この12月号では、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって書かれた二つの記事を再掲載する。一つは2004年に、もう一つは2009年に書かれた。両方とも決定的に重要な指針を提供しており、時宜に適っている。両方とも私たちの窮状を明らかにし、援助を申し出ている──次のようにしさえすればよい、と。「要求されることは人間自身からの要請のみである。必要とされることは『同胞団』の助言と知恵を喜んで受け入れる用意ができていることであり、方向を変えることである」
グラスゴーでの国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)の後、学者や活動家、科学者たちは成果を分析しているところである。世界が期待したことは非常に多く、もっと多くのことが達成できたはずである。いくつかの小さいけれども重要な突破口が開かれたが、一般の観客は悲しみに包まれたまま取り残された。「方向転換」をしてほしいという望みは先送りされたからである。「またもや戯言だ」と、活動家たちはサミットでの検討を却下し、地球の未来を守るために民衆のフォーラムや現在進行中のキャンペーンで頑張り続けることを決意している。
今月は、変化を求める民衆の希望や要求を表す記事を掲載したものの、分断された世界の恥ずべき結果を明らかにせざるを得なかった。一方、マイトレーヤの──世界資源を分かち合いなさいという──助言に従えば、ほとんどの主要な問題は一挙に解決されるだろう。世界は良い方向に変化していることや、前に進もうとする勢いがあり、覚者方の助けはそこにあって求めることができるということは疑いない。私たちが依然として苦しみや惨めさと共にあるということも事実であり、今月の選集は、理想を現実の具体的なものにする必要があることを強調している。意図は良いかもしれないが、世界規模の関与と合意が欠けているため、地球の破壊が続くことになる。一方、難民にとって、それは生存のための闘いを意味する──地中海や英仏海峡の海上をすし詰めの船で漂っているにせよ、ベラルーシとポーランドの中間地帯で氷点下の気温に耐えているにせよ、あるいは、干ばつに見舞われたマダガスカルや、戦火に引き裂かれたイエメンで死にそうになっているにせよ。「リトル・アマル」の話は最も心を揺さぶるものである。彼女は移民を代表している──扉をたたいている異邦人である。
毎年この時期には、より良い未来の希望を象徴するものが大事にされる。マイトレーヤは、私たちの未来とこの惑星の未来のために交渉した活動家たちや代表団と共におられた、と期待することができるだろうか。「至るところで人々はやっと、人生の意味と目的についての新しい解釈、分かち合い、正義、平和……を受け入れる用意ができた」のだろうか。