編集長への手紙

編集長殿

201749日に、私は米国ウィスコンシン州マディソンでの、ウェルネス・エキスポに出した再臨のブースで活動していました。20代後半の二人連れがブースにやって来て、私たちは会話を始めました。

私が彼らに、彼らと同じ年齢の人や同世代になる一団の人々は、今現在の世界の状況にどのように対処しているのか尋ねました。若いミレニアム世代の人たちが、経済や環境、現在の政治の状態のせいで、非常な不確かさに直面していると私は認識しているのです。

その若い男性は、「私たちは起こっているすべてのことをよく見ています。そして私たちがどのように反応したいのかも分かっています」と言いました。私は彼らに「若い世代に対して、私の世代が世界を放置してきた状況について、私は罪悪感を覚えていると言わずにいられません」と言いました。

その若者は即座に返事をして「あなたの罪悪感は当然のこととは言えないし、必要でもなく、また助けにもなりません」と言いました。さらに続けて「世界の状態というのは、あなたの世代のみのせいではありません。あなたの世代、その前の世代、またその前の世代、さらにその前の世代のせいなのです。人類の歴史全体が、今日の私たちのあり様をもたらしたのです。私たちは皆共にこの中に存在し、皆で共にここを通り抜けていかなければならないでしょう。あなたの肩から罪悪感の重荷を取り払いましょう」と言ってくれたのです。彼はまた「私たちはこの時に世界にいることを残念には思っていません」とも言っていました。彼の友人も賛同してうなずいていました。

この出会いは私にとってとても有益で、私は本当に肩から罪悪感が取り去られた解放感を感じています。

エレン・ターガセン

米国、ウィスコンシン州マディソン

 

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編集長殿

2016年のペンテコステの翌日に、アムステルダムのインフォメーションセンターは、マイトレーヤの代弁者(ベンジャミン・クレームの師によって確認された。本誌20169月号「ペンテコステの訪問」参照)の訪問を受けました。それ以来、彼はセンターの中にひょいと入ってくるだけだったり、二言三言陽気な励ましの言葉をかけたり、講演のまさに終わりにやって来て講演者の目の前の席に座ったりすることで、何度もその存在に浴する栄を私たちに与えてくださいました。そのような機会に、彼は話し合いの中で生き生きとした参加者となり、しばしば話に加えて適切で常に役立つコメントを差し挟み、それは混乱させたり、注意をそらしたりするようなものにはなりませんでした。彼は同意してうなずき、講演者を励まし、どれほど間近にマイトレーヤの完全に公の出現が起こるかについての発言を支持し、賛同してくれているように思えました。彼は温かく愛情溢れ、愛すべきいたずら心のあるユーモアのセンスを持っているのです。

彼は繰り返し私たちを訪問してくれて、ごく最近にも彼はやって来て、例えばちょうどベンジャミン・クレームのリトグラフ展をセンターで開いた時には(20176月下旬)、彼がそこにいた人々に愛情溢れた温かなハグをして、戻ってくると約束して、それから1週間後くらいに、再びほんの少し立ち寄って、連帯や興味、思いやりを示すために来たかのように、私たちが大丈夫か尋ねてくれたり、握手をしたり、背中を軽くたたいたり(!)、ひどく疲れているメンバーたちを気遣ってくれたりしました。彼は口に出されなかった私たち数人の思考を、一言一句言い当てて、私たちの関心事を知っていて、他の人が知り得ない事実を知っているという具体的な証拠を見せてくれました。

723日に、親切で支援してくれるマイトレーヤの代弁者が再びセンターにやって来て、講演の始まった1分後に到着し、その後ディスカッションに参加して有益でユーモラスで適切なコメントをしてくれました。誰かが世界の状態についての不安を話した時、グループのメンバーが善の勝利について、「素晴らしい肯定的な結果が保証されている」ことを話しましたが、後で代弁者の方がそのメンバーに話しかけて、「善良な人々の勝利が保証されているのです」と繰り返していました。別のメンバーで、すでにマイトレーヤのフレンドリーな代弁者に数回会っている人が彼に再び会えてうれしいことと、来てくれたことへ感謝を伝えた時、その代弁者の方はただ天の方を指差して、まるで「私はただ上から行くように頼まれたことをしているだけです」と言っているかのようでした。他に代弁者の方が語ったことで、講演に関係していたのは、マイトレーヤがいつ世界中で完全に認知されるようになるかということについてで、「それはすべてタイミングの問題です」と彼は言いました。

8月6日に、私たちはインフォメーションセンターでのリトグラフ展の中で、講演をしました。マイトレーヤの代弁者の方が再び現れて、いつものように講演が始まってからちょうど1分後でした。どうしてかいつも空席があり、最後の席に彼は座りました。普段通りに彼はかなりたくさん話すことがあり、簡素さの必要性や、自身と内なる高位我との絶え間ない接触を保つことの必要性を語っていました。さらに参加者に話しかけることも恒例になっていて、明らかに的を射たコメントやアドバイスを伝えていました。

講演の終わりに、講演者が聴衆に、18枚のリトグラフの中で心惹かれる1枚の前で、何かの期待もお願いも要求もすることなく、静かに数分間座るように呼びかけました。私たちはこのようにして約7分間静かに座り、その後ゆっくりと一緒に戻っていき、非常にはっきりとした祝福とエネルギーと感謝の感覚を持って、静かに午後の講演を閉会しました。

代弁者の方が言った最後の言葉は、その日の最後の言葉でしたが、ちょうど私たち皆が立ち上がって帰ろうとした時のことで、「共に」でした。

グループメンバー一同

シェア・オランダ、シェア・インターナショナル

インフォメーションセンター

オランダ、アムステルダム