チャールズ・アイゼンシュタインが語る(第1部)

新しい物語と相互のつながり──政治的な行為
フェリシティ・エリオットによるインタビュー

チャールズ・アイゼンシュタイン氏の活動は、シェア・インターナショナル誌の読者にとってなじみ深いかもしれない。私たちは彼の記事をたくさん掲載してきたからである(*)。アイゼンシュタイン氏の最新刊『気候──新しい物語(Climate: A New Story)』は2018年9月に発行された。この書名でさえ、最近の思潮に挑戦を突きつけるものであり、解決策を見つけようとする際には視野を広げ、より大きな全体像を見る必要があるということを示唆している。フェリシティ・エリオットがスカイプを通して本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):チャールズ、あなたは最近、新しい本を出版されました。その書名は『気候──新しい物語』です。それについて何かおっしゃっていただけますか。
チャールズ・アイゼンシュタイン:その本が何についてのものなのかを描写するときはいつも、一瞬ためらってしまいます。その問題はすでに徹底的に研究されており、人々がその書名を聞くと、私が言おうとしていることを知っていると考えがちだからです。しかし、私が述べていることは多くの読者にとってなじみのないものでしょう。私は気候問題への取り組み方に関して大きなパラダイムシフト(枠組みの移行)を呼びかけているからです。このように問いかけてさえいます。気候は、世界で広がっている生態系の危機を脱する適切な枠組みになっているだろうか、と。
私の本は、生きている惑星という見方を進展させています。これは気候についての地質工学的な見方とは対照的なものです。生きた有機体として地球を見なければなりません。そうするとき、その回復力と活力を維持するために最も重要なことは、その諸器官の統合性を保つことです。この生きた存在の諸器官とは何でしょうか。そうですね、それは森林、湿地、土壌、生物多様性、様々な種、あらゆる生態系、食物連鎖の頂点捕食者、魚、クジラ、サンゴ、海草藻場、マングローブ、こうしたあらゆるものです。私が研究で知ったことは──それは直感として始まったのですが、私にとってますます明らかになりました──炭素排出量を一夜にしてゼロまで削減したとしても、生きた存在のこうした生きている部分を劣化させ続けるならば、生物圏は手に負えない状況に陥ったままだろうということです。生き生きとした統合性を保っているシステムを劣化させ続けるならば、気候の乱れを経験することになるでしょう。ひょっとしたら地球温暖化ではなく、地球寒冷化かもしれません。あるいは、平均気温が比較的安定していても、温度と降水量の恐ろしい変動が覆い隠されている場合もあります。それは気候のカオス(混沌)へとつながる可能性があります。

SI: それはすでに起こっているのではないでしょうか。
アイゼンシュタイン:確かにそのように見えます。この夏は、各地で記録的な高温となる一方、記録的な低温にもなりました。南半球では、記録的な低温になりました。気候変動の懐疑論者や否定論者はこうした低温地帯を特定します。例えば、アフリカ沖の異常な低温やグリーンランドの氷雪の増加に着目します。彼らはこう言います。「ご覧なさい、真実を隠そうとする陰謀があるのです。地球は温暖化しているのではなく、実際に寒冷化しています」と。そうすると、反対派は気温の上昇を強調し、気温の低下を無視します。
ところが、私はこう考えます。「皆さんは間違った議論をしていますよ。この議論が人間による熱帯雨林の破壊の継続を覆い隠している限り、どちらが正しいかは問題ではありません。私が出しゃばっているとすればすみませんが、この議論が続いている間も、熱帯雨林の広大な領域が破壊されているのです。この議論が続いている間も、ボルネオの熱帯雨林がほとんど完全に破壊されています。現在の気候モデルは、気候に対する生活の影響を過小評価するか、無視するか、あるいは説明することができません」
この本の主眼は、生きている惑星という見方にあります。この見方によれば、一定の実践や政策が本当に重要になります。第一の優先事項は、まだ残っているあらゆる原生林と、損傷を受けていない他のあらゆる生態系を保護することです。これらは地球の活力を貯蔵している貴重なものだからです。これは、地球に対するとても精妙で神秘的な機能を果たしている水循環の維持と生物多様性の保持に関して科学が説明できることを超越しています。例えば、道路によって寸断されたり割り込まれたりしなければ大陸全体に及ぶこともある広大な菌糸ネットワーク(**)については、私たちはやっと理解し始めているにすぎません。神経系と内分泌系が人体をまとまりのあるものにしているのと同様に、この広大な通信ネットワークは地球を一つに結びつけているのです。ですから、まだ残っているあらゆる手つかずの生態系を保護し保存する必要があります。第二に、損傷した生態系、特に農地を修復し再生させる必要があります。再生農業の範疇に分類される一連の実践があります。
「有機的」や「有機農業」という語の本来の意味を思い起こしたいと思います。なぜ有機と呼ばれるのでしょうか。化学では有機というのは炭素──炭素含有化合物──を意味します。それでは、炭素とは何でしょうか。炭素は土壌を生きた存在にするものです。土壌中のすべての生きた有機分子は炭素を基礎としています。化学肥料を用いた単一栽培で荒廃した農地を生き返らせたければ、土壌に焦点を当てる必要があります。あらゆる種類の持続型農業の実践、再生放牧の手法、アグロフォレストリー(樹間での家畜飼育)の実践があり、世界各地の先駆者によって開発されつつあります。それらはしばしば、伝統的な農法に由来します。こうした手法は常に土壌を気遣います。これが、原生林の保存に密接に関連している第二の優先事項です。

SI:あなたのお話を聞いているとき、他の支配的な構造についてずっと考えていました──政治、経済システムや、物の見方、価値体系といったものです。それらは地球や気候、生態系に非常に否定的な影響を及ぼします。利益という動機が多くの環境破壊を押し進めます。地球を回復させ救うために必要とされる緊急のシフトを達成するために、まるですべての構造が、あらゆるものが、すべて同時に変わらなければならないように見えます。
アイゼンシュタイン:全くそのとおりです。まさしく、すべてが同時に変わる必要があります。
あなたは経済と政治に言及されました。システムのすべてが資源の剥奪、自然界の採取や搾取を中心にして築かれています。非物質的なレベルでもそうであり、自分の外にある物質を単なる一般的な陽子や中性子、電子の集まりと見なします。
私は環境危機を一種のイニシエーション(参入儀式)と見なしたいと思います──人類とその他の生命との完全に異なった関係への参入です。私たちがいま話題にしているのは現代の文明化した人類の場合だと述べることにより、それを限定したいと思います。これは歴史的に見て人類にとって新しいことではありません。地球との非常に古い関係があるからです。

SI:現在の支配的な文明の土台にある疎外と分離についてあなたはよく認識しておられるということを、私はあなたの活動から知っておりますし、それは私たちの見方でもあります。
アイゼンシュタイン:そうした疎外の一つの様相は、物質と他のすべての生命を完全な存在ではないと見なすことです。自己の特質がなく、意識、知性がなく、完成へ向かって動こうとする欲求や目的や運命がないものと見なします。そうするともちろん、私たち自身のデザインや知性、目的をそれに押しつけたくなります。ですから、それは私たちのためにだけ存在することになります。そのような世界の物語がシステムの大半の、とりわけ経済システムの根底にあります。意識を変化させ、他の生命を劣化させるような生き方をしたくないと思っても、そうすることを経済システムがほとんど強いているのです。
それについて本書では一章を設けています。このことを扱っている『聖なる経済学(Sacred Economics)』という本も書きました。この本はおおむね、「もし貨幣システムや経済システムがすべてのいのちへの共創的な奉仕に沿ったものであるならば、それはどのようなものになるだろうか」と問いかけています。
ここで本当に、一つの種としても個人としても、私たちの目的が問われることになります。気候危機によって、私たちはなぜここにいるのか、という質問をすることを余儀なくされます。分離の物語、私たちがその中で生きてきた神話によると、あるレベルでは、ただ生き延びるためにここにいるのだということになります。つまり、遺伝子によって、生殖の自己利益を最大化するようにプログラムされている、などというのです。それは時代遅れの生物学ですが、その考えはいまだに出回っています。私たちがここにいるのは創造の主や達人になるため、自然界を超越するため、自然の力を利用するためだ、とも言われました。たぶんそれは、特定の発達段階にあっては、手引きとなる目的であったかもしれませんが、ほとんどの人の心にはもはや響きません。ですから、こう自問しなければなりません。「私たちの目的とは何か。そして、私たちはどのような世界に属したいのか」と。

SI:人々がよく「エアクォーツ」で「スピリチュアル(霊的)」という言葉を使うことに気づいておりましたか。まるで恥ずかしがっているかのように、あるいは、まるでスピリチュアリティー──物質的でないもの──を主張するのを皮肉な考え方が許そうとしないかのように。
アイゼンシュタイン:私も時々そうします。その理由は、二つの領域へのリアリティ(実在)の分離がそれ自体、問題の一部であると考えるからです。

SI:これを、連続したつながり──一つの状態から別の状態へと移行するもの──と見なすことはできないでしょうか。
アイゼンシュタイン:私たちは「スピリチュアル」という言葉を再生させることができると思います。問題は、その使い方によっては物質を低く評価することがあるということです。この言葉の有益な使い方は、定性的な領域──つまり、測定することができないもの──という観点からそれを見ることです。それによって、それは科学と区別されます。なぜなら科学は根本的に、測定することができるものに関する研究だからです。すべてのものが測定され得る──数値と一致する──という考えは、科学の根本的なイデオロギー(信念体系)の一つです。それは推論に基づいた証明不可能なイデオロギーです。その上、私たちは測定する能力を大幅に拡大させました。脳の電気化学的な状態を微細に測定することができるなら、愛を定義することさえできるはずだと考えてしまうでしょう。
私たちはまた、環境衛生をデータセットに置き換えようとしています。そうするための最も単純な方法は、今日の環境論考を支配するようになったものです──つまり、二酸化炭素レベルと気温のことです。私の考えでは、これは乱暴な単純化であり、地球の健康状態を示すあまりに多くのものが除外されてしまうため、この測定基準を低下させることを追求するという危険を冒してしまいます。言い換えれば、この測定基準によって健康を定義する一方で、測定の仕方を知らない、測定する手間をかけない、あるいは測定することのできない他のあらゆる健康の側面を無視しています。したがって、測定することのできないあらゆるものが除外されます。しかし、こうしたものこそ、戻ってきては私たちに付きまとうものなのです。例えば、「ああ、実際にクジラは大洋の健康にとって重要だ」と認識します。重要でないように見えるこうしたあらゆるものです。……しかし、私たちは今や、このようにして生命は機能しているのだということを理解し始めています──あらゆるものが他のあらゆるものと結びついており、それをデータセットへと単純化することは困難です。
したがって、データに基づいていることを誇りにする政策機構があれば、結局は非常に多くのものを除外してしまうでしょう。とりわけ、科学と測定を超越した、知るための他の方法に由来する知恵を除外してしまうでしょう。この中には、知るためのいわゆるスピリチュアルな方法だけでなく、あらゆる身近な知恵も含まれます。何世代にもわたって土地に慣れ親しんで働いてきた人々は、科学的な理解と一致することもあれば一致しないこともある理解を携えています。こうした知るための他の方法を集合的な意思決定に持ち込む必要があると思います。

SI:あなたが『民衆の新しい物語(A new story of the people)』で言われた次のことについて説明してくださるようお願いします。「相互のつながりや相互の存在についての理解から来るあらゆる行為は、霊的な行為でもあり政治的な行為でもある。異なった物語に基づいて行動することにより、私たちの神話の心理的な下部構造を分断させ、代替手段を提供することになる。これは極めて実際的なことであり、古い物語に当てはまらない経験を誰かに提供するとき、その古い物語を弱体化させることになる」
アイゼンシュタイン:世界を破壊するマシン(機械)の土台がいかに深く根差しているかを認識するとき、政治的な行為と見なされるものの領域を広げることになります。ただ単に賢い人たちが集まってより良いシステムを発明するという問題であれば、こうした深いレベルの変化を起こす必要はないでしょう。しかし、基本的な人生経験と世界観が、世界を破壊するマシンを支える物語の一部であることを理解するとき、世界での経験や人生経験、すべてのものの基礎となる基本的な物語や意味、知覚のレベルで行動するように求められます。
物事を変えようとするシステムのレベルの活動に従事すべきではないと言っているのではありません。……しかし、ホリスティック(全体的)な見方をするとき、私たちは次のことを理解します。つまり、社会の最も脆弱な人々への対処の仕方は、地上で最も脆弱な存在への対処の仕方の本質的部分だということです。誰かを退け、「除け者」にし、食い物にする基本的な精神構造は人間や他の存在に当てはまる、ということを私たちは理解しています。そうすれば、社会運動や環境運動を統合させることができます。そして、それらが同じ移行の一部だということを悟ります。この態度を個人的なレベルに、人間関係に広げることができます。例えば、もし私が、世界を救おうとする運動において家族を無視するなら、何らかの大きな抽象的理想のために心(ハート)が呼びかけることを無視する領域を強化する世界を創造していることになります。さらに、ある場所で起こるどんな変化でも、同じ変化がどこかでもっと起こり易いようにする変化の場を創造するという形態共鳴の原因を受け入れるなら……。

SI:あなたはルパート・シェルドレイクの仕事のことをおっしゃっているのですね。
アイゼンシュタイン:はい。したがって、どんな親切な行為でも、親切さの場を生み出すことになります。つまり、古い物語、分離の物語について話すとき、その一部は次のような人生経験と精神構造になります。「誰もが自分のことしか考えていないので、私は自分自身の安全、自分自身の力、世の中に対する自分自身の支配力を最大化すべきだろう。ここは友好的な世界ではないから。ここは敵意に満ちた世界、よくても、無関心な世界である。すべての人が分離していて、それぞれの人が自分のためにそこにいる」。その精神構造を、例えば、移民や地政学、あるいは戦争に当てはめるとき、何が起こるかを考えてみてください。すぐさま人々をドローンで撮影し、彼らの国から資源を奪い、彼らがそこにそれ以上住むことができなくなって移住したいと思うようになると、壁を建設し、彼らを阻止しようとします。すべてのことが、この分離という基本的な知覚から生じています。ですから、私たちはその古い物語から逸脱した歩みを進めていくことができます。あらゆる交流において、その物語に逆行する経験を人々に提供することができます──そうした経験によると、ここは敵意に満ちた宇宙ではないということになります。すべての人が自分のためにこの宇宙にいるというのは真実ではないのです。そうした経験によると、「私たちはここに一緒にいて」、宇宙は愛と寛容に基づいて動いています。私はここで自分自身のことを語りたいと思います。寛容さや無条件の愛を目撃したり体験したりするときはいつも、私は寛いだ気持ちになり、同じことをしたくなります。そして、もし十分に多くの人がそのようにするなら、分離のあらゆるシステムの土台が崩れ始めます。

(*) シェア・インターナショナル誌2015年8月号、2014年3月号、2016年12月号参照。

(**) 菌類のネットワーク──樹木を含むあらゆる大きさと種類の植物が意思を疎通させ、栄養素を獲得し分配するための連結した構造だと考えられる。より詳しい情報については、charleseisenstein.orgをご覧ください。