動物王国のために

マクネア・エザードによるマーク・ベコフ氏へのインタビュー

 マーク・ベコフ哲学博士はコロラド大学の生態学および進化生物学の名誉教授である。彼はジェーン・グドール氏と共に、「動物の倫理的扱いのための動物行動学者」を共同で設立した。彼はまた、グドール氏の国際的なプログラム「ルーツ&シューツ」の特使でもあり、そこで学生、高齢者、受刑者と共に活動している。彼の研究や関心の分野は、人と動物の関係学、動物保護、行動生態学、動物の行動と感情、人道的自然保全を中心としていた。ベコフ氏は30冊の著書を著した。その中には、『動物マニフェスト──共感の範囲を広げる六つの理由(The Animal Manifesto: six reasons for expanding our compassion footprint)』および『動物たちの感情側面の生活── 一流の科学者が動物の喜びや悲しみ、共感、そして動物が大事である理由を探究する(The Emotional Lives of Animals: a leading scientist explores animal joy, sorrow, and empathy-and why they matter)』などがある。マクネア・エザードが本誌のために彼にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): 動物の意識と感情の研究へのあなたの関心は、どのようにして始まったのですか。
マーク・ベコフ: 私は2歳くらいのときから動物の感情と意識に関心を持っていました。母はとても思いやり深く、親身な性格でした。父はとても気さくで、前向きな考え方をしていました。こうしたことが私に大きな影響を与えました。私の家族は、私が小さいときに近所の動物によく話しかけていたと言っています。私は動物がどのように感じ、考えるかを気に掛けていました。

SI:動物の感情の分野は認知行動学と呼ばれる広範囲な科学的専門分野に分類されますが、それはどのようなものでしょうか。
ベコフ:私は認知行動学を動物の心のアイディアと定義します。それは、動物が活発な心を持っていて、動物の中で何かが起こっているという仮定に基づいています。認知行動学は、異なった状況に直面したときに動物が考えていることや感じていることに細心の注意を払います。認知行動学の分野は急速に拡大しています。多くの比較研究が進行中です。それは、ヒトではない膨大な数の多様な動物が非常に活発で豊かな心と感情を持っていることを明確に示しています。

SI:あなたは動物の意識をどのように定義しますか。
ベコフ:それは私たちが人間の意識を定義する場合と全く同じ方法によります。単純な定義は、動物は起こっていることを知覚し、熟考するというものです。次に動物は、特定の状況で何をするかについて決定を行います。ヒトではない多くの動物は起こっていることを見ることができ、その状況で何が行うべき最良な選択であるかを決定します。行動の柔軟性が意識の良い指標です。

SI: ヒトではない動物の異なった種の間で、意識の現れ方は違いますか。
ベコフ:答えは意識の定義方法によって異なります。生物学的、動物行動学的な視点からは、それは状況を評価し、何が行うべき最良の行動であるかを判断する能力です。生物学的に言えば、行うべき最も適応性のあることは何かということです。ですから答えはいいえであり、現れ方が違うとは思いません。動物としてのヒトを含む異なった動物が多様な状況に適用するやり方は違っており、その理由は、感覚能力と運動能力が異なるからです。しかし、それを一般的な方法で見ると、与えられた状況下で何をすべきか最良な選択を行う能力は、多くの種に共通する意識の表現なのです。

SI:あなたはシアトル・タイムズの記事で、多くの動物が善悪の区別をすることができると書かれました。動物王国での意識は、私たちが物事の道徳観と呼ぶようなものに反映されているのでしょうか。
べコフ:はい、それは多くの種に見られる遊びの行動の例に反映されています。動物の遊びを観察していますと、遊びが攻撃にエスカレートすることは滅多にありません。動物たちは互いに評価し合っています。動物たちは遊びで一定のルールに合意しており、一定のルールに従います。彼らは別の個体がしていることを評価します。
 私はそれを『走りながらの微調整』と呼んでおり、もし私とあなたが遊んでいて私たちが犬であったとしたら、私が何かをすると、次の瞬間にこう言います。「何ということだ。彼はどうしているのだろうか。彼は起こっていることに満足しているのだろうか。私は行動を変える必要があるのだろうか。彼を強く叩き過ぎたのだろうか。彼を強く噛み過ぎたのだろうか」。食べ物を分け合ったり、困っている個体を助けたりするなど、このようなすべての道徳的、倫理的な判断を動物に見ることできます。長い間、このことはあまり注目されていませんでした。あり得ないこととして除外されていました。このような分かち合いと正義のルールが存在し、幅広い種がこうした特質を持つことを示す研究が増加していることに私は励まされています。

SI:動物の意識は、動物が魂を持つことを意味しますか。
ベコフ:私はその問題を深く研究したわけではありませんが、動物としてのヒトが魂を持っているとしたら、ヒトではない動物が魂を持たないと考える理由はありません。多くの議論が異なった宗教的、神学的な立場から来ています。それを熟考することは興味深いです。私はそれを行う能力や知識を持っていません。魂を持っているとはどういうことでしょうか。もしマーク・ベコフが魂を持っているのなら、犬や他の動物が魂を持たないと考える理由はありません。

SI:最も意識的で最も知的な動物は何でしょうか。
ベコフ:私はそのようには考えません。動物は、それが属する種の『会員証を持つメンバー』となるためにする必要のあることをしなければなりません。生物学的な観点から知性の違いを話すことは、あまり意味があるとは思いません。例えばねずみは、ヒトではない霊長類ができない多くのことをすることができます。ねずみはゴリラが持たない一定の嗅覚能力を持っています。ねずみはゴリラにはできない問題や迷路を解決することができますが、ねずみはゴリラよりも頭が良いと言う人はいないでしょう。
 さて、もしゴリラやチンパンジーや犬が、ねずみができない何かをする場合、犬やこのような他の動物がねずみよりも頭が良いと言うことをためらう人はほとんどいません。生物学的な観点からは、個体が生き残り繁栄するために何をする必要があるのかを見る必要があります。私は犬に関する研究をしているために、「犬は猫よりも頭が良いでしょうか」という質問をよく受けます。それは重要な質問ではありません。猫は一定のことをします。犬は一定のことをします。もし彼らが生き残り繁栄することができれば、そのことが、種のメンバーとして彼らがそれをどのように上手く行えるかについてのリトマス試験となります。
 種の中でも違いはあります。ある動物は一定の作業についてより上手く学びます。また、種の中で複数の知性を見ることができます。例えば、社会的知性を持つ犬がいれば、路上を生き抜く知性を持つ犬もいます。ある犬は他の犬よりも一定の問題を上手に解決できますが、一方がもう一方よりも必ずしも頭が良いとは私は言いません。彼らは違った種類の知性を持っているのです。私の犬たちの多くは非常に賢かったのですが、路上で自力で生きることができたのは、その中の2、3頭だけでした。

SI:人間には一定の非言語のコミュニケーション手段が知られており、ある人はそれをテレパシーもしくはESPと呼びます。それは動物王国にも存在するのでしょうか。
ベコフ:様々な種の観察に無数の時間を費やして私が学んだことは、ヒトとしての私は動物と同じ感覚能力を共有していないことです。私は、犬や他の動物が持つ嗅覚能力や聴覚能力を持っていません。特定の動物に見えるものが見えません。紫外線や超音波、可聴下音の領域を使ってコミュニケーションをしません。最も単純な定義は、動物たちは私たちが持たない異なった感覚能力、感覚器官を使いながら互いにコミュニケーションをしているというものです。「うちの犬や猫やある種の野生動物はテレパシー的です」といったストーリーを頻繁に聞きます。私は科学者として扉を開いたままにし、「そうですか。私は知りません」と言うだけです。

SI:動物は、人間に見られるような同じ種類の感情を持っていますか。
ベコフ:私たち人間は、喜び、悲しみ、困惑、不幸と幸福などの同じ感情を持っていますが、それらを違ったやり方で表現します。あなたの喜びが私の喜びと同じものかどうか、あなたの悲しみが私の悲しみと同じものかどうか私には分かりませんが、私はそれを持っているがあなたはそれを持っていないと言うことは間違いでしょう。
 ヒトではない多くの動物の間で様々な感情の違いが見られますが、動物の個体間でも違いがあるでしょう。犬や猫やねずみやシャチは私たちと同じようには感じないと言う人がいたら、私はこう言います。「第一に、私たちはそれを知りません。第二に、それは実際には問題ではありません。というのは、特定の状況で私はあなたと同じように感じないかもしれないからです。私たちは、悲しみや喜びや嫉妬を違ったやり方で表現するかもしれません」

SI:2012年にケンブリッジ大学で科学者の会議があり、「意識に関するケンブリッジ宣言」という文書が公開されました。この文書は、意識の能力において人間はユニーク(独特)ではないと結論づけました。それはまた、動物王国にも拡大できるものです。科学者たちの結論は、非科学分野の人々にとって驚きであったとあなたは思われますか。
ベコフ:いいえ。意識に関するケンブリッジ宣言は長年の懸案でした。当時私は、ヒトではない動物の扱い方にこの宣言は影響を及ぼすだろうと期待していました。そこでは16人の著名な科学者が発表され、ケンブリッジ宣言に署名しましたが、それまでにヒトではない動物の行動の研究をしたことがある科学者はその中の2、3人だけでした。それに関して大きな課題のリストがありました。スティーブン・ホーキング氏がその中にいました。それは大きなニュースとなりました。全体的には、それは大きな失望でした。宣言そのものは、研究や食用や娯楽や狩猟のために使用されている動物の福利に対して、ほとんど影響を及ぼしませんでした。私たちの他の動物との関わり合い方に関して、大きな影響はありませんでした。

SI:そのことは、新型コロナウイルスに関する問題を提起します。このウイルスはコウモリから発生し、中間の動物を通して人間に伝播されたと考えられています。この種の疾病伝播は、人間と動物王国の間の間違った関係を示しているのでしょうか。
ベコフ:私はこの件に関して多くのインタビューに応じましたが、私は専門家ではありません。しかし、中国の賑やかな市場や他の場所などで他の動物と関わり合う中で、ウイルスがヒト以外のある種の動物から動物としてのヒトに伝播されたことは間違いありません。
 必ずしもベジタリアンやヴィーガン(完全菜食主義者)ではない多くの人々が食事メニューを変える決断をしたのは、その関係が不明瞭だからです。こうしたヒトではない動物たちの扱われ方、彼らが消費され、処理され、接触される方法はこの恐ろしいウイルスの永続化にとって重要であると、私たちが知っていることが示していると私は考えます。

SI:動物王国との関わり合い方について、あなたは未来に希望を持っていますか。
ベコフ:私は希望を持っていますが、長い時間が必要でしょう。多くの人がこの大流行の中でストレスを感じ、大いに苦しんでいます。ヒトではない動物への態度を変えるように頼むことは難しいです。頼むこと自体は簡単ですが、何かをさせることは難しいのです。私たちは改善するために変化する必要があり、さもなければ破滅に向かう運命にあります。他の動物を殺し、消費し、彼らの家を盗むことを続けながら、地球がある種の生態学的なバランスを保つと考えることはできません。

SI:長年の間、私たちは罰を受けずにそのようなことを行いました。私たちは危機の淵にあります。
ベコフ:はい、私たちは淵にあります。多くの人が苦しんでおり、それは、ある種の満足できる人生を送っている人々より遙かに多いのです。私たちは変化する必要がありますが、同時に私は希望を持っています。私は見知らぬ人と多くの電子メールのやり取りや議論をしました。例えば、動物と人間の関係や新型コロナウイルスの伝播などについてです。おそらく明るい側面の一つは、人々が態度を変え、ヒトではない動物の利益にもなるようにするだろうということです。

SI: あなたの著書『動物マニフェスト』についてお話しいただけますか。
ベコフ:この本は、動物が自分たちの生活をより良いものにするために人間に何を求めているのだろうかという視点から書かれました。私は、炭素フットプリントに相当するような共感フットプリントと呼ぶアイディアを提示しています。誰でも自分の共感フットプリントを増加させ、ヒト以外の動物の扱い方を改善する能力があることを議論しています。人間が支配する世界で、彼らが何であり、何を必要としているかを尊重する必要があります。動物を害し、殺すことをやめるのです。彼らもまた、この世界に属しているのです。

SI:動物の意識と感情を理解するために活動するあなたの人生が、この惑星においてあなたとあなたの人生観にどのように影響を与えたのかをお話しいただけますか。
ベコフ:アリから蜂、犬、猫、鯨、象、ペンギンに至るまで、野生で興味を持ったあらゆる動物を見るとき、私はいつも動物の足下に踏み込もうとします。動物の心やハートに踏み込もうとし、動物が人間に対して実際に望んでいることを見つけようとします。近しい距離感は、動物が求め必要としているものや、ますます人間が支配する世界で動物の生活を改善するために私や他の人間ができることを知ろうとする動機を私に与えてくれます。
 私たちは「人新世」と呼ばれる時代に生きています。人々はそれを「人間の時代」と呼びます。私はそれを「非人間性の猛威」と呼びます。この惑星を人間が支配しているという意味での人間の時代です。一歩下がり、私たちがこの惑星に及ぼしている信じ難い破壊を見るとき、動物が良い生活を送るために必要なことにもっと注意を払い、ヒトではない多くの動物が平和で安全に暮らし繁栄するために同じことが必要であると認識する人が増えていけば素晴らしいなと、私は感じます。

SI:なぜ人類は、動物王国や自然世界との関係で、正しい管理、より一層の共感、より一層の理解を体現するアプローチではなく、支配のアプローチを採用したのだとあなたは思われますか。
ベコフ:一番目の理由は、私たちにはできるからです。私たちにはその能力がありました。多くのアプローチが、人間だけが神の姿に似せてつくられ、そのため人間には他の個体の生命を支配する権利があると述べる様々な宗教の伝統の影響を受けています。人間に他の動物への支配権が与えられたとき、支配権は共存や保護管理とは反対である支配として再定義されました。私より読書や研究の経験が深く、支配権は支配を意味するものではないと主張する多くの人々がいます。それは、ヒトではない動物が人間と共に平和に生きる権利を持つことを理解しつつ、平和的な共存を意味するものでした。私たちは、このような平和的な関係を発展させ維持するためにできることを行う義務を負っているのです。それは支配の問題ではなく、保護管理の問題です。