カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

 歩み続ける

 編集長殿

2014年の初め頃、私はロンドン市内を通って家に帰っていました。夜遅い時間で、長い1日の仕事を終えて、疲労感があり、多少気落ちしていました。列車は何かの理由で迂回していたので、帰路を長引かせることになる乗り換えをしなくてはなりませんでした。2番目の駅でプラットフォームへの階段を下りていると、年配で、おそらく80代の男性が非常にゆっくりと歩いているのを見かけました。彼は黒人で、普通の服装にキャップを被っていました。彼より背が高く、もっと若い、60 代くらいの男性が介助して腕を支えていました。人々がいち早くプラットフォームに着こうと足早に通り過ぎていきましたが、どこか無礼な気がしたので、私を含む数人は二人の男性の背後を非常にゆっくりと歩きました。足取りがゆっくりなために、長い時間がかかっていました。

プラットフォームで列車を待っていた間、私がいつもするように列車の先頭へ歩いていくよりも、その二人の男性の近くにいたいという気持ちでした。列車のドアが開くと、私は年配の男性の手助けをしようと、彼のもう一方の腕を支えて車両に乗り込みました。彼は「神の祝福を」と言ってくれました。私は腰を下ろすと、自分が信じられないほど感動していることに気づきました。そのような骨折りをして、彼らが平日の夜遅い外出で、何をしているのか不思議に思いました。その当時歩くのが非常にゆっくりなペースになり、介助も必要な私自身の父親のことが思い出されました。そのことで自分の疲労感というものを、明らかに客観的に見ることができました。彼らは私と同じ駅の、ロンドンの反対側で列車を降りて、再び非常にゆっくりとした足取りで駅を出ていきました。

タラ・クレーム

英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その年配の男性がイエス覚者であったことを確認した】

 ローカル・サービス

編集長殿

911日の 10日後に、私は地元の電子通信会社の請負業務の仕事を解雇されました。11月が来る頃まで、私はスランプに陥らないように忙しく過ごしていました。地元の教会のスープキッチンでボランティアをして、教区民の小さなグループに提供していました。30代の男性がいて、「ジョン」と呼ぶことにしますが、食料の準備とテーブルセットのボランティアをしていました。

私たちは35人に食事を出していました。全員が席に着いていた時、ジョンが少しの間席を離れ、また戻ってきました。全員がまだ食事中の時に、ジョンは歩いて回り、皆に10ドル札を渡していました。私は彼の親切にとても驚いたので、この慈善活動から特別の祝福を受けるのは間違いないと彼に伝えました。

私たちが片付けを始めた時に、あと二人の男性がやって来ました。一人は背が高くカジュアルな服装で、もう一人は小柄で様々なスタイルを取り入れた格好で、変わった歩き方の人でした。私が二人に食事と飲み物を出すのを手伝うと、二人は椅子に座りました。私が片付けに戻った時、小柄な男性が私に近づいてきて、「ここの誰かがお金を手渡していると聞きました」と言ってきたのです。私は、ジョンがお金を全部渡してしまい、もう残っていないことをお詫びしました。

この最後の二人の紳士については、どこか場違いなところがあると、私には思えました。このことをその後数日間は考えていたのです。彼らはマイトレーヤとイエス覚者だったのではないかと思っているのです。

アイリーン・ダ・シルバ

米国、フロリダ州

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らが実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 庭の訪問者

 編集長殿

もう4年以上も、私は小さな村に住んでいます。2002 5月のある特別な日に、庭仕事を終えて、通りにある庭の門に行きたい気持ちになりました。私が正面の庭の、チューリップが咲いているのを眺めていた時、女性の声で土壌の乾燥か何かについて尋ねているのが聞こえました。庭の門に近づいてみると、年配の婦人と背の高い中年の男性がいました。私は花咲く植物がいかに美しく見えるかを伝え、光の力がより一層効果的になったら良いと思うと言いました。私に気づくと同時に、その婦人が「あなたは信仰の厚い方?」と尋ねてきたのです。

私は少し戸惑っていました。すると再び「あなたは信仰の厚い方?」と聞かれました。それでも私は返事をせずに、ただ微笑んでいました。するとさらに「あなたは信仰が厚い?」と低い声でしつこく質問が繰り返されたのです。

私は心の内に喜びを感じ、ホッと一息ついてから、「はい、そうです」と答えました。その女性は聖書や宗教、私の信仰について話をしました。男性は少し脇に立ったままで、何も言わず、私に向かって心に深く触れるように微笑んでいました。彼は明らかに顔に皮膚病を患っていました。その婦人の外見のあらゆるところが、とりわけて一点の曇りもないように見えました。何か特別なことが起こっているのは明らかでしたが、私にはそれについて考える時間がありませんでした。

彼らが帰ろうとした時、何気ない様子で「あなたはキリストの再臨を信じますか?」と尋ねられたのです。私は返事をしたかったのですが、どうやって素早く返事をしたらよいかわからなくなっていました。それで私は、「すでにこの世に出られていて、私たちの中に常におられるということは確かではありませんか?」と尋ねました。彼らがついに帰ってしまう前に、とても楽しいお話だったと言ってくれました。この会話の後、長い間私は幸せを感じ、楽しい気持ちでした。

二人の訪問者はマイトレーヤとイエスだったのでしょうか。

カルメン・エベル・ヌファ

ドイツ、クラインクラウスニク

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

 

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

次の2通は同じ人物からのものです。

 特別席

 編集長殿

1200286日に、私の友人アンジェラと私は、ベンジャミン・クレーム氏の講演会に参加するためにサンフランシスコで会いました。私たちは早めに到着し、正面の良い席が見つけられるように、やきもきしながら会場が開くのを待ちました。私たちは3席だけの狭い列に腰を下ろしました。座っている時、私が笑いながら友人に「この隣の席を特別な方のために取っておくわ」と言いました。その時どうしてそんなことを言ったのか不思議に思っていました。クレーム氏の講演に参加できてから10年以上が経っていたので、この特別な講演を再び聞くことについて、私たちは楽しく話していました。

やがて、背が高くとても身なりの良い白髪の男性が、とても丁寧に「あなたのお隣のこの席に座ってよろしいでしょうか?」と尋ねてきました。彼の際だった存在感は私を驚かせました。私の最初の印象は、おそらく彼は外交官かテレビのタレントだろうというものでした。彼は非の打ち所のない服装で、彼の靴はまるで新品のようにしか見えませんでした。これがクレーム氏講演会の初めての参加かどうかを、私は彼に尋ねました。彼が正確に何と答えたか覚えていませんが、彼はシッダルタについての美術展でポスターを見たことと、この講演はこれほど大きなホールで開かれるくらい重要なものに違いない、ということを言っていました。彼は「ちょうど通りの向こう側」に住んでいると言って、クライストチャーチ大聖堂の方を指差しました。頭の中で私はその方角にアパートの建物か何かを思い出そうとしていました。

それから私は彼に「あなたは何より素晴らしいものに来られたと思いますよ」と言いました。彼は私に初めてこの話について知ったのはいつかというような質問をし始めました。彼はとても気さくで話しやすい人で、すっかり打ち解けていたので、私が最初にマイトレーヤについて聞いた時のことを話し始めました。1977年にアリス・ベイリーの勉強グループの先生が、ベンジャミン・クレーム氏の講演会を伝える手紙と、さらにマイトレーヤからのテレパシーによる最初のメッセージ(テープ)を受け取ったことを話しました。初めてマイトレーヤのメッセージを聞いた時、私は電気でしびれたようになり、本当に何かが私に起こり、真実の響きを聞いたのだと、その際立った紳士に伝えました。彼はうなずいていました。私の最初の反応は、その男性の講演を聞くために、ロンドンへ飛行機で向かったことでしたが、私がすべき行動ではなかったと思っています。

翌年の夏、私の夫と共にルイジアナからオレゴンへ引っ越しましたが、さらなる情報を待ち続けていました。3年後、私たちはクレーム氏が米国へやって来ることを耳にしました。私たちはそれを知って、本当に大喜びでタラ・センターと一緒に、他の人たちにマイトレーヤについて伝えることに懸命になりました。その際だった紳士は熱心に聞いてくれて、続けて質問をしてきました。彼はとても興味を持っているようで、度々「そうですね」と言ってくれました。彼からその後私が買ったばかりの本を見せて欲しいと言われ、とても丁寧にお礼を言ってくれました。私は彼に翌日の夜開かれる伝導瞑想について伝えました。彼は「ご招待に感謝しますよ、ありがとう、でも他の予定がありますので」と言いました。

おそらくこの男性はただ感じが良くて、とても礼儀正しい際だった紳士だったのでしょう。彼にはとても馴染みがあるように見えましたが、思い出せないのです。おそらく彼をテレビで見たことがあるのか、もしかしてイエス覚者だったのでしょうか。

【ベンジャミン・クレームの師は、その『際だった紳士』がマイトレーヤであったことを確認した】

 〔追伸〕数年間、私は腰の下から臀部の椎間板が原因の痛みのために、歩くことが困難でした。アンジェラと私がサンフランシスコで講演に行くために、丘を上ったのは本当にお笑い種でした。私たちは数分ごとに立ち止り、その間中笑っていました。講演が終わって、あなた(クレーム氏)を見送ってステージから離れた時、足を引きずっていないとわかったのです。もう改善していたのです!

長年にわたって与えてくださったあなたの助けと導きに感謝します。私たち皆がどれほど祝福され、他の人々にこの希望のメッセージを届ける役割を、どれだけより良いものにしてくださったかわかっています。この20年ほどの私の人生は最も大切なものであり、もっとやっていく必要があるとよくわかります……。

 年のわりに大人びて

 21996年の夏の終わりに、オレゴン州ポートランドに住んでいた時、自宅の隣の丘に沿った歩道に腰を下ろして花壇の世話をしていました。湿度の高い夏とさらなる高温の後で、花は枯れ、うどん粉病になっているものもあって、手当てが必要でした。私が枯れた花を切り、植物を引き抜いていると、金髪で青い瞳の、6歳くらいに見える幼い少年たち二人が、私の横で立ち止り、尋ねてきたのです。「あなたは幸せですか?」「やっていて楽しいですか?」これまで見かけたことのない幼い少年たちから、そのような質問を聞かれてとても驚きました。実際にどのように答えたのか覚えていませんが、彼らに微笑みかけて、どこに住んでいるのか不思議に思ったのを覚えています。彼らは「さようなら」と言って、私を通り過ぎて丘を上っていきました。

数秒後、彼らを見ようと振り返ると、いなくなっていて、おそらく角を曲がったのでしょう。私はまだ彼らの質問に少し戸惑っていて、再び彼らに会うだろうかと思っていました。二度と会えませんでした。この楽しい出会いから何年も過ぎましたが、彼らが私を見た時の、誠実で思いやりのある眼差しを忘れることはないでしょう。もしかして、彼らがイエス覚者とマイトレーヤだったのでしょうか。

ナンシー・ブラウン

米国、テキサス州キャロルトン

【ベンジャミン・クレームの師は、その『幼い少年たち』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 敬礼

 編集長殿

2002年の)ケルクラードでの例年の研修会後の火曜日に、私はスイスの友人たちを訪ねました。帰りの道中でハイデルベルクに立ち寄りました。美しい日でした。友人はシュヴェツィンゲン公園を散歩することにしました。

私たちが歩いていると、体の不自由な男性が電動車椅子に乗ってやって来ました。彼はとても気さくに挨拶をしてくれました。私が驚いたのは、ハンディキャップのある車椅子の人たちはほとんど内向的に見えていたからでした。歩き続けていると、池に二羽の美しい鶴がいるのが見えました。私たちがただ鶴に見惚れていた時、同じ身体障害の男性が再び現れました。彼は、「鳥たちは私の方へやって来ますよ」と言いながら私を見つめました。突然すべての鳥が彼の方へと飛んできて、二羽の鶴もやはり飛んできたのです。

鳥たちは彼の脇に立って、彼に向かってうやうやしくお辞儀をしました。この不思議な力の人物は誰だったのか知りたいと思います。

メモ・ノイペルト

ドイツ、ハンブルク

【ベンジャミン・クレームの師は、その『車椅子の男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。しかし、最初の2通は新しい手紙で未確認であるが、読者の参考のために掲載している。

次の2通は同じ人物からのものです。

一人じゃない

編集長殿

(1)私はつい先日、ベンジャミン・クレーム氏の生涯と最近の死去についての記事を読みました。その中で「クレーム氏の支持者たち」が彼なしで、指導や支援なしで、どのように仕事を続けていくのかという疑問に触れていました。クレーム氏の死去から約1カ月後に起きた、私自身の体験をお伝えします。

現在の世界の混乱を思うと、ベンジャミン・クレーム氏の覚者の関心は他の場所で緊急に必要とされており、私たちのようにベンジャミン・クレーム氏と共に働いたグループにいる者たちは、クレーム氏を通して与えられた覚者の、鼓舞される存在なしで働くことに、慣れなくてはならないのではないかと私は思っていました。瞑想のために腰を下ろした途端に、すごいエネルギーが、これまでよりももっと強力に、私の内側と全体に注がれ、覚者方との近さに何の疑問もなくなっていました。私の思いは聞かれ、私の問いは答えられ、信念が再び確認できたのです。

聞かれた祈り

(2)ベンジャミン・クレーム氏が亡くなってから、1カ月ほど後のある晩、個人瞑想の終わりに、私はマイトレーヤの『手』のカードを使ってマイトレーヤに、ハートのチャクラに関係した具体的な助けをお願いしました。反応はあっという間にありました。この過程は日にちが経っても続いているように思え、2017年になりました。私たちは一人ではありません。すべての思いや祈りは聞かれ、応えられるのです。

匿名希望

稀な励まし

編集長殿

私たちは月曜日に、オランダのアルメロにある私たちの家で伝導瞑想をしています。私は(2002年)2月18日に一人で家にいて、伝導瞑想までにあまり時間がないと分かって、急いで近所のショッピングセンターに食品の買い出しに行きました。

ショッピングセンターの一番人通りの多い出入り口に近づいていた時、一人の男性がそこに立っていて、イエスの顔が見えるトリノの聖骸布のカラー写真を持っていました。その写真は約30cm×60cmのサイズで簡単な木製の額に入って、彼の首から下げられていました。彼の手には小型のチラシで、やはりカラーのイエスの顔の小さな写真が印刷されたものを持っていました。裏側には何か言葉が印刷されていました。そのすべてを見た時、その男性がマイトレーヤかイエスに違いないと思い、ショックを受けました。けれどもその時私はためらい始めて、もっと近くで見ていると混乱してきて、間違いをしてしまいました。

私はそれがマイトレーヤやイエスであり得ないと思ったのです。彼は背の高い男性で190cmくらいあり、非常に貧しい身なりで、まるで働いている農場から真っ直ぐここにやって来たかのようでいて、1960年代のファッションの格好をしていました。彼はとてもほっそりとした貧相な顔に少し青筋が見えて、冷たい雨の天候の中で真っ赤な頬をしていました。

私は買い物をして、入った時と同じドアを通って帰りました。彼はまだそこに立っていました。私は彼に言葉をかけて、どのような団体から来ているのか尋ねることを思い付きました。しかし、彼が受け入れてくれそうな様子もなく、私からもそばを通り過ぎる他の人たちからも常に顔を背けていたので、敢えて彼の所へ行く気がしませんでした。私は家に帰ることにしました。

家に帰りながら、その出会いのことを考え続けていました。数日後、あの男性が目立つ(背の高い)人物でお腹の辺りに大きな写真を持って立っていたにもかかわらず、あの入り口で私と一緒にいた人たちは誰も彼の方を見なかったので、まるで彼の姿が見えていなかったようだったことに気づいたのです。

その晩、私は非常に集中した伝導瞑想ができて、これまで体験したことのないほどでした。

人は覚者にお会いしたと思った時、常に説明を求めるものです。個人的に私はこの出会いが、人生を続けていくこと、やっている仕事と共に生きていくことへの励ましであり、ちょうど背中をポンポンと叩いてくれたようだと思っています。私は感動し、この心遣いに大変感謝しています。

この体験に関して私は正しいでしょうか、つまりこれはマイトレーヤかイエスとの出会いでしたか。私が気づかなかったメッセージがありましたか。どちらにしても、とても素晴らしい気持ちになりました。

H.M.

オランダ、アルメロ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

感動の出会い

編集長殿

(1)私がその年(2002年)の初めの短い期間、オランダのスヘルメルホルンにいた時、川のそばの道路で犬を散歩させていて、突然 25mほど離れた所に、背の高い男性とずっと小柄な女性が手をつないで、私の方へ歩いて来るのに気づきました。男性は白い服装で眼鏡をかけて、小さな帽子を被っていました。女性はアジア人のようで、髪をひっつめてシニヨンかお団子に結んでいました。彼らが私の所へ来ると、男性が挨拶をして「ここはものすごく静かだね?」と言いました。私が同意すると、彼はさらに「僕たちはほんのちょっと先のトレーラーハウスに泊まっているんだ」と言って、(私の背後の)少し離れた所にある運河の方角を指差しました。彼の顔は喜びに満ちた微笑みを浮かべ、彼の瞳は黒く澄んでいました。女性はただ静かに微笑みながら立っているだけで、何も言わず私を見つめていました。その間中、私は周囲の感覚がなく、深い静寂が私たちを取り囲んでいたのです。そして男性が「もっと遠くまで散歩に行くつもりなんだ」と言いました。彼らはお別れを言って歩いていきました。彼らがいなくなっているかもしれないと振り返りましたが、遠くに二人の人影が見えていました。

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

 

消える技

(2)翌日、私が再び犬の散歩に出かけた時、辺りを見回していると一人の男性と小さな子供がいるのに気づきました。父親は屈みこんで、小さな三輪車に乗った息子を押してあげていました。数秒後、振り向くと誰も見えませんでした。それで二人は家の方へ向かって道を逸れたかもしれないと、戻ってみましたが、誰もいなかったのです! 道路から運河の上の家に続くでこぼこの小道までは25mから30mくらいです。彼らはただ消えてしまいました。父親が息子を連れて家に素早く駆け戻ったのか、あるいは本当に「全く別の事態」だったのですか。

ヨス・クイル

オランダ、アムステルダム

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、小さな子供がイエス覚者であったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。しかし、最初の2通は新しい手紙で未確認であるが、読者の参考のために掲載している。

 慰め

編集長殿

9年前、私の妹のアネットがクチナシの鉢を誕生日に贈ってくれて、翌年の復活祭の頃には満開の花を咲かせました。それから今年まで毎年復活祭の時に花が咲いているのです。10月の初めに小さな蕾を付けたのを見て、不思議だと思いましたが、季節外れなので朽ちてしまうだろうと思っていたのにそうならず、1023日の日曜日に咲き始めて、ゆっくりと花弁が開き、かぐわしい香りが広がりました。月曜日にベンジャミン・クレーム氏の死去の知らせを知った後、花は満開になり、香りはすばらしいものでした。私は写真を一枚撮りました。3日後、花は萎れてしまいました!

別の出来事では、電話で1024日の月曜日にベンジャミン・クレーム氏が亡くなったと知らされた瞬間、心の内から深い悲しみが込み上げてきたので、一人になるために急いで2階へ駆け上がりました。感情に押しつぶされそうになり、いきなり泣き出してしまったのです。ちょうどその時、心地良い声が「私はまだここにいる」と言うのが聞こえました。それだけでしたが、即座に圧倒的な平安の存在を感じ、平穏さを取り戻して喪失感もありませんでした。

スザンヌ・フィリップス

英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド

Comfort

編集長殿

20161024日の朝、私は個人瞑想を始めて、瞑想して5分ほど経った時、容態が非常に悪いと聞いていたベンジャミン・クレーム氏の様子を見てくださるようにお願いしました。

即座に非常にはっきりと、「彼は私と共にいる」と言う声が聞こえました。私は静けさに包まれたように感じ、ベンジャミンさんが亡くなり、彼の師と共にいることを知ったのです。

私はそのまま瞑想を続けて、終わった時、ベンジャミンさんの家族から数時間前に彼が亡くなったことを知らせる伝言が、私の携帯電話に届いていました。

A.M.

英国、ロンドン

静かな存在

編集長殿

1998年の春に、私はレマン湖(ジュネーブ湖)へと歩いていき、パキという場所を目指していましたが、パキはあらゆる人種のあらゆる人々がいる、まさに人種のるつぼだと教えてくれた友人が一緒でした。その場所で、私はすっかり有頂天になり、心から生きている実感が湧いてきました。

私たちが水辺の階段へ行き、腰を下ろしていると、一羽の白鳥がすぐ近くを通っていきました。一人の若い男性が階段のてっぺんに座っていて、私にタバコを求めてきました。私は彼の瞳を見ました。私が一瞬ためらったのは、あなたを知っている、とてもよく知っていると彼に言いたくなったからでした。

彼は30歳くらいで、スニーカーにジーンズ姿でシンプルな薄茶のジャケットを着て、ほっそりとした顔にきれいな肌で、ラテン系のような黒っぽい髪でした。

私はバッグを引っ掻き回しました。すぐにタバコを渡さなかったことを申し訳なく思っていました。一瞬後、火はある? と聞かれました。またもや火のことを思いつかなかったのを情けなく思いながら、彼にライターを渡しました。

一喜一憂しながらの沈黙の瞬間でした。私が湖の方を見ると、白鳥がそこにいて、一息つくと、心から落ち着いた気持ちになりました。彼の存在を感じていましたが、振り返ると彼は何の気配もなく、いなくなっていました。彼の顔や瞳にはエネルギーや存在感があって、私はいつでもそのことを思っているのです。

その晩、イエスの絵を眺めていると、再びあの若者の顔と瞳が見えました。その後の1週間、私は大切な出会いがあったと考えていました。私の考えでは、もしそのような次元の人間たちが私たちにメッセージを送ろうとしているなら、一般の人類にとっては、私たちの問題を正しく捉えておくことが重要だと思うのです。彼はキリストでしたか。

J.ミレ

フランス、ガイヤール

【ベンジャミン・クレームの師は、その若い男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 豊富な祝福

 編集長殿

それは2001325日に起こりました。私は見たかった映画を見るために、サンフランシスコへ車で向かっていました。午後のことでした。私はお金をいくらか下ろして食事をすることにしました。サンフランシスコのバン・ネス通り沿いをマーケット通りに向かって歩いていました。何人かの人たちが私に小銭を求めてきました。そのような時、私はいつも小銭を渡し、祝福を伝えます。助けが必要と思われる人は誰でも祝福したいと思っていますし、通りで物乞いをしている人や道路上で車が壊れてしまった人、祝福が必要と思える、その他どんな人にもという意味です。ともかくマーケット通りに着く前に、そのような明らかに恵まれない人たち二人に出会いました。バン・ネスとマーケットの交差点で、アフリカ人ともアジア人ともとれそうな外見で、物乞いをしている一人の男性に出会いました。11セントしか手元になかったので、それを彼に渡し、祝福も伝えました。彼の背後にいた、体格の良いアフリカ系アメリカ人で明るい肌色の女性が、「あなたはあなたのものを受け取るでしょう、あなたへの祝福ってことだけどね」と言ったのです。

その人たちは何か普通ではなかったのでしょうか。

H・ド・グラス

米国、カリフォルニア州バークレー

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

  数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れた。時折、彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。最近になって覚者方は、代弁者の男女や代理人を通して働いてもいる。そのような体験の報告がシェア・インターナショナル誌に寄せられ、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた手紙は、掲載される。

 これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。これらの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。

  (注:掲載不可の意思表示がなければ、名前を掲載しても良いと編集長は解釈します。希望しないという要請がない限り、手紙が本誌のウェブサイト上に記載されることがあります。イニシャル、都市名、国名のみが掲載されます)

 

肯定的な反応

編集長殿
この夏(2016年)の7月に、私たちはカリフォルニアのロサンゼルスで数日滞在し、パシフィック・パリセーズ地区にあるベンジャミン・クレーム美術館の宣伝をしました。私たちはウェストウッド地区にあるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の中の店を訪ね、人々に美術館への来場を呼びかけました。ベンジャミン・クレーム氏による『タンカ(チベットの伝統的な仏画)』の絵と、美術館の情報が書かれた10×15cmのカードを、店の人や店内で興味を持ってくれた人に手渡していました。どの人からもとても良い反応と温かな笑顔を向けられました。店の営業主たちは、店の中の掲示板にカードを貼り、カウンターや従業員の休憩室にも置くことを請け合ってくれました。美術の学生たちはとても興味を示してくれて、秘教美術についてもっと知りたがっていました。彼らは他の学生に渡すための追加のカードまで求めてくれました。
二日目にはサンタモニカのサード・ストリートの遊歩道沿いを歩き、商店主たちからの反応は、UCLA地区での最初の日と同様に並外れていました。人々はとても熱心で、美術館を宣伝する私たちの努力にとても協力的でした。
その日の終わりに、私たちの手元にはほとんどカードが残っていませんでした。帰ろうとしていた時、道沿いの商店街の真ん中の売店に腰を下ろした、カジュアルな服装の紳士が、宝石やペンダントを売っているのに気づきました。その男性は中東の顔立ちで30代後半か40代前半のように見えました。私たちは彼にも美術館への来場を勧めました。会話の間、美術館の主要作品であるタンカの絵のカードを渡し、さらに美術館についての情報を伝えました。
すると彼から、「これはマイトレーヤについて話をしている同じベンジャミン・クレームですか?」と尋ねられました。私たちは「はい、そうです」と言いました。それから彼はタンカの絵をじっと見つめて、ためらいのない自信に満ちた様子で、「この絵は覚者と弟子との関係を描いています。頭の天辺の周りの円形は、意識のレベルを表します。バラ色のカーブした線は宇宙の愛のエネルギーと全宇宙の相互連結性を示しています」と言ったのです。絵についての彼の即座の解釈に、すっかり驚いてしまいました。
その男性と目を合わせると、彼の瞳は非常に鋭く、強烈でした。彼は一人のシャーマン(まじない師、一種の宗教指導者)と南米で仕事をしていた時の、ある体験を話し始めました。彼は、「私がそこにいた時、とてつもなく影響を受けたキリストとの出会いがありました。それはキリストの圧倒的な愛の、ものすごい体験でした。私は泣けてきて、泣き止むことができませんでした」と語ってくれました。
彼の体験の話を聞き終えて、私たちは「間もなく人類すべてが、大宣言の日に同じような体験をするでしょう。その時マイトレーヤが全世界にご自身を現わされるのです」と言いました。
その店主は微笑みながら、美術館への招待のお礼を言ってくれました。
私たちはその紳士が特別な方だったのだろうかと思っています。
A.D.、D.D.
米国、ジョージア州マリエッタ
【ベンジャミン・クレームの師は、その店主がマイトレーヤの代弁者であったことを確認した】
洞察力

編集長殿
英国がヨーロッパ連合に留まるか離脱するかを決める、2016年6月23日の悪名高いEUの国民投票の前日、私は英国の空港にいました。
私のフライトが遅れていたので、込み合ったカフェのエリアで座って待っていました。一人の若い男性が同じテーブルに座ってよいか尋ねてきて、楽しい会話が始まりました。「楽しい」のは仲間という感覚や一体性、お互いに話をする喜びがあったからです。世界は変わる必要があるということで意気投合し、私たちの政治や経済、社会構造は時代遅れで、私たちは世界全体が公正な社会と、持続可能な生き方を創造する必要があることにも賛同していました。
彼は英国北部に住んで仕事をしていましたが、移民で、彼の両親はシリア人とポーランド人でした。私たちの会話は国民投票にも及び、人々はEUを離脱する方へ投票するだろうという憂鬱な思いがしていましたが、努めて物事の肯定的な面を見るようにして、世界には正義や分かち合いという考えに、積極的に反応する十分な人々がいるというようなことを思っていました。国民投票について、彼は悲しそうに首を振って、人々はわがままで怖がりだと言いました。彼は警告を与えているように思えました。
彼が去っていく時、仕事でソフィアに行く予定だと言っていました。ソフィアというのは智恵を意味しますので、私はこれをヒントだと思いました。彼は代弁者でしたか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、彼がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

宇宙全体のために歌う

編集長殿

2016年8月6日の朝、夫と私がフランス南部の地元のキャンプ場からディー・センターまで、日課の散歩に出かけた時、ディーのノートルダム大聖堂の、教会の鐘の音が聞こえました。

歩きながら、私たちはたとえ他の人の考えや期待に沿えないとしても、人生で正直であることや、人生の道のりに真に全力を捧げることについて話し合っていました。生まれ変わりやマイトレーヤのこの世界への出現、地球外生命の存在のような話題は、他の人々との会話に持ち込むことがしばしば困難なもので、大抵はバカにされているように感じるのです。

私たちはマイトレーヤの教えや、真に自分自身であることの必要や、適応のための行動の中で仮面を被らないことについて議論していました。その週の初めに、私は助けを求めて祈りを捧げ、この混沌として不安定な現代世界で、霊的ハイアラキーの光の仕事の枠組みに、つながりを保てるようにお願いしたのです。

私は大聖堂へ行って、キャンドルに火を灯すように強く促されたように感じました。内部に入ると、とても美しく感動的な音楽が、大聖堂を満たしているのが聞こえて驚きました。キャンドルに火を灯すと、気持ちが高揚したのを感じ、まるで私のハートに染み込む音の中に融合したかのようでした。私は立ったまま音楽のエネルギーに夢中になりながら、その音楽の源を見て驚きました。一人の男性が最前列の椅子の前の、石の床の上に足を組んだ蓮のポーズで座っていたのです。彼は体の前側にインディアン・ハルモニウム(携帯オルガン)を持っていて、完全に没頭して演奏していました。彼はとても自然な感じで、心を込めて歌い、演奏をして、まるで彼の存在全体が演奏の中に浸されているかのようでした。彼の演奏の強烈さがそれ自体を特別で馴染みのないものにしていました。それは全く美しいのですが、その独特の性質がどこか地球的でない感じでした。外の通りにいるミュージシャンたちのように聴衆もなく、お金を集めてもいませんでした。彼は自分の歌と完全に同調していたのです。

私は自分の個人的な状況について考え、食べ物や子供たちの面倒を見ること、請求の支払いやその他の義務、世界のニュースなど日々の関心事に、いかに簡単に心をかき乱されてしまうかを思いました。このミュージシャンが完全な注意と真の集中状態にあることと、どれほど異なっているでしょうか。言葉もなく、マントラもなく、彼はインディアン・ハルモニウムを伴奏しながら、心から歌っていて、それはまるで宇宙全体のために歌っているかのように感じられ、彼の存在が全くの奉仕の仕事の中に溶け込んでいるようだったのです。その音楽のエネルギーは、伝導瞑想中のマイトレーヤからのオーバーシャドウの時のエネルギーのようでした。この人はマイトレーヤなのだろうかと思ったのです。

それから礼拝者のグループが聖堂内に入って来ました。彼らはそのミュージシャンが歌っているのを聞いて、予期せぬ状況について意見を交わしていました。しばらくすると、聖具保管担当の人が彼らのところへやって来ました。私は腰を下ろして、その担当者がミュージシャンに美しい演奏を続ける許可をして、その特別な音楽を楽しんでくれたらと望んでいました。私はこの世界にもっと愛と寛容が必要だと思いながら、このディーの街で寛容の象徴的な行為を受け入れることになるなんて(!)と思ったりしていました。

私は一人で笑ってしまったのですが、もしこの男性がマイトレーヤならば、ご自身が完璧に状況を把握することができたのですから! その担当者はミュージシャンを数秒間眺めてから、演奏を続けることを許可しました。

私の夫のヤンは、この美しい活動が人生の道のりであるなら、何より深い敬意が示される必要があると思っていました。このことで彼は、私たち皆が、自分自身の人生の道のりをたどらなければならないと感じたのです。ヤンはそのミュージシャンの写真を撮り、お金をいくらか渡しました。「(フランス語で)あなたはとても気前がよいですね」と彼は満面の笑みでヤンに答えました。ほんの一瞬、彼は演奏を止めました。私たちは、10 代の私たちの娘を迎えに行かなければなりませんでした。

ミュージシャンが演奏している間、私たちは彼の前を歩いて通り、演奏を邪魔したくはありませんでしたが、彼の喜ばしい音楽に感謝の気持ちを示したかったのです。

「(今度は英語で話し始めて)私の音楽は純粋なインスピレーションによるもので、私のハートから、フィーリングから演奏しています」と話してくれました。

そのミュージシャンはインド人の風貌で、黒っぽい瞳で、彼の瞳は愛と優しさに溢れていました。私たちはマイトレーヤに出会ったかのように感じていました。私には他の写真を見ても、伝導瞑想の時でも、その瞳やエネルギーが分かっていました。私たちはうなずくだけで、何か口が利けない感じがして、強烈な愛と至福の喜びに満たされていました。

二人一緒に黙ったまま大聖堂を出て、日に照らされた人通りの多い市場のある広場に戻ると、マイトレーヤによる音楽とエネルギーで祝福を受けたのではないかと、二人ともが思っていたのです。

マリヤンヌ・ラエフェン、ヤン・カールハト

オランダ、フォーレンダム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『ミュージシャン』が変装したマイトレーヤであったことを確認した】

 

クリスマス物語

編集長殿

2015年12月18日に、プレゼントのためのクリスマスの買い物中に、私はスロバキアのトレンチーンにある大型の電器店で息子に出会いました。私たちが別々のノート型のパソコンを見ていた時、一人の男性が店にやって来ました。即座に彼に注意を引かれました。彼は上機嫌で楽しそうに通路を歩く間、親しげな打ち解けた様子で人々に挨拶をしていました。彼は楽しそうな様子のサンタクロースのように思えました。彼の長いあごひげはあらゆる方向に向いているように見えました。彼の瞳はきらめいていました。彼の格好はとても変わっていました。ホームレスのような服装だったのです。長い丈の明るい青色のコートを着て、頭には毛糸の玉がてっぺんに付いた、クリスマスツリーの形のグレーのウールのキャップを被っていました。私は、コンピューターを比べることに忙しくしていた息子に、彼のことを教えました。彼の楽しげな様子は、私を笑顔にしてくれました。しばらくすると、警備員が彼を店から連れ出してしまいました。あの男性はマイトレーヤだったのではないかと思うのです。

ペテル・ヴァイス

スロバキア

【ベンジャミン・クレームの師は、その陽気な男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

保護

編集長殿

2014年12月30日、冷たく暗い夕方の午後6時45分の道路で、ラッシュ時も終わりかけていて、ほどほどのスピードで運転でき、所々凍った郡の道路には適切に思えていましたし、車線上の亀裂にタイヤがはまったとしても十分に乾燥していましたが、車線の外側は凍結状態が残っていました。

ボールダーの伝導瞑想メンバーである私たち二人は、近隣のコロラド州ロングモントにあるコニー・シェイファーの家での伝導瞑想に参加するため、毎週のドライブ中でした。私たちが追い越し車線にいた時、1台の車が突然、右の車線から私たちの方へ曲がってきて、ほとんど助手席の私にぶつかりそうになりました。私の自動反応機能が働き、「ああ、神さま」と叫んでいました。メンバーのザック・キャッスルマンは衝突を避けるために、道路の左端へとハンドルを切りました。道路の凍結のために、車は制御できなくなり、後部が左右に振れたり、何度も前後に曲がったりしながら、180度回転すると、私たちの車に向かって進行してくる車線に対して後ろ向きに走っていました。

車は後ろ向きで進み続けましたが、左側の北方向の車線から、道路の一番右端へと移動しました。この逆向き運転はゆっくりとなっていきました。車の後ろ向き進行はとても深い溝の脇に沿って進みました。それから車の後部が溝へと向かっている感じがして、その溝は夜の暗がりの中で果てしなく深く見えたので、横転するのではと思いましたが、その後、車は後部から溝の中をゆっくりと進み、驚くほど穏やかで、幾分唐突に止まったのです。

車の流れは途絶えていませんでしたが、私たちの車の前部はその流れから逸れていました。車は道路に対して鋭角に止まっていましたが、私たちは安全でした。私は助けを求めて電話をしましたが、要請が多いため3時間待ちになると言われました。それほど時間が経たないうちに、小型のトラックに乗った二人の若いヒスパニックの男性が車を止めて、私たちの車を溝から引っ張り上げることを申し出てくれました。彼らが何の苦もなく私たちの車を引っ張り出した様子には、本当に驚きました。私たちは心からお礼を言い、面倒をかけたことへのいくらかのお金を、彼らはためらいながら受け取ってくれました。その間に、私たちに衝突しかけた運転手が、私たちの車を探して謝罪してくれました。その人が言うには、私たちは彼の『死角』にいて、バックミラーでも見えていなかったということでした。私たちはそのままドライブを続け、ほんの 30分しか遅れず、その体験に少し動揺もしていていましたが、どこにも悪い所もなく、無事でいることをとても幸せに感じていました。

特別な方が車を安全に移動する手助けをされましたか。二人のヒスパニックの若者は特別な方たちでしたか。

ロン・ルークス

米国、コロラド州ボールダー

【ベンジャミン・クレームの師は、あらゆる面でイエス覚者の弟子たちによって助けられたことを確認した】

 

 

ペンテコステの訪問

編集長殿
 ペンテコステの翌日の月曜日は、オランダでは祝日です。2016年5月16日のペンテコステ・マンデーに、センターは公式には閉まっていましたが、数人がそこで仕事をしていたので、「オープン」の看板をドアに出しました(ちょうど前日に私たち数人が冗談で、ペンテコステの大宣言の日にマイトレーヤに会うのを希望しているとか、期待しているという架空の話をしていたのですが、それはペンテコステが弟子たちのオーバーシャドウの象徴だからです)。
 まさに私たちが閉めようとしていた時、お馴染みの姿の、スリナム人の風貌の男性が、中をのぞき込んできて、『生きる術』の本をちょっと見てみたいと言いました。ほんの二言三言で彼は私たちをよく知っていることがわかり、普通の訪問者ではないことが早々に判明しました。
ここからは、その時彼が語ったいくつかのことです。「私たちは皆ひとつで、すべてがつながっているのです」
 「あなたたちはここで瞑想をしていますよね? いつもは何人が来ますか?」。それは2人から大体12人くらいの間だと、私たちは答えました。「人々はまだ瞑想が恐ろしいと考えています。忙しく行動しているのが好きなので、静かにして瞑想をするのを好みません。内省的であることを好みません。でも人々は自身の魂とつながる必要があり、瞑想をする必要があるので、そうしなければ完全にバッテリー切れを起こしてしまうのです」。彼は魂の接触との関係における創造性の話をしました。「私たちは魂と接触していれば、創造的なのです」
 「機械的になることを、どうしたら避けられますか?」。彼が意味したのは、新鮮な気持ちを保つことと、自発的に出現について話をすることだと、私たちは理解しました。私たちはハートから語ることが大切で、聴衆が何に興味を持ち、何を自分たち自身と関係があると思うかを観察することも重要だと答えました。
 彼はまた私たちが惑星の状態をどう考えているか尋ねてきました。私たちの惑星は最悪の状態にあると答えると、彼の反応は「そうは言いません」というものでした。私たちがそれは事実であり、そのことについて完全に正直であると感じていると伝えると、私たちの非常に親密な会話の中で、彼は「そう、本当に私たちは現実的でなければなりません」と言いました。
 そして彼がとてもあからさまに、私たちがこれまでマイトレーヤに出会ったことがあるかどうか尋ねてきました。テレビでという意味ですか? 「いいえ、彼自身にです」。いいえ、でも様々な扮装をしたマイトレーヤには会ったことがあります。「本当に会ったのですか?」。はい、扮装の姿で。「彼はいくつですか?」。彼は全盛期です。「それはいくつですか?」。彼は全盛期ですよ、あなたのように。「そう、それはいくつですか? 知っているに違いありませんね、会ったというのですから、私に会っていますね」。50歳くらいです。「ああ!  私は49歳です」と彼は言いました。
 会話を通して、彼が主導していて、穏やかでユーモラスで、尊敬に値する人でした。彼が帰る時、私たちに投げキスをしました。もしかして彼は穏やかでフレンドリーな訪問者の姿をした、マイトレーヤでしたか。ありがとうございます。
シェア・オランダ・インフォメーションセンターのグループメンバー
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その素朴で尊敬に値する訪問者が、扮装したマイトレーヤであったことを確認した】

安全な道のり

編集長殿
 2016年5月3日の午後2時40分くらいに、ウィックロー州のキルマカヌージから家まで車を運転していた間のことで、私の住むブラックロックへ向かうために、中央分離帯がある道路から外れなければならなかったのですが、左手側の車線へ移った時、背後からスピードを出して近づいてくる車に気づいていませんでした。私の車は移る前の車線へと、強制的に押し戻される形になりました。そのような見えざる手の力による助けがなかったら、車は二つに折れ曲がっただろうと思います。このことすべては瞬きほどの間に起こりました。最初のショックの後で、私は起こったことへの計り知れないほどの感謝を感じ、驚きと喜びに満たされていました。恐ろしい衝突は避けられたのです。それはこれからずっと感謝し続ける、信じられないような体験でした。このことがどなたのおかげなのか、お尋ねしてよいでしょうか。
あなたのすべての素晴らしいお仕事に感謝します。
ノラ・ハート
アイルランド、ダブリン州ブラックロック
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女がイエス覚者によって助けられたことを確認した】

思いやることは分かち合うこと

編集長殿
 7月3日の早朝から、私たちはルーツ・フェスティバルに私たちの例年のブースを出しました。
私たちは大抵ブースの前に立って、人々をブースに引き付けるために資料の文章を読み上げているのですが、私がそうしていた時、若々しい中年の二人連れが私たちのブースにやって来ました。彼が着ていた服装はあまりにも古めかしく、女性の方は手作りの「パディントン・ベア」風の、紙でできた非常に風変わりな形の帽子を被っていたのです。
 それで私は「あの方たちだ!」と思いました。
 男性が大声で「マイトレーヤ」と言って、テーブルの上の読書用資料を指差して、「彼のなさることすべてはちゃんと見てきました」と言いました。
 彼は特に、「分かち合い=正義=平和」と書かれた私たちの大判の旗に注目してくれて、「本当に思いやるなら、分かち合うものです」と言っていました。彼は続けて民衆の力について語り、それがいかに論理的で自然な次なるステップであるかを話して、もし関心を持っているなら、通りへ出かけて、そうした正義や平和をもたらすための変化を要求するだろうと言いました。私たちは皆心の底からそのことに賛同しました。私たちはそれを言い続けることを伝えました。
 ドゥウェインとその男性は大変改まった様子で会話を交わしていて、彼らは会話の前に握手をしていて、その後一緒に奇跡の写真の展示を見ていました。
 しばらくしてその二人が幸せそうに帰っていき、女性の方が私と握手をして、彼女の名前はソフィと言っていました。即座の歓びの感覚がありました! 彼女の瞳は言葉で表現できないもので、まるで最も優しい言い方で「あなたたちのしていることは、すべてとても素晴らしい、けれども題目についてもっと語ることができる」と言ってくれているかのようでした。はっきりとしていながら、とてつもなく優しいものでした。彼らは有名なカップルでしたか。ありがとうございます。
アルベルト・アリバサー、ドゥウェイン・アルバス、
アムステルダム伝導瞑想グループ
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、その紳士がマイトレーヤで『ソフィ』もまたマイトレーヤであったことを確認した】

 

日本講演レポート

本誌監修者、石川道子講演会は、仙台、東京、大阪、名古屋の4都市で開催され、いずれも盛況のうちに幕を閉じた。
最初の講演は、5月15日に仙台で開催され、2011年の大震災後6年ぶりの開催であった。聴衆は非常に熱心にこの希望のメッセージに聞き入っていて、そのほとんどが初めてこの話を聞く人々であった。収容人員180名の会場は220名ほどの人であふれ、別室が用意され、大画面のスクリーンを通して熱心に講演を聞いていた。途中で音声の不具合が起こったが、人々はホールに移動して、帰ることなく、4時間もの間、ホールに設置された画面をとおして熱心に講演に耳を傾けていた。
東京講演にはおよそ1,000人、大阪と名古屋では、600~700名の聴衆がやってきたが、名古屋では特に若い人々の姿が目立っていた。
どの講演会場でも、ワーカーたちが街中にポスターを貼って歩いたり、電車内ポスターを使ったりして、熱心に準備活動を行った。70万~100万枚のカードやチラシが撒かれ、大阪で産経新聞に掲載された全頁広告はことのほかこのグループの活動と情報を端的にわかり易く知らせる物だったことから、後にチラシとして各地でも使われた(以下の手紙参照)。そして、これはどの講演会場でも共通していたことであるが、聴衆の方々の姿勢がとても真剣であった。一言も聞き逃さないといった態度で、質疑応答を入れると4時間あまりになる講演に熱心に耳を傾ける姿がとても印象的であった。
各講演会主催地では伝導瞑想会も催され、100~300名の人々が参加した。講演旅行の最後に滋賀でワーカーのための研修会が開催され、179名が参加、熱心にこれからの活動について話し合った。研修会では土曜日の瞑想が始まる前に、ロンドンのクレーム氏とスカイプでつながって、マイトレーヤからの祝福のエネルギーを受けた。

ハイアラキーの援助

編集長殿
2016年 5月28日、石川道子氏の講演会がクレオ大阪で開催されました。当日は非常に熱心なお客さんが多く、石川氏のお話はとてもすばらしいものであり、みんなシーンと聞き入っていました。
講演会の広告に関して、4月30日の産経新聞大阪版に掲載された全面広告について、これまでとは全く違った流れがあったことについてお尋ねしたいと思います。
3月末ごろ、まだ講演会の2カ月前なのにいつもの産経新聞の広告代理店から何回も電話がかかり始めました。それは、講演会に向けて新聞の全面広告をやりませんか……というものでした。私はまだ早すぎると思ったので、適当に流していました。しかし、4月になっても何度も電話があり、だんだん次のような提案に変わっていきました。担当者は、「今までに出した全面広告はポスターのようなものだし、書籍を載せているけれど分かりにくいし、もうこれからは読者に伝えたい話の内容をもっと分かりやすく、そして読んでもらえるように提供した方が良いです。そうでなければ全面広告の意味がありませんよ」と言ってきました。
そして驚くことに、担当者は、「……講演の内容まで踏み込んで、このような講演会ですというように話される内容がわかる広告で、……また今までの視点とは違うバージョンをこちら(広告会社)が作ってみたいのですが、どうでしょうか」と言いました。私は内心そんなことは想像もしてなかったので、びっくりしました。また担当者は、「たとえ当日の講演会に来られなくても、読者がこういう話なのかと思ってもらえるものを、今、提供する必要があるんです! それを今、準備することが絶対に必要なのです! もうそういう時期に来ているんです! 石川講演会に向けての全面広告で伝えるインパクトが最も効果的です。今は早いと思っているかも知れないけど、全然早くないですよ! 作るのにも時間がかかるし、後になって、きっと早めに作っておいて良かった! ……と絶対に思いますよ! ……だから今、すぐやりましょう!」と、力説されてしまいました。
私は担当者のすごいパワーに圧倒されたので、本当にこの人が言っているのだろうか、と思ってしまうほどでした。
それから担当者は、「私が知っている範囲ですが、全面広告をやって読者からクレームが一件も来ないのはこのグループだけですよ。だから私は安心して勧められるんです。これまで、あなたたちの広告はいつも審査は一回で通るし……けれどこれは稀なことなんです。大手のメーカーでさえも審査が通らず、何回もクレームが来るんです、全面広告となると本当に難しいんですよ!」と言いました。
最初、私は毎日のように電話をかけてくる担当者に熱意を感じつつも、今までの原稿はこちらのグループで作っていたこともあり、まずグループと相談する必要がありました。講演者である石川さんにもお話すると、「すばらしいニュースでうれしい、思っていることをズバリ言ってくれた担当者に感謝したい……」とも言われましたので、私たちのグループは前向きに検討することにしました。
その旨を担当者に伝えて、パンフレットや石川さんのインタビュー記事、2015年度の石川講演のDVDを含めた数点の資料を渡しました。
そして1週間後に初稿が届きました。石川さんは、「見事な出来栄えで、伝えたいことが一枚にすべて網羅されており、大変すばらしい……」と感心されました。翌日、担当者から電話がかかってきました。「……どうですか。原稿は見ていただけましたか……」と静かに言われた瞬間、私はいつもの担当者とは違う雰囲気を感じました。私が、「……もう王道ですね……」と言うと、染み入るような声でゆっくりと「……王道で作りました……、言いたいことをすべて書きましたよ……」とやさしく言われました。それから担当者は、「自分は少しだけアドバイスをしただけです。私と製作者が決めたのは、クレーム氏がこういうことを言っているという流れでいきましょう、ということだけで、後は製作者が資料をしっかり読み込んで作ってくれました……」と言いました。
「この広告のタイトルの『分かち合いが世界を救う』については、製作者と私はすぐ一致しました。ここが大きすぎる字のように感じるかも知れませんが、これでインパクトを与えるのです。読者の目をここに集中させるのです。ここにはその力が集まっています。そうすると読者はどんどん引き込まれて読んでいくのです。それから、あなたたちはすばらしいボランティアグループだし、しかも、世界中にネットワークとしてつながりをもって活動しているということも分かるようにした方がいいのです……」
次に私は、たくさんのクレーム氏の著書(15冊)の中からよくぞこの2冊を出してくれましたね、と言うと、「この2冊は、今、非常にタイムリーなんです。今出す本はこれなんです。製作者がそうしたんです。これを今、前面に出さなくてはならないのです! ……ここを読めば伝えたいことがすべて書いてあります。それをここに書くのです。最初に書くと最後まで読んでもらえないのです。この場所でいいのです……」とだんだん熱く話してくれました。私はこんなにも真剣に私たちの活動について考えてくれていた担当者に驚いてしまいました。
全面広告は新聞社の審査も問題なく通り、4月30日の大阪版に掲載されました。関東のグループは、石川氏の講演会のお知らせ部分だけを東京、仙台、名古屋のものに変えて、この同じ広告を東日本エリアの産経新聞に全面で出したいということになり、担当者にその旨を伝えました。何度も電話のやりとりをしているうちに、2~3時間たったころ、急展開になり、「もう時間がないのでその原稿を使ってください、時間がないからいいですよ。もう好きなように使ってください!」ということになり、東京オフィスの審査も無事に通り、この全面広告が東日本全域で掲載されました。そして今後もこの原稿は全て自由に使ってもいいと言ってもらえました。
講演者の石川さんは日本全国のワーカーに向けて、今回の全面広告が出来た経緯を説明し、各人がその広告原稿の内容を読んだ上で、是非これを分かち合いたいと思ったら、講演会の案内と一緒にこのコピーを配布することで、情報の内容をより詳しく伝えることができる旨、呼びかけました。全国のワーカーは直ちに反応し、コピーの注文と寄付の申し込みが次々と入りました。すごい勢いで全国のどの地域も、この広告原稿を使って、もっと広報したいという意識になり、全国的に活気づいてきました。広告原稿を大量に印刷するにあたって、石川氏の最初の講演会である5月15日の仙台に間に合わせるためには、(しかも、5月の連休が始まる直前であり)、まさに超特急で印刷の手配が必要になりました(広告を作るのにまったく“早すぎる”ことはありませんでした)。
結果的に、新聞に掲載された他、この広告原稿のコピーは70万枚印刷され、全国のワーカーがそれぞれの地域で活動し、配られました。
石川氏は講演会での質疑応答の部で、情報を人に伝えるためにどうすればよいか、という質問に答えるときに、この広告のコピーについて話されたので、聴衆は帰り際に何枚も持っていく人々も多く、用意されていたコピーは各講演会場とも、あっと言う間になくなってしまいました。
全面広告に関するこれら一連の体験は日本のワーカーたちの広報活動をさらに活発にし、6月10~12日の週末に開かれたシェア・ジャパン研修会において、全国から集まった179名のワーカーはこの情報を伝え続けていくことへの決意を新たにし、今後の1年間を通して、このコピーを使用する方法などを討議しました。
この広告の作成に関して、マイトレーヤか覚者のお助けがあったのでしょうか。
U.M./滋賀県、日本
【ベンジャミン・クレームの師は、日本のグループがハイアラキーからの援助という贈り物をいただいたことを確認された】

(以下は同じ人物に関する3人の体験です)

特別な見守り

編集長殿
2016年5月15日、宮城県仙台市のメディアテークで、東日本大震災から6年ぶりに、石川道子氏の講演会を行いました。講演が始まる時間には180名の会場が来場者で満員になり、満員時の予備室として講演の様子をプロジェクターで実況していたスペアルームも一杯になるほど、講演会は盛況でした。ところが間もなく、スペアルーム(予備室)で実況していた講演音声が聞こえなくなるという機器トラブルが発生ました。スタッフは、機器の調整、お客様への説明と、想定外の事態に皆大わらわで対処していました。そのとき私(M.M.)もスタッフの一人として、状況を係に連絡するために走り回っていました。が突然、来場者の一人から声をかけられたのです。
「Mさんのことは、よく知っているよ。大丈夫だから」と、突然、私は名前で呼ばれました。
中背、40~50歳位の男性は、短髪で根元が白髪、整った顔立ちをしており、親しげな笑顔で話しかけてくるのです(服装は白か水色のアウトドア系のジャケットを着ていたような記憶がありますが、こちらも慌てていたので記憶が定かではありません)。見知らぬ人から自分の名前を呼ばれた私は驚きましたが、「あれ?  どこかで上映会をした時に会った人かな? それとも知人か親戚かな?」と考えましたが、思い当たりません。見覚えがないはずなのに、どこかで会ったことがあるような気もします。明るくて快活、言葉は東北弁で訛っていますが、とてもさわやかな印象で、周りの人と異なる雰囲気がありました。その男性とは、その後2回遭遇しました。
スペアルームでは音声が聞こえないからと、来場者たちは廊下設置のTVモニターへと移動していました。彼らは廊下のTV前に人だかりをつくり、座り込んでモニターを見る人もいました。が、これに対して会場側から、「防災上、廊下での立ち見・座り見はやめさせてほしい」という注意が出されました。しかし、音声がなかなか回復せず、スタッフはかなり焦っていました。
慌てていた私の後ろから、また彼がニコニコして現れ、「会場にいくつか空席もあるし、立ち見もできっから(できるから)、俺建築士だからよく知ってっから(知っているから)」と威勢よく言ったかと思うと、「立ち見はできません」と呼び止めようとする私を置いて、ピューっと走り去ってゆきました。かなりのスピードで追いつけないくらいでした。
その後、音声も復旧し、第2部の質疑応答のときには、(休憩時に途中で帰った人もいたので)スペアルームにいた人も全員会場内に座ることができ、スタッフもやっと胸をなでおろしました。
プログラム終了後、他のお客さんに混じった先ほどの白髪の男性とすれ違い、(今日はこのおじさんと何回も出会うな)と思いつつ、「先ほどは、ありがとうございました」とお礼を申し上げた所、彼は目でニコッと笑い返してくれましたが、周りのお客さんの様子を見守っているような感じでした。
人なつこくて活気があり、さわやかで確信にあふれた様子で、大工の棟梁さんかお祭りの仕切り役のような感じの人でした。席に座り講演を聴こうとする来場者の中で、なぜか彼だけが来場者の流れや会場全体を見守ってくれているように目立ち、「スタッフなみの活躍をしてくれて不思議なお客さんだな」と、とても心に残りました。(気仙沼市 M.M.)
講演会直前までたくさんの問合せ電話があり、また、やるべき広報は全てやりつくしたという想いから、私(M.M.)は晴れ晴れした気持ちで当日を迎えました。
第一部の講演後の小休憩の時、私は質問用紙を石川さんに届けようと7階フロアを足早に歩いていました。すると、突然男性から声をかけられました。その男性は白髪の短髪で中肉中背、年齢は40~50代くらい、ベージュでポケットのたくさんついているベストを着ていました。その方は、とてもピュアな明るい、生き生きとした目をされていて、とてもいいお顔をされていました。とにかく明るい雰囲気の方で、私を待っていたかのように、素敵な笑顔で片手を上げて「よっ!!  来たから」と言われたのです。突然だったので、私はどのような対応をしたか忘れましたが「ありがとうございます」と言ったのか、「どうも」と会釈したのか定かでありません。が、驚いたのは、その男性の挨拶の仕方が、私のことを昔からよく知っていて、親友のような旧知の知り合いのような、とてもフレンドリーな挨拶だったのです。私もどこかでお会いしたかもしれないと思うのですが、記憶をたどっても全く思い当たりません。今でもとても不思議な方でした。
あとで夫(M)と話していたら、夫に声をかけた人は私に挨拶された男性と同一人物だと思いました。
スペアルームでのモニターテレビのトラブルにもかかわらず、怒って帰られた方は2名だけで、その他の方たちは熱心に残って話を聞かれていきました。数日前に、電話の問い合わせをされてきた70代の講演者と同じ「道子」というお名前の女性が最後に「当日は、いい日になりますよ」とおっしゃった通り、とてもいい日になりました。(気仙沼市 M.M.)
当日はスペアルームでのトラブルがあり、スタッフは慌ててバタバタしているところで、スペアルームに出たり入ったりしている一人の来場者がいるのに私(U.C.)は気づきました。その方の動きはまるでスタッフのような動きをしていました。その方は、あとで聞いたらスペアルームの来場者を廊下にある大型テレビモニターの所に誘導した方ということでした。スタッフ以上に適切な動きをされて、誘導されたその男性が、普通の方とは思えなかったのです。ベージュ系のジャンパーを着た中肉中背の方でした。(仙台市 U.C.)
これらの男性は、来場者でしたか? それとも、トラブル対応のために助けを与えられたのでしょうか?
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、この助け舟をだしてくれた男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

グループ体験

編集長殿
2016年春にドイツで、私は講演者として瞑想と気付きについての会議に参加しました。私の話題は瞑想研究と、幼稚園や学校、大学での瞑想の活用でした。300人以上が集まり、そのほとんどが教育の分野で働いている人々が講演に来ました。私の講演の途中で、思いやりの瞑想について実演しました。人々が皆目を閉じていました。瞑想の間聴衆を導いていた時、会場内の強力なエネルギーに気づきました。瞑想後、人々は瞑想が大変効果的だと言いました。一人の女性は後日になって、瞑想の最中に自然と涙が流れたと言っていました。
今私は不思議に思うのです。直接再臨について語っていなかったにもかかわらず、おそらくマイトレーヤか覚者方のエネルギーが、この思いやりの瞑想の間に流れていたのでしょうか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、そのエネルギーがイエス覚者から送られたことを確認した】

光の出現

編集長殿
2016年5月28日はどんよりとした曇りの日で、私が瞑想をしていた時、突然まるで頭上の屋根が開け放たれたように感じ、強烈な陽の光が注ぎ込んできたのです。目を閉じていたのに、それが見えていました。あまりに明るい光だったので、日光が分厚い雲を突き破って差し込んだのか、目を開けてみましたが、そうではありませんでした。目を閉じると、再び同じことが起こり、さらに何度か続いて起こりました。あまりにはっきりとしたことだったのでお尋ねしたいと思います。それは想像にすぎませんでしたか。その光は魂からのものでしたか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、それが想像ではなく、覚者方の一人によって意図的に与えられた体験であったことを確認した】

先見の明

編集長殿
仙台での石川道子氏講演会の数日前に、郵便受けにあった私たちのチラシを見つけた女性から、電話がかかりました。その方の名前もみち子さんで、みち(名前の前部分)は同じ歩く「道」という字です。その女性はとても元気でパワフルな人で、東北弁の訛りのある大きな声で話をしました。
彼女は私に、チラシがあまりにも難しく、分かりにくくて理解できなかったので、どのような講演をするのか尋ねてきました。私は現在の困難な社会情勢と、私たちを導く偉大な教師の到来について説明しようとしました。その女性はしばらく話を聞いていましたが、さっと話題を切り替えて、自分のことについて話し始めたのです。その女性は、私たちというのは、私たちのこの体が神の宿るところだから、皆が愛と感謝を持って生きるべきだと言っていました。
そして石川さんがいくつなのか尋ねてきたので、答えると彼女は驚き、「難しくて込み入ったことを話す若い人だと思ったが。若くて、きれいで、前向きな人だ。自分は70だけど、青春だ」と言っていました。その女性から石川さんに、まだまだ青春だから、長生きするように伝えて欲しいと頼まれました。
その女性から私の名前と年を尋ねられました。彼女の夫は彼女が55歳の時に亡くなり、それからは、自分の人生だと思って自分らしく生きていると言いました。彼女から「M(私の名前)は良い名前だし、あなたも素晴らしい人だ」と言われました。彼女は私に素晴らしいボランティアの仕事を続けるように励ましてくれました。最後に彼女がまるで予言でもするように、「(講演会の日を指して)きっと良い日になりますよ」と言ってくれました。
私たちは20分間話をして、会話の間、心の中にこみ上げるものを感じていました。東北地方のどこにでもいる田舎の年配の女性が、自分のことについて話しているのに、私や石川道子さんのことをとても良く知っているという感じがして、私に励ましと講演会の日への祝福を伝えてくれたようでした。彼女の声がまだ私の耳に残り、彼女を思い出すと胸がいっぱいになるのです。
講演会当日は本当に良い日になりました! この女性は特別な方だったのでしょうか。
ありがとうございます。
M.M.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

もう一頑張り

編集長殿
2016年4月25日、ちょうど(アムステルダムの)インフォメーションセンターを閉めようとした時、二人の中年の紳士が入ってきました。私たちは何かお手伝いできることがあるかを尋ねました。彼らの一人が笑みを浮かべながら、「そう、だぶん僕たちがお手伝いできるかもしれないね!」と言いました。彼らは「光の勢力の集合」について、どこかでチラシに書いていたのを読んでいて、実際的な事柄としての意味を尋ねてきたのです。
彼らには静けさと愛ある威光というような雰囲気がありました。彼らは「光の勢力の集合」が何を意味するのか、どのように実際的なものになるのか、そしてこのグループの活動の意味について尋ねてきました。彼らの一人はさらに、チラシにあった「暗黒」という言葉と、多くの人々にとっての困難な時期であることを引き合いに出し、もう一人の男性はこのグループの仕事がどのように助けになっているのか尋ねてきました。私たちは30分ほども話をし、彼らはマイトレーヤの優先順位と、今日の世界の問題を解決する方法をよく知り、賛同しているかのようにずっとうなずいていました。
私たちは人類の分離性と強い個人性に対して、関係における魂の質としての和合について話をしました。男性の一人は変化への抵抗もあると言ったので、私は続けて「無知のために(それが私たちの仕事の一部であることを伝えながら)、人々は個人性と自由を失うことを恐れていますから」と言いました。覚者方の例が頭に浮かんだので、「覚者方はいまでも個人性を持っています」と言うと、それに対して一人が微笑んで「おお、やっと注目の発言が出ましたね」と言いました。また男性の一人は一滴が大海の一部になるという例えを話してくれましたが、これに対しては私が「でも(ある人たちには)やはり個人性を失う恐れを思い起こさせますね」と言うと、彼は答えて「ああ、私はそれで大丈夫だけどね」と言ったので、私たちは笑いました。彼は「緑の鳥が緑の木の中を飛んでいるという喩えもあるよ。それはまるで木と一つに見えるけれども、やはり鳥なのだから」と言いました。個人性の喪失(という恐怖)は必ずしも意識の喪失を意味するわけではないことを、絵に描いているような表現でした。
彼らは伝導瞑想についても知りたがって、背景となる情報を伝え終わると、短い瞑想をしてもらえるかと尋ねてきて、それが終わると心からのお礼を言って帰っていきました。
(1)この男性たちは、以前の場合と同じく、ちょうど帰ろうとしていた時にやって来たのですが、「特別な」方々でしたか。(2)最近多くの代弁者の方たちが、講演やワークショップの終了や開始直後にセンターに来られるという事実に、何かメッセージがあるのでしょうか。それは現在のこの途方もない時期に、私たちにより多くが求められている、ただほんの少しでも多く、より一層のエネルギーや努力を、これまでにないほど注いで仕事をする必要があるということへのヒントなのでしょうか。
インフォメーションセンターのメンバー 一同
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)彼らがイエス覚者の代弁者であったことを確認した。(2)そのとおり!】

次の2通は同じ人物からのものです。

帰郷

編集長殿
(1)大体20年以上前に、私はフランス南部のニースとその後のムージャンで、数年間、非常に困難な状況にありました。ついにはその地域を離れて、健康を取り戻すために父親の家に帰りました。私がペリグーで列車から降りるとすぐに、一人の年配の女性が通路で近づいてきました。当たり前のように、彼女が私に向かって、治療のために自然療法医を訪ねるように言ってくれたのです。彼女は並外れた存在だという気がして、すんなり聞き入れられました。彼女は覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

クリスマスの出会い

編集長殿
(2)20年以上前に、私はガールフレンドに招待されて、フランスのオブジャで彼女の家族とクリスマス休暇を過ごしました。私たちが通りを散歩していた時、子供のための回転木馬の前を通り過ぎました。一人の男性が立ち止り、人々が行き交うのを眺めていました。
私はほとんど彼を見る暇がなかったのですが、突然、不思議な興奮を感じたのです。まさしく並外れた人物に出会ったのではないかと考えました。彼はほんの二言三言、おそらく「こんばんは」とかを話したようで、私はその状況にあまりに気持ちが動転していて、わかっていませんでした。友人たちは何も気づいていませんでした。彼は覚者でしたか。
パスカル・ブラシェ
フランス、トゥールーズ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が覚者方のお一人の弟子であったことを確認した】