ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー
ウィリアム・J・ピーターズ氏は、心理的精神的な進化の手段としての終末期、悲しみ、死別を専門とする有資格の心理療法士である。2011年、カリフォルニア州サンタバーバラを拠点に、非営利団体「シェアド・クロッシング・プロジェクト」を設立した。これは、臨死体験と似ている「臨死共有体験(SDE)」の啓蒙活動に取り組む団体である。人が死後の世界へ旅立つときに、その人の最愛の人たちや介護者たちがこうした共有体験をすることになる。この団体は、死と臨死に対する既成概念を変え、SDEがその体験者に与える癒しについて教えることを目指している。また、ピーターズ氏は「シェアド・クロッシング・リサーチ・イニシアチブ」の理事も務めている。『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる』(2022年)の著者であるピーターズ氏が、シェア・インターナショナル誌(以下SI)のためにジェイソン・フランシスによるインタビューに答えた。
SI:臨死共有体験に興味を持たれたきっかけは何ですか。
ウィリアム・J・ピーターズ:私は、成長期に霊的体験と呼ばれるものをいくつも経験しました。最初の臨死体験は、17歳のとき、高速スピードスキーで事故に遭ったときです。その体験は、ある意味深遠なもので、衝撃のあまり私は体から飛び出してしまったのです。
最初は何もかもが暗かったのですが、暗闇に気づいていました。というのも、私には意識があり、自分には闇を見たり感じたりするという面があると気づいたからです。すると突然、光が明るくなり始め、自分が動いていることに気づきました。地球から遠ざかる重力の動きが感じられたのです。スキー場が見え、そして私がいたタホ湖──パリセーズ・オリンピック・スキー・センター ──が見えました。その後、コロラド・ロッキー山脈とサンフランシスコ・ベイエリアが見えたのです。私はすっかり魅了されました。
それから、地球が見えました。すべてが心地よく、荘厳で心を奪われるようでした。そして同時に、私は人生を振り返っていました。自分のこれまでの行動がすべて何らかの形で記録されており、それが重要であることに気づきました。私の行動は波及効果をもたらしていたのです。まさにカルマの体験でした。
また、宇宙の美しさに驚きました。その後、自分がトンネルのようなものに入り込んでいることに気がつきましたが、それでも、宇宙や太陽系を見ることができました。そのとき、遠くで美しく脈打つ光を見て、〔ゴシック:「ああ、私は死ぬんだ」〕と分かり、動揺したのです。死にたくなかったので、憤りを感じていました。私はその光に対して、今世に転生した目的はまだ完了していないのです、と懇願したことを覚えています。
しかし、結局、私は完全に光の中に入り、無上の喜びを終始感じていました。この時、「私は死にたくありません。まだ、この人生ですべきことをしていません。お願いです、生き返らせてください」と神に語りかけていました。懇願していたのです。そして、神は力強く、愛に満ちた光のような存在でした。「力」という言葉だけでは通用しません。それは純粋な知性であり、神性であり、神聖さでした。それは万物の背後にある力でした。
ある時点で、私は光から遠ざかり、地球へと戻り始めたのです。私は、自分の願いが叶ったという感覚を得ました。「ああ、ありがとうございます」と言いました。その光は私に「あなたの人生を活かしなさい」と言いました。その言葉はとても印象的でしたし、実際、今でも忘れられません。私は、はるか太陽系を通り抜け、そこに行くために通ったのと同じ道を戻ってきました。スキー場にある私の体に自分自身を引き戻すエネルギーのライン上にいたのです。
その13年後くらいに、また臨死体験をすることになります。他にも経験がありましたが、この二つが私にとって非常に重要な体験でした。
臨死共有体験の紹介
SI:それらの体験が、どのようにして臨死共有体験の仕事をすることにつながったのでしょうか。
ピーターズ:サンフランシスコでエイズが流行したとき、私はHIVに感染したゲイの男性を支援することが多かったのです。彼らはコミュニティーから、場合によっては医療制度からさえも、ほとんど疎外されていました。そのため、コミュニティーで愛する人たちに囲まれて亡くなるということがよくありました。私は、こうした故人の家族が、死にゆく人たちの旅立ちを手助けするという、素晴らしく壮大で、超自然的な話を聞いていました。彼らは、死の間際にいる人が、あの世で健康で幸せそうにしている姿を見ることができたのです。
ブラッドに関する話を一つ紹介します。彼は私の常連客でした。私はサンフランシスコのテンダーロインという地区でソーシャル・ワーカーをしていたのですが、そこはスキッド・ロウ[多くの貧しい人々が暮らす社会の末端]だったのです。
ブラッドは死の助産師のようなもの──今日では〔ゴシック:死のドゥーラ〕と呼ばれる、[死の間際の]人々が死んでいくのを手助けする人──で、兄弟たちを助けていました。ブラッドは、HIVに感染した男性たちのコミュニティーをよく兄弟と呼んでいました。実際には、儀式的、精神的、心理的感情的に、兄弟の誰かが死んでいくための「場所を確保する」手伝いをしました。
ある日、彼は窮地に陥り、疲れ果ててやってきました。ランディが昨夜死んだと言いました。私はとても残念だと言いました。彼は〔ゴシック:「私もだ、だがその死はとても美しかったんだ」〕と言ったのです。なぜそう思ったのか、彼に教えてほしいと頼みました。彼の説明では、ランディは死の瞬間、自分の体から抜け出して光の筒を上がり、自分を支えてくれた兄弟的なコミュニティーであるこの野営地の真上に止まったということでした。ランディは兄弟たち全員に頭を下げて感謝を述べた後、移動して光の筒を上っていき、姿を消したそうです。
しかし、ランディはより若く見え、とても健康そうで、HIVの兆候もなく、幸せそうだった、とブラッドは言いました。だからブラッドは、彼自身が言うように、ランディがどこかで元気に生きていて、あの世でもうまくやっているのだということをとても強く感じ、知ることができたのだそうです。そして、その経験が私に大きな感動を与えてくれました。
このとき、私は自分の臨死体験について誰にも話していませんでした。ブラッドの体験は、私が最初に臨死体験をした後、そして2回目の臨死体験をする直前に起こりました。ですから、この時点で私は死と臨死にとても魅了されていたのです。
その後、サンフランシスコにある「禅ホスピス・プロジェクト」で働きました。そこは仏教の理念に基づいており、とても先進的な所です。当時も今も、私は仏教の教えを実践しています。ボランティアである私の仕事の多くは、死の間際にいる人のベッドサイドに座ることと、その愛する人たちをサポートすることでした。そこは病院の開放病棟に24床を備えた大規模な入院ホスピスでした。そのため、死の間際にいる人たちと接する機会が多くありました。彼らに必要なものは非常にたくさんありました。この公立病院に入院している人たちのほとんどが生活に困窮しており、社会の片隅で暮らしていて、多くのサポートを受けられなかったためです。他のボランティアと同様、私もホスピス病棟で多くの人と接し、すぐに関係を築くことができました。
2000年のある日の午後、私はロンにジャック・ロンドン著『荒野の叫び声』を読み聞かせていました。ロンは冒険小説が好きだったのです。そして、彼にちょうど読み聞かせているとき、私は体から飛び出して、自分の頭頂部と自分自身をずっと下に見ることができました。私は、ベッドに横たわって何日も意識がなかったロンの頭上にいました。彼がこのように無反応の状態にあるとき、何日も一緒にいたのです。
自分の身体とロンの身体を見下ろしたその瞬間、私は心地よく、安らかな気持ちでいました。そして再び、このように自分をしっかり観察し
目撃しており──意識が肉体から遊離した状態で──、誰ともつながっていないことに気づいていました。そのとき最も印象的だったのは、私が右を向くと、そこにロンがいたことです。彼も体から抜け出していました。大きくて美しい顔をして、目は幸せに輝き、安らいでいました。まるで彼が私をこの空間に招き入れてくれているようでした。私はそこで彼と一緒にいられることをとてもありがたいと感じました。
最初は驚きましたが、そのとき、臨死体験で私自身、体外離脱したことがあったので、以前ここに来たことがあることに気づきました。体験が終わった後、私は自分の体に戻りました。その後すぐに、そのことを上司に相談しました。彼は敬虔な仏教徒であったので私が体験したことはそれ以上追究しないようにと言い、私はそのとおりにしました。しかし、同じような体験を何度もすることになったのです。このようにして、この仕事に心底のめり込んでいったのです。
継続的な探求心
SI:当時、そうした経験が書かれたり、広く知られたりしていましたか。
ピーターズ:その時点では、まだこの臨死共有体験に名前はありませんでした。2009年までなかったのです。そんな時、ある学会でレイモンド・ムーディ博士[医師、精神科医、作家で、死後の世界の体験について先駆的な研究を行っている]に出会いました。ムーディ博士は、臨死体験と非常によく似た「臨死共有体験」について説明したのですが、「体験者」側が死と隣り合わせになることを除いては、臨死体験と同じでした。体験者は、一般には、介護者や故人が愛する人ですが、場合によっては、何らかの医療従事者というただの第三者だったこともあります。私は本当に魅了され、感銘を受けました。
そして、こうした体験についての認識を高めるために、シェアド・クロッシング・プロジェクトの立ち上げに取りかかりました。終末期の神秘的で超越的な体験を知ることで、人々の死と臨死への関わり方を、恐怖や不安から、少なくとも驚嘆と好奇心に変えることができると期待したからです。そして、もしかすると(可能な限り)死と臨死に対して本当に前向きな視点を持つことすらできるかもしれません。
それから、死と臨死に関するありとあらゆるグループやワークショップ、コースを運営するようになり、その中には、臨死共有体験やその他の神秘的な終末期体験についての考察が含まれていました。実際、心理療法士として臨床に携わる中で、様々な終末期体験があることを知りました。なぜなら、私が死と臨死、そしてそれに関連する超自然的な体験について進んで話そうとしていることを知った人々が、私のオフィスに押し寄せるようになったからです。
私は、クライアント(顧客)から、彼らが経験したことについてたくさん学びました。文献調査を行い、このような終末期体験は確認されているものの、文献全体を見ると、様々な名称が使われ、表現が非常にバラバラであることが分かりました。様々な分野で、これらの体験の断片と、それに対するいろいろな解釈が提示されています。しかし、学会や医療関係者のこうした終末期の体験に対する取り組み方には、まとまりがありませんでした。
医療関係者の場合、説明できないから本当は扱いたくないというように、終末期体験を少し横目で見ていました。物事を説明できないとき、それこそが医療関係者における問題なのです。終末期体験は、昔も今も意識は脳の産物であるべきだという彼らの意識に対する考え方にそぐわなかったのです。脳が死ぬと、こういう体験はできないはずです。つまり臨死共有体験は、臨死体験と同じように、人間の死を切り抜けて生き残った意識に関する報告であるため、医学的に受け入れ難いものなのです。それに、医学はそのように考えていません。臨死共有体験に対する見解を裏付けるデータはありませんが、経験上、臨死共有体験は人間の死を超えて意識が存続することです。なぜなら、故人の愛する人が、亡くなった大切な人を別の次元で体験しているからです。彼らはもはや人間界で生きているのではなく、どこか別の場所で生きているのです。
詳細については次のサイトをご覧ください。
www.sharedcrossing.com
ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)