カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。

彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

 

完全な記憶

 

編集長殿

私には忘れられないことがあります。200011月にトゥールーズで、私はフランスの家族連合事務所で働いていました。ごみ箱の場所を探していた時、一人の美しい女性に出会いました。彼女は全身白の装いでした。彼女の髪は真っ黒で、微笑みが素晴らしく、外見が本当に完璧でした。私が事務所に入った時、突然彼女と話をしなくてはならないという考えが浮かびましたが、彼女はいなくなってしまいました。思うに、おそらく彼女は近所の学校にいる子供を待っていたのでしょう。彼女の微笑みとその姿は、今でも時折記憶の中に蘇るのです。あの素晴らしい女性は誰でしたか。

モニーク・フラマン

フランス、オレイアン、オルレ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

さらなる『束の間の出会い』

 

以下の2通の手紙は2017 715日の伝導瞑想研修会で目撃された、『ターバンをした背の高い男性』の目撃者たちによるもので、本誌20179月号にも『束の間の出会い』として2通の手紙の中で描写されている。

 

編集長殿

2017年度のサンフランシスコでの伝導瞑想研修会のテーマが、『グループ統合、過去を振り返り前進する』でした。グループはベンジャミン・クレーム氏の鼓舞される講演の選集と、グループ・イニシエーションの達成に必要な四つの条件に焦点を当てました。私たちの小グループの話し合いは、キャンパス内の様々な建物で行われました。テーマについての意見交換をしていた時、窓の外に背の高いハンサムな男性がいて、建物の横を通り過ぎていくのが見えました。彼はジーンズをはき、マルチカラーのシャツを着て、サングラスをかけ、鮮やかな藤色のターバンをしていました。そこには鹿もいて、建物の脇をくねくねと歩いていました。それは素敵な眺めで、私は笑顔になり、喜びで満たされました。この美しい男性はマイトレーヤなのだろうかと思いました。研修会を通して、マイトレーヤの愛のエネルギーは非常に途方もないものでした。その日、後になってから、別の建物にいた別の小グループのメンバーが、似たような体験をしたことを知ったのです!

A.D.

米国、ジョージア州マリエッタ

 

編集長殿

サンフランシスコでの、私たちの最近の伝導瞑想研修会の間、より親密なディスカッションのために、大勢の参加者から小さなグループに分かれました。私は『フクロウの巣』という名の横手の部屋に、小さなグループで集まりましたが、その場所は初期の頃ベンジャミン・クレーム氏のオフィスとして使っていて、私の座っていた場所の右側と真正面に窓がありました。

一人のメンバーが話していた時、私は研修会のテーマの『グループの融合』についてじっと考えていて、何気なく右側の窓を眺めました。その時、シーク教徒の男性が突如歩いて去っていきました。彼は美しいライラック色のターバンを付けて、よく似たライラック色のチェックのシャツを着て、サングラスをかけ、ジーンズをはいていました。私はこれまで一度もその色のターバンを見たことがなく、着るにはあまりにも妙に女らしい色だと思いましたが、彼はとても男らしく見えました。彼はのんびりとしたペースで、キャンパス内を横切る中央の歩道へ向かって歩いていました。私は心底驚いて座っていながら、「あの人はマイトレーヤかもしれないと思う」という言葉がはっきりと心に浮かんだのです。

グループから抜け出すのもどうかと思う気持ちと、どうしても彼の後を追いたいという気持ちがあり、私は葛藤の中で座っていました。私は立ち上がり、素早く部屋を出て彼を探しに行きましたが、彼は驚くほど遠くの道を歩いていたので、海辺へと向かう角を曲がって彼の姿が見えなくなる前に、一目最後に見ることができただけでした。彼の後を走って追いかけたくなりましたが、結局見知らぬ人についていくだけかもしれないという疑念もありましたし、もしマイトレーヤだったとして、彼に追いついてもどうしたらよいのでしょうか? 私はグループに戻ることにしましたが、実際には今しがた目撃した、この体験への自分の思いで頭はいっぱいだったのです。

私は部屋へ戻り、自分の椅子に再び腰を下ろし、右手の窓の外をもう一度見てみましたが、そこには赤ちゃんウサギの群れが草むらで遊んでいました。それから真正面の別の窓の外を見ると、子鹿たちと鹿が目の前に現れました。鹿たちが跳ね回り、あの男性が歩いた同じ道を歩いていくのを眺めていました。それは非現実的な体験でしたので、グループの話し合いの残りの時間中、私は黙って畏敬の念に打たれて座っていました。後になってキャンパス内の別の部屋にいた他のメンバーも、その男性と彼についていった鹿を目撃していたことを知りました。

W.L.

カナダ、エドモントン

 

個人視聴

 

編集長殿

1999年に、私はジャージ島に短期の出張をしていました。ホテルの部屋に落ち着くと、私の人生の最近の出来事を思い起こしました。困難な数週間の後、私は前へ進む用意はできていましたが、どこへ行きたいのかよくわかっていませんでした。

私は、「マイトレーヤ、今私の人生がどこへ向かうのかわかりません。助けが必要ですが、私の人生を選別するのは、私にかかっていることはわかっています」と言いました。

テレビをつけると、ニュースをやっていました。私はボリュームを上げようとして、間違ったボタンを押したのだと思うのですが、画面が変わって画像が回転したり、点滅して急に入れ替わったりしました。それが落ち着くと、ベンジャミン・クレーム氏がマイトレーヤについて講演している、きれいな画面が出てきました。私は「これはラッキー」と思い、腰を下ろして見ていましたが、人生の危機的問題は忘れていました。それはベンジャミンさんの自宅でのインタビューで、彼はマイトレーヤと智恵の覚者方の出現について、いつもの人を引き付ける魅力とくつろいだ様子で話していました。彼の講演は数多く聞いてきましたが、いつも初めてのように、新鮮に聞こえるのです。彼はまた伝導瞑想について話をしていて、瞑想中のグループの姿が映りました。カメラが一人ひとりの顔をアップにしていくと、まるで天使のように見えると思いました!

数カ月後、私はシェア・インターナショナルの事務所にいるジルに電話をかけました。私が番組のことを話すと、彼女はそのことを知らなかったので、私は驚きました。彼女はおそらくそれは非常に短時間のケーブルテレビの番組だと考えていました。私は1時間ほども続いた詳しい内容の番組だったと伝えました。

さらに数カ月後、私はジャージー島の同じホテルにいました。私はテレビをチェックして、4つか5つの地上波チャンネルしかないことがわかりました。ホテルのスタッフに尋ねても、ホテルにケーブルテレビは入っていないと言われました。

私はジルと次に話した時、このことを伝えました。彼女はこの話を、覚者に確認してくださるベンジャミン・クレーム氏に伝えることにしました。覚者のお返事は、「マイトレーヤが彼女のために番組を放映し、他の誰にも見えていなかった。彼女の部屋での個人的な視聴だった」ということでした。さらに伝導瞑想グループに参加するようにとも言われました。ベンジャミンさんは、それは私の決断次第だと知らせてくれましたが、「申し出を受け入れるのが賢明なことだろう」と言われました。

もしこの話に教訓があるなら、おそらくそれは、『テレビを見るなら、ちゃんと選びなさい』ということでしょう!

サラ・マクダイド

英国、サリー州リッチモンド

 

 

 

編集長への手紙

編集長殿

201749日に、私は米国ウィスコンシン州マディソンでの、ウェルネス・エキスポに出した再臨のブースで活動していました。20代後半の二人連れがブースにやって来て、私たちは会話を始めました。

私が彼らに、彼らと同じ年齢の人や同世代になる一団の人々は、今現在の世界の状況にどのように対処しているのか尋ねました。若いミレニアム世代の人たちが、経済や環境、現在の政治の状態のせいで、非常な不確かさに直面していると私は認識しているのです。

その若い男性は、「私たちは起こっているすべてのことをよく見ています。そして私たちがどのように反応したいのかも分かっています」と言いました。私は彼らに「若い世代に対して、私の世代が世界を放置してきた状況について、私は罪悪感を覚えていると言わずにいられません」と言いました。

その若者は即座に返事をして「あなたの罪悪感は当然のこととは言えないし、必要でもなく、また助けにもなりません」と言いました。さらに続けて「世界の状態というのは、あなたの世代のみのせいではありません。あなたの世代、その前の世代、またその前の世代、さらにその前の世代のせいなのです。人類の歴史全体が、今日の私たちのあり様をもたらしたのです。私たちは皆共にこの中に存在し、皆で共にここを通り抜けていかなければならないでしょう。あなたの肩から罪悪感の重荷を取り払いましょう」と言ってくれたのです。彼はまた「私たちはこの時に世界にいることを残念には思っていません」とも言っていました。彼の友人も賛同してうなずいていました。

この出会いは私にとってとても有益で、私は本当に肩から罪悪感が取り去られた解放感を感じています。

エレン・ターガセン

米国、ウィスコンシン州マディソン

 

共に

 

編集長殿

2016年のペンテコステの翌日に、アムステルダムのインフォメーションセンターは、マイトレーヤの代弁者(ベンジャミン・クレームの師によって確認された。本誌20169月号「ペンテコステの訪問」参照)の訪問を受けました。それ以来、彼はセンターの中にひょいと入ってくるだけだったり、二言三言陽気な励ましの言葉をかけたり、講演のまさに終わりにやって来て講演者の目の前の席に座ったりすることで、何度もその存在に浴する栄を私たちに与えてくださいました。そのような機会に、彼は話し合いの中で生き生きとした参加者となり、しばしば話に加えて適切で常に役立つコメントを差し挟み、それは混乱させたり、注意をそらしたりするようなものにはなりませんでした。彼は同意してうなずき、講演者を励まし、どれほど間近にマイトレーヤの完全に公の出現が起こるかについての発言を支持し、賛同してくれているように思えました。彼は温かく愛情溢れ、愛すべきいたずら心のあるユーモアのセンスを持っているのです。

彼は繰り返し私たちを訪問してくれて、ごく最近にも彼はやって来て、例えばちょうどベンジャミン・クレームのリトグラフ展をセンターで開いた時には(20176月下旬)、彼がそこにいた人々に愛情溢れた温かなハグをして、戻ってくると約束して、それから1週間後くらいに、再びほんの少し立ち寄って、連帯や興味、思いやりを示すために来たかのように、私たちが大丈夫か尋ねてくれたり、握手をしたり、背中を軽くたたいたり(!)、ひどく疲れているメンバーたちを気遣ってくれたりしました。彼は口に出されなかった私たち数人の思考を、一言一句言い当てて、私たちの関心事を知っていて、他の人が知り得ない事実を知っているという具体的な証拠を見せてくれました。

723日に、親切で支援してくれるマイトレーヤの代弁者が再びセンターにやって来て、講演の始まった1分後に到着し、その後ディスカッションに参加して有益でユーモラスで適切なコメントをしてくれました。誰かが世界の状態についての不安を話した時、グループのメンバーが善の勝利について、「素晴らしい肯定的な結果が保証されている」ことを話しましたが、後で代弁者の方がそのメンバーに話しかけて、「善良な人々の勝利が保証されているのです」と繰り返していました。別のメンバーで、すでにマイトレーヤのフレンドリーな代弁者に数回会っている人が彼に再び会えてうれしいことと、来てくれたことへ感謝を伝えた時、その代弁者の方はただ天の方を指差して、まるで「私はただ上から行くように頼まれたことをしているだけです」と言っているかのようでした。他に代弁者の方が語ったことで、講演に関係していたのは、マイトレーヤがいつ世界中で完全に認知されるようになるかということについてで、「それはすべてタイミングの問題です」と彼は言いました。

8月6日に、私たちはインフォメーションセンターでのリトグラフ展の中で、講演をしました。マイトレーヤの代弁者の方が再び現れて、いつものように講演が始まってからちょうど1分後でした。どうしてかいつも空席があり、最後の席に彼は座りました。普段通りに彼はかなりたくさん話すことがあり、簡素さの必要性や、自身と内なる高位我との絶え間ない接触を保つことの必要性を語っていました。さらに参加者に話しかけることも恒例になっていて、明らかに的を射たコメントやアドバイスを伝えていました。

講演の終わりに、講演者が聴衆に、18枚のリトグラフの中で心惹かれる1枚の前で、何かの期待もお願いも要求もすることなく、静かに数分間座るように呼びかけました。私たちはこのようにして約7分間静かに座り、その後ゆっくりと一緒に戻っていき、非常にはっきりとした祝福とエネルギーと感謝の感覚を持って、静かに午後の講演を閉会しました。

代弁者の方が言った最後の言葉は、その日の最後の言葉でしたが、ちょうど私たち皆が立ち上がって帰ろうとした時のことで、「共に」でした。

グループメンバー一同

シェア・オランダ、シェア・インターナショナル

インフォメーションセンター

オランダ、アムステルダム

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

編集長殿

2016年10月にベンジャミン・クレーム氏が亡くなって以来、彼と共に働いてきたロンドンのグループは、(クレーム氏が40年以上講演をしてきた会場である)ロンドンのユーストン通りにあるフレンズハウスで、毎月のビデオ講演会を行ってきました。私たちは一般大衆に情報を提示するという自分たちの仕事をしっかりと続けていますが、多くの人々はベンジャミン・クレーム氏の存在がなくなったことを寂しがっており、彼の独特の洞察力、智恵、祝福やユーモアのセンスを懐かしく感じていたので、多くの参加者が感謝と私たちの継続する活動への支援の気持ちを表し、クレーム氏が言われたように「やり続けて」と私たちを励ましてくれました。

2017年5月18日木曜日のフレンズハウスでの上映会で、これまで見かけたことのない、一人の若い黒人の男性がやって来ました。彼は20代後半くらいで、カジュアルな服装にツバなしのニット帽を被っていました。彼は手伝っているメンバー全員と少しずつおしゃべりをしていて、全員が彼を、なんて親切でフレンドリーで関心を示してくれる人物だろうと話していました。伝導瞑想の紹介の間に、彼はすぐ瞑想を始めました。彼は至福に満たされているように見え、完全にくつろいでいながら、これまでこのようなタイプの瞑想をしたことはないと言っていました。

上映会を終えて私たちが荷造りを始めていると、彼が私の所へやって来ました。彼は右手を握りしめて、自分の心臓を示すようにとんとんと叩くと、「ベンジャミン・クレーム氏がもはやここにいないことを、とても悲しく思います。けれども最も大切なことはこのメッセージで、メッセンジャーではありません」と言ったのです。「はい、でも彼はなんて偉大なメッセンジャーだったのでしょう」と私は答えました。それに対して彼は、「そうです。でも今最も重要なことは、メッセージです。どうか他の人たちにも知らせてください」と言いました。彼は微笑んで帰っていきました。

この若い男性と私たちの出会いは、気持ちを高揚させ、私たちが正しい道にいて、このような不穏な時期に、このマイトレーヤについてのメッセージと情報がかつてないほど必要とされていると確信を与えてくれました。

ジル・フライ

英国、ロンドン

 

グループセラピー

編集長殿

2017年2月9日のエジンバラでの、私たちの今年最初の伝導瞑想ワークショップで、興味深い訪問者があったのですが、若々しい黒人の女性で、すっきりとしたカジュアルな服装で、他の参加者がすでに着席した後、最後にやって来ました。彼女の様子は肯定的で、喜びに溢れ、熱心な人でした。

このワークショップについてどこから知ったのか、私たちが参加者に尋ねると、その若い女性は列車に乗っている時に、(オームの)シンボルが書かれたイベントのチラシを受け取ったと説明しました。彼女は常にその1枚を持ち歩き、心の中にシンボルを思い続け、考え続けてきました。彼女はその意味を知りませんでしたが、理解すべき重要なことがあると分かり、もっと知りたいと思ったのです。彼女が言うには、何カ月もワークショップに参加したかったので、やっと来られたということでした。彼女は「グループに戻って来た」ことについて、「……そうです、なぜなら私たちが一つのグループである時、私たちが一つのグループとして共に働く時、強力で魔術的な何かが起こるのです……」というようなことを言いました。

私たちは最近グループの中に不和の状態を経験していて、皆にとって非常に不安定な時期を過ごしていたので、これは私たちにとって重要なことでした。グループメンバーの一人は、それがグループを最近経験している状態から高揚させる徴であるとすぐに思い、「これが私たちに必要なもので、後押しのような肯定的な態度と併せて、今グループに必要なものだ!」と思ったのでした。別の人はグループの不和を解決するやり方を、私たちにアドバイスしに来られたマイトレーヤではないだろうかと思っていました。

その若い女性が『特別な方』かもしれないと感じさせることは、他にいくつも挙げられます。私たちが伝導瞑想の様々な側面について説明した時、彼女は常に私たちが伝えようとするところを正確に理解して、何を意味しているかについて直観的な認識を持っているように思えました。彼女は度々肯定的で、幸せそうで熱意のある言葉でコメントしてくれました。グループメンバーが大祈願とキリストという言葉の使用について説明していて、キリストはキリスト教の教えについてだけのことではなく、それはと言いかけた時、その女性が「神性」についてであると口を差し挟みました。

満月の瞑想について、彼女は、私たちが春の祭りの時に瞑想をしてきたことについて非常に熱心に知りたがり、本当に満月が好きで、それは大切な時期だと言っていました。彼女は「一人のグループメンバーの笑顔や別のメンバーの笑う能力に感謝し、謙虚な気持ちになりました」と言いました。あるグループメンバーは、このことがグループ内の不和についてであって、状況をより気にならないものにする笑いの必要についてだと思ったそうです。

瞑想について、彼女は「私はいつも瞑想が他の活動の妨げにならないものだと思ってきました」と言いました。伝導瞑想を始める前に、別の参加者が発言してきて、説明されている内容が自分の指針や信念に反するように感じるので、瞑想に参加しないことにしたと言ってきました。あの若い女性の訪問者が口出ししてきて、それは結構で、自分にとってそうすることが正しいならば帰ることができると言いました。その人が椅子から立ち上がり、部屋を出ていく時、彼女は「私たちはあなたの幸福を祈ります」と言いました。その時には、まるで彼女がワークショップを指導している人のように思えました!

瞑想を行った後、その女性の訪問者は、私たちがどのくらい伝導瞑想を続けてきたのか尋ねてきました。メンバーの一人は20年やってきたけれども、いまだに行うことが難しいと言いました。彼女がそれに対して、発達は通常20年から40年(最初の20年ではなく)の間に起こるもので、習得するまでに40年かかった呼吸法について読んだことがあると言っていました。

彼女はエジンバラにあるヘリオット・ワット大学で経済を勉強していて、一つのプロジェクトに関わっていることを話してくれて、彼女の使命はすべての人が清潔な水にアクセスできることを確実にすることで、その水が浪費されるべきではないということでした。これは未来の世代のために非常に重要なことです。

彼女は最後に全員の幸福を祈ってくれて、グループメンバーがもう一度会えるかどうか尋ねた時に、少しだけ謎めいた感じになり、彼女は日々、その瞬間瞬間を生きているので、未来がどうなるかは言えないと答えていました。けれどもいつか再びきっと会うことになるだろうと言いました。

私たちは皆、この出会いが全体に肯定的で、すべての人に対する肯定的で高揚させるような、敬意を持った批判ではない姿勢によって、マイトレーヤが実際にグループ内の不和に、このように働きかけられるのだと思っています。

エジンバラ伝導瞑想グループのメンバー一同より

スコットランド

 

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

自然の驚異

編集長殿

200110月の季節外れの暖かな日に、マサチューセッツの自宅から1マイル(約1.6km)足らずの州立公園の自然遊歩道へ、散歩に出かけることにしました。

あまりに唐突に一人の年配の紳士が、反対方向からやって来たところに出くわした時には、とてもびっくりしてしまいました。私は笑いながら、すっかり縮み上がりましたよと彼に言いました。彼はその日公園が騒がしいと言って、枯葉がカサカサと音を立てていることについてそう言っていたのです。この実にありふれた出会いは、それにもかかわらず興味深い印象を残しました。

10分程前に、池の美しい景色が見渡せて、遠くに山々を眺められる土手でひと休みしていました。のんびりとした午後だったので、私の思考はとりとめなく様々な物事を思っていて、シェア・インターナショナル誌先月号の、ムクテスワラ・バガヴァンの写真(本誌日本語版2001年7月号)やマイトレーヤの写真のことも考えていました。

この年配の紳士はマイトレーヤでしたか。

ジェイソン・フランシス

米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

 

海難救助

編集長殿

私が7歳(1975年)の時に起きたことについて、お尋ねしたいと思います。私は母や弟と海岸(茨城県の阿字ヶ浦)へ出かけました。私は浮き輪を持って海へ歩いて入りました。けれども遠くまで行き過ぎてしまったのです。戻ることができませんでした。

周りを見回しましたが、誰もいませんでした。

助けを求めて叫びましたが、誰にも聞こえませんでした。

突然、死が現実のものとなったのです。私は海の広大さが恐ろしくなっていました。そして死んでしまうという事実を受け入れたのです。

ちょうどその時、背後から誰かに「大丈夫?」と呼びかけられました。振り返ると、一人の男性がいました。彼は30代くらいで、普通の(日本人の)男性に見えました。彼が私を助けてくれました。彼から「遠くに行き過ぎてはいけないよ」と言われました。私は口が利けませんでした。ただうなずくだけでした。彼は海の方へ戻っていきました。そして突然姿が見えなくなりました。

けれどもその時、私は生きていると実感したのです。

彼を忘れることができません。彼は何者でしたか。彼は親切な普通の男性だったのですか。

K.N.

日本、東京

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

古くからの知り合い 

編集長殿

126日に、私たちは2017年の最初のシェア・インターナショナル誌の梱包と発送作業を終えてから、アムステルダムのインフォメーションセンターの外に、馴染みの姿を見かけました。彼はこれまで何度も私たちを訪問していて、ベンジャミン・クレーム氏の師からイエス覚者の代弁者であると確認されていました。いつものように彼は自転車に乗って現れ、キャップを後ろ前に被り、センターのすぐ外にある無料の資料を見るために立ち止っていました。いつものようにショーウィンドウを通して中を覗き込み、私たちに手を振り、歯を見せて満面の笑みを浮かべて、親指立ての仕草をして、もう一度手を振ると自転車に乗って去っていきました。近頃私たちは、代弁者の方から訪問を受けているのではないだろうかと、少し思っているのです。

グループメンバー 一同

オランダ、アムステルダム

迷って見つけて

編集長殿

2001 720日に、私は今でも生き生きと心に残るような体験をしました。私はブルックリンで地下鉄に乗っていました。私は地下鉄の列車には慣れていないのですが、それは予想以上に難しいもので、列車の行き先表示がつい最近変更されたためでした。

長く感じられた時間の間、一つの方向を目指し、また別の方向へと向かい、ついには道に迷ったように感じました。それは助けがないという感覚で、年季の入ったニューヨーカーとしては、馴染みのないものでした。けれども、それは実際に意気消沈でした。

一人のターバンをした男性が私に近づいてきました。彼の顔や瞳の、何という善良さ。彼は私を見通しているかのようでした。純粋な愛が存在していました。彼が慰めの仕草で、私の手首に触れました。私は平穏さで満たされたのです。「私は聖者の面前にいるのかしら?」と思っていました。彼は階段を一つ上るようにと、穏やかに教えてくれました。階段を上った先では、優しい男性がプラットホームまで連れていってくれました。そこで私はアフリカ系アメリカ人の女性に、正しい路線にいるかどうかを尋ねました。彼女はそうだけれども、間違った方面行きにいると言いました。彼女は自分の列車をやり過ごし、私の乗る列車まで付き添ってくれました。彼女はすべてが大丈夫なのを確認するために、私と列車に乗るつもりだと言いました。彼女はその通りにしました。列車が乗換駅に着きました。彼女は私を別の列車に連れていきました。彼女も一緒に乗り込みました。彼女はすぐに若いアフリカ系アメリカ人の男性を見つけ出すと、彼に私が正しい駅で降りるのを確認するように伝えました。彼は喜んで請け合ってくれました。彼の顔は親切で、彼女と同じように輝いていました。私の駅に着くと、彼が降りるように言ってくれました。

私がブルックリンで行かなければならなかったお店は簡単に見つかりました。

ある考えが頭をよぎり、どうやってマンハッタンまでの帰り道を見つけたらいいのかというものでしたが、私が地下鉄に入ると、親切なアフリカ系アメリカ人の男性がいました。彼は自分の名前を名乗ると、私の駅までご一緒しましょうと言ったのです。彼はその通りにしました。何という愛の感覚が漂っていたことでしょう。私たちはハグをしてから、私は列車を降りました。私は至福の状態でした。

ターバンをした男性はマイトレーヤでしたか。私の道程を助けるために天使を遣わされたのですか。

H.L.

米国、ニューヨーク州ニューヨーク

【ベンジャミン・クレームの師は、『ターバンをした男性』がマイトレーヤであったことを確認した。『アフリカ系アメリカ人の女性』はイエス覚者であった、『若いアフリカ系アメリカ人の男性』もマイトレーヤで、『親切なアフリカ系アメリカ人の男性』もまたイエス覚者であった】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

救いの手

編集長殿

2017 222日水曜日の夜、伝導瞑想を終えてグループのメンバーと一緒に、アムステルダム市内を歩いて帰宅していた時、私はつまずいて転んでしまいました。転んだ拍子に頭に怪我をして、かなり出血していました。メンバーである友人は通りの車を止めて、運転していた人に、そこから遠くない自宅まで乗せていってもらえるか尋ねていました。彼は引っ越しをしたところで、たまたま車いっぱいの荷物を載せていたため、それは無理でした。そのすぐ後、友人は自分の夫に電話をかけて、同じ内容を頼んでいました。彼女がちょうど電話を終えた時、1台のタクシーが、店の前の少し陰になった場所に座っていた私たちのところへやって来ました。彼女の夫以外には他に誰も私たちの居場所は知りませんでした。タクシー運転手は私たちのそばの歩道へと来ました。

そのタクシー運転手は車を降りると、ある男性から私たちを迎えに行って、家に送るように依頼されたと言いました。私たちは、それは素晴らしいけれどお金を持っていないと言いました。「ああ、その人がもう10 ユーロ払ってくれましたよ」と彼から言われました。けれどもそれが非常に驚くべきことだったのは、もしその運転手に助けを頼んだのが、あの車の男性であったなら、彼は別の方向へと運転していってしまったし、タクシーが現れた方角にはタクシー乗り場もなかったからでした。そしてどのような場合でも、私の転倒から文字通り3、4分のうちに、誰がタクシーに連絡をして、支払いまでできただろうかと疑っていました。「あなたと支払いをしてくれた紳士のご親切に感謝です」と私たちは言いました(二人共がそれは確かに普通の状況ではないと思っていました!)。若いタクシー運転手は「だからこそ私たちはこの世界にいるんじゃないですか、お互いに助け合うために!」と答えてくれました。私たちは電光石火の素早さで、奇跡的に助けていただいたという結論に達しました!

ヨス・クイル

アムステルダム伝導瞑想グループ、オランダ

(次の2通は同じ人物からのものです。)

 懐かしい顔

 編集長殿

1)パリ伝導瞑想グループの4人はシェア・インターナショナル誌裏表紙写真展を、2017 331日からの週末に開催しました。展示はある写真家のスタジオで行い、「分かち合いが世界を救う」というタイトルにしました。開催日を入れて二日の日程でしたが、人々が集まったのは、その写真家のネットの情報網でイベントを告知してくれたからでした。展示とそれに関連した活動がボーブールの文化芸術的な地区で行われ、つまりはジョルジュ・ポンピドゥー・センターの正面入口を過ぎた通りにある会場だったわけなのです。メンバーはスタジオのショーウィンドウに、写真とマイトレーヤのメッセージを一緒に展示しました。それはたくさんの注目を集め、通りすがりの子供たちからも見てもらえました。

マイトレーヤはかつて(東京での同じ写真展で)、もし世界中の人々がこの裏表紙の写真を見て、それについて考えたならば、世界はより良い方へ、正義に向かって変化するだろうと言われました。実際にマイトレーヤの望みの一つは、他者の苦しみに対して私たちのハートを開くことなのです。それによって私たちは世界を変えていくのです。写真展はこの目的にかなっています。二人のメンバーがずっと会場にいたのですが、私たちは注がれるエネルギーに二度ほど驚き、それはまさにクリスマスの日のマイトレーヤからの祝福のようでした。これまでの写真展の時のエネルギーを感じることに、私たちが慣れていたとしても、そのような体験をしたのは初めてのことでした。たくさんの交友関係がそこではつながり合っていて、彼ら皆がエネルギーに満たされていたので、私たちはとてもうれしく思いました。

土曜日の朝と午後早い時間には、まだ来場者がいませんでしたので、私はシェア・インターナショナル誌の読者質問欄にあった、聴衆や来場者を視覚化することについて思い出しました。しばらくの間はショーウィンドウにある6枚の写真を眺めていく、絶え間ない人の流れがありました。それで私は来場者でいっぱいの展示会場を視覚化してみました。幾つかの「視覚映像」を思い浮かべてから目を開けると、展示会場の入口にベンジャミン・クレーム氏を見たのです。私は目をこすり、想像が幻を見せていると思いましたが、そうではありませんでした。彼はそこにいたのです。私が思うに、彼が何十年もの間シェア・インターナショナル誌の編集長であったため、そこにいたのでしょう。

百聞は一見に如かず

22017311日のパリでのミーティング中に、様々な活動を担当しているメンバーたちが集まって、アイディアを交換したり、グループの和合を強化するために交流したりする時間を持ちました。午後の間、私たちがパルタージュ(シェア)・インターナショナルの購読者数の減少や、販売を改善するために何ができるかについて話し合っていた時、メンバーが「特に今は、ベンがもういないのだから」と言いました。その瞬間、突然ベンジャミンさんが現れて、部屋の中の私の目の前に立っていたのです。私が見ていたものについて疑問の余地はありません。私はグループに数分間静かにしてくれるよう頼みました。私がグループに私の見たことを伝えるのをためらったのは、私の友人が別の状況でベンジャミンさんを目撃して、彼女がその話を伝えた人々の中には、彼女をからかいだした人たちがいたためでした。翌日、私がSI誌にこの話を書くことに決めたのは、自分だけに留めておきたくなかったことと、ベンジャミンさんがもういなくなったと考える人たちがいても、少なくとも私に関する限り、それは明らかに間違っているとわかっているという理由のためです。

M-A.A

フランス、パリ

【編集長注:ベンジャミン・クレームについてさらに詳細を尋ねたところ、手紙の筆者は彼がより若く、健康的であったと述べ、彼はただ立って写真展示場の入口から彼女を見ていたと言う】

危機一髪

編集長殿

2001 9月に、私は自分の車に義理の娘のシャーリーンと二人の子供を乗せて運転していました。私たちは主要道路をとてもゆっくりと進んでいて、1台の大きなシルバーの車が反対側から(全く普通に反対車線を走って)近づいていました。30mくらいの距離になった時、突然その車が方向を変えて、速度を保って私たちの方へ真っ直ぐに向かいながら、こちらの車線の方へ進路変更してきたのです。正面衝突になるところでした。「ああ、神よ」と言ったのを覚えていますが、シャーリーンもそうでした。私は反対側の左へとできる限り向かおうとしました。どうして衝突が起こらなかったのか全くわかりません。シャーリーンも私もショックで口がきけませんでした。数週間後でも、私たちにはまだ、なぜ事故が起きなかったのか信じられません。その車からどうやって逃れたのかわかりませんが、私はシャーリーンに「私が言えることはただ、私たちが面倒を見ていただいていたということだけよ」と言いました。

私がお尋ねしたいのは、私たちは何らかの方法で守られたのですか。私たちは死ぬことも重傷を負うこともなく、他にどうやって事故から逃れられたのか、ただ信じられない思いなのです。

ベティ・ファラジャラ

英国、サリー州フリムリー・グリーン

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤによって助けられたことを確認した】

 

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。

しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。この号では、最初の手紙以外はすべて確認されている。

特別推薦

編集長殿

2017 年 1月21日土曜日に、女性の権利のためのロンドンのデモ行進に参加しました。グロブナー・スクエアにある米国大使館までの道路はすべて、手作りの旗を持った人々に埋め尽くされ、ほとんどの旗は厚紙をテープでつなぎ合わせたもので、ドナルド・トランプ氏に関するスローガンが書かれていました。家族連れや数千人もの圧倒的に若い人たちが集まっていました。雰囲気は素晴らしいものでした。後で聞いたところによると、60カ国で600もの行進に、300万人近い人たちが参加したそうです。

私がやっとグロブナー・スクエアにたどり着いた時には、ややスペースがあり、歩道にいくつかのブースが出ていました。突然、若々しい女性が、戦争停止連合のブースから署名嘆願書の付いたクリップボードを抱えて、私の方へやって来ました。私はこれまでこのような形で、戦争停止連合の活動家からアプローチされたことはありませんでした。前日同じ活動のグループからの署名にサインしていたので、もう一度サインする必要はないと思っていました。彼女は寒さに備えた服装をしていました。とてもきれいなハシバミ色の瞳に、丸縁のメガネをかけていて、明るい茶色のふわふわの巻き毛が魅力的な顔を縁取っていました。彼女はそれが新しい署名嘆願書で、2016年に起こったトライデント・ミサイル実験の失敗について、真実を語るように保守政権に働きかけるものだと説明しました。私はそれにサインしていないとわかったので、サインしていると、彼女が不思議なことを言っていて、しばしば同じ家族のメンバーは、似た筆跡になることがよくあるらしく、それは私の妹たちや弟にも当てはまっていることでした。それから私たちは何人かの抗議をする人たちについて話していて、その間、人々はパーク・レーンから1時間前に行進し始めましたが、まだグロブナー・スクエアは待っている人たちでいっぱいでした。これは長い間私が参加した中で最も大規模なデモ行進でしたが、彼女は賛同してくれて、たくさんの変化が起こるだろうと言って、アミール・アミラニ監督の『ウィ・アー・メニー(私たちは大勢いる)』というとても良い映画があって、見る価値があると言っていました。私がお礼を言って、映画を見てみると言うと、彼女はとても美しく温かな笑みを私に向けてくれました。私は歩きながら気持ちが高揚していました。(34ページの映画のレビュー参照)

その後、これが並外れた女性との稀な出会いであり、大規模なデモの間に世界中の人々が声を上げるための、またとないような機会だったことを思ったのです。

スザンヌ・フィリップス

英国、ウェストサセックス州

 

次の2通は同じ人物からのものです。

 

編集長殿

(1)2004年の新年の午前中、ちょうど真夜中を回った時、私は教会から戻っているところで、テゼ(平和のための祈り)を終えて、バス・ステーションへと歩いていました。店のウインドウ前の歩道で横になっている物乞いを通り過ぎて、お金を渡すこともしませんでした。彼に「ハッピー・ニューイヤー」と声をかけて、そのまま歩きましたが、「それは平和の祈りにそぐわない」と思っていました。

バス・ステーションでは待たなければなりませんでした。やがて他にも数人の人たちが集まってきて、やはりバスを待っていました。待っている間、私は花火を見ていました。

突然、一人の男性が私に話しかけてきました。彼は私にいくらか小銭をもらえるか尋ねてきたのです。最初私がムッとしたのは、彼が他の人ではなく私に頼んできたからでした(他の誰かに頼んでいる姿は見ていませんでした)。けれどもその時、新年はこのような、助けを拒絶するようなことで始まるべきではないと思ったのです。私は彼に片手いっぱいの小銭を渡しました。彼はお礼を言い、私に幸せな素敵な新年を祈ってくれて去っていきました。他の人にはお金を求めませんでした。私の経験では、物乞いの人たちは常に会う人全員に求めるものです。もらったお金はポケットに入れて、物乞いを続けるのです。彼は違っていました。

【ベンジャミン・クレームの師は、両方の『物乞い』がイエス覚者であったことを確認した】

 

不意をつく人

 

編集長殿

(2)2004 年 1月25日の日曜日に、私は教会へ向かっていて、ラトハウスマルクト行きのバスに乗りました。私のハンドバッグの中には10 ユーロ札があり、教会に寄付しようと思っていたもので、ポケットにはコインが数枚入っていました。バスを降りると、少し離れた所で、地面にバッグを二つ置いて彫像のように立っている人を見かけました。その人物は非常に年老いた男性のように見えて、修道士の着るガウンのようなコートを着て、頭巾を頭にすっぽりと被っていました。その人は脊柱後弯症でした。私の方を見てはいませんでした。

私は彼が物乞いなのか、ただ風変わりな人物なのかよくわかりませんでした。けれどもそのことについてはあまり考えず、ポケットにあったコイン全部を差し出しました。彼はまるでそれを待っていたかのように腕を伸ばして、(おそらく20歳くらいの)非常に若い顔で私に微笑みかけてきて、非常にはっきりと「本当にありがとう」と言いました。彼の笑みを浮かべた若い顔と、それらの力強い二つの言葉を、私は忘れることができません。

メヒティルト・ヴィーンカー

ドイツ、ハンブルグ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した

 

『親指立て』

 

編集長殿

病院で気力を失わせるような診断を受けてから、私たちは軽いショック状態で、スーパーマーケットからハリファックスの町へと歩いていました。

私には亡くなった父が、二つのペンスコインの形で励ましのメッセージを残してくれたという、確信がありましたので、古いサンドイッチの容器の中に二つのコインを見つけた時、驚きませんでした。私は心の内で「ありがとう」と言って、それらを拾い上げました。

驚いたことに、若い物乞いが壁の向こうから飛び出してきて、身振り手振りで、二言三言の言葉を使いながら、私が彼のお金を取ったと言ってきたのです。私はとてもおどおどしながら戻り、謝ってから二つのペンスコインが、父からのメッセージだと本当に思っていたことを説明しました。驚いたことに、彼は理解してくれたようで、私が二つのコインを持っていく代わりに、少しお金をもらいたいと提案してくれて、そのようにしました。話をしている時、彼は私の瞳の奥までじっと見つめていました。

歩いて夫の元に戻っている時、その物乞いは「親指立て」の仕草をし続けてくれて(私も仕返して)、そうしているうちに、心配事があるにもかかわらず、私たちは二人共笑い出していました。私はこれが特別な出会いだったのではないかと思う(と望む)のですが。

リンダ・ロッジ

英国、ウェストヨークシャー州ブリッグハウス

【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

 歩み続ける

 編集長殿

2014年の初め頃、私はロンドン市内を通って家に帰っていました。夜遅い時間で、長い1日の仕事を終えて、疲労感があり、多少気落ちしていました。列車は何かの理由で迂回していたので、帰路を長引かせることになる乗り換えをしなくてはなりませんでした。2番目の駅でプラットフォームへの階段を下りていると、年配で、おそらく80代の男性が非常にゆっくりと歩いているのを見かけました。彼は黒人で、普通の服装にキャップを被っていました。彼より背が高く、もっと若い、60 代くらいの男性が介助して腕を支えていました。人々がいち早くプラットフォームに着こうと足早に通り過ぎていきましたが、どこか無礼な気がしたので、私を含む数人は二人の男性の背後を非常にゆっくりと歩きました。足取りがゆっくりなために、長い時間がかかっていました。

プラットフォームで列車を待っていた間、私がいつもするように列車の先頭へ歩いていくよりも、その二人の男性の近くにいたいという気持ちでした。列車のドアが開くと、私は年配の男性の手助けをしようと、彼のもう一方の腕を支えて車両に乗り込みました。彼は「神の祝福を」と言ってくれました。私は腰を下ろすと、自分が信じられないほど感動していることに気づきました。そのような骨折りをして、彼らが平日の夜遅い外出で、何をしているのか不思議に思いました。その当時歩くのが非常にゆっくりなペースになり、介助も必要な私自身の父親のことが思い出されました。そのことで自分の疲労感というものを、明らかに客観的に見ることができました。彼らは私と同じ駅の、ロンドンの反対側で列車を降りて、再び非常にゆっくりとした足取りで駅を出ていきました。

タラ・クレーム

英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その年配の男性がイエス覚者であったことを確認した】

 ローカル・サービス

編集長殿

911日の 10日後に、私は地元の電子通信会社の請負業務の仕事を解雇されました。11月が来る頃まで、私はスランプに陥らないように忙しく過ごしていました。地元の教会のスープキッチンでボランティアをして、教区民の小さなグループに提供していました。30代の男性がいて、「ジョン」と呼ぶことにしますが、食料の準備とテーブルセットのボランティアをしていました。

私たちは35人に食事を出していました。全員が席に着いていた時、ジョンが少しの間席を離れ、また戻ってきました。全員がまだ食事中の時に、ジョンは歩いて回り、皆に10ドル札を渡していました。私は彼の親切にとても驚いたので、この慈善活動から特別の祝福を受けるのは間違いないと彼に伝えました。

私たちが片付けを始めた時に、あと二人の男性がやって来ました。一人は背が高くカジュアルな服装で、もう一人は小柄で様々なスタイルを取り入れた格好で、変わった歩き方の人でした。私が二人に食事と飲み物を出すのを手伝うと、二人は椅子に座りました。私が片付けに戻った時、小柄な男性が私に近づいてきて、「ここの誰かがお金を手渡していると聞きました」と言ってきたのです。私は、ジョンがお金を全部渡してしまい、もう残っていないことをお詫びしました。

この最後の二人の紳士については、どこか場違いなところがあると、私には思えました。このことをその後数日間は考えていたのです。彼らはマイトレーヤとイエス覚者だったのではないかと思っているのです。

アイリーン・ダ・シルバ

米国、フロリダ州

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らが実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 庭の訪問者

 編集長殿

もう4年以上も、私は小さな村に住んでいます。2002 5月のある特別な日に、庭仕事を終えて、通りにある庭の門に行きたい気持ちになりました。私が正面の庭の、チューリップが咲いているのを眺めていた時、女性の声で土壌の乾燥か何かについて尋ねているのが聞こえました。庭の門に近づいてみると、年配の婦人と背の高い中年の男性がいました。私は花咲く植物がいかに美しく見えるかを伝え、光の力がより一層効果的になったら良いと思うと言いました。私に気づくと同時に、その婦人が「あなたは信仰の厚い方?」と尋ねてきたのです。

私は少し戸惑っていました。すると再び「あなたは信仰の厚い方?」と聞かれました。それでも私は返事をせずに、ただ微笑んでいました。するとさらに「あなたは信仰が厚い?」と低い声でしつこく質問が繰り返されたのです。

私は心の内に喜びを感じ、ホッと一息ついてから、「はい、そうです」と答えました。その女性は聖書や宗教、私の信仰について話をしました。男性は少し脇に立ったままで、何も言わず、私に向かって心に深く触れるように微笑んでいました。彼は明らかに顔に皮膚病を患っていました。その婦人の外見のあらゆるところが、とりわけて一点の曇りもないように見えました。何か特別なことが起こっているのは明らかでしたが、私にはそれについて考える時間がありませんでした。

彼らが帰ろうとした時、何気ない様子で「あなたはキリストの再臨を信じますか?」と尋ねられたのです。私は返事をしたかったのですが、どうやって素早く返事をしたらよいかわからなくなっていました。それで私は、「すでにこの世に出られていて、私たちの中に常におられるということは確かではありませんか?」と尋ねました。彼らがついに帰ってしまう前に、とても楽しいお話だったと言ってくれました。この会話の後、長い間私は幸せを感じ、楽しい気持ちでした。

二人の訪問者はマイトレーヤとイエスだったのでしょうか。

カルメン・エベル・ヌファ

ドイツ、クラインクラウスニク

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

 

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

次の2通は同じ人物からのものです。

 特別席

 編集長殿

1200286日に、私の友人アンジェラと私は、ベンジャミン・クレーム氏の講演会に参加するためにサンフランシスコで会いました。私たちは早めに到着し、正面の良い席が見つけられるように、やきもきしながら会場が開くのを待ちました。私たちは3席だけの狭い列に腰を下ろしました。座っている時、私が笑いながら友人に「この隣の席を特別な方のために取っておくわ」と言いました。その時どうしてそんなことを言ったのか不思議に思っていました。クレーム氏の講演に参加できてから10年以上が経っていたので、この特別な講演を再び聞くことについて、私たちは楽しく話していました。

やがて、背が高くとても身なりの良い白髪の男性が、とても丁寧に「あなたのお隣のこの席に座ってよろしいでしょうか?」と尋ねてきました。彼の際だった存在感は私を驚かせました。私の最初の印象は、おそらく彼は外交官かテレビのタレントだろうというものでした。彼は非の打ち所のない服装で、彼の靴はまるで新品のようにしか見えませんでした。これがクレーム氏講演会の初めての参加かどうかを、私は彼に尋ねました。彼が正確に何と答えたか覚えていませんが、彼はシッダルタについての美術展でポスターを見たことと、この講演はこれほど大きなホールで開かれるくらい重要なものに違いない、ということを言っていました。彼は「ちょうど通りの向こう側」に住んでいると言って、クライストチャーチ大聖堂の方を指差しました。頭の中で私はその方角にアパートの建物か何かを思い出そうとしていました。

それから私は彼に「あなたは何より素晴らしいものに来られたと思いますよ」と言いました。彼は私に初めてこの話について知ったのはいつかというような質問をし始めました。彼はとても気さくで話しやすい人で、すっかり打ち解けていたので、私が最初にマイトレーヤについて聞いた時のことを話し始めました。1977年にアリス・ベイリーの勉強グループの先生が、ベンジャミン・クレーム氏の講演会を伝える手紙と、さらにマイトレーヤからのテレパシーによる最初のメッセージ(テープ)を受け取ったことを話しました。初めてマイトレーヤのメッセージを聞いた時、私は電気でしびれたようになり、本当に何かが私に起こり、真実の響きを聞いたのだと、その際立った紳士に伝えました。彼はうなずいていました。私の最初の反応は、その男性の講演を聞くために、ロンドンへ飛行機で向かったことでしたが、私がすべき行動ではなかったと思っています。

翌年の夏、私の夫と共にルイジアナからオレゴンへ引っ越しましたが、さらなる情報を待ち続けていました。3年後、私たちはクレーム氏が米国へやって来ることを耳にしました。私たちはそれを知って、本当に大喜びでタラ・センターと一緒に、他の人たちにマイトレーヤについて伝えることに懸命になりました。その際だった紳士は熱心に聞いてくれて、続けて質問をしてきました。彼はとても興味を持っているようで、度々「そうですね」と言ってくれました。彼からその後私が買ったばかりの本を見せて欲しいと言われ、とても丁寧にお礼を言ってくれました。私は彼に翌日の夜開かれる伝導瞑想について伝えました。彼は「ご招待に感謝しますよ、ありがとう、でも他の予定がありますので」と言いました。

おそらくこの男性はただ感じが良くて、とても礼儀正しい際だった紳士だったのでしょう。彼にはとても馴染みがあるように見えましたが、思い出せないのです。おそらく彼をテレビで見たことがあるのか、もしかしてイエス覚者だったのでしょうか。

【ベンジャミン・クレームの師は、その『際だった紳士』がマイトレーヤであったことを確認した】

 〔追伸〕数年間、私は腰の下から臀部の椎間板が原因の痛みのために、歩くことが困難でした。アンジェラと私がサンフランシスコで講演に行くために、丘を上ったのは本当にお笑い種でした。私たちは数分ごとに立ち止り、その間中笑っていました。講演が終わって、あなた(クレーム氏)を見送ってステージから離れた時、足を引きずっていないとわかったのです。もう改善していたのです!

長年にわたって与えてくださったあなたの助けと導きに感謝します。私たち皆がどれほど祝福され、他の人々にこの希望のメッセージを届ける役割を、どれだけより良いものにしてくださったかわかっています。この20年ほどの私の人生は最も大切なものであり、もっとやっていく必要があるとよくわかります……。

 年のわりに大人びて

 21996年の夏の終わりに、オレゴン州ポートランドに住んでいた時、自宅の隣の丘に沿った歩道に腰を下ろして花壇の世話をしていました。湿度の高い夏とさらなる高温の後で、花は枯れ、うどん粉病になっているものもあって、手当てが必要でした。私が枯れた花を切り、植物を引き抜いていると、金髪で青い瞳の、6歳くらいに見える幼い少年たち二人が、私の横で立ち止り、尋ねてきたのです。「あなたは幸せですか?」「やっていて楽しいですか?」これまで見かけたことのない幼い少年たちから、そのような質問を聞かれてとても驚きました。実際にどのように答えたのか覚えていませんが、彼らに微笑みかけて、どこに住んでいるのか不思議に思ったのを覚えています。彼らは「さようなら」と言って、私を通り過ぎて丘を上っていきました。

数秒後、彼らを見ようと振り返ると、いなくなっていて、おそらく角を曲がったのでしょう。私はまだ彼らの質問に少し戸惑っていて、再び彼らに会うだろうかと思っていました。二度と会えませんでした。この楽しい出会いから何年も過ぎましたが、彼らが私を見た時の、誠実で思いやりのある眼差しを忘れることはないでしょう。もしかして、彼らがイエス覚者とマイトレーヤだったのでしょうか。

ナンシー・ブラウン

米国、テキサス州キャロルトン

【ベンジャミン・クレームの師は、その『幼い少年たち』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 敬礼

 編集長殿

2002年の)ケルクラードでの例年の研修会後の火曜日に、私はスイスの友人たちを訪ねました。帰りの道中でハイデルベルクに立ち寄りました。美しい日でした。友人はシュヴェツィンゲン公園を散歩することにしました。

私たちが歩いていると、体の不自由な男性が電動車椅子に乗ってやって来ました。彼はとても気さくに挨拶をしてくれました。私が驚いたのは、ハンディキャップのある車椅子の人たちはほとんど内向的に見えていたからでした。歩き続けていると、池に二羽の美しい鶴がいるのが見えました。私たちがただ鶴に見惚れていた時、同じ身体障害の男性が再び現れました。彼は、「鳥たちは私の方へやって来ますよ」と言いながら私を見つめました。突然すべての鳥が彼の方へと飛んできて、二羽の鶴もやはり飛んできたのです。

鳥たちは彼の脇に立って、彼に向かってうやうやしくお辞儀をしました。この不思議な力の人物は誰だったのか知りたいと思います。

メモ・ノイペルト

ドイツ、ハンブルク

【ベンジャミン・クレームの師は、その『車椅子の男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。しかし、最初の2通は新しい手紙で未確認であるが、読者の参考のために掲載している。

次の2通は同じ人物からのものです。

一人じゃない

編集長殿

(1)私はつい先日、ベンジャミン・クレーム氏の生涯と最近の死去についての記事を読みました。その中で「クレーム氏の支持者たち」が彼なしで、指導や支援なしで、どのように仕事を続けていくのかという疑問に触れていました。クレーム氏の死去から約1カ月後に起きた、私自身の体験をお伝えします。

現在の世界の混乱を思うと、ベンジャミン・クレーム氏の覚者の関心は他の場所で緊急に必要とされており、私たちのようにベンジャミン・クレーム氏と共に働いたグループにいる者たちは、クレーム氏を通して与えられた覚者の、鼓舞される存在なしで働くことに、慣れなくてはならないのではないかと私は思っていました。瞑想のために腰を下ろした途端に、すごいエネルギーが、これまでよりももっと強力に、私の内側と全体に注がれ、覚者方との近さに何の疑問もなくなっていました。私の思いは聞かれ、私の問いは答えられ、信念が再び確認できたのです。

聞かれた祈り

(2)ベンジャミン・クレーム氏が亡くなってから、1カ月ほど後のある晩、個人瞑想の終わりに、私はマイトレーヤの『手』のカードを使ってマイトレーヤに、ハートのチャクラに関係した具体的な助けをお願いしました。反応はあっという間にありました。この過程は日にちが経っても続いているように思え、2017年になりました。私たちは一人ではありません。すべての思いや祈りは聞かれ、応えられるのです。

匿名希望

稀な励まし

編集長殿

私たちは月曜日に、オランダのアルメロにある私たちの家で伝導瞑想をしています。私は(2002年)2月18日に一人で家にいて、伝導瞑想までにあまり時間がないと分かって、急いで近所のショッピングセンターに食品の買い出しに行きました。

ショッピングセンターの一番人通りの多い出入り口に近づいていた時、一人の男性がそこに立っていて、イエスの顔が見えるトリノの聖骸布のカラー写真を持っていました。その写真は約30cm×60cmのサイズで簡単な木製の額に入って、彼の首から下げられていました。彼の手には小型のチラシで、やはりカラーのイエスの顔の小さな写真が印刷されたものを持っていました。裏側には何か言葉が印刷されていました。そのすべてを見た時、その男性がマイトレーヤかイエスに違いないと思い、ショックを受けました。けれどもその時私はためらい始めて、もっと近くで見ていると混乱してきて、間違いをしてしまいました。

私はそれがマイトレーヤやイエスであり得ないと思ったのです。彼は背の高い男性で190cmくらいあり、非常に貧しい身なりで、まるで働いている農場から真っ直ぐここにやって来たかのようでいて、1960年代のファッションの格好をしていました。彼はとてもほっそりとした貧相な顔に少し青筋が見えて、冷たい雨の天候の中で真っ赤な頬をしていました。

私は買い物をして、入った時と同じドアを通って帰りました。彼はまだそこに立っていました。私は彼に言葉をかけて、どのような団体から来ているのか尋ねることを思い付きました。しかし、彼が受け入れてくれそうな様子もなく、私からもそばを通り過ぎる他の人たちからも常に顔を背けていたので、敢えて彼の所へ行く気がしませんでした。私は家に帰ることにしました。

家に帰りながら、その出会いのことを考え続けていました。数日後、あの男性が目立つ(背の高い)人物でお腹の辺りに大きな写真を持って立っていたにもかかわらず、あの入り口で私と一緒にいた人たちは誰も彼の方を見なかったので、まるで彼の姿が見えていなかったようだったことに気づいたのです。

その晩、私は非常に集中した伝導瞑想ができて、これまで体験したことのないほどでした。

人は覚者にお会いしたと思った時、常に説明を求めるものです。個人的に私はこの出会いが、人生を続けていくこと、やっている仕事と共に生きていくことへの励ましであり、ちょうど背中をポンポンと叩いてくれたようだと思っています。私は感動し、この心遣いに大変感謝しています。

この体験に関して私は正しいでしょうか、つまりこれはマイトレーヤかイエスとの出会いでしたか。私が気づかなかったメッセージがありましたか。どちらにしても、とても素晴らしい気持ちになりました。

H.M.

オランダ、アルメロ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

感動の出会い

編集長殿

(1)私がその年(2002年)の初めの短い期間、オランダのスヘルメルホルンにいた時、川のそばの道路で犬を散歩させていて、突然 25mほど離れた所に、背の高い男性とずっと小柄な女性が手をつないで、私の方へ歩いて来るのに気づきました。男性は白い服装で眼鏡をかけて、小さな帽子を被っていました。女性はアジア人のようで、髪をひっつめてシニヨンかお団子に結んでいました。彼らが私の所へ来ると、男性が挨拶をして「ここはものすごく静かだね?」と言いました。私が同意すると、彼はさらに「僕たちはほんのちょっと先のトレーラーハウスに泊まっているんだ」と言って、(私の背後の)少し離れた所にある運河の方角を指差しました。彼の顔は喜びに満ちた微笑みを浮かべ、彼の瞳は黒く澄んでいました。女性はただ静かに微笑みながら立っているだけで、何も言わず私を見つめていました。その間中、私は周囲の感覚がなく、深い静寂が私たちを取り囲んでいたのです。そして男性が「もっと遠くまで散歩に行くつもりなんだ」と言いました。彼らはお別れを言って歩いていきました。彼らがいなくなっているかもしれないと振り返りましたが、遠くに二人の人影が見えていました。

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

 

消える技

(2)翌日、私が再び犬の散歩に出かけた時、辺りを見回していると一人の男性と小さな子供がいるのに気づきました。父親は屈みこんで、小さな三輪車に乗った息子を押してあげていました。数秒後、振り向くと誰も見えませんでした。それで二人は家の方へ向かって道を逸れたかもしれないと、戻ってみましたが、誰もいなかったのです! 道路から運河の上の家に続くでこぼこの小道までは25mから30mくらいです。彼らはただ消えてしまいました。父親が息子を連れて家に素早く駆け戻ったのか、あるいは本当に「全く別の事態」だったのですか。

ヨス・クイル

オランダ、アムステルダム

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、小さな子供がイエス覚者であったことを確認した】

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。しかし、最初の2通は新しい手紙で未確認であるが、読者の参考のために掲載している。

 慰め

編集長殿

9年前、私の妹のアネットがクチナシの鉢を誕生日に贈ってくれて、翌年の復活祭の頃には満開の花を咲かせました。それから今年まで毎年復活祭の時に花が咲いているのです。10月の初めに小さな蕾を付けたのを見て、不思議だと思いましたが、季節外れなので朽ちてしまうだろうと思っていたのにそうならず、1023日の日曜日に咲き始めて、ゆっくりと花弁が開き、かぐわしい香りが広がりました。月曜日にベンジャミン・クレーム氏の死去の知らせを知った後、花は満開になり、香りはすばらしいものでした。私は写真を一枚撮りました。3日後、花は萎れてしまいました!

別の出来事では、電話で1024日の月曜日にベンジャミン・クレーム氏が亡くなったと知らされた瞬間、心の内から深い悲しみが込み上げてきたので、一人になるために急いで2階へ駆け上がりました。感情に押しつぶされそうになり、いきなり泣き出してしまったのです。ちょうどその時、心地良い声が「私はまだここにいる」と言うのが聞こえました。それだけでしたが、即座に圧倒的な平安の存在を感じ、平穏さを取り戻して喪失感もありませんでした。

スザンヌ・フィリップス

英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド

Comfort

編集長殿

20161024日の朝、私は個人瞑想を始めて、瞑想して5分ほど経った時、容態が非常に悪いと聞いていたベンジャミン・クレーム氏の様子を見てくださるようにお願いしました。

即座に非常にはっきりと、「彼は私と共にいる」と言う声が聞こえました。私は静けさに包まれたように感じ、ベンジャミンさんが亡くなり、彼の師と共にいることを知ったのです。

私はそのまま瞑想を続けて、終わった時、ベンジャミンさんの家族から数時間前に彼が亡くなったことを知らせる伝言が、私の携帯電話に届いていました。

A.M.

英国、ロンドン

静かな存在

編集長殿

1998年の春に、私はレマン湖(ジュネーブ湖)へと歩いていき、パキという場所を目指していましたが、パキはあらゆる人種のあらゆる人々がいる、まさに人種のるつぼだと教えてくれた友人が一緒でした。その場所で、私はすっかり有頂天になり、心から生きている実感が湧いてきました。

私たちが水辺の階段へ行き、腰を下ろしていると、一羽の白鳥がすぐ近くを通っていきました。一人の若い男性が階段のてっぺんに座っていて、私にタバコを求めてきました。私は彼の瞳を見ました。私が一瞬ためらったのは、あなたを知っている、とてもよく知っていると彼に言いたくなったからでした。

彼は30歳くらいで、スニーカーにジーンズ姿でシンプルな薄茶のジャケットを着て、ほっそりとした顔にきれいな肌で、ラテン系のような黒っぽい髪でした。

私はバッグを引っ掻き回しました。すぐにタバコを渡さなかったことを申し訳なく思っていました。一瞬後、火はある? と聞かれました。またもや火のことを思いつかなかったのを情けなく思いながら、彼にライターを渡しました。

一喜一憂しながらの沈黙の瞬間でした。私が湖の方を見ると、白鳥がそこにいて、一息つくと、心から落ち着いた気持ちになりました。彼の存在を感じていましたが、振り返ると彼は何の気配もなく、いなくなっていました。彼の顔や瞳にはエネルギーや存在感があって、私はいつでもそのことを思っているのです。

その晩、イエスの絵を眺めていると、再びあの若者の顔と瞳が見えました。その後の1週間、私は大切な出会いがあったと考えていました。私の考えでは、もしそのような次元の人間たちが私たちにメッセージを送ろうとしているなら、一般の人類にとっては、私たちの問題を正しく捉えておくことが重要だと思うのです。彼はキリストでしたか。

J.ミレ

フランス、ガイヤール

【ベンジャミン・クレームの師は、その若い男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 豊富な祝福

 編集長殿

それは2001325日に起こりました。私は見たかった映画を見るために、サンフランシスコへ車で向かっていました。午後のことでした。私はお金をいくらか下ろして食事をすることにしました。サンフランシスコのバン・ネス通り沿いをマーケット通りに向かって歩いていました。何人かの人たちが私に小銭を求めてきました。そのような時、私はいつも小銭を渡し、祝福を伝えます。助けが必要と思われる人は誰でも祝福したいと思っていますし、通りで物乞いをしている人や道路上で車が壊れてしまった人、祝福が必要と思える、その他どんな人にもという意味です。ともかくマーケット通りに着く前に、そのような明らかに恵まれない人たち二人に出会いました。バン・ネスとマーケットの交差点で、アフリカ人ともアジア人ともとれそうな外見で、物乞いをしている一人の男性に出会いました。11セントしか手元になかったので、それを彼に渡し、祝福も伝えました。彼の背後にいた、体格の良いアフリカ系アメリカ人で明るい肌色の女性が、「あなたはあなたのものを受け取るでしょう、あなたへの祝福ってことだけどね」と言ったのです。

その人たちは何か普通ではなかったのでしょうか。

H・ド・グラス

米国、カリフォルニア州バークレー

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

  数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れた。時折、彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。最近になって覚者方は、代弁者の男女や代理人を通して働いてもいる。そのような体験の報告がシェア・インターナショナル誌に寄せられ、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた手紙は、掲載される。

 これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。これらの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。

  (注:掲載不可の意思表示がなければ、名前を掲載しても良いと編集長は解釈します。希望しないという要請がない限り、手紙が本誌のウェブサイト上に記載されることがあります。イニシャル、都市名、国名のみが掲載されます)