読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 大宣言の日の後、人類が変化すると、宗教は崩壊するのですか。

A 全く違います。その反対です。しかし宗教は新しくなり、若返り、純化されるでしょう。古いドグマや教義はすべて宗教から取り除かれるでしょう。新たな生命と活力を持ち、人々のために新しい純粋さと現実性を持つようになるでしょう。そして進化し続けるでしょう。
 しかし、様々な宗教の中から次第に人々は神への新しいアプローチに引き寄せられるでしょう。それは新しい宗教と呼ぶことはできません。なぜなら信仰に基づいていないからです。それは信条に基づくものではありません。それは進化の科学であり、進化の過程の底にあるその科学に十分な関心を持つ人々がそれによって、マイトレーヤを通して、私たちが神と呼ぶものは私たちを超えたところ、空中、宇宙、私たちの周りのすべてに存在するという理解に至るでしょう。実際に、神が存在しない場所はありません。それが、神が存在するすべてです。しかし、マイトレーヤを通して、多くの人々は様々な宗教から引き寄せられ集合し、神への新しいアプローチを見いだすでしょう。それは、神と私たち各々の中にある神は同じ一つのものであるという認識です。私たちに内在する神性と私たちが神と呼ぶ超越的なものの間には分離や違いはありません。ですからもしそれを宗教と呼ぶならば、それが来るべき時代の宗教でしょう。
 しかしまだ長い間は様々な宗教がその純化された状態で続くでしょう。例えば、イエス覚者は、至るところのキリスト教団体の長です。彼の仕事は、これらの団体から、今日までキリスト教の多くを支配している人間のつくった教義やドグマを取り除くことです。

Q 魂が転生するのは、受胎の時ですか、誕生の時ですか。

A 実際、どちらでもありません。魂は赤ん坊の肉体のために器を準備します。魂はそれをエーテル肉体の中に設置し、それが次第に固い物質体になります。およそ第4週に、魂は将来の赤ん坊が第4週から5週になる頃にその物質に生命を与えます。

Q マイトレーヤは神の唯一の子ですか。

A 決してそうではありません! 全宇宙にそのような存在はいません。神の唯一の息子や娘であるような人間は存在しません。すべての男女、すべての子供は聖なる存在──神の息子や娘です。マイトレーヤにお会いしたら、「あなたは神の唯一の子ですか」と尋ねてごらんなさい。またはパレスチナでマイトレーヤを代理したイエスに対して、聖書に書かれているように彼は神の唯一の子なのかどうかを尋ねてみなさい。彼は、そうではない、そのような人はいない、と言うでしょう。「どうして私がそうであり得るでしょうか?」と。
 それは、聖パウロとして知られている弟子パウロであった──聖パウロ※としても知られている──偉大なる存在によって最初に提示され、拡張され、知られるようになった空想です。聖パウロはキリスト──つまりイエスを通して働いたキリスト──の神性を強調しすぎました。実際、彼はキリストに会ったことはありませんでした。彼は初め、「大管区指導者」としてキリスト教徒を迫害していました。彼は第3段階のイニシエートだったので、その仕事をとてもよく行いました。ダマスカスに行くまでは。ダマスカスへの途上で、彼は落馬し、3日間盲目になり、それから視力が戻りました。
 彼は元々サウルと呼ばれていました。そしてダマスカスへの路上でパウロになりました。彼は偉大なイニシエートであり、途方もない力と勇気を持っていましたが、狂信的でもありました。その狂信性がキリストの実在性についての歪曲の理由であり、実際、キリストを人類から切り離しました。彼の教えは神を人類から切り離しました。誰も神ではなく、それでもすべては神です。独自の神の子というような存在はいません。
※「聖パウロは確かに鼓舞されましたが、マイトレーヤによってオーバーシャドウされたのではありません。彼は第3段階のイニシエートでした。(この出来事は、聖書の中で、ダマスカスへ行く途中での彼の『転向』と彼が3日間盲目であったという話の中で、劇的に記録されています)。ジュワル・クール覚者の聖パウロに対する批判は、パウロが古いユダヤ教の教えに順応させるために、新しい教えを部分的に歪めたことに関連しています(にもかかわらず、パウロのことを『あの偉大なるイニシエート』と呼ばれていますが)。彼はイエスの神聖さを強調しすぎ、排他的なものにしてしまいました。聖パウロのあの神秘主義が、今日に至るまでキリスト教の教会のアプローチを彩っています」
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命 第1巻』)

Q 私が自分自身の個人瞑想の形式を持たないならばどうすべきですか。

A あなたが個人瞑想のやり方を持たないなら、一つ簡単なやり方があります。あなたの頭の上に、輝かしい黄金の球体が火のように光っているのを視覚化しなさい。「アスピレーション」と呼ばれるリトグラフは、この黄金の光の球を描いています。このように視覚化できます。それは黄金の火のようですが、球体の形をしています。大きなグレープフルーツくらいの大きさで火のような球として思い描き、そこからエネルギーが黄金の雨のように降るところを想像しなさい。あなたが座っているところに、黄金の雨が降り注ぎ、とても微細な雨が静かに柔らかくあなたの頭と肩と周囲全体にシャワーのように降ってくるところを思い描きなさい。あなたはそれを視覚化し、想念形態を築きます。時々それが消滅し、どこにあるか分からなくなるでしょうが、何の緊張も感情的障害もなしに、ただ静かにそれを築き、再び頭上にそれを視覚化し、頭と肩を取り巻くのを想像しなさい。それが消えたら、何の興奮もなしに、ただ静かにもう一度築くのです。

アスピレーション(志向)

ベンジャミン・クレームの絵画「アスピレーション」(1964年)の解説:
「白い光で包み込んでいるような、白い形態に囲まれたバラ色の形態の中に、燃えるような金色の玉がある。金色の玉は魂を表している。黄金の火の玉、金色の火は、瞑想中、瞑想者の頭上に、人間の魂として思い描くことができる。これは人間の魂についての認識、魂との一体化へ向かっての志向を象徴的に表している。
 志向と瞑想を通して、パーソナリティー(肉体人間)はアンタカラーナ、すなわち光の橋によって魂と連結される。この絵では、アンタカラーナはバラ色を取り囲む白色の輪で象徴されている」
(『現代のマンダラと不朽の知恵──ベンジャミン・クレームの秘教芸術』)