編集長への手紙

緩やかな着地

 先週(手紙は2023年6月1日着)、パーキンソン病を患っている85歳の父が、自宅の吹き抜け階段から後ろ向きに落ちてしまいました。夫と私には大きな物音が聞こえ、まるで物でいっぱいの重い戸棚が壁から倒れてしまったかのようでした。それに続いて、恐怖の叫び声がしたのです。私たち二人が玄関へ走ると、父が陶製タイルの床の上に、右向きの胎児のような格好で倒れているのが見えました。けれども、夫と私が階段脇に置いたさまざまな物はすべて、ちょうどポストに届いたばかりだった鍵や木材用ニスの缶の入った大きな箱も含めて、置かれた場所にありました。ニスの缶一つが明らかにへこんではいました。つまり、私たちに聞こえた物音は何によるのか想像もつかないのです。父は階段の五段目から落ちていましたが、その高さから落ちたにしては、怪我は比較的少なく、どのように落ちたら、あのように着地できたのかも不可解なのです。結局、父は足を骨折しましたが、タイルで頭を打つことも、気を失うこともなかったので、神聖なる源から助けられたに違いないと私たちは感じました。ショックが徐々に消えていくと、父は私に、倒れた時に「神の存在」が共にあることを感じて、助けられたことが分かると言いました。またその瞬間、時が止まったとも言っていました。

エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイヤーベルク

【編註:この体験は、覚者あるいはマイトレーヤ御自身によって助けられたとベンジャミン・クレームの師によって確認された、他の出来事を思い起こさせるものである】

安心な運転手

 2022年11月、アムステルダムのある病院で転倒にかかわる診察が終わり、車椅子に乗ったヨス・クイルを病院のボランティアが通用口へと連れていってくれました。配車を頼んでおいたタクシーを待つためでした。
 絶え間なくタクシーが出入りしていました。しばらくすると、私たちの頼んだタクシーは地下の駐車場に待機しているという連絡がボランティアに入りました。それで私たちは地下へ行くために建物の中へ戻りました。そこの中央ホールで、とても背の高いタクシー運転手が立って待っていました。彼は挨拶をして、そっと車椅子を押すのを引き受けて、下の駐車場行きのエレベーターに向かいました。私は彼らから少し遅れていたので、タクシー運転手とヨスがエレベーターを待っていたところに追いついて、ヨスの同伴者だと説明すると、その運転手は「分かっています」と言いました。
 タクシーの中で、私たちは運転手にスピード防止帯(バンプ)を越える時には極力穏やかに運転してもらいたいとお願いしました。かなり高さのある最初の防止帯が駐車場の出口付近にあり、間近に見えていましたが、運転手は即座に反応してくれました。とても慎重に運転してくれたので、防止帯であることを全く感じませんでした。さらに、彼は防止帯のないルートを選んでくれました。タクシーの中で私たちはラジオのニュースを聞いていました。降りる時、そのなめらかな乗り心地についてお礼を伝えました。
 後になってヨスと私はお互いに情報交換をしたのですが、その男性は明らかにタクシー運転手としてはあまりにも並外れていました。その上、非常に背が高く、はっきりとした顔立ちの、鼻の高い人で、つま先がこれ以上ないほど長く尖った黒い靴を履いていました。生まれつき備わった威光があり、静けさのある人物でした。
 夕方になってようやく、この出会いについて電話で話していた時、突然、彼が非常に特別な運転手だったに違いないと感じて、感動してしまったのです。数年前にヨスは事故にあい、奇跡的に一人のタクシー運転手に乗せてもらったのですが、その時にも運転手はどこからともなく、知らないうちに現れていました。依頼を受けていたわけではありませんでした。彼はヨスを家に送り、料金はすでに支払い済みだと言ったのです(シェア・インターナショナル誌2017年5月号参照)。

ヨス・クイル
オランダ、アムステルダム
ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

「苦難の襲うとき、わたしは共にいよう」
(詩編91)

 2023年5月2日の火曜日、一人の女性がアムステルダムのインフォメーションセンターにやって来ました。彼女は真っ直ぐな黒髪の小柄な女性で、加齢のせいで少し腰が曲がっていました。インド出身の人のようでした。とてもフレンドリーで話しやすい人でした。
 彼女の語ったことの多くは、私も自分自身で認識していたことでした。彼女を理解するのが難しかったのは、話し方と言葉遣いのせいでもありました。オランダ語と英語を交互に話していましたが、どちらも彼女の母国語ではありませんでした。ある時点で、彼女がアムステルダムに住んでいるかどうかを尋ねましたが、返事はありませんでした。
 この話題が持ち上がってきた会話の流れはよく覚えていないのですが、あらゆる問題が頭の中を駆け巡ってしまうために、瞑想は彼女にとって大変に難しかったという内容は覚えています。自分の思考に注意を払わないようにと仏陀が言われた、と彼女は言っていました。私たち二人は、瞑想は依然として難しいけれども、やり続けていくしかないことに同意しました。
 彼女は呼吸ヨガを行っており、それは自分を落ち着かせてくれると言いました。彼女がやり方を私に示してくれました。それから突然、数字の91が出てきたのです。聖書を知っているか尋ねられ、詩篇91を意味していることがはっきり分かりました。
 彼女がインフォメーションセンターでの公開伝導瞑想について尋ねてきました。私は彼女に日時と、もし参加したいのなら、最初の時には早めに来て、どのように行うかについて誰かの説明を聞くのが最善だろうということも伝えました。そのことで彼女は疑わしそうな顔つきになったのは、月曜日には必ず見ているテレビ番組があって、見逃したくなかったからでした。私が『そう、分かりますよ』と思ったのは、『遠隔で』瞑想する時に、伝導瞑想が始まる前まで、時折私もテレビ番組を終わりまで見ているからでした。
 それから私たちは分かち合いやマイトレーヤについて話し、私は『全人類のための世界教師』と『人類の目覚め』の本を彼女に見せました。どちらにするか彼女は決められませんでしたが、最後にはうれしそうに二冊とも選びました。彼女は『目覚め』の意味について尋ねました。同義語として『意識的になる(becoming conscious)』ように努めた後、彼女は『用心している(alert)』という言葉を思い付きました。彼女はそのことに満足していました。その後、去っていきました。
 ところで詩篇91は今、私のコンピューター近くの壁にピンで留められています。それは美しく、言葉が慰めになり、とても気分が安らいで励みになるのです。
 明らかに私にぴったり合ったアドバイスとメッセージを与えられたので、彼女は特別な方であると信じています。彼女の訪問に心から感謝しています。

ミエンケ・ラマン
オランダ、ドリーベルゲン

追伸
 その女性が見せてくれた呼吸法を、必要な時いつでも行っていますが、『夢のように』素晴らしく効果があるのです!