編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

無言のやりとり

 2008年5月に、私はイタリアのベニスへ数日間出かけました。最初の夜には、サン・マルコ広場を訪れました。午後9時頃でした。広場に近づいていくと、紳士が一人ベンチに座っているのが目に留まりました。彼は濃い色の野球帽を被り、青い瞳をしていて、170センチくらいの身長で50代後半の人でした。彼は携帯電話で話をしていて、イタリア語だと思ったのは、彼が「プロント(もしもし)」と言ったのがはっきりと聞こえたからでした。
 少しの間サン・マルコ寺院の前で立ち止まってから、彼の近くのベンチに腰を下ろしました。私は目を閉じて静かに黙想していました。彼が見つめているのが感じられたので、しばらくして目を開けて、彼を見ようと顔を向けました。彼は私を見つめているように思いましたが、ちょうど私の頭の上を見ていたのでした。私は彼がいることで大変に心地よく、私たちの間に無言のコミュニケーションがあるように感じて、まるで彼が私を理解してくれたかのように思っていました。
 さらにしばらくして、私は彼に向かって微笑み、向き直って目を閉じると、まだ彼の存在が感じられました。もうしばらく座ってから、私は立ち上がりホテルの方へ歩き始めました。彼が私に気づいて、「アデュー(さようなら)」と言ってくれました。私は微笑んで、歩いて行く前に彼の方へそっと頭を下げました。
 それ以前に彼がイタリア語を話すのを聞いていましたので、フランス語でさようならを言われたことには困惑しました。私は自分の国籍が英国であることも示していませんでした。その当時は私に分かっていなかったのですが、翌月に数日間フランスのパリを訪れることになっていたのです。その後、『ア、デュー』は「神へ」と解釈できると友人が教えてくれました。
 私はこの体験を大変心強く受け止めました。これは覚者のお一人でしたでしょうか。

ピーター・レヴィ
英国、ストーク・オン・トレント

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

違う姿で

 拝啓 クレーム殿
 私はウィーンを拠点とする伝導瞑想グループのメンバーです。私たちはマイトレーヤについての定期的な情報提供も行っています。2008年6月18日に、私たちはそうしたイベントを計画し、それはいつものように一般の人たちに開かれたものでした。メンバー4人が最後の準備に取り組んでいた時、お年を召した一人の女性が、講演が始まる予定より約1時間前に部屋に入ってきました。彼女は受付までやって来ると、そこはマイトレーヤについてのクレーム氏の本でいっぱいだったのですが、こうしたテーマすべてをよく知っていると彼女が力説しました。その女性と数人のメンバーが少しの間会話を交わしました。
 その後より親密なやり取りをして、彼女と話すうちに私たち全員が、注目に値するような個人的なヒントを与えられていたと感じていたのです。彼女はクレーム氏の本にも興味を示し、1冊を選んで私たちに近くで見てみるように言ってきました。それから彼女は周囲を見回して、座るのに良い場所を見つけました。そしてかなり強調した口調で「もっと光が必要よ!」と言いました。私たちが明かりを点けることを提案すると、彼女は少しにっこりとしましたが、それを断りました。さらにしばらく私たちと一緒にいた後、彼女はお別れを言って部屋を出る前に、ドアの所で振り返って「戻ってきます」と言いました。
 彼女はその情報イベントには帰ってきませんでしたが、イベントの終わりに、目立つ風貌の若い男性が部屋に入ってきました。彼は非常にフレンドリーで、伝導瞑想に強い関心を見せていました。彼もまた、ずっと残り続けるような印象を私たちに与えました。
 この二つの出来事についてもっと教えていただけますか。

エーディト・ハーバーハウアー
オーストリア、ビーダーマンスドルフ

【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』と『若い男性』の両方がマイトレーヤであったことを確認した】

真摯に祈る人

 拝啓 クレーム殿
 姉と私は2009年6月にルルドを訪れて、そこで三晩過ごしました。38年間、魂の伴侶であった姉の夫が2009年1月に亡くなっていました。その別れによって、姉はひどく打ちのめされていました。
 私たちは数回、ロンドンでのクレーム氏の瞑想会に行ったことがあります。クレーム氏と共にできない時には、知り合いのキリスト教徒や友人たちと一緒に家に集まり、オーバーシャドウを受けるためにクレーム氏と主マイトレーヤに『つながろう』としました。
 過去には、ローマで母と子であったマイトレーヤとイエス覚者に私たちがお会いしたことや、スペイン階段の下でベンチに座っていた若い男性としてのイエス覚者のことを、師である覚者に確認していただきました。ルルドで私たちはもう一度イエスか、マイトレーヤに出会うかもしれないと感じていました。滞在二日目に、ある店から出てみると、私たちの目の前の歩道に非常に年老いた女性がいて、顔をうつむかせてロザリオを持ち、祈るように両手を合わせていました。私は頭から足までヒリヒリするような感覚があり、そのせいで目に涙が浮かんできました。私たちがお金を渡した時に、私がその女性の肩に触れると、その女性は顔を上げて美しい微笑みを見せてくれました。彼女は別の言語で私たちにお礼を言って、私たちが立ち去ると元の姿勢に戻っていました。
 翌日は私の70歳の誕生日で、私は一人で地元の店に出かけました。商店とホテルの向かい側に大きな教会があり、またあの女性が教会前の歩道にいたのです。私は姉に伝えに行きましたが、一緒に出かけた時には彼女はいなくなっていました。私たちは大変がっかりしました。もう一度お金を渡して、『ありがとう』と言いたかったのです。
 その日遅くにバスツアーから戻り、教会の向かいの店から出ると、あの女性が再び歩道にいました。私たちが話しかけると、再び彼女は顔を上げて美しい微笑みを浮かべました。素敵な茶色の瞳が、途方もない優しさで私たちの姿をとらえていて、彼女はやはり別の言語で話し続けていましたが、何度か『マリア』と口にして、ハートに手を置いていました。
 私たちはこれがイエスかマイトレーヤかもしれないと感じ、彼らがルルドに来て、その場に『平穏さ』をもたらしていると思ったのでした。というのも、その当時はそれほど敬虔な感じがせず、騒々しいように思えたからでした。姉は初めての訪問だったので、すっかりあきれてしまっていました。この女性との出会いの後は、雰囲気が静かになったようでした。
 クレーム氏と師である覚者に、この手紙に貴重な時間を割いてくださって大いに感謝しています。

ローズマリー・エデン
英国、バーミンガム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】