読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q あなたの本を勉強するために教師は必要ですか。秘教の知識を多く持つ人々は教師になりますが、それは必要なことでしょうか。教師の意見は尊重されます。それはその人の教えの理解に影響しませんか。(2010年5月、ベンジャミン・クレーム日本・滋賀の研修会)

A 私の哀れな書物が他の人々に解説するための教師を必要とするでしょうか? 私は「絶対に必要ない!」と考えます。私の本は全く明快に書かれています。私は難しく書くことができません。なぜなら私は単純な人間だからです。あらゆる国のあらゆるグループに、秘教の教えはとても難しいのでそれを理解するには天才が必要だという考えが出回っています。それはナンセンスです。
 秘教の教えは通常のものではなく、ありふれたものではありませんが、必ずしも理解が難しいものではありません。主な問題は、誰も十分に時間をかけて読まないことです。私が、例えばジュワル・クール覚者によって書かれたアリス・ベイリーの本を開き、何かを読むとしたら、それは覚者の書いたものなので、私にとっては全く意味をなさないかもしれません。そこで私はもう一度読みます。そしてまだ理解できなければ、もう一度読みます。理解できるまで読み返します。それには時間を使わなければなりません。それがどういう意味かを教えてくれる人は必要ありません。彼らはその意味について自分自身の考えを持っているだけです。しかしそれはあなたにとって意味がないかもしれません。あなたはあることについてのその人の意見を知り、それがすべてです。
 価値があるのは、覚者が伝えようとしたことに対するあなたの特定の理解だけです。50人が読めば、その意味について50通りの異なった考えがあるかもしれません。そのことに価値があります。教えを通してあなた自身のやり方を知ることです。このグループでは、他の人よりも深いレベルの洞察を持つ人は誰もいません。教師や指導者の時代は終わりました。私たちはアクエリアスの時代におり、アクエリアスのエネルギーは個人の教師を使いません。それはグループによってのみ吸収されることができます。
 秘教的な見地からは、あなた方がしようとしていること、あなた方の真の目的は、グループとしていかに考え、行動し、振舞うかを学ぶことです。グループ意識をいかに開発するかを学ぼうとしているグループにとって、個人的な教師は無用です。グループとしていかに行うかを学ぼうとし、教師については忘れなさい。彼らはあなた方より多くを知っているわけではありません。彼らの洞察が役に立つとすれば、それは彼ら自身にとってです。グループの中で個人であることを学びなさい。そのやり方であなたはアクエリアスのエネルギーを引き付け、それを正しく使うでしょう。
 世界のどこのグループにも、自分は他の人よりも優れていて、教養があり、あらゆることを他の人よりも理解していると思っている人がいます。それは正しくありません。グラマーです。教師として認められたいというグラマーです。私は教師にはなりたくありませんが、この地位を強いられました。私は本を書きましたが、すでにブラヴァツキーやベイリーなどの本に書いてある秘教の教えについて人々に教えるためではありません。私は嫌いであるにもかかわらず書いたのです。私が書いたのはマイトレーヤの再臨の話を人々に伝えるためです。できる限り広く知らせるために書いたのであり、秘教的なこととは関係ありません。それは難しくありません。書くことは私の専門ではなく、私の仕事のやり方ではありません。ですから、自分より目覚めておらず、教養がなく、賢くないと考える人々を教えるのをやめなさい。それはグラマーです。私の本は解釈を必要としません。陽の光のように明快です。真っ直ぐに書かれており、読みやすく、理解も容易です。