エリッサ・グラーフ
パンデミックの中で生きることで得られる希望の兆しがあるとしたら、時間をより重視することを学んだことが、その一つかもしれない。相次ぐロックダウンにより日常生活が立ち往生する中で、何百万もの人々が自分にはもっと時間があることに気づいた。多くの職が失われ、企業が倒産したが、こうした厳しい状況下で、多くの人々が優先順位を再考する機会を得ることにもなった。
キャスリン・ハイムズ氏は、ワイアード誌の2021年11月号の記事でこう述べている。人々は現在、「……転職したり、キャリアの梯子上で『ダウンシフト(ゆとりある生活への切り替え)』をしたり、労働から完全に離れた時間をとったりしています。一部の労働者は、新型コロナウイルス時代以後の新たな明晰さと貯蓄により、パンデミックで大変な重労働となった最前線の不安定な仕事から退きました。他の人々は、より大きな柔軟性や自己決定と引き換えに金銭や地位を得る機会を放棄したことを報告しています」。その結果、記録的な数の人々が退職している。米国労働省によると、2021年4月だけでも、かつてない400万人の人々が仕事を辞め、観測筋はこの時期を「大量退職時代」と呼ぶことになった。ハイムズ氏は、この呼び方は的外れであるとして、次のように述べる。「大量退職は、表面上は職業上の地位の用語を前提としていますが、同時に存在する間違いなくより大きな物語を見落としています。それは価値観の根本的な再編であり、そのために、家庭での生活、家族や友人との生活、そして労働以外の生活との関わり方に人々は直面し、それを見直しているのです」
約1世紀前のもう一つの同様の歴史的瞬間──大恐慌のために数百万人が突然失業した時──には、哲学者、バートランド・ラッセルは著書『怠惰への讃歌』の中で、すべての人間にとって意味のある余暇の必要性を概説し、人の価値はその人の経済的生産性によってのみ測定可能であるという依然として根強い文化的仮定に挑戦した。シェフィールド大学の哲学講師、マックス・ヘイワード氏は、2020年のニューステイツマン誌の記事でラッセルの議論の今日における関連性を指摘し、こう説明している。「ラッセルは、一部の人が身を粉にして働き、他の人が失業中の貧困に苦しむような経済制度を改革するだけではなく、『経済的に生産的な』労働の能力に応じて自分自身を評価するような文化的倫理に挑戦する必要があると考えました。人間は単なる労働者以上の存在です。私たちは怠惰を評価する方法を学ぶ必要があるのです」
ヘイワード氏はこう指摘する。GDPを成功の標準的な尺度だとすると、「……その市民が隣人よりも収入が年平均で1,000ポンド少ない場合に、ある社会を相対的な失敗と考えなければなりません。たとえ、その市民がより多くの余暇を過ごし、より多くのスポーツをし、より多くの散歩をし、より多くの本を読み、より多くの音楽を聴き、より多くの絵を描いたとしてもそうなのです」。しかし、この考え方は次のように私たちを運命づけている、と彼は述べる。「ラッセルが想像する社会──意味のある怠惰に投資する社会──は真に革命的です。その経済構造が刷新されただけではなく、それが社会の理解の仕方と価値観そのものを変えたために革新的なのです」
ベンジャミン・クレームは著書『生きる術』で、余暇を神に賦与されている特質と定義している。「……〔余暇とは〕あなたが本来やりたいことをやることです。それは創造的です。それは創造的になる機会です」。彼は、魂から来る創造的な活動を人生の本質と説明し、生きる術は実際には創造的に生きることであり、それは人生のあらゆる側面に関係していると言う。これが、余暇が不可欠である理由であると彼は言う。しかし、今日のストレスの多い生活環境の結果として、「ほとんどの人が、反復的な作業プロセス、劣悪な環境、日々の活動の空虚さと反復性によって全く活力を失っているため、創造性はほとんど期待できません」とクレーム氏は付け加えている。
さらに、広範囲にわたる貧困と社会的不公正の結果、地球上の大勢の人々は深く満たされない人生を送っている。彼らは、生き残るために十分な収入を得ることにのみ専念し、したがって余暇の機会を見つけることもない。クレーム氏は、人類の内なる真の霊的特質が現れるのを妨げているのは、この強制された貧困であると主張している。解決策は、世界の資源を分かち合うことである。これにより、すべての人が自分の基本的ニーズを満たすことができる物品を利用できるようになる。これは、国連の世界人権宣言に定められている基本的権利でもある。
ベンジャミン・クレームは次のように書いている。「余暇のための教育は、内面のスキル、才能、潜在能力を伸ばす可能性を、現在では想像もできないようなやり方で人々に解放します」。そうした教育はどのようなものだろうか。バートランド・ラッセルにとって、創造的な余暇を楽しむために必要な能力、知識、習慣を人々に身に付けさせることは、教育の主要な目標の一つでなければならない。マックス・ヘイワード氏は次のように示唆する。「これは改革を意味します。高等教育の機会を大幅に拡充する必要がありますが、大学や学校のカリキュラムは、雇用に必要なスキルと同様に、創造的な芸術と純粋な好奇心の追求に重点を置く必要があります」
この余暇教育の時代は遠い夢ではないかもしれない。今日利用可能なオンライン教材の膨大な多様性──あらゆることに興味を持つ人々が新しいスキルを学べるYouTubeのDIY動画、生涯学習の探究に利用可能な無料の大規模公開オンライン講座(MOOC)の拡大など──を考慮すれば、それはすでに進行中である。
この前例のない地球規模の危機の時代において、より多くの余暇を可能にし、人間を解放することは、ルネッサンス──世界を真に変えることができる人間の創造性の繁栄──を推進する可能性を秘めている。
参考文献
ニューステイツマン誌およびワイアード誌
ベンジャミン・クレーム『生きる術』シェア・ジャパン出版、2006年
『いのちの水を運ぶ者』シェア・ジャパン出版
「当面の必要は、仕事の過程を変革し、日々の仕事の他は何も知らない無数の人々を、単純作業の苦痛から解放することです。……『道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである』(マイトレーヤ、『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信)
余暇とは、やりたいことをやり、肉体やマインドやハートを休ませることをやり、あるいは共同体のための仕事以外にあなた自身のために何かをやる時間を提供するものです」
──ベンジャミン・クレーム、『生きる術』