編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

ちぐはぐな人

編集長殿
2003年7月19日に、私は駅へ行ってシュテルン誌を買いました。手に雑誌を持って家に帰る途中、若い男性に出会いました。彼は着古して擦り切れた服を着て、バックパックの他にとても大きな古新聞の束を新聞紙1枚で包んだものを持っていて、束の端が見えていました。彼とすれ違った時、彼は歩道に置いたバックパックの上にただ座っているだけでした。彼のセーターの大きな穴から肩が見えていました。私が物乞いにお金を渡すことは、めったにありません。彼はお金を求めてきませんでしたが、小銭が少しだけ残っていたので、2ユーロを取り出して彼に差し出しました。彼はとても優しく微笑んで「いいえ、結構です」と言いました。少し気恥ずかしくなり、私はお金を戻してゆっくりと立ち去りました。後になって考えると、彼には『マイトレーヤの手』を渡せばよかったと思いました。私にとって最も驚かされたことは、ハンサムな若い顔に優しい笑顔を浮かべながら、ボロボロの外見でお金を断ったことで、それが私の頭の中ではしっくりしないのです。彼は特別な方でしたか。
メヒティルト・ヴィーンケルドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

再登場

編集長殿
2003年6月2日月曜日、知人と私はドイツのミュンスターシュヴァルツァッハにある修道院へ車で向かっていました。私たちはカッセル東サービスエリアのガソリンスタンドに立ち寄りました。午後3時30分頃ドライブを再開しようとした時、年配の女性が私たちの車に近づいてきました。その女性は簡素な服装で、それぞれの手にビニール袋を持っていました。彼女は私たちに、そこまでは誰かと一緒にやって来て、300kmドライブしてきた後で、その人からこれ以上連れていけないと言われたと言いました。それで彼女は私たちがカッセルまで彼女を連れていけるかどうか尋ねてきたのです。知人と私は一瞬ためらいましたが、断りました。私たちは後になって、すでにカッセルを通り過ぎていて、サービスエリアにいた人は誰も、Uターンしなければカッセルに行けなかったことがわかりました。その女性の頼みを断った後、彼女は1ユーロをもしかしてもらえないかと尋ねてきました。知人がいくらかお金を渡すと、その女性は喜んで、「ありがとう、マリア、これで少し食べ物が買えるわ」と言いました。彼女の悲惨な状態にもかかわらず、幸福そうで満足しているようでした。もし知人が以前にも、この同じサービスエリアで起きた、よく似た女性との同じような出会いをしていなかったなら、私がこの出来事についてそれ以上考えることはなかったでしょう。ベンジャミン・クレーム氏は、過去にこのサービスエリアで知人に近づいてきた女性が、マイトレーヤであったと確認されました。私は今そのことについて考えずにはいられず、その年配の女性が同様にマイトレーヤであり得るのではないかと考え続けています。あの時のことが忘れられないので、あなたからのお返事をいただければ幸いです。
アンネッテ・ローペルドイツ、シェーンキルヒェン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】