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エコロジー経済学

持続可能性、公平性、自由に向けた変化の過程なのか? ー第一部

オーヴェ・ヤコブセン教授へのインタビュー
アンネ・マリエ・クヴェルネヴィック

 オーヴェ・D・ヤコブセン氏は、ノルウェーのボドにあるノルド大学ビジネススクールの生態経済学教授である。彼は、マーケティングと哲学の修士号、経済学の博士号を取得している。社会科学・人文科学における研究倫理に関する国家委員会(NESH)など、いくつかの国家委員会のメンバーでもあり、そして、ノルド大学のエコロジー経済学・倫理学センターの創設者の一人であり、そのリーダーでもある。
 ヤコブセン博士は、『アナキズムとエコロジー経済学──エコロジー経済学のための政治的プラットフォーム』『インテグラル・エコロジーと持続可能なビジネス』『変革するエコロジー経済学──プロセス哲学、イデオロギー、ユートピア』など17冊の著書を出版している。
 アンネ・マリエ・クヴェルネヴィックがシェア・インターナショナル誌のためにオーヴェ・ヤコブセン教授に、著書『エコロジー経済学──未来からの視点』についてインタビューを行った。

 私たちが世界をどのように見ているか、どのようなパラダイムを持っているかによって、私たちの態度や行動、そしてミクロ、マクロの両レベルでの、さらには地球規模での選択に影響を与えることになる。
 著書においてヤコブセン氏は現在の世界で重要な中心的世界観、つまり、現在支配的な機械論的パラダイムと、現在の世界情勢に変化をもたらす有機的パラダイムを紹介している。
 これらの考え方は、今回のインタビューの中心でもあるため、著書の中から簡単に要約して紹介する。
 この二つの優位な考え方は、歴史の中で優位性を変化させてきた。機械論的パラダイムは17世紀に支配的になり、今日もなお支配的である。デカルト(1596-1650)などが、人間と自然との関係に着目して、その中心的な原理を打ち立てた。この考え方では、人間は自然から切り離され、優位に立ち、人間の特定の利益のために有益であれば、自然のプロセスに介入し、操作する権利があるとされる。このようにして、自然界に対する一般的な搾取的見解が生まれたのである。すべての部分は自然の法則によって結び付けられている──「全体は部分の総和と同一である」。デカルトはリアリティの物理的な部分と霊的な部分の間に明確な線を引いた(二元論)。つまり、神(創造するフォース)は引き下がっており、科学では理解できないとした。科学の使命は、人間の欲求を満たすために「頑固な」自然を克服することであり、今日の経済モデルの主流である市場自由主義は、この機械論的世界観に支配されている。経済的に利益が出る限り、自然を利用し、搾取することができるとしている。
 有機的パラダイムには、アリストテレスまでさかのぼる長い伝統がある。哲学者スピノザ(1632-1677)は、この考え方をさらに発展させ、人間も自然の一部であることを強調した。リアリティの物理的な部分と霊的な部分は同じシステムの二つの面であり、全体は部分の総和を超越している。自然、生態系、人間は一体であり、人間は自然の不可欠な一部であり、直観的な認識を通じて自然から学ぶ。自然の一部であるという経験が、すべての生態系を尊重することに自動的につながる。エコロジー経済学は、主にこの有機的パラダイムに基づいている。

シェア・インターナショナル(以下SI):「エコロジー経済学」とは何でしょうか。いくつかの重要な原則を説明していただけますでしょうか。

オーヴェ・ヤコブセン:エコロジー経済学は、経済学だけでなく、様々な立場や要素を含んでいます。それは、経済学、生態学、哲学、自然科学などを組み合わせた学問です。重要なのは、経済学が自然と文化の両方の状況で提示されることです。この点が、自然や文化の状況から多少なりとも切り離された主流の経済学とエコロジー経済学との大きな違いです。
 過去10年から15年の間に、私は53人の異なる貢献者たちに、エコロジー経済学の幅広い定義について尋ねてきました(1)。その結果、すべての人が、私たちの住む世界の捉え方を変えなければならないと言っています。私たちは生態系に統合され、文化的伝統に基づいているため、これらの要素を経済に統合しなければなりません。また、「経済人」の行動として定義される合理性の考え方も変えなければなりません。その定義によれば、合理的な経済的行為者とは、自分の利益を最大化する人のことですが、その代わり、私たちはエコロジカルな人間であり、すべての人間や自然全体に対して責任を持たなければなりません。
 エコロジー経済学には二つの重要な原則があります。第一に、有限な地球上では不可能な絶え間ない物理的な成長ではなく、自然な成長が必要です。私たちは、生態系の制限内で可能なもの以上を使用することはできません。第二に、資源を公平に分配しなければなりません。富裕な世界の大半は、資源の消費を減らし、生活の質に重点を置く必要がありますが、経済的困難に直面している人々は、より多くのものを必要としています。つまり、「公正な分かち合い」の問題であり、私たちは公平な方法で資源を共有しなければならないのです。これを獲得するために、責任、公平性、そして質的側面にもっと焦点を当てなければなりません。とはいえ、これらの原則は、物理的資源の生産に焦点を当てる必要性とも相反するものではありません。私たちは、より良く生きるために物を生産する必要があります。しかし、今日の問題は、生活の質的側面にあまりにも焦点が当てられていないことです。

SI:エコロジー経済学の目標は何だと思いますか。

ヤコブセン:目標は、人間と生態系全体の他のすべての生き物の生活の質の高さに基づいた、持続可能な開発に貢献することです。また、資源の公正な配分を確保し、生きた経済──長期的な展望を持った経済──を発展させることです。

SI:エコロジー経済学の最近の歴史とその貢献者について教えてください。

ヤコブセン:アリストテレスは「良い社会における良い生活」と表現しました。1900年から今日までの100年間、様々な貢献があり、進化経済学、フェミニン経済学、協同組合経済学など、様々な名称がついています。今日、私たちは、シェアリング・エコノミー(共有経済)や循環型経済についても話をしています。これらの考え方はすべて相互に関連しており、国際生態経済学会の活動や科学雑誌『エコロジー・エコノミックス』の発行に反映されています。
 エコロジー経済学の背景にあるインスピレーションは、熱力学*、進化論、ダーウィニズムの考え方、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)が開発した人智学の考え方から得ています。仏教思想や他の伝統に由来する要素も見受けられますが、私としては、この四つが非常に重要であると考えてます。

* 熱力学:エネルギー、エネルギー変換、および物質との関係に関する学問。自然界の最も基本的な法則の一つにエネルギー保存の法則がある。これは、ある相互作用の間にエネルギーはある形態から別の形態へと変化し得るが、エネルギーの総量は一定であるとするものである。

SI:グリーン経済、つまりグリーン・シフトについてお聞かせください。エコロジー経済とはどう違うのでしょうか。

ヤコブセン:グリーン・シフトは、既存のパラダイムの中で持続可能な開発を目指すものです。エコロジー経済学はこの取り組みに批判的な問いを投げかけています。グリーン経済学は、既存のシステムの中で活動するもので、しばしば「ゲームのルールの中で」活動することを指します。言い換えれば、彼らは現在の経済システム、市場自由主義の悪影響を軽減し、国連の17の持続可能な開発目標に基づく、最も広い意味での持続可能な開発につながる前向きな発展を得ようとするものです。しかし、エコロジー経済学の貢献者の多くは、システムそのものに批判的で、「ホモ・エコノミクス(経済人)」から「エコロジー的な人間」への意識改革を望んでいます。

SI:では、グリーン経済は現在の経済システムを「支える」ものなのですね。

ヤコブセン:グリーン経済は、現在の課題による悪影響を軽減し、より根本的な問題を解決するための時間を与えてくれるでしょう。私たちは、この二つの考え方を同時に実現しなければなりません。私たちは、気候変動や生物種の絶滅を食い止め、資源をより公正に分配し、国連の第一目標である「世界中で貧困をなくす」という持続可能な目標を達成しなければならないのです。これらの変化は間違いなく必要なものですが、同時に、このシステム自体についても問いかけなければなりません。デカルトから今日までの西洋の考え方、つまり機械論的な考え方を変える必要があるのでしょうね。おそらく、例えば、有機的な世界観など、他の解決策を考えるべきかもしれません。

SI:エコロジー経済学を代表する有機的パラダイムと、今日の主流派経済学を代表する機械論的パラダイムとの違いについて教えてください。

ヤコブセン:主流派の経済学はデカルトにさかのぼる機械論的な考え方と結びついており、エコロジー経済学は有機的な考え方と結びついています。機械論的な考え方が個人主義的であるのに対して、有機的パラダイムではシステム論が語られます。デカルトは有名な言葉を残しています。「私は全宇宙を機械のように説明した」と。多くの科学は、物事を小さなパーツに分け、それぞれのパーツを個別に研究し、そのパーツをつなげることですべてを説明できるという考えに基づいています。
 有機的な視点とは、より全体的な視点を受け入れることであり、それは手法にも影響を及ぼします。還元主義的な科学は厳密な学問分野に基づく科学ですが、エコノミー経済では複数の科目を含んだ学際的なアプローチをとります。経済学、生物学、生態学、哲学、社会科学など、様々な科学の垣根を越えて研究を行います。ですから、私たちの住む世界をどのように理解するかという点でも、また、社会に関する知識をどのように集めるか、社会、自然、社会における文化的な考え方や価値観との関連性についても、多くの相違点があります。エコロジー経済学とは、全体論的思考、システム思考、有機的思考を意味します。ですから、私たちは循環型経済について話をしているのです。直線的な考え方ではなく、生態系に見られるような循環的な考え方です。そのため、私たちは「循環型」経済について話しているのです。このことは、エコロジー経済学では、原子論的、個別的な競争よりも、協力的なネットワークを重視することを意味します。エコロジー経済学では、解決策、地元産の食品、地元市場、生産、流通、消費の間のより密接な関係について話します。また、富の公正な分配、各主体の利益の最大化ではなく、共通善のための共通の解決策を見つけることについて話します。アリストテレスの言葉を引用しますと、「良い社会には良い生活がある」ということです。すべてが統合されています。個人と社会のつながり、それに加えて、より大きな生態系の一部としての社会、つまり、すべてが統合されているのです。

SI:エコロジー経済学の焦点は一体性にあるのですね。

ヤコブセン:そうです、統合性です。物事がどのように相互に結び付いているか、物よりも関係性です。関係性が重要で、すべてのものはつながっているのです。

SI:著書の中で、あなたはエコロジー経済学の一部としてユートピアという考え方に焦点を当てていますね。ユートピアとは何なのでしょうか。

ヤコブセン:ユートピア思考は、1516年に『ユートピア』を出版したトーマス・モアというイギリス人に由来しています。イギリス社会を発展させるためには、「ユートピア」という考えを持たなければならないというのです。彼の定義によれば、「ユートピアを考える」とは、現在ある社会とは異なる社会を描写することです。これは、ユートピアと言われてほとんどの人々が考えるもの、つまり実現不可能なもの、実現できない理想とは異なります。ユートピアについての私たちの解釈は、私たちが今日直面している大きな課題を解決し終えた、現代とは異なる社会を指します。
 このユートピア思考は、1936年にハンガリーの社会科学者であるカール・マンハイムによって発展させられたものです。彼は『イデオロギーとユートピア』という本の中で、「あるもの」と「あり得るもの」の間の緊張関係を論じています。あり得ること──この社会がどのようにあり得るか──を描写することが非常に重要であり、これを彼はユートピアと呼びました。今日ではイデオロギーと社会の関係を理解することは非常に重要ですが、同時に、ユートピア、つまり、今あるものとは異なるものを描写しなければなりません。現在あるものと将来あり得るものとの間の緊張関係が、私たちの発展にエネルギーと方向性を与えるのです。
 マンハイムの50年後、フランスの哲学者ポール・リクールは、「ユートピア的思考を持たない社会は、発展を停止してしまうだろう」と言いました。おそらく、それが今日の問題なのでしょう。私たちは代替的な思考に対してオープンではないのです。イデオロギーの代わりにではなく、既存のイデオロギーに追加する形で、ユートピア的な解決策を描写つまり想像するよう人々を鼓舞することが非常に重要なのです。イデオロギーとユートピアの間の緊張関係は、エネルギーを生み出し、発展のための方向性を与えます。
 ベルゲン、トロンハイム、トロムソといったノルウェーの大都市の小さなコミュニティーや小都市でユートピア対話を行う際、私たちは代替的な未来を描写し、人々が自分たちの住みたい未来についての考えを発展させるきっかけとなるように努めています。問題に焦点を当てるのではなく、ただ一つのことを尋ねます。「あなたが本当に参加したいと思う社会をどのように描けますか」と。現在の社会とこの代替案を区別するとき、私たちは方向性が得られ、必要な変化のためのエネルギーを得ることができるのです。
 ユートピア思考と呼ばれるこの研究の伝統は、過去500年にわたりヨーロッパで非常に重要なものでした。未来がどうなるかを問うのではなく、未来がどうありたいかを問うのです。アメリカの社会学者ロバート・マートンは、自己成就予言という言葉を使いました。もし未来について考えがあるのならば、それが起こるかのように行動し、その描写に従って行動すれば、成功の可能性は非現実的なものではありません。大切なのは、未来はまだ終わっていないということです。すでにある未来に向かって歩いていると考えるのではなく、どこに行きたいかを考えることが大切なのです。自分たちの手で未来を切り開いていくのです。それがユートピア的な発想の重要な部分です。システム・レベル、個人レベル、意識レベルでの変化が必要です。このような変化は決して不可能ではないと思います。人類は歴史の中で変化に直面しましたし、私たちは今、変化する時代に生きています。

参考文献
オーヴェ・ヤコブセン『エコロジー経済学──未来からの視点(Ecological Economics──A perspective from the Future)』、フラックス・フラッグ社発行

(1)pengevirke.no

詳しくは、www.ovejakobsen.com をご覧ください。

重要な機会

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

 毎年春が近づくと、霊ハイアラキーは4月、5月、6月の春の三つの祭りの準備をする。毎年その時が近づくと、光を求め、奉仕することを願う者が、より十分に、より効果的に奉仕することができるように、わたしたちは計画を始動させる。今年の春の間、わたしたちは主要な顕現を行う意図である。その数カ月間に、巨大な力を備えたエネルギーが世界に流れ出て行く。その増大した力(パワー)は、今日非常に必要とされる和解を促進させるだろう。そして何百万の人びとの善意に表現の場を与えるために大きな努力がなされるだろう。このようにして人事に大きな変化を起こさせ、さらに混乱と戦争にすべり込むのを防ぐことが望まれる。
 この高まった活動の時を、わたしたちは霊的推進と呼ぶ。そしてこの期間に、すべての霊的活動は何倍にも力を強化されるだろう。あらゆる種類の霊的活動が、それがどのような伝統や信仰に起源するものであれ、この数カ月の間に高揚を見、もしこの機会を十分に利用するならば、多くのことが達成されるだろう。奉仕し、世界をより良きものにすることを願う者はすべて、これらのエネルギー(フォース)に接触し、これを使い、そしてそれらを自分たちの人生の中に顕現させることが義務である。
 わたしたちは人間の中に、責任の分かち合いについての新しい意識を確立することを求める。一致協力した行動の味を、彼らの中に目覚めさせることを求める。わたしたちはこの二つが顕現できるような条件をつくるように努め、そのようにして変化に導く。すべてがエネルギーである。エネルギーのみが存在する。人類という中心(センター)におけるこれらの高度のエネルギーの影響を通して、世界に新しい雰囲気を生み出すことを求める。信頼の条件をつくるために、わたしたちを助けてほしい。そして世界に新たな希望をもたらそう。愛と信頼の種を蒔き、それが希望と喜びとして花開くのを見守りなさい。
 兄弟同胞の苦しみを緩和するために、誰でも何かをすることができる。あなたがどこに位置するのかよく判断して、何をすべきかを見つけなさい。すべての犠牲的行為に対して、今あなたの支持を誓い、そこにあなたのできることを貢献しなさい。この時を、与える時となしなさい。あなたの奉仕しようとする意志に十分な表現を与えなさい。奉仕するとき、あなたは光に向かって働き、あなたの目的により正しく整合することを知りなさい。
 あなたの位置をわたしたちと共に置き、人間の夢を実現させなさい。あなたの位置をわたしたちと共に置き、わたしたちの助けと刺激とを確信しなさい。あなたの位置をわたしたちの側に占め、とうてい不可能と思われたような行為をなしなさい。
 あなた方がマイトレーヤを見るとき、世界にとって決断の瞬間が到来したことを知るだろう。世界を救おうとする者すべてを彼は行動へと誘うだろう。行動し、奉仕する者の列に加わり、偉大なる生命の流れの本流に入りなさい。あなたが公言する理想に従って行動する時が来た。以前にはなかった機会である。あなたの心(ハート)の中に秘められているビジョンを具現しなさい。あなたが独りではないことを、何百万の人間が同じ理想を抱いていることを知りなさい。奉仕することを願う者たちすべてと手をつなぎ、世界の周りに光の織物を紡ぎなさい。あなたは奉仕するために世にあることを、そして奉仕を通してのみ成長することを心にとどめておきなさい。あなたは兄弟同胞の番兵であり、彼らの窮乏に対するあなたの責任を引き受けなさい。あなた自身をこれまでにないほどに提供しなさい──わたしたちが働くことのできる回路として、そして間もなくあなた方に流れ出ていく巨大なエネルギー(フォース)の伝導体として。
 このようにして、あなた方はこの人生に奉仕の証印を押すことができ、やがて時を経て、あなた方より先に歩んでいった者たちの列に加わることができる。

(シェア・インターナショナル誌1984年3月号)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

無言のやりとり

 2008年5月に、私はイタリアのベニスへ数日間出かけました。最初の夜には、サン・マルコ広場を訪れました。午後9時頃でした。広場に近づいていくと、紳士が一人ベンチに座っているのが目に留まりました。彼は濃い色の野球帽を被り、青い瞳をしていて、170センチくらいの身長で50代後半の人でした。彼は携帯電話で話をしていて、イタリア語だと思ったのは、彼が「プロント(もしもし)」と言ったのがはっきりと聞こえたからでした。
 少しの間サン・マルコ寺院の前で立ち止まってから、彼の近くのベンチに腰を下ろしました。私は目を閉じて静かに黙想していました。彼が見つめているのが感じられたので、しばらくして目を開けて、彼を見ようと顔を向けました。彼は私を見つめているように思いましたが、ちょうど私の頭の上を見ていたのでした。私は彼がいることで大変に心地よく、私たちの間に無言のコミュニケーションがあるように感じて、まるで彼が私を理解してくれたかのように思っていました。
 さらにしばらくして、私は彼に向かって微笑み、向き直って目を閉じると、まだ彼の存在が感じられました。もうしばらく座ってから、私は立ち上がりホテルの方へ歩き始めました。彼が私に気づいて、「アデュー(さようなら)」と言ってくれました。私は微笑んで、歩いて行く前に彼の方へそっと頭を下げました。
 それ以前に彼がイタリア語を話すのを聞いていましたので、フランス語でさようならを言われたことには困惑しました。私は自分の国籍が英国であることも示していませんでした。その当時は私に分かっていなかったのですが、翌月に数日間フランスのパリを訪れることになっていたのです。その後、『ア、デュー』は「神へ」と解釈できると友人が教えてくれました。
 私はこの体験を大変心強く受け止めました。これは覚者のお一人でしたでしょうか。

ピーター・レヴィ
英国、ストーク・オン・トレント

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

違う姿で

 拝啓 クレーム殿
 私はウィーンを拠点とする伝導瞑想グループのメンバーです。私たちはマイトレーヤについての定期的な情報提供も行っています。2008年6月18日に、私たちはそうしたイベントを計画し、それはいつものように一般の人たちに開かれたものでした。メンバー4人が最後の準備に取り組んでいた時、お年を召した一人の女性が、講演が始まる予定より約1時間前に部屋に入ってきました。彼女は受付までやって来ると、そこはマイトレーヤについてのクレーム氏の本でいっぱいだったのですが、こうしたテーマすべてをよく知っていると彼女が力説しました。その女性と数人のメンバーが少しの間会話を交わしました。
 その後より親密なやり取りをして、彼女と話すうちに私たち全員が、注目に値するような個人的なヒントを与えられていたと感じていたのです。彼女はクレーム氏の本にも興味を示し、1冊を選んで私たちに近くで見てみるように言ってきました。それから彼女は周囲を見回して、座るのに良い場所を見つけました。そしてかなり強調した口調で「もっと光が必要よ!」と言いました。私たちが明かりを点けることを提案すると、彼女は少しにっこりとしましたが、それを断りました。さらにしばらく私たちと一緒にいた後、彼女はお別れを言って部屋を出る前に、ドアの所で振り返って「戻ってきます」と言いました。
 彼女はその情報イベントには帰ってきませんでしたが、イベントの終わりに、目立つ風貌の若い男性が部屋に入ってきました。彼は非常にフレンドリーで、伝導瞑想に強い関心を見せていました。彼もまた、ずっと残り続けるような印象を私たちに与えました。
 この二つの出来事についてもっと教えていただけますか。

エーディト・ハーバーハウアー
オーストリア、ビーダーマンスドルフ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』と『若い男性』の両方がマイトレーヤであったことを確認した】

真摯に祈る人

 拝啓 クレーム殿
 姉と私は2009年6月にルルドを訪れて、そこで三晩過ごしました。38年間、魂の伴侶であった姉の夫が2009年1月に亡くなっていました。その別れによって、姉はひどく打ちのめされていました。
 私たちは数回、ロンドンでのクレーム氏の瞑想会に行ったことがあります。クレーム氏と共にできない時には、知り合いのキリスト教徒や友人たちと一緒に家に集まり、オーバーシャドウを受けるためにクレーム氏と主マイトレーヤに『つながろう』としました。
 過去には、ローマで母と子であったマイトレーヤとイエス覚者に私たちがお会いしたことや、スペイン階段の下でベンチに座っていた若い男性としてのイエス覚者のことを、師である覚者に確認していただきました。ルルドで私たちはもう一度イエスか、マイトレーヤに出会うかもしれないと感じていました。滞在二日目に、ある店から出てみると、私たちの目の前の歩道に非常に年老いた女性がいて、顔をうつむかせてロザリオを持ち、祈るように両手を合わせていました。私は頭から足までヒリヒリするような感覚があり、そのせいで目に涙が浮かんできました。私たちがお金を渡した時に、私がその女性の肩に触れると、その女性は顔を上げて美しい微笑みを見せてくれました。彼女は別の言語で私たちにお礼を言って、私たちが立ち去ると元の姿勢に戻っていました。
 翌日は私の70歳の誕生日で、私は一人で地元の店に出かけました。商店とホテルの向かい側に大きな教会があり、またあの女性が教会前の歩道にいたのです。私は姉に伝えに行きましたが、一緒に出かけた時には彼女はいなくなっていました。私たちは大変がっかりしました。もう一度お金を渡して、『ありがとう』と言いたかったのです。
 その日遅くにバスツアーから戻り、教会の向かいの店から出ると、あの女性が再び歩道にいました。私たちが話しかけると、再び彼女は顔を上げて美しい微笑みを浮かべました。素敵な茶色の瞳が、途方もない優しさで私たちの姿をとらえていて、彼女はやはり別の言語で話し続けていましたが、何度か『マリア』と口にして、ハートに手を置いていました。
 私たちはこれがイエスかマイトレーヤかもしれないと感じ、彼らがルルドに来て、その場に『平穏さ』をもたらしていると思ったのでした。というのも、その当時はそれほど敬虔な感じがせず、騒々しいように思えたからでした。姉は初めての訪問だったので、すっかりあきれてしまっていました。この女性との出会いの後は、雰囲気が静かになったようでした。
 クレーム氏と師である覚者に、この手紙に貴重な時間を割いてくださって大いに感謝しています。

ローズマリー・エデン
英国、バーミンガム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q あなたは仏陀やマホメット、クリシュナ、孔子のような存在がすべて主マイトレーヤの弟子であるとお考えですか。
(1988年6月26日、アメリカ、テキサス州ダラスのベンジャミン・クレームのラジオ・インタビューより)

A クリシュナはマイトレーヤの一つの顕現でした。シャンカラチャリアはマイトレーヤの顕現でしたが、仏陀はそうではありません。ちょうどマイトレーヤがイエスの意識を通して働いたのと同じように、仏陀は彼の弟子の一人であるゴータマ王子を通して働かれました。それは偉大な教師方が現れる典型的な方法です。偉大な教師方の一人が現れたことのない時代は地球には決してありませんでした。

Q あなたが主マイトレーヤについて語るとき、宗教的な意味で定義づけているのではないのですね。

A そうです。彼は広い意味での教育者です。彼は言われます、「わたしは人類に真我実現の術を教えにやって来た」。私たちすべて、一人ひとりが、不滅の魂を持っており、人生における私たちの道、目標は、その特質を実現することであり、魂の神聖な特質を日常的な意味で生活の中に顕すことであり、それを私たちが間違って同一化しているこのパーソナリティーという装備を通して行うのです。私たちは、自分が肉体であると思っており、マインドであると思っており、感情であると思っています。私たちはそのどれでもありません。

Q キリストは黒人だったとか、白人だったとか、女性だったとか男性だったとか言う人々がいます。主マイトレーヤは浅黒い肌の持ち主ではないのですか。

A 彼はどんな姿も取ることができます。しかし、私たちは皆、キリストや仏陀やイマム・マーディについての想念形態を持っています。自覚はないかもしれませんが確かに持っており、彼は私たちがすでに持っている想念形態に合わせて現れます。私の師である覚者は、マイトレーヤは彼が現れる人々に合わせて外見を変え、それによってすべての人に彼が誰であるかが分かるようにすると言われました。

Q 私たち西側諸国に住む人が将来期待できる生活水準に近い国は今日世界に存在しますか。

A マイトレーヤに関する限り、彼は完全に分断された世界を見ます。彼は先進国と途上国を見ます。先進国は大半の食料、エネルギー、世界のあらゆるテクノロジーを生産し浪費しています。途上国は苦闘し、債務と不安定な通貨に苦しみ、途上国の5億人が文字通り餓死に瀕しています。これは犯罪であり、彼をこれほど「悲嘆させる」ものはありません。「この分離という罪悪は地上から追放されなければならない。それがわたしの目的であると断言する」と彼は言われます。
 彼が世界に御自身を明らかにするとき、彼は正義のための要求を掲げるでしょう。資源を再分配し、私たちがもはや世界のこのような途方もない不均衡を持たないことを求めるでしょう。そして彼は、平和を求める人間の必要への答えは、分かち合いと正義であり、分かち合いなしには、正義は存在せず、正義が存在しなければ、平和は存在しないと言われるでしょう。そして今日、平和なしには、私たちの兵器や核兵器により、世界は存在しなくなるでしょう。彼は私たちが自滅しないことを確かなものにしたいと欲しています。

Q キリストは、私たちがやがて世界政府を形成すると考えていますか。

A いいえ、私の理解する限り、計画されているのは、国連が一種の共鳴板としての場所になり、問題を戦争によって解決するのではなく、調整するための場となることです。それが世界の平和と正義のための強力な源となり、国連の新しい機関が設立され、世界の物資の平等な再分配を監督するようになるだろうと彼は言われます。

Q 私たち(アメリカ合衆国)のような民主主義とソ連のような共産主義はこれからも続くのでしょうか。

A 資本主義や共産主義という「主義」は人間がつくった用語です。マイトレーヤは、これからの世界は、合意に向かう政府形態へと進むだろうと言われます。政府は人々の必要から生まれ、民主主義や共産主義、ファシズムやいかなる「主義」でもなく、現実に生きる人々の普通の必要から生まれると言われます。「主義」はマインドの構築物にすぎず、それ以上のリアリティを持ちません。私たちが真に必要とするのはコミュニケーションであると彼は言われます。コミュニケーションの術が世界中の真の政府の条件を生み出すでしょう。私たち皆が一つの体制の下で生きるべきだという計画はありません。私たちは極端な右や左ではなく中心に向かって動き、合意がこれからの物事の進め方になるでしょう。

Q 核戦争への恐怖が大きな教訓になると考えるべきでしょうか。

A その教訓は終わりました。それは過去のものです。私たちは核戦争より先に前進しています。それはマイトレーヤがここにいるからというだけではなく、彼の行動の結果です。新しいテクノロジーが世界に与えられました。それは光のテクノロジーと呼ばれます。アメリカの科学者のグループとソ連の科学者のグループが今このテクノロジーを研究しています。それは現在の兵器をすべて時代遅れのものとし、地上のあらゆる兵器、戦車、銃、ミサイルはこのテクノロジーによって無力化されると彼は強く主張されるでしょう。

Q キリスト・マイトレーヤ、メシア(救世主)は、彼が欲するあらゆることをいつでも実現する力を持っているのでしょうか。

A はい、しかし彼は、常に法の中でその力を使用されます。つまり、彼はカルマの法則をご存じであり、完全にこの法の中で働きます。ですから彼は、1977年に世界に戻られる前に、腕を振って「わたしがキリストだ。わたしはここにいる。わたしの言うことをせよ」とは言いませんでした。彼は「夜中の盗人のように」世界に戻ってこられ、御自身を徐々に現されました。

Q 50億以上の人々が座して貪欲や金銭欲などについて合意することが期待できるでしょうか。

A もちろん、マイトレーヤの到来が世界の貪欲や金銭欲を弱めることはありません。貪欲な人は貪欲なままであり、権力を求める人は権力を求め続けるでしょう。しかし生活条件が変わることによって、彼らは世界への影響において余分なものとなっていくでしょう。世界はゆっくりと変化します──しかし私たちは自分自身を変える必要があります。それでもやはり、私たちは変化の勢いを感じ、未来は私たち皆のために移行するでしょう。

2022年4月号目次

 

覚者より
マイトレーヤのお出まし
ベンジャミン・クレーム筆記、2001年12月

今月号の内容概説

視点
民主主義の危機と約束:
ウクライナ危機をきっかけに行動を起こそう
フランシス・ムーア・ラペ、マックス・ボーランド

諸国民の同胞愛-選集
The brotherhood of nations — a compilation

「平和のヒートポンプ」計画がバイデン政権下で勢いを増す
アンドレア・ゲルマノス

人類の歴史的な選択

歴史的観点から見たサンジェルマン伯爵——第一部
ドミニク・アブデルヌール

時代の微
溢れる徴
ウクライナの白い鳩の2本のビデオ/『聖ムイハイール黄金ドーム修道院』上空の白い十字架

先住民にとっての大きな勝利
ジェシカ・コーベット

健康の社会的決定要因に関する
ポール・ファーマー氏の活動を続けなければならない。
イフェニイ・ンソフォア

心を開いて、行動してください
気候変動への無関心に取り組むアフリカの若い活動家たち
グラハム・ピーブルズ

いかに不平等が気候変動の影響を悪化させるか、
そして私たちに何ができるのかをIPCCの報告書が明らかにする
ハープリート・カウアー・ポール

二つの難民危機の話
レイチェル・レイリー、マイケル・フリン

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

編集長への手紙
移動する光 他

マイトレーヤのお出まし

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 今のように、人間が岐路に立ち、どちらの方向に行けばよいのか道案内を待つときには、人は助けを求める叫びを発する。必然的に、その叫びが一定のピッチ(音調)に達するとき、あなた方の兄たちであるわたしたちは反応し、応える。人間は自分たち自身がつくり出した大混乱の中でやみくもにもがき回り、彼らをさらなる混沌から救ってくれる唯一のステップを取ることを恐れている。今日もまた然りである。
 この大渦巻の中にマイトレーヤは今まさに入っていこうとしておられる──前方に横たわる任務について完全に意識しながら。マイトレーヤのように計り知れない叡知を持つお方のみが、そのような任務を引き受けることができるのである。
 現在の無秩序の状況の中から、マイトレーヤは新しい、より良い秩序を築かなければならない。何千万の人間の苦悩の中から、彼は新しい世界をつくり出さなければならない。

 誰が、マイトレーヤの救助の仕事を援けるのか?
 誰が、マイトレーヤの大義のために馳せ参じて、兄弟姉妹を助けるだろうか?
 今こそ、かつてないほどに、労して世界に奉仕する機会がある。新しい世界が生まれようとしているのだ。
 マイトレーヤは、人間を彼ら自身の生得の権利の中に掲げようとしている。
 新しい、そしてより幸せな世界の創造を鼓舞しようとしている。
 偉大なる主は、一人ひとり個々の人生に尊厳と価値を付与しようとしている。
 マイトレーヤは、彼のヘルパー(助力者)たちをどこに見つけるだろうか?
 応える用意のできている者は誰か?
 愛の主を援助する勇気を持つ者は誰か?
 マイトレーヤは、すでに彼が頼ることのできる者が誰かをご存じである。
 マイトレーヤを見る用意をしておきなさい。
 あなたの決意をピカピカに磨いておきなさい。
 任務の膨大さにうろたえてはならない。
 何事をするにも、気取らずに、真心を込めてやりなさい。
 マイトレーヤは輝かしい白馬に乗って急速に近づいてくる。
 マイトレーヤのマントラ(言霊)は、「恐れるな!」
 やがて、すべてが新たになるだろう。
 やがて、すべてが「光」のもとへ戻るだろう。

 これを念頭に置きなさい──「あなたの兄弟の必要をあなたの行動の尺度となして、世界の問題を解決しなさい。それ以外の道はない」
 あなた方の不幸に満ちた世界に、マイトレーヤは、今歩み入られる。あなた方の苦しみと苦難を彼はあなた方自身よりよくご存じである。なぜなら、あなた方の生得の権利である歓びもまたご存じであるから。
 その歓びを、彼はあなた方に十分にそして完璧に取り戻させるだろう。そのことのために、マイトレーヤはあなた方の中におられる。
 マイトレーヤをあなたの心(ハート)のうちに受け入れて、あなたに奉仕してもらいなさい。彼をあなたの友として、「大昔の兄」として知りなさい。彼に導いてもらいなさい。教えてもらいなさい。かくして、あなたは自分の神性へと成長するだろう。
 あなたがマイトレーヤのお顔を見る時がやって来た。彼の愛の微笑みがあなたを彼の側に招くだろう。あなたの愛が何千倍にも拡大されるのを知るだろう。それを彼の大義への奉仕に捧げ、あなた方がその一部である大計画の中に入りなさい。

(シェア・インターナショナル誌2001年12月号)

「後戻りはない」今月号の内容概説

 世界中の何百万もの人々が悲しみに打ちひしがれ、目に涙をためながらニュースを見ている。今月号のねらいは、読者を安心させ慰めるような観点を提供することである。ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者、そしてマイトレーヤによる記事や応答、表明が提示されている。これらはきっと、人類は──特に危機の瞬間において──決して孤独ではなかったという読者の確信を強めるだろう。マイトレーヤとベンジャミン・クレームの師の言葉は、彼らがかつてなく近づいているという感覚を高めるかもしれない。
 現在はラコーツィ覚者であるサンジェルマン伯爵についての記事の第一部は、彼の前世と業績について探究しており、私たちの中に住んでいる覚者方の現実性をいっそう浮き彫りにしている。この現実性を確認する記事と並んで、様々な分野での進展も明らかにされており、差し迫った変化の必要性が強調されている。このような幅広い話題に含まれるのは、気候変動、現状改革、人種差別、社会的不正義、先住民の勝利である。
 世界を舞台として、実に皮肉な展開となっている。ロシアのリーダーたちは莫大な富を蓄積しつつ権力と支配にしがみつき、大昔からの競争のパターンを強固にしたいあまり、世界が待ち望んできた変化の真新しい触媒になったということに、読者も気づかざるを得ないだろう。ロシアによるウクライナ侵攻は世界の大部分を団結させ、地球のあらゆる地域の人々を活気づけるのに成功した。私たちが重大な分岐点に達し、どのような未来を望むのかを選択する必要に迫られていることを、人々はついに認識するに至ったかのようである。この新たに生起した認識を持続させなければならない。多くの指導者が次々と自国の軍事予算を増やしている状況に鑑みて、引き続き、民主主義と自由への新たな攻撃に用心していくためである。ベンジャミン・クレームの師はこう述べておられる。「現在の混乱と脅威は、過去の悪を正し、諸国家の間に正義を創り、古い論争を解決し、国際法規を支持するための新しい平和的な協力の時代の前奏曲にすぎない」
 「人々は将来、この時を振り返って見るとき、それが最も輝かしい夜明けの前の暗い夜であったことを知るだろう。そしてこの波乱の多い時期に生きてきたことを喜ぶだろう。世界は偉大なる教師を待つ。その教師は、出現して、すべての者の完全な視野の中で教え、奉仕する機会を待っておられる」(「夜明け前の暗闇」、ベンジャミン・クレームの師、シェア・インターナショナル誌1991年1月号)
 私たちはやがて、この暗い時期を振り返り、それを経験したことを喜ぶだろう、とベンジャミン・クレームの師が書いておられるのは途方もないことのように思える。それほど遠くない将来、この恐ろしい闘争の中で喜びを見いだせるのは、私たち人類が自らの本性を表現し、最高の特質を文化や文明に染み込ませ始めているからこそである。
 選集「諸国民の同胞愛」は、共通の人間性を思い起こすよう呼びかけている。ベンジャミン・クレームの師はたびたび、戦争に関する洞察を提供し、いかにして平和を恒久的な現実とすることができるかを教えてこられた。覚者は「戦争の無意味さ」の中でこう書いている。「この時点から、後戻りはない。民衆は彼らの力を感知しつつあり、彼らが欲する平和を彼ら自身がつくりあげていかなければならないことを、そして自由と共に正義が支配するときのみ、うれしい平和が保障されるだろうということを理解し始めている」
 過去の操り人形たち、パイシス(双魚宮)の舞台を気取って歩く人物たちは、変化を促す触媒としての役割を果たし、世界を後戻りできない地点へともたらす。こうしたものは、権力にしがみつこうとする、古い秩序による最後の必死の試みである。一方、新しい世界が形を取りつつある。このような進化の勢いは、愛、勇敢さ、共感、実際的な慈悲心のほとばしりに、そして、驚くような親切さと自己犠牲の行為に見られる。大昔からの否定的な勢力が支配権を握ろうとして戦う一方、民衆──驚くべき、並外れた、「平凡な」民衆──は、和合、自由、平等、民主主義、そして同胞愛の生きた体験こそが大事なのだということを証明しつつある。こうしたものは、私たち全員を結束させる凝集力である。私たちは今や、自らの人間性こそが「褒美」なのだということを知っている。

諸国民の同胞愛――選集

The brotherhood of nations ── a compilation

「諸国民の同胞愛」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時、「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 マイトレーヤと覚者たちの一団のインスピレーション(鼓舞)と導きのもとで、人間は、正しい決断を行う能力、大計画との関係の中で正しく行動する能力が増大することを知るだろう。これが必然的に同胞愛についての感覚の増大につながり、人間は共に行動することによってのみ前進があるという理解につながるだろう。

(『覚者は語る(Ⅰ)』─同胞愛の夢─より)

 ようやく多くの政府は多少なりとも定期的に会い、問題を討議し、それについてどうすべきかを検討しています。これは新しい成熟です。人類は一体であり、ひとつの人類の兄弟姉妹であるという感覚の増大です。ある計画、ある役割を果たすためにこの惑星にいるということの認識です。それはいまだほとんどの人には感じられていません。しかし、個々のグループが長い間政府の注目を引こうとしてきた問題をやっと人類が真剣に受け止めているということは、人類が自分たちの弱さと一体性を認め始めたことの徴です。

(『協力の術』)

 忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを、すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して同じ聖なる愛と真理の光が輝いていることを。時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。

(『いのちの水を運ぶ者』第51信より)

 人類自身も一つであるという感じを抱き始めています。来たるべき時代には一つになるでしょう。進化における前進のための次のステップです。同胞愛というものは、持てるかもしれないし、持てないかもしれないというような単なる理想ではないのです。自然界の事実なのです。ただわれわれがそれを具現していないだけなのです。来たるべき時代には、この事実を具現することがわれわれの運命であり、神の意志であります。ハイアラキーのすべての活動と指導はこの目標に向かってなされるでしょう。これは正しい関係を通してのみ実現されるのです。

(『世界教師と覚者方の降臨』)

 今日大切なように思われるものの多くが去り、より簡素な、より自然な生き方と関係に置き換えられるだろう。あり余る豊富さの直中にあって何百万の人間が不必要に死ぬという冒 が消え去ることは確かであろう。今日人間の精神をあまりにも醜くする不寛容さもまた消え去るだろう。より小さい、より弱い国家の資源や領土を支配し、征服し、搾取しようとする衝動は永遠に消え去るだろう。その代わりに、新しい現実感が、すべての人間との連結性と相互の権利と義務についての理解が生まれるだろう。人々と国家は法の規制に基づいて、そしてすべての人間のための平和と安全についての必要条件に基づいて生きることを求めるだろう。

(『覚者は語る(Ⅱ)』─前進の道─より)

 未来への道は、新しい公正な秩序を通して、新しい人類同胞愛を通して、昔の敵との間に協力の精神を打ち立てることを通してであることを認める者が今日たくさん存在する。このすべてのことは、今日可能であり、効果をあげつつある。新しい光が、わたしの光が、地上を照らし、そのまぶしさの中で多くの者が驚嘆する。

(『いのちの水を運ぶ者』第128信より)

 私たちは恥ずかしくない人間にならなければなりません。私たちが一体であり、一つなる人類の兄弟姉妹であること、それゆえに世界の食糧、原材料、エネルギー、科学知識、科学技術、教育制度、健康管理がすべての人々に属するものであることを認識し、世界中により公平に再分配しなければなりません。そうすることによって、私たちは一つの人類、同胞愛というリアリティを創造します。このようにして、これらすべての技術的進歩に値する正しい状態を創造するのです。

(「不朽の智恵の教え」『死海文書と義の教師』)

 これは、最近発表された覚者の記事「和合」の後半部分に主に語られているものです。すなわち、世界への危機とすべての人間による気づきの必要性についてですが、特に教育を受けた人、権力行使の立場にある人、自らの意志を表明できる人が、国家間の垣根を越えたレベルでの和合の必要性を理解し、悟り、知らしめることの重要性です。それゆえ、すべての国が共に働く必要があります。それが起こらなければ何も変らないでしょう。

(『多様性の中の和合』)

 マイトレーヤご自身が非常に間近な将来に出現されるとき、われわれのすべての行動の中に和合の必要性を強調されるだろう。われわれが、人間の問題を解決するに当たって、人間として、国家として、目的のアイデンティティーを見つけることがいかに大切であるかを、マイトレーヤは示されるだろう。かくして、われわれの強力な個人性をグループのために供するのである。

(『覚者は語る(Ⅰ)』─和合─より)

 人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり、奉仕であるということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない──自然とこの世界との間に均衡をとりもどす時間は。

(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

 金持ちの国と貧乏な国の生活水準の間にある大きな隔たりを許容する余裕を、世界はもう持ちません。その不均衡が今日の政治的、経済的問題の中核です。基本的にそれは精神的霊的な問題です。一方に物質主義と分離、そして他方に霊的な分かち合いと正義と同胞愛、この間の選択です。われわれの選択が人類の運命を決定するでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 すべての国の国民はひとつであり、平等であり、お互いに依存しているということを人間は認識するようにならねばならない。いかなる国も一国で世界を所有することも支配することもできない。いかなる国も一国で世界のすべての国々に対立して存続することはできない。帝政や絶対支配権は過去のものである。人間は、この地球という惑星上における彼らの役割についての新しい理解を得る瀬戸際にいる。それは智恵の道とこの惑星の賜物の本当の管理者の道における旅人の仲間たちとの関係を変えることを含む。

(『覚者は語る(Ⅱ)』─人類同胞愛─より)

 国家は「一つ」に合体して、それによって個々のアイデンティティー(独自性)を失うべきではない。マイトレーヤは言われる、「たとえ、あなたがわたしと合体するとしても、あなたの個人のアイデンティティーは残る」と。国家の個々のアイデンティティーも同様に大切に守られねばならない。同時に、国家は同胞愛や共通の目標や共通の志向を経験することができるし、またそうなるだろう。しかし、個人の場合でも、国家の場合でも、巨大なものが個々のアイデンティティーを飲み込んでしまうことは「神聖なることではない」。

(『いのちの法則』)

 世界は二つのグループに分かれています── 一つは、世界の保守反動的勢力を構成する古い貪欲で利己的な国粋主義的制度にしがみつくグループ、もう一つは、新しく流入するアクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーに心を開き、同胞愛と協力の道、相互依存性の認識を求めるグループです。相互に依存し合っているというその認識は、われわれが一つの人類であるという事実から生じます。

(『協力の術』)

 人類は今や全く新しい体験の瀬戸際に立っており、すべての惑星的な決定や行動がより良いもののためであり、人生を豊かに、神聖なものにし、同胞愛の絆を強めるものとして見られるであろう。それまで同胞愛の絆を彼らは無視して、ほとんど忘れていたのである。喜んで、人間は今や共通の善のために共に働くだろう。過去の憎しみと不信感はきっぱりと彼らの背後に置かれるだろう。そのようにして新しい親族関係が「善意」と「尊敬」として現れ、活性化させる酵母のように彼らの目覚めた人生に浸み渡るだろう。

(『覚者は語る(Ⅱ)』─人間が振り返ってみるとき─より)

 我が友よ、子供たちよ、わたしは、恐らくあなたがたが期待したよりもさらに時を早めてやってきた。しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる。これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。もはや人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう。

(『いのちの水を運ぶ者』第1信より)

 世界に同胞愛を確立していく段階を見なければなりません。まず最初に平和がなければなりません。平和なしに世界はありません。マイトレーヤの第一の優先は世界に真の平和を確立することであり、人類が戦争を放棄し、戦争につながる競争を放棄することです。これはすべての人間の必要を満たすことによってのみ達成可能です。……
 開発途上世界が他の国の人々と同じように食べて、成長して、人並みの文化的な生活を送ることができるまで、世界に平和は決してないでしょう。平和の確立のための最初の条件は世界の資源の分かち合いです。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 諸国家や諸国民は家族のメンバーのように相互依存している。国家や政府の政策は平衡と公平の本質を組み込んだものでなければならない。それが平和と調和と幸福を生み出すだろう。いかなる国であろうと民族であろうと、国家、国民の中に優劣の差はない。国家の福祉を保護することが政府の義務であり、そして本来の自分自身であることがすべての個人の義務である。

(『いのちの法則』)

人類の歴史的な選択

 こうした記事から、助言や洞察、深い英知、慰めを引き出すことができるかもしれない。すべて、ベンジャミン・クレームの師によって書かれたものである──人間が知り得るあらゆる喜びと哀しみを経験してきた知恵の覚者によって。
 驚嘆すべきは、マイトレーヤと覚者方は常に、災厄を達成へと変え、破壊を、いのちを肯定するものに変え、奈落の底のように見えるかもしれないものを山の頂きへと変えるということである。このことにおいて私たち人類はある役割を担っている。つまり、共通の利益を選ぶ責任を負うことである。
 このささやかな選集を、「平和の陽光」の保証と約束として提示したい。この選集は、潜在的な神々としての私たちの本性を確認するものである、と私たちは信じる。

覚者たちの誓い

 戦争の暗雲が次第に増し、平和の陽光が闇に包まれていくにつれ、人類の反応は二重である──好戦主義者たちの意志を無言で受け入れ、追従することと、彼らの計画と企てに対する積極的な活気ある抵抗である。今日、わたしたちには両方の反応が同じ割合で見られる。世界の半分が(底に横たわる原因を認知することなしに)“テロとの戦い”というグラマーにとりつかれ、またテロ行為自体にとりつかれている。あとの半分はテロ行為を嘆き、そしてその発祥についての理解の欠如を嘆いている。大規模の変化のみがこの残虐な悪を終わらせる鍵であることを彼らは知っており、世界をあまりにも不公平に分割している不平等を認知し、それに対処することを諸国家の指導者たちに呼びかける。
 この後者のグループは増大して、世界の安全を非常に脅かす者たち、現在、権力の座にいる者たちの計画に対する彼らの抵抗を増さなければならない。彼らはお互いを見つけて、一緒に働かねばならない。平和を求め、正義の顕現を請い願う無言の大衆(サイレント・マジョリティー)のために働き、そして語るのだということを知る必要がある。
 平和は、正義が支配するとき、分かち合いが人間の心(ハート)を開き、人々を信頼することに目覚めさせるときにのみ、訪れるだろう。かくして、人は正義と分かち合いのために働き、声高に語らなければならない。正義と分かち合いのみが人間の苦しみを、テロ行為と戦争を終止させるだろう。あなたたちの兄であるわたしたちは、わたしたちの役割を果たす用意がある。わたしたちは「共通の利益(善)」のためのあらゆる行動を強化するだろう。わたしたちは、自分たちの力を顕す機会を待っている──過去の間違いを正すのを助け、戦争の無益さを人間に示す。わたしたちは、戦争の終止を呼びかける者たち、人事の中に健全さとバランスの回復を求める者たち、すべての者のための正義(公正)と自由の創造を求める者たちすべてを支持することを誓う。
 わたしたちにあなた方を助けさせてほしい。わたしたちの役割を果たすことができるように、助けてほしい。わたしたちは、いつものことながら、「共通の利益」のために行動することを願う、それが人類すべての最善の利益であるとわたしたちは思う。かくして、わたしたちは分かち合いを提唱する、かくしてわたしたちは正義を勧告する、かくしてわたしたちは自由と平和を分かち合いと正義の確立の頂点として見なす。
 この世界の救済のために共に働こうではないか。人類種族の利益のためにお互いの(意見の)相違を放棄しようではないか。健全な行動を勝利させて、人類に平和のための彼らの共通の必要を理解させよう、そして病める世界を復活させようではないか。
 多くの者が未来を恐れながら待つ。人間が道を見失ったのではないか、いまや平和への道を見いだすには遅すぎるのではないかと恐れる。わたしたちの勧告はそうではない。平和への道は簡単に見いだせることをわたしたちは知っている、正義と信頼の創造を必要とするのみである。分かち合いのみがその信頼を生み出すだろうということを、そしてそれが人類にテロ行為と戦争の両方を放棄させるようになることを、わたしたちは知っている。そのようになるだろう。そのようにして、人類はついに恐怖と不信のグラマーから解放されて、実際にそして歓びのうちに未来を創造する用意を整えて、マイトレーヤの「同胞愛と正義」のメッセージに応えるだろう。

(シェア・インターナショナル誌2004年1月号)

戦争の終焉

 代価を数える時が来るとき、人間は戦争の空費に仰天し、そして恥じ入るだろう。人間の活動のいかなるものよりも、戦争は資源と人命を貪欲に喰い尽くす。“敵”なるものを征服するための努力には何も惜しまず、すべてが勝利の達成のために犠牲にされる。かくして、人間はその隣人に対して容赦なき闘争を行い、それは必ずしもいつも自己防衛の闘いではない。非常にしばしば戦争は、領土の拡大や略奪品の蓄積、あるいは最も忌まわしき奴隷捕獲のために使われてきた。ほとんどの戦争の底に横たわる目的を描写するために“戦利品”という言葉が安易に使われている。
 今日、人間は戦争を終焉させるための仕事に真剣に取り組まねばならないときに達したのである。いかなる問題にせよ状況にせよ、解決するために、あるいは癒すために、戦争が必要とされるものではないことを、人は理解しなければならない。そうであるから、諸国家は共に働いて、人間のあの破壊的性向を永久に終わらせなければならない。
 それをやり損なうならば、人類種族の生存そのものを脅かすことになる。平和はもはや人間にとって一つの選択ではないのである〔訳注=それ以外の選択はない〕──彼らは今やその手の内に、これまでかつてない最も破壊的な凶器を握っている。もしそれが大きな戦争に使用されれば、この惑星を冒 し、永劫の時の間、生命の存在しない死んだものにするだろう。ではなぜそのような災害を、そのような終局を招こうとするのか。
 マイトレーヤは出現されるとき、このように語られることは確かであろう。小さな戦争が悲惨な結果につながり得ることを、それが人間を自己破壊という危険な坂道にもたらすことを、マイトレーヤは示されるだろう。彼は厳粛に勧告し、そして人間を考えられないような行動から引き戻させるだろう。油断することなく、しかし恐れないでいなさい。マイトレーヤが人間の行動を賢明に導いてくださることを信頼しなさい。あなたの兄弟姉妹を教育する任務におけるあなたの役割を果たし、マイトレーヤの荷を少しでも軽くして差し上げなさい。
 聞く耳を持つ者たちすべてに、待望されているお方がここにおられて、公に彼の任務を始める用意があることを伝えなさい。彼は善意の男女が平和と正義、自由と愛のために彼と共に働いてくれることを当てにしておられる。彼らにこのことを伝えなさい。マイトレーヤが世界の苦難に対して単純な答えを持っておられることを告げなさい。分かち合いは信頼を生み、それが扉を、そして人間の心(ハート)を、祝福された平和に向けて開くだろう。
 そうすると同胞愛と協力の中で人間の霊魂の開花を見るだろう。そうすると様々な問題や行き詰まり状態は溶け去り、溢れるような善意の中で克服されるだろう。
 そのようになるだろう、そのようにしてわれわれは忌まわしき戦争の終焉を目撃する。それがマイトレーヤの目的であり、その達成に対する彼の意志は固い。

(シェア・インターナショナル誌2006年3月号)

ばくち的ジェスチャー

 人々が正しい関係に向けて断固たるステップを取るときはいつも、対決に向けて同様の断固たるステップを取る人々が必ずいる。大勢の人間がより大きな自由と正義のために働き、そして死んでさえいる──と同時に、他の勢力は減少する彼らの力(パワー)を強固にするための冷笑的な試みで平和を脅かす。その間、全体としての人類は、放棄され克服されるべき昔の古い憎悪の思考の再発を目撃して、恐れおののきながら見守る。
 あなた方の兄たちであるわたしたちもまた、この危険なやり方を注意深く見守るが、恐れてはいない。良識は、得るものと失うものとを大体、はかりにかけてみるとき、少なくとも不安定な平和を受け入れることを強いることを、わたしたちは知っている。
 これからは、このシナリオが世界中で繰り返されるだろう。“大国”は彼らの力を維持しようと、あるいは増強することさえ試みるだろう、しかしながら、現状維持を損なわないように慎重にやらなければならないことを知っている。
 一体いつまで、諸国家はこの無益なゲームをすることができるのか。唯一の分別あるコースは、すべての者のための平和と繁栄のために、共に働くことである。この方法によってのみ、諸国は国民に、平和の歓び、正義(公正)の繁栄、そして分かち合いの至福を得るための用意をさせることができるのである。

(シェア・インターナショナル誌2014年6月号)

人類の歴史的選択

 人間が歴史的選択をするときは到来した。間もなく人類は極めて重大な決断を、すべての男、女、子供の未来を、まさに地球上の生きものすべての未来を決める決断をしなければならないことに気づくであろう──惑星地球において途切れることなく、限りなく発展する創造性か、あるいは、われわれの住処であるこの惑星上の人間および人間以下のすべての生命の恐ろしい滅亡かの選択である。
 残念ながら、人間は原子の核に隠された恐ろしいパワー(力)の秘密を発見して、それを戦争のために利用してきた。人類は競争や貪欲、権力への渇望によって非常に分離しており、偶然か故意による絶滅の危険は絶えず存在する。であるから、人はより安全に生きるための道を探さなければならない。今日、人類および諸国家の個性はあまりにも強力であり、人生の奮闘の中であまりにも分離しており、彼らは道を見失ってしまった。人は生き延びるために速やかにそれを見いださなければならない。
 かくして、偉大なる者たち、あなた方の兄たちは平和への唯一の道を示そうとしてきた。分かち合いと正義のみが平和をもたらすだろう、とわれわれは言う。すべての人間が、心(ハート)の中で、平和を願う。われわれの勧告は本当に単純である、しかしこれまで、人類にとってそれを把握することは困難であった。人間は神聖なる自由意志を持ち、彼らの運命の支配者である。分かち合いと正義の道を取りなさいと、われわれは勧告する。それは「同胞団」の衣であり、それなしには、人は十分な人間とは言えない。

(シェア・インターナショナル誌2013年3月号)

戦争の無意味さ

 人間が戦争をすると、彼ら自身や他の人々の生命を危うくするのみならず、自分たち自身の生命そのものが生かされているこの惑星の健康をも危うくする。死の兵器のために使用されるあらゆる種類の金属を得るために、地球はめったやたらに略奪される。この惑星の豊かな富を享受する権利を持つ未来の世代の必要に、何の配慮もなされない。数え切れない何百万トンものねじれ曲がり錆付いた鉄が、人間が恐ろしい見世物を演じる“戦争の舞台”を飾る。人間は絶え間ない爆撃によって彼らの精妙な体(エーテル体)に加えられる破壊を見ることが、いや想像することすら、できない。これまでにないレベルの騒音がこれら(エーテル体)の繊細な被いを破り、切り刻む。人間の躯体はそのような乱暴な扱いに耐えるようにつくられてはいない。かくして、彼らは自分たち自身に対して取り返しのつかない危害を加えている。人が戦争の無意味さに気づくのに、一体どのくらい長い時間を要するのだろうか。戦争は何の問題も解決しない。ただ混乱をつくるのみであり、人間の進歩を阻む。
 言われなければならないことは、ある少数の人々は戦争の行為を好むということである。彼らにとって、(戦場での)勇敢な行為は彼らの意志と技のテストである。しかし主に今日、人々はイデオロギー的な理由のために、大義のために、戦争に惹かれる。であるから、権力の手綱を握る諸国家のリーダーたちが戦争か平和を制定するのである。平和な世界を保障するためには、リーダーを注意深く選ばねばならない。
 この問題に多くの考慮がなされなければならない。中東における最近の出来事は、法のルールに違反し、混乱を解き放つことがいかに簡単かを示した。その違反行為を修正し、解決をもたらすことは、また全く別のことである。
 マイトレーヤはこれらの出来事を注意深く見ておられる。それらが起こるにつれて、緊張とその緩和を正確に計算し、そして絶えず平衡を確立しようとされる。このことに関して、マイトレーヤを通して集中される平和、平衡の霊のエネルギーが重要な役割を演じる。強力で正確なそのエネルギーは、諸国家の国民を非常に困らせる憎しみと争いの本能の潮流を変えている。
 国民自身が彼らの役を演じ始めている。投票箱やデモ行進を通して、彼らの声を聞こえさせ、平和への要求を知らしめている。この時点から、後戻りはない。民衆は彼らの力を感知しつつあり、彼らが欲する平和を彼ら自身がつくりあげていかなければならないことを、そして自由とともに正義が支配するときのみ、うれしい平和が保障されるだろうということを理解し始めている。
 増大しつつあるこの認識は、マイトレーヤの早い出現の舞台を整えるだろう。

(シェア・インターナショナル誌2006年12月号)

読者質問欄

ロシアによるウクライナ侵略を受けて、現在の暗い時代における慰めと実際的な利用と再確認のためになることを願って、以下の質疑応答と記事を集めた。これらの記事は新しいものではないが、その内容は再掲載にふさわしいものであると信じる。

 「目覚めようとしている! 目覚めようとしている! 世界は人類のものだよ、兄弟。……今日は兄弟姉妹たちが真理を語り、嘘を、嘘を、暴き出すのを聞くことができて誇りに思うよ。これは素晴らしいことだ。若い世代全体が、黒人も白人もみんなこの場所に集まってきている。こういうのを見るのが大好きなのさ。100万ポンドに代えても見逃したくないね。それに、ここにいる私の幼い兄弟たちみんな、私の幼い兄弟姉妹たちみんなが、遠いところからはるばるやってきているのだよ! 嬉しいよ、本当に嬉しいよ! われわれは目覚めようとしているのさ!……」
 「兄弟よ、目覚めないか!  信じていろよ。褒美から目を離さないようにしろよ。その褒美は人類そのものさ! 人類はわれわれみんなのものだからね」(マイトレーヤは2003年2月15日、ロンドンのハイド・パークで行われた大規模な平和デモにアフリカ系カリブ人の外観で現れた。シェア・インターナショナル誌 2003年4月号参照)
 この惑星全体に広まる現在の物質主義の不正を、心(ハート)のうちで拒絶する人々が今日たくさんいる。彼らは正義と平和を願い、それらの達成のために行進しデモをする。ますます多くの世界の民衆が一緒になるとき、強力な男たちの行動を変えるだけの力を持つことを認識し始めている。かくして、マイトレーヤは民衆を信頼し、彼らの要求に声を与える。かくして、彼は民衆の行進に参加し、彼の声を彼らの声に加えられる。(ベンジャミン・クレームの師、「暗闇の終わり」より、シェア・インターナショナル誌2005年7・8月号)

 祈りには真の価値があります。祈りが心(ハート)からのものであれば、神の代理者としてのハイアラキーからの助けを喚起します。しかし、私たちはただ祈るだけで、世界の問題を「神」に任せていてはなりません。それらは私たちの問題であり、私たち自身のあるいは人類の行動および非行動の結果です。私たちが成長し、真の人間(そして本当に聖なるもの)となるために、世界中の兄弟姉妹たちの苦難や苦しみや問題に対する責任を受け入れなければなりません。私たちは彼らと分離した存在ではありません。ですから行動と祈りは両立し得るのです。(シェア・インターナショナル誌1986年7・8月号)

Q:1945年に起こったことの後で、マイトレーヤをロンドンに呼んだのは祈りではなかったのですか。

A:可能な限り早く戻ってこられるというマイトレーヤの決断が発表されたのは1945年でした。この決断は、その大部分が、人類からの助けを求める祈願の叫びに応えてなされました。……
 人々はあらゆる言語で、特にマイトレーヤにではなく、「天上にいる」神に対して、「どうか、どうか、神さま、お助けください!」と叫びました。私たちが神に向かって、あるいはマイトレーヤや誰に対してでも、平和のために祈るのは、私の考えでは間違ったやり方だと思います。私たちは自分でそれをしなければなりません。平和をもたらすために、援助やエネルギーや導きやインスピレーションを求めて祈るのは結構ですが、平和を「つくる」のは私たちです。私たちはただ座って神が平和を生み出すと考えることはできません。神は平和をお持ちであり、神は平和です。平和はすでに存在しており、私たちがその平和を乱しているのです。(シェア・インターナショナル誌2003年12月号)

 マイトレーヤのメッセージは「分かち合って世界を救いなさい」という数語に要約できる。彼はこのようにして私たちが戦争、暴力、不和、飢餓、抑圧、恐怖の脅威を終わらせることができると確信している。彼はまた、私たちが彼の示唆を受け入れ、私たちが今やユニークな平和の時代の門口にあることを確信している。このことは、「第三次世界大戦は起こらない」ということを意味する。(シェア・インターナショナル誌1982年1月号)

Q:大宣言の日がしばらく遅れると仮定し、世界が危機に陥り、核戦争の瀬戸際にあるとしましょう。世界の主、サナット・クマラとハイアラキーはこの惑星が破壊されることを許すでしょうか。

A:ハイアラキーは、いやむしろ、ハイアラキーの背後にいるサナット・クマラが惑星の破壊および人類そのものの絶滅を許さないでしょう。また、マイトレーヤの臨在そのものが、平和のために必要な内的決意、つまり、分かち合いを人類が、意識しようがしまいが、すでになしたことの保証であると私は思います。マイトレーヤはこのことを何度も言われていますから、われわれはただ信じねばなりません。(シェア・インターナショナル誌1982年11月号)

Q:核の問題には、サナット・クマラが直接に関係しているということは本当ですか。

A:はい。1939年から1945年にかけての世界大戦の間に、原子爆弾の創造のための秘密が、ハイアラキーによって連合国の科学者たちに与えられたので、サナット・クマラが核兵器のいかなる使用にも、今は直接に関わっています。ですから、そのような破局を許されないと信じます。事故による戦争勃発はまた別の可能性であり、表面上はこれがいつ起こるかもしれない状況に見えます。そのような偶発性を防止するための安全装置は、いまだ誤りを免れない人間の手の中にあります。もしそのような核兵器の不慮の発射があるとすれば、それも一瞬のうちに、ハイアラキーは中性化することができます。この惑星を絶滅させることは許されないでしょう。(シェア・インターナショナル誌1982年11月号)

Q:伝導瞑想の仕事は現在、キリスト・マイトレーヤの出現をお待ちしている間、特に重要なのですか。

A:私が講演するあらゆる場所で伝導瞑想グループをつくっていることは大半の人々が知っており、今では世界の多くの地域、特にアメリカとオランダ、そしてイギリスで何百ものグループが存在します。伝導瞑想の仕事の重要性をいくら強調しても、しすぎるということは不可能なくらいです。キリスト・マイトレーヤと覚者方によって方向づけられたエネルギーを絶えず伝導するのです。これはおそらく、私たちすべてが簡単に行うことのできる最も重要な仕事であります──大計画に関連したどのような活動を行っていようが、他にどのような奉仕活動をしていようが、現時点において、瞑想や祈りと共に、霊的エネルギーの蓄えをつくるのに非常に重要であり、キリストを世界の外的舞台に呼び招き、彼の使命を十分に助けるために非常に大切な仕事です。(シェア・インターナショナル誌1982年8月号)

法の支配

 「法が衰退するときはいつでも、そしてあらゆる側に不法がはびこるときはいつでも、私は自分自身を顕す」(『バガヴァッド・ギーター』)。アバターであるクリシュナによってなされた、不法が蔓延するときに戻るという約束は、特に現在にふさわしいものである。この時代のアバターであるマイトレーヤが、不法が蔓延している今ここにいることは、その誓約の遵守である。ベンジャミン・クレームの師はこう書いている。「国家が大人になり成熟すると、他の諸国に対して、それまでとは全く異なった関わり方をする。その国は、相互の責任と必要についてすべての国家を結び付ける『法の支配』を尊重し始める。成熟していることの徴はまさに法に対する尊重の姿勢である。法は人間が共に生きるために必要と考えられたものである。……諸国家の間で、『法の支配』が無視されるとき、世界全体が苦しむ」(ベンジャミン・クレームの師、「究極の勝利」より、シェア・インターナショナル誌2004年4月号)

 マイトレーヤは言われる。「勝利のときも、敗北のときも、わたしはあなたと共にいる。 死の瞬間が訪れるとき、その人は一種の孤独を経験する。あたかも物事が自分から去っていくような気がする。その瞬間に、わたしはその人が執着を離すのを助けるのである」(シェア・インターナショナル誌1989年11月号)

 1989年、中国の北京の天安門広場で学生たちのデモが行われ、中国軍による虐殺に終わったとき、マイトレーヤの側近は次の情報を伝えた。
 「自由のための闘いの犠牲となった何千もの学生たちや一般人について、マイトレーヤの側近は、主(マイトレーヤ)が介入され、死の瞬間に彼らが苦痛を感じないようにされたと述べた」(シェア・インターナショナル誌1989年7・8月号)

 ベンジャミン・クレームは述べている。「シェア・インターナショナル誌は何度か、死の瞬間にマイトレーヤが臨在されることにより恐怖を平静さに転換した事例を報告してきた。例えば、天安門広場での虐殺の最中に、ある目撃者は、銃弾に倒れた人々の顔に平安と決意が見られたと述べている──マイトレーヤが介入され、彼らが死ぬ瞬間に苦痛を感じないようにされたのである」(シェア・インターナショナル誌1989年9月号)
 「別の目撃者は、神戸の震災の後、犠牲者たちの顔が穏やかな表情をしていたことを報告しているが、マイトレーヤは死への移行を容易にするために多くの時間を費やされた」(シェア・インターナショナル誌1995年6月号)
 「ボスニアもまたマイトレーヤが死の瞬間を滑らかにされた別の事例である」(シェア・インターナショナル誌1995年11月号)