ジェイソン・フランシスによる
サンディープ・アフジャ氏へのインタビュー
Operation ASHA はインドやカンボジアの都市近郊スラムや農村の最も貧しい人々への結核治療や医療サービスの提供に専念するNGOである。Operation ASHA は、合計人口が約500万人に上る5,000以上の恵まれないコミュニティーにサービスを提供している。そのパートナーは、アフガニスタン、ザンビア、タンザニアのさらに多くの人々にサービスを提供している。
サンディープ・アフジャ氏はOperation ASHAの共同創設者でCEOである。彼は以前、インド歳入庁で役員を務めていた。彼は自身の人脈を駆使し、後輩の同僚や他の恵まれない人々に必要な医療サービスを無料で受けられるように援助していた。2006年に彼はインドで、団体の代表を務めるシェリー・バトラ博士と共同でOperation ASHAを設立した。ジェイソン・フランシスが、本誌のためにサンディープ・アフジャ氏にインタビューを行った。
シェア・インターナショナル(以下SI): 結核への感染と活動性結核との違いは何でしょうか。世界中で何人くらいの人が結核に感染し、活動性結核であると考えられますか。
サンディープ・アフジャ:結核への感染、つまり潜伏性結核は、体内に結核菌を持っているが、免疫系が結核菌を抑制できており結核菌が増殖し人を苦しめることがない状態です。つまりそのような人には、明らかに何も症状がありません。
それに対して活動性結核は、結核菌が体内で増殖しつつある状態です。患者は症状に苦しみ、症状を示し、検査と治療が必要です。そうしなければ症状が進行し、肺や他の体の一部を破壊し、最終的には死に至るかもしれません。
膨大な数の人々が潜伏性結核の状態です。それはインドの人口の40%(5億人)とカンボジアの人口の50%を含みます。世界保健機関によって「結核の高負荷」の国と分類されている他の28カ国では、潜伏性結核の割合は同様の水準です。
幸い潜伏性結核の人の中で、毎年活動性の症状を示す人はほんのわずかな割合にすぎません。年間の患者数はおよそ1,050万人であり(しかし18億人が結核の原因となる結核菌に感染しています)、それはどのような基準から見ても依然として膨大な人数です。実際のところ、疾病の重大性は死亡者数で計測されており、結核は今までで最悪の感染症で、過去200年間で10億人の死亡者を出しており、その数はHIV/エイズ、天然痘、黒死病、スペイン風邪、コレラを合わせた数よりも多いのです。
貧困病
SI:あなたはなぜ、結核を貧困病と呼ぶのですか。
アフジャ:結核がしばしば貧困病と呼ばれているのは、例えばインドでは90%の患者が貧困だからです。その理由は、膨大な数の人々が潜伏性結核の状態だからです。健康な人の免疫系は、細菌が増殖し疾病となることを許しません。免疫系が弱くなるや否や、細菌が人を支配するようになります。弱い免疫系の一つの主な理由は栄養不良です。つまり、貧しい人は他の人よりも結核になりやすいのです。しかしながら、誰でも結核にかかる可能性があると言わなければなりません。実際、結核で亡くなった有名人には、ネルソン・マンデラ、エレノア・ルーズベルト、ジョン・キーツなどがいます。
SI:結核の人を特定し検査する過程をどのようにして始めるのですか。Operation ASHAは、これまでに何人の人の治療を行ったのですか。
アフジャ:Operation ASHAのコミュニティーヘルスワーカーは何千ものコミュニティーを調査し、特定の症状を示す人々を100万人以上発見し、結核の検査をしてきました。私たちは11万人以上の患者さんの治療を行い、その中には多剤耐性、広範囲薬剤耐性、完全薬剤耐性の結核と呼ばれる致命的な形態で苦しむ人々が含まれています。これらの中で、昨年だけでも1万5,000人が治療を受けました。これによりOperation ASHAは、世界で3番目に大きな結核を抑制するNGOとなりました。
検査と治療
SI:結核の検査と患者さんの居住地での治療の過程についてお話しいただけますか。患者さんの居住地が都市と農村の場合で、どのような違いがありますか。
アフジャ:居住地が都市であっても農村であっても、その過程にほとんど違いはありません。患者さんにプライバシーの問題がない限り、検査と薬剤の引き渡しは、もちろん家で行われます。例えば若い花嫁は、この病気が持つ強い嫌悪感のために、自分が結核であることを義理の母親に言いたくないかもしれません。その場合、私たちのワーカーや(ワーカーを兼ねる)司祭が面談、投薬、アドバイスを行い、寺院に行く途中や寺院の中で薬の引き渡しが行われ、すべての患者が完全に治療を受けられるようにします。
私たちの差別化のポイントは、患者さんの状況の医療的、社会的、経済的、法的な側面など、あらゆる側面の面倒を見ることです。患者さんが糖尿病などの他の健康問題を抱えている場合には、それに対する適切な治療も行います。なぜなら、そうしなければ患者さんは結核の治療を全く受けられないかもしれないからです。
例えば、労働者が結核のために工場から追い出された場合には、スーパーバイザーやディレクターによるカウンセリングを提供するか、もしくは労働検査官に取り上げてもらい、患者さんが収入を得て、食事をし、治療を継続できるようにします。同時に私たちは、どのように感染を避けるかについて他のワーカーに研修を行います。この総合的な方法は非常に上手く行き、多くの患者さんが生涯の友人となり、私たちのワーカーがさらに患者を見つけ、治療を行う助けとなりました。玄関での受け渡しは非常に重要な利点です。患者さんは大切なリソースと時間を節約できます。その時間は、そうでなければ何十回もの通院に使われていた時間です。多くの患者さんにとって、これは治療からの脱落の原因となるものです。
SI:結核の患者さんにとって、完全な治療計画を完了することは大切ですか。
アフジャ: あらゆる患者さんにとって、治療計画を完了することは極めて重要です。脱落する患者さんは結核の薬剤耐性形態、すなわち多剤耐性結核(MDR)に感染するかもしれません。これにより治療期間は最大で2年にもおよび、重大な副作用を伴い、薬剤の費用は40倍に増加するかもしれません。この治療計画は、完了することが明らかにより困難です。治療からの脱落は広範囲薬剤耐性結核(XDR)に、最終的に完全薬剤耐性結核(TDR)につながります。MDR、XDR、TDRを防ぐ唯一の方法は、(通常の)結核の治療を止める患者が一人も出ないようにすることです。
Operation ASHAは、5%以下という信じられないような低い脱落率を達成しました。他のプログラムでは、患者の脱落率は最大で46%にもなります。そのようなプログラムは、実際には『薬剤耐性結核の生成工場』のようなものです。
『残酷な』病気
SI:結核に感染していることは、人の人生に身体的影響、社会的影響、財政的影響など、どのような影響を与えますか。
アフジャ:結核は深刻な社会的、経済的な問題です。患者は生涯の収入を失います。何百万人もの人が、治療や検査や繰り返しの通院の費用のために毎年貧困に陥ります。ある論文によると、南アフリカの結核患者の41%が結核治療を受けるために借金をするか、資産を売却しました。別のナイジェリアの研究では、患者の10%が結核治療の費用を賄うために学齢児童に依存していると指摘しています。
インドでは、年間でおよそ30万人の若者が児童労働者の仲間入りをしますが、ほとんどが、親が結核で苦しみ、職を失い、子供が家族を支える必要があることが原因です。しかし、それだけではなく、毎年10万人の女性患者が家族によって放り出され、病気や飢えで亡くなっています。
結核は消耗性疾患です。これを『残酷』と呼ばせてください。なぜなら患者さんは(結核が検出され治療されない限り)何年も、場合によっては10年以上も結核で苦しみ続け、寝たきりになり、家族による介護が必要になる可能性があるのです。私は12歳の少年のことを忘れることはないでしょう。年齢のわりにはとても背が低く、父親の自転車タクシーのペダルを漕いでいました。彼の短い足では、ペダルを一番下まで押すことができませんでした。それが仕事をとても大変にしていました。父親は結核のために寝たきりで家族をこれ以上養うことができなかったため、他の選択はありませんでした。私はあの光景を亡くなる日まで忘れることはないでしょう。10歳の弟は、チャイ・ショップで接客をしていました。
しかし、このような悲劇は、私を前に進ませてくれました。個人レベルでは、私は皆が羨むような職とOperation ASHAの3倍の給料を犠牲にしました。しかし結核の根絶は、神が私に選んでくれた道です。そして神が私を地球から取り除く前に、その目標の達成に私は成功するでしょう。
関連サービス
SI:あなたの団体は、どのように就職技能を教えているのですか。そしてインドやカンボジアの人々に対して、どのように直接の雇用を提供しているのかをお話しいただけますか。また、Operation ASHAでは、何人の人を雇用していますか。
アフジャ:Operation ASHAは、相当の雇用を生み出したことに誇りを持っています。私たちは350人以上のスタッフを雇用し、4,000人のボランティアがいます。彼らのほとんどは、Operation ASHA以外には仕事がなかったでしょう。彼らの30%が正式な教育を受けていません。Operation ASHAで働くための唯一の『学歴』は、なぜ患者が薬を飲み忘れたのかを説明(もしくはできれば書き留めることが)できることです。しかしワーカーは、彼らが働いているコミュニティーに属し非常に社交的である必要があります。つまり、見知らぬ人とでも難なく会話を始めることができるのです。
SI:あなたの団体は、他にどのような健康問題に対処していますか。
アフジャ:私たちは多くの有名な巨大組織から、私たちの方法論とテクノロジーで彼らの仕事を援助するようにアプローチを受けています。これは地理的範囲を拡大できるだけでなく、長期的治療が必要な他の病気に対応する機会を私たちに与えてくれました。私たちは今までのところ、結核以外に五つの新しい分野で奉仕しており、大きな成功を収めました。それらはHIVと結核の重感染、血友病、糖尿病、心臓疾患、青年期の健康問題です。
SI:あなたの団体は、どのように資金を得ているのですか。
アフジャ:Operation ASHAは幅広い資金基盤を持っており、寄付者はニュージーランドからアメリカにまで及んでいます。長期的なパートナーは、インドの政府や州政府、国際的基金、多国間の国際的な寄付者(世界銀行、アメリカ国際開発庁、イギリス国際開発省を含む)などです。
新型コロナウイルスの影響
SI:新型コロナウイルスの大流行は、Operation ASHAが治療を提供し活動場所のコミュニティーを援助する能力にどのように影響していますか。あなたはどのように変わる必要がありましたか。
アフジャ:Operation ASHAは新しい現実に素早く適応しました。まず最初にすべてのスタッフにマスクと消毒液を提供し、次に新しい患者の活発な症例発見を減らし、最終的に停止しました。これは確かに検出に影響がありました。しかし、私たちは加入に関しては良い実績を示し続け、世界中での大幅な減少と比べ、約40%の減少にすぎませんでした。それだけでなく、今後数カ月でそれを超えることに私たちは自信を持っています。しかも、検出の遅延によって深刻な症例や死亡は発生していないようです。なぜなら私たちのワーカーは感染の初期段階で患者を検出するからです。
また、政府の指令に従う過程で、監督下の投薬が一時的に停止されました。しかしながら、ワーカーや品質監査役や熟練したカウンセラーによる毎日の電話での厳密で正確な処方計画は継続的な治療を実現します。私たちの患者さんの中で薬の摂取をやめた人はいません。このようにして、薬物耐性結核を寄せ付けませんでした。
しかしながら、ロックダウンの結果、患者さんと彼らの家族の多くは収入を失うことになりました。幸い災害管理機関と警察はこの問題を素早く取り上げました。これは評価に値します。あいにく、隔たりは幾つかありました。例えば、朝食は提供されておらず、食事の量は限定的でした。患者さんたちは、新型コロナウイルスの防止に緊急に必要な石鹸を買うお金を使い果たしていました。電話のプリペイドカードを買うお金もなかったため、家族は連絡を取り合うことができませんでした。これはロックダウンの心理的な影響を悪化させました。
Operation ASHAは、およそ7,600家族に関して、このような状況に対応することができました。これは、結核患者のおよそ2,200家族、MDR結核患者の400家族を含み、5以上の都市と、ビワンディ市の恵まれない5,000の移住家族に広がっています。困窮するあらゆる家族に、朝食、家賃、石鹸、電話のプリペイドカードのための資金が提供されました。各家族に与えられた金額は少額でしたが、人生を変えるようなものでした。これはまた、こうした家族と患者が農村部に移住することを防ぎました。このことが患者たちの間で短期的にも長期的にも多くの脱落者と薬物耐性の発生を防いだことに、私たちは自信を持っています。私たちは、より大きな問題が起こると思われる近い将来に備えています。例えば各州政府は、移住労働者を出身地に送還することを決めました。そのため、私たちの結核患者の多くは出身地の村に戻ることになるかもしれません。おそらく政府は、地方の雇用と食物の助成により、ある種の財政支援を提供するでしょう。しかし、それだけでは十分ではありません。ですから私たちは用心深くある必要があり、誰も食物が不足することのないようにしなければなりません。さらに大切なことですが、村々の政府医療センターには十分な抗結核薬の供給がないかもしれません。電話での厳密なフォローアップの他に、医薬品を宅配便で送り、民間研究所の有料検査を利用する必要があるかもしれません。こうして誰も治療から脱落しないようにします。
詳しくはopasha.orgを参照
最悪な時期に助けてくれる友達
SI:一度人が健康を取り戻すと、人生はどのように変化しますか。
アフジャ: この質問に答えるために、私たちのある患者さんのストーリーを紹介したいと思います。ジャグディッシュ(仮名)は40歳で、ラージャスターン州のプシュカル市郊外のとても小さなレストラン、サント・ラム・ダーバで働いています。彼の1日は毎朝午前7時に厨房の手伝いで始まり、次にフロア係をし、通行人に食べ物を提供します。彼の1日はしばしば、深夜の通行人相手の接客で終わります。
彼は生計のために十分なお金を稼ぎ、ビーカネルに住む家族に仕送りする余裕が常にありました。愛する人から離れて暮らしながら、長男として家族を養うことがジャグディッシュの肩にかかっていました。家族にはお金が必要でした。ジャグディッシュの母親の薬、弟の理学療法、妹の子供たちの学費、食物や他の必要なもののためです。
彼の村では仕事が少なく、家から250kmも移動しなければなりませんでした。しかし、そのすべてにそれだけの価値があると思われました。家族の幸せな顔を思うと、長時間の孤独な消耗する仕事に耐えることができました。ただしそれは、彼が病気になるまでのことでした。疲れを感じるようになり、食欲がなくなり、息切れするようになりました。彼は『歩く骸骨』のような外観になりました。医者は薬を幾つか処方しましたが、それらはお金がかかり、猶予はありませんでした。彼は最終的に解雇され、悲惨さを招く「病気」の生き物という烙印を押されました。家族は彼の病気の負担で苦しみました。彼の姪たちは、お金が足りないために学校をやめなければなりませんでした。
ジャグディッシュは、もし自分が亡くなったら家族に何が起こるかを考え、毎日神に救いを求めて祈りました。このような祈りへの答えであったと考えられるのは、ある友人が彼と似た問題を抱える人々を援助するという近所の無料クリニックについて聞いたことでした。こうして彼はOperation ASHAのワーカーに紹介されたのです。彼らはとても親切で、ジャグディッシュは自分が結核という非常に一般的な病気であると告げられました。それでもジャグディッシュは怖がり、神に「なぜ私なのですか」と問い続けました。
彼はそれが『神の祟り』であると感じました。彼がこのようにして答えを探し求め、内なる悪魔と闘う間、Operation ASHAのカウンセラー、マノージは治療計画を開始しました。薬により症状は悪化しました。彼は毎日しびれを感じました。全身が痛み、1日中ベッドに寝ていた後でさえも筋肉が痛みました。ジャグディッシュはセンターに行くことをやめました。しかし、マノージは彼の家に現れました。マノージはジャグディッシュに、治療をやめることがいかに危険であり、薬を飲むと最初は症状が悪化したとしても長期的には治療となることを説明するビデオを見せました。それには、かなりの説得が必要でした。マノージは「希望を失わないで」と言いました。ジャグディッシュは、彼は正しいと判断しました。特に、そこで感じたときと比べ、どの薬を飲んでもさらに気分が悪くなることはなかったからです。4カ月後に彼の胸痛は消えました。同時に咳と死が迫るような感覚も消えました。
ジャグディッシュは仕事を再開することができました。彼は義務を再び果たすことができました。母親は薬を続けることができ、弟は理学療法を再開することができ、姪たちは学校に再入学することができました。ジャグディッシュは、Operation ASHAが彼に人生を返してくれたと感じています。彼は、より大きな目的のために救われたと感じており、ちょうどOperation ASHAが彼を助けたように他の人を助けることを誓いました。結局のところ、人生とはこのようなものではないでしょうか。人が困っているときにその人を助けることではないでしょうか。そしてそれが、ジャグディッシュがなりたいと思っているものです。つまり、最悪な時期に助けてくれる友達、嵐の中の避難所、砂漠の中のオアシスです。