カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

手紙説明
シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

何と驚異に満ちた世界!

次の3通は同じ人物からのものです。

編集長殿
(1)2017年12月の初めに、私はアムステルダム中心部の古い建物の中での、ある講座を受講していて、休憩の時にコーヒーを入れる手伝いをするために階下へ向かいました。あらゆる種類の講座に参加していた人たちでいっぱいでしたが、廊下には犬を連れた女性が一人いる以外は、ほとんど人影がありませんでした。長く急なひと続きの階段を下り始めた時、ヒールが何かに引っかかったに違いありませんでした。転び始めた勢いのせいで、手すりから手が放れてしまいました。すると、高い飛び込み台から飛び込むような形で、頭を下にして放り出されるように落ちたのです。落ちていきながら、「助かるためにどうしたら良いのか?」というようなことがたくさん頭をよぎりました。車椅子になってしまうことすら思い浮かび、それに長くお世話になりたくはないと即座に心に決めました。その後空白がありましたが、目を開けてみると、階段の最後の段から少し離れた石の床に横たわっていて、まるで『回復体位』でそこに寝かされたように、横向きで膝を曲げて、手は頭の下にありました。私のハンドバッグは壁の近くに置かれていました。私が階段を見上げていると、「やろうと計画していることを終えるための時間は、あとどのくらい残っているのか?」という思いが心に浮かんだのです。駈ける馬のように心臓がどきどきし、私を取り巻く愛を感じて、涙をこらえられませんでした。一人の男性が私に近づいてきて、彼は小さな『ドンという音』を聞きつけてきたのです。「ボーッとしていたんですね?」と言って、さらに「救助されたに違いありませんね、そうでなかったらここにいるわけがありませんよ」と言われました。ショックから立ち直ると、私の自転車は鍵をかけて置いていくことにして、家に帰りました。アムステル川にかかる『スキニー・ブリッジ』(古くからある有名なアムステルダムの名所)に差し掛かった時、たった今体験したことすべてを深く考えながら、涙で曇った目で街を見つめました。その後数日間は身震いが続きました。ところで私には打ち身ができましたが、どこにも骨折はなかったのです。

(2)2017年12月の初めに、アムステルダムのインフォメーションセンターでの伝導瞑想を終えて、自転車で家に帰っていました。スリナム人のような風貌の、優しい感じの男性が自転車で近づいてきて、私の隣に来ました。私たちは自転車をこぎながら、友人同士のようなおしゃべりをしました。何度か彼が私の後ろになって、他のサイクリストたちが私たちを通り越していけるようにしていました。私が別の道へと曲がらなければならない地点に来た時、彼がしっかりと言い含めるように、「マダム、どうかくれぐれも用心してください」と言ったのです。彼はそのまま行ってしまいましたが、10メートルくらい離れた場所で振り返り、手を振ってくれました。

(3)2018年1月18日にオランダにハリケーンが上陸しました。外出しないようにメディアを通して人々に警報が出されていました。気象警報にもかかわらず、私はどうしてもスケッチブックを買いに行きたくなり、思い切って出かけることにしました。(アムステルダムの)ホテル・オークラがある道路に入ると、巨大な樫の老木が強風で曲がっているのが見えて、「どうか倒れないで!」と思いました。ホテルを通り過ぎていきながらも、吹き飛ばされないように壁にへばりついていなければなりませんでした。角に自動ドアのオフィスがあったので、嵐から避難するためにそこへ入りました。やはりそこへ逃げてきたばかりの男性が入って座るように言ってくれました。ちょうどその時、大きな衝突音が聞こえてきて、巨大な樫の木の一本がバリっと音を立てて倒れたのです──私はその下を歩いてきたところでした! ちょうど入って来た男性の車の上にぶつかり、彼はほんのちょっと前に駐車したばかりでした。嵐が少し収まった時、私はついに店に到着しましたが、まだ震えていて、欲しかったスケッチブックが売り切れだと分かっただけでした。
匿名希望オランダ、アムステルダム

次の2通は同じ人物からのものです。

見えないドア

編集長殿
ずっと昔に起きた二つの出来事について、マイトレーヤとイエス覚者に関係しているかもしれませんので、お伝えしたいと思います。
(1)2002年6月29日に私はボルドーにいて、商業街路にあるカフェのテラスに座っていました。静かに座って飲み物を少しずつ飲んでいた時、大変生き生きとした、45歳から55歳くらいでほっそりと背の高く、貧しい身なりの男性が近づいて来て、私の友人にタバコを巻くための紙を買うお金を求めてきました。驚いたことに、友人は断りました。彼が去ろうとした時、私が財布の奥に見つけた小銭を渡しました。彼は、私が恥ずかしくなるような熱意を込めて、何度もお礼を言ってくれました。そのようなふるまいは私たちには理解できませんでした。彼は去っていきました。おそらく30分ほど経ってから、彼がまるで魔法を使ったかのように、再び現れました。一つの世界から別の世界へと行き来できる、見えないドアを通り抜けて、テラスの前で彼が歩きながら現れたのを目撃したとしか、どうしても思えませんでした。何かが違っていました。彼の深いブルーの瞳が見えました。彼はもう一度私にお礼を言い、またもや気恥ずかしいほど敬意を込めてお礼を言ってくれたのです。彼は私に幾つか質問をして、それから去っていきました。

幸せの贈り物
(2)2002年9月のある金曜日に、家に帰るバスの中で、60代くらいの西インド諸島の女性が、彼女の夫と一緒に私の隣にやって来て腰を下ろしました。彼女はすぐに宗教についての会話を私と始めました。プロテスタントの転向者であり、信徒として、彼女は私がなぜ仏教支持者なのかを知りたいと言いました。彼女はしっかりとした信を持っており、それは様々な物の見方の中に、妥協をしないという形で表れているようでした。突然話し合いが楽しい雰囲気に変容して、私は彼らのそばにいると気分が良かったことを認めます。時々彼女が説明中に過激で熱のこもったようになると、私は笑い出し、彼女も笑いました。私は彼女に良い1日を祈って別れました。その後の週は、いつも金曜日に彼女が夫と共にバスに乗っていたのを、遠目に見かけました。翌週の金曜日、彼女はまた私の隣に座り、再び会話が始まりました。けれども何か違った感じでした。私は、彼女から発散される波動に、もっと敏感になっていたように思えました。私たちは再び話をし、その時には不思議なことに、霊的な物事と関連した私の関心について口に出すことはありませんでしたが、彼女が一人で話している中で、私の示した質問に的確に答えてくれたので、自然と私はとても満たされた気持ちになりました。私は計り知れない『贈り物』を受け取ったと確かに感じていました。
YDMフランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の物乞いがマイトレーヤで、二番目の夫婦はマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

グループの和合

 編集長殿2017年11月28日に、私はグループのメンバーと一緒に喫茶店にいました。私たちは自分たちのグループに起こっていたことについて、それは決裂と言えるものでしたが、話し合っていました。それは何カ月も漂っていたにもかかわらず、例年のメインの講演会を通して顕在化しました。突然、私には窓にベンジャミン・クレーム氏の姿がチラッと見えて、それはあるエネルギーを伴っていました。午後4時30分くらいのことで、私は内省的な状態でした。私の右側にはっきりとしたエネルギーがありましたが、曖昧な形をしていました。エネルギーが私たちの内や周囲に注がれていたので、同席したメンバーはそれを感じていて、もうベンジャミンさんのシルエットは窓に見えていませんでした。けれども1時間ほど経って、何かに強く促されて目を閉じると、まるでビデオを見ているかのように、ベージュのジャケットを着たベンジャミンさんが動いているのが見えました。その時、曖昧な形のエネルギーが私の右側から左側へ移っていきました。
 喫茶店が午後7時に閉まるので、私たちは6時45分に帰ることにしました。私たちは長い道のりを共に歩きましたが、エネルギーはまだ私たち二人に向けられていました。その後、私たちは別れましたが、エネルギーはまだ来ていました。それは思いがけないことだったので、私は夜の予定を変更しなければなりませんでした。翌日にかけてもずっと、エネルギーはまだ注がれていて、強烈さは随分なくなっていても、私ははっきりとベンジャミンさんのエネルギーを感じ、いつもより一層彼が近くにいるかのようでした。この体験を言葉にするのは難しいことです。

匿名希望

次の手紙は喫茶店に同席していた、もう一人のメンバーからのものです。

編集長殿
 2017年11月28日に、グループのメンバーと私はルーベンスの絵画展に出かけました。そのような展示会の間にもたらされる、いつもの恵み深いエネルギーを私たちは体験しました。1時間ほどしてから、展示会のエネルギーをアースするために、お茶とケーキを求めて外に出ました。
 私たちはお茶を飲みながら、私たちが非常に重大だと考える、最近のグループ活動の問題について、グループの和合にとって何らかの影響をもたらすこととして話していました。私たちはこの問題を非常に懸念していて、難局に追い込まれたように感じていました。
 私たちの懸念や心配を話していた時、あまりにもあり得ないことが起こりました。午後5時30分のことでしたが、私たち二人共が自分たちに注がれる、活気あるエネルギーの流れを感じ始めたのです。私たちはそれぞれ違ったようにそれを体験していましたが、体験は同時に起こり、私たちはそのことについてお互いに話ができて、それは大変まれなことでした。もちろん私たちはそれ以上何についてもおしゃべりできなくなり、感じていることや解釈について、一言二言口にするだけでした。私たちはそれが自分たち二人に向けられたもので、おそらくはグループの和合についての、私たちの話し合いや懸念に関連しているのではないかと分かり始めていました。私にとってそれは頭頂のチャクラを通して流れる強力なエネルギーで、時折強度が数秒間減退し、その後再び強さが戻るのです。そのため、私たちは1時間喫茶店にいて、お茶を飲むふりをしながら、エネルギーを満喫して、時々目を閉じたりしていました。店を出ることを話し始めた時、エネルギーが減退しました。その時私が声に出して「どうぞ続けて」と言うと、エネルギーの流れはすぐに戻ってきました。
 その後、私たちは地下鉄に乗り、私にはエネルギーがかなり軽くなり、頭の周りにチクチクする感じがするだけでした。家に帰って、すぐにソファに座ると、エネルギーの流れが強力に戻ってきて、そのまま午後9時30分に就寝するまで続きました。
 私はそれがベンジャミン・クレーム氏の師からの贈り物だと信じます。私にとってエネルギーの流れは、わずかに減退しながら木曜日の夕方まで続きました。私は水曜日のほとんどと木曜日の午前中、エネルギーと統一するためにベッドで過ごしたので、日常生活をおくることはできなくなっていました。
 実際に助けられていると感じ、私のエーテル体が強められ、感情体が浄化されたようだったのは、グループの不和の後で、私はできる限り対処しようとしましたが、深い不調和を感じていたからです。腹立たしさが消えて、私のエーテル体は滋養を与えられ、再び心地良いものとなった感じがしました。1カ月ほど経つと、グループの和合の必要性が、形式的な概念から深い理解へと移行しました。

匿名希望

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

向かい合って
編集長殿
2017年12月18日の月曜日に、私は家に一人で座っていて、気分がとても悪く、息苦しくなっていました。18年間、家のマントルピースに置かれていた、マイトレーヤの『手』のカードを見つめ始めました。突然、驚いたことにマイトレーヤのお顔が『手』のカードに現れたのです。彼は私の方を向いていて、非常にハンサムで、茶色のわずかに巻き毛の髪が額にかかっていて、あごひげが少し見えました。彼はとても若くて、年を取らないように見え、私は彼の愛に囲まれて、とても穏やかな気持ちでした。しばらくすると、顔の向きが変わったので、横顔を見ることができましたが、また元に戻って私の方を向きました。私は座って何時間も見つめながら、気分も良くなり、祝福を受けたのでした。
アデル・テンプル英国、サリー州レッドヒル

だから、目を覚ましていなさい
編集長殿
2018年1月5日の伝導瞑想の間、グループの覚悟についての、ある考えが心に浮かびました。そのすぐ後で、60年以上も考えたことのなかったことが、心に飛び込んできて、それは聖書のたとえ話で、5人の賢明な乙女と5人の愚かな乙女が、花婿が現れるのを待ちながら婚礼の祝宴の準備をするという話でした。「そこで天国は、10人の乙女がそれぞれ灯りを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の5人は思慮が深く、5人は思慮の浅い者であった。思慮の浅い者たちは、灯りは持っていても、油を用意していなかったが、思慮深い者たちは、自分たちの灯りと一緒に、入れ物の中に油を用意していた。しかし花婿が遅れたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい!』と呼ぶ声がした」このたとえ話は以下のように終わります。「だから、目を覚ましていなさい。人の子(イエス・キリスト)がやって来る、その日その時があなた方に分からないからである」(新約聖書マタイの福音書)私はこの最後の文章が、初めの物語に関係しているとは、はっきり覚えていませんでした。このたとえ話は、『マイトレーヤの使命 第3巻』(英語版)の中に見つけたベンジャミン・クレーム氏の詩を連想させるものでした(註:日本語版が出された後に、クレーム氏が英語版に書かれたものである)。「宮人たちが座って王の入場を待つとき、われわれは、マイトレーヤ、あなたをお待ちする。ある者は座ることなく、あちらこちらと、歓びの知らせを告げに、走り回る。偉大なる主、首長の中の首長が、今や馬から降りて、門に近づかん。開けなさい、速やかに、主を遅らせることのないように」
匿名希望

確認
編集長殿
2017年7月8日に、ロンドングループのメンバーたちが、ブライトン・ヨガ・ショーでブースを出しました。関心が高まっていて、午前中遅くから絶え間なく訪問者がありました。黒髪で黒い瞳の女性が、私たちのテーブルに近づいて、展示されている情報の性質について尋ねてきて、彼女は40歳くらいに違いなく、くつろいだ格好でした。彼女と一緒に話していると、自然に大宣言の話になりました。突然、強烈で美しく温かなエネルギーが私たち二人に流れてきたのです。あまりに強力だったので、話をすることはもはや不可能で、その黒髪の女性以外は、ブースや訪問者たち、展示している人たちすべてが、かすんでぼんやりとなり始めました。私たちはお互いに向き合っていたので、彼女が両手を伸ばしてきて、私の両手を取るとそれにキスをして、それから前屈みになって私の両頬にもキスをしたのです! 私は完全に圧倒されていて、我に返った時に座り込んでしまい、その女性は歩いて去っていきました。フェアの騒音や気配が私の意識に戻ってくるまでの間、数分間に感じられましたが、ただ座っていました。後になってブース展示をしている人たち数人が、私たちのブースにやって来て、あのエネルギーを感じて、何なのか不思議に思っていました。それは特に、大宣言について話をした時にだけ起こったもので、おそらく非常に非常に間もなく、起こることになっているという事実を示しているかもしれませんし、もしかするとフェアの日に、講話や講演で、機会のある時はいつでも、このことについて話をすることが不可欠で重要だという徴かもしれません。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド

 

編集長への手紙

 シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。

他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

 

高まる喜び

 

編集長殿

2017 923日の土曜日の、オランダのケルクラードでヨーロッパの伝導瞑想研修会のあった週末、私は家にいて、ユーチューブでベンジャミン・クレーム氏のインタビューや、講演からの抜粋を見ていました。その時、講演の一つの導入部分の写真をクリックしたところ、風船のような吹き出しが現れて、その中でベンジャミン・クレーム氏が、まるで私に挨拶するかのように手を振っていたのです! それから吹き出しは消えました。私は呆然としてしまいました。私が再び二度クリックすると、その度に吹き出しが現れ、ベンジャミン・クレーム氏が同じ仕草をしました。そしてすべて終わりました。私は笑い出したい気分でした。このことすべてがとても楽しくて、彼のユーモアに溢れていたので、彼が私たちと共にいるという証拠です。

彼に感謝を!

ロール・マルリュー

フランス、ビュール=シュリヴェット

 

未来の仕事

編集長殿

数年前に再臨の活動のための広報イベントをしていた時、見知らぬ人たちが近づいてきて、私が話をする必要のある人物がいると言われました。その日の午後になって、その人物が突然現れて、自己紹介してきました。私はその日早くに起きたことを彼女に伝え、会話が始まりました。

とてつもない愛のエネルギーが私たち二人を取り囲み始めました。私は何を話したらよいかわかりませんでした。彼女から私へのメッセージがあると言われ、エネルギーがあまりにも強力だったので、疑いを持つことはできませんでした。彼女が話し始めたのは、もし私が受け入れることを選択すれば、私には人道的な分野と国連でたくさんの仕事があるけれども、私自身の神聖を自覚し、受け入れなければならないということでした。言葉の最も真の意味において、私は人道主義者であり、子供たちに関して才能があると彼女が言いました。子供たちの人生を違ったものにするだろうと言われました。彼女によると、私の存在によって人々の重荷を取り去り、他の人々を癒す愛や光、笑いをもたらすのだそうです。私たちの会話全体を通じて、涙が彼女の目から溢れていたのは、彼女が感じている愛のためだと言っていました。私もまた愛の力強いエネルギーを感じていました。

その女性は話し続けて、私の仕事の分野は変化していくが、マイトレーヤが私と共にいて、私はいつでも安全に守られていると言われました。さらに彼女が、私には子供たちの教育や治療、たくさんの人々に向かって話をするといった、多くの仕事があると言いました。彼女の話では、私は大計画を援助するため、潜在的な神性に対して人類を目覚めさせる助けとなるためにここにいるのであり、この惑星の大計画と共に働く多くの覚者方だけでなく、他の様々な『世界』から来た人々も存在しているということでした。

私はこの仕事についてさらなる情報や詳細を知らされました。この体験は、大計画が存在するという、より深遠な理解をもたらしました。そして将来の教育の分野に奉仕の領域があることも印象付けてくれました。

これらすべてを聞くことは本当に恐れ多く、私は気後れして、実際のところ逃げ出して隠れてしまいたくなりました。

私たちの会話の終わりに、その女性が私の方を向いて、「私はこれほどの愛を感じたことがありません。この機会を与えてくださってありがとう」と言いました。この体験は本当に非常に愛されていると感じさせてくれて、その感覚は数日間残りました。私は心からあらゆるものとの一体感を感じ、永遠にその感覚を持ち続けられたら良いのにと思いました。

匿名希望

【ベンジャミン・クレームの師は、それがイエス覚者からのメッセージであったことを確認した】

 

 

高揚

 

編集長殿

2001911日の米国での悲劇的出来事の数週間後、娘と私が車で学校から帰宅する時に、ロンドンのローハンプトン通りで渋滞に行き当たりました。娘は私に、その日学校での先生との腹立たしい出来事について話をしていました。私たちは9月11日以来蔓延しているような、怒りと悲観的な全体のムードについても話をしました。

私たちの周りのドライバーたちは渋滞に巻き込まれたことに怒り、イライラとしていました。クラクションを鳴らしたり、脇道から来る車を入れないために車間距離を詰めたりする車もありました。私たちの前に車を入れてあげることで、暗い気持ちを一新しようと心に決めましたが、その車は脇道で別の長い渋滞の列の中で待っていた1台でした。その小さな赤い車のドライバーは入れてもらって、見るからに大喜びしているようでした。彼は窓から身を乗り出して、にこにこ顔で私たちに手を振り、「ありがとう! ありがとう!」と大声で言ってくれました。彼は運転していきながらも、私たちに向かって窓の外で盛んに腕を振り続けて、道路の先の方で曲がっていくまでそうしていました。彼は信じられないほど幸せそうだったので、私たちは笑い出して、気分はすっかり良くなりました。そのドライバーは、マイトレーヤがニューヨークの図書館に現れた時の、ビデオの中の『ホームレスの男性』に似ているように見え、アフリカ系カリビア人で、歳は50代で肩くらいの長さのカーリーヘアでした。満面の笑みのドライバーは特別な方でしたか。

ダイアナ&マリナ・エルダートン

英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。

他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

 

 

優先事項の質問

 

編集長殿

200111月の初めに、私の夢の中にマイトレーヤが現れました。私にとって有益で励ましになる体験だったので、他の読者の皆さんと分かち合いたいと思います。実のところ、私の夢はマイトレーヤの大宣言の日についてでした。夢としてありがちな、たくさんの動きがあり、多くのイメージや場面が互いに混ざり合っていました。

ところがすべての画面がさっと消えてしまいました。その代わりに、はっきりと耳に聞こえる気がするほどエネルギーがみなぎっていて、頭上の高電圧線の間近にいるように感じました。それから背の高い男性が、小さな子供にするように、伸ばした両腕で私を抱きかかえたので、顔と顔を突き合わせる形になりました。彼は白い装いで、肌は浅黒く、高い頬骨をしていました。このマイトレーヤのイメージは、それほど『くっきりとした』ものではなく、まさにSF映画のホログラムのようでした。

残念ながら、目が覚めてからは彼が話してくれた言葉を正確には覚えていません。ですからそれを私の言葉で伝えてみます。最初彼は私に優先事項について尋ねてきたので、私はそのうち三つを答えたはずです。それから彼はもう間もなく到来することが確かであると伝えてくれました。その後、この使命は彼にとってどのような重要性があるか、この仕事が彼にとってどれほど大切かを話してくれました。そして最後に彼から個人的な類いの、私たちのグループ活動に関連した質問をされましたが、書き留めてみると、意味がわかりません。

マイトレーヤがこの夢を与えてくださったのですか。

フランク・ライヒェルト

ドイツ、シュヴェービッシュ・グミュント

【ベンジャミン・クレームの師は、その『夢の体験』がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

 

賢明な言葉

 

編集長殿

2017814日に、私の息子のサムソンと一緒に、両親を訪問した帰りの列車に乗っていた時、一人の女性がウェリントン・ポイントで乗車してきました。車両には私たちだけだったにもかかわらず、彼女は私たちの隣に座ってきました。しばらくすると、彼女が私たちの会話に加わってきて、親の務めや霊的な話題について、いくつか驚くようなことを語りました。私は彼女がマイトレーヤかイエス覚者かもしれないと疑い始めました。彼女は主にサムソンと話をして、彼の年齢にしてはとても賢いと言っていました。その後40分ほど経ってから、彼女が「私のお気に入りの言葉である、『すべては良くなるだろう』をあなたたち二人と分かち合いたいと思います」と言いました。それで私は、特別な方と話をしていることを確信しました。

サムソンが彼女にシティまでずっと乗っていくのかどうかを尋ねると(それは彼女が私たちと話し始めて約45分後でした)、ちょうど車掌がクープールー駅への到着を告げたところで、彼女は私たちをぼんやりと見つめ、「ここで降りるわ」と言い、私たちにずっと手を振ってくれました。

彼女は英国出身の62歳と言っていました。サムソンが彼女に名前を尋ねると、彼女はロイジン(アイルランドの名前)と答えました。彼女はしばしばサムソンの腕に触れて、人生全般について主に彼に話しかけ、彼が「すべての苦痛は一時的なものだとわかる」というようなことを彼女に話すと、彼女がそれは真実だから、彼は賢明だと応じていました。

確認をしていただけないにもかかわらず、(これが特別な出会いであると)すでにわかっていると思うのは、彼女が「すべて良くなるだろう」と言ったからですが、それは以前に『マイトレーヤの使命 第㈼巻』の中でマイトレーヤが言われたのを読んだことがあったのです。彼女は毎晩眠りに就く前に、その日彼女が行った10の肯定的なことと10の否定的なことを思うようにしていると言っていました。私の行う10の肯定的なことを思い付かないと言うと、彼女がそれは小さな物事についてで、朝起きるとか、きちんと服を着る、ヘルシーな食べ物を食べる、誰かを思いやるなどのことだと言いました。サムソンと私はとても刺激を受けて、私はその出会いから数日後まで、エネルギーで満ち溢れていました。私は『マイトレーヤの使命 第㈼巻』と『秘教心理学』(アリス・ベイリー著)をこの数週間読んでおり、この出会いは私を勇気づけてくれました。

エリン・マクマホン

オーストラリア、ブリスベーン

 

百聞は一見に如かず

 

編集長殿

私が『時代の徴』と題した、奇跡についての講演の準備で忙しかった時、まさに私の目と鼻の先で起こっていた奇跡が見えていませんでした! 私の義理の娘が誕生日プレゼントに、夫と私が、強い絆で私たちと結ばれている3人の孫たちと一緒に写った写真をくれました。私は写真をほとんど撮らないので、その写真をうれしく思い、とても愛情溢れた幸福な雰囲気がその写真から放射していました。

その写真は新しいフレームに入れられ、ガラスのカバーが付いていました。ある日、ガラスの後ろに大きな灰色のシミを見つけて、ショックで縮み上がってしまいました。それはちょうど私のアジュナ・チャクラと鼻筋の上にありました。私は即座にそれがビブーティだとわかりましたが、その考えをすぐに打ち消しました。その後写真の前を通るたびに、私のおでこと鼻の上のとても不快な灰色のシミにイライラしたものでした──その数日前にはあれほど興奮したにもかかわらずです!

ある朝、その汚れにうんざりして、写真を手に取ると、やはりそれが本当にビブーティだとわかり、夫のところへ写真を持っていき、証人として彼にフレームを開けるよう頼みました。私たち二人共が写真の上のビブーティを見ましたが、突然消えてしまったのです。

私たちが何か直観的にわかっていても、論理的なマインドでそれを拒否してしまうことが、どれだけ頻繁に起こるものでしょうか。私たちが助けを与えられても、その事実を認めないことが何度あるでしょうか。私たちの『助け手』がどれほど近くにいながら、それがわからないのでしょうか。

数週間後、その奇跡は繰り返されましたが、現在は私の3歳になる孫息子のアジュナ・チャクラの上に現れています。

マリーケ・オプ・テン・ノールト

オランダ、ビルトホーフェン

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。

彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

 

完全な記憶

 

編集長殿

私には忘れられないことがあります。200011月にトゥールーズで、私はフランスの家族連合事務所で働いていました。ごみ箱の場所を探していた時、一人の美しい女性に出会いました。彼女は全身白の装いでした。彼女の髪は真っ黒で、微笑みが素晴らしく、外見が本当に完璧でした。私が事務所に入った時、突然彼女と話をしなくてはならないという考えが浮かびましたが、彼女はいなくなってしまいました。思うに、おそらく彼女は近所の学校にいる子供を待っていたのでしょう。彼女の微笑みとその姿は、今でも時折記憶の中に蘇るのです。あの素晴らしい女性は誰でしたか。

モニーク・フラマン

フランス、オレイアン、オルレ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

さらなる『束の間の出会い』

 

以下の2通の手紙は2017 715日の伝導瞑想研修会で目撃された、『ターバンをした背の高い男性』の目撃者たちによるもので、本誌20179月号にも『束の間の出会い』として2通の手紙の中で描写されている。

 

編集長殿

2017年度のサンフランシスコでの伝導瞑想研修会のテーマが、『グループ統合、過去を振り返り前進する』でした。グループはベンジャミン・クレーム氏の鼓舞される講演の選集と、グループ・イニシエーションの達成に必要な四つの条件に焦点を当てました。私たちの小グループの話し合いは、キャンパス内の様々な建物で行われました。テーマについての意見交換をしていた時、窓の外に背の高いハンサムな男性がいて、建物の横を通り過ぎていくのが見えました。彼はジーンズをはき、マルチカラーのシャツを着て、サングラスをかけ、鮮やかな藤色のターバンをしていました。そこには鹿もいて、建物の脇をくねくねと歩いていました。それは素敵な眺めで、私は笑顔になり、喜びで満たされました。この美しい男性はマイトレーヤなのだろうかと思いました。研修会を通して、マイトレーヤの愛のエネルギーは非常に途方もないものでした。その日、後になってから、別の建物にいた別の小グループのメンバーが、似たような体験をしたことを知ったのです!

A.D.

米国、ジョージア州マリエッタ

 

編集長殿

サンフランシスコでの、私たちの最近の伝導瞑想研修会の間、より親密なディスカッションのために、大勢の参加者から小さなグループに分かれました。私は『フクロウの巣』という名の横手の部屋に、小さなグループで集まりましたが、その場所は初期の頃ベンジャミン・クレーム氏のオフィスとして使っていて、私の座っていた場所の右側と真正面に窓がありました。

一人のメンバーが話していた時、私は研修会のテーマの『グループの融合』についてじっと考えていて、何気なく右側の窓を眺めました。その時、シーク教徒の男性が突如歩いて去っていきました。彼は美しいライラック色のターバンを付けて、よく似たライラック色のチェックのシャツを着て、サングラスをかけ、ジーンズをはいていました。私はこれまで一度もその色のターバンを見たことがなく、着るにはあまりにも妙に女らしい色だと思いましたが、彼はとても男らしく見えました。彼はのんびりとしたペースで、キャンパス内を横切る中央の歩道へ向かって歩いていました。私は心底驚いて座っていながら、「あの人はマイトレーヤかもしれないと思う」という言葉がはっきりと心に浮かんだのです。

グループから抜け出すのもどうかと思う気持ちと、どうしても彼の後を追いたいという気持ちがあり、私は葛藤の中で座っていました。私は立ち上がり、素早く部屋を出て彼を探しに行きましたが、彼は驚くほど遠くの道を歩いていたので、海辺へと向かう角を曲がって彼の姿が見えなくなる前に、一目最後に見ることができただけでした。彼の後を走って追いかけたくなりましたが、結局見知らぬ人についていくだけかもしれないという疑念もありましたし、もしマイトレーヤだったとして、彼に追いついてもどうしたらよいのでしょうか? 私はグループに戻ることにしましたが、実際には今しがた目撃した、この体験への自分の思いで頭はいっぱいだったのです。

私は部屋へ戻り、自分の椅子に再び腰を下ろし、右手の窓の外をもう一度見てみましたが、そこには赤ちゃんウサギの群れが草むらで遊んでいました。それから真正面の別の窓の外を見ると、子鹿たちと鹿が目の前に現れました。鹿たちが跳ね回り、あの男性が歩いた同じ道を歩いていくのを眺めていました。それは非現実的な体験でしたので、グループの話し合いの残りの時間中、私は黙って畏敬の念に打たれて座っていました。後になってキャンパス内の別の部屋にいた他のメンバーも、その男性と彼についていった鹿を目撃していたことを知りました。

W.L.

カナダ、エドモントン

 

個人視聴

 

編集長殿

1999年に、私はジャージ島に短期の出張をしていました。ホテルの部屋に落ち着くと、私の人生の最近の出来事を思い起こしました。困難な数週間の後、私は前へ進む用意はできていましたが、どこへ行きたいのかよくわかっていませんでした。

私は、「マイトレーヤ、今私の人生がどこへ向かうのかわかりません。助けが必要ですが、私の人生を選別するのは、私にかかっていることはわかっています」と言いました。

テレビをつけると、ニュースをやっていました。私はボリュームを上げようとして、間違ったボタンを押したのだと思うのですが、画面が変わって画像が回転したり、点滅して急に入れ替わったりしました。それが落ち着くと、ベンジャミン・クレーム氏がマイトレーヤについて講演している、きれいな画面が出てきました。私は「これはラッキー」と思い、腰を下ろして見ていましたが、人生の危機的問題は忘れていました。それはベンジャミンさんの自宅でのインタビューで、彼はマイトレーヤと智恵の覚者方の出現について、いつもの人を引き付ける魅力とくつろいだ様子で話していました。彼の講演は数多く聞いてきましたが、いつも初めてのように、新鮮に聞こえるのです。彼はまた伝導瞑想について話をしていて、瞑想中のグループの姿が映りました。カメラが一人ひとりの顔をアップにしていくと、まるで天使のように見えると思いました!

数カ月後、私はシェア・インターナショナルの事務所にいるジルに電話をかけました。私が番組のことを話すと、彼女はそのことを知らなかったので、私は驚きました。彼女はおそらくそれは非常に短時間のケーブルテレビの番組だと考えていました。私は1時間ほども続いた詳しい内容の番組だったと伝えました。

さらに数カ月後、私はジャージー島の同じホテルにいました。私はテレビをチェックして、4つか5つの地上波チャンネルしかないことがわかりました。ホテルのスタッフに尋ねても、ホテルにケーブルテレビは入っていないと言われました。

私はジルと次に話した時、このことを伝えました。彼女はこの話を、覚者に確認してくださるベンジャミン・クレーム氏に伝えることにしました。覚者のお返事は、「マイトレーヤが彼女のために番組を放映し、他の誰にも見えていなかった。彼女の部屋での個人的な視聴だった」ということでした。さらに伝導瞑想グループに参加するようにとも言われました。ベンジャミンさんは、それは私の決断次第だと知らせてくれましたが、「申し出を受け入れるのが賢明なことだろう」と言われました。

もしこの話に教訓があるなら、おそらくそれは、『テレビを見るなら、ちゃんと選びなさい』ということでしょう!

サラ・マクダイド

英国、サリー州リッチモンド

 

 

 

編集長への手紙

編集長殿

201749日に、私は米国ウィスコンシン州マディソンでの、ウェルネス・エキスポに出した再臨のブースで活動していました。20代後半の二人連れがブースにやって来て、私たちは会話を始めました。

私が彼らに、彼らと同じ年齢の人や同世代になる一団の人々は、今現在の世界の状況にどのように対処しているのか尋ねました。若いミレニアム世代の人たちが、経済や環境、現在の政治の状態のせいで、非常な不確かさに直面していると私は認識しているのです。

その若い男性は、「私たちは起こっているすべてのことをよく見ています。そして私たちがどのように反応したいのかも分かっています」と言いました。私は彼らに「若い世代に対して、私の世代が世界を放置してきた状況について、私は罪悪感を覚えていると言わずにいられません」と言いました。

その若者は即座に返事をして「あなたの罪悪感は当然のこととは言えないし、必要でもなく、また助けにもなりません」と言いました。さらに続けて「世界の状態というのは、あなたの世代のみのせいではありません。あなたの世代、その前の世代、またその前の世代、さらにその前の世代のせいなのです。人類の歴史全体が、今日の私たちのあり様をもたらしたのです。私たちは皆共にこの中に存在し、皆で共にここを通り抜けていかなければならないでしょう。あなたの肩から罪悪感の重荷を取り払いましょう」と言ってくれたのです。彼はまた「私たちはこの時に世界にいることを残念には思っていません」とも言っていました。彼の友人も賛同してうなずいていました。

この出会いは私にとってとても有益で、私は本当に肩から罪悪感が取り去られた解放感を感じています。

エレン・ターガセン

米国、ウィスコンシン州マディソン

 

共に

 

編集長殿

2016年のペンテコステの翌日に、アムステルダムのインフォメーションセンターは、マイトレーヤの代弁者(ベンジャミン・クレームの師によって確認された。本誌20169月号「ペンテコステの訪問」参照)の訪問を受けました。それ以来、彼はセンターの中にひょいと入ってくるだけだったり、二言三言陽気な励ましの言葉をかけたり、講演のまさに終わりにやって来て講演者の目の前の席に座ったりすることで、何度もその存在に浴する栄を私たちに与えてくださいました。そのような機会に、彼は話し合いの中で生き生きとした参加者となり、しばしば話に加えて適切で常に役立つコメントを差し挟み、それは混乱させたり、注意をそらしたりするようなものにはなりませんでした。彼は同意してうなずき、講演者を励まし、どれほど間近にマイトレーヤの完全に公の出現が起こるかについての発言を支持し、賛同してくれているように思えました。彼は温かく愛情溢れ、愛すべきいたずら心のあるユーモアのセンスを持っているのです。

彼は繰り返し私たちを訪問してくれて、ごく最近にも彼はやって来て、例えばちょうどベンジャミン・クレームのリトグラフ展をセンターで開いた時には(20176月下旬)、彼がそこにいた人々に愛情溢れた温かなハグをして、戻ってくると約束して、それから1週間後くらいに、再びほんの少し立ち寄って、連帯や興味、思いやりを示すために来たかのように、私たちが大丈夫か尋ねてくれたり、握手をしたり、背中を軽くたたいたり(!)、ひどく疲れているメンバーたちを気遣ってくれたりしました。彼は口に出されなかった私たち数人の思考を、一言一句言い当てて、私たちの関心事を知っていて、他の人が知り得ない事実を知っているという具体的な証拠を見せてくれました。

723日に、親切で支援してくれるマイトレーヤの代弁者が再びセンターにやって来て、講演の始まった1分後に到着し、その後ディスカッションに参加して有益でユーモラスで適切なコメントをしてくれました。誰かが世界の状態についての不安を話した時、グループのメンバーが善の勝利について、「素晴らしい肯定的な結果が保証されている」ことを話しましたが、後で代弁者の方がそのメンバーに話しかけて、「善良な人々の勝利が保証されているのです」と繰り返していました。別のメンバーで、すでにマイトレーヤのフレンドリーな代弁者に数回会っている人が彼に再び会えてうれしいことと、来てくれたことへ感謝を伝えた時、その代弁者の方はただ天の方を指差して、まるで「私はただ上から行くように頼まれたことをしているだけです」と言っているかのようでした。他に代弁者の方が語ったことで、講演に関係していたのは、マイトレーヤがいつ世界中で完全に認知されるようになるかということについてで、「それはすべてタイミングの問題です」と彼は言いました。

8月6日に、私たちはインフォメーションセンターでのリトグラフ展の中で、講演をしました。マイトレーヤの代弁者の方が再び現れて、いつものように講演が始まってからちょうど1分後でした。どうしてかいつも空席があり、最後の席に彼は座りました。普段通りに彼はかなりたくさん話すことがあり、簡素さの必要性や、自身と内なる高位我との絶え間ない接触を保つことの必要性を語っていました。さらに参加者に話しかけることも恒例になっていて、明らかに的を射たコメントやアドバイスを伝えていました。

講演の終わりに、講演者が聴衆に、18枚のリトグラフの中で心惹かれる1枚の前で、何かの期待もお願いも要求もすることなく、静かに数分間座るように呼びかけました。私たちはこのようにして約7分間静かに座り、その後ゆっくりと一緒に戻っていき、非常にはっきりとした祝福とエネルギーと感謝の感覚を持って、静かに午後の講演を閉会しました。

代弁者の方が言った最後の言葉は、その日の最後の言葉でしたが、ちょうど私たち皆が立ち上がって帰ろうとした時のことで、「共に」でした。

グループメンバー一同

シェア・オランダ、シェア・インターナショナル

インフォメーションセンター

オランダ、アムステルダム

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

編集長殿

2016年10月にベンジャミン・クレーム氏が亡くなって以来、彼と共に働いてきたロンドンのグループは、(クレーム氏が40年以上講演をしてきた会場である)ロンドンのユーストン通りにあるフレンズハウスで、毎月のビデオ講演会を行ってきました。私たちは一般大衆に情報を提示するという自分たちの仕事をしっかりと続けていますが、多くの人々はベンジャミン・クレーム氏の存在がなくなったことを寂しがっており、彼の独特の洞察力、智恵、祝福やユーモアのセンスを懐かしく感じていたので、多くの参加者が感謝と私たちの継続する活動への支援の気持ちを表し、クレーム氏が言われたように「やり続けて」と私たちを励ましてくれました。

2017年5月18日木曜日のフレンズハウスでの上映会で、これまで見かけたことのない、一人の若い黒人の男性がやって来ました。彼は20代後半くらいで、カジュアルな服装にツバなしのニット帽を被っていました。彼は手伝っているメンバー全員と少しずつおしゃべりをしていて、全員が彼を、なんて親切でフレンドリーで関心を示してくれる人物だろうと話していました。伝導瞑想の紹介の間に、彼はすぐ瞑想を始めました。彼は至福に満たされているように見え、完全にくつろいでいながら、これまでこのようなタイプの瞑想をしたことはないと言っていました。

上映会を終えて私たちが荷造りを始めていると、彼が私の所へやって来ました。彼は右手を握りしめて、自分の心臓を示すようにとんとんと叩くと、「ベンジャミン・クレーム氏がもはやここにいないことを、とても悲しく思います。けれども最も大切なことはこのメッセージで、メッセンジャーではありません」と言ったのです。「はい、でも彼はなんて偉大なメッセンジャーだったのでしょう」と私は答えました。それに対して彼は、「そうです。でも今最も重要なことは、メッセージです。どうか他の人たちにも知らせてください」と言いました。彼は微笑んで帰っていきました。

この若い男性と私たちの出会いは、気持ちを高揚させ、私たちが正しい道にいて、このような不穏な時期に、このマイトレーヤについてのメッセージと情報がかつてないほど必要とされていると確信を与えてくれました。

ジル・フライ

英国、ロンドン

 

グループセラピー

編集長殿

2017年2月9日のエジンバラでの、私たちの今年最初の伝導瞑想ワークショップで、興味深い訪問者があったのですが、若々しい黒人の女性で、すっきりとしたカジュアルな服装で、他の参加者がすでに着席した後、最後にやって来ました。彼女の様子は肯定的で、喜びに溢れ、熱心な人でした。

このワークショップについてどこから知ったのか、私たちが参加者に尋ねると、その若い女性は列車に乗っている時に、(オームの)シンボルが書かれたイベントのチラシを受け取ったと説明しました。彼女は常にその1枚を持ち歩き、心の中にシンボルを思い続け、考え続けてきました。彼女はその意味を知りませんでしたが、理解すべき重要なことがあると分かり、もっと知りたいと思ったのです。彼女が言うには、何カ月もワークショップに参加したかったので、やっと来られたということでした。彼女は「グループに戻って来た」ことについて、「……そうです、なぜなら私たちが一つのグループである時、私たちが一つのグループとして共に働く時、強力で魔術的な何かが起こるのです……」というようなことを言いました。

私たちは最近グループの中に不和の状態を経験していて、皆にとって非常に不安定な時期を過ごしていたので、これは私たちにとって重要なことでした。グループメンバーの一人は、それがグループを最近経験している状態から高揚させる徴であるとすぐに思い、「これが私たちに必要なもので、後押しのような肯定的な態度と併せて、今グループに必要なものだ!」と思ったのでした。別の人はグループの不和を解決するやり方を、私たちにアドバイスしに来られたマイトレーヤではないだろうかと思っていました。

その若い女性が『特別な方』かもしれないと感じさせることは、他にいくつも挙げられます。私たちが伝導瞑想の様々な側面について説明した時、彼女は常に私たちが伝えようとするところを正確に理解して、何を意味しているかについて直観的な認識を持っているように思えました。彼女は度々肯定的で、幸せそうで熱意のある言葉でコメントしてくれました。グループメンバーが大祈願とキリストという言葉の使用について説明していて、キリストはキリスト教の教えについてだけのことではなく、それはと言いかけた時、その女性が「神性」についてであると口を差し挟みました。

満月の瞑想について、彼女は、私たちが春の祭りの時に瞑想をしてきたことについて非常に熱心に知りたがり、本当に満月が好きで、それは大切な時期だと言っていました。彼女は「一人のグループメンバーの笑顔や別のメンバーの笑う能力に感謝し、謙虚な気持ちになりました」と言いました。あるグループメンバーは、このことがグループ内の不和についてであって、状況をより気にならないものにする笑いの必要についてだと思ったそうです。

瞑想について、彼女は「私はいつも瞑想が他の活動の妨げにならないものだと思ってきました」と言いました。伝導瞑想を始める前に、別の参加者が発言してきて、説明されている内容が自分の指針や信念に反するように感じるので、瞑想に参加しないことにしたと言ってきました。あの若い女性の訪問者が口出ししてきて、それは結構で、自分にとってそうすることが正しいならば帰ることができると言いました。その人が椅子から立ち上がり、部屋を出ていく時、彼女は「私たちはあなたの幸福を祈ります」と言いました。その時には、まるで彼女がワークショップを指導している人のように思えました!

瞑想を行った後、その女性の訪問者は、私たちがどのくらい伝導瞑想を続けてきたのか尋ねてきました。メンバーの一人は20年やってきたけれども、いまだに行うことが難しいと言いました。彼女がそれに対して、発達は通常20年から40年(最初の20年ではなく)の間に起こるもので、習得するまでに40年かかった呼吸法について読んだことがあると言っていました。

彼女はエジンバラにあるヘリオット・ワット大学で経済を勉強していて、一つのプロジェクトに関わっていることを話してくれて、彼女の使命はすべての人が清潔な水にアクセスできることを確実にすることで、その水が浪費されるべきではないということでした。これは未来の世代のために非常に重要なことです。

彼女は最後に全員の幸福を祈ってくれて、グループメンバーがもう一度会えるかどうか尋ねた時に、少しだけ謎めいた感じになり、彼女は日々、その瞬間瞬間を生きているので、未来がどうなるかは言えないと答えていました。けれどもいつか再びきっと会うことになるだろうと言いました。

私たちは皆、この出会いが全体に肯定的で、すべての人に対する肯定的で高揚させるような、敬意を持った批判ではない姿勢によって、マイトレーヤが実際にグループ内の不和に、このように働きかけられるのだと思っています。

エジンバラ伝導瞑想グループのメンバー一同より

スコットランド

 

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

自然の驚異

編集長殿

200110月の季節外れの暖かな日に、マサチューセッツの自宅から1マイル(約1.6km)足らずの州立公園の自然遊歩道へ、散歩に出かけることにしました。

あまりに唐突に一人の年配の紳士が、反対方向からやって来たところに出くわした時には、とてもびっくりしてしまいました。私は笑いながら、すっかり縮み上がりましたよと彼に言いました。彼はその日公園が騒がしいと言って、枯葉がカサカサと音を立てていることについてそう言っていたのです。この実にありふれた出会いは、それにもかかわらず興味深い印象を残しました。

10分程前に、池の美しい景色が見渡せて、遠くに山々を眺められる土手でひと休みしていました。のんびりとした午後だったので、私の思考はとりとめなく様々な物事を思っていて、シェア・インターナショナル誌先月号の、ムクテスワラ・バガヴァンの写真(本誌日本語版2001年7月号)やマイトレーヤの写真のことも考えていました。

この年配の紳士はマイトレーヤでしたか。

ジェイソン・フランシス

米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

 

海難救助

編集長殿

私が7歳(1975年)の時に起きたことについて、お尋ねしたいと思います。私は母や弟と海岸(茨城県の阿字ヶ浦)へ出かけました。私は浮き輪を持って海へ歩いて入りました。けれども遠くまで行き過ぎてしまったのです。戻ることができませんでした。

周りを見回しましたが、誰もいませんでした。

助けを求めて叫びましたが、誰にも聞こえませんでした。

突然、死が現実のものとなったのです。私は海の広大さが恐ろしくなっていました。そして死んでしまうという事実を受け入れたのです。

ちょうどその時、背後から誰かに「大丈夫?」と呼びかけられました。振り返ると、一人の男性がいました。彼は30代くらいで、普通の(日本人の)男性に見えました。彼が私を助けてくれました。彼から「遠くに行き過ぎてはいけないよ」と言われました。私は口が利けませんでした。ただうなずくだけでした。彼は海の方へ戻っていきました。そして突然姿が見えなくなりました。

けれどもその時、私は生きていると実感したのです。

彼を忘れることができません。彼は何者でしたか。彼は親切な普通の男性だったのですか。

K.N.

日本、東京

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

古くからの知り合い 

編集長殿

126日に、私たちは2017年の最初のシェア・インターナショナル誌の梱包と発送作業を終えてから、アムステルダムのインフォメーションセンターの外に、馴染みの姿を見かけました。彼はこれまで何度も私たちを訪問していて、ベンジャミン・クレーム氏の師からイエス覚者の代弁者であると確認されていました。いつものように彼は自転車に乗って現れ、キャップを後ろ前に被り、センターのすぐ外にある無料の資料を見るために立ち止っていました。いつものようにショーウィンドウを通して中を覗き込み、私たちに手を振り、歯を見せて満面の笑みを浮かべて、親指立ての仕草をして、もう一度手を振ると自転車に乗って去っていきました。近頃私たちは、代弁者の方から訪問を受けているのではないだろうかと、少し思っているのです。

グループメンバー 一同

オランダ、アムステルダム

迷って見つけて

編集長殿

2001 720日に、私は今でも生き生きと心に残るような体験をしました。私はブルックリンで地下鉄に乗っていました。私は地下鉄の列車には慣れていないのですが、それは予想以上に難しいもので、列車の行き先表示がつい最近変更されたためでした。

長く感じられた時間の間、一つの方向を目指し、また別の方向へと向かい、ついには道に迷ったように感じました。それは助けがないという感覚で、年季の入ったニューヨーカーとしては、馴染みのないものでした。けれども、それは実際に意気消沈でした。

一人のターバンをした男性が私に近づいてきました。彼の顔や瞳の、何という善良さ。彼は私を見通しているかのようでした。純粋な愛が存在していました。彼が慰めの仕草で、私の手首に触れました。私は平穏さで満たされたのです。「私は聖者の面前にいるのかしら?」と思っていました。彼は階段を一つ上るようにと、穏やかに教えてくれました。階段を上った先では、優しい男性がプラットホームまで連れていってくれました。そこで私はアフリカ系アメリカ人の女性に、正しい路線にいるかどうかを尋ねました。彼女はそうだけれども、間違った方面行きにいると言いました。彼女は自分の列車をやり過ごし、私の乗る列車まで付き添ってくれました。彼女はすべてが大丈夫なのを確認するために、私と列車に乗るつもりだと言いました。彼女はその通りにしました。列車が乗換駅に着きました。彼女は私を別の列車に連れていきました。彼女も一緒に乗り込みました。彼女はすぐに若いアフリカ系アメリカ人の男性を見つけ出すと、彼に私が正しい駅で降りるのを確認するように伝えました。彼は喜んで請け合ってくれました。彼の顔は親切で、彼女と同じように輝いていました。私の駅に着くと、彼が降りるように言ってくれました。

私がブルックリンで行かなければならなかったお店は簡単に見つかりました。

ある考えが頭をよぎり、どうやってマンハッタンまでの帰り道を見つけたらいいのかというものでしたが、私が地下鉄に入ると、親切なアフリカ系アメリカ人の男性がいました。彼は自分の名前を名乗ると、私の駅までご一緒しましょうと言ったのです。彼はその通りにしました。何という愛の感覚が漂っていたことでしょう。私たちはハグをしてから、私は列車を降りました。私は至福の状態でした。

ターバンをした男性はマイトレーヤでしたか。私の道程を助けるために天使を遣わされたのですか。

H.L.

米国、ニューヨーク州ニューヨーク

【ベンジャミン・クレームの師は、『ターバンをした男性』がマイトレーヤであったことを確認した。『アフリカ系アメリカ人の女性』はイエス覚者であった、『若いアフリカ系アメリカ人の男性』もマイトレーヤで、『親切なアフリカ系アメリカ人の男性』もまたイエス覚者であった】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

救いの手

編集長殿

2017 222日水曜日の夜、伝導瞑想を終えてグループのメンバーと一緒に、アムステルダム市内を歩いて帰宅していた時、私はつまずいて転んでしまいました。転んだ拍子に頭に怪我をして、かなり出血していました。メンバーである友人は通りの車を止めて、運転していた人に、そこから遠くない自宅まで乗せていってもらえるか尋ねていました。彼は引っ越しをしたところで、たまたま車いっぱいの荷物を載せていたため、それは無理でした。そのすぐ後、友人は自分の夫に電話をかけて、同じ内容を頼んでいました。彼女がちょうど電話を終えた時、1台のタクシーが、店の前の少し陰になった場所に座っていた私たちのところへやって来ました。彼女の夫以外には他に誰も私たちの居場所は知りませんでした。タクシー運転手は私たちのそばの歩道へと来ました。

そのタクシー運転手は車を降りると、ある男性から私たちを迎えに行って、家に送るように依頼されたと言いました。私たちは、それは素晴らしいけれどお金を持っていないと言いました。「ああ、その人がもう10 ユーロ払ってくれましたよ」と彼から言われました。けれどもそれが非常に驚くべきことだったのは、もしその運転手に助けを頼んだのが、あの車の男性であったなら、彼は別の方向へと運転していってしまったし、タクシーが現れた方角にはタクシー乗り場もなかったからでした。そしてどのような場合でも、私の転倒から文字通り3、4分のうちに、誰がタクシーに連絡をして、支払いまでできただろうかと疑っていました。「あなたと支払いをしてくれた紳士のご親切に感謝です」と私たちは言いました(二人共がそれは確かに普通の状況ではないと思っていました!)。若いタクシー運転手は「だからこそ私たちはこの世界にいるんじゃないですか、お互いに助け合うために!」と答えてくれました。私たちは電光石火の素早さで、奇跡的に助けていただいたという結論に達しました!

ヨス・クイル

アムステルダム伝導瞑想グループ、オランダ

(次の2通は同じ人物からのものです。)

 懐かしい顔

 編集長殿

1)パリ伝導瞑想グループの4人はシェア・インターナショナル誌裏表紙写真展を、2017 331日からの週末に開催しました。展示はある写真家のスタジオで行い、「分かち合いが世界を救う」というタイトルにしました。開催日を入れて二日の日程でしたが、人々が集まったのは、その写真家のネットの情報網でイベントを告知してくれたからでした。展示とそれに関連した活動がボーブールの文化芸術的な地区で行われ、つまりはジョルジュ・ポンピドゥー・センターの正面入口を過ぎた通りにある会場だったわけなのです。メンバーはスタジオのショーウィンドウに、写真とマイトレーヤのメッセージを一緒に展示しました。それはたくさんの注目を集め、通りすがりの子供たちからも見てもらえました。

マイトレーヤはかつて(東京での同じ写真展で)、もし世界中の人々がこの裏表紙の写真を見て、それについて考えたならば、世界はより良い方へ、正義に向かって変化するだろうと言われました。実際にマイトレーヤの望みの一つは、他者の苦しみに対して私たちのハートを開くことなのです。それによって私たちは世界を変えていくのです。写真展はこの目的にかなっています。二人のメンバーがずっと会場にいたのですが、私たちは注がれるエネルギーに二度ほど驚き、それはまさにクリスマスの日のマイトレーヤからの祝福のようでした。これまでの写真展の時のエネルギーを感じることに、私たちが慣れていたとしても、そのような体験をしたのは初めてのことでした。たくさんの交友関係がそこではつながり合っていて、彼ら皆がエネルギーに満たされていたので、私たちはとてもうれしく思いました。

土曜日の朝と午後早い時間には、まだ来場者がいませんでしたので、私はシェア・インターナショナル誌の読者質問欄にあった、聴衆や来場者を視覚化することについて思い出しました。しばらくの間はショーウィンドウにある6枚の写真を眺めていく、絶え間ない人の流れがありました。それで私は来場者でいっぱいの展示会場を視覚化してみました。幾つかの「視覚映像」を思い浮かべてから目を開けると、展示会場の入口にベンジャミン・クレーム氏を見たのです。私は目をこすり、想像が幻を見せていると思いましたが、そうではありませんでした。彼はそこにいたのです。私が思うに、彼が何十年もの間シェア・インターナショナル誌の編集長であったため、そこにいたのでしょう。

百聞は一見に如かず

22017311日のパリでのミーティング中に、様々な活動を担当しているメンバーたちが集まって、アイディアを交換したり、グループの和合を強化するために交流したりする時間を持ちました。午後の間、私たちがパルタージュ(シェア)・インターナショナルの購読者数の減少や、販売を改善するために何ができるかについて話し合っていた時、メンバーが「特に今は、ベンがもういないのだから」と言いました。その瞬間、突然ベンジャミンさんが現れて、部屋の中の私の目の前に立っていたのです。私が見ていたものについて疑問の余地はありません。私はグループに数分間静かにしてくれるよう頼みました。私がグループに私の見たことを伝えるのをためらったのは、私の友人が別の状況でベンジャミンさんを目撃して、彼女がその話を伝えた人々の中には、彼女をからかいだした人たちがいたためでした。翌日、私がSI誌にこの話を書くことに決めたのは、自分だけに留めておきたくなかったことと、ベンジャミンさんがもういなくなったと考える人たちがいても、少なくとも私に関する限り、それは明らかに間違っているとわかっているという理由のためです。

M-A.A

フランス、パリ

【編集長注:ベンジャミン・クレームについてさらに詳細を尋ねたところ、手紙の筆者は彼がより若く、健康的であったと述べ、彼はただ立って写真展示場の入口から彼女を見ていたと言う】

危機一髪

編集長殿

2001 9月に、私は自分の車に義理の娘のシャーリーンと二人の子供を乗せて運転していました。私たちは主要道路をとてもゆっくりと進んでいて、1台の大きなシルバーの車が反対側から(全く普通に反対車線を走って)近づいていました。30mくらいの距離になった時、突然その車が方向を変えて、速度を保って私たちの方へ真っ直ぐに向かいながら、こちらの車線の方へ進路変更してきたのです。正面衝突になるところでした。「ああ、神よ」と言ったのを覚えていますが、シャーリーンもそうでした。私は反対側の左へとできる限り向かおうとしました。どうして衝突が起こらなかったのか全くわかりません。シャーリーンも私もショックで口がきけませんでした。数週間後でも、私たちにはまだ、なぜ事故が起きなかったのか信じられません。その車からどうやって逃れたのかわかりませんが、私はシャーリーンに「私が言えることはただ、私たちが面倒を見ていただいていたということだけよ」と言いました。

私がお尋ねしたいのは、私たちは何らかの方法で守られたのですか。私たちは死ぬことも重傷を負うこともなく、他にどうやって事故から逃れられたのか、ただ信じられない思いなのです。

ベティ・ファラジャラ

英国、サリー州フリムリー・グリーン

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤによって助けられたことを確認した】