アーカイブからの二つの記事:
1982年の読者の視点
拝啓 シェア・インターナショナル誌へ
シェア・インターナショナル誌のメッセージは、すべてのまともな心の持ち主であれば賛同するような、申し分のないものです。私はこの世界におけるキリストの存在を信じる人間ではありませんが、もしあなたの言われるキリストがはっきりと出現して、このおぞましい軍拡競争を取り除き、より良い世界をもたらす唯一の方法を語るならば、信じる方へともっと心を向けるべきだと思っています。もしも私たちや他の国々が核兵器の製造を中止したならば、第三世界の貧困を一夜にして解決することも可能でしょう。もしキリストが実在していて、こうした軍拡競争はこの世界がこれまで目の当たりにした中で最大の悪であるとはっきりと宣告しないならば、私は仰天するでしょう。もしこのことがあなたのメッセージの一つに含まれているなら、私はあまり懐疑的に感じないかもしれません。今日の世界で最も重要なことは、これらの大量破壊兵器を撤廃することです。兵器は甚だしく人道に外れており、恐ろしいほどに費用がかかり、ゾッとするほど危険なものなのです。
敬具
J.B.
英国、デボン
【ベンジャミン・クレームによるコメント:あなたは全く正しいです。兵器は人道に外れ、高価で危険なものです。マイトレーヤがこの意見に同意するであろうことは疑う余地がありません。しかしながら、この常軌を逸した軍拡競争を停止させることができるとどの程度信じるかについて、私たちの間には明らかに違いがあります。兵器はそれ自体、費用のかかるものであり、危険で人道に外れると言えるものですが、問題の原因ではなく、結果なのです。兵器は人類が危険なまでに分離し、結晶化した構造の中に囚われており、錯覚に基づいた物質主義的な安全保障に浸りきっているという事実の結果であります。軍拡競争を止めるよう大国勢に求めても、それぞれの勢力圏が相手の善意をあまりにも信用していない限り、ほとんどあるいは全く効果がないでしょう。
このような理由から、問題の本質を追求するようマイトレーヤは勧告されます。マイトレーヤは分かち合いの原則の実現を推奨しておられます。この分かち合いという方法により、現在交戦中で敵意を持った国々は将来の見通しを完全に変更させることができます。武器が必要とされるような事態を招く政治的相違は、大体において経済的要因によるものです。経済的問題の核は、分配と再分配の問題です。分かち合いの原則を受け入れることによって、こうした経済的な差異は解決されるでしょう。そうした新しい状況の中で、武装化と戦争を終わらせたいという動機が生じるでしょう。私たちの見解では、富める者と貧しい者との分断は、核軍拡競争と同じくらい大きな脅威を世界の安定性にもたらします。こうした見解を抱くのは私たちだけではありません。ブラント委員会報告書に記載されているものの中心となっています。どんなに良い意図を持っていたとしても、分かち合いを受け入れることなく単なる非武装化を提唱する人たちは、私たちが思うに、馬車を馬の前に置いているようなものであり、失望する運命にあります。
核兵器という悪に一方的な攻撃をするよりも、分かち合いの原則がより根本的であることを強調するのには、もう一つの理由もあります。誰でも、限られた手段しか利用できないにしても、分かち合いというアイディアを自分自身の環境の中で適用させ始めることができます。そのようにしてだんだんと、すぐ身近な社会的変化に貢献するようになります。一方、軍拡競争を停止するという決議が採択されるのは──民主主義においては──そのアイディアへの半数以上の人々の支持がある場合だけです。独裁政権下にある国々においては、軍備の政策にいかなる変化をもたらすにも、それよりはるかに多くの支持が必要となるでしょう。私たちはそのような変化をすでに何十年も待っています。したがって、分かち合いは目的を実現するためのより一層直接的で、より効果的な手段であり、私たちもあなたと共に、飢餓や貧困のない、兵器の存在する余地のない世界が成就されるのを見たいと願っているのです】
(シェア・インターナショナル誌1982年10月号)
マイトレーヤ──『非常に特別な教師』
数年前、おそらく1983年から1985年の間に、私はニュージーランドのテレビで英国のドキュメンタリー番組を見ていました。それは社会科学のドキュメンタリーで、英国でのパキスタン人とインド人の移民の生活実態を探ろうとするものでした。番組では、(ほとんどが工場などで働く)移民の生活の向上や状況を調査し、インドに留まった人々との比較を行っていました。番組はイングランド北部の工業都市での移住者の生活を調べるところから始まり、その後突然、イースト・ロンドンの移民たちに焦点を定めたのです(ベスナル・グリーン地区が頭に浮かびましたが、100%の確信を持っているわけではありません)。次に、移民たちの精神的な共同生活に焦点が当てられました。番組制作陣は、(外観は刑務所に似ている)一軒の大きな家への取材を許可されました。そこはパキスタンの人々のためのコミュニティーセンター、アシュラムとしての役目を果たしていました。センター内の活動は豊富で多岐にわたり、スピリチュアルセンターとしてのみならず、文化的な活動や結婚式なども含んでいました。
霊的指導者たちはその時、自分たちの直中に『非常に特別な教師』がいるということをテレビジャーナリストに明らかにしました。彼らはその人物をクリシュナの生まれ変わりだと主張していました。私はその当時、(イスラム教徒の)彼らが、霊的教師としてのムハンマドよりも、クリシュナの生まれ変わりがいることを主張するのは大変に寛容だという印象を抱きました。「キリストの再臨」を含めて、アリス・ベイリーの教えの勉強を長年続けていたので、私はじっくり考えて、「ことによったら、これがそうなのかもしれない!」と思ったのです。
『特別な教師』を撮影できないかというテレビジャーナリストの依頼は、その教師から放射されているエネルギーは一般の視聴にはあまりにも強力すぎると思われるという理由で、地域のリーダーたちによって断られました。その教師と個人的に会ったとき、そのジャーナリストは、彼らが拒否する理由を理解し、その『人物』の眼差しと存在によって完全に圧倒されたように感じた、と告白しました。その後、私たち視聴者は、人々と交流する『教師』の後ろ姿を見る機会に恵まれました。私が覚えている限りでは、彼は背が高く、白衣をまとっていたようでした。
私にはそれ以上の詳細を書き加えることはできませんし、もちろん今になって、制作会社の名前を書き留めておかなかったことを後悔しています。視聴者がとても限定されていたことにも気づいていませんでした。ニュージーランドの人々はその番組の内容にほとんど関心を寄せなかったのではないかと思います。番組を覚えている人を一人も見つけていないからです。私が個人的に関心を抱いたのは、若い時分にイングランド北部に住んでいた1960年代の初め頃、初期のアジア人移民に対する社会福祉事業を行ったことがあるからでした。この件について、どのような形でも話に尾ひれをつけたりしていないことは確かです。
D.E.ダービー
ニュージーランド、クライストチャーチ
シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。