シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。
覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。
しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。この号では、最初の手紙以外はすべて確認されている。
特別推薦
編集長殿
2017 年 1月21日土曜日に、女性の権利のためのロンドンのデモ行進に参加しました。グロブナー・スクエアにある米国大使館までの道路はすべて、手作りの旗を持った人々に埋め尽くされ、ほとんどの旗は厚紙をテープでつなぎ合わせたもので、ドナルド・トランプ氏に関するスローガンが書かれていました。家族連れや数千人もの圧倒的に若い人たちが集まっていました。雰囲気は素晴らしいものでした。後で聞いたところによると、60カ国で600もの行進に、300万人近い人たちが参加したそうです。
私がやっとグロブナー・スクエアにたどり着いた時には、ややスペースがあり、歩道にいくつかのブースが出ていました。突然、若々しい女性が、戦争停止連合のブースから署名嘆願書の付いたクリップボードを抱えて、私の方へやって来ました。私はこれまでこのような形で、戦争停止連合の活動家からアプローチされたことはありませんでした。前日同じ活動のグループからの署名にサインしていたので、もう一度サインする必要はないと思っていました。彼女は寒さに備えた服装をしていました。とてもきれいなハシバミ色の瞳に、丸縁のメガネをかけていて、明るい茶色のふわふわの巻き毛が魅力的な顔を縁取っていました。彼女はそれが新しい署名嘆願書で、2016年に起こったトライデント・ミサイル実験の失敗について、真実を語るように保守政権に働きかけるものだと説明しました。私はそれにサインしていないとわかったので、サインしていると、彼女が不思議なことを言っていて、しばしば同じ家族のメンバーは、似た筆跡になることがよくあるらしく、それは私の妹たちや弟にも当てはまっていることでした。それから私たちは何人かの抗議をする人たちについて話していて、その間、人々はパーク・レーンから1時間前に行進し始めましたが、まだグロブナー・スクエアは待っている人たちでいっぱいでした。これは長い間私が参加した中で最も大規模なデモ行進でしたが、彼女は賛同してくれて、たくさんの変化が起こるだろうと言って、アミール・アミラニ監督の『ウィ・アー・メニー(私たちは大勢いる)』というとても良い映画があって、見る価値があると言っていました。私がお礼を言って、映画を見てみると言うと、彼女はとても美しく温かな笑みを私に向けてくれました。私は歩きながら気持ちが高揚していました。(34ページの映画のレビュー参照)
その後、これが並外れた女性との稀な出会いであり、大規模なデモの間に世界中の人々が声を上げるための、またとないような機会だったことを思ったのです。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州
次の2通は同じ人物からのものです。
編集長殿
(1)2004年の新年の午前中、ちょうど真夜中を回った時、私は教会から戻っているところで、テゼ(平和のための祈り)を終えて、バス・ステーションへと歩いていました。店のウインドウ前の歩道で横になっている物乞いを通り過ぎて、お金を渡すこともしませんでした。彼に「ハッピー・ニューイヤー」と声をかけて、そのまま歩きましたが、「それは平和の祈りにそぐわない」と思っていました。
バス・ステーションでは待たなければなりませんでした。やがて他にも数人の人たちが集まってきて、やはりバスを待っていました。待っている間、私は花火を見ていました。
突然、一人の男性が私に話しかけてきました。彼は私にいくらか小銭をもらえるか尋ねてきたのです。最初私がムッとしたのは、彼が他の人ではなく私に頼んできたからでした(他の誰かに頼んでいる姿は見ていませんでした)。けれどもその時、新年はこのような、助けを拒絶するようなことで始まるべきではないと思ったのです。私は彼に片手いっぱいの小銭を渡しました。彼はお礼を言い、私に幸せな素敵な新年を祈ってくれて去っていきました。他の人にはお金を求めませんでした。私の経験では、物乞いの人たちは常に会う人全員に求めるものです。もらったお金はポケットに入れて、物乞いを続けるのです。彼は違っていました。
【ベンジャミン・クレームの師は、両方の『物乞い』がイエス覚者であったことを確認した】
不意をつく人
編集長殿
(2)2004 年 1月25日の日曜日に、私は教会へ向かっていて、ラトハウスマルクト行きのバスに乗りました。私のハンドバッグの中には10 ユーロ札があり、教会に寄付しようと思っていたもので、ポケットにはコインが数枚入っていました。バスを降りると、少し離れた所で、地面にバッグを二つ置いて彫像のように立っている人を見かけました。その人物は非常に年老いた男性のように見えて、修道士の着るガウンのようなコートを着て、頭巾を頭にすっぽりと被っていました。その人は脊柱後弯症でした。私の方を見てはいませんでした。
私は彼が物乞いなのか、ただ風変わりな人物なのかよくわかりませんでした。けれどもそのことについてはあまり考えず、ポケットにあったコイン全部を差し出しました。彼はまるでそれを待っていたかのように腕を伸ばして、(おそらく20歳くらいの)非常に若い顔で私に微笑みかけてきて、非常にはっきりと「本当にありがとう」と言いました。彼の笑みを浮かべた若い顔と、それらの力強い二つの言葉を、私は忘れることができません。
メヒティルト・ヴィーンカー
ドイツ、ハンブルグ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した
『親指立て』
編集長殿
病院で気力を失わせるような診断を受けてから、私たちは軽いショック状態で、スーパーマーケットからハリファックスの町へと歩いていました。
私には亡くなった父が、二つのペンスコインの形で励ましのメッセージを残してくれたという、確信がありましたので、古いサンドイッチの容器の中に二つのコインを見つけた時、驚きませんでした。私は心の内で「ありがとう」と言って、それらを拾い上げました。
驚いたことに、若い物乞いが壁の向こうから飛び出してきて、身振り手振りで、二言三言の言葉を使いながら、私が彼のお金を取ったと言ってきたのです。私はとてもおどおどしながら戻り、謝ってから二つのペンスコインが、父からのメッセージだと本当に思っていたことを説明しました。驚いたことに、彼は理解してくれたようで、私が二つのコインを持っていく代わりに、少しお金をもらいたいと提案してくれて、そのようにしました。話をしている時、彼は私の瞳の奥までじっと見つめていました。
歩いて夫の元に戻っている時、その物乞いは「親指立て」の仕草をし続けてくれて(私も仕返して)、そうしているうちに、心配事があるにもかかわらず、私たちは二人共笑い出していました。私はこれが特別な出会いだったのではないかと思う(と望む)のですが。
リンダ・ロッジ
英国、ウェストヨークシャー州ブリッグハウス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】