「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように!」ーマイトレーヤ

論説

シェア・インターナショナル誌のことをよく知っている人々は、マイトレーヤと他の覚者方が長年にわたり、「ファミリア」として、あるいは自分自身として、様々な姿で世界中の協働者たちに現れてきたことをご存じだろう。以下に掲載されている抜粋は、そのような訪問によるものである。ベンジャミン・クレームの師はのちに、その訪問者がマイトレーヤであることを確認した。

 こうした抜粋は、マイトレーヤが 2003年にシェア・インターナショナルの協働者たちのグループに語ったことを言葉どおり記した重要な記録である(全文についてはシェア・インターナショナル誌2004年2月号を参照)。彼は3週間前にもシェア・ネザーランドのインフォメーションセンターを訪れており、マイトレーヤのファミリアであると確認されていたので、私たちは彼が誰であるかを知っていた。これといった特徴もないかのようにその会話は始まったが、私たち全員が息をひそめて、彼の訪問による非日常的な感覚を共有していた。

2003年11月15日、9人がアムステルダムのインフォメーションセンターで働いていた。……

マイトレーヤ:さて、こうしたグループには、「いつ出てこられるのか?」「どのくらい待ち続けなくてはいけないのか?」「なぜこんなに時間がかかるのか?」といつも尋ねてばかりいる人がいるものです。……しかし、なぜこうした問いを発するのでしょう?  本当にはやって来られるとは言えないのです、なぜならここにおられるからです。彼はすでにここにおられるのです。彼らはそれを知らないのですか?  彼に会っていないのですか? 彼はこの世界に臨在している、このことは起こっているのです。おそらく彼らが望んだよりも時間がかかっているかもしれません。私が望んだよりかかっているし、おそらく私たちが期待した方法とは違う形で進行しているのかもしれないし、私が期待してきたものとも違う形ですが、うまくいっています。彼はここにおられる。私はこのことがうまくいっていることにいかなる疑いも持っていません。うまくいくでしょう。うまくいっているのです。わずかな疑いも、いかなるものもありません。多くの人々は彼がここにおられることを知っています、彼らは心の中で直観的に知っているのです。多くの人々はマイトレーヤがここにおられるという情報にオープンなのです。……(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:人々に情報を伝えたり、新聞や雑誌を渡したりすると、このアイディアにオープンになってくれることを、より一層望みます。それを信じてくれることを期待します。

マイトレーヤ:あなたが望むことではないのです。何かを望んだり、欲したりするべきではありません。ただやりなさい、求められたら、ただ情報を伝えなさい。いいですか、私たちは人々を変えるつもりはありません。改宗させるつもりもありません。私たちは伝道師ではない。私たちは求めに応じて語るのです。最も重要なことは、本質においてすべてはここにあるということです。もし、あなたがオープンなら、あなたはただそれを知り、考える必要もありません。あなたがオープンならば話をする必要もないのです。本質においてそれがすべてだとあなたは知っているのです。……

グループ:私たちが無執着であるべきだという意味ですか。

マイトレーヤ:そうです。結果はあなたに関係ありません。ただやること、結果を求めてはいけない。結果を探してもいけない。それは西洋的な態度、マインドの習慣であって、私たちはいつも何か起こさなければならないと考えるのです。私たちは、事を成さなければ、事を起こさなければならないと考えます。しかし、それは不要なのです。……

マイトレーヤ:すべての変化はゆっくりと起こります。大変に漸次的なものです。一体何度、何回の人生を送ったのか考えてみれば、自分でどのようなものか分かるでしょう。一体何度転び、そして再び立ち上がり、転んではまた試みて、転んではまた立ち上がってきたのか。人生の繰り返しです。変化には時間がかかります。

グループ:私はこの惑星の状態が心配です。私たちがこの星を救うのに間に合うのでしょうか。

マイトレーヤ:好きなだけ心配していいのですが、それでは何事も変わりません。心配は助けになりませんが、すべてのことはうまくいくでしょう。私たちが困難な時代に差しかかるのは本当です。私たちは奈落の底の淵まで行くでしょうが、落ちません。なんとか切り抜けて、淵から落ちたりはしません。……すべてのことはうまくいくでしょう。すべてはよくなります。恐れることは何もありません。私は全く疑っていませんよ!(ゴシック体は筆者による強調)

グループ:全く疑っていないのですか?

マイトレーヤ:いかなる疑いもありません。

グループ:あなたは権威をもって話されます。それはあなたの経験によるものですか。

マイトレーヤ:私には他の人より権威があるわけではありません。しかし、それが私の信です!  私は知っているのです。人々は希望について話しますが、信じているなら希望は必要ありません。

私たちは黙って坐り、彼の言葉が続くのを待っていました。彼もまた沈黙し、そしてこう言いました。「マイトレーヤがいかに強力であるかを忘れないように。人々はマイトレーヤがどんなに強力な方かを忘れるのです!」……(ゴシック体は筆者による強調)
 彼が残したものは疑いもなく「彼はここにおられる」ことと「すべては良くなるだろう」ということでした。この訪問者がマイトレーヤだと考えるのは正しいですか。

月刊誌チーム
オランダ、アムステルダム、インフォメーションセンター

【ベンジャミン・クレームの師は、その『訪問者』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

 今、2022年の始まりにあたり、世界中の多くの人々は、世界が「奈落の底」の淵に近づいたことを恐れるのも尤もだと言うだろう。なぜこんなことが起こってしまったのかと問わずにいられない人々もいる──私たちが今、奈落の底の周辺にいることは本当だと考えて。マイトレーヤが「私たちは落ちません」と保証された2003年からほぼ20年がたった──ただし、マイトレーヤは「困難な時代に差しかかる」と確かに主張された。何が起こったのだろうか。また、私たちは当時、現在の状況と関係しているかもしれない何を許してしまったのか。
 ここ2年間が困難であったことから、多くの人々が将来について心配している。私たちは短期的な傾向についての判断に基づいて、進歩したとか、見かけ上は進歩していないと考えがちである。覚者方は一過性のもの──圧倒的なように思えることもある変動する日々の出来事──に基づいて判断することを戒めておられる。ベンジャミン・クレームの師はシェア・インターナショナル誌でこう書かれた。「ハイアラキーの任務は、神の大計画を『我らが人類と呼ぶ中心』を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである」(「大計画は進む」より、1992年10月号)
 しかし、すべての「秘教をよく学んでいる人」が知っているように、時間は存在しない。それでも、歴史上のこの瞬間、時間は重要である。多くの賢者たちの声が、衝動的な反応か、人を無能にしてしまう無気力かのどちらかによって、未来──この惑星と私たち自身の未来──を危険にさらしてしまうことについて警告している。(ジミー・カーター元大統領やエルダーズ、ダライ・ラマ、フランシスコ教皇、著述家、エコノミスト、社会評論家の)こうした声や、あらゆる分野の何百万人もの活動家の声がすべて、「今でなければ、いつなのか?!」と一斉に述べ立てている。
 生活のあらゆる分野の二極化は明白である。私たちのほとんどは毎日、あつれきを招くその影響を体験している。しかし知的に理解し対処するなら、この同じ二極化は、私たちが過去の失敗を繰り返すのを防いでくれるだろう──私たちが「通常」として受け入れている優勢な考え方や構造の支配から私たちを解放さえしてくれるだろう。私たちは二極化してお互いに対立している状態から、一つであることを受け入れ、国際社会が合意した制度を通した世界資源の分かち合いを選ぶことへと移行していく必要がある。分断を避けて、共通の利益──万人の利益、いのちそのものの利益──を選択することを目指すことができる。
 人類は極端な二極化に直面しており、選択することを迫られていることを理解する必要がある。その選択をすべき時は今であり、かつてないほど急を要している。私たちの惑星は、そして惑星上のすべてのいのちは、汚染や劣化、病気で苦しんでいる──それは貪欲や商業至上主義、分離主義の副産物である。分かち合い、公正で健全な社会を選ぶことが早ければ早いほど、それだけ速やかに世界の主要な問題──貧困や飢餓、想像し得るあらゆる形の不正義──を解決するために大挙して働くことができる。私たちは地球と自分たち自身の健康を回復する必要がある。
 明らかに、既得権益──軍産複合体、1%の超富裕層、自己満足や無気力と組み合わさった経済的・政治的なファシズム──は、「光に包まれた」未来への集団的な移行にとってのブレーキとなっている。その未来は、私たちが本質的に一つであることを体験することから生まれるだろう。マイトレーヤと覚者方のインスピレーションの下に、いま人類に求められているのは、意志とエネルギーのすべてを奮い起こし、力を結集し、行動を起こし、「いのち」に、私たちの不可侵の権利である「正義」に賛成する立場を一丸となって明確にすることである。
 現在の危機に対する人々の反応が近未来を決定するだろう。しかし、最終的な結果は初めから知られている。私たちが集団的に見て見ぬふりをしてきたあらゆる不正義と、未解決の悪事を前にしての腹立たしさや苦痛、悲哀、義憤を生むあらゆるものをしかと見、認めなければならない。私たちがつくり出し許容している世界の醜悪極まる不正義を認めなければならない。私たちはどのような不正行為を無視したり犯したりしてきたのか。過ちを癒し始めるための「真実和解委員会」をどこで必要としなくなるのか。
 これまでのところ、私たちは時間を無駄にしてきた。世界の指導者たちは大体において、正義を求める市民の要求に耳を傾けていない──それは単に、子供を養うのに十分な食料のあるまっとうな生活と、繁栄していくための居住可能な惑星に対する要求である。マイトレーヤが次のように言っておられたということを本誌の定期購読者はご存じだろう。人類は正しく反応し、彼の助言に耳を傾け、分かち合いの原則が柱となる公正な地球社会を選ぶことをマイトレーヤは知っておられるということを。私たちは変わることができるということを覚者方は知っておられる。正義、自由、愛、美、一体性を選ぶことは私たちの本性に適うことである──私たちの霊的なDNAである。
 事態は急を要している。あらゆることをやらなければならず、一刻の猶予もならない。私たちの本性を主張し、私たちがすべてのいのちと相互につながり合っていることを知るとき、そこにこそ希望がある。「希望は、あらゆるものが内的につながり合っているという認識にあります。自分の生活や自分の日常の活動が、宇宙的な枠組みとつながり合っているという認識です」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1990年)