理性と直観

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

理性がさらに高度の能力である直観によって徐々に置き換えられる時代に入りつつある。人間が当然ながら誇りに思っているその論理力を構成するものはいつの日か識閾の下に落ち、今日、息をしたり、動いたりすることと同じように本能的なものになるだろう。直観の開花を通して、認識の膨大な広がりが人間の前方に横たわる。存在の状態についての認識であり、それはまだ全く人間に知られていないが、覚醒した心(マインド)によって知覚されるのを待っている。すべての意識の拡大の前には緊張がある。人間が今通過している争いと困難のこの時期の後に、平安と落ち着きの時が続き、直観が徐々に開花するための舞台が整えられるだろう。それが起こるとき、人間は、すべての論争を通り越して、神のイメージに似せて創られた魂としての自己の特性を直接知るだろう。
覚醒した直観を通して、人間は自然の秘密を発見し、すべての王国のための進化の大計画における人間の役割を果たすことを学ぶだろう。自分自身の裡に夢想すらしなかった能力と知識を発見するだろう。知る必要のあることはすべて、啓発されたマインド(識心)に自在に流れ入るだろう。
人類種族の開花における次のステップは、直観的能力が生まれたときからすでに活発で強力な魂の到来であろう。これらの魂は現在、いのちの内界において集められており、間もなく姿を現すだろう。彼らは現在の第五種族の次の副種族(第6亜種)を構成し、人類を限定された合理的マインド(識心)から直観の光の中へ導くだろう。人間にとってすべてのことが可能となるだろう。魂の光が人間の問題に働きかけ、一瞬にしてこれらの問題の解決法を示すだろう。直接の知識によって、人間は間違うことなく目標に向かって進むことができる。
われわれが理性と呼ぶものは、その役割を十分に果たしてきた。人間を神性の門口にまで運び、そしてその後に続くより高度のマインド(識心)の能力開花のために人間を準備した。厳密に言うと、普通に直観と呼ばれているものは意識のマナス〔*〕のレベルから来るものであるが、真の直観はその起源をさらに高度なブッディのレベルに発する。それは本質的に愛ある理解、または真の智恵である。直観が働くとき、分離という感覚は未知のものである。すべてのものの一体性が直接に知覚される。合理的マインド(識心)のイリュージョン(錯覚)は超越され、実在(リアリティ)が知られる。
直観の光の中で、人間は世界を再建し、神の道をたどるだろう。彼らの前に歩み、神の息子として自己を完成された方たちすべての足跡に従う。わたしたちがあなた方の間に住み、そして働くとき、わたしたちの仕事は、マインドのこの高度な能力を可能なところすべてにおいて刺激し、あなた方を導いて神の道の上を前進させることである。
今でさえ、知覚の扉は開かれつつあり、多くの者が直観的真理を自分が持つことを発見している。魂との整列が回路を開き、多大なる光が降る。人類種族にとって最大の危急のときに、実在(リアリティ)をより明瞭に知覚することが可能となる。これは将来への吉兆である。直観が開くにつれて、もっともらしく合理化するマインド(識心)の分離的傾向は減じ、すべての関係にとって恩恵あるより健全な風潮が生まれる。
前方に横たわる仕事は明確である。魂の窓を開き、魂の光があなた方の生活を輝かせるようにしなさい。覚醒した直観を通して、魂の知識と目的が表明されるようにしなさい。慈悲の意味を知り、その愛を広範囲に広めなさい。魂の叡知ですべてのイリュージョン(錯覚)を消散して、兄弟同胞のために光となりなさい。これが光の道を歩む者すべての務めである。直観を目覚めさせ、大計画をはっきりと見なさい。直観を目覚めさせ、闇を破りなさい。直観を目覚めさせ、すべての恐怖を振り捨てなさい。〔*〕マナス=マナスはメンタル界、ブッディは霊的直観、魂の界に属する。