分かち合いの弁護論

 シェア・インターナショナル誌には創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者が毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に時間を超越して関連性を保っている。1987年3月に書かれたこの記事が選ばれたのは、これがこの惑星上のあらゆるいのちの相互依存性を明らかにしており、また特に集合体としての人類と個人の特有の役割が、マイトレーヤと覚者方の援助のもとで、正義ある未来を創造するであろうこと、そしてそれができることを強調しているからである。

分かち合いの弁護論

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人類が大いなる決断をしなければならない時が間もなくやって来るだろう。至るところで分離分裂に悩まされている今日、人類を取り巻く多くの問題に対して新しい対処の仕方が見いだされなければならない。そのような新しい対処なしには、不気味な未来が人類を待つことは疑いない。
 歴史上、現在のような状況や条件が地上に存在した時はかつてなかった。地球上にこれほど多くの魂が共存したことはなかった。グループ間の不和分裂がこれほど痛ましいものであったことはなかった。今、人間が握っているような大きな破壊の力を、人間はかつて支配したことはなかった。これは、地上のすべての王国の生命を破壊する力を人間に与える。そのような破壊の恐れがあるとき、人はよく吟味し、新しい進み方を案出しなければならない。
 可能な限りのすべての方法の中で、いまだ試みられていないことが一つだけ残っている。人間の歴史を通じて、一つの単純な答えを人間は把握し得なかった。分かち合いの原則が、人間の必要に応え、多くの問題を解決する唯一のものである。なぜなら、それは神ご自身の計画にとって根本的なことであるから。分かち合わなければ、人間は己の神性を否定し、未来のすべての災いを貯えることになる。分かち合わなければ、邪悪な無秩序が君臨し、人間の生得の権利である神の正義は人間から差し控えられるであろう。分かち合いのみが、同胞愛という神の計画を確立し、分離という罪悪を世界から取り除く機会を提供する。
 分かち合いを欠いて、いかに人間は存続し得るだろうか? 分かち合いなしに、いかに生き延びることを望み得ようか? 国家間の現在の不均衡はあまりにも大きく、運だけでは人間を見届けるに十分でない。致命的な病──分離と貪欲──は地上に蔓延し、治療の効果をあげるには徹底的な手段を要する。
 外的な混乱にもかかわらず、単純な治療が手近にある。長いこと引き延ばされた人類の試験はほとんど終わりにきている。人間をいまだ奴隷の身分に縛りつけている勢力に向かって勢揃いした光のハイアラキーが、彼らの歩んできた道をもう一度引き返し、真理の旗印のもとに共に立つ。
 マイトレーヤの使命は分かち合うことを人間に訴えることで始まる。人間の心(ハート)を知るマイトレーヤは、人間の選択を、そして彼らが必要な変化を起こす用意があることを確信しておられる。「人間は生きるか、死ぬか」とマイトレーヤは言われた──人間が分かち合うことを選び、そして生き、彼と共により良い未来を創造するだろうと、十分に承知しながら、言われたのである。
 現在まで、人間が問題解決のために行ってきた努力はすべて、現存の機構を維持することに向けられてきた──それらがいかに不公平なものであるかが証明されているにもかかわらず。至るところにある不和分裂が解決を叫び求め、正義の法が適用されることを待つ。
 彼らの指導者たちが言い争うのを聞きながら、恐怖が多くの者の心を捉える。彼らの指導者たちを後方に置き去りにする時がやって来つつある。人間は自由への呼びかけに目覚めつつあり、世界を正すために真のリーダーシップのみを必要とする。マイトレーヤは道を示し、人間を同胞愛と正義に導くためにやって来られた。彼の賢明な指揮のもとに、新しい時代が始まり、人間の真の神性が顕示されるだろう。分かち合いと協力の手段が確立され、このようにして神の計画は成就されるだろう。