなければなりません。というのは今日の世界ではすべての人に競争心が根深く植え付けられていますから。そうすれば、自動的に、それについて考えることもなしに、自然にあなたは協力的になります。
(『協力の術』p.107)

グループワークは世界の弟子たちを、これと同じような種類のグループ意識に向けて準備します。合意を生み出すのはグループ意識です。合意は多数決ではありません。合意は、グループの認識を通じて、すべての人々の直観的なメンタル認識が、時間をかけた話し合いの結果として、それが取るべき決定であるという相互の結論に達したときに生じるものです。「こちらには何人の人が賛成しますか? あちらには何人が賛成しますか? 賛成多数の方に決めましょう」と言うやり方によってなされるのではありません。それは共に働き、お互いのマインドがそれぞれの違いを持ちながら互いに関係することができ、あることに対して一つの合意に達することを可能にするグループの認識の成長から生まれるものです。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』p.568)

献身

あなた方は献身し、専念しなければなりません。もしあなたの魂が献身するように告げているならば、打ち込むことができるのです。献身は魂の特質であり、和合を育みゆっくりと築いていくのが魂の特質であるのと同様です。グループはその魂の衝動の下に機能しているときにのみ、本当にグループとして機能することができます。おそらくこのことを本当に理解することができない人々がグループにいます。それを聞いているかもしれませんが、本当に把握せずに、またすぐそれを忘れてしまいます。日常のこととしてやっていません。それが本能的にならなければなりません。自分ができる限りのすべてを本能的に特定の大義に(それが何であろうと)捧げるのです。
(『協力の術』p.296)

献身的な者たちを相変わらず取り巻いている志向の光を見て、わたしはうれしい。今日、わたしはそのような者たちを非常に必要とする。人類の歴史の中で、兄弟たちを愛し、そして奉仕することを望む者たちの存在を、わたしがこれほどまでに必要とした時は、かつてなかった。その奉仕と愛の炎が、まさに今日多くの者の心に明るく燃えている。この理由だけで、わたしの使命は勝利すると確信をもって言える。
(『いのちの水を運ぶ者』第122信、p.365)

『有機体』対『組織体』では、なぜこのような条件が出されたのか。役員を置いてはならないというのは、責任者を置かないということであり、その人の言葉がグループの中で唯一の決定権を持つような人を置かないということです。代表を置かないというのは、その人の言葉がほかのメンバーのアイディアを支配することがないようにするためです(もし誰かが代表になるとすれば当然、それは私でしょう。私がこのグループをつくり、そして覚者との接触を持つのですから)。秘書を置くべきではないというのは、その人がグループの日々の運営を自動的に処理していくうちに、権力を握るようになる可能性を避けるためです。そして私たちは自分たちの周りに囲いをつくり、「われわれが信じることはこれであり、あなたたちはそれを信じない」というようなことがあってはならないのです。
これらの条件はハイアラキーの外的顕現の仕事に対して分離主義的なアプローチをつくり出すのを避けるためです。それを実行することによって、少なくともロンドンにおいては、有機体をつくり維持することを可能にしたのです。
(『協力の術』p.141)

正しい関係──同胞愛

人間が同胞愛を人生の本質的な特質として受け入れるとき、われわれの日常生活のあらゆる面がより良い方向に変わるだろう。同胞愛が顕現されるたびに、人間同士の間につくられ、誤解と不信につながる障壁が溶かされる。同胞愛は喪失や不幸の痛みを和らげる。それは育て、はぐくまれるべき貴重な贈物である。同胞愛を宝としなさい。それは心(ハート)の中の最もすぐれた部屋への入り口の鍵である。あなた方の兄たちであるわたしたちは、同胞愛をわたしたちの最高の特質として大事にし、そしてそのリアリティを維持し、強化することに努める。人間もまた同胞愛の有益な真理を把握するとき、その特性が表す美を認識するだろう。そして神聖そのものの美の何がしかをつかみ取るだろう。人間が神聖であると同様に同胞愛は神聖である。それ以外ではあり得ない。
(『覚者は語る(2)』―同胞愛―p.188~189)
[2010年6月号]

敬意

リーダーシップがそのように強調される場合には、それはグループワークの反対です。グループを指導し、教え、前進させるリーダーの周りにあるグループという概念は古いパイシスの概念です。それは急速に消え去りつつあり、またそうあるべきです。人類にとっての新しいアクエリアスの経験に関連しているグループでは、すべてのグループメンバーは平等であるべきです。より低位の人々に取り囲まれたリーダーというのは存在すべきではありません。この場合のリーダーとは大抵、調整力のある人、ほかの人々よりうまく組織化できる人、グループの役割についてのより明快なビジョンと理解を持つ人のことです。リーダーシップそれ自体について言えば、それは古い死につつある概念です。リーダーはどうすればグループワークでの指導力を効果的にすることができるか? リーダーであることをやめることによってです。
(『協力の術』p.110~111)

善意

グループワークは楽しくあるべきです。満ち足りた純粋なグループワークから生じる歓びということを誰かが言いました。それは本当です。グループワークはあらゆる仕事の中で最も歓びに満ちたものです。一人でやる仕事よりもはるかに勝っています。……
グループの中ですべての人が持たなければならないのは、お互いに対する善意です。その善意がグループを団結させるセメントです。……魂の観点から見ることができるようになればなるほど、憤慨することなく、協力して働くことができるでしょう。……善意のエネルギーはグループワークの潤滑油であるばかりでなく、グループの存在の性質そのものです。
(『協力の術』p.85、92)

宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギー

……非常に間もなく、人々はますます宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギーの恩恵に反応し、競争の分離的特質を理解し、喜んで協力の習慣を身に付けるだろう。このようにして、人間が彼らの奉仕を待つ再建の多くの仕事において対等な仲間として共に働くにつれて、世界は途方もない恩恵を勝ち取るだろう。かくして、世界は喜んで働く人々の手によって変容させられるだろう。かくして、新しい世界はつくり上げられるだろう。
(『覚者は語る(2)』―協力の道―p.231)
[2012年6月号]

女性の役割

来るべき時代は「母性の原理」が花開く時代です。マイトレーヤの時代はターラ、つまり「世界の母」の時代です。母は子供を育み、家族を育み、そして女性の原理は文明を育成します。その理由のためだけでも、女性の原理が完全に表現されなければなりません。ということは、すべての女性が男性と完全なる平等の人権を持たなければなりません。
このことは、通常、男性よりも女性のほうがずっと活動的なニューエージ・グループにおいて、何にもまして本当であります。新しい宝瓶宮の時代のグループ活動の概念で正しく活動するためには、男も女も、すべてのメンバーが自分自身をグループの完全な、平等な、責任あるメンバーとして見なすべきであり、他の者よりも高位や低位の人はいません。真の民主主義とは実際にグループのすべての参加を意味します。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.554)

グループの和合

グループを全体として動機づけるべきものは、そしてグループの和合にとって本質的なことは、グループの中の人々の間の言外の愛です。すべての人々を結び付けるのは、言外の、理解ある愛なのです。真の結合要素はこの仕事自体であり、それにすべての人が自分自身の本質から、すなわち各々の魂のレベルからアプローチすることです。この仕事がすべてです。ですから、自分たちがやることすべては、共働者の一人としてこの仕事のために行うのです。グループの活動のすべての根本的な核となっているのは、具体的にはこの仕事で
す。……
もし人々が自分自身のことを忘れるなら、それは正しい関係を築いていることになるのです。単純なことです。そのとき人々は魂として仕事をしているからです。魂はただ正しい人間関係しか知りませんから、それが本能的になるのです。
(『協力の術』p.201~202)

マイトレーヤご自身が非常に間近な将来に出現されるとき、われわれのすべての行動の中に和合の必要性を強調されるだろう。われわれが、人間の問題を解決するに当たって、人間として、国家として、目的のアイデンティティーを見つけることがいかに大切であるかを、マイトレーヤは示されるだろう。かくして、われわれの強力な個人性をグループのために供するのである。
(『覚者は語る』─和合─p.559)

大計画に焦点を合わせる

わたしの覚者たちはいのちの規律を、あなたがたに教えるであろう。わたし自身は人類を招くあのより高度の光を、あなたがたに見せるであろう。わたしの教えは二重である。一つは、人間の物質面に関わることであり、人生の必要事項である。もう一つは、われわれが神と呼ぶあの聖なる存在と人間との関係についてである。わたしの言語の中では、これらは同じものである。なぜなら人間同士が正しい関係を築いてこそ、神との正しい関係を築くことができるのであるから。わたしの計画は、これをあなたがたに示し、人が己自身の裡に、分かち合い、愛し、信頼する能力を見いだす時、その瞬間から神へ向かう登り道が始まることを教えることである。
(『いのちの水を運ぶ者』第29信、p.99)

個人よりもグループのほうが大切です。そして全体としての日本のグループのほうが個々のグループよりも大切です。そしていかなる個人よりも、いかなるグループよりも重要なものは大計画であり、すべてのグループがそのために働いています。
その計画はマイトレーヤと覚者方が世界に戻って来られることを含み、人類を通して新しい文明を創っていくための彼らのインスピレーションを含みます。自分がどこに位置し、自分が誰であるか、そして自分がなすことを評価するとき、これをいつも尺度とするならば、あまり大きく間違うことはないでしょう。そうすると、あなたは大計画そのものの方向に向かって働きます。マイトレーヤの助けを喚起しなさい。あなたの仕事にマイトレーヤのインスピレーションと導きを呼びかけなさい。彼は言われています。「わたしの助けはいつでもあなたがたの意のままにある。ただ求めればよいのである」
(『マイトレーヤの使命 第2巻』p.557)

マイトレーヤの呼びかけ

わたしをあなたの裡に入れ、わたし自身を見せてください。わたしをあなたのものとなし、あなたの兄弟の手を取りなさい。彼らをわたしのもとに導き、大計画に奉仕しなさい。わたしを愛し、わたしと共に働き、奉仕の喜びを知りなさい。
わたしと共に来なさい、我が友よ、新しい時の中へ、新しい世界へ、新しい愛の御国へ。そこで共に真理の光で、神の愛の輝きで、身を飾り、そして神の聖なる足下の前にひざまずこう。わたしの祝福はあなたがたすべてと共に行く。
(『いのちの水を運ぶ者』第110信、p.331)