編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

マイトレーヤ以外に誰が

編集長殿
 2020年3月13日、私は親しい友人とその人の自宅で会話していました。私たちはこの時期の、コロナや株式市場、難民や生態系についての、多くの出来事について話をしていました。私たちは競争と利己性から協力と分かち合いへの、世界的規模の変化が今必要だとはっきりわかったのです。
 会話の中のある時に私が、「こうした全部の出来事を通して、マイトレーヤは活気づけて……」と言いかけました。私はちょうどマイトレーヤのとてつもないエネルギーや、統合の大聖と仏陀によってオーバーシャドウされていることを話そうとしていたのです。けれども『活気づけて』という言葉を言うのがせいぜいでした。即座に友人は息をはずませて、ほぼ同時に私もそれに続きました。数分間話せなくなってしまったのは、非常に強力なエネルギーのうねりを私たちが分かち合っていたからでしたが、マイトレーヤが応えてくださったことがわかり過ぎるほどで、他に誰がこのようなことをこれほど強力に行えるでしょうか。
 それはまるでマイトレーヤが私たちに、「その通り、私はこのことの直中にいる、そしてまさしく人類を正しい行動へと活気づけている」ことを明らかに示されたように感じました。それは全く思いがけない応答でした。彼の存在と助けがこの緊急の時にあるという徴によって、私たちは大変勇気づけられました。
匿名希望
オランダ

人類は目覚める

編集長殿
 2020年4月3日の金曜日の午後早く、室内ベランダでの午後の昼寝の最中に、突然物音(私の携帯へのショートメールのメッセージ受信の音)が聞こえました。
 私は起き上がり、目を開けました。居間とベランダの間にある窓に、ナイロビのマイトレーヤのような格好の人物のシルエットが見えて、彼の腕は「イエス・キリストの聖心」の彫刻か絵画にあるように伸ばされていました。
 それは長く続きませんでした。信じられないような思いだった他には、何も覚えていないのです。その人物はマイトレーヤだったと思います。
テレーズ・デリッサン
ベルギー、ナミュール州ジャンベス

助けはすぐに

編集長殿
 グループメンバーのティリーと私は度々、キリストの再臨についての広報用印刷物を通りで配っています。けれどもティリーは、次第に腰にひどい痛みを覚えるようになりました。彼女は医師の所へ行き、腰の手術が必要だと言われました。彼女はチラシ配りもほとんどできなくなりました。それで最初彼女は理学療法を受けて、その後再びチラシ配りに参加しました。療法は痛みを和らげましたが、ほんのしばらくの間だけだったので、私はマイトレーヤの『手』を使って助けをお願いするようアドバイスしました。けれども彼女はマイトレーヤを煩わせたくありませんでした。
 数日後、彼女から電話があって「結局マイトレーヤに助けをお願いしたら、奇跡が起こった」と言ってきました。「何でもできるわ。階段の上り下りも、お使いに行くことや歩くことも、自転車に乗ることも。広報のチラシを配るためにまた一緒に出かけられるわ」
 (マイトレーヤからの)助けを得て以来、彼女はどこにでも出かけています。しかも彼女はとても早いのです! 彼女はもはや理学療法士の所へ行く必要がありません。
ティリー・スリイケルマン、カタリーナ・ニイマン
オランダ、ベルゲン

集中してやり続けなさい

編集長殿
 2020年3月、私はメキシコシティで数日間過ごし、地元の瞑想グループの共働者と一緒に活動してから戻りました。私たちはメキシコシティのダウンタウンでブックフェアにブースを出しました。
 私が町に到着してから最初の夜には、夜遅くにフェアに立ち寄りました。私たち3人のメンバーが少し話をして、現在の出来事について、分かち合いのアイディアや解釈を話し合いました。見たところどこからともなく、アジア人の紳士が現れ、ブースに立ち寄りました。彼は見るからに場違いでした。そのイベントに外国人は多くありませんでしたし、まして彼のようにとてもエレガントな装いの人はいませんでした。彼は仕立ての良い緑色のスーツを着て、ピンを止めていましたが、それが旗のようであり、ベンジャミン・クレーム氏の絵画の一つにも似ていると思いました。彼は60代後半くらいの短い髪で、一人のメンバーがその髪を銀色と紫色と形容していました。「輝いているように見えた」と彼女は翌日語っていました。
 ざっと本を見た後、彼がマイトレーヤとは誰ですかと尋ねてきました。彼はスペイン語を話しにくそうにしていたので、英語の方が良いかどうか尋ねました。彼の訛りがひどかったので、話したことのすべてを完全に理解するのは困難でした。私が彼の質問にできる限り答えると、彼は私の答えを楽しんでいるようでしたが、それと同時に完全には満足していないように見えました。彼は続けて、どうしてわかるのかというような質問をしてきました。どうして確信できるのですか。まるで私にもっと深く掘り下げるよう後押ししているかのようでした。2、3質問した後、彼はアプローチを変えてきて、質問をするのではなく、教え始めました。
 彼は私のよく知らない仏教の伝統に属していたことがあり、マイトレーヤについて知っていると話していました。彼はマイトレーヤの名前を三つの異なったアクセントで発音し、サンスクリット語かあるいはパーリ語かと、私たちが想像するしかできない言葉で、マントラを唱えました。彼は私たちが三つの諸体、あるいは様相を持っていることについて語り、それは肉体と感情、そしてマインドで、マインドが他の二つの上位にあると言いました。彼はマインドには二つの選択肢があり、感情的であるか、理性的であるかで、理性的であることを探し出すようにと言いました。それから彼はベンジャミン・クレーム氏の著書の『伝導瞑想(21世紀のヨガ)』を指差しながら、瞑想について尋ねてきました。前の答えと同様に私の答えには完全に満足していないように見えたので、彼がもう一度会話の主導権を握ると、瞑想はマインドの完全なコントロールであり、完全な集中である(!)と言ったのです。マインドが気を散らさないようにすること、それは簡単ではないが、成し得ることなのです。
 私たちに話をしている間、彼は常にうれしそうな態度のままでした。彼はまるで楽しい時間を過ごしているかのようでした。また彼は鼻の先にメガネをかけていました。彼が私を見る時、彼は頭を下げてメガネの上から見上げるようにして、真っ直ぐ私の目を見ていました。他に彼が言ったことで覚えているのは、「でも覚えていてください、ヒンズー教の伝統では、肉体は幻想なのです」ということです。そして瞑想について話をした後、「忘れないで、アインシュタインが語ったように、すべては相対的なのです」と言いました。
 ここからは個人的なことですが、彼が私にどこから来たのか尋ねてきました。私がサンディエゴから来たと言うと、彼が私に(簡単に言うと)「ああそう、私はサンディエゴをよく知っています。ロサンゼルスとサンバーナーディーノには親戚がいます。新年は一緒に過ごしますよ。TJ(メキシコのティファナ)へ飛行機で飛んで、CBXブリッジ(越国境用の搭乗橋)を渡ります」と言いました。これは個人的に関係していることで、ちょうど1時間前に私がCBXブリッジを渡って、サンディエゴからティファナへ入り、メキシコシティへ飛んできたからなのです。
 彼は私たちに会話のお礼を言ってくれて、このような会話ができることは稀で、楽しかったと言っていました。私たちも彼に対して、言うまでもなく素晴らしい出会いだったことに感謝しました。
 彼が帰ってから、夜の間私たちはその出会いについて話をして過ごし、私たちに集中を維持して、その瞬間に存在し、受け取る結果を気にせずに、やり続けるように言われたようだったということで意見が一致しました。
 私の個人的な解釈は彼のタイミングに関係していますが、私たちが現在と未来の出来事について話していたので、彼が最初の夜に現れたのは、あたかもその後のイベントへの祝福のようだったのです。(彼の緑のスーツの選択については、数日後に大規模な女性のデモ行進が、メキシコシティやその他の地域の通りを埋め尽くし、多くの参加者が緑色のハンカチを連帯の印として身に付けていました)
A.M.
米国、サンディエゴ