新しい時代の教育――選集

 Education in the New Time──  a compilation

新しい時代の教育というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻、第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 マイトレーヤが世界の前に姿を現すとき、新しい時代の始まりを布告するであろう。来るべき時代に人間は、いま転生している者には夢見ることもできないような高みに上昇するだろう。新しい教えは新しい知識を生み、新しいインスピレーションは新しい啓発を生む。そしてすべてが秩序正しく、順を追って起こるだろう。希望は確かなものとなり、恐怖は信に、無知は智恵に道を譲るだろう。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』──来るべき時──より)

 今日の卑しい物質主義が克服され、この惑星で生きることと、この惑星で生きるために必要なものとのより適切な関係がそれに取って代わるとき、言い換えれば、物質的な観点から見て私たちがもっと簡素に暮らすようになるとき、教育制度は善意を顕示する適切で健全な人間性の発達にとって決定的に重要なものと見られるでしょう。善意は「欠くべからざるもの」として位置づけられるでしょう。私たちが善意を顕示するのが当たり前と思うようになるまで、一時の間、すべての人々が善意に没頭するでしょう。これが起こるとき、現在の教育制度は相対的に不適切であることが分かるでしょう。それは真の「存在」を大切にするものではありません。……
 新しい教育はまさに内的な意識の発達に関係するでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 わたしの覚者たちはいのちの規律(ルール)を、あなたがたに教えるであろう。わたし自身は人類を招くあのより高度の光を、あなたがたに見せるであろう。わたしの教えは二重である。一つは、人間の物質面にかかわることであり、人生の必要事項である。もう一つは、我々が神と呼ぶあの聖なる存在と人間との関係についてである。わたしの言語の中では、これらは同じものである。なぜなら人間同士が正しい関係を築いてこそ、神との正しい関係を築くことができるのであるから。わたしの計画は、これをあなたがたに示し、人が己自身の裡に、分かち合い、愛し、信頼する能力を見いだす時、その瞬間から神へ向かう登り道が始まることを教えることである。

(『いのちの水を運ぶ者』第29信より)

 意識してかしないでか、人間は自分たち自身を追い越して、すべての予想に反して、新しい啓示を受け、新しい光と知識を受ける用意ができた。人生に新しい意味と目的を見いだし、その増大する認識をテクノロジー(科学工業技術)や科学やまったく新しい関係の中に実証する用意ができたのである。理由なくして、「生徒の用意ができたときに師はやって来る」と言われてきたのではない。このことは個人におけると同じく、集団の規模においても真実である。今日、生徒としての人類は、試され、試練を通過した世界の弟子としての人類は、新しい人生に、人類種族への奉仕の人生に入る用意がある。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』──新しい光、新しい理解──より)

 今日の教育のほとんどは、ある意味では、職業教育です。人々は、外的な商業主義社会での生活を送るために、競争という鞭を当てられて装備を整えています。これは変わるでしょう。競争は協調に変わらなければなりません。……
 これが変わると、魂の事実を人々は認識し、覚者方がその模範を示すでしょう。人々は自分たちが魂であることを認識し、魂の方に向きを変えるでしょう。その時、魂のいのちのための教育、そして魂の心理学が、ますます私たちの教育体系の基準になるでしょう。

(『光の勢力は集合する』)

 人間は彼らの人生を支配する精妙な法を学び、理解するだろう──すべての者の運命をコントロールする「カルマまたは原因結果の法則」、それに関連して、魂が物質の中に転生する旅を可能にする「再生誕の法則」、正しい関係を支配する「無害であることの法則」、そしてすべての進化がそれによって進行するところの「偉大なる犠牲の法則」である。
 これらの法の理解を通して、人間は彼らのメントール(良き指導者)に、兄たちに、似るようになり、すべての者が分かち持つ神性を顕示するようになるだろう。賢者たちの教えに耳を傾け、一歩一歩、彼らの生得の権利を受け継ぐだろう。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』──いのちの法と規定──より)

 わたしの兄弟である覚者たちが、あなたがたを彼らの智恵の光の中へ導き、人間の過去の歩みを一望のもとに繰り広げてくれるだろう、そしてあなたがたに、いにしえの法を教え、未来へのあなたがたの歩みを導いてくれるだろう。兄に接するように彼らに向かい、信頼して、光に照らされた道を示してもらいなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第49信より)

 この時のための準備の仕事を先導してきた比較的少数の者たちは、彼らに別の奉仕の分野が提供されることを発見するだろう──広大な範囲の教育の仕事である。あらゆるところから質問が出されるだろう。長い間感じられていた知識への渇望は堰を切ったように溢れ出して、その堤防を破るだろう。……
 世界的に様々な協会や団体が彼らの役割を果たして、必要な教えの広範囲な配布を保証するだろう。提供される教えはまだたくさんあるが、しかし、すでに授けられた教えで人間の手の中にあって開かれもせず、読まれてもいないものがたくさんある。多くを読む習慣を植え付ける努力をすることを勧告する。系統だった教えの勉強とマイトレーヤの教訓を実際に生きる真摯な努力が、教えるために必要なバランスと権威を与えるだろう。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』──新たなる奉仕──より)

 教えるということは、開かれてはいるがまだ限られているマインドに、人間であるということはどういうことか、他の人々と一緒に平和に、すべての人のための正義と自由を尊重していかに生きるべきかについての概念、理解、知識を与えることに関するものです。それは大きな仕事、壮大な仕事であり、決して楽な仕事ではありません。しかし、創造的な仕事です。すべての芸術、すべての科学、すべての哲学、すべての宗教の本質は創造性です。

(『光の勢力は集合する』)

 わたしの計画は、あなたがたの真なる姿をあなたがたの裡に気づかせ、あなたがたが神御自身そのものから出でた者であり、その聖なる本源へ戻らねばならないことを示すことである。わたしの任務は、その行程を、正当なる嗣業に辿りつくためのあの長い道程を、楽にしてあげることである。わたしたちがお互いに兄弟として出会うときに、我が友よ、あなたがたはわたしの中に、その道をよく知っている案内人を、教師を、見るであろう。なぜならわたし自身ずっと昔にその同じ道程を辿り、その道の道標をよく知っている者であるから。

(『いのちの水を運ぶ者』第66信より)

 私の理解するところでは、マイトレーヤ御自身は教育における変化の必要について広い一般的な主張しかなさらないでしょう。しかしながら、時を経て、特定の覚者方が、世界中の教育機関の構造と教育内容の両方に対して明確な変化をもたらすよう鼓舞するために働かれるでしょう。彼らが望む改革は、主として教育の目的を再考して、それがさまざまな発展段階において、進化しつつある聖なる存在としての人間の必要を満たす役割をより完全に果たすようになることです。個人の必要にもっと柔軟に応えられるようなカリキュラム(教育課程)の再編、地域共同体のすべての領域がより密接に教育課程に介入すること、各国において、教育を最優先させることです。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 新しいテクノロジー(科学技術)が数え切れない大勢の人々を退屈で骨の折れる繰り返しの作業から解放するだろう。すべての分野における知識への要求が大学や工場や農場の扉を大きく開き、そして学ぶことへの新しい熱意が世界中に顕現するだろう。かくして、人々は転生体験の底に横たわる目的をより良く理解し、そうしてわれわれの肉体、アストラル体、メンタル体に対する必要なコントロールが増大するだろう。これが人間をイニシエーションの扉へ、そしてそのようにして完成へと導くだろう。

(『覚者は語る 第Ⅱ巻』──蘇る地球──より)

 ハイアラキーのイニシエートの多くは、公に外的に三次元の世界で働き、多くの人々に知られるようになる。秘教学校が再開され、多くの人々は今、大学に行くようなかたちで通う。イニシエーションに必要なことを学び、修行し、そしてハイアラキーに入れるように準備する。来たるべき時代には、これが高度に進んだ人類にとっての目標になるでしょう。

(『世界教師と覚者方の降臨』)

 「未来は何をもたらすだろうか」と問われたら、こう答えなさい──輝ける星が天空におけるその正当なる位置を放棄して、われわれの中を歩くことを選ばれた、そして地球上でまだ見られたことのない贈り物を携えて来られるのだ、と。その方の名をマイトレーヤという。この「幸いなるお方」は、人間に彼らがなることのできるところのものについての方法を教えるだろう。人間に神のハートへの秘密の入口を示して、その中に案内してくれるだろう。人間と天使と共に歩いて、これらの二つを関係づけるだろう。模範と教えによって、自己救済への道を示されるだろう。世界を再生し、活気づけるだろう。この方が扉を叩く音に耳を傾けなさい。

(『覚者は語る 第Ⅰ巻』──扉を叩く者──より)

 わたしの存在が、人の心の裡に歓ぶ心と正しく分かち合う能力と愛を喚び起こす。このためにわたしはここに居るのである。これが確かなことを知り、恐れるでない。わたしの臨在は人の心に新しい驚異の感覚を呼び起こす。己の裡を、そして周りを見回して、人は、夢見ることもできないような知識と、ただ願うことしかできないような智恵と、己自身のものであると知っているあの愛の表現、これらを一望のもとに見渡せるような感覚を得る。これが確かなことを知り、恐れるでない。

(『いのちの水を運ぶ者』第103信より)