自由意志という概念が私たちのマインドに初めて入って以来、宇宙の法と自由意志との関係が人類を鍛えてきた。人類が自由意志を持っているかどうか、そしてどの程度持っているかが、不朽の知恵の教えによって昔から問われてきた質問である。同時に、アート・ユリアーンスの今月号の記事が明らかにしているように、弟子は責任を負わされてきた。「道に沿って進歩するうえで弟子にとって不可欠な必要条件の一つは、独りで歩む能力を培うことである。このためには勇気が必要であろう。弟子が周囲の人々の意見に反することは避けられないことであり、絶えず起こることである。勇気がしばしば必要とされるが、親しい人や世界的な権威と認められている人の意見と衝突しようとも、自分の正直な確信に従って、正しいと思うことを実行することを学ばなければならない」
私たちは今日、正念場に立っており、すべての者の生活を向上させるために集団的な勇気を奮い起こす必要がある。ここでの議論に追加してもよい質問は、パンデミック(世界的大流行)によってはっきりと浮かび上がった変化への必要に耳を傾けるほど、私たちが集団的にも個人的にも成熟しているかどうかである。フランシスコ教皇が表現しているように、私たちは世界が「うめいている」のを聞くことができるだろうか。変容のために働き、惑星を癒すだけの想像力や共感、勇気、忍耐を持っているだろうか。法についてのベンジャミン・クレームの師による二つの記事から引用するとしたら、人類は法の働きを受け入れ、変化を受容し、勇気をもって「自分たちの思考と行動を再調整するために一致した努力をし、かくして『法の規定』を正しい状態にする」ことができるだろうか。勇気と決意が今、問題の核心となっているのは確かである。